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2009年4月

2009年4月29日 (水)

ル・ポエム・アルモニーク”人間喜劇”:雨の銀座にロックのりの拍手が響いた

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フランス・バロックの扉を開く
会場:王子ホール
2009年4月21日

古楽界上半期最大の注目の来日グループ(LFJを除く)がこれだっ ル・ポエム・アルモニークは、テオルボとギター担当ヴァンサン・デュメストル(若くてビックリよ)が主宰者で約十年前に結成。演目によって編成はかなり変るらしいが、今回は演奏会形式ということで、弦(ヴィオール3+ヴィオローネ)4人、パーカッション、木管(「フルート」と記されているが、吹いてたのはリコーダーとファゴットだったような)、歌手4人であった。トレブル・ヴィオール担当の一人は上村かおり。

このコンサートでのテーマは17世紀の宮廷音楽ということで、ムリニエとテシエというほとんど馴染みのない音楽家の作品で構成されていた。シャンソンや器楽曲、パレ・ド・クールの中の曲など。さらには当時のハナモゲラ語とおぼしき、デタラメな(?)他国語による歌も入っている。

歌詞の内容はほとんど、当時の宮廷でクスクス笑いを呼び起こしそうな滑稽さと小粋さを備えたもので、中にはスペイン男がフランス女を口説こうとしてはねつけられる--なんてのもあった。
ハナモゲラ語の曲は意味不明にも関わらず、いかにもそれらしい感情がこめられて歌われていて笑ってしまった。

四人の歌手は皆さん芸達者な方たちばかりで、前に出て身振りを付けて歌ったりするのを見せられると、やっぱり演奏会形式でなくてパフォーマンスっぽいのを見たかったのう……とないものねだりをしたい気分である。
次の来日では是非!--と言いたい所だが、この不景気では無理でしょうなあ(+_+)

当日は変な天候だったせいか(午前は薄曇りで気温が低かったが、午後に雨が降ってきたらムシムシしてきた)弦関係は調弦が大変だったもよう。かなり頻繁に時間をかけていた。ヴィオローネの音が大変に心地よく聞こえたのが意外。これまでそんな風に感じたことはなかったのだが。
パーカッション担当は外見はロック系の人であった。し、しかし、床に置いて叩いていたのは……どう見ても木魚(?_?;
木管担当の若い女性も楽器を取っかえひっかえ、これまた達者な演奏だった。

アンコールは3曲で2番目にやった曲は現代のミュージカルみたいで、コミカルな感じのもの。四人で踊ったりして拍手喝采を受けていた。ファゴットがアルトサックスみたいな音を出して演奏してたのも可笑しかった。
あとで調べたら、アルセーヌ・ルパンを主人公にしたTVドラマの主題歌らしい。こういうのをやっても他の曲と全然違和感ないのがスゴイですヾ(^^)ゝヾ(^^)ゝ

以上の内容は、全てみなさまのNHKが収録してました。いよっ、聴取料取ってんだからそうでなくちゃ 5月末にまずハイビジョンで放送らしい。


時代が違うから一概には言えんけど、LFJでもこういうような楽しいプログラムをやってくれるといいんだけどね(コーヒー・カンタータとか)。

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2009年4月27日 (月)

「ウォッチメン」:洪水の後で

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監督:ザック・スナイダー
出演:マリン・アッカーマン、ビリー・クラダップほかスーパーヒーローの皆さん
米国2009年

ハードボイルド・ミステリにしてサイコ・サスペンス、さらにアクションたっぷりのスーパー・ヒーローもので、平行世界ものにして思惟SFで、三角関係の入った恋愛もの、かつ親子の絆について考えさせられ、おまけに米国近現代裏面史でもある……これだけの要素をすべて備えている作品なんて一体存在し得るだろうか?
しかし、間違いなく『ウォッチメン』はこれら全てに当てはまるのだ。上映時間が3時間近いのもこれじゃ致し方なし。

平行世界とおぼしき1980年代半ばの米国。ニクソンが五期連続の大統領を目指す独裁政治体制下、米ソの冷戦は極限状態まで来て、核戦争の恐怖が世界を覆う。
--という設定だが、なんだかヒーローもののパロディっぽくもある。大体にしてヒーローに世襲やら「二代目」とかあるんですか(^^? 例えば目の前でいたいけな子どもが危機に陥ってても「あたしはもう引退しましたから」って助けないの? そのうち「本家」とか「元祖」とかも出てきたりして(^o^;
登場するヒーロー自身たちも「はて?誰かのバッタモンか」と思うようなヤツばかりで、これまたパロディっぽい。

さらに、「ヒーローの正義」もかなり怪しい代物として描かれる。その時の「正義」に基づいて彼らの何人かはケネディ暗殺を実行し、ベトナム戦争でベトコンを降伏させ(何せスーパーヒーローだから無敵なのだ)、返す刀で国内ではラブ&ピースを掲げる市民デモをぶちのめすのである。

