クラウディオ・モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」:あまりの薄暗さに声はすれども「歌」は見えず
コンサート・オペラ
演出:鈴木優人&田村吾郎
管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:新国立劇場中劇場
2009年5月15・17日
コルパコワ先生「あ、ユ…ユーリこれは」
ミロノフ先生「ええ、これが私がノンナの信頼を失ってまでして得たものの結果なのです」
訳あって最近読み返したばかりの山岸凉子のバレエマンガ『アラベスク第2部』のこんな会話を、なぜか思い浮かべてしまったのであった……。
『ポッペア』は以前、二期会とBCJが組んで北とぴあでやった時に見たことがある。その時はネローネはテノールが歌ってたし、版も違っていたようだ。演出はワーグナーを意識したような「愛と悪は勝つ」という濃ゆいものだった。
今回は「コンサート・オペラ」という新形式で(まだ2回目らしい)、あくまでも演奏会方式ながらオーケストラはピットに入り、歌手は暗譜でやるということである。そこら辺の経緯については鈴木(兄)雅明がプログラムとは別にチラシを入れて説明している。ミクシィの方では、このチラシを「言い訳」とクサしている人も見かけたが、その辺りの「大人の事情」については、関係者でもないトーシロには知る由もない。
ピットに入っているのは二期会公演の時より遥かに少ない。ヴァイオリンなんか若松&高田ペアのみ。鍵盤は鈴木(息子)優人&大塚直哉、テオルボ・リュート類は今村泰典&佐藤亜紀子がそれぞれ左右に分かれて配置。リコーダー二人は向江昭雅&古橋潤一という珍しい(?)組合わせだった。
パンフには鈴木(息子)氏がヴァージナルも担当と出ていたが、実際にはなぜか鈴木(兄)氏がその前に座って指揮していて、しかも本当に弾いてたかどうかアヤシイ(^^;
始まって意外だったのは舞台の上がほとんど真っ暗だったこと、歌手は歌っている最中は全く動かず上方からのスポットライトだけで照らされている。そのため表情もハッキリしない。特に舞台の前方に出て歌う歌手は顔が暗くなってしまって、ピットに入っている奏者の方がよっぽど顔がよく見えるぐらいだ(これは大袈裟に言っているのではありませぬ)。
私のようなド近眼でメガネを使用している人間は暗くなるとガタッと視力が落ちてしまう。下手すると、歌手が歌い出すまで誰なのか判別出来ない時もあった。これには相当マイッタ 席が真ん中あたりだからオペラグラス無しでも大丈夫と考えたのだが、持ってくればよかったと後悔しきりである。しかし、第一幕1時間30分終わってから500円出してオペラグラス借りるのもシャクに障るのでガマンしたのであったよ(~ へ~)
もっとも、暗くて被害を受けたのは私だけではないようだ。そばに座っていた女の人は第一幕の大半を眠気虫に取っ付かれていた。第二幕以降は少し明るくなったのでよかったようだが……。全く罪作りな演出であるなあ(^O^メ)
そのように舞台が暗かったのは背後の壁に歌手の位置に合わせて特殊な字幕を投影していたためのようで、さらにこの字幕は人物の心情にリンクして字体が変ったりフェイドアウトしたりする。二重唱の時は両者のかけ合いが良く理解できて、そこん所はヨカッタ。ただしそれは正面から見た場合であって、両脇の方の座席だと(当然ながら)位置がズレて見えたらしい。
とはいえ、あくまで演奏会形式ということもあってか人物の解釈は全くひねりのないストレートなものだった。R・ニコルズの清澄なソプラノによるネローネは、自分の心地よいことだけ聞き自分の気に入った人間だけを信じるというワンマン・タイプで、屈折した所は何もなし。
森女史のポッペアは悪女というよりは、最高の永久就職先をあくまでも追求する野心満々の若い女風だし、波多野睦美の皇后オッターヴィアは出自の良さを鼻にかける高慢なお局様みたい。D・ギヨンのオットーネ将軍は寝取られ男な上に、おまけに暗殺まで恫喝されて命じられちゃって(´・ω・`)ショボーンな感じがまさにカウンターテナーでしたわね。
