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2009年5月

2009年5月31日 (日)

ヴィヴァルディ「フルート協奏曲 作品10(オリジナル版)」全曲演奏会:笛三兄弟最後の(?)競演

090531
MUSEカフェ=コンセール~室内楽・リサイタル・シリーズ
演奏:有田正広ほか
会場:所沢ミューズ マーキーホール
2009年5月23日

これまで所沢ミューズでは大ホールにあたるアークホールでは色々とコンサートを聞いてきたが、中程度の大きさのマーキーホールは初体験である。約800席で残響1.4秒ほどというから、そもそもは演劇用らしい。新国の中劇場よりは少し小さいながら同様に立派な施設である。素晴らしい、羨ましいぞ、所沢市民の皆さん
しかし、今回の公演の問題はその立派なホールに三分の一ぐらいしか客が入っていなかったということなんであ~る(;^_^A ドースルヨ

確かに演目や出演者が地味ということもあるだろうが、これだってLFJでやったら満員御礼間違いなしっだろうと思うと複雑な気分に。←最近、こんなことばっかり考えてしまうのだよねえ^^;
さて、客席はすき間風が通り過ぎていてもステージ上は熱気が!と言いたい所だが……。

そもそもフラウト・トラヴェルソ+弦楽合奏として知られる「作品10」ではあるが、楽譜が出版されて世に広く知られているヴァージョンよりも前に、原曲ヴァージョンとしての「ヴェネツィア版」が存在したという。そこでは弦の代わりにオーボエやファゴットが入り超絶技巧を繰り広げているのである。
そのヴェネツィア版を有田先生たちが録音したのが約20年前で四十歳代の頃だったという。今回は当時の中心メンバーを集め再演しようという試みらしい。
有田先生いわく「本当はコンサートでこんなことを言ってはいけないんだけど、これは極めて難曲なんでお迎えが段々近くなりつつある歳の我々には、演奏できるのはもうこの機会が最後だろうということで……」

わーん(TOT)有田先生、そんな寂しいこと言っちゃイヤですよう。ヴィヴァルディの時代よりも平均寿命はウン十年も延びているこの今、レオ爺ぐらいの歳まではバリバリ現役で頑張ってもらわにゃあ

メンツはファゴット堂阪清高、オーボエ本間正史、コントラバス西澤誠治、チェンバロはもちろん千代子夫人、ヴァイオリンはいつもBCJでは後ろの方に控えているパウル・エレラと戸田薫、そして平均年齢をかなり引き下げている役目を果たすチェロ山本徹など。曲によってかなり編成が変わる。トラヴェルソはもちろんだがファゴットも常に大活躍。ファゴットは目立たぬながらかなりの超絶技巧だそうで、当時のヴィヴァルディがいた女子孤児院には非常な名手がいたのは間違いないそうだ。

2曲目の「ごしきひわ」では有田氏が冒頭にピヨピ~ヨとヒワを鳴かせて、ファゴットとの二重奏の部分ではあたかも大空を飛翔しているイメージを感じさせた。
残響が少ない会場でしかも前の方の席だったので、かなりダイレクトに音が聞こえてその点ではよかった。いずれの曲も一同息の合った演奏を聴かせてくれた。

いつも松明堂の公演では、有田氏はウンチク話を披露するので今回もヴィヴァルディと笛の関わりについての解説を聞きたかったが、当然ながらここではトークはなし。淋しいのう
……と思っていたら第2部が始まる時に突如、有田氏がマイクを握って登場。ヴェネツィアと笛についてウンチクを話し始めたのであった。
なんでも、当時のヴェネツィアではピッチが高く、また笛も短めのものを使用していたので今日の公演よりももっと明るい音色だったろう、ということだそうな。
で、有田氏は「今日のお客さんはやたらと緊張して聴いているようなので、お前一つ喋ってリラックスさせてこい、と他の演奏者に言われた」と突然の出現理由について語ったのであるが、真実は喋りたくってムズムズしている有田先生の様子を見かねて、他の一同がそう言って送り出したのではないかと想像するぞ(^O^)

ともあれ、一見地味ながら楽しめたコンサートであった。知ってるようで知らない、まだまだ奥深いヴィヴァルディの世界であるのう。
が!終演してロビーに出てビックリ なんと大雨が降っていたのだ 休憩時間の時は何ともなかったのに~。
昼間のカンカン照りの時間に出かけた私は傘もなくただひたすらボーゼン……(-o-;) 所沢ミューズに行ったことがある人は知ってるだろうが、周囲はコンビニも何にもない空白地帯で、ビニール傘を買うというわけにも行かず。しばらく待っていたが止まぬまま「閉館の時間です」の声で仕方なく外に出たが、なんと奥まったマーキーホールからは気づかなかったものの、すぐ目の前にバス停やタクシー溜まりがあるのだった。なんだよ、早く言ってくれよ~、プンプン(~ ^~) 不親切やなあ

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2009年5月30日 (土)

「ブッシュ」:大統領になっても不肖の息子

090530
監督:オリヴァー・ストーン
出演:ジョシュ・ブローリン
米国2008年

ハリウッド最強のオヤヂ監督(←無論ホメ言葉である)オリバー・ストーンが大統領選直前に超スピードで撮りあげたというウワサの作品。

ブッシュ前大統領(と言っても、これが米国で公開された時はまだ現職だったんだが……)の青年期から、大統領となってイラク紛争の泥沼へはまり込むまでを辿るという作品。名優たちが実在の政治家を演じているが、これが再現フィルムというか毎度おなじみ年末の隠し芸大会みたいな印象である。全く重厚さはなくて極めて軽い。
スタッフとの重要会議も全く緊張感ナシ。TVの『ザ・ホワイトハウス』に比べると雲泥の差である。もっとも、向こうのバートレット大統領はノーベル賞受賞者だしなあそもそも、そこら辺の違いかしらん。
しかし一方でSNLとか日本のザ・ニュースペーパーみたいな笑いや風刺テイストもなく、かなり真面目なトーンなので客の方はどう見ていいのか困っちゃうのだ。

強大なパパ・ブッシュにいつも優秀な弟と比べられ、学生時代のバカ騒ぎや女性トラブルを尻ぬぐいしてもらい、仕事をしても長続きせず……というようなボンクラ息子状態をO・ストーンはかなり同情を持って描いている。なんでも彼の父親もかなり強権的だったそうで、そのあたりかなり共感しているようだ。
結局、大統領になっても認めてもらえず、パパがやっつけられなかったフセインを叩きつぶしてやるんだいと始めた戦争は収集もつかぬまま……。

ということで、大統領選直前の「2時間で分かるイラク戦争の泥沼への道」という復習として見るには最適で、よーく分かった(^_-)b
父子の悶着も普通の家だったら別にいくらやってくれても構わないが、大統領一家となると地球規模で迷惑だからやめて欲しいのう(^○^;)

しかし、日本で公開するにしても大統領選直後ならまだしも、今になってなぜという感はぬぐえない。さらにどうも脚本か編集か演出が悪いのか、全体にテンポが間延びしていて、なぜかクラシック・コンサート並みに白髪の頭の多い客席はモゾモゾしている人が多かった。

それにしても、ホントにパウエルはチェイニー副大統領に「くたばれ」と言ったのだろうか(?_?; それから、やたらと飲み食いしている場面が多くてビックリよ。
日本でも二代目、三代目の政治家は多いし、一年交替で首相は代わるし、この手のネタには事欠かないと思うが映画にするヤツはいないだろうなあ ザ・ニュースペーパーでも見てガマンですな(^=^;

役者さんは全員お見事なモン。副大統領を嬉々として演じるリチャード・ドレイファス、怖いパパにはジェームズ・クロムウェルに、パウエル役はジェフリー・ライト、いかにも怪しさ漂うカール・ローブにはトビー・ジョーンズ、悪役だけどやっぱりカッコええスコット・グレンはラムズフェルド役--と、これも何気にオヤヂ萌え映画なのであった。萌えさせてもらいます(*^-^*) 二代のブッシュ嫁を演じた女優陣もよかった。

しかし、なんと言っても一番はタイトルロールをやったジョシュ・ブローリンだろう。これほどに空虚な役柄を空虚なままに演じ、しかも嫌悪感を感じさせず空虚なるがゆえの悲哀を表わすというのはなかなかに出来ることではない。
『ミルク』でオスカーの助演男優賞にノミネートされたのを疑問視する意見も多かったようだが、実際にはこちらでの演技も評価に入っていたのではないかと思われる。まさかブッシュ役でノミネートするわけには行かないだろうしね(^^;


クリソツ度:9点
緊張度:4点

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2009年5月24日 (日)

「チェイサー」:意余って尺が長過ぎ

090524
監督:ナ・ホンジン
出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ
韓国2008年

公開するまで全くノーマークだった映画。評判がいいので行ってみた。
元刑事の男が経営する店からデリヘル嬢が2名失踪。男は手付け金を持ち逃げされたか、誘拐されて売り飛ばされたと推測するが、なんとそれは恐ろしい連続猟奇殺人事件の一端にしか過ぎなかったのであった