そんな元ヒーローの一人の殺害事件を発端として、ぶっ飛んだキャラクターに加え、実在の人物(キッシンジャーやらアイアコッカとか、カメラマンのウィージーも)が入り乱れ、背後にはロック・ポップスの名曲が流れ(ジミヘン、ディラン、ネーナ←チョ~懐かし過ぎシメはレナード・コーエンと来たもんだ)、破天荒な展開を見せる。
おまけに、暴力についての問答を繰り返しているわりには、アクションシーンはグロ度バイオレンス度スッキリ度高くて笑っちゃったし、またヒーロー同士の三角関係の描写はくどくて大半の観客には退屈だろう。しかも、神に比類する超人になっても三角関係でもめるとはこれ如何に(?_?) そんな超人になったら女など分子の固まりにしか見えんと思うがどうよ?

最後に登場する「真の悪役」の意図は、正しいんだか悪いんだか判然としないままに終わる。その論理は汎地球的な規模で考えれば正しいように思えるが、個人的なレベルでは到底受け入れることは出来ないものだ。ここら辺のところは観客の見方にゆだねているのだろうか。
私には、終盤近くの飛行船が浮かんでいる平和な光景の描写は、いわゆるパクス・アメリカーナを皮肉って表現しているようにしか見えなかったが……。
そう考えれば「今時、なんか冷戦とか核戦争とかズレてねえ?」という疑問も納得行く気がしなくもない。

そのせいか、ネット上の解釈は人によってすべて異なる。また、そもそもこの物語のどの側面に注目するかも違っている。
それにしても、「思惟SF」というジャンルに久々に接して軽く驚きを感じると同時に、このジャンルが過去のものになってしまっていることを痛感した。

もっとも、血塗られたスマイル・バッジ、頻出する飛行船、ラストの新聞社の場面などの意味は原作を読まないと分からないそうである。そりゃ、困った(~_~;)

ネットの感想が様々だと書いたが、ただ一つ多くに共通していたのは「ロールシャッハかっこエエ \(^o^)/」であった。「ドクター・マンハッタンみたいな超人に憧れます」とか「非モテ男に希望を与えるナイトオウルばんざい」とか書いてるヤツは一人もいないぞ(当たり前か(^^;)。
私もロールシャッハ断固支持。いよっ、漢の中の漢 最初から最後まで正統的なハードボイルド・ヒーローである。イーストウッドを小粒にしたような素顔(ジャッキー・アール・ヘイリー)も良
原作では、本人の感情によってマスクの模様が変るとされているらしいが、そうするとホレた女の前では模様になったり、ぶん殴られて気絶する時は印になるのでしょうか? 恥ずかしいミスをした時は (^^ゞ とか可笑しい時は (o_ _)ノ彡☆ギャハハハー とか--え、そりゃロールシャッハじゃなくてフェイスマークだろって
ということで、頭からモニターをかぶったフェイスマーク・マンの登場を希望(^-^)/

と、まあツッコミどころはいくらでもあって長文の感想を連ねられるわけではあるが、だからといって評価が高いかというと……うーむ。
別の監督がやったら、もうちょっとうまく演出できたんでは?という疑念はぬぐい切れず。ラストの判然としなさもあって、点数減。問題作だとは思うけどさ。

ところで「引退した元・悪役」の役をやっていたのは、これまたお懐かしや『マックス・ヘッドルーム』のマット・フルーワーだった。見てる間は全く分からなかった。


主観点:7点
客観点:7点

【関連リンク】
三者三様の意見をご覧ください。
《Badlands》
《まどぎわ通信》
《ノラネコの呑んで観るシネマ》

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2009年4月26日 (日)

「ヘンデルのフルートとチェンバロの音楽」:なぜか有田家のお大尽ぶりを想像す

090426
演奏:有田正広&千代子
会場:松明堂音楽ホール
2009年4月11日

毎年恒例の四月の松明堂、有田夫妻のコンサートである。今回の演目は没後250年記念のヘンデルだ。

当然ながら有田先生は笛だけではなく舌の方も冴え渡り、演奏の合間の話も興味深いものであった。
ヘンデルは楽譜を勝手に出版されてブチ切れて初めて著作権を主張したとか、しかもその出版業者は勝手に移調して別の楽器用に出したとか、とある楽章だけ作者不詳の違う曲にすり変っていたとか……。
いや~、ヘンデル先生も大変だっ

しかも、不思議なことになぜか有田氏はフルートのために作曲された作品は「どうも、面白い曲がない」と一つも吹かず、その他の楽器用(オーボエ、リコーダー、ヴァイオリンなど)から移調された曲ばかり演奏したのだった。
も、もしかして有田先生もひねくれ者?(@∀@)

原曲がヴァイオリン用のものは音が高過ぎて出ない所や、息つぎができない部分などあるそうだが、もちろん難なくこなしたのは言うまでもない。

前回公演と同じく楽器保護のため、会場のほとんどの照明は消された中で演奏された。
前半使用のトラヴェルソは黒檀製で、パンフには「1725年」書かれている(\_\; 表面はひびが入っているそうだ。
後半は同じ製作者--ということは、やはり製作年代も同じぐらいの古さ?--の象牙製の白いもの。こちらの方が音量があるせいか、前半は閉められていたチェンバロの蓋を開いて演奏された。

