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2009年2月

2009年2月28日 (土)

「ダークナイト」のオスカー争奪戦敗退は「あの人」のせい?

アカデミー賞下馬評においてほぼ受賞確実の助演男優賞以外でもうまくすれば監督賞も行けるんではないかと言われていた『ダークナイト』。
しかし、そもそも作品・監督賞にはノミネートもされず。そこから既に番狂わせであった。

さらに過去の例を見てみると、『スター・ウォーズ』のようなエンタメ系SF系は主要部門はやらない代わりに、技術関係の賞で補うみたいなパターンが多かったのだが、結局技術部門で取れたのは音響賞だけであった。いくらなんでもこの冷遇ぶりはあるまい、と言いたくなるほどよ(-o-;)

しかし「世界は何を夢見ているか アカデミー賞から見えるアメリカ」というフィナンシャル・タイムズの記事を読んで、今回の結果に納得がいった。

どれもが、希望の光に向かって暗いトンネルを突き抜けていく物語ばかりだ。ジョージ・W・ブッシュが舞台の右側から退場していき、バラク・オバマが舞台のリベラルな左側から入場してきた今、この変化はとても偶然とは思えない。


アカデミー賞の結果もまた社会の風潮を反映しているというのなら、確かに「不安と恐怖の中で市民の期待を一身に担う輝けるニュー・ヒーローが地獄の底まで堕落する」物語がウケるはずがない。あまりに不吉ではないかっ!

そう考えると外国語映画賞で大本命だと言われていた『戦場でワルツを』が落ちたのも関係あるような気がしてくる。

--というわけで、みんな米国大統領選結果のせいという結論になったのであった。

ところで外国語映画賞ノミネート作品で見たかった『バーダー・マインホフ』も『クラス』も日本公開されるようでヨカッタヨカッタ

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2009年2月22日 (日)

LFJチケット獲得戦にはまってしまった反省の弁

090222

→こんな、花つけてるバッハ先生を断じて認めんぞ、オレは(`´メ)

いや、最初は静観するつもりだったんですよ、ラ・フォル・ジュルネ。だって、どんな演奏家来るか分からないし、古楽器系がどれぐらいの割合占めるか分からないし、BCJが参加というのは去年から流れていたけど、BCJなら無理しなくても聴けるし--てな感じですなあ。

しかし、ラ・ヴェネシアーナ(ヴェネクシアーナ←どっちが正しいのよ?)がブクステフーデやるという話を聞いてから、どうもムズムズムズとしてきて、ついにチケぴに入会(これまで入ってなかった(^^;)、LFJ友の会にも入って「よっしゃあ~っこれで先行発売ゲットだぜっ」と鼻息も荒く挑んだのであります。

たが、どうしたことでありましょうか(!o!) タイムスケジュール表を印字して、印を付けているうちに「あれもこれも」と増えていき、名を知っているアンサンブルは「実際どんなもんか聴いてみよう」とマルを付ければ、知らないアンサンブルは「全然知らないから聴いてみよう」と思い、どんどん増えていってしまったのであります。
でも、果たしてこんなに連続して聴いてられるのか?途中で爆睡してまうんじゃないのか?などなど不安になる中、ついに友の会先行発売の時刻が!

最初は混雑しているせいか入れず、ようやく入ってもはじき出されたり--と思ったらブラウザの設定が間違っていて、直したら入れました(^^ゞ
とっころが、5月3日のスケジュールに入ったら、8会場あるはずなのに3カ所しか表示されない。他のは売り切れてしまったのか(☆o◎;)ガーン!!であります。

焦って残ってる会場のチケットを取りましたが、後になって判明したのはシステムにトラブルがあって全会場が表示されなかったらしい。でも、トラブルが直ってからもう一度手続きするとまた800円余計に取られてしまうのですよ。ムカーッ(後で、一回分しかかからないというメールが来た)
結局5月3日の残りは一般発売で再挑戦することにしました。それに先行の時はロクな席を出さないという噂もあるし--。

それでも、ラ・ヴェネシアーナは楽勝で取れました。バッハじゃなくてブクステフーデだったんでそれほど人気がなかったんですかねえ。あと、必勝を誓っていたベルリン古楽アカデミーはかろうじてA席をゲット。えっ?このグループそんな人気あったんかい(?_?;と焦ってしまいました。
不思議だったのは3日の午前のビオンディ+エウローパ・ガランテが売り切れだったのに、夜の方は残っていたこと。裏番組にコルボのロ短調ミサがあるからですかね。
それと、100人台の小会場は軒並み全滅でした。必勝を誓った公演があったのに~これも一般発売でリターンマッチだいっ(^-^)/

というわけですっかりはまってしまった私でありました。
でも、どうせこれでバロック系はこれで終わりでしょう。二度とLFJに行く機会はないと予想してるんで、まあいいや(´ー`) フッ……ですよ。

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2009年2月21日 (土)

「ドグラ・マグラ」:我ガ脳髄ヲ撹拌ス

090221
松本俊夫映画回顧展vol.2
監督:松本俊夫
出演:桂枝雀
日本1988年

この作品はロードショー公開時に観ていて、それ以来久し振りに再見した。実は小説について私は「ドグラ・マグラ」派ではなく、「黒死館」派である。夢野久作の原作を読んだもののどうも、今イチのめりこめなかった。しかし、それに反して……いや、それだからこそか?この映画は非常に面白かった。
あの分厚くて難解な小説をここまでスッキリまとめたというのが、まずオドロキ。巨大な仏像の頭が転がっている精神病院の庭のイメージも強烈だった。それから当時、映画初出演?だった桂枝雀の怪演も話題になった。

さて、およそ20年ぶりに見直してみると、やはりビミョ~に印象が違っていた。
「なんかJホラーっぽい」……これは精神病院(というより「脳病院」と当時風に言った方がエエですかね)の場面じゃなくて、主人公の家の場面で感じたこと。後輩の監督たちに影響を与えたのか、それとも日本家屋を舞台にコワイ話を撮ると同じようになってしまうのか、どうなんだか分からんが。

