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2009年8月

2009年8月30日 (日)

鴻池朋子展「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」:夏休みの自由研究・地底旅行に行ったよ

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会場:東京オペラシティアートギャラリー
2009年7月18日~9月27日

8月×日、きょう自由研究の宿だいに行きました。一人では行けないので、ヒマな学生のおねえちゃんにつれてってもらいました。
入口のせつめいを読むとおねーちゃんは「ふむふむ、地球の中心まで行くってことは心の闇の奥を探るってことかしらねえ」と言いました。心のやみってなんですか?むずかしくてよく分かりません。

入ってすぐの所にこわい目が書いてあるからかみがありました。ぼくは前におばあちゃんちのからかみにあなを開けてしまったことがあります。もしこんなこわい目が書いてあったら、とってもあなは開けれなかったでしょう。
その向こうにミミオのお話がならんでいました。うずまきみたいにならんでいる絵をじゅんばんに見ていくのです。ぼくはミミオといっしょに世界が始まるのと終わるのを見ました。それからミミオのアニメもありました。

次の部屋に行って「下部マントル」という所へ下りると、ユリの花のいいにおいがして赤いかべに大きくて色のとりどりの絵がかざってあります。
そして、次にはまたからかみが出てきました。さっきのヤツよりももっと広くてたくさんならんでいます。それから、もっともっとこわい絵が書いてありました。ガイコツとか、人間の足のはえたオオカミです。こんな絵のからかみの部屋ではぜったいにねむれないと思います。

もっと地ていへ進んでいくと、またミミオの絵と同じにえんぴつで書いた絵がならんでいました。大きな本に書いてある絵もありました。
ななめのてんじょうにへんな絵がある所では、見る人がかげを作って遊べるようになっていました。ぼくとおねえちゃんもへんてこなかげを二人でいっぱい作って遊びました。

とうとう、地球の中心にとうちゃくしました。すると、そこには大きな赤んぼうの頭があってピカピカ光っていて、部屋全部がグルグル回っていたのです!スゴイです。
ぼくは思わず「うわあ」と大きな声を出してしまいました。おねえちゃんは手すりにしがみついて「ギャーッ、目が回るゲゲェ」とさけんでいました。
ぼくは、前にもおねえちゃんにつれていってもらった高いビルのてっぺんで見た、女の人が作った大きな部屋をちょっと思い出しました。
ようやく外に出ると、今度は白くて長い毛や、オオカミの皮がぶら下がっていました。これも少しこわかったです。

これで地ていたんけんは終わりです。出口のところに図書館があったのでそこで絵本を見ました。
こわくてドキドキして楽しかったです。
これを作ったこうのいけという人は、オオカミと顔のないミミオとナイフとハチやチョウがすごく気に入っているようで、何回も何回も出てきます。でも、そういうのが気に入らない人は見ても楽しく思えないかもなあと感じました。

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おねえちゃんが「二階もタダで見られるんだから」と言うので、もっと絵を見に上にのぼりました。
そこの絵はここの美じゅつ館が持っている絵だそうです。でももともとは一人の人が集めたんだそうです。お金もかかるのにすごいなあと思いました。
その先には「山下美幸」というわかい人の絵がありました。はじめの方にならんでる絵はデローンとしてきもちよいむかし話の世界を書いているように見えましたが、後の方の絵はなんだか暗くてわけがわからなくなっていました。
「こ、これはマックス・エルンストみたいに不吉に輝いてるわ」とおねえちゃんが言いました。エルンストってどういう人か知りません。その人もきっとこわくてへんな絵を書くのかなあ。

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帰りは出口の外のお店に行きました。ミミオのぬいぐるみがあって、おねえちゃんは「キャー、ミミオかわゆくて健気なヤツ、よしよし」とナデナデしましたが、「なにっ、一万二千円だって(-o-;) 冗談じゃないわよ」とねふだを見て何もなかったふりをしました。ぼくもほしかったけど代わりにピンバッジでガマンしました。お年玉をためていつか買いたいと思います。

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←友だちはいないのかなあ。


【先生から】
よく地ていからもどれましたね。ときどき向こうへ行ったままもどれなくなる人もいるそうですよ。
ミミオのぬいぐるみを買ったら、先生にもナデナデさせてくださいね(^^)

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2009年8月29日 (土)

「エリザベート・クロード・ジャケ・ド・ラ・ゲール」:気分(だけ)は王宮サロン風

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演奏:小林木綿ほか
会場:近江楽堂
2009年8月23日