オペラやオラトリオなど壮大な作品とは全く違った親密なヘンデルの音世界を小空間で堪能できました(^^)
ただ、最前列に座ってた若いモンが絶えず落ち尽きなくて身体を動かしてるのが目に入って、イライラしてしまった。一番前で腕を上に上げて伸びなんかしたら、観客全員の目に入ってんだぞ、分かってんのか(`´メ)ゴルァ

それにしても、コピー楽器でなくてまさに当時作られたモノホンのオリジナル楽器を何本も持っているということは……もしかして、有田先生ってすごいお大尽
そう思い至った私の脳内ではたちまちに妄想が炸裂したのであった。

広大なる山野の真ん中で「あっちもこっちもぜ~んぶ有田さんとこの土地、境も見えねえよ」と四方を指すご近所在住の老人。
さらには、時は江戸時代、先祖である「有田の殿様」(←ちょんまげ付けて三段重ねの豪華座布団に座っている)の元にしずしずと献上される細長い物体。
「殿、これが珍しき異国の笛でございまする」「なに、笛とな(=ΦωΦ=)キラーン☆」
……えー、始まるととどまる所を知らないんでここら辺で止めときます

帰りは、また向かい側のパン屋でパンを買って帰った。おいしかったですう

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2009年4月25日 (土)

旧盤発掘:SDREの巻

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Sunny Day Real Estate
"Sunny Day Real Estate-LIVE"(Sub Pop)

積ん聴き状態のCDの山から発掘。
サニー・デイ・リアル・エステイトは以前、雑誌でU2系サウンドのインディーズ・バンドと紹介されていて、CDを買って聴いてたことがある。しかし、その時には既に解散してしまってた。
カンサス出身で、実際の活動期間は1990年代後半あたりだろう。

で、ふと「なんかロックっぽいの聴きたいなー」と未聴CDの山をかき回して見つけたのがこれ。だが、実際に聞き出してみると非常に鬱屈しているサウンドである。全くすっきりした気分にはならない。ライヴ盤でこの鬱屈度は大したモン。
ウツな時に聴くとさらにウツになってどっぷりウツ気分になれるだろう。(←これはホメ言葉ですよ、念為(^.^;)

ジャケ・イラストが素人っぽく、録音も今イチ音の抜けが悪いので、まるで盗み録り海賊盤かと思いそうだが、レッキとした正規盤である。もっとも、バンドの演奏自体は極めて堅実だ。
1999年発売。サブポップ・レーベルがこの手のバンドを出していたのは彼らあたりで最後らしい。

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2009年4月23日 (木)

訃報(J・G・バラード)

最近、新聞もちゃんと読むヒマがなくて知りませんでした(>_<)

J・G・バラード死す

関連記事はこちらです。

最近の長編はあんまり読んでないですが、中学生の時に買った短編集は未だに保存してあります。
まあ、なんつーか、一つの世界観の象徴が消失したって感じですかねえ
しかし、十歳も年上のブラッドベリは……元気ですな(;^_^A

心より追悼いたします

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←一番最初に買ったのがこれ。もう、紙が真っ黄色です。

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2009年4月19日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパン第84回定期演奏会:主よ、我が箸は宙に虚しく舞い(ソプラノ・アリア風に)

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バッハ=メンデルスゾーン「マタイ受難曲」(1841年上演稿)
会場:東京オペラシティコンサートホール
2009年4月10日

今年の聖金曜日のコンサートは、歴史的なメンデルゾーンの「マタイ」復活演奏を復元するという試みであった。
バッハ先生が忘れ去られて幾年月……ようやく若きメンデルスゾーンがなんとかして「マタイ」を復活させようとするもそれは容易ではない。パンフの解説を読むと、そもそも楽譜を入手するのも簡単ではないし、演奏者のメンツを揃えるのも難しい。おまけに使われなくなっちゃった楽器もあるし~(T_T)グスン、という次第。それで、かなり改変・省略を加えて演奏されたらしい。

しかし、このメンデルスゾーンの熱意がなければ、今のバッハ先生の地位と人気はなかったはず。「バッハ?はぁ(~д~;)どこの田舎者よ、それ」などと2ちゃんあたりでクサされるのが関の山であろう。
そんな訳で、バッハファンはメンデルスゾーンの墓の方向には足を向けて寝られないのであ~る
えーと、でも実は彼の墓ってどの方にあるのかよく知らないんですけど(^^ゞ

とはいえ、個人的にはメンデルスゾーンは完全守備範囲外…… だが、定期公演だからチケットがあるし行かねばならぬ。大丈夫かしらん(=_=;)
--などと心配しつつ京王新線に駆け込んだのであった。