狂人たちの動作がモロにアングラ舞踏っぽかった(^=^; もちろん、演じてるのがその方面のダンサーなんだろうけど。
もっとも、これはわざと型にはまった「狂気」を演じているのかも知れない。なぜなら、本当の狂気は病棟の中にあるのではないというのがこの物語の主眼点だからだ。いわば「狂気にまつわる妄想」こそが狂気であると。

意外にも結構エロかった
いやー、こんなエロい話とは全く記憶せず。「女の死体を写生」ったって、文章で読めばそんなでもないが、実際に映像で見ると……(^^;) それに近親相姦やら死体姦ネタも充満して、なかなか生々しいエロさです。

全体的に視覚面よりも脚本や演出の方が目立っていた。
入れ子状態になった物語の集積をよくぞうまく処理していて、見ているうちに頭がグルグルしてくる。ただ、それは視覚的なことより脚本の処理にあると思った。それと、これは以前も思ったが編集のテンポが速くてよい。こんな話をマタ~リと進めていたら「狂気」の迅速さが失われてしまうだろう。
それから、不気味さ横溢の音楽も効果的だったのも忘れちゃならんね。

桂枝雀はやはりアヤシサ爆発の怪演だった。夜店の口上をまくしたてて売りつけるいかがわしいオヂサンのよう。
室田日出男も、うさん臭さとまともさが紙一重になってるヌエ的演技をうまく見せていたが、肝心の主人公役の松田洋治は……うーむ、外見もバタ臭くて周囲と合わないし、今一つな感じであった。

今回、再見してみてこの作品の特色は「明晰」であると思った。ホルマリン漬けの標本やら、死体図絵やら、「親の因果が子に報い」な遺伝学の話も、またそれを実現させようとした男の妄執も、全ては極めて明晰に描かれている。
そうでなくては「狂気」は描けないという逆説を、そのまま証明しているようだ。ただ、小説のファンがそれを支持するかは疑問であるが。


脳髄撹拌度:9点
原作度:5点

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2009年2月19日 (木)

犯罪無くとも有罪OK?

裁判員制度開始を控え、かな~り気になる内容のTVドラマが放映された。--といっても日本のではない。
CS放送のFOXTVの警察ドラマ「ロー&オーダー:犯罪心理捜査班(LOW&ORDER:CI)」の第9話「The Good Doctor」がそれだが、美容整形外科の医師の妻が行方不明になったというのが話の発端である。

夫婦はそれぞれに浮気をしており、殺害動機については十分に可能性ありだ。妻の親類縁者は揃って「亭主が何かしたに違いない」と思っていて、失踪当時の彼の行動も不審な点がある。また、家の浴室の壁は塗り替えられていて、タイルや排水口は医療用の洗浄薬でピカピカになっている。

検察はなんとか起訴に持ち込むが、問題は殺人が行われたという物証が何もないことである。死体も凶器も痕跡もナシ 妻が実はどこかに隠れ潜んでいるということだってありうるのだ。

このままでは有罪にはできないと焦った検事補と捜査官たちは一計を案ずる。それは、医師がブチ切れやすいという性格を利用して、法廷でそれを見せつけ陪審員の心証を悪くするということだった。

結局、検事の尋問に引っかかり陪審員の前でブチ切れた医師は殺人罪で有罪の判決を食らってしまうのだった。
ここでは、事実がどうかというより陪審員の心証を動かす事の方が重要なのである。言いかえれば、犯罪が立証できなくとも有罪にはできるのだ。恐るべし……(=_=;)
さらに恐ろしいのは、エンドクレジットに「実話に基づいた~」などと出てくること。実際にあったんかい

このドラマは「犯罪心理捜査班」とあって、まるでプロファイラーでも出てくるのかと思うようなタイトルだが、実際には「知能犯罪捜査班」の方がふさわしい。詐欺とか計画的犯罪を専門に扱う部署の話なのだ。
そもそもは「ロー&オーダー」という超長寿警察ドラマが米国NBCで放送されていて、そのスピンオフ・シリーズである。同じくスピンオフの「ロー&オーダー:性犯罪特捜班(LOW&ORDER:SVU)」もCSで放映されている。こちらの方には、今回のケースとは逆に、6人もの男を殺したシングルマザーの娼婦が陪審員の同情を集めて無罪になりそうになるというエピソードが登場してた。これもまた恐ろしい話ではある。

ところで、スピンオフが放送されているのにご本家の「ロー&オーダー」自体は未だに日本では放送されてない。ぜひやって欲し~(-人-)オネガイ

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2009年2月15日 (日)

「アリアンナの嘆き」:なぜか神様のケチを恨む

090215

演奏:ロベルタ・マメリ、波多野睦美、つのだたかし
会場:ハクジュホール
2009年2月11日

2年近く前にラ・ヴェネシアーナの一員として来日してトッパンホールでの公演で大感動を与えてくれたロベルタ・マメリが波多野睦美との共演CDを出し、その記念公演に行ってきた。

登場したマメリは近くで改めてよくよく見ると、若くて余分なお肉のないスタイル良しの超美人である。ああ、天は彼女に二物どころか何物も与えたもうた! 私には一物もくれなかったのに~ 神様のケチッ(`´メ)……ってどうでもいいことですが。

彼女は登場して3曲ソロでディンディアやステッファニを歌った。情感豊かで声量もハクジュホール全体をゆるがすほど。
波多野睦美が次に交替して、モンテヴェルディ「甘い苦しみは」を。これはマルコ・ビーズリー+E・ガッティが甘甘波状攻撃をやった曲ですね。つのたたかしのリュートもガッティに負けず切ない響きであった
前半の最後の曲は二人でモンテヴェルディを二重唱した。これまた素晴らしいものだった。

しかし、一番の聞き物は後半のマメリの「アリアンナの嘆き」だったろう。これは前回の来日公演の感動を髣髴とさせる熱唱だった。
聴き終わって二人の歌手の卓越した歌声にノックアウト状態となった。満足よ(*^^*)