ジャケ・ド・ラ・ゲールと言いますと、ルイ14世に寵愛されたという、その頃には珍しい女性音楽家として伝えられております。
……な~んて偉そうなことを言ってしまいましたけど、わたくし実演では聴いたことはこれまでありません。名前を知ったのだって、今は昔のNHK-FM「朝のバロック」(懐かしいですこと)で一曲だけかかったのを耳にした時ですもの。それ以後も聴いたことはないというほどです。
ですから、こんな珍しい演目を聞き逃す手はないと近江楽堂まで足を運びました。

そんな内容にも関らず、近江楽堂は中高年女性を中心に結構客が入っておりました。恐るべしオバサン・パワーですわねっ
編成はチェンバロを中心にガンバ、ヴァイオリン、それにソプラノ独唱が入るというものでした。前後半ともジャケの「クラブサン曲集」から組曲の独奏(及川れいね)で開始しするという趣向です。
他には器楽アンサンブルでソナタを、また途中に一曲だけマレの「ヴィオール曲集」の演奏(坪田一子)も入りましたのよ。

そして小林木綿のソプラノが入って、聖書やギリシア神話の女性に題材を取ったカンタータが2曲披露されましたの。いずれも明晰で勇壮な曲 歌詞の内容もそんな印象でしたわね。

ジャケ・ド・ラ・ゲールの作風は簡単に言うと、クープランから鬱屈と倦怠を抜いたような--と形容してよろしいかしら。当時はきっとその明晰さと華やかさが王宮サロンで人気だったと想像できます。でも、それがどうして同時代の作曲家と違ってその後忘れられてしまったのかは謎ですわねえ
その原因については、歴史上の女性芸術家についてのフェミニズム本でも読んで研究することにいたしましょう。

四人の演奏者の中でも特に及川れいねさんとヴァイオリンの小林瑞葉はとてもお若い感じがしました。日本の古楽界もこういう若い方々がいらっしゃるなら今後も安泰ですわね~。ひねくれ者のオバハンも安心いたしましてよホッ

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2009年8月28日 (金)

「ボルト」(字幕版):犬派、猫派、ヲタク派までオッケー

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監督:バイロン・ハワード、クリス・ウィリアムズ
声の出演:ジョン・トラヴォルタ

ここしばらくの間に観た感動系の映画に片端からケチをつけていた私ではありますが、正直に言おう!
感動しちゃった(≧▽≦)キャー

も一つ正直に言えばディズニー印のアニメなんて映画館で見たのなんて××年ぶり--というか、もしかして初めてか?
そんな私σ(^_^;)がどうして見に行ったかというと、ピクサーのJ・ラセターが製作総指揮に入った第一作めということであり、また他の常連さんのブログを見ても評判がよかったからだ。

主人公はSFアクション物のTVドラマでスーパードッグとして活躍するワン公ボルト。子犬の頃から自分が本当に超犬だと信じ込まされて育てられているのだ。それが、現実世界にひょんなことから出る羽目になって、自分が普通の犬であることを知る。
と、なると思い出すのはピクサーの『トイ・ストーリー』のバズである。彼も自分が飛べると信じてたんだよね(~_~;)

これだけだと、犬派の方々は歓迎しても猫派は「関係ねえや」とそっぽを向きそうだが、そこは抜かりなし。ちゃんと世をすねたような達観した猫のミトンズ姐さんが登場する。それからブヨーンと太ったヲタクのハムスターも
で、この3人……ぢゃなかった3匹の珍道中が始まるのであった。

過去にあるようなネタを使用しているが、うまく話を作り上げている。涙あり、笑いあり、そして最後は自己回復して、ちゃんと白けることなく感動させてくれるのだから大したモンである。
私が見たのは字幕版(3Dはなし)だったんで、場内は小さなお子ちゃまはほとんど見当たらず、大きなお友だち多数だった。しかし、隣の席のガタイのいいにーちゃんは体を揺らして笑ってたし、反対側の女の子二人連れはラストで泣いていた。

いやー、久し振りに映画で素直に楽しませてもらいました(^o^)

ドラマ内の悪役の首領役の声はM・マクダウェルと豪華。で、ディレクター役はジェームズ・リプトン--って、あのアクターズ・スタジオの人ですか(?_?;
脇を固めるハト達は動きだけ見てても笑ってしまう。なんかミョ~にリアルなんだよね。あれは絶対、スタッフ達が制作時にハトの動きを互いに自分で実演しあって研究したと思うぞ(^J^;)

オマケとしてピクサー製の短編「メーターの東京レース」も併映。『カーズ』に登場する田舎車のメーターが、東京に行ってドリフトレースをした、というホラ話を語って聞かせるというもの。変なトーキョーが派手に登場する。バックに流れる歌が、タモリの得意芸である「外国人が日本語を聞くとどのように聞こえるか」というヤツそのものなんで笑ってしまう。
一つだけケチをつけると、日本の警官はドーナツは食わんと思うが……。じゃあ、何を食っているかというと--えーとえーと、焼き鳥とワンカップ酒かっ(^^?(←あくまでも推測です)


犬度:8点
猫度:7点

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2009年8月26日 (水)

結城座「乱歩・白昼夢」:新しい時代はいったいどんな恐ろしい生きにくい時代であろうか?