何が恐ろしいって、この話の大半が事実に基づいているということ。陰惨な犯罪の様相はもちろん、犯人は以前に二度逮捕されているが釈放されてしまったこととか、最後にとっ捕まえたのがフーゾク店長だったとか……。
さらに正式起訴後もそいつは一度逃亡したという。まさに真実は映画より奇なり(!o!)である。

冒頭から演出の手腕が目立つ。多くの人が指摘していることだが、主人公の車の中で少女が泣き叫ぶ場面はうまいっ
また映像も印象的な場面が多い。細かい路地が走る坂の町並み、そしてその上に教会の赤い十字架が見えるのは象徴的である。
犯人役のハ・ジョンウは一見平凡で地味な青年風にしか見えないが、実は恐ろしい犯罪者という不可解な人物を巧みに演じてお見事である。その他の役者も文句ナ~シ。
監督は新人さんだそうで、その才気は只者ではないようだ。

……と、いい事づくめのはずではあるけど、私にはどうも今一つのれなかった。それは幾つかの描写が長過ぎ!ということである。
なんというか、東アジア的特徴というか、私が日本映画をあまり見ない理由に通ずるのだが、主人公の憤怒とか詠嘆の描写が延々と続く場面が何度も出てきていささか辟易してしまった。まだやってんの~(x_x)みたいな調子。
それから同じような長い殴り合いがやはり何回も登場するのもクドかった。おまけに「ここで××が割れるんだな」と思っていたら、律義に割れたのもちと興醒め。
まあ、個人的に体質に合わなかったということだろうか。

ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』と比較してこちらの方が上だと評価している人も多いが、ポン・ジュノの方は肝心の所は重たくなくて飄々としているんだよね。そういう面が好きなのだ。

なお血みどろ場面多数なので、苦手な人は避けましょう。あ、それからよい子はパイプ椅子を人の頭に叩きつけてはいけませんよ(^o^)b 当たり所悪ければ死ぬぞ~
それからソウル市長かな~りコケにされております。日本で都知事をあれだけコケにする勇気のあるヤツはいるかなー(^○^;)


主観点:7点
客観点:8点

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2009年5月23日 (土)

クラウディオ・モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」:あまりの薄暗さに声はすれども「歌」は見えず

090523
コンサート・オペラ
演出:鈴木優人&田村吾郎
管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:新国立劇場中劇場
2009年5月15・17日

コルパコワ先生「あ、ユ…ユーリこれは
ミロノフ先生「ええ、これが私がノンナの信頼を失ってまでして得たものの結果なのです」
訳あって最近読み返したばかりの山岸凉子のバレエマンガ『アラベスク第2部』のこんな会話を、なぜか思い浮かべてしまったのであった……。


『ポッペア』は以前、二期会とBCJが組んで北とぴあでやった時に見たことがある。その時はネローネはテノールが歌ってたし、版も違っていたようだ。演出はワーグナーを意識したような「愛と悪は勝つ」という濃ゆいものだった。

今回は「コンサート・オペラ」という新形式で(まだ2回目らしい)、あくまでも演奏会方式ながらオーケストラはピットに入り、歌手は暗譜でやるということである。そこら辺の経緯については鈴木(兄)雅明がプログラムとは別にチラシを入れて説明している。ミクシィの方では、このチラシを「言い訳」とクサしている人も見かけたが、その辺りの「大人の事情」については、関係者でもないトーシロには知る由もない。

ピットに入っているのは二期会公演の時より遥かに少ない。ヴァイオリンなんか若松&高田ペアのみ。鍵盤は鈴木(息子)優人&大塚直哉、テオルボ・リュート類は今村泰典&佐藤亜紀子がそれぞれ左右に分かれて配置。リコーダー二人は向江昭雅&古橋潤一という珍しい(?)組合わせだった。
パンフには鈴木(息子)氏がヴァージナルも担当と出ていたが、実際にはなぜか鈴木(兄)氏がその前に座って指揮していて、しかも本当に弾いてたかどうかアヤシイ(^^;

始まって意外だったのは舞台の上がほとんど真っ暗だったこと、歌手は歌っている最中は全く動かず上方からのスポットライトだけで照らされている。そのため表情もハッキリしない。特に舞台の前方に出て歌う歌手は顔が暗くなってしまって、ピットに入っている奏者の方がよっぽど顔がよく見えるぐらいだ(これは大袈裟に言っているのではありませぬ)。
私のようなド近眼でメガネを使用している人間は暗くなるとガタッと視力が落ちてしまう。下手すると、歌手が歌い出すまで誰なのか判別出来ない時もあった。これには相当マイッタ 席が真ん中あたりだからオペラグラス無しでも大丈夫と考えたのだが、持ってくればよかったと後悔しきりである。しかし、第一幕1時間30分終わってから500円出してオペラグラス借りるのもシャクに障るのでガマンしたのであったよ(~ へ~)

もっとも、暗くて被害を受けたのは私だけではないようだ。そばに座っていた女の人は第一幕の大半を眠気虫に取っ付かれていた。第二幕以降は少し明るくなったのでよかったようだが……。全く罪作りな演出であるなあ(^O^メ)

そのように舞台が暗かったのは背後の壁に歌手の位置に合わせて特殊な字幕を投影していたためのようで、さらにこの字幕は人物の心情にリンクして字体が変ったりフェイドアウトしたりする。二重唱の時は両者のかけ合いが良く理解できて、そこん所はヨカッタ。ただしそれは正面から見た場合であって、両脇の方の座席だと(当然ながら)位置がズレて見えたらしい。

とはいえ、あくまで演奏会形式ということもあってか人物の解釈は全くひねりのないストレートなものだった。R・ニコルズの清澄なソプラノによるネローネは、自分の心地よいことだけ聞き自分の気に入った人間だけを信じるというワンマン・タイプで、屈折した所は何もなし。
森女史のポッペアは悪女というよりは、最高の永久就職先をあくまでも追求する野心満々の若い女風だし、波多野睦美の皇后オッターヴィアは出自の良さを鼻にかける高慢なお局様みたい。D・ギヨンのオットーネ将軍は寝取られ男な上に、おまけに暗殺まで恫喝されて命じられちゃって(´・ω・`)ショボーンな感じがまさにカウンターテナーでしたわね。

山村奈緒子が突然の休場のため、松井亜紀が侍女のドゥルジッラを歌ったが、これが何も知らんオボコ娘の純粋さがにじみ出ていて代役とは思えぬ立派なものであった。この調子だったら、ポッペアの代役だってOKてなもんよ。
野々下さんが特出になったのは嬉しかったけど、最初登場した時に顔がよく見えなくて(暗くて遠いんで)「どれが野々下さんかしらん」とキョロキョロしてしまったのは内緒であ~る(火暴)
波多野さんは最初に登場した時から全開モードなのにはビックリした。しかも悪妻一直線なんでコワいほどだ。ラストのローマに別れを告げる歌はこちらの公演でも聴いて大感動したので大いに期待していたのに、あのような微妙なニュアンスの表現はなくってガックリ感は否めない。まあ、会場の規模が違うんでそもそも唱法からして変えているんだろうけど……。

会場といえば、中劇場って演劇専門のホールではなかったっけ?--というか、私は芝居でしか来たことはないのだが。そういう会場で古楽器がピットに入ってしまうとかなり音量的に不満なのだった。もしかして拡声システム使ってたかも知れないが、収録用のマイクとコードが入り乱れていたので確認出来ず。
それでも、今村センセの甘~いテオルボが聴けてそこんとこだけは満足よ。それと福沢宏も縁の下の力持ち的に活躍していたもよう。

休憩中にはつのだ氏や関根女史の姿も見かけた。
あと会場がずっと暑くて、上着を脱がずにはいられなかった。ただし、上の階にいた人の感想を読んだら寒かったと書いてあった(-o-;) まだ新しいホールなのに空調設備大丈夫か?