山村奈緒子が突然の休場のため、松井亜紀が侍女のドゥルジッラを歌ったが、これが何も知らんオボコ娘の純粋さがにじみ出ていて代役とは思えぬ立派なものであった。この調子だったら、ポッペアの代役だってOKてなもんよ。
野々下さんが特出になったのは嬉しかったけど、最初登場した時に顔がよく見えなくて(暗くて遠いんで)「どれが野々下さんかしらん」とキョロキョロしてしまったのは内緒であ~る(火暴)
波多野さんは最初に登場した時から全開モードなのにはビックリした。しかも悪妻一直線なんでコワいほどだ。ラストのローマに別れを告げる歌はこちらの公演でも聴いて大感動したので大いに期待していたのに、あのような微妙なニュアンスの表現はなくってガックリ感は否めない。まあ、会場の規模が違うんでそもそも唱法からして変えているんだろうけど……。
会場といえば、中劇場って演劇専門のホールではなかったっけ?--というか、私は芝居でしか来たことはないのだが。そういう会場で古楽器がピットに入ってしまうとかなり音量的に不満なのだった。もしかして拡声システム使ってたかも知れないが、収録用のマイクとコードが入り乱れていたので確認出来ず。
それでも、今村センセの甘~いテオルボが聴けてそこんとこだけは満足よ。それと福沢宏も縁の下の力持ち的に活躍していたもよう。
休憩中にはつのだ氏や関根女史の姿も見かけた。
あと会場がずっと暑くて、上着を脱がずにはいられなかった。ただし、上の階にいた人の感想を読んだら寒かったと書いてあった(-o-;) まだ新しいホールなのに空調設備大丈夫か?
最後に全体的な感想を書いとこう。
私がナマの演奏を聴きに出かけて行くのは、歌手や奏者の身体や楽器から立ちのぼるある種のエナジーのようなものを感じ取りたいからである。それは芝居でも同様で、役者の発するあの生々しいエナジーは録画で見るとほとんど消失してしまっている。実際に芝居を観た後にNHKあたりで同じものを放送されているのを見ると、そのあまりの違いに愕然とする。まるで干からびた乾物を食っているようなものだ。
今回の『ポッペア』はそのようなナマの醍醐味を削り取っていくような方向の演出だった。薄暗い中、歌手は立ち位置を動かず身振りもほとんど付けない(オットーネが剣を振り上げるというようなしぐさもなかった)。全て歌手の放つ身体のエナジーをそぎ落とし、窮屈な箱に閉じ込めているような印象だった。それと同時に聴いているこちらまで窮屈な気分になってくる。
そこまで歌手の動きを制限した代償が、斜めに傾いた字幕やらボヤボヤと現われては消える霞のような字幕だけだというのでは、あまりにもあんまりである(T^T) 一番おいしいメインディッシュの抜けたコース料理のよう。全額とは言わんが三分の一ぐらい金返して欲しい。
人物が感情をあらわにする場面では字幕も強調された形で出現するが、そんなことは歌手の歌を聴いていれば全てはそこに表現されているではないか! それ以上何が必要だというのか。言わずもがなのことを付け加えてどうだというのだろう。どうせ新しい試みをするんだったら、もっと違った形でもっと先鋭的なものにして欲しい。
いや、それともあんな状態でちゃんと表現をした歌手の功績を称えるべきだろうか。
最初に引用した『アラベスク』の場面ではコルパコワ先生を愕然とさせ、ミロノフ先生を嘆かせた踊りがどんなものであったのか、作者は直接描写していない。読者にはそこで一体何が起こったのか分からない。全くの空白状態となる。
それと同様に、私も今回の『ポッペア』で一体何を見て何を聴いたのかよく覚えていないのだ……。
【関連リンク】
《ペラゴロのオペラ日記》
改行ナシの怒濤の感想であります。「ペラゴロ」というのは初めて耳にしました。「クラヲタ」と似て非なるものでしょうか? コワイよーん。
《ちゃむのバレエとオペラ観劇日記》