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作・演出:斎藤憐
美術:宇野亜喜良
会場:東京芸術劇場
2009年8月19日~23日

創立375周年を迎える結城座の新作は、なんと江戸川乱歩だ~……ということで、事前に行われた展示会にも行ってきたし、準備万端。
糸あやつり人形と写し絵を組合わせた公演は、既に宮澤賢治の『注文の多い料理店』でもやっている。
その昔、乱歩は結城座の写し絵を見たそうで、感想を書き残しているとのことである。恐らく当時のスペクタクルな娯楽で人々はワクワクしながら見たんだだろうと思われる。

舞台は大正の浅草。木馬館の回転木馬が狂言回しとなって乱歩先生の初期短編を4つ紹介するという趣向。従って怪人二十面相は出てきません、残念
歓楽&享楽の時代と並行して日清・日露戦争→関東大震災→軍国主義へという当時の世相に作者の斎藤憐はこだわり、浅草という地にその象徴を見ているようだ。

「芋虫」は写し絵(宇野亜喜良が原画)の特徴をストレートに生かした上演で、予想よりも、エログロというよりは人間というものの悲哀を幻想味をまぜて描いたような印象だった。
一番気に入ったのは他愛のない艶笑譚のような「一人二役」。こういうバカバカしい話が結構好き。孫三郎氏は人形を二つぶら下げて二役やって、大変そうだ~(^O^)
とはいえ、人形を愛する夫に妻が嫉妬をメラメ~ラ燃やす「人でなしの恋」では、その人形の「八百屋お七」を孫三郎が実際に演じて見せたのだから、これは一番の見物に間違いなしで得した気分。そのお七の迫力には圧倒された。乱歩の登場人物が人形と心中したくなる気分も分かるかも知れない。

音楽担当は黒色すみれという二人組のユニット。知っている人は知っている、その方面では有名らしい。彼女たちの音楽は今回の舞台とよく合っていたように思う。ただ、私が個人的に好きかというと微妙であるが……。
震災の時の群集(の人形)を操るエキストラに小学生くらい(?)の男の子がまじっていて、場内の微笑を誘っていた。成長して、立派な操り手になるといいですね(^^)

私が見に行った日は満員御礼だった。やはり乱歩先生の変態精神は時代を越えて人気があるってことですかな

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2009年8月23日 (日)

「ゴーン・ベイビー・ゴーン」:小汚い街を青二才の騎士が行くのだ

監督:ベン・アフレック
出演:ケイシー・アフレック
米国2007年
※TV放映で鑑賞

役者のベン・アフレックが弟を主演に据えて監督業に進出した作品。確か、米国では興行ランクのベストテンの中ぐらいに上ったはずである。で、内容がハードボイルド・ミステリーだし、その年のベスト作品に入れてた評論家もいたぐらいなので、いつ日本で公開されるのかと待っていたのだが、結局公開されずにそのままビデオ発売になってしまったというものだった(+_+)トホホ

原作は『ミスティック・リバー』でもおなじみデニス・レヘイン(ルヘイン)のシリーズものの小説。脇役にモーガン・フリーマン、エド・ハリス、エイミー・マディガンなど錚々たる面子で、さらにエイミー・ライアンがアカデミー賞助演女優賞ノミネートされた。

ボストンは米国の中でも犯罪率が高い街だそうだ。ベン・アフレックは出身者だとかで、そういう街の小汚い所をあまさず汚~く撮っている(山の岩肌にまで落書きがしてあるのはなんなんだ(?_?;)。
少女の行方不明事件が起こり、警察の対応に業を煮やした親戚が主人公とガールフレンドのカップル探偵に捜索を頼むというのが発端である。その事件の推移はあれよあれよというもので、意外な展開に巧みに伏線が張ってあって驚かされる。一度見ただけでは全貌を理解するのは難しい。
ただ、問題は発端となった企みが「そんな複雑なことしなくてもエエんじゃないの?」と疑問に思えてしまうことだ。

それから、中心人物であるカップルの片割れのアンジーの存在がストーリー上全く関わって来ないのも問題。シリーズもののキャラクターだし、原作ではもっと活躍してるんだろうけど、この映画の中ではいてもいなくても変わりはない。せいぜい終盤の主人公の葛藤に絡んでくるくらいだ。