ただ、これは純粋的に個人的な好みによるもんですが、このCDを買うかというと--多分買わないでしょう(・・ゞ ちょっと私には濃ゆ過ぎるのであ~る。

ラ・ヴェネシアーナは今度のラ・フォル・ジュルネに来てブクステフーデをやるそうである。ドイツ物をどう料理してくれるのか楽しみ楽しみ

【関連リンク】
《コンサート日記》
かなり詳しい感想です。この日発売だったCDの感想はこちら

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2009年2月14日 (土)

「チェ 39歳 別れの手紙」:朝に革命を成せば夕べに死すとも可なり

090214
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:ベニチオ・デル・トロ、マット・デイモン(←全く気づかなかった)
フランス・スペイン2008年

前半の『チェ 28歳の革命』に続いて時間差公開された後半である。起承転結ならぬ「起承転落」の「転落」部分に当たる。
監督はそもそもこちらの方を描きたかったとのことで、どんな風に展開するのであろうかと、かな~り期待していったのは事実である。

革命成ったキューバから突然姿を消したゲバラ……その原因はソ連との軋轢やら、カストロと何かあったんじゃないかとか、所詮よそ者なんでいずらかったなどと諸説あるらしいが、そういう点については一切触れず、いきなりカストロがゲバラの別れを告げる手紙を公の場で読み上げる所から始まってしまうのであった。

そして新たなる革命を成就すべく変装してボリビアに潜入。もっとも、これより以前にアフリカのコンゴに行って解放戦線を支援したこともあったらしい。これは『絵はがきにされた少年』(藤原章生)という本で読んだ記憶がある。それによるとあまりの民族性の違いにあきれて、結局うまく行かずにゲバラは帰っていったとか(ちょっと読んだ記憶が曖昧ですが)。要するに南米流はアフリカで通じなかったらしい。

それと同様に、ボリビアではキューバ流はうまくいかなかったということであろうか。現地で若い志願者をつのり、部隊を編制し、地元住民の協力を得--と映画の前編で見せたような方式を取ろうとするがうまく行かない。
ボリビアの共産党の助力を得られなかったのは痛かった。やはり地元の組には顔を通しておかんとね(^-^;……って、何の話だ。さらに、キューバからの「革命の輸出」を懸念した政府は米国からの「軍事顧問」派遣を要請するのであった。

前編には国連の演説やインタビューが挟まれたりと別の場面もあったが、今回はそれもなし。ただ、ひたすら山林地帯でのゲリラ活動のみが淡々と綴られていく。外部の動きはほとんど関係なく、ただゲバラが最後の一年間弱に見た光景を再体験するが如しだ。ぜんそくの発作に苦しみ、脱走兵が出て、住民に裏切られる話も、政府軍に追い詰められていく件りも、ただひたすらに淡々としている。淡々度は前編をさらに越える。もはや静謐とも言えるほどである。そして結末へと静かに進んでいくのであった

ここへきて、ようやく前編を作った理由がおぼろげながら納得できた。前編の成功譚があったからこそ、後半の淡々と自滅へと向かう物語を実感できるのだろう。

不思議に思ったのは、ゲバラ本人を正面から撮ったショットが一貫して少ないということである。誰かと会話していれば、彼の背後から撮ったものか、その相手の表情だけを映した場面が多い。前編よりもさらにその傾向が顕著だと思えた。
彼が途中でブチ切れて馬を叩いてしまう場面に続いて、部隊の一同へ自戒を含んだ演説をした時も、映しているのはそれを聴いている兵士たちの顔だけで、彼については声が聞こえてくるだけである。
その意図はつかめない。ドキュメンタリー風の作りだという説があるが、それだったらむしろゲバラを中心に映すだろう。彼の主観映像を再現したというのも、賛成できない。角度などが主観映像とは微妙に異なるからだ(ラストのあの場面を除く)。

終盤の逮捕後のシーンでそれは崩れる。これも意図的か(?_?;
監視役の若い兵士との対話場面、これがいいっ 特に「あんたは神を信じてるのか」と質問されて答えるところ--私だったら「兄ぃ、一生ついて行きやす!」となっちゃうくらいにゲバラ萌え~なシーンであった。
去年見たドキュメンタリー映画『敵こそ、我が友』によると、米軍がボリビアに送り込んだ元ナチの指名手配中の戦犯であるクラウス・バルビーが、ゲバラ殺害の指示を出したらしい。近現代史の暗黒面ですなあ。

それにしても、よくこんな映画の宣伝に格闘技家とか呼んだもんだ。監督一同めんくらっただろう。いくら近年、洋画に人が入らないといってもこりゃないだろう。騙して客を入れれば勝ちですかい
そのせいか、前編では客の大半を占めていたカップルは映画館から姿を消していたのであった。
腹が立ったのは、斜め後ろに座ったオヤヂ。上映中、ひっきりなしにおつまみを食べてビニール袋のゴニョゴニョ音を出し続け、その合間には銀紙の包装の音まで入るのであったよ。
……(ーー;)
オメエはゲリラの耐乏生活を見習って何も食うな!(*`ε´*)ノ☆

これを見終って家へ帰ったら、教育TVでキューバを35年間撮り続けた米国人ジャーナリストのドキュメンタリーをやっていたので見てしまった。
彼の話ではキューバ革命の行く末は厳しいとのことだ。みんな国外へ出たがっているし、革命の歴史など考えたこともなくひたすら米国へ行くことを夢見ている若いモンも登場してた。なんだかガクッ_| ̄|○である。

とはいえ、先日CS放送の「ドキュメンタリーNOW!」を見ていたら、去年の春に南米パラグアイで「解放の神学」の司祭であったルゴ大統領が誕生したことについてやっていた。日本でどの程度報道されてたのか分からんが、私は全然知らなかった(^=^; 恥であります。
就任式ではベネズエラのチャベスも来て一緒に踊ったりしてた チャベスは最近はかなり評判が落ちてしまったようだが、こちらのルゴはどうなのだろう。同じく民政へと移行した隣国ボリビアとも緩やかな連帯を成しているようである。
インタビューで「憲法こそが国民の最大の武器である」とか「ブッシュに限らず世界の為政者は、暴力がいまだかつて何かを解決したことは一度もないことを肝に銘ずるべきだ」と堂々と答えていた(注)。なんとなくホッとしてしまったのう。もっとも、よその国より自分の国を心配すべきか。