最後に全体的な感想を書いとこう。
私がナマの演奏を聴きに出かけて行くのは、歌手や奏者の身体や楽器から立ちのぼるある種のエナジーのようなものを感じ取りたいからである。それは芝居でも同様で、役者の発するあの生々しいエナジーは録画で見るとほとんど消失してしまっている。実際に芝居を観た後にNHKあたりで同じものを放送されているのを見ると、そのあまりの違いに愕然とする。まるで干からびた乾物を食っているようなものだ。

今回の『ポッペア』はそのようなナマの醍醐味を削り取っていくような方向の演出だった。薄暗い中、歌手は立ち位置を動かず身振りもほとんど付けない(オットーネが剣を振り上げるというようなしぐさもなかった)。全て歌手の放つ身体のエナジーをそぎ落とし、窮屈な箱に閉じ込めているような印象だった。それと同時に聴いているこちらまで窮屈な気分になってくる。

そこまで歌手の動きを制限した代償が、斜めに傾いた字幕やらボヤボヤと現われては消える霞のような字幕だけだというのでは、あまりにもあんまりである(T^T) 一番おいしいメインディッシュの抜けたコース料理のよう。全額とは言わんが三分の一ぐらい金返して欲しい。
人物が感情をあらわにする場面では字幕も強調された形で出現するが、そんなことは歌手の歌を聴いていれば全てはそこに表現されているではないか! それ以上何が必要だというのか。言わずもがなのことを付け加えてどうだというのだろう。どうせ新しい試みをするんだったら、もっと違った形でもっと先鋭的なものにして欲しい。
いや、それともあんな状態でちゃんと表現をした歌手の功績を称えるべきだろうか。


最初に引用した『アラベスク』の場面ではコルパコワ先生を愕然とさせ、ミロノフ先生を嘆かせた踊りがどんなものであったのか、作者は直接描写していない。読者にはそこで一体何が起こったのか分からない。全くの空白状態となる。
それと同様に、私も今回の『ポッペア』で一体何を見て何を聴いたのかよく覚えていないのだ……。

【関連リンク】
《ペラゴロのオペラ日記》
改行ナシの怒濤の感想であります。「ペラゴロ」というのは初めて耳にしました。「クラヲタ」と似て非なるものでしょうか? コワイよーん。

《ちゃむのバレエとオペラ観劇日記》
演出に関して。

《脱水少女》
評価は逆だが、納得できる意見です。


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2009年5月18日 (月)

「ミルク」:この映画に理解を示すのが自らの寛容度を示す事になる--というわけでもあるまいよ

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監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ショーン・ペン
米国2008年

ガス・ヴァン・サントの映画を見たのはこれで三作か四作目。だが、実はこれまでいいと思ったことがない。それでも見に行ったのはハーヴィー・ミルクを題材にしているというのと、ショーン・ペンが2度目のオスカーを獲得したという話題からだ。

ミルクのドキュメンタリー映画は今を去ることウン十年前公開当時に見た。確か旧ユーロスペースだったと記憶している。ナレーションがなく関係者の証言だけで綴っていくタイプの作品で、ラストのキャンドル行進の場面は今でもよく覚えている。

さて、「暗殺されたゲイの政治家」としての公的部分をもっぱら描いたドキュメンタリーに対し、こちらでは私的な部分も多くを占めている。ニューヨークのサラリーマン生活を捨てサンフランシスコへ移住した経緯、恋人とのドロドロしたもめ事などもシッカリ描かれている。また、主人公の活動とゲイ・リベレーションの盛り上がりが時代的に同期しているのも興味深かった。

で、役者たちの演技や当時の風俗描写(ここぞという場面以外では、あまりその頃の音楽を使ってないのがいい)は文句ないのだが、『フロスト×ニクソン』同様に演出や脚本の方に今イチのれなかった。なんだか、このままではミルクはエエ奴だったんよ風の「美談」に収斂されていってオシマイではないの。いや、別にもっとドロドロした部分とかエグい面を見たいということではないんだが。

以前、音楽雑誌でニルヴァーナの影響大らしいバンドへのインタビュー記事で、『ラストデイズ』(カート・コバーンの自殺直前の数日を描いた作品)を見たかと尋ねられたメンバーが「だって、ガス・ヴァン・サントが描いたカート・コバーンだろ。そんなの見たくないよ」と答えていたのを思い出した。
「見たくない」とか「詰まらない」とは思わんがいささかビミョ~なのは確かである。

役者はショーン・ペンだけでなくて、他も個性的な面々をうまく演じていてヨカッタ。特にエミール・ハーシュが登場する場面はあまりにうま過ぎて笑ってしまった。ゲイに限らず、ああいう若い子っているよねー
いや~、それにしても皆さんイイ男ばっかりスクリーンに続出で、目の保養をさせて貰いました(*^O^*)ヘッヘッヘッ(←なぜかまたも下卑た笑い)
そのためか、予告がやたら女性向け映画ばかりで変だなと思ってたら、客電着くと客はほとんどが女ばかりでしたな。

事前に「男同士のラブシーンには耐えられず目を背けてしまった」などという感想を目にしていたので、どんなもんかと不安にドキドキして行ったら、そんな大したもんではなかった ヤヲイ本に日ごろ慣れ親しんでいるフ女子が期待するような場面は一切ありませんのでご安心下さい(^-^)/……って、そういうことぢゃないか

ところで、主人公が市政執行委員になるあたりまで集会場所に一人だけ場違いな感じで、かなり高年齢なオヂサンがいつもいたんだけど、セリフは一言もないし……もしかして当時の実際の関係者が特出していたのか?


まあ、この映画の評価はなんであれ、自らの内部の差別意識(私にももちろんぬぐい難く存在する)や自らが属する社会の差別の存在に目を向けなければ、所詮これは「遠い国の遠い時代の悲しい美談」として消費されるだけだろう。
ちなみに、しばらく前に新型豚インフルエンザの患者が出たと報道された高校(検査の結果、該当しなかった)には嫌がらせの電話が相次いだという話を聞いた。
……これがワシらの社会ですよ。大したもんで \(^o^)/

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主観点:7点
客観点:7点


←前売券買ったら貰えました(^^;

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「ポッペアの戴冠」:とりあえずの感想

バッハ・コレギウム・ジャパン@新国立劇場

正直言ってガッカリしました(x_x)
全額返せとは言わないが、料金三分の一は返して欲しいぐらいです。
時間が経つにつれてドンドン腹が立ってきてしまう……。

あと、中劇場って芝居のためのホールですよね? 芝居とコンサートの音響が同じはずはないんだけど、変えられるようになってるのでしょうか? そういう疑問もあり。

ちゃんとした感想をここに書きました。

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2009年5月17日 (日)

「ドーヴァー海峡の向こう側 2」:ジャンルの境界の向こう側へ

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演奏:平井み帆、守安功&雅子
会場:武蔵野スイングホール
2009年5月10日

守安夫妻は最近アイリッシュ・バロックの作曲家ターロック・オキャロランの全曲録音プロジェクトを始めたとのこと。元々は音大で古楽を学んだらしいが、ずーっとアイリッシュ・トラッド畑で活躍していたようだ。
オキャロランは以前ハープ・コンソートの録音で聴いたが、今一つ面白く思わなくてそのままになってしまった。しかし、アイルランドの地ではバロック期に行われた奏法がそのまま伝承されているという。同じバロック音楽でも民族色濃ゆいものなのであった。
ということで、実際に生で聴いてみようと思った次第。

行ってみるまではよく分からなかったのだが、これはチェンバロ奏者の平井み帆が中心となったあくまでも「クラシック」コンサートという体裁を取っている。
なので、平井女史によれば「曲の後のおじぎの練習もした」とか、笛部門担当の平井氏は平井氏で「楽譜台を前に演奏するなんてウン十年ぶりぐらい」とか「普段、座って演奏しているから立って吹くだけでも大変なプレッシャー」などと言っている。どおりでよくクラシック奏者が着ている黒服が似合わないと思いましたよ(火暴)
あと、笑っちゃったのは前半が終わって、一旦引っ込んだ後に平井女史はカーテンコールで舞台に出てきたと思っていたのに、守安氏の方は「これより休憩15分です」と言いに出ていったと思ってたこと。
こんな風に演奏以外でも面白いこと続出であった。

さて、肝心の音楽の方だが最初はスコットランドの伝統曲をアイリッシュ・フルートで、続いてダニエル(弟)パーセルのソナタをリコーダーで演奏。兄のヘンリーに比べて地味な弟ではあるが、「リコーダーってこんな情熱的な楽器だったのか('-')」と驚くほどの様変わりだった。
守安氏は楽器を取っかえひっかえで、次のオキャロランの曲では伝統楽器のホイッスル(ソプラノ・リコーダーかと思っちまいました(^^ゞ)を使用。イタリアから来たジェミニアーニがオキャロランをいぢめた話などを披露した後、今度は彼がスコットランドの伝統曲に基づいた作品を演奏した。なんでも、この曲でのフルートの部分は元のトラッド音楽そのままで、ジェミニアーニは必死でそのコブシを楽譜に記譜しようと悪戦苦闘したらしい。ところが、今のクラシック畑の演奏家はそれを全く知らないで演奏しているから変になってしまうとのこと。

また、平井女史はヘンリー兄パーセルの曲をチェンバロ独奏したが、守安氏とのコラボレーションによって弾き方が劇的に変化したと語っていた。それまでは、英国音楽は詰まらないと思っていたそうな(^O^;)

後半は守安夫人によるハープ独奏が入ったり、ひねくれたイギリス気質についての解説もあり、いやはや面白かったです。
アンコールは3曲あったが、2曲めはバウロンも入って完全にトラッド・モード。守安氏は椅子に座って、床を足踏みで打楽器代わりにリズムを入れて演奏。なるほどだからいつも座っているというわけだ。

会場はジャズなどのコンサートをやっているらしい小会場だったが、完全に満員御礼だった。特に20~40代の女性が7割以上を占めている。あとは高年齢も含むカップルか。どうも、平井女史個人のファンと、守安夫妻サイドのトラッド・ファンがほとんどだったようだ。
こういう会場の熱気を見ると、普段私が見ている古楽系の愛好者層というのはホントに少ないのだなとヒシと感じた。トラディショナル・ミュージックの熱気(音楽自体と、聴衆の)を目の当たりにすると、平井女史がそっちの方に惹かれるのも当然であろうか。

ところで次回は旧古河邸で…… なんか、守安氏のエネルギッシュな演奏(と、ご本人自身)にあの優雅な空間は全くミスマッチな気がするが(^^?