さらにキャスティングも微妙である。いかにもうさん臭い、昼間から酒場にたむろする住人たち、自堕落な母親(A・ライアン)、E・ハリスを初めとする善事と同じくらい悪事もやってそうな警官たち、いかにも頑固で偏屈な伯父とその妻(A・マディガン)など芸達者の中にあって、肝心の主人公カップルの存在感が薄いのは困ったもんだ。ケイシー・アフレックはそもそもが青二才キャラならば仕方ないかも知れんが、相棒のアンジー役のミシェル・モナハンはキュートな印象でどうにも裏町の事情に通じた探偵には見えん。
一方、E・ハリスのうっかり失言してしまう前後の演技はお見事としか言いようがない。普通の役者が演じたら「なんであそこでわざわざ喋っちゃうかねー」と思いかねないところだ。
それと伯父役のタイタス・ウェリヴァーもなにげに名演だった。

だが、それらの名演も覆い隠せない最大の疑問は、途中で主人公が明らかに殺人を犯しているのに本人を含めて誰も気にしていないことである。『ミスティック・リバー』も同じような状況を描いていたし、これが原作通りなら原作者の考えは到底、私には受け入れ難い。もし原作本を読んだとしても、腹を立ててただちにゴミ箱行きにしてしまうことだろう。

ま、事前の期待がちょっと大き過ぎたってことで┐(´~`)┌


卑しき街度:9点
騎士度:6点

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2009年8月22日 (土)

「湖のほとりで」:静かな湖畔の森のかげから、もう逮捕しちゃったらいかがとカッコーが鳴く

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監督:アンドレア・モライヨーリ
出演:トニ・セルヴィッロ
イタリア2007年

田舎の村の水辺で美しい娘の死体が発見!--となれば、すぐに思い浮かべるのは『ツイン・ピークス』だろう。
しかしながら、「イタリア・アカデミー賞史上最多10部門受賞」などと宣伝されているからには、極めて真面目な作品である。あの『ツイン・ピークス』のような人をおちょくったようなウサン臭さは当然ないのであった。

冒頭、小学生の少女が行方不明--すわ事件かと観客に思わせといて、別の死体発見、そして事件へとつながる手際は見事だ。
湖畔に横たわるキレイなねーちゃんは死体であっても美しくて絵になる。これがブヨブヨしたオバハンじゃあ、観客全員「見たくねえ~(>_<)」と目を背けるだろう。

その事件発覚によって、引き出される過去のトラブルそして秘密……少女が悩んでいた重要な事実をその父親が知らないことが分かった時に、やはり若い娘を持つ刑事は自分は大丈夫かと不安になったりする。
そういうモヤモヤした人間関係の中で、ほとんどの登場人物は傷つき、罪の意識を背負っていて、少女殺害の罪をかぶりたがっているようにも見えてしまう。

そして、モヤモヤしたまま遂に犯人が逮捕されるが、本当にそいつがやったのかは見ててよくわからない。
どうせだったら、唯一無罪を明確に主張している最初の容疑者を、日本警察お得意の長期拘留して虚偽自白を引き出して罪をかぶせてやればスッキリ \(^o^)/するのにと思ったぐらいだ。それぐらいに判然としないのである。

風景は極めて美しく撮られている。一方、音楽はちょっとうるさく感じた。上映時間は95分とのことだが、すご~く長く感じて先日観た『バーダー・マインホフ』(150分)と同じぐらいに感じてしまったよ(+_+)

なお、館内はシニア料金で入っているとおぼしき中高年で満員御礼(平日の昼間なのに)、確かに主人公の刑事の年齢もそのぐらいで内容的にもこの世代にピッタリなようだ。
映画もこれからは若い者向けと、シニア向けの両極端に分かれて行くのかも知れない。でも、その中間層は何を観たらいいんかね(?_?;


美しい死体度:9点
謎解き度:4点

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2009年8月17日 (月)

ステファノ・ランディ 歌劇「聖アレッシオ」:天使の膝枕

演出:バンジャマン・ラザール
出演:フィリップ・ジャルスキーほか
演奏:ウィリアム・クリスティ&レザール・フロリサン
会場:カーン劇場(フランス)
2007年10月
*TV放映にて鑑賞

バロック・オペラの超初期の作品がみなさまのNHK・BS-hiで放送された。既に輸入DVDが出ていて、こちらのブログなどで紹介されていて見たいと思っていた。日本語字幕なしでは私にはちと厳しい(^^;)ゆえ、今回の放送は高い受信料払ってるのが報われたといえる。

オリジナルの上演は1631年ローマの貴族の邸宅にて行われたとのこと。当時同様にこの公演ではカウンターテナー8名や少年合唱団を含めて全員男性によるものである。
当然、ダンサーもみな男だし、カウンターテナーなんかはヨーロッパの主な中堅及び若手をかき集めてきたのではないかと思っちゃうほど。
照明も当時そのままに大量のローソクを使用。舞台を松明持って歩いたりもするので、日本では到底上演できないだろう。ただ、あんなにローソク使ったら煙でモクモクして舞台もよく見えなくなっちゃうかと思うけど、煙の出ない製品を使っているのか、劇場の換気装置をフル稼働させているのか?