さて、ある一定年齢以上の人々には確固たる「脳内ゲバラ像」があって、それと異なるとご不満の向きもあろう。しかし、これはあくまでもソダーバーグのゲバラ像である。事実とはまた違うのだ。
私はむしろ、スペイン語でこのよう作品を作って米国で公開した(小規模だろうが)ことに感心した。なにせ、直接の主人公ではないとはいえ、カストロったら未だ米国では往年のフセイン並みの極悪人だろう。よくやったもんである。
とすれば、ラストの1955年に戻った船上の場面で、若きゲバラがカストロ兄弟へ意味深な視線を投げかけるが、それはむしろゲバラでなくソダーバーグのものなのだろうか?


主観点:8点
客観点:6点(地味ジミですからね、人には勧めませんよ(^^;)

【関連リンク】
《まどぎわ通信》
作品内では描かれなかったこと。

《好きな映画だけ見ていたい》
原作「ゲバラ日記」との比較。

注-もちろん、彼は酔っぱらってたり、支離滅裂だったり、綴りを読み間違えてたりはしなかった。うらやましい~。隣りの 芝生 じゃなくて外国の政治家はよく見える、か?

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2009年2月11日 (水)

ザ・ニュースペーパー 戸田公演:あのコーナーがないなんてイヤだーっ!

090211
会場:戸田市文化会館
2009年2月7日

相次ぐ首相交代劇のせいかTVでの露出度も高くなり、ザ・ニュースペーパーの人気は急上昇。そのため恒例の東京での年末公演は即日ソールドアウトで入手できず(!o!)
仕方なくその後の地方巡業(^^;のチケットを入手したのであった。
というわけで、生まれて初めて埼玉県は戸田駅に降り立ったのであったよ。戸田市民の皆さんすいません。

しかし既に薄暗い時刻、駅前にめぼしいランドマークもなんにもなく、私はうっかり間違えた道を行ってしまい、たちまち迷ってしまったのであった(T_T)
通りがかりの人に「あのう、文化会館は?」と聞いても「さあ~??」首を捻るばかり。大丈夫か戸田市文化会館(~_~;)
仕方なく駅まで一旦戻って行き直したのだった。立派なホールなんですけどねえ。市民の認知度は低いようで。

なんとかギリギリ間に合って始まったのは、恒例「歴代総理演説」コイズミ、アベ……と続いていく。TVだとそれほどすごーく似ているようには思えないのだが、舞台だとクリソツに見えるのは何故だろう。特にアソウ--神懸ってます
民主党のネタもやったがこちらはソックリ度も低し。キャラが立ってる人が少ないからかね

政治家ネタ以外では、老人向け降り込め詐欺防止講座のコントが一番面白かった。これは周囲で涙流して笑っている人もいたぐらいにおかしかったぞ。
あとは、前回爆笑もんだった田原総一郎+話題の知事トリオがまたも登場。やはりウケていた。
しかし、それこそずーっと恒例だったあの「ご家族」コーナーが結局なかったのはなぜだっ!
元々地方巡業ではやらないのか、それともメジャーになり過ぎてこのネタをやるのは危ないと判断したのだろうか?
でも、あのコーナーがないと見た気がしない。不満であ~る(` ^ ’)
次は復活を是非望みたい。

帰りはちゃんと迷わずに帰れました。……って一本道なんですけど

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2009年2月10日 (火)

「中村孝志 これしかない」:日本に「これしかない」楽器も登場

090210
バロックトランペットで室内楽
会場:杉並公会堂小ホール
2009年2月5日

中村孝志……ハテ、知らんのう(^^?と思ったが、アントネッロの公演などにコルネット、トランペット吹きとして参加している方だそうである。世を忍ぶ仮の姿は会社員とか。

彼を中心としたコンサートではあるが、他の出演者もチェンバロの武久源造、ヴァイオリンの大西律子やソプラノの広瀬奈緒など--と豪華なメンツなので行ってみた。

前半は17~18世紀のボヘミア・オーストリア地域の作曲家を特集。ビーバー、シュメルツァーの有名どころに加え、ラインハートとかヴェイヴァノフスキーなんて名前も聞いたことありませんというような作曲家も登場。基本型はチェンバロ+ヴァイオリン2+ヴィオラ+トランペット+チェロ+コントラバスだが、曲によって様々に編成を変えて演奏された。
途中で武久源造がビーバー作曲の「火の用心」ソングの歌も披露(^^;) えーと、まあ鍵盤ほどには上手いとは言えないようです……

後半は、英国代表のパーセルとヘンデル。広瀬奈緒も加わりトランペットとソプラノが絡む曲を中心のプログラムで進行した。チェンバロとソプラノのみとか、弦だけの曲もあった。
それまでは孔つきのバロック・トランペットを使っていたが、ヘンデルの「狩りのカンタータ」では孔なしのものを使用。片手トランペット演奏に挑戦した。

また、武久源造はペダル・チェンバロという珍しい楽器を使用していた。恐らくは日本で一台しかないだろうとのこと。普通のチェンバロの下にもう一台、低音のペダル専用のものがあって足で弾くようになっている。バッハやブクステフーデは当時オルガンの練習用に家で使っていたそうな。移動が大変なのでなかなか公演会場には持って来られないということだった。
しかし、今回持って来た甲斐あってか、アンサンブル全体の中でなかなかドスの利いた低音を聴くことができた。