さて、楽器を見るとヴァイオリンは弓を時代に合わせたものに変えているもよう。管楽器はクラリネットが入っていたが、第1曲めでは「ええ、クラリネットってこんな音だったっけ?」みたいな意外に鋭い高音が聞こえた。

エヴァンゲリストは常連テュルク氏だったが、いつもよりさらに感情を大きくこめている感じ--ロマン派風に合わせたんでしょうか(^^?
イエス役のドミニク・ヴェルナーはちょっとつんのめるような歌い方がどうも好きになれず、さらに語尾のtの音がすごーく気になってしまった。

近年、常連となったレイチェル・ニコルズはさらに外見の貫禄度アップして登場。いつも通り安定した歌唱を聞かせてくれたが、特に49番のソプラノ・アリアが泣けました。
ペテロを指弾する「女中」役というのはオリジナル版では合唱の中の一人が歌うのだが、この日はニコルズ女史がやった。で、今までこの役というのは聴く度になんだか下手くそに思えるというか、変な風に聞こえて謎に感じていたのだが、彼女が歌うとさすがにまともに聞こえた。やはり、歌うのが難しい所なんざんしょか(トーシロには分からず)

アルト独唱は加納悦子という人。初登場だと思うけど、この人選は何故?? 演奏時代を意識したのでしょうか。

冒頭、鈴木(兄)氏が登場して事前解説したように、かなりのアリアやコラールが省略されていた。全体の時間が短くなったのはいいが、言わばおいしい部分、感動のツボがかなり無くなってて、ガックリ感は否めず。
例えば、ゴハンを食べる時にまずお味噌汁をすすり、ご飯を一口食べ、さておかずは--と箸を伸ばしたら
 オ カ ズ が ね え ~ ~ っ (>O<)
状態なのであった。
余計なアリアを飛ばして受難のストーリーを優先させたということらしいが、樹村みのりの名言によれば「人はパンのみにて生きるにあらず。オカズもいるんよ」なんである。こりゃ、あんまりだいっ

ということで、第一部はエヴァンゲリストとイエスの対話劇のようになってしまい、イエスが引っ込む第二部の前半になるとエヴァンゲリストの一人芝居状態になってしまったのであった。だから、テュルク氏大活躍で大変だ~ 終盤には、歌の途中で咳き込んでしまう場面もあった。

一方、イエスの死の直後のコラールが完全に無伴奏だったのは、ネット上の感想では賛否両論状態だが、私には新鮮な感じに聞こえてよかった。
ただ、弦を重ねた通奏低音の響きには最後までどうも慣れることができなかった。

最終的な結論としては--
名曲はいかなる演奏形式でもやっぱり名曲であった。
フライング拍手が全く無しでメデタイ \(^o^)/

それにしても、チケット取ってないラ・フォル・ジュルネの「ヨハネ」に猛烈に行きたくなった。でも、時間が遅いんで万が一爆睡してしまうとなあ……(・・ゞ
他の感想を読んでると「マタイを初めて聴いた」という人が何人かいた。やはり鈴木(兄)氏が事前に解説をしたのは正解です

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2009年4月18日 (土)

「PRELUDE & SUITE プレリュートと組曲」:地道なおフランス趣味の世界にひたる

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バロック音楽のひととき
演奏:花岡和生、野入志津子、福沢宏
会場:大久保淀橋教会 小原記念チャペル
2009年4月7日

リコーダーの花岡氏を中心としたアンサンブルを聴きに行った。この三人で日本各地を演奏して回っていて、この日が最終日だったようだ。花岡氏はメンツを変えて、この時期に他にも演奏会を集中的に行っていたもよう。

会場は新大久保の駅を降りて逆方向のルーテル教会には何度も行っているが、淀橋教会は初めて。かなり立派な教会なのに驚く。会場は聖堂ではなくて講堂みたいな四角いホールで、収容人数はルーテル教会よりも少ない。残響はこちらの方が豊かのようだ。

演目はルイ14世時代に活躍した音楽家の曲を取り上げていた。リコーダー中心のアンサンブルではオトテール、フィリドール、デュパール。野入さんのリュート・ソロはクープラン&ゴーティエ、福沢氏のガンバではマラン・マレの演奏が間に挟まれた。

ルイ14世というと、絢爛豪華主義、華麗なるオペラ・バレ、派手好き~の殿様というイメージ先行だが、ここで演奏されたのはむしろ地味で繊細、抑制された美による曲であった。こういうのも愛好されたのね(*^^*)と感心。
最後のオトテールでのガンバとリコーダーの絡みがよかったです。

--と書いたところでナンではあるが、新年度の仕事が忙しく行きの電車では立ったまま寝てしまいそうになったりして個人的には甚だしく低調であった。
なので、前半のフィリドールでは巨大眠気虫に襲撃されタジタジ 教会の中なのに神様はやはり眠気虫のバッコをお許しになっているのであった。
やはり来年からは4月当初の鑑賞スケジュールは考えないとイカンのう(x_x)