元の話は5世紀の聖人の物語だそうだ。アレッシオは婚礼の直前に花嫁を放り出して遁走、巡礼の旅へと出るが色々あって、物乞いとして父親の家の階段下に住みつく--という現代の日本人には極めてよく理解できん話である。
そこに悪魔がにぎにぎしく登場、神に対抗してアレッシオを堕落させちゃう宣言をするのであった。
アレッシオ「い、いぢめる(?_?;」
悪魔「へっへっへっ、いぢめちゃうよ~ん \(^o^)/」
--なんて直接対話があるわけではないけど。

タイトルロールのジャルスキーは歌唱は言うに及ばず、外見も「純粋な清貧の聖者」にピッタリ。これが大男だったりお肉が付き過ぎの歌手だったりするとかなり興醒めなところだ。

あとは、当人がごく間近にいるとは知らない彼の両親や妻が嘆きを繰り返したり、お笑い担当(?)である仮面をつけた従者コンビが茶々を入れたりする。お笑いコンビの一人は数か月前に来日して活躍してたダミアン・ギヨンで、こういう役も得意だったのね~などと感心した。
ただ、音楽はレチタティーヴォの応酬が基本という感じで、後世のヘンデルのような派手なアリアがあるわけでもなし、モンテヴェルディのような意表を突いた展開があるわけでもないので、やや単調な印象。うっかりすると眠気虫が出現しそうだ。
しかし、第三幕になってアレッシオが神に召された後の家族の愁嘆場はガラッと変わってかなりの見どころ聞かせどころとなる。三人の嘆きの歌がそこだけ無伴奏の重唱となるのが印象的で、やがて宗教的法悦へと誘われていくのであった。

音楽面が単調と書いたが、それを補うようにヴィジュアル面の演出はお見事 舞台装置は単純のようだが、移動したり回転させたりしてメリハリを付けている。また、DVDのジャケットにも使われている、主人公の住む階段に少年合唱団が扮した天使たちがズラッと並んでいる場面は圧巻だ。少年たちが首を傾げたり頬杖ついているだけでも、まるでボッティチェルリの宗教画の天使そのもののよう。
また、アレッシオが天使の膝枕で横たわってそのまま昇天というのはあまりにもツボにはまり過ぎ。フ女子ならずとも「萌え~(*^-^*)」となるのは必至であろう。
肝心のソロを取っていたボーイソプラノの少年が上手くないのが難であるが(^^;

衣装はやはり当時の宗教画から引用しているようで、これまた素晴らしい。「擬人化された宗教」の印象的なベールも何かの絵画で見たような……でも思い出せん。

クリスティは指揮台には上らず鍵盤を担当しながら指揮していた。当然、通奏低音担当でずっと弾いてたたんだろうからご苦労さんである。オーケストラもこれまで彼が指揮していたのよりもかなり小規模な編成だった。
演出のラザールは「バロック劇の権威」などと書かれているから、歳取ったオヤヂかと思ったら、若いんでビックリ(!o!) クリスティの息子ぐらいの世代か?

唯一の不満はカメラワークで、設置場所などの制限があっただろうから仕方ないとは思うが、舞台化粧の顔のドアップをやたら頻出されても困るのよ--(^o^; もうちょっと引きの画面で見たいと思った所も幾つかあって、アップにすりゃあいいってもんぢゃねえぞと言いたい。

ともあれ歌手を始め全てにおいて高水準な舞台が見られたということで、満足印であった。日本じゃなかなかお目にかかれないもんねえ。

【関連リンク】
《ROMAの休日》
中ぐらいの所にあるフレスコ画を参考にしたんでしょうか? 第三幕の情景に似ている。

《Programmes》
実際に現地で見た人のご報告。妻役のチェンチッチ氏は4月に来日してたんですなー。こちら方面はうといもんで全くノーチェックだった。

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2009年8月15日 (土)

「バーダー・マインホフ 理想の果てに」:革命を言うは易し、行うは難し

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監督:ウーリー・エデル
出演:マルティナ・ゲデック
ドイツ・フランス・チェコ2008年

映画ファンの間では二つの出来事で話題に上った作品である。一つはアカデミー賞の外国映画賞にノミネートされた(で、日本の『おくりびと』に負けた)こと。もう一つはつい先日、公開中に配給会社が倒産してしまったことだ。おかげで、これから上映予定だった地域はどんどん中止になっているらしい。こりゃ、大変だ~。