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←守安氏のリクエスト通り、アンコールの曲名をケータイで撮ってみました(^o^)

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2009年5月16日 (土)

「仮想儀礼」(上・下)

090516
著者:篠田節子
新潮社2008年

しばらく前に最近読んだ小説がどれも詰まらなくて退屈だという記事を書いたのではあるが、その舌の根の乾かぬうちに次の本に手を出してしまった。そして、結果は……

いや~、こりゃ面白い! そして、コワい!! もうコワ過ぎ でも、ホラー小説じゃないんだが。

都の職員としてエリート・コースを歩んでいた主人公--だが、とあるきっかけで脱落してしまう。そして、職と家族を失い悶々と毎日を過ごすが、同じような境遇の男と二人でビジネスとしての新興宗教を始める。うまく行けば「教祖様」と呼ばれてベンツに乗れるようになるはずだ。
よるべない若者や孤立する主婦を相手に始まって、やがて社会人や企業相手にセミナーもどきをひらくようになりトントン拍子に成長していく--のが、上巻。
しかし、それが一気に転落を始めるのが下巻である。
その転がり具合はすごい。もう下巻の中間あたりまで来ると、あまりの恐ろしい崩壊ぶりに読み進むのがウツになってくる。しかし、いったん本を開くとページをめくる手が止まらなくなってしまうのだ。(>O<)ウヒョー

ここに描かれているのは人間の内部の暗い深淵である。そこには善も悪も分かちがたく存在している。あたかも、汚泥の中に砂金が混ざっているように、善意も悪意も分離できない。聖と俗、美と醜もまた……ただ闇の中におぼろげに光って見えるだけだ。この物語はそれを余す所なく描き出している。だから怖いのだ。

結末については、ハッピーエンドとみなす人もいるようだが、私には到底そうは思えなかった。特にラスト一行……えっ、まだ続くの(!o!)という印象である。これこそ恐怖の極みだろう。
でも、それもこれも主人公が半分善人だから。彼が完全な悪人(作中にその見本が登場する)だったら、こんなことにはならなかっただろうに。

さて、「教祖」の割には主人公は徹底的に現実主義者であり、奇跡や呪詛の類いは一切信じていない。物語の途中で「魔を払う」場面が出てくるのだが、当然そのような行為も完全否定である。
しかし、にも関わらず「魔を払われた」人物は、まさにそれをきっかけにそのような行動を取るようになるのだが……こ、これはやはり奇跡の類いは実在するということなのだろうか。わ、分からん(\_\; これまた余計に恐ろしい。
神は存在するのか? それとも人間の神を求める心こそが「神」を顕現させるのであろうか?
一体、そもそも宗教とは何なのか--というような根源的な問いを考えさせる小説である。例えば、これまでバッハの受難曲を何度も聴いてきたが、これからはまた違った聴き方をするようになるかも知れない。

それにしても、作者が女性だからだろうか、作中の女の描き方がかなりキビシイねえ。嫌らしい所、ずるがしこい所、道理が通じない所などビシバシと徹底的に繰り返し描かれている。
あと、人々を新興宗教に向かわせる悩みの多くは、行政が的確に対処すれば本来は簡単に解決できるものだという指摘は興味深かった。そういや、貧困層が多い東京某区は某信者の数も多いんだよね

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2009年5月14日 (木)

「オペレーション・ワルキューレ」:ハリウッドに負けぬゲルマン魂を見よっ!--と言っておこう

監督:ヨ・バイヤー
出演:セバスチャン・コッホ
ドイツ2004年
*TV放映

『ワルキューレ』と同じ実話を、本家本元ドイツでTVムービーにしたもの。なんでも暗殺事件60周年記念だそうである。
主役はセバスチャン・コッホで、『善き人のためのソナタ』『ブラックブック』などでおなじみの渋い中年である。

ヘッヘッヘッ(^Q^)はっきり言ってカコエエです、ヘッヘッヘッ(^щ^) (←なぜか下卑た笑い)

作品の時間がずっと短いだけあって、内容は爆破作戦一回だけに絞られている。むしろ、失敗が判明してからの方が長い。どのように首謀者たちが死んで行ったかが細かく描かれている。
こちらのシュタウフェンベルク大佐は妻との仲は破局寸前になっていて、暗殺計画をうすうす感づいた妻は夫との連絡を断ってしまう。そこら辺の葛藤もようく分かるし、ハリウッド版ではいささか不明だった、妻に電話をかけようと焦る理由もハッキリ理解できた。
あと、なぜ彼がヒトラーの死を確信していたかもちゃんと説明されていた。
それから、銃殺場面での部下の行動も似て非なるものだった。だって……ありゃまさに「心中」ですよ。

というわけで、心理描写や出来事の経緯などはこのドイツ版が上だと思うが、やはりカネのかけ方が違うのはいかんともしがたい。
映像や小道具大道具、人員の物量作戦具合はハリウッド版には負けますなあ…… あと、シャツを着替える口実もだ。


なお、S・コッホはなんと『ブラックブック』で共演したカリス・ファン・ハウテン(ハリウッド版での主人公の妻役)と付き合っているそうで、うは~っ、美男美女のカップルですのう うらやましいこって(^o^;

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2009年5月11日 (月)

「フランソワ・フェルナンデス&原田陽 デュオリサイタル」:寛容力が足りん!

090511
会場:ルーテル市ヶ谷センター
2009年5月7日

ラ・フォル・ジュルネでガンバッたものの結局最後まで取れず涙を飲んだF・フェルナンデスのチケット。(彼に限らず小ホールは全滅でした) 彼が折角来日しているのに聴けないのは残念無念であるよ(><) (もっともリチェルカール・コンソートに参加してたが)
しっかし(^o^)b うまくしたもんで捨てる神あれば拾う神あり 日本人の若いヴァイオリニストと共演する小コンサートをやるというので早速チケットを取り、LFJの熱気も冷めやらぬ日に行ってきた。

相手の原田陽(あきら)はなんと1982年生まれ……ってことは、単純計算で27歳。わ、若いぞ 経歴を見ると6歳でヴァイオリンを始め、2003年にはイェルク・デームズと共演--とある。スゴイね~、さぞご両親はご自慢でしょう(#^-^#)

で、フェルナンデスとはちょうど父子ぐらいの年齢差で、二人並ぶと原田君の方がずっと背が高くてガタイもよろしいではないか。
うーむ(~ ^~)戦後六十年以上たち、あの食糧難の時代を乗り越え、ついに西洋人よりも立派な体格の若者が……感無量であ~る(←頑固ジーサン風の感慨)
リチェルカール・コンソートではフェルナンデスは豆粒--というほどではないが、ソラ豆ぐらいの大きさにしか見えなかったんで、それを挽回するため最前列かぶりつきで鑑賞……なんてことは、恥ずかしいんでしませんでしたよ(^J^)

最初の曲はテレマンの「ガリヴァー組曲」から。LFJでも「ドン・キホーテ」を聴いたし、こういうのを彼は好んで作ってたのかしらん。とにかく変な曲なのは間違いなし。
次は、ルクレールの2本のヴァイオリンのためのソナタを2曲。前の曲と後の曲で二人は「主」「副」を交替して演奏した。なんだかトーシロ耳にもやたら難しそうな曲で、原田君が途中でずり落ちそうになったのか、フェルナンデスがチラと見やる場面があった。もっとも単に見ただけなのかもしれんが(^.^;

後半はフェルナンデスのソロで無伴奏パルティータ二番を演奏。シャコンヌがやたらと速くて驚いた。いくらなんでもこりゃ速過ぎではないかというぐらい。もはやノイズがダンゴ状に固まっているような圧倒的な勢いの演奏だった。
しかし! その最初のクライマックスへとちょうど昇りつめて行く時に、なんと近くの席のオヤヂが隣りの連れにボソッと感想(?)を喋ったのであった。それも一度ならず二度、三度……。

よりによってそこで言うか~(-д-メ)
ムカーッ(*`ε´*)ノ☆
自宅でTV見てるんじゃねえぞ(ノ-o-)ノ ~┻━┻ガシャーン

思わず殺意を感じ、そちらの方を見てドクダミ光線を発してしまった。
ま、マイッタ……┏(_ _;)┓

気を取り直して、次はフェルナンデスがヴィオラに持ち替えて、二人で二声のインヴェンションを編曲したものをやった。それぞれ左手と右手を担当。とても元が鍵盤曲とは思えまなかった。はた目には終始和気あいあいとした調子の演奏だった。

