「チェ 39歳 別れの手紙」:朝に革命を成せば夕べに死すとも可なり
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:ベニチオ・デル・トロ、マット・デイモン(←全く気づかなかった)
フランス・スペイン2008年
前半の『チェ 28歳の革命』に続いて時間差公開された後半である。起承転結ならぬ「起承転落」の「転落」部分に当たる。
監督はそもそもこちらの方を描きたかったとのことで、どんな風に展開するのであろうかと、かな~り期待していったのは事実である。
革命成ったキューバから突然姿を消したゲバラ……その原因はソ連との軋轢やら、カストロと何かあったんじゃないかとか、所詮よそ者なんでいずらかったなどと諸説あるらしいが、そういう点については一切触れず、いきなりカストロがゲバラの別れを告げる手紙を公の場で読み上げる所から始まってしまうのであった。
そして新たなる革命を成就すべく変装してボリビアに潜入。もっとも、これより以前にアフリカのコンゴに行って解放戦線を支援したこともあったらしい。これは『絵はがきにされた少年』(藤原章生)という本で読んだ記憶がある。それによるとあまりの民族性の違いにあきれて、結局うまく行かずにゲバラは帰っていったとか(ちょっと読んだ記憶が曖昧ですが)。要するに南米流はアフリカで通じなかったらしい。
それと同様に、ボリビアではキューバ流はうまくいかなかったということであろうか。現地で若い志願者をつのり、部隊を編制し、地元住民の協力を得--と映画の前編で見せたような方式を取ろうとするがうまく行かない。
ボリビアの共産党の助力を得られなかったのは痛かった。やはり地元の組には顔を通しておかんとね(^-^;……って、何の話だ。さらに、キューバからの「革命の輸出」を懸念した政府は米国からの「軍事顧問」派遣を要請するのであった。
前編には国連の演説やインタビューが挟まれたりと別の場面もあったが、今回はそれもなし。ただ、ひたすら山林地帯でのゲリラ活動のみが淡々と綴られていく。外部の動きはほとんど関係なく、ただゲバラが最後の一年間弱に見た光景を再体験するが如しだ。ぜんそくの発作に苦しみ、脱走兵が出て、住民に裏切られる話も、政府軍に追い詰められていく件りも、ただひたすらに淡々としている。淡々度は前編をさらに越える。もはや静謐とも言えるほどである。そして結末へと静かに進んでいくのであった
ここへきて、ようやく前編を作った理由がおぼろげながら納得できた。前編の成功譚があったからこそ、後半の淡々と自滅へと向かう物語を実感できるのだろう。
不思議に思ったのは、ゲバラ本人を正面から撮ったショットが一貫して少ないということである。誰かと会話していれば、彼の背後から撮ったものか、その相手の表情だけを映した場面が多い。前編よりもさらにその傾向が顕著だと思えた。
彼が途中でブチ切れて馬を叩いてしまう場面に続いて、部隊の一同へ自戒を含んだ演説をした時も、映しているのはそれを聴いている兵士たちの顔だけで、彼については声が聞こえてくるだけである。
その意図はつかめない。ドキュメンタリー風の作りだという説があるが、それだったらむしろゲバラを中心に映すだろう。彼の主観映像を再現したというのも、賛成できない。角度などが主観映像とは微妙に異なるからだ(ラストのあの場面を除く)。
終盤の逮捕後のシーンでそれは崩れる。これも意図的か(?_?;
監視役の若い兵士との対話場面、これがいいっ 特に「あんたは神を信じてるのか」と質問されて答えるところ--私だったら「兄ぃ、一生ついて行きやす!」となっちゃうくらいにゲバラ萌え~なシーンであった。
去年見たドキュメンタリー映画『敵こそ、我が友』によると、米軍がボリビアに送り込んだ元ナチの指名手配中の戦犯であるクラウス・バルビーが、ゲバラ殺害の指示を出したらしい。近現代史の暗黒面ですなあ。
それにしても、よくこんな映画の宣伝に格闘技家とか呼んだもんだ。監督一同めんくらっただろう。いくら近年、洋画に人が入らないといってもこりゃないだろう。騙して客を入れれば勝ちですかい
そのせいか、前編では客の大半を占めていたカップルは映画館から姿を消していたのであった。
腹が立ったのは、斜め後ろに座ったオヤヂ。上映中、ひっきりなしにおつまみを食べてビニール袋のゴニョゴニョ音を出し続け、その合間には銀紙の包装の音まで入るのであったよ。
……(ーー;)
オメエはゲリラの耐乏生活を見習って何も食うな!(*`ε´*)ノ☆
これを見終って家へ帰ったら、教育TVでキューバを35年間撮り続けた米国人ジャーナリストのドキュメンタリーをやっていたので見てしまった。
彼の話ではキューバ革命の行く末は厳しいとのことだ。みんな国外へ出たがっているし、革命の歴史など考えたこともなくひたすら米国へ行くことを夢見ている若いモンも登場してた。なんだかガクッ_| ̄|○である。
とはいえ、先日CS放送の「ドキュメンタリーNOW!」を見ていたら、去年の春に南米パラグアイで「解放の神学」の司祭であったルゴ大統領が誕生したことについてやっていた。日本でどの程度報道されてたのか分からんが、私は全然知らなかった(^=^; 恥であります。
就任式ではベネズエラのチャベスも来て一緒に踊ったりしてた チャベスは最近はかなり評判が落ちてしまったようだが、こちらのルゴはどうなのだろう。同じく民政へと移行した隣国ボリビアとも緩やかな連帯を成しているようである。
インタビューで「憲法こそが国民の最大の武器である」とか「ブッシュに限らず世界の為政者は、暴力がいまだかつて何かを解決したことは一度もないことを肝に銘ずるべきだ」と堂々と答えていた(注)。なんとなくホッとしてしまったのう。もっとも、よその国より自分の国を心配すべきか。
さて、ある一定年齢以上の人々には確固たる「脳内ゲバラ像」があって、それと異なるとご不満の向きもあろう。しかし、これはあくまでもソダーバーグのゲバラ像である。事実とはまた違うのだ。
私はむしろ、スペイン語でこのよう作品を作って米国で公開した(小規模だろうが)ことに感心した。なにせ、直接の主人公ではないとはいえ、カストロったら未だ米国では往年のフセイン並みの極悪人だろう。よくやったもんである。
とすれば、ラストの1955年に戻った船上の場面で、若きゲバラがカストロ兄弟へ意味深な視線を投げかけるが、それはむしろゲバラでなくソダーバーグのものなのだろうか?
主観点:8点
客観点:6点(地味ジミですからね、人には勧めませんよ(^^;)
【関連リンク】
《まどぎわ通信》
作品内では描かれなかったこと。
《好きな映画だけ見ていたい》
原作「ゲバラ日記」との比較。
注-もちろん、彼は酔っぱらってたり、支離滅裂だったり、綴りを読み間違えてたりはしなかった。うらやましい~。隣りの 芝生 じゃなくて外国の政治家はよく見える、か?
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