さて、ここしばらく「感動系」の映画に連続して突撃したもののほとんど玉砕してしまった私であったが、これはヤッタネ!(^_-)b やはりシミジミ感動系よりこういうヤツのが自分に合ってるぜい

ドイツの学生運動から出てきた過激派バーダー・マインホフ・グループというのは、名前ぐらいはさすがに聞いてるが詳しいことは知らず。この映画は彼らの起こしたこと、そして逮捕されてからの顛末を実録風に描いたものである。
あまりに基礎知識に乏しいので、こういう時の唯一手元にあるネタ本の雑誌「WAVE」の「特集・テロ」を開いてみた。刊行は1987年、なんとベルリンの壁崩壊以前だ。ページはどれも真っ黄色--というより茶色くなっているぞ(@∀@)

「学生はヴェトナム戦争に反対し、大学へ戻っていった元ナチ党員の教授の排斥を要求。アメリカ大使館への投石やデモが続いた。大衆新聞を牛耳る右翼資本シュプリンガー、保守系政治家、警察が加わった学生への挑発と「学生狩り」の嵐は、ユダヤ人迫害を髣髴とさせた。」

このような状況下で起こった、イラン国王夫妻への抗議デモに対する警察の襲撃が冒頭に描かれる。これが迫力タップリでカメラワークなどお見事としか言いようがない。思わずコーフン、じゃなかったドキドキしちゃったぜい。続く学生集会の熱狂ぶりの描写も同様である。

その後、グドルン・エンスリン&アンドレアス・バーダーのカップルが中心となった集団のテロ活動が次々と描かれていく。……のだが、一方で彼らの思想・主義・主張・背景などはほとんど語られない。同時代に起こっているヴェトナム戦争やパレスチナ問題が「動機」として引き合いに出されるけど、それ以上のものはない。
途中から左翼系ジャーナリストであったウルリケ・マインホフが加わるも、画面上からは彼女の名がグループ名に入るほどの大きな役割を担っていたようには見えないのも謎。
結局のところ、「×月○日爆破事件」「*月△日銀行襲撃」「※月◇日第1回公判」などと行為を即物的に綴っていくのに終始するのであった。
そのそっけなさが却っていさぎよく、150分という長丁場もあっという間に過ぎてしまう。

メンバーの獄中死については当時から諸説あったと記憶しているが、自殺とも当局による謀殺とも、どちらとも断定していないように描いている。
バーダーはこの映画で見る限りではモロに男権主義の固まりみたいなヤツでイヤ~ンな印象である。実際はどうだったのか。「彼にとって重要なのは、政治でも思想でもなく、大型のスピードの出る外車をぶっ飛ばすことだった。(中略)その彼を変えたのは、RAFの実質的な作戦行動指揮者を務めたグドルン・エンスリンとの出会いだった。」--らしいんだけどね。

で、今年の初めに見て、さっぱり理解できなかったエルフリーデ・イェリネクの芝居『ウルリーケ メアリー スチュアート』を、この映画を見れば少しは分かるのかと期待していたが、やっぱり理解できなかった。トホホ(x_x) なぜ、あれほどマインホフが責められなければならないのかやっぱり不明だ。

音楽については冒頭ジャニス・ジョプリンで、終わりがボブ・ディランというのはあまりにベタ過ぎ。もう少しなんとかしてくれい。

以前、小倉千加子が少子化の傾向について日独伊の旧敗戦国に共通したものがあると分析していた。過激派学生の先鋭化についてもやはりこの三国は似ているのだろうか?(細部は異なるにしても) だとすればこのような事態を生み出したのは戦後体勢の矛盾そのものだったのかね


それにしても、上映館のシネマライズは暮れから正月時期には『ファニーゲーム U.S.A.』、お盆のかきいれ時にはこの映画……と、イヤミとしか思えないラインナップなんだけど(^^;営業の方は大丈夫なんざんしょか。えっσ(^_^;)私はイヤミなのは大歓迎ですけどね。


主観点:9点
客観点:8点

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2009年8月13日 (木)

Bruce Cockburn”SLICE O LIFE”

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サイドバーの「聴かずに死ねるか」でも紹介している、カナダのベテラン・シンガーソングライター、ブルース・コバーンの二枚組新アルバムである。デビュー盤から既に40年も経っているが、弾き語り形式のソロ・ライヴを出したのは初めてのようだ(バンド形式では過去に出している)。

さすがにデビュー時からではないが、長年聴いてきた私にしてもそれほど内容に期待していたわけではない。何しろもはや64歳であるし、前作のアルバムは可もなく不可もなくの「並」状態だった。が、実際聴いてみると……