開始前はヴァイオリン2本だけというのはどうなることかといささか不安だったが、そんなことはなくて充分ヴァラエティに富んでいた。天候が悪い日だったので楽器の扱いは大変だったと思われる。
小さな会場が半分も埋まって無かったのは残念。LFJだったらこのプログラムそのまま持ってっても満員御礼だろうにさ 皮肉というか、仕方ないというか。

原田君は若いのにモダンと古楽器両刀なんでしょうか。大したモンです。
あ、どうでもいいことだが、鬼太郎のように片側だけ長く伸ばした髪型は、片目だけ悪くする可能性があるんでもうちょっと切った方がいいんじゃないの。(←ご近所のオバハン風の余計なお世話よ)


さて、最近小規模のコンサートに行くことが多いが、そういう所は小さな事務所とか下手するとボランティアが裏方やってたりするようだ。そのため、どうも対応にいい加減なところが多い。
この日も、客入れがいい加減で参ってしまった。チケット持ってる客と当日受け取りの客の区別もできてないし、並んで待ってるのに金やチケット数えるのに懸命で気づかない。さらに、プログラムも配り忘れたり
それから、休憩時にはなんと客電付け忘れ(-o-;) 暗い中でみなさん座ってましたな。

あと、この日じゃなくて他の結構有名な演奏家の公演を専門的に扱っている事務所は、メールで事前にチケットの取り置きを頼んだのに忘れていた。空席があったからよかったけど、その平然としてる態度にも腹が立った。
どうも、最近寛容力がどんどんすり切れてきております。

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2009年5月10日 (日)

「フロスト×ニクソン」:敗因分析なき再現試合

090510
監督:ロン・ハワード
出演:フランク・ランジェラ、マイケル・シーン
米国2008年

1977年に実際に行われたニクソンへのTVインタヴューを元にした芝居を、さらに映画化したものである。アカデミー賞にもノミネートされた。
『ウォッチメン』にも登場していたニクソン。日本だと一般的には「そんなヤツもいたよなあ」というイメージだが、こうしてみるとアメリカだとやはり象徴的存在のようだ。すなわち「不正」と「誠実」についての、である。

片や政界復帰を狙う大物政治家(演じるF・ランジェラは顔がご本人に似ているというわけではないのが面白い)、片や人気に陰りが指すTV司会者(M・シーンはまさにTV向けニッカリ顔でいつも笑いを浮かべて見せる)の顔合わせ。劇中では明らかにこのインタヴューはボクシングの試合に例えられている。

ランキングも経験も違い過ぎる二人の選手、しかも若い方は無理してウェイトを増やして挑戦しているようだ。格の差も甚だしい……
それを取り巻く調査スタッフやプロデューサーはトレーナーやセコンドか。リングサイドから応援する恋人の存在も欠かせない。一方ニクソンには将校上がりの忠実な部下がいる。

試合の結果はもちろん若い挑戦者が最後に必死の一発を放って大逆転するのだが(そうでなくては映画にする価値はない)、それをまた周囲の人間がまるで擬似ドキュメンタリーのようにカメラに向かって当時のことを解説するという形式を取っている(語り手の氏名のテロップまでそれらしく出る)。

しかし、にもかかわらずなんでニクソンが敗退したのかよく分からない。深夜の電話のエピソードは実話ではなくて創作らしいが、そうでもしないと納得の行くような辻褄が合う話に出来なかったのだろうか。
そのせいか、肝心の「試合」より周辺の状況やエピソードの方が面白いのはちと困ったもんだ。
一体、作り手は世紀のインタビューを描きたかったのか、それともニクソンという政治家として複雑なキャラクターを分析して見たかったのか、それともメディア論を「絵」にして見せたかったのかとっ散らかった印象だった。

それぞれの役者は文句なかったけどね(^o^)
オリヴァー・プラットお肉がさらに増えていた。サム・ロックウェルいかにも生意気そうなインテリのジャーナリストを好演。


主観点:7点
客観点:7点

余談だが、TVドラマの『ザ・ホワイトハウス』が滅法面白くなってきている。外交ネタは「オレ様アメリカ」みたいな感じでどうも敬遠したくなったが、大統領の任期が残り一年となって候補者の予備選挙も始まり、見えざる陰謀やら駆け引きやらのウラ話が出てきて「そんなこともやるかー」で口ポカン(~o~)状態だ。
米国では大統領選候補こそが、ひたすら握手して回り顔を売るどぶ板選挙をしなければならない、というのは初めて知ったですよ。

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2009年5月 9日 (土)

インフルエンザ豆知識

《鳥および新型インフルエンザ海外直近情報》より

マスクは着用するのは自由だが、一般市民がインフルエンザ予防用にマスクを着用することは、医学的に感染予防があることは立証されていない。

な、なんだってーっ★(>_<)★

うがいは海外では行われていない。咽頭に飛び込んだウイルスは10分程で細胞の中に侵入するからだ。

信じられねえ~~~ω(T_T)ω

感染が若干広まっても直に収まる。

 ヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝ

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ラ・フォル・ジュルネ バッハ祭り総まとめ・追記

これをどっかの記事で書こうと思ってて忘れてました(~_~;)
*公演プログラム変更やアンコール曲名の紙はもっと目立つところに貼って欲しかった。一日目なんか存在に気づかなくて、他の人のブログの写真を見て「こんなのどこにあったのよ?」と思ったほど。
アンコールはともかく、変更はガラス棟のインフォメーション・コーナーにまとめて掲示してくれればいいのに。あのコーナーは一体何するところなの?と思っちまいました。

音楽面の「まとめ」を書いてなかった
*どれがいい悪いということはなくて、それぞれに個性豊かで楽しめてヨカッタ。
ラ・ヴェネクシアーナは事前の期待を裏切らぬ出来だった。また次の来日を望む。でも、もう目白バ・ロック祭りもないしなあ……。

*ラ・レヴーズはこれまで見たこともなければ聴いたこともないグループだったがプログラム内容に、興味を引かれてチケットを買ったもの。
その直前の公演のエウローパ・ガランテとのあまりの落差(華やかさ&地味)に頭がク~ラクラするほどだった。しかし、ラインケンの第4番のような感動は、もう録音でもなんでも二度と味わえぬ類いのものに違いない。

*ベルリン古楽アカデミーはまた来日してブランデン全曲をやってくれるという噂。ヤッタネ(^_-)……☆

*一番気になった奏者はエウローパ・ガランテのテオルボ。達磨法師みたいな外見のオヂサンであったが、ジャカジャカ弾きまくっててスゴかった。


☆他のLFJレポートを読めるブログをご紹介
《庭は夏の日ざかり》
《Rakastava》
《コンサート日記》 
《ego flos campi》

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2009年5月 7日 (木)

ラ・フォル・ジュルネ バッハ祭り総まとめ

090507
*安くて気軽な音楽祭のはずだったが、最初のチケット争奪戦に始まり、一体総額いくら費やしてしまったのか……考えたくないので計算もしてない(><)

*完売公演が多かったので、ちょっと寄って有料コンサート適当なの買って聞こうとした人たちは当てが外れたもよう。
チケット売り場の前で「もう残ってないじゃん。帰ろ、帰ろ」と言ってたオバサン達(旅行帰りか大きなバッグを持ってた)や、3日に売れ残ってたラ・ヴェネクシアーナの時間を見て「えー、夜10時からじゃない」と迷ってた学生など「難民」が続出したようだ。
これでは音楽祭の意図とはかけ離れてしまったと言えるかも。

*それにしても新型豚インフルエンザが流行らなくてヨカッタ( -o-)ホッ あんな人ごみではどこでうつるか分かったもんではない。グッズ売り場だって山手線並みにごった返してたもんね。「ラ・フォル・ジュルネ参加者は地元の保健所に出頭」……なんて事態になりかねんでした(^o^;

*座席が良かったのはチケぴの先行発売だった。どれも前の真ん中の席である。それよりも早かったフレンズ先行発売では通路ぎわだけど後ろの方が多かった。どういうことよ やはりぴあの力強し、か。あのホールの構造だと前の方じゃないとダメだろう。

*マレ・サンフォニーの中止は残念。本場おフランスものを聞きたかったのに~(T_T)

*海外アーティストの演奏はもう数年分聴いたという感じだ。ありがたいこってす。これからは国内アーティストを聞きまくるぞ~……そういう話ぢゃない(火暴)

*この反省を生かし、来年以降もがんばるぞっ--と言いたいところだが、次に古楽系が回ってくるのはあと十年後ぐらいか(そこまで音楽祭が続いてたら、の話だが)。ヴィヴァルディやヘンデルではこれほど集客は見込めないだろう(多分)。もう私の出番はなさそうだ。(´・ω・`)ショボーン