すっかりおフランス王朝気分になって外に出たら、教会の門の所で若いモン数人焦ったようにウロウロしてて、大柄なアフリカ系の男性が看板の陰でうずくまり、さらに警備員らしき人が話しかけているシーンに出くわした。なんなんだ(?_?;
外界の新大久保モードにあっという間に引き戻されたのであったよ。

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2009年4月16日 (木)

「ワルキューレ」:ひとたび開始すれば続行あるのみ

090416
監督:ブライアン・シンガー
出演:トム・クルーズほか、オヤヂの皆さん
米国・ドイツ2008年

ヒトラー暗殺計画実話映画というのを事前に聞いていたが、フタを開けてみればこりゃ暗殺どころか大がかりなクーデターじゃありませんかビックリよ。

とはいえ、本筋にたどり着くまでが長い。ストーリーは主人公の大佐がアフリカで重傷を負う所から順を追って見せてくれるんだけど、なぜ彼が暗殺&政府転覆を望むようになったのか、今一つ分からない。身体の一部を失ったからなのか、部下たちを死地に追いやったからなのか、もともと反感を抱いていたのか(?_?)
結局、最後まで見てもよ~く分からなかった。

後半の方はかなりドキドキして見ていた。「失敗すると結末が分かっているのだからサスペンスがない」という意見を結構見かけたが、何をおっしゃる「どのように失敗するのか」がキモなんではないですかっ(^o^)
あと、爆発時の映像では「あれでヒトラー死んでないとは信じられねえ~」度が高かったので、監督は影武者がいたという説を取っているのかと思ったが、その後に詳しい説明もなくそのまま終了なのは物足りなかった。

主役のトム・クルーズはモロにヒーロー役とか助演でエキセントリックな役をやるといいんだろうけど、地味な役柄だとどうにも「トム・クルーズ」以外には見えないのが難 この役も、外見を実物に似せているらしいが、やっぱり中の人の方が目立ってしまうのであった。

助演陣はケネス・ブラナー、ビル・ナイなどカコエエ親爺ぞろい。特にテレンス・スタンプの元将軍はスーツ姿もス・テ・キ(*^^*) 今年最大のオヤヂ萌え映画になりそうである。
『ブラックブック』のカリス・ファン・ハウテンがエロさ封印で、主人公の貞淑な妻を演じたのも良

B・シンガーの演出は手堅く印象的な場面も多かった(妻との別れを背後から撮るなど)。また映像も美しい。冷暗色に沈むベルリンの街、凍てついた森林など。音楽も印象的だった。
しかし、それでも脚本が煮え切らない印象なのはどうしようもなかったようだ。別に単純な勧善懲悪を求めているわけではないが、ヒトラーもなんだかさえないオヂサンぽいし、主人公の対峙するものが明確でないのが、今イチに感じた理由かも知れない。
ということで、監督の次回作に期待。

しかし、あれだけ荷担者がいて計画が漏れなかったのは不思議よ(?_?)
最後に部下が大佐をかばったのはてっきり監督の意向でそうしたのかと思ったら、実話だったとは……美しい男同士の友愛であ~る

それにしても「ドイツ人にもいいヤツはいたんよ(^^)」みたいな話をユダヤ人監督が作るというのはどういう意味があるのだろうか。年月が経って、ようやく「赦し」の気運が出てきたということか? それとも、全く別のウラの意図があるのだろうか?
いつか「日本人にもいいヤツがいた」という映画を作ってもらえるといいかなっと


主観点:7点
客観点:7点

【関連リンク】
《描きたいアレコレ・やや甘口》
確かに制服+アイパッチで1.5倍効果あり。

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2009年4月12日 (日)

「ルーヴル美術館展17世紀ヨーロッパ絵画」記念コンサート:あまりの混雑に地獄の門が開く、かも

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東京・春・音楽祭~東京のオペラの森2009
演奏:太田光子ほか
会場:国立西洋美術館講堂
2009年4月3日

この音楽祭唯一の完全古楽系コンサート。平日の昼間だが、休みが取れそうな時期だったので、よ~し朝から一日休暇を取って春の上野に行っちゃうぞ~と張り切っていたのだが、土壇場になって仕事が入り仕方なく午前中まで出勤。
一日二回公演だったので、こんなだったら後の回にすればよかったよ、トホホ(+_+)と泣きながら上野公演口の雑踏をかき分けて駆けつけたのであった。

美術館にたどり着くと桜は満開、ルーヴル美術館展は30分待ちという恐ろしい状況。しっかし(^○^)コンサート・チケットを持っている者は待ち時間ナシでそのまま入場できたのであったよ(なぜかチョビッと優越感)

会場の講堂は、まさに今時の講堂以外の何ものでもなく(改装したのか真新しい)視聴覚の器材が壇上横に出てたりする。ドアを閉めていれば完全に外の音はシャットアウトされるが、演奏の合間に人の出入りがあればたちまち騒音が容赦なく流れ込んでくるのだった。なにせ、すぐ外は展示室の入口があり人々で充満しているし、脇のロビーではルーヴルの解説ビデオを大きなプロジェクターで流しているのだ。