恐れ入りましたっ! <(_ _)> ペコリン

というほどの出来。すいませんすいませんと思わず謝っちゃうぐらいだ。
複数の会場で行われたライヴをつなぎ合わせたものなのだが、うまく編集されているのと客席とのノンビリした感じのやり取りが収録されているせいか、一夜の公演をそのまま収録したように聞こえる。
しかし、演奏の方は先鋭極まりない。特に二枚目の冒頭、ブルース風というより呪術的にさえ思える鋭いフレーズの反復に終始する"Wait No More"から、荒廃した都市の光景を静かに歌った"The City Is Hungry"、オリジナルは9.11事件の直後に作曲された力強いメッセージを含む"Put In Your Heart"と続くあたりは、おそろしいほどの迫力に満ちている。

正直言って、私がここ数年に聴いたあらゆるジャンルの音楽の中で、最も心を打たれたものである。そしてたった一人の人間による表現がこれほどの力を持つことに、心から感服した。いや、驚愕したと言った方がいいだろうか? だから恐れ入ってしまったのである。
元々優秀なソングライターであり、歌い手としても魅力的な声の持ち主だが、こうしてアコギ一本の弾き語りで聞かされると、さらにギターの並々ならぬ腕前にも改めて驚かされる。ギターの音の背後に別の楽器の音が聞こえてくるような気さえするほどだ。
曲・歌・ギターの三つとも揃ってのボルテージの高さにもはや脱帽状態である。

興味がある方はユーチューブでこれが見つかったのでお聞き下せえ。
前作のアルバム時の写真では白髪と共に真っ白なヒゲもじゃ状態で、もろにジーサンぽくなっちゃっててちょっと泣けたが、今回はヒゲもなくてスッキリ若返ってたイメージになってたんでよかった(*^^*)


さて、彼の長いキャリアを調べようとしても、残念ながらネット上ではまとまった日本語での記述はほとんど見つけることはできない。本国カナダや米国のサイトならあるだろうけど……。あんまりちゃんと調べてないがこちらのページぐらいなものか(ここのリストの後にもう一枚アルバム"Life Short Call Now"が出ている)。
ランディ・ニューマンあたりもそうだが多分、この年代のアーティストを最初から聴いてたような人は、世代的にネットに縁遠い人が多いんだろうか(?_?) だから見つからないのかも知れない。

私がブルース・コバーンを聞き出したのは、1984年の"Stealing Fire"からだ。きっかけは当時ちょうどMTV勃興期で、いかにマイナーなミュージシャンでもヴィデオ・クリップを作ればTVでかかったのである(REMなんかもそうやって知ったバンドだった)。

そのTVで初めて聴いた曲は"If I Had A Rocket Launcher"である。歌の内容は「ヘリコプターがやってくる。今日は2回目だ」と中南米の村を襲う武装ヘリの光景に始まり「一体、何人の子どもが死んだのか、誰も知るものはいない。もしこの手にロケット・ランチャーを持っていたら、あいつらに思い知らせてやるのに!」という誠に激越なものだった。なんでも、どこかの放送局では「暴力を奨励する」などと放送禁止になったとかならなかったとかいうウワサも納得な強烈さだ(もちろん、テロを奨励しているのではなく当時の中南米での紛争の背後にいた米国を暗に抗議したものである)。
このビデオもユーチューブにあるが、改めて今見ると結構青二才ぽい感じなんでちと意外だった。もっとも、現在の私は当時の彼の年齢をとっくに越えているせいで(^^;そう見えるんだろうけど。

"If I Had A Rocket Launcher"はこのライヴ盤でもアンコールで歌われている。でも、激越な感じよりもむしろ哀愁を含んでいるような印象が強いのが不思議である。そういえば、"Put In Your Heart"も原曲が9.11に対抗するような前向き力強さで歌われていたのに、ここではむしろ切実な響きを感じさせる。長い歳月の間に、世界も彼の歌も変化したのだろうか。

以前新聞の記事で読んだことだが、人間の声帯の筋肉の動きがピークなのは二十歳ぐらいなのだという。その頃まではいかに歌いまくって酷使してもすぐ筋肉が元の形に戻るらしいのだが、歳を取ってくると声帯を休ませないと元に戻らないのだそうな。しかし、不思議なことにどんなジャンルの歌手であろうと二十歳そこそこで人の心を揺り動かしたりシミジミさせる者はほとんどいない(というか、個人的にはお目にかかったことがない)。そこには正しくテクニックとは全く別のものが存在するのだろう。

そんな彼の作品だが、最近日本で再発された初期のアルバム数枚以外は入手しにくい状態である。アマゾンで見ても80~90年代のものは絶滅寸前だ。リアルのCD屋でもブルーレイのせいで売り場縮小となったHMV某店なんか全く役に立たない。先日、しばらくぶりに渋谷のタワーに行ったら、さすがに結構揃っていたが……。