家に帰ってネットでペダル・チェンバロについて検索してみたが画像を見ると、な、なんか違う(-o-;) どれも床にじか置きされているような形だが、コンサートで見たのは通常のチェンバロと同じような形でさらに低い脚台に乗っていた。
えーと、つまり親チェンバロの下に子チェンバロ入れて~子チェンバロの下に孫……失礼しました<(_ _)>
これだったら、ケータイ写真撮ってくれば良かった(x_x)と大いなる後悔をした。
とりあえずミクシィに入ってる人にはこちらをご覧下せえ。
あと、ちょっと見えにくいが中村氏ご当人のブログより。
いつか是非、ペダル・チェンバロのコンサートもお願いしたい。

という訳で音楽面では充分楽しめたコンサートだった。しかし、会場はあまり大きくない所とはいえ、満員になったのには驚いてしまった。だって事前にチラシも目にしたことがなく、私は雑誌「アントレ」のコンサート予定表でようやっと知ったぐらいなのに。ということは、ほとんど身内の客か(?_?;
確かに、異様なほどにもろサラリーマン風のダークスーツ姿の人が多くて、中村氏が自分の会社でチケットを売ったのかしらんなどと邪推してしまった。
まあ、身内でもいいんですが、「こちらは××さんです」とか「あらーっ、お久しぶり」なんて挨拶を出入り口のど真ん中でやるのだけは勘弁して欲しいぞ。

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2009年2月 9日 (月)

「戦場のレクイエム」:映画戦線異常なし

090208
監督:フォン・シャオガン
出演:チャン・ハンユー
中国2007年

中国製の戦争映画にして自国軍隊の批判も織り込まれているというので見に行ってみた。その結果は……いや~、今時珍しいまっとうな戦争映画でしたよ。

冒頭は1948年。第二次大戦終了後、日本軍が去った後に残ったのは国民党軍×人民解放軍という同胞相食む内戦であった。
前半はその戦闘場面をこれでもかこれでもかと特撮CGを駆使して詳細に描く。撃たれた時の血しぶきや、地雷にやられてふっ飛ぶ場面など見事なほどの迫力だ。その中では投降者殺害やら味方の置き去りなど暗黒面も明らかにされる。

後半はトーンが変って、内戦終了後に主人公の連隊長が戦死した部下たちが行方不明扱い(遺体が見つかっていないので)になっていることを知って、なんとか彼らの名誉を認めさせ回復させるべく長年にわたり国(の官僚制)と苦闘する話になる。
実話だそうだが、ここら辺は謎仕立てのプロットになっていて、それが却って主人公の行動が判然としないように思えてしまうのはマイナス点か。
あと「指導員」というのが出てくるのだが、一体どういう存在なのか終始不明だった。

主要の役者さんの演技は文句なし。ただ紅一点の元教師の奥さん役は適役かどうかアヤシイ。チャン・ツィイー系のカワイイ感じだけど、この役だと若過ぎじゃないの?

どちらかというと国籍に関係なく愛国者な方、および戦争ヲタな方におすすめしたい作品であった。
え、私σ(^-^;)ですか? 私はほら、ひねくれ者の非国民ですからして……

内容より印象に残ったのは中国映画界もハリウッド並みの製作体制に入って来たか、ということだった。下のリンク先の記事にもあるように、戦争の悲惨さは強調されてても他国を非難するような描写はナシ。朝鮮戦争時の米軍も登場するが気のいいヤンキーに描かれている。明らかに海外で公開することを念頭に入れているようだ。
それから自国の軍隊の欠点描写や批判めいたことがあっても自浄作用でうまく解決したという物語ならオッケー、というのもハリウッド式だ。
さーて、これからは中国映画の猛攻が続くのかのう。ナリ注である。


戦争度:8点
明快度:5点

【関連リンク】
《まどぎわ通信》
映画戦争では日本軍劣勢でありますっ。


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2009年2月 8日 (日)

あの老舗古楽グループも危機に

ミクシィの古楽コミュ経由で知りました。
これまで日本人の演奏家も多く在籍してきたラ・プティット・バンドが、政府の助成金を打ち切られそうだとのこと。世界的不況の影響がここにも来たか!という感じです。この手の助成金がなくなると来日公演なども不可能になる場合もあるようです。

こちらのサイトで署名を集めているそうです。英語ですが(汗)

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「地獄に堕ちた勇者ども」:悪の勝利+民族の狂典

監督:ルキノ・ヴィスコンティ
出演:ダーク・ボガード
イタリア・西ドイツ・スイス1969年

雑誌「トーキングヘッズ」第37号「特集・デカダンス」で『地獄に堕ちた勇者ども』について書いたのだが、紹介を目的にした短いものなので、こちらのブログの方に感想など書き連ねてみたい。

この映画も見てから下手するともう二十年ぐらい経っているかも知れない。ビデオで見たのか、名画座で見たのかさえも覚えていない。実はかつてはこの作品は他のヴィスコンティの同時期の作品に比べるとあまり好きではなかった。当時はこの後の作品である『ベニスに死す』や『家族の肖像』『ルートヴィヒ』の方がずっと気に入っていたのだ。
だが、今回本当に久し振りに再見して

 なんだよ!面白いじゃねえかっ ( ̄Д ̄;)

と思ったのは秘密だけど、紛れもない事実である。
もっとも、同時期のヴィスコンティ作品の中では一般的に評価が低いのは確かのようである。投稿式の映画サイトでの平均点を見ると5~7点ぐらい。極端に高い点数と低い点数が混じっている。また、公開当時の「キネ旬」のベストテン(評論家の)を見ても9位で、『ベニス』『家族』の1位はもとより『異邦人』(失敗作といわれているらしい、未見)の8位よりも低いのだ。

冒頭は1933年のドイツ、古くから鉄鋼会社を営む男爵家の邸宅。「国会議事堂放火事件」と同じ夜に設定されている。この事件を契機にヒトラーによってドイツの民主主義が崩壊したという。
最初にいきなり大勢の人物が登場してきて、何が何やらワカラン状態になってしまうが、この一族の人々で様々なものを代表させているようである。