さて、リコーダーの太田光子を初めとする四人が最初にフレスコバルディの曲を合奏。その後はガンバ、リュート、チェンバロ、リコーダーの順で、それぞれ楽器について解説し実際に美術展の展示作品の中から関連作品を紹介して、ソロの演奏を行った。
例えば、リュートの金子浩はランベールの後にニコラ・ヴァレという人の曲を演奏したが、「リュートを持つ道化師」という絵はまさに同時代の作品だとのこと。

また、チェンバロは蒔絵をあしらった和風デザインの優雅なもので、ロココ時代の宮廷なんぞに置くのにはピッタリだった。実際、当時このようなデザインの楽器が置かれていたそうな。製作者も出てきて解説してくれた。
あまりにキレイだったので、演奏が終わった後でケータイ写真撮ろうかと思ったら、あっという間にワッと人が周囲に群がってできませんでした(x_x)

楽器紹介を順ぐりにやってしまうともうあまり時間がなく(1時間の予定なんで)、合奏曲を2曲しか聞けなかったのは残念無念であった

会場の音は当然デッドだったけど、結構よく聞こえた。しかし、なんか(変な言い方だが)短いエコーのかかり方が妙にクリアだったのでおかしいなと思っていたが、やはりマイクを使っていたようだ。これは後ろの方の座席にいたから分かったので、もし前の方にいたら気づかなかったかも。それほどに微妙な調整の仕方だった。

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終了後はそのまま美術展を見られるのでどうしようかと迷ったが、折角30分待ちのところをゼロ分で入れたのだから……とにわかに貧乏性が出て会場に突撃。予想通り恐ろしい混雑であった(-o-;) 一つの絵の周囲に五重六重の人垣ができている。
人垣に突入する元気もなく、遠くから流し見状態でサクサクと進んでしまった。フェルメールの「レースを編む女」はちっこくてビックリ。一方、ラ・トゥールが来ているとはつゆ知らず、たまたま人垣が途切れていたので「大工ヨセフ」をしげしげと眺めさせてもらった。太田光子がコンサートで紹介していた、農民の少年がリコーダーを吹いている絵画も見ることができた。

美術館の外に出ると、やはりものすごい人波は変らず…… 平日でこんなんでは土・日曜はどうなるのであろうかと思いつつ、恐れをなしてさっさと帰ったのである。

贅沢を言えば、絵画に囲まれた場所で演奏を聴きたかったなあ(^O^;)

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→さて、地獄は門の向こうか、それともこちら側か?


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2009年4月11日 (土)

「ジョン・ダウランド物語~あるリュート弾きの生涯」:「流れよ、わが歌」とダウランドは言った

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音楽・詩・影絵による物語
演奏:佐藤亜紀子ほか
会場:浅草聖ヨハネ教会
2009年3月28・29日

*新年度で忙しくてなかなか記事を書くヒマがありません、トホホ(+_+) これもかなり遅れてしまいました。

ジョン・ダウランドの波乱の生涯を歌と演奏、朗読、さらに影絵で辿るという豪華企画である。会場は文化財に指定されている由緒ある浅草聖ヨハネ教会だ。

メンツはリュートの佐藤亜紀子を中心に、リコーダー、歌手は広瀬奈緒、上杉清仁など四人、ナレーターと、さらにダウランド役のティモシー・ハリスである。
ナレーション担当の森紀吏子は音大を出ていて、さらに芝居もやっているという人らしい。ハリス氏はムジカーザでのモンテヴェルディ「オルフェーオ」の演出を担当もしていた。

内容はダウランドの生涯を影絵やナレーションで紹介し、それに合わせてその時に作られた曲が演奏されていく。また彼の欧州の旅に合わせて同時代のマレンツィオ、カッチーニの曲も歌われた。
そして合間に当時の衣装を付けたハリスによるダウランドの手紙や歌曲集の序文などの英語の朗読が挟まれる。ラストはシェイクスピアの詩でしめくくりだ。
--というような大変盛り沢山で贅沢な趣向で、女王付きのリュート奏者になれずに遥かデンマーク宮廷まで出稼ぎし、さらにはクーデター計画に巻き込まれそうになって焦ったり……と「いつも泣いちゃうダウランド(;_;)グスン」な一生が綴られた。

演奏は申し分なく、しみじみとしたリュートの独奏や四人の歌手の歌も聞き応えあるものだった。
特にソプラノ+バス二重唱の「流れよ、わが涙」がよかった。また、上杉氏独唱による「暗闇に僕は住みたい」はかなり劇的な歌い方でいささか意外。あんまり盛り上げ過ぎに歌わない、というのがダウランドの定番だと思ってたんだが

最後に佐藤亜紀子が、この企画は長年の夢で台東区の支援制度を受けてようやく実現したという話をした。アンコールはなんと日本語で客席も一緒にダウランドの曲を歌うというものだった。

