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2009年5月 1日 (金)

「いのちの戦場 アルジェリア1959」:戦場に大義と理想を求むるは、八百屋で魚を求むるがごとし

090501
監督:フローラン・シリ
出演:ブノワ・マジメル
フランス2007年

ずーっと見るかどうか迷っていた揚げ句に、公開終了直前に駆け込み鑑賞した作品。なんで迷っていたかというと、主演のB・マジメルが原案に加わっているとなると、下手すると彼の「オレ様映画」になっている可能性が高くて、もしそうだったら鼻持ちならないかも--なんて予想してしまったのだ。

しかし、実際に見てみたら違ってました<(_ _)>スマヌ

舞台は1959年、アルジェリア内戦--といっても実際はフランスとの植民地戦争だったわけだが、そのど真ん中に若い中尉が赴任してくる。
という話は過去の戦争映画にも結構あった設定。若くて生っ白いエリートが実戦でもまれて変貌という話である。さて、それをどのように描いているかというと……。

敵もひどけりゃ味方もヒドイ。舞台は乾燥した山間部で、ゲリラ側はその間を出没する。仏軍は怪しい村人を捕らえて容赦なく拷問にかける。敵の部隊を発見してナパーム弾で攻撃。映画でナパーム弾を使用した場面は初めて見たが、その結果は恐ろしい(>O<) それも容赦なく映像として映し出している。さらには女子供がいようとおかまいなく一つの村を掃討。
と思えばゲリラの方も、裏切ったとおぼしき村人たちを虐殺し、敵兵の死体を陵辱する。こちらも容赦ない。
双方とも残酷極まりなく人道のジの字もない、まさに仁義なき戦いとはこのことだろう。

しかも、仏軍の中にもアルジェリア人がいたり、今はゲリラでも過去に第二次大戦中に仏軍として共に戦った者もいる。そこら辺で敵意と共感が双方に入り交じり、さらに事情を複雑にしているのだった。
かように描写はグロ度がかなり高いが、戦闘場面は昨今の戦争物と違ってCGを多用せず、オーソドックスな作りで迫力があった この点では文句な~し。

ほとんどの舞台は前線ではあるものの、中尉が休暇で帰国した時に見たニュース映画にこの戦争の背景がさり気なく語られている。そして、それは同時に現在のイラク問題を連想させるものでもある。

さて、終盤になって初めてこの映画が若い中尉ではなく、老練なベテラン軍曹の目から見た物語であることが判明する。中尉は結末によってかろうじて最低最悪の殺戮者となるのを避けられたのだろうか? そこらあたりは正直言って何とも判断つけ難い。いずれにしても、やるせない気持ちになることだけは確かだ。

フランスがアルジェリア「内戦」をようやく「戦争」と認めたのは、なんと1999年だという。そう言えば、M・ハネケの『隠された記憶』もこの戦争を背景としたものだった。まさしく隠蔽された歴史に違いなし とすれば、こんな題材を扱うのはとんだ「非国民」映画だろう。
もちろん、ひねくれ者としては非国民バンザイ \(^o^)/である。

映画館内はマジメルファンとおぼしき若い女性客と、戦争映画ファンらしきヲタク系男性に二分されていた。邦題は女性客を意識した? それにしては、なんだかどっちつかずのパッとしない印象だが。
実は『ワルキューレ』と『ウォッチメン』とこの映画を、ほとんど数日のあいだに立て続けに観たのであった。さすがに、ウツになってしまったですよ……(x_x)


ただ、この映画の中で私がもっとも衝撃を受けたのは、全くテーマと関係なく兵士たちが整列する時に「前ならえ!」と号令をかけられた場面であった。
「前ならえ」……今でも小学校ではやっているのだろうか(?_?; 私が子供の頃、この号令でいつも整列したものだった。だが、ヨーロッパの軍隊で使用されていたとは知らなかった(しかも、ほぼ同時期に)。これこそ「学校」と「軍隊」が通底する本質を持っていることをあからさまにした一瞬であった。


主観点:8点
客観点:8点

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