我が「四季」史を語ってみちゃったりして
《僕と仕事と仮テンポ》にて「ビオンディ×「四季」=極彩の映像美」を読んで、突如として自分の「四季」遍歴を辿ってみたくなった。
私も最初はご多分にもれず、イ・ムジチとアカデミー室内管弦楽団のお世話になった。遥か遠い過去の話であるよ)^o^(
当時はクラシックなど全く聴かない人間であったが、NHKで原田康子の『挽歌』をドラマ化した時にテーマ曲として使われていて、初めてその存在を知ったんである。
そのずーっと後、何年も経ってからマンガ家の森川久美が雑誌か何かのエッセイに「アーノンクールの「四季」を愛聴している。これを聴いたらもうイ・ムジチなんて聴いてられない」というような事を書いていたのを読んだ。それでどんなものかと思いアーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス演奏のレコードを買ってみた(当時はまだCD以前)。
後から知ったのだが、この録音は「やかましい」「騒がしい」などと一般のクラシック・ファンからはかなり非難されていたものだった。実際、聴いてみるとまさにその通りで、ドンガラガッタ~ン、ガッシャン、ガッシャン、ガッシャンみたいな感じ(^O^)
あまりに騒然とした演奏に私は仰天して、一回聴いただけでレコードをしまい込んで「封印」してしまったのだった。
さて、またさらに何年も経過してビオンディ+エウローパ・ガランテのCDを聴いた。知ったのは、多分『古楽演奏の現在』(「クラシック音楽の20世紀 4」音楽之友社)という本で紹介されてたのを読んだからだろう。この本は、後の古楽本と違って音楽史的なアプローチではなく、演奏者・グループの解説に徹しているものだった。今開いてみると、人名に線が引いてあったり推薦ディスクにマルや三角印でチェックしてあって、かなりお世話になったのである。
この本が出たのが1993年、エウローパ・ガランテ(「レウローパ・ガランテ」と書いてありますな(^^))のCDが出たのは1991年頃だ。「発売後すぐに熱狂的な賛辞を受けた」とある。
個人的な印象では、細部はエッジが聴いていて全体的に鮮烈かつスッキリとした演奏だった。そして、何より俗っぽくなかった。これ、肝心。当時、結構ヘビー・ローテーションで聴いていたと思う。
衝撃的だったのは、それより後のイル・ジャルディーノ・アルモニコ盤だろう。まさしく当時としては「過激」の一言。「秋」の第二楽章なんか酔っ払いが朦朧として電柱に話しかけてるみたいだ。これをきっかけに、四季はなんでもあり状態に突入したと思われる。
この頃、ふと思いついてアーノンクール盤を取り出して聴き直してみたら、そんな腰を抜かすような演奏ではなかった。慣れというのは恐ろしいもんである(^.^;
イルジャルよりもさらに過激度アップなヴァージョン、オーソドックスな編成から近年のクイケンのように必要最小限人数での演奏、ソロ楽器を変えての編曲版や、さらにはレッド・プリーストのようなナンチャッテ古楽まで。まさになんでもオッケーだ。
しかし、どうだろう。芝居っ気のある演奏者には結構おいしい曲なんではないかね。あの寺神戸亮氏だって酔っぱらった振りしながら弾いてたし、ダン・ラウリンなんか今にも踊らんばかりに吹いてたぞ。
というわけでこれからは「ええっ(!o!)あの人がこんな「四季」をやるなんて」みたいなのを期待していきたいと思う。
えーと、例えばですね--エンリコ・ガッティとか。 \(^o^)/
(=_=;)
(>y<;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
ウソです。すいませんm(_ _)m 言ってみたかっただけです。
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