古い教会が会場だというので、目白の教会みたいに靴を脱ぐのかと思ったら、靴カバーが配給された(^^;)
私は「アントレ」誌の公演情報欄で発見しただけで、他ではチラシも見かけなかったのに会場は満員御礼だったのは驚いた。補助席も出たようだ。客は音楽関係の同業者も多かったみたいで、「スパラの貴公子」ことバディ様も来ていた。

さて、最後に関係者の努力の賜物でこのユニークな公演が実現したというのを承知しつつ、幾つか問題を上げさせて頂きたい
会場は残響が少ないもののなかなか聴きやすかったが、ステージにあたる部分(祭壇がある場所)が奥に引っ込んでいるのと床が平らなので、単純な楽器のアンサンブルならともかく、このようなパフォーマンス性のある公演には向いていないと思った。私の位置からだと説教に使う演台?みたいなもので半分ぐらいの歌手が見えなかった。またハリス氏が床に座った時は全く見えず。

さらに影絵、ナレーション・朗読、生演奏と盛り沢山過ぎて、客はどこを見ていいのやらワカラン(?_?;な状態になりがち。おかげで、なにか中途半端な感じになってしまった。
私はてっきり「影絵」と聞いて、結城座の写し絵公演のように影絵をドーンと真ん中に据えて投射して、脇で演奏したり時折演者が現われるのかと思っていたのだが、そうではなかった。影絵は脇のスクリーンに映されるだけでいささか添え物っぽい印象だ。投射装置を持ちあげて周囲や後方の壁に映したりしてたけど、あまり効果的ではなくて残念である。

--とケチつけてしまったが、また素敵な企画をよろしくお願いします


【関連リンク】
浅草聖ヨハネ教会についてはこんなニュースがあった。
これが頭にあったので周囲は住宅街かと思ったら、殺風景なビルと駐車場などが続く典型的東京の裏町だった。
ここにも「壁」が存在するようである。

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2009年4月 9日 (木)

旧盤紹介!こいつを聴かずにいたなんて

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Matthaeus Pipeiare/Missa"L'homme arme"(VIVARTE)
Paul Van Nevel & Huelgas Ensemble

「積ん読」ならぬ「積ん聴き」状態のCDの山の下から発掘した。ネーヴェル指揮ウエルガス・アンサンブルの1996年の録音である。15世紀後半から16世紀初頭の作曲家ピプラールの世俗歌曲と宗教曲を収録している。

まさに静謐にして濃密なる、この時期の無伴奏コーラスの神髄を聴くことができる。ウエルガス・アンサンブルにしては珍しく?男声に重きを置いた布陣のため余計にそう聞こえるのかも知れない。
男声だけの「ミサ・ロム・アルメ」だけでなく、他の曲も地に淀んだような低音部の響きが印象に残る。例の如く録音も良
残念ながら日本ではこのレベルのコーラスを聴く事はなかなかできない。十ウン年ぐらい前?に品川の教会での彼らの公演を思い出すばかりだ。

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2009年4月 6日 (月)

「転校生」:か、感動なんてするもんかっ

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フェスティバル/トーキョー パフォーマンス
作:平田オリザ
演出:飴屋法水
出演:静岡県の女子高生
会場:東京芸術劇場
2009年3月26日~29日

『オセロー』を見た時に貰った立派なパンフレットを見て初めて上演を知って、あわててチケットを買ったもの。
オリジナルは平田オリザが1994年に実際の女子高生が演じるために書いた戯曲である。で、それが2007年に久々に演劇に復帰した飴屋法水の演出で静岡で上演されたらしい。今回はそれの再演で出演しているのも2年前と同じ女子高生とのこと。
教室は舞台上の大きな階段の上に机と椅子を置いて作られ、出演者の制服は自分の出身校のを着ているらしくバラバラである。

さて、実物の女子高生が「女子高生」を演ずるというのが、この芝居の最大のウリであるが、だからといって果たしてそれで女子高生の実像を見せているかといえば、はなはだ怪しい。
だいたい、あの年頃だったら「男」の話しないわけはないだろうし(特にヤンキー系)、恐ろしいあだ名を付けた教師の悪口をまくしたてもしないし、相手が興味を持っていようがいまいが気にもせずヲタク話を始めたら30分間止まらないフ女子もいないし、教室に居場所がなくて十分休みごとに校舎内をさまよい歩く孤立した子もいないようである。
要するにそこには大人が受け入れやすいよい子ちゃんしかいないのであった。

さて、そこに突然転校生が出現する。オリジナルではやはり同じ年代の高校生だったらしいが、今回は歳くったオバハンなのが面白い。恐らく彼女たちの祖母ぐらいの年齢だろう。転校生は自分でもよく分からないが「朝起きたら、この学校の生徒になっていた」と言うのであった。
そこから感想文の課題図書として生徒たちが選んだカフカの『変身』や『風の又三郎』も関連して言及される。

なぜ転校生が来たのかということについては、一切語られない。オバハンであっても彼女は既にクラスに溶け込んでいるようだ。しかし、平和なクラス内の屈託のない女子高生たちにも微かな不幸や色々な背景があることが、淡々とした描写の中にも仄めかされる……。