老男爵はいにしえの家父長制と産業を。
彼のお気に入りの姪エリザベートは愛情と家族を。
エリザベートの夫ヘルベルトは自由主義、ひいては思想自体を。
突撃隊員である男爵の甥コンスタンティンは軍事と男性性を。
男爵の亡くなった息子の未亡人であるソフィーは打算と欲望、特に情欲を。
その長年の愛人にして会社重役のフリードリッヒは企業と野心を。

この物語は、それらの象徴全てを新興勢力であるナチズムの権化の親衛隊幹部アッシェンバッハが抹殺するかまたは取り込んで行く過程を描いたものである。
さらに、コンスタンティンの息子のギュンターが表わす誠実さや学問・芸術、さらには男爵の孫マルティンの退廃的な享楽主義や変態性さえも例外ではなく、見事に篭絡し搦め取ってしまうのだ! 恐るべし
当然、この一族が象徴しているのは一つの国家の運命でもある。
最後に悪は勝つ……のだが、その後の歴史の変転を思えば、見ていて何もかも虚無の淵に転げ落ちていくような気分にとらわれる。

ラストのソフィーとフリードリヒの結婚式は、ただ一人一族のメンバーでなかったフリードリッヒが長年待ち望んでいたことであった。同時に、それは男爵家の当主になることでもあるのだが、恐ろしい滅亡と死のイメージに満ちている。とても正視できないコワイ場面だ。

ヴィスコンティはその過程を淡々と即物的に突き放して描いている。大体にして観客が見ていて感情移入できる人物などほとんどいないのだ。いたとしても物語が進むうちに消えてしまう(=_=;)
潤いある叙情的な部分もない。殺伐としたもんである。『仁義なき戦い』といい勝負かも…… だから、私も最初に見た時には今イチ気に入らなかったのだろう。

しかし、それとは全く別にほとんど物語の大筋に関係ないエピソードが長く続く場面が幾つかある。完全にカットしてもいいか、さもなくばもっと短くできそうな場面なのだ。

*ギュンターの大学で焚書が行われるシーン。レマルクはともかく、ヘレン・ケラーとかジャック・ロンドンなんかも入っている。巨大な火がメラメラと燃え上がり、熱狂した若者たちが旗を振る。非常に狂躁的な場面だがこれまた淡々と撮っている。

*小児性愛者であるコンスタンティンが少女に手を出す部分。屋敷でエリザベートの娘に対しての場面と、続く愛人のアパートの隣室での話を合わせるとかな~り長くてしつこい。現在の映画ではとてもこんな場面を撮ることはもう不可能だろう。

*突撃隊が湖畔の保養地で繰り広げる乱痴気騒ぎ。この長さが20分だというのだから長い、長過ぎ! 完全に映画内の均衡をブチ壊している。
昼は全裸で水遊び。夜は酒場で飲み歌い騒ぎ、女給の服をはぎ、若手兵士のキレイドコロが女性下着をつけて化粧してラインダンスを踊る。宴が終わった後は男同士で寝室に消えて行く。もともと「男色・暴力・酒乱」で突撃隊は顰蹙を買っていたという。
もっとも『第十七捕虜収容所』(1953年)のような「健全」な戦争映画でも女装ラインダンスが登場してたので、軍隊では定番の娯楽なのかも知れない。自衛隊でもやってるんざんしょか(^^?
ともあれ、ここは『サテリコン』の冒頭と並ぶ映画史上に残る狂宴場面に間違いないだろう

そして、その夜こそはいわゆる「長いナイフの夜」であった。深夜、親衛隊が粛正のために突入してきて彼らをバリバリ撃ち殺してしまう。裸の若い兵士たちが撃たれてゴロゴロ転がる所まで丁寧に描かれている。
ここを面白いと思うか退屈と思うかは、完全に人によって異なるようだ。

*ここは本筋に関係ある部分だが、マルティンと母のソフィーの母子相姦場面。またこれが、あられもない描き方で見ていてウツになるのは必定だろう。これまで溺愛しながらも息子を利用することしか考えていなかった母親が、一変して陶酔と恐怖を感じる。皮肉なことにその時こそが「母」を自覚した瞬間なのである。

これらの場面があるからこそ、毒々しくも記憶に残る作品になったとも言える。
イタリア語の原題は『神々の黄昏』だそうだ。物語の根底には神話的構造がある。それは古今東西いずこのどの時代にも通用する話である。だから、いささか強引だったりブチ壊れている部分があっても気にするもんではないだろう。

エリザベート役のシャーロット・ランプリングはこの時23歳ぐらいだとか。役柄では子どもがいる設定だがさすがに若い。細くて肉がなくてまるで蜻蛉みたいな美しさである。
ヘルムート・バーガー演ずるマルティンは女装趣味でロリコンでマザコンでおまけにヤク中のボンボンというどーしようもない役だが、あまり憎めないのはなぜか。「情けない二枚目」の役得だろうか。
それにしても、巷では冒頭に登場するディートリッヒを真似た彼の女装が美しいという評価だが、個人的にはとても賛成できない。いかにも男が女装しましたという感じで、どちらかというとグロテスクな印象がある。
他の役者も名演ぞろい。公開時どういう評価をうけたか分からないが、アッシェンバッハ(ヘルムート・グリーム)の悪魔の如き冷徹ぶりがまた憎い!憎いっすよ~

見終ってふと考えたのは、役者の身体についてである。何か見ていて彼らの身体というものが画面の中から迫ってくるように生々しく感じられたのだ。
映画を見ていて(特に時代物)「衣装が素晴らしい」などと思うことがあるが、果たしてその時見ているのは衣装なのだろうか。むしろ衣装を通して役者の身体を見ているのではないだろうか。同じ衣装であっても脆弱な身体(これは「痩せている」とか「ブヨブヨしている」という意味ではない)が着ていたら、素晴らしいなどとは思わないのではないか。とすれば、やはり観客は役者の身体を透かし見ているのだ。
だが、同じ役者であっても別の作品では貧相な身体に見えてしまうことがある。だとしたら、その身体の半分は監督やその他のスタッフが作り上げたものなのかも知れない。


