「オセロー」:池袋のネオン輝く荒野にも亡霊は出るのだろうか
フェスティバル/トーキョー パフォーマンス
原作:ウィリアム・シェイクスピア
企画原案:宮城聰
演出:イ・ウンテク
会場:東京芸術劇場
2009年2月27日~3月1日
「フェスティバル/トーキョー」ってなんのこっちゃ?--と知らずに始まっていた一か月間にわたる演劇祭。私はク・ナウカ関連のダイレクト・メールでこの公演のことを知ってチケットを買ったので、全く意識してなかった。
無料配布のパンフを見ると日本の若手を中心とした演劇人の活動や、様々な国の問題作、さらには国を越えたコラボレーションを中心にしたフェスのようだ。なんでも「東京文化発信プロジェクト」というヤツの一環で、東京都の肝いりらしく主宰者の挨拶の筆頭は都知事である。
紹介文には「東京が2016年のオリンピック・パラリンピック開催の立候補都市に承認された今、あらためて「文化芸術創造都市」であることを、創造活動とその成果の発信を通じて、国内だけでなく世界に強くアピールしていきます」とのこと。なるほど、オリンピックがらみですか……(+_+)
オリンピックはやんなくて結構だけど、こういうステージやアート関係の催しは大歓迎なんであるよ
さて、この『オセロー』は数年前にク・ナウカが上演したものを、新たに日韓共同のプロジェクトとして再構成したらしい。既に韓国では上演済みとのこと。
私は、実はク・ナウカのオリジナルは見ていない。野外公演なのにその夜あまりに寒そうだったのでめげて行くのを中止してしまったのである(火暴)
「この軟弱者め~」と罵って下せえ(^Q^;)
時代は古代、舞台であるキプロス島は日本に置き換えられている。個人的に能のことは無知に近いのだが、その形式に則っているらしく、半島から来た巡礼者が荒野で女の幽霊に遭遇するという設定だ。その幽霊が南方人オセローの妻デズデモーナであり、巡礼者とは同郷の出身者でもあった。そして、女の幽霊が過去の事件を物語って聞かせるという次第。
役者、スタッフ、音楽も日韓混合である。粗く織られた布が垂れ下がるステージ上に東アジア的ドロドロしたエネルギーと怨念が渦巻き、さらに韓国のシャーマニズムの形式も取り入れているという。その中でデズデモーナ役の美加理はあくまでも華奢で可憐にして清楚な佇まいなのであった。
設定の中には夏目漱石が『オセロー』の終盤を俳句にした「白菊にしばし逡巡(ため)らふ鋏(はさみ)かな」を下敷きにしているとのことだが、正しく彼女はハサミで切るのをためらう白菊(の亡霊)そのままだと言えよう。
しかし、終盤デズデモーナ殺害の後に、一同総出の祝祭的な踊りと音楽のパフォーマンスの中に突入してしまう。これは唐突で不可解に感じた。死者の鎮魂であると言えばそうかと思うし、芝居の最後はやっぱり盛り上がらにゃと言われればやはりそうかとも思える。
でも、やっぱり判然としないのであった。
とはいえ、見てヨカッタ~と思ったのは確か。充実した時間を過ごせた。この手の共同企画をこれからも是非見たい。
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