さて、この芝居のどの感想を読んでも絶賛状態であった。私は前の方の席だったので気づかなかったが、涙を流している客も多かったという。確かに私も感動した。何か言葉にならぬ静かな感慨のようなものが押し寄せてきた。

しかし、しかしである--一方で猛烈な反発も感じた。これは言わば気持ちのよい音楽である。気持ちがよくなるために、ことさら気持ちよくなるように作られた音楽を聴いて、気持ちよくなったとしてどうだというのか。そんなものを聴いて気持ちよく感じた自分を反省するのみである。
そして、実物の「女子高生」とは気持ちよくなるための手段(敢えて言えば「道具」である)に過ぎない。だとすれば、どんなに若くとも少なくとも彼女たちよりも年上の観客たちは、彼女たちの若さのエネルギーを自らの感動のために収奪しているだけではないか。そんなもので感動するわけには行かないのだ。

もちろん、こんなことを考えるのは私が「もう一度高校生になるくらいなら、カフカの醜悪で巨大な毒虫になった方がマシ」というひねくれ者だからだろう。

それにしても先日見たばかりの、同じ高校生の女の子を描いた『ダイアナの選択』の描き方との落差に、ボー然としてしまった。
次は是非、男子高生版を頼む。転校生役は「声のデカい団塊オヤヂ」を希望(^^) もちろん、こりゃ喜劇ですな。

よくよく思い出してみると、平田オリザの作品を見たのはこれが初めてのようである。彼が評判になった頃には、段々と劇場から遠ざかってしまっていたのだ。

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2009年4月 5日 (日)

『ダイアナの選択』:溶解する記憶の果てに

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監督:ヴァディム・パールマン
出演:ユマ・サーマン、エヴァン・レイチェル・ウッド
米国2008年

『砂と霧の家』で評判を取った監督の新作。この映画の感想を書くのは難しい。少しでも詳しく書けばネタバレになってしまうからだ。

冒頭、蜷川実花の写真そっくりな--いや、ご本人の作品と言ってもよいぐらいの色鮮やかな花と空の映像が映し出される。いくらなんでもこれはモロにパクリ過ぎではないかと思う間もなく、続いて少女たちが登校した学校でコロンバイン高校を髣髴とさせる陰惨な銃乱射事件が発生する。
その15年後、高校生だったヒロインは同じ町で平和な家庭を築いているが、慰霊祭の時期が近づくにつれ、過去の記憶が甦り落ち着きを失っていく……。

--と、ここまでで予想するのはヒロインが最後まで迷いつつも慰霊祭に出て、サバイバーとして自分の代わりに命を失った親友のことについて、人々の前で何らかの形で意思表示をするのではないか、ということだ。私はてっきりそう思っていた。
しかし、物語はそのようなヒューマンな方向には向かわない。考えてみれば、この監督の前作も予想を裏切る皮肉な結末の話だった。

とはいえ、この映画の結末もまたよくあるオチとして片付けられてしまう可能性はある。例えそうだとしても、私は見終って妙に切ない気分になってしまった(v_v)
なぜなら、高校生の時のヒロインが思い描いたものは、全て自分が見知っているものやささやかな願望のカケラを懸命に拾い集めつなぎ合わせて構築されたものだからである。だって仕方ない。彼女はそれ以外のものを知らないのだから。そのようなささやかなものが、その時の彼女の全てなのだ

そう考えれば、蜷川実花風の映像も実に少女らしい心象の一部を表わすものとして、監督があえて「引用」したのだろうか。これも彼女の知っているものの断片の一つとして……。
映像は極めて美しい。そして、映像で描かれる世界はこんなにも美しく輝いているのに、彼女を取り囲む現実は貧しく、幸福とは言いがたいのだ。なんということだろう。

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ただ、ニナガワミカ愛好少女がオバハンとなって行き着く先がガーデニングというのは、なかなかに鋭い所を突いているかも(^^;)

ヒロインの若い頃を演じているエヴァン・レイチェル・ウッドは『シモーヌ』でアル・パチーノの娘を演じてた子役なのね(!o!) すっかり立派にエロい美人になって、ご両親もさぞお喜びでしょう(そっと涙をぬぐう)。ついでに、母親役はドラマの『サード・ウォッチ』のヨーカスでしたな。

それにしてもE・R・ウッドの掛け値なしに瑞々しいお肌を眺めていると、若々しさが画面中からブワーッと伝わってくる。私は若い頃に戻りたいなどとはツユとも思わないが、それでも「若い時にはエスカレーター駆け上がってもゼイゼイ言わなかったなー」とか「毎日の階段の登り降りで膝が痛くなったりしなかったし(職場には階段しかないのだ)」とか「何を食ってもおいしく感じたよなあ」などと考えてしまい、自らの歳をにわかにヒシと感じたのであったよ(x_x)トホホ


主観点:8点
客観点:7点

【関連リンク】
《恥じて生きるな!熱く死ね!》
点数は結構キビシイです。

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