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ラ・フォル・ジュルネ ラ・ヴェネクシアーナの巻

曲目:ブクステフーデ「われらがイエスの御体」
会場:東京国際フォーラム
2009年5月4日

遂にラ・ヴェネクシアーナですブクステフーデですよ……古楽ヲタならば妻子(夫子)を質に入れても聴かねばならぬ公演には間違いなしっ 例えばこんな風にだ。

某質店にて「奥さん、このダンナじゃあんまり値は出せませんよ~。だいぶくたびれてるしね。ほら、そこら中ヨレヨレしてる」「じゃあ、舅と姑も一緒に付けます!」「……もっと安くなります」

一日目はガラガラだったそうだが、さすがに二日目の公演は時間が早めのこともあってようやく当日昼には完売したようだ。しかし、それでも空席があるのが不思議。私のいた列などは4人分まるごと空席だった。もしかして、オークション狙いで買ったヤツがいたのだろうか。

カヴィーナ氏はモロに指揮しながら歌っていた。それも結構、腕を大振りで、あれで歌えるのかしらんと思う。テノールのソロの人は風邪か何かで調子が悪そうだった。
この曲で聞いたことがあるのは、BCJとアンサンブル・クレンデの録音だが、軽快ささえ感じるアッサリめのBCJとも叙情性に重きを置いたクレンデともまた全く違う演奏だった。ひたすら情念と官能性がほとばしる--というイメージである。

確かに、今回改めて日本語訳の歌詞を読んでみると、かなり直裁で激越でしかも情熱的。これでもかこれでもかとやたら詳細に(血の流れ方とかクギの刺さり具合とか)イエスの架刑を描いた宗教画を思わせる内容である。彼の「足」から始まって「顔」まで全7曲で辿っていくという次第。
それを二人のソプラノのガッリ&マメリが濃厚に歌うもんだからますますもって、ステージには情念の炎がユ~ラユ~ラと立ち上るのであった。いかにもイタリア風解釈と言ったところか。この濃厚さにはノックアウトよ(@∀@)

楽器の方はヴァイオリン2本に並んでトレブル・ヴィオールが加わっているという珍しい編成であった。6番目の「心」だけバス・ヴィオールが3本加わるが、この曲に特別な意味があるのだろう。

全曲通して1時間10分ぐらいか、このように渋くかつ濃ゆい曲をじっと聞き通すというのは、この音楽祭のイメージとは全く正反対の地道な行為であったが、前にも書いた通り大喝采となった。カヴィーナ氏はこの手のことにはウルサ方のように見えたけど、実際にはそんなことはなくアンコールをやってくれた。この日だけでなく、前日にもやったらしい。

ベルリン古楽アカデミーと並んで、個人的にはこの音楽祭最大の目玉だったが、その期待通りの内容であった。満足印を付けたい。贅沢を言えばもっとまともなホールか実物の教会で聞きたかったニャー>^_^<


過去の関連公演の感想はこちらです。
※リーダーのカヴィーナと波多野睦美の共演
※目白バロック祭りよりモンテヴェルディ宗教曲
※同じく世俗曲
※ソプラノのソリストの一人R・マメリ&波多野さんのステージ

なお、8日(金)にロベルタ・マメリ(左端にいた長身のソプラノ)のソロ公演(つのだ氏伴奏)があります。聞きそこねた人、もう一度聞きたい方はどうぞ。ただし、教会の長椅子にギュウ詰めで座るハメになるかも(^^;)

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2009年5月 6日 (水)

ラ・フォル・ジュルネ バッハ祭り記録3日目

会場:東京国際フォーラム
2009年5月5日

いやはや、さすがに疲れてきました。一日めは絶好調だったが……。やはり、連チャンはキビシイですな(>_<)

*リチェルカール・コンソート
曲目:ラインケン+ブクステフーデ+バッハ+ゴルトベルク
「バッハと先輩・後輩」というサブタイトルでのプログラム。
ラインケンはバッハのオルガンを聴いて感激したというエピソード、ブクステフーデは嫁かず後家の娘をバッハに押しつけようとしたという策謀、弟子のゴルトベルクは曲名のみで有名--で、作品はほとんど知られていないという3人である。
この日はピエルロのガンバ、二人のヴァイオリンのうち一人がフランソワ・フェルナンデス(待ってましたのよ)、テオルボ(E・エグエス)、とチェンバロという布陣だった。
ラインケンはラ・レヴーズと同じ曲を演奏したが、もうちょっと「泣き」が入った感じだった。ブクステフーデ師匠のソナタはやっぱり一筋縄で行かぬ「変」さである。
そして、バッハBWV1023をガンバ+テオルボ+チェンバロで。ピエルロのガンバはさすが、ググッと求心力を持って聴衆を引きつける演奏だった。思わず喝采
ゴルトベルク作曲のソナタは明らかにプレ古典派な曲調で、それを一同は明快さをもって聞かせてくれた。
いや~、満足でしたよ(*^-^*) ただ、この編成でB7ホールはデカ過ぎ。音楽専用ホールならまだしも、単に遮蔽板で区切ってあるだけなんだもんなー。
今回の席は後ろの方だったんで、音の聞こえ方も弱いし、演奏者も遠く見える。私の周囲の女性客数人ははオペラグラスを使っていた。
私も持ってくれば良かった(火暴)

*バッハ・コレギウム・ジャパン
曲目:カンタータBWV78&30
最初はパスするつもりだったBCJ、結局カンタータ公演を取ってしまった。しかし、一日二回公演連チャンですか--ご苦労様です<(_ _)>
メンツは定期公演と同じで、コーラスもいつもの調子で落ち着いたもの。ソプラノはドロテー・ミールズから直前にレイチェル・ニコルズに変更となった。『ポッペア』公演が控えてるのね。これまたオツ!であります。
カウンターテナーの青木氏がソリストにクレジットされていて大丈夫かといささか不安だったが……健闘したとだけ言っておきます。
いつもと違ったのはただ一つ観客層。やっぱり、こういうフェスだと客層が若いですねえ~。普段のBCJ公演にも来てくれるといいなっと(^^;

*ピエール・アンタイ&ル・コンセール・フランセ
曲目:カンタータBWV93&33
楽器奏者の方には他のグループで見た顔もチラホラ、かけもちオツですう
歌手は四人のソリストが合唱を兼ねる形。いやもう、小人数で軽快な演奏に思えながらも感動のツボは外さず、アッパレ 歌手陣も安定して聴けた。
一日目のリチェルカール・コンソートもコーラス隊使ってなかったし、もうこのような軽量級が古楽系団体の主流かと思える。(そう言えば、クイケンの「ロ短調」の新盤も一声部一人だった) 下手すると、BCJも「中量級」に見えてしまうぐらいだ。モダン演奏は相変わらず重量級が続くだろうけど。

それとは別に問題だったのは、直前に曲目と順番変更があって、配布されてるペラ紙と違っていたこと(紙の方には178&93となっていた)。掲示は全く目立たないし--しかも、他の公演の掲示もそうだけど番号でしか書いてないから、これから自分の行く公演だかなんだかよく分からず見逃してしまう。
配布物とプログラムが違うんだから、事前に場内放送でアナウンスすればいいのにそれもなかった。
BCJの公演について書いてたブログの中には、ソプラノが変更になっていることを知らずにそのままミールズの名前を乗せてたのもあったぞ。
断固、抗議したい(*`ε´*)ノ☆

*ベルリン古楽アカデミー
曲目:管弦楽組曲2&4
第2番は前回の大編成と違って7人のみというこれまた「軽量級」演奏。4番は再び大編成に戻った。前回は前の方だったが、端っこだったので聞こえ方が違ったか? 今回は真ん中の席で、全体からドーッと来た。特にティンパニは耳にビシバシ来てロック・ドラムなみだ~(ちと大袈裟に書いております(^^;)
こうして見るとあの過激なノリは低音系の楽器が支えていると感じた。特にコントラバスの小柄な赤ら顔のオヂサン(血圧高そうです。余計な心配か)はガシガシ弾きまくってますなー。

*スキップ・センペ&カプリッチョ・ストラヴァガンテ
曲目:クープラン「スルタン妃」、テレマンのリコーダー組曲
発売時ずーっと「曲目未定」で「とにかく買っとけ」ノリでチケットを取ったもの。
スキップ・センペは録音でもあまり聴いてない鍵盤弾きだが、わ、若い……(-o-;)
しかし、さらに他のメンバーはもっと若いのであった。ビックリよ
今回の公演ではセンペはその若手たちを後ろから支える縁の下の力持ちに徹しているようだった。
「サルタンの妃」は元から大好きな曲で、生で聞けてシ・ア・ワ・セ(#^-^#) ただ、テレマンの方はどうも曲自体が好みにあわないせいか、終始引きつけられる所がなかった。残念である
若手メンバーはどうもかなりの二枚目っぽい……と思っていたら、こちらのブログを拝見すると相当なモンだったもよう。
しかし、私の席はホントに真横で、彼らが入場してくる姿も見えず、常に見えたのはセンペと二人のヴァイオリニストの背中だけであった……(T^T)クーッ なんてこったいこれで同じ金額の席とは信じられねえ~。
これも断固、抗議する(`´メ)