二十年ぶりに見て評価が一変してしまったわけだが、やはり人間の好みというのは歳と共に変化するもんなんだろう。だったら、公開時に見て全く理解できなかったヴィスコンティの遺作『イノセント』も、あと二十年ぐらい経ったら理解できるようになるかも--って、そんな悠長な(@∀@)


退廃度:10点
悪の豪華度:10点

【関連リンク】
《*.。~ 悠々日録 ~.。.*.》
H・バーガーの問題写真、ランプリングの画像や相関図もあり。鑑賞の際にお役立ちな記事です。

《ミケランジェロ広場の午後》
ヴィスコンティ家--めくるめく貴族の世界をご堪能下さい。
「かつてスカラ座には定期予約席があり、これは彼らの私的財産であり、ヴィスコンティ家は、オーケストラボックスのすぐ上、第一列左から4番目の予約席であった。」
私的財産……

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2009年2月 7日 (土)

第13回(2008年)日本インターネット映画大賞結果決まる

私も投票に参加したインターネット映画大賞が決まりました。詳しい結果はこちらです。

外国映画の作品賞ベスト10は

1位 271点 ダークナイト
2位 82点 WALL・E/ウォーリー
3位 69点 レッドクリフ Part1
4位 61点 ノーカントリー
5位 57点 魔法にかけられて
6位 53点 アイアンマン
7位 52点 最高の人生の見つけ方
8位 51点 テラビシアにかける橋
9位 49点 つぐない
10位 48点 潜水服は蝶の夢を見る

やはり『ダークナイト』で順当だったようである。もっとも、興行成績とは全く比例してない順位だが。
意外だったのは『テラビシアにかける橋』が入っていたこと。そもそも観客数自体少なそう
も一つ意外なのは、主演男優賞がダニエル・デイ=ルイスじゃなかったこと。……いや、私も入れませんでしたが(^^;)それは当然彼が来るかと思ったもんであえて外したんであります。

恒例、2ちゃんの映画板のベスト&ワーストを貼っておこう。こちらは国内外作品一緒のランキングである。

2ch
1位 (2216点 142票) ダークナイト
2位 (1148点 *86票) ノーカントリー
3位 (*925点 *70票) WALL・E/ウォーリー
4位 (717点 59票) ミスト
5位 (651点 48票) おくりびと
6位 (600点 46票) ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
7位 (596点 42票) イントゥ・ザ・ワイルド
8位 (570点 39票) ラスト、コーション
9位 (493点 38票) ぐるりのこと。
10位 (474点 47票) アイアンマン

ワースト3
1位 (-104点 28票) 崖の上のポニョ
2位 (-100点 25票) 少林少女
3位 (*-88点 26票) インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

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我が「四季」史を語ってみちゃったりして

090207
《僕と仕事と仮テンポ》にて「ビオンディ×「四季」=極彩の映像美」を読んで、突如として自分の「四季」遍歴を辿ってみたくなった。

私も最初はご多分にもれず、イ・ムジチとアカデミー室内管弦楽団のお世話になった。遥か遠い過去の話であるよ)^o^(
当時はクラシックなど全く聴かない人間であったが、NHKで原田康子の『挽歌』をドラマ化した時にテーマ曲として使われていて、初めてその存在を知ったんである。

そのずーっと後、何年も経ってからマンガ家の森川久美が雑誌か何かのエッセイに「アーノンクールの「四季」を愛聴している。これを聴いたらもうイ・ムジチなんて聴いてられない」というような事を書いていたのを読んだ。それでどんなものかと思いアーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス演奏のレコードを買ってみた(当時はまだCD以前)。
後から知ったのだが、この録音は「やかましい」「騒がしい」などと一般のクラシック・ファンからはかなり非難されていたものだった。実際、聴いてみるとまさにその通りで、ドンガラガッタ~ン、ガッシャン、ガッシャン、ガッシャンみたいな感じ(^O^)
あまりに騒然とした演奏に私は仰天して、一回聴いただけでレコードをしまい込んで「封印」してしまったのだった。

さて、またさらに何年も経過してビオンディ+エウローパ・ガランテのCDを聴いた。知ったのは、多分『古楽演奏の現在』(「クラシック音楽の20世紀 4」音楽之友社)という本で紹介されてたのを読んだからだろう。この本は、後の古楽本と違って音楽史的なアプローチではなく、演奏者・グループの解説に徹しているものだった。今開いてみると、人名に線が引いてあったり推薦ディスクにマルや三角印でチェックしてあって、かなりお世話になったのである。
この本が出たのが1993年、エウローパ・ガランテ(「レウローパ・ガランテ」と書いてありますな(^^))のCDが出たのは1991年頃だ。「発売後すぐに熱狂的な賛辞を受けた」とある。
個人的な印象では、細部はエッジが聴いていて全体的に鮮烈かつスッキリとした演奏だった。そして、何より俗っぽくなかった。これ、肝心。当時、結構ヘビー・ローテーションで聴いていたと思う。

衝撃的だったのは、それより後のイル・ジャルディーノ・アルモニコ盤だろう。まさしく当時としては「過激」の一言。「秋」の第二楽章なんか酔っ払いが朦朧として電柱に話しかけてるみたいだ。これをきっかけに、四季はなんでもあり状態に突入したと思われる。
この頃、ふと思いついてアーノンクール盤を取り出して聴き直してみたら、そんな腰を抜かすような演奏ではなかった。慣れというのは恐ろしいもんである(^.^;

イルジャルよりもさらに過激度アップなヴァージョン、オーソドックスな編成から近年のクイケンのように必要最小限人数での演奏、ソロ楽器を変えての編曲版や、さらにはレッド・プリーストのようなナンチャッテ古楽まで。まさになんでもオッケーだ。
しかし、どうだろう。芝居っ気のある演奏者には結構おいしい曲なんではないかね。あの寺神戸亮氏だって酔っぱらった振りしながら弾いてたし、ダン・ラウリンなんか今にも踊らんばかりに吹いてたぞ。

