『ダイアナの選択』:溶解する記憶の果てに
監督:ヴァディム・パールマン
出演:ユマ・サーマン、エヴァン・レイチェル・ウッド
米国2008年
『砂と霧の家』で評判を取った監督の新作。この映画の感想を書くのは難しい。少しでも詳しく書けばネタバレになってしまうからだ。
冒頭、蜷川実花の写真そっくりな--いや、ご本人の作品と言ってもよいぐらいの色鮮やかな花と空の映像が映し出される。いくらなんでもこれはモロにパクリ過ぎではないかと思う間もなく、続いて少女たちが登校した学校でコロンバイン高校を髣髴とさせる陰惨な銃乱射事件が発生する。
その15年後、高校生だったヒロインは同じ町で平和な家庭を築いているが、慰霊祭の時期が近づくにつれ、過去の記憶が甦り落ち着きを失っていく……。
--と、ここまでで予想するのはヒロインが最後まで迷いつつも慰霊祭に出て、サバイバーとして自分の代わりに命を失った親友のことについて、人々の前で何らかの形で意思表示をするのではないか、ということだ。私はてっきりそう思っていた。
しかし、物語はそのようなヒューマンな方向には向かわない。考えてみれば、この監督の前作も予想を裏切る皮肉な結末の話だった。
とはいえ、この映画の結末もまたよくあるオチとして片付けられてしまう可能性はある。例えそうだとしても、私は見終って妙に切ない気分になってしまった(v_v)
なぜなら、高校生の時のヒロインが思い描いたものは、全て自分が見知っているものやささやかな願望のカケラを懸命に拾い集めつなぎ合わせて構築されたものだからである。だって仕方ない。彼女はそれ以外のものを知らないのだから。そのようなささやかなものが、その時の彼女の全てなのだ
そう考えれば、蜷川実花風の映像も実に少女らしい心象の一部を表わすものとして、監督があえて「引用」したのだろうか。これも彼女の知っているものの断片の一つとして……。
映像は極めて美しい。そして、映像で描かれる世界はこんなにも美しく輝いているのに、彼女を取り囲む現実は貧しく、幸福とは言いがたいのだ。なんということだろう。
ただ、ニナガワミカ愛好少女がオバハンとなって行き着く先がガーデニングというのは、なかなかに鋭い所を突いているかも(^^;)
ヒロインの若い頃を演じているエヴァン・レイチェル・ウッドは『シモーヌ』でアル・パチーノの娘を演じてた子役なのね(!o!) すっかり立派にエロい美人になって、ご両親もさぞお喜びでしょう(そっと涙をぬぐう)。ついでに、母親役はドラマの『サード・ウォッチ』のヨーカスでしたな。
それにしてもE・R・ウッドの掛け値なしに瑞々しいお肌を眺めていると、若々しさが画面中からブワーッと伝わってくる。私は若い頃に戻りたいなどとはツユとも思わないが、それでも「若い時にはエスカレーター駆け上がってもゼイゼイ言わなかったなー」とか「毎日の階段の登り降りで膝が痛くなったりしなかったし(職場には階段しかないのだ)」とか「何を食ってもおいしく感じたよなあ」などと考えてしまい、自らの歳をにわかにヒシと感じたのであったよ(x_x)トホホ
主観点:8点
客観点:7点
【関連リンク】
《恥じて生きるな!熱く死ね!》
点数は結構キビシイです。
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