それにしてもB5ホールの配置は納得できない。長方形の部屋の長辺にステージが設けてあるのだ。それを取り囲むように椅子が置いてあるんだけどね。


さて、ここまで読んで当日のスケジュール表を持っている方の何人かは疑問に思ったであろう。
「ありゃ、BCJとル・コンセール・フランセ、それからベルリン古楽アカデミーとカプリッチョ・ストラヴァガンテの終演時間と開演時間の時間差ゼロだぞ(?_?)」
その通り、最初のフレンズ先行予約発売時のサイトのトラブルによって当初の購入計画が大幅に崩れたため、5日にしわ寄せが来た上に後から「これも聴いてみてぇ~」と欲を出したために、ふと気づいたら時間差ゼロが二回も。さらにル・コンセール・フランセとベルリン古楽アカデミー間も15分しかなかったのである。
かように綱渡り的鑑賞であったが、結果はBCJを曲間に退場したのと、エスカレーター走りまくったおかげであとはバッチリ完全聞けましたよ(^o^)b さすがっ(←無意味な自画自賛である(・_*)\バキッ)
だけど、この日はドタバタしてて肝心の音楽への集中力はかなり落ちていた。反省です。これだったら、昼間にスタッフに「もう、チケットはないの?」と尋ねて驚いてた年輩のおとーさんに、せめてBCJのチケットをあげれば良かった_| ̄|○

ごめんなさい、バッハ先生、こんなことはもうやりません 許して~(>O<)

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その他
○途中で雨が降ってきた。全部聞き終わった頃には結構な降りだった。中庭からは人が消えてみんな地下の展示ホールへ--。くやしかったのは屋台をやってた人たちか。「おのれ~、あと6時間、いや3時間ずれてくれれば(~_~メ)」と思ったに違いない。それまでは行列が出来るほどだったのに閑散としていた。

○松屋でやってるゾーヴァ展に行きたかったが、体力の限界で断念。どのみち激混み状態だろうし。

↑雨の降り始めの頃。この時はまだよかった。

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2009年5月 5日 (火)

ラ・フォル・ジュルネ バッハ祭り記録2日目

会場:東京国際フォーラム
2009年5月4日

この日は2公演のみ。なぜかというと、F・フェルナンデスのソナタ演奏が取れると最後まで希望をかけてその時間帯を開けといたのと、マレ・サンフォニーが中止になってしまったんで、チケットをキャンセルしたからである。

*ベルリン古楽アカデミー
曲目:管弦楽曲組曲1&3
一番、聞きたかった公演なんだけど、割とアッサリと通り過ぎていった感じ。事前に期待し過ぎたかしらん(+_+) ただ、第1番の方ではいかにもこのグループらしい過激なノリの部分もあった。
第3番のおなじみエアは静かとか優雅というよりは「コソ泥が忍び足で歩いている」ようなイメージであった(^-^; これも彼ららしい?
あれだけの人数で指揮者ナシとは珍しい。録音でソロを取ってたミドリ・ザイラーはいないのね。それにしても、配布のペラ紙にメンバー表が載ってなかったのは不満であ~る
あと、ヴァイオリンがアゴ当て付きとアゴ当て無しが混在しているのにもちょっと驚いた。どういうことでしょ(?_?)

*ラ・ヴェネクシアーナ(ラ・ヴェネシアーナ)
曲目:ブクステフーデ「われらがイエスの御体」
いよっ今期最大の聴きどころ来たる!
にもかかわらず、ホールA公演以外では最後の最後までチケットが売れ残っていたのはなぜだっ 確かに、作曲家も演奏者も一般にはポピュラーではないけどね(x_x) こりゃあんまりよ。
宗教曲なのにブラボー飛びまくり……いいんでしょうか(?_?; スタンディング・オベイションも多数。そしたら、さらに驚いたことにアンコールでラストのアーメン・コーラスをやってくれたのであった
つのだ&波多野さん一行も来てましたな。

この公演の詳しい感想は別記事にしました。

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その他のどーでもいいこと
○そもそもこのフォーラム全体、どうも人間が快適に過ごしたり移動したりすることを考慮されてないようだ。都民の税金で建てたんだっけ? ま、都民じゃないからいいけどさ。
○二日目はかなりグッズが売り切れてた。しまった~、一日目に買えばよかった(~o~)

←唯一の戦利品。しかし、なんでバッハでチェロなんざんしょ? バッハ先生といったら、鍵盤かせめてヴァイオリン、さもなくば少年合唱隊との乱闘場面を使って欲しい。

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2009年5月 4日 (月)

ラ・フォル・ジュルネ バッハ祭り記録1日目

会場:東京国際フォーラム
2009年5月3日

あまり日が経ってしまうと記憶も薄れてしまうので、素早く簡単に記録しておきたいと思います。

*ストラディヴァリア
曲目:ブランデンブルク3&4、カンタータ18のシンフォニア
リーダーのダニエル・キュイエ(ヴァイオリン)は白髪のオジーサンという外見で、チェンバロのJ・キュイエ(奥さん?)と共に古楽第一世代のようだ。一パート一人の堅実な演奏である。
前の方の真ん中の席だったんで、キュイエが楽譜をめくりそこねてあわててる様子もばっちり見えた(^.^;)
シンフォニアはリコーダー+ヴィオラ+チェロという珍しい組合わせで、曲自体も通向けな渋いものだった。お祭りでこんなん渋いのやってエエんですか(^^?と聞きたくなるぐらい。
チェロの一人の東洋人がどっかで見たことがあるなあと思ったら、BCJでもおなじみの山本氏であったよ

*フィリップ・ピエルロ&リチェルカール・コンソート
曲目:ミサ曲ト短調、マニフィカト
後半のマニフィカトがトランペットやティンパニも入って華やかでよかった。5人の声楽ソリストたちも安定した歌を聞かせてくれた(合唱部分も担当)。
チェロはBCJやフォス・ムジケ公演でもおなじみツィパーリンク氏で、やはりバッハには質実剛健なチェロが欠かせないのを実感した。フルートの一人はM・アンタイ、オーボエもクイケンやヘレヴェッヘと共に来日してた人ですな。
全体的に満足感を味わえた公演であった。

*ファビオ・ビオンディ&エウローパ・ガランテ
曲目:ヴィヴァルディ+パーセル+コレッリ
この日は午前中にもステージがあったようだが、こちらは夜の部である。久し振りに見たビオンディは頭が白くなってて、恰幅もさらに良くなっていた。
前半は押さえ気味だったが、後半の「ラ・ストラヴァガンツァ」の曲からブイブイと飛ばしてスゴイことに……ヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝ 鈴木(兄)雅明と並ぶ「暴奏族」の名称を与えるにふさわしい演奏家であることが判明だいっ
コレッリが終わると、客席は(若い人が多いせいか)ブラボーが飛び交い立ち上がって拍手する人も多数。まさに「熱狂の日」にピッタリの演奏だった。おまけに時間超過してアンコール(テレマン)を2曲もやったのも意外よ。
女の人が花束渡そうとして、ビオンディが手を伸ばした時に係員が静止しようとしたら、会場が「ブー」の嵐になったのにも笑ってしまった。

他にはテオルボの人(達磨さんみたいな外見)もよかった。でも、ビオンディが一曲終わるごとに、他の演者と握手して回るのはナゼだっ(?_?)
パーセルの曲の解釈には賛否ありそうだが、少なくとも彼が恐ろしいエネルギーを持った演奏者であることは間違いないだろう。
もう今日は、ビオンディあんたが大将 \(^o^)/で結論かとてっきり思っていたのだが……。

*ラ・レヴーズ
曲目:ラインケン「音楽の園」1番&4番、ブクステフーデのソナタ
フランスより、テオルボのB・ペローとガンバのB・ボルトンが結成したという6人組。チェンバロはストラディヴァリアのキュイエの息子さんか?
バッハの先輩筋のラインケンとブクステフーデという、極めて地味~な演目。近江楽堂あたりで日本の演奏家がやるならともかく、来日公演では滅多にないだろう。
ブクステフーデはともかく、ラインケンは恐らく生で聴くのは初めてである(パーセル・カルテットのCDでさんざん愛聴してたが)。
おフランス宮廷音楽の甘美さがほのかにドイツ風の簡潔なストレートさに混じった曲調で、またそれを何のてらいもなく着実に演奏する。直前に聴いたエウローパ・ガランテとは全く正反対である。
特に後半の第4番で、特にオルガンだけをバックにヴァイオリン独奏した部分、そして続いてガンバがテオルボと共にそれを繰り返す部分は、なんというか--非常に心を打つものがあった。
彼らがビオンディのように弾くことはできないが、ビオンディもまた彼らのように弾くことはできないだろう。
ちょっぴり涙目になってしまいました(;_;) これを聴くことができてヨカッタ。つくづくそう思った。
……というわけで、結論は「ラインケン先生ばんざい」であった。