というわけでこれからは「ええっ(!o!)あの人がこんな「四季」をやるなんて」みたいなのを期待していきたいと思う。
えーと、例えばですね--エンリコ・ガッティとか。 \(^o^)/

(=_=;)

(>y<;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; 

ウソです。すいませんm(_ _)m 言ってみたかっただけです。

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2009年2月 4日 (水)

詰まらない、つまらない……退屈だ

*『スリーピング・ドール』(ジェフリー・ディヴァー)
*『ウォッチメイカー』(  〃  )
*『チャイルド44』(トム・ロブ・スミス)
*『造花の蜜』(連城 三紀彦)

いずれも「このミス」など年間ランキングで高い評価を受けた小説である。
読んでみたんだけど、いずれも詰まらなくて退屈だった。いや、読んでいる間は面白かったけどさ……読み終わった次の瞬間にゴミ箱へ即投げ入れたとしても全く後悔を感じない作品ばかりだった。
読了前=読了後、我が人生になんの変化もナシッみたいなもんである。

もうしばらくはエンタテインメント小説の類いは読むのを止めようと思う。評論とかルポとか読んでた方がよっぽと面白くてタメになる気がする。

ああ、退屈だ。この退屈をどうやったら取り去ることができるのだろう( -o-) sigh...

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2009年2月 3日 (火)

「フランスの光と影」:一応ルイ14世になった気分で聴いてみる

090203
ルイ14世時代の室内楽
演奏:国枝俊太郎ほか
会場:近江楽堂
2009年1月28日

ワタクシ的にはなんと一か月ぶり、今年始めてのコンサートである(^-^)/

「気分はヴェルサイユ宮殿」的な雰囲気を味わえるように組んだプログラムとのこと。リーダーはリコーダー&トラヴェルソの国枝俊太郎のようだが、グループ名もないので、いつも一緒にやってるメンツなのか、今回だけの組合わせなのかよく分からない。
他のメンバーは細岡ゆき(リコーダー)、安孫子みかほ(ガンバ)、岩淵恵美子(チェンバロ)。

最初はP・D・フィリドールの組曲。リコーダー二本が中心で4人全員で。続いてF・クープランをリコーダー二人だけで。次にフォルクレをガンバ+チェンバロ……という風に編成を色々と変えて演奏した。
チェンバロ独奏されたル・ルーという作曲家は初めて聴いた(多分)。アンコールは定番マラン・マレ。

ルイ14世時代の主要な作曲家たちによる雅な音世界を充分楽しめたコンサートだった。ただ、優美さを前面に出すあまり、躍動感にやや欠ける演奏だったような気も……これって贅沢な望みかしらん(^-^;
ともあれ、生フォルクレを聴けたのは嬉しかったです

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2009年2月 1日 (日)

「サーチャーズ2.0」:生暖かく暴れてみました。文句あっか!

090201
監督:アレックス・コックス
出演:デル・ザモラ、エド・パンシューロ、ジャクリン・ジョネット
米国2007年

アレックス・コックス監督の作品はほとんど見ているはず。もっとも一躍有名になった『レポマン』(1984年)は見たのかどうかどうにも思い出せないんだが……。
その後の『シド・アンド・ナンシー』『ストレート・トゥ・ヘル』『ウォーカー』を発表した1980年代後半がもっとも勢いがあったように思える。
90年代以降はボルヘスとか17世紀の戯曲の映画化という文芸路線(?)にも手を伸ばしたようだ。『スリー・ビジネスメン』(1997年)という不条理コメディは日本では公開されなかったので結局DVDを買って見た。この時期の作品はどれも「不条理」味濃厚だったようだ。

ということで、彼の久々の新作である。
中年ヲヤジB級役者二人組が、突如子役時代に出演した西部劇の脚本家に虐待されたことを思い出し、復讐の旅に出る--という話だ。と、書くとまともそうに少しは思えるかも知れないが(^o^;実際は非常にハチャメチャである。
旅に出たくとも、車がないんで仕方なく片方の男の娘に車を借りようとするんだけど、車と一緒に娘(失業中)の方まで付いてきてしまう。旅の目的を知らない娘とヲヤジ二人は完全にずれまくりだ。

というわけで、南カリフォルニアから西部劇のメッカ、モニュメント・バレーまでの3人の珍道中が始まる。
基本的にはロード・ムーヴィーで、作中会話では映画ヲタク的なマニアックなネタ(特にマカロニ・ウェスタン方面)満載、サム・ペキンパーに敬意を払い、物語の定型をぶっ壊すデタラメな展開……あたりは過去の『ストレート・トゥ・ヘル』系っぽい。
しかし、どうもこの路線はタラ坊の映画と表面上の芸風が似ちゃってるんで、今となっては歩が悪いのだった(T_T)
そのせいか、かつて『ストレート・トゥ・ヘル』の頃には客席にいっぱいいた若者たちの姿は今いずこ。小さな映画館の客席には20人もいないのであったよ……

何げに全編にちりばめられているハリウッド&米帝批判もゆるいモードで、生暖かく見守って下さいてな感じだった。
プロデュースはなんと「B級映画の帝王」ことロジャー・コーマン。まだ生きてたんかい!なんて言っちゃイカンですね(・・ゞ いや、まじに最近そう言ったらお亡くなりになった方が一名……(=_=;;;;;

まあ、「映画ネタ三角決闘」は面白かったですが(^^; 近ごろ老人脳がとみに進行し、片端から固有名詞や人名を忘れてしまう私には縁のない決闘ではある。
なお、ラストの展開はなんかどこかで見たような聞いたような--という気がしたのだが、後で『僕らのミライへ逆回転』だと思い出した。最近、著作権摘発捜査官みたいのが、ハリウッド周辺で出没して無謀なイチャモンをつけて回っているのかね?

クレジットされてなかったようだが、監督ご本人もチョイ役で出演。
それから『フルメタル・ジャケット』も軍の援助は受けてないですよ。作中に登場した軍用ヘリは個人所有のものを借りたそうだ。


映画ヲタ度:9点
マトモ度:2点

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