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2009年6月29日 (月)

「沈黙を破る」:道徳的にして怪物的

090629
監督:土井敏邦
日本2009年

パレスチナ紛争を扱ったドキュメンタリー。シリーズ化して作られていて、これが第四部とのことだが、以前の作品はみていない。

他の同じ題材のドキュメンタリーと違うのは、これがパレスチナ人と同じ頃に難民キャンプにいたイスラエル軍元兵士たちの双方に取材していることである。
そもそも「沈黙を破る」というのは元兵士たちによるグループであり、自分たちが行った加害行為を告白しイスラエル社会に現実を訴えることを目的としている。

ハイティーンの、それこそ二、三か月前までゲームセンターで戦争ゲームをやっていたような年齢の若者が難民キャンプの警護にや検問に送り出される。戦闘訓練を受けた若い兵士たちが、戦闘地域でもない場所に送りこまれて、自分の祖父母のような年齢のパレスチナ人に威圧的な命令を下す権限を持たされる。
その矛盾から引き起こされる残虐行為--取材された元兵士たちはこれは「イスラエルの病気」である、と断言していた。

中でも印象だったのは「自分はイスラエルの、そして母親(家族)の「拳」として使われたのだ」という若者の発言だった。そこには相当な怒りが内向して秘められているようであった。
また、子供の時に学校で「イスラエルの軍隊は世界一道徳的な軍隊だ」と教えられたが、それが真っ赤なウソであった、とも。

彼らのインタヴューを聞いていて、米国でイラクに派遣された元兵士たちの証言を思い出した。彼らもまた同様に自らのことを「怪物」と呼んでいたからである。
これは別にイスラエル~パレスチナ間の問題ではなく、近代的軍隊を持つ国家全てに共通する「病気」であるかも知れない。
そういう意味でこのドキュメンタリーは普遍的な問題を提出しているようであり、日本に全く無関係なものではないのだ。
もっとも、「沈黙を破る」グループが開いた写真展の場面では軍服を着た現役の兵士たちも見に来ていて、なんとライフルを抱えているのだった(市内パトロール中?)。日本では絶対あり得ない光景だろう。そういう点では彼の国との違いをヒシと感じた。

また、爆撃された難民キャンプで、完全な瓦礫と化した自分の家を掘り起こしてなんとかトラの子の貯金(三百万円ぐらい)を探し出そうとするパレスチナ人のおとーさんが登場する。
彼は数年後(結局、金は見つからなかった)に再び取材されて、「全てを忘れるしかない、でなければ前に進んでいくことができないから」と答えていた。
一方、過去のトラウマに悩むイスラエルの元兵士たちは「忘れることは難しい」と語る。一見、対照的な発言ではあるが双方共に同じことを話しているように思えたのは私だけだろうか?

それにしても「道徳的な軍隊」とは……なんと矛盾した概念だろうか。しかし、国家はそれが可能だと前提しているのだ。

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