Aホール公演以外で唯一売れ残っているのがラ・ヴェネクシアーナのブクステフーデなのはなぜだっ 古楽ファン・声楽ファンなら絶対買いですよ。まだ間に合うぞっと。


その他のどーでもいいこと
○客は全体的に静かなのにビックリ。子どもの声も一、二回聞こえてきたぐらい。いや~、こりゃ普段のコンサートより静かなほどだ。分厚いチラシやパンフがないせいですかね。
○B棟の女子トイレ少な過ぎ。いくら本来は展示場用のスペースってもさ。毎度行列だった。新しめの公共施設ならもうちょっと広いもんだが。
○中庭はもはやビヤガーデン状態 お前ら演奏を聴きに来たのか飲みに来たのかと小一時間問い詰めても、まだ飲み続けている。
○古楽器を使っている公演には楽器の解説も加えた方がよかったのでは? 某掲示板ではテオルボをガンバと勘違いしている人もいたようで。
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←夕方6時。まだまだ続きます。左側はグッズ売り場とレジ待ちの列。

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2009年5月 2日 (土)

「ミサ イン・イッロ・テンポレ」:久方振りにコーフンす

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声楽アンサンブル「ラ・フォンテヴェルデ」第9回定期演奏会
会場:日本福音ルーテル東京教会
2009年4月28日

鈴木(弟ヨメ)美登里がリーダーのアンサンブルによるモンテヴェルディ・プログラムである。前半は「第二の作法」なる新しい様式で作曲された宗教曲の小品で「倫理的宗教的な森」などから。
後半はルネサンス以来の古い様式で書かれた6声のミサ曲だ。
鈴木女史が書いた解説に、当時モンテヴェルディが「第二の作法」を批判されたという有名なエピソードが出てくるが、その頃もやっぱり口うるさい批評家やクラヲタがいたのかねえ。時と所が変っても同じということか(^レ^;)

メンツは星川美保子、上杉清仁、櫻田亮、谷口洋介、浦野智行、小笠原美敬に鍵盤が上尾直毅、というお馴染みの面々である。男性は全員揃って上着の下に黒シャツを着ていた。

前半は二重唱、独唱など様々な編成で歌われた。特に「めでたし元后」の第1曲め櫻田氏のテノール独唱は「いよっ千両役者」ならぬ「千両歌手 \(^o^)/」と声をかけたくなるほどにお見事であった
続いて第2曲目のソプラノ二重唱は曲の途中で休止する部分が、あたかも教会の長いエコー効果を計算して作曲したかのような印象だった。もっと大きな聖堂だったら効果満点だったかも。

「十字架にかけられ」は男声4人によるオルガンも入らない完全無伴奏の曲。これまたお見事なアンサンブルだった。
ここら辺は本当に久し振りにエキサイティングな演奏を聴かせてもらった。思わずドキドキしてしまいました(;^_^A
前半は全員での「私は主に感謝します」という大変に技巧的な印象の曲で終わった。

さて、後半はゴンベールのモテットを元にしたというミサ曲。こちらはキレイ過ぎなところがちと先行して、あまり引きつけられるところがなかったのが残念無念である。
途中で、長いクレドの前後に上尾氏のオルガン独奏が2曲入った。特にフレスコバルディが聞き応えがあった。

会場は満員御礼で、しかもやたらとオバサマが多かった(個々の歌手のファンか?)。後ろにパイプ椅子が並べられ、さらに立ち見も出たもよう。
しかし、ギュウ詰めに座ってる場所は長椅子に5人座ってたのに、私が座ってた椅子は3人しかいなかった。こういうのはスタッフがちゃんと会場見て回って仕切らないとダメなんじゃないかね
でも、このメンツだったらハクジュ・ホールあたりでやっても充分客が入ると思うけど……(?_?;

思えば、往年の小劇場の仕切りは強力だった。「はい、皆さん一斉に右に一つズレてください。せぇ~の!じゃ次は一つ前に」なんて、もうこれ以上は身動きできねえ~というぐらい。まあ、観客が若いから出来たことか。

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聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 5月版

*7日(木)「フランソワ・フェルナンデス&原田陽」(ルーテル市ヶ谷センター)
--LFJでチケット取れなかったんで雪辱戦であ~る。

*10日(日)「ドーヴァー海峡の向こう側 2」(武蔵野スイングホール)
守安功&平井み帆

*15日(金)「G・F・ヘンデルの室内楽作品」(日本福音ルーテル東京教会)
秋葉美佳、菅きよみほか--当日券で行くか。


*22日(金)「バロック音楽の楽しみ」(大久保淀橋教会)
花岡組--これも当日券モードか。

*23日(土)MUSEカフェ・コンセール(所沢ミューズ)
有田正広ほか

他に
24日に「前田りり子リサイタル」(ロベール・コーネン参加)もあるが、連チャンになっちゃうのでね……(^-^;

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2009年5月 1日 (金)

「いのちの戦場 アルジェリア1959」:戦場に大義と理想を求むるは、八百屋で魚を求むるがごとし

090501
監督:フローラン・シリ
出演:ブノワ・マジメル
フランス2007年

ずーっと見るかどうか迷っていた揚げ句に、公開終了直前に駆け込み鑑賞した作品。なんで迷っていたかというと、主演のB・マジメルが原案に加わっているとなると、下手すると彼の「オレ様映画」になっている可能性が高くて、もしそうだったら鼻持ちならないかも--なんて予想してしまったのだ。

しかし、実際に見てみたら違ってました<(_ _)>スマヌ

舞台は1959年、アルジェリア内戦--といっても実際はフランスとの植民地戦争だったわけだが、そのど真ん中に若い中尉が赴任してくる。
という話は過去の戦争映画にも結構あった設定。若くて生っ白いエリートが実戦でもまれて変貌という話である。さて、それをどのように描いているかというと……。

敵もひどけりゃ味方もヒドイ。舞台は乾燥した山間部で、ゲリラ側はその間を出没する。仏軍は怪しい村人を捕らえて容赦なく拷問にかける。敵の部隊を発見してナパーム弾で攻撃。映画でナパーム弾を使用した場面は初めて見たが、その結果は恐ろしい(>O<) それも容赦なく映像として映し出している。さらには女子供がいようとおかまいなく一つの村を掃討。
と思えばゲリラの方も、裏切ったとおぼしき村人たちを虐殺し、敵兵の死体を陵辱する。こちらも容赦ない。
双方とも残酷極まりなく人道のジの字もない、まさに仁義なき戦いとはこのことだろう。

しかも、仏軍の中にもアルジェリア人がいたり、今はゲリラでも過去に第二次大戦中に仏軍として共に戦った者もいる。そこら辺で敵意と共感が双方に入り交じり、さらに事情を複雑にしているのだった。
かように描写はグロ度がかなり高いが、戦闘場面は昨今の戦争物と違ってCGを多用せず、オーソドックスな作りで迫力があった この点では文句な~し。

ほとんどの舞台は前線ではあるものの、中尉が休暇で帰国した時に見たニュース映画にこの戦争の背景がさり気なく語られている。そして、それは同時に現在のイラク問題を連想させるものでもある。

さて、終盤になって初めてこの映画が若い中尉ではなく、老練なベテラン軍曹の目から見た物語であることが判明する。中尉は結末によってかろうじて最低最悪の殺戮者となるのを避けられたのだろうか? そこらあたりは正直言って何とも判断つけ難い。いずれにしても、やるせない気持ちになることだけは確かだ。

フランスがアルジェリア「内戦」をようやく「戦争」と認めたのは、なんと1999年だという。そう言えば、M・ハネケの『隠された記憶』もこの戦争を背景としたものだった。まさしく隠蔽された歴史に違いなし とすれば、こんな題材を扱うのはとんだ「非国民」映画だろう。
もちろん、ひねくれ者としては非国民バンザイ \(^o^)/である。

映画館内はマジメルファンとおぼしき若い女性客と、戦争映画ファンらしきヲタク系男性に二分されていた。邦題は女性客を意識した? それにしては、なんだかどっちつかずのパッとしない印象だが。
実は『ワルキューレ』と『ウォッチメン』とこの映画を、ほとんど数日のあいだに立て続けに観たのであった。さすがに、ウツになってしまったですよ……(x_x)


ただ、この映画の中で私がもっとも衝撃を受けたのは、全くテーマと関係なく兵士たちが整列する時に「前ならえ!」と号令をかけられた場面であった。
「前ならえ」……今でも小学校ではやっているのだろうか(?_?; 私が子供の頃、この号令でいつも整列したものだった。だが、ヨーロッパの軍隊で使用されていたとは知らなかった(しかも、ほぼ同時期に)。これこそ「学校」と「軍隊」が通底する本質を持っていることをあからさまにした一瞬であった。


主観点:8点
客観点:8点

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