演出に関して。
《脱水少女》
評価は逆だが、納得できる意見です。
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コメント
モンテヴェルディのこのオペラ、NHK大河ドラマ一年分くらいに匹敵する濃い内容の音楽ドラマだから、人物の性格描写をはっきりさせたどろどろの演出でないと、全然、観ていて面白くないものにならないでしょうね。資金不足でコンサート形式上演にせざるを得ないなら、その覚悟で聴きに行くけど、どうもこれはコンセプトが中途半端だったようで、残念です。視覚的に面白みのないプロだったら、お金払い戻してもらいたくなくなりますよね、家でCD聴いてるほうがかえってイマジネーションが広がるかもしれないから。
やっぱりバロックオペラは、ケレンミたっぷり、考え抜いて絢爛豪華な演出が私は好きです。清廉潔癖を旗印とするBCJには、その辺がクリアできないのかも。
投稿: レイネ | 2009年5月24日 (日) 03時56分
えー(^^;)誤解なきよう書いておきますが、この公演でケナしている意見を書いているのは私ぐらいのなもので、他の人はほとんどホメております。中には「新国でここ数年にやったオペラでは最高の出来」とか「コンサート形式でこれだけできるのならもはや余計な演出はいらない」というのもあったほどです。
恐らく、私が舞台に求めるものが他の人とは違うのではないかと思います。
正直言って、音楽的には歌手も演奏も全く文句はないものでした。ただ、字幕読みに行ったのか音楽聴きに行ったのか分からなくなってしまったような所がありまして……(^^ゞ
事前に演出やスタッフに映像系現代アートをやってる人たちが参加しているというのを聞いてたので、往年のパフォーマンス・グループのダムタイプみたいなスゴいものが見られるのかと、期待してしまったのもいけなかったのでしょう。
いや、マジにモンテヴェルディ+BCJ+最新テクノロジー・アートでダムタイプ並みのものが可能だと信じておりますよ
ただ、そもそも芸術監督がどうして中途半端なコンサート形式で『ポッペア』をできると考えて依頼してきたのか、そちらの方が疑問です(?_?; だって、歌舞伎を素の舞台で朗読してくれと言うのと同じようなもんでしょう。
投稿: さわやか革命 | 2009年5月24日 (日) 13時18分
これは是非とも実際に観て感想を述べたかったのですが、今回は残念ながら適いませんでした。
若杉芸術監督は以前、「ポッペーア」をコクーンシアターで、歌舞伎風の演出(市川右近でしたか)により上演しています。二十絃筝を入れた、和風だけれどもモダン楽器による三木稔の編曲で、演奏はイマイチでしたが、演出は絢爛豪華で素晴らしいものでした。中劇場でのコンサート・オペラ形式は単なる集客の問題で、それでもやらないよりはマシと云う判断だと思います。
又、若杉さんは二期会でのR.シュトラウスの「ダフネ」の演出に、大島早紀子を起用していて、これは白河直子とh・アール・カオスのダンスが見事でした。若杉さんって何でも知ってる人ですから、ダム・タイプでもビル・ヴィオラでも、資金さえあれば起用する人だと思います。これは単なる憶測ですが、今回は鈴木父子のセンスの問題じゃないでしょうかねぇ…。
投稿: Pilgrim | 2009年5月24日 (日) 19時13分
再びミクシィなど再検索してみましたが、ケナしているのはやはり私だけのようです。
世評としては「大成功」の部類に入っているのですから、鈴木兄&息子の株はおおいに上がったと考えてよいでしょう。
|それでもやらないよりはマシと云う判断だと思います。
しかし、よりによってモンテヴェルディでそれをやるか~という気がします。
残念なのはかつてのパーセル・カルテットによる公演を見逃したこと。あの頃はまだバロック・オペラとか興味なかったんですよねえ
投稿: さわやか革命 | 2009年5月25日 (月) 20時01分