彼は過去に二度(?)ほど来日しているようだ。ニール・ヤングの前座として来日の時は私もチケットを買った。もちろん、お目当てはブルースの方である。しかし、N・ヤングが来日中止して公演もお流れになってしまい残念無念に泣いたのであった。もっとも、彼だけは小さなホールでライヴをやったらしい。しかしネットも何も存在しなかった時代、後になってから知ってまたもや泣いたのである(T^T)クーッ

U2が自作の中で歌詞を引用したこともあるほどのミュージシャンズ・ミュージシャンのブルース・コバーンだが、一体この目で、いやこの耳で銀色の雨のような美しいあのギターを聴く事ができる機会がめぐってくるだろうか?

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←これは当時購入した"Stealing Fire"のヴィニール盤である。ジャケットは二種類あるようだ。
やはり若いです……。

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2009年8月 9日 (日)

「セントアンナの奇跡」:奇跡と「御○○主義」は紙一重--とは言うまい(言っちゃってるけど)

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監督:スパイク・リー
出演:デレク・ルーク
米国・イタリア2008年

さて、考えてみよう。これはジグソーパズルである。
無辜の民の虐殺/バッファロー・ソルジャー/記憶喪失の子ども/ドイツ軍の銃/彫像の頭/ニューヨークの郵便局窓口での殺人/伝説の山

これらをつなぎ合わせてなんとか一つの絵を作りあげるんだっ--と脚本家がひねり出したような印象の話である(原作小説の作者が担当しているらしいが)。
しかし、無理やり色んな形のピースをくっつけてるためにどうも辻褄あわない所がそこかしこに散見。見ている途中でもデッカイマークが頻出してしまう度数は『ターミネーター4』と同じ……とは言わないまでも、それに次ぐぐらいだろう。
監督はそんなモンと比較するな~(`´メ)と怒るだろうけど。

『タミ4』はつながらないピースの間をCGアクションで埋めたが、こちらの糊はもっと強い。なんてったって「奇跡」である。こいつの粘着力は強い!正統的!!おまけに万国共通 ケチの付けようがない。どんなにあり得なさそうな出来事でも「奇跡」といえばなんでもOKである。
さらにダメ押しのように劇伴音楽ですみずみまで補強だ~。

いや、もちろん私だって泣けましたよ。虐殺の場面とか……。でも「感動したっ(>O<)」というんではなくて、わき腹くすぐられれば誰でも笑っちゃう、みたいな反射的なものと同じような気がするのであった。

それから、戦争にまつわる叙事詩的な部分と黒人兵士による戦争アクション風部分が入り交じっていて視点の統一感がないのも気になった。
戦闘場面・銃撃場面は文字通り血肉飛び散り手足ふっ飛ぶ迫力あり--というか、もう今ではこのぐらいやっても「並」のレベルなんざんしょか。

相対立する米・独・伊を結ぶのは「キリスト教」と「奇跡」に他ならないことがこの映画の中で明示されるが、とすればこれに対抗して日・中・韓では「儒教」と「モラル」をテーマにした作品を作らにゃいかんねえ(^=^;

ところで、敵軍に囲まれた危険な状況のさなかでも、美人と見れば口説かずにはいられないビショップの律義さには感心です(^.^)b 現在の日本の青少年も見習えってことか。


奇跡度:10点
納得度:4点

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2009年8月 8日 (土)

「ハリー・ポッターと謎のプリンス」(字幕版):自らの記憶力を試されるシリーズ

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監督:デヴィッド・イェーツ
出演:ダニエル・ラドクリフ
イギリス・米国2008年

遂に6作目まで来た「ハリ・ポタ」シリーズ。子役たちもすっかり大人になって、観る方は自らを顧みて「ワシも歳を取るはずよ ┐(´~`)┌ フッ」などと感慨に更けるのは必至であろう。
5作目から原作を読むのを放棄。この6作目も全くの白紙状態からの鑑賞だいっ

なので、いざ映画館の座席に座ってから突然、前作の内容をほとんど覚えていないことを思い出した(-o-;)
えーと、えーと、確かシリウスが死んでそれからドタバタと色んな事が起こったような気が……でも、思い出せねえーっ(>O<)
しかし、そのままの状態で映画本編に容赦なく突入していったのであった。

今回は次の最終章に向けての「つなぎ」なんですかねえ。半分が生徒たちの恋愛バナシが占めていて、正直行ってどーでもいい感がタップリ。特にロン君はこちらのサイドのみでの活躍甚だしくて、完全にお笑い担当みたいだぞ。

もう一つの、新任のスラグホーン先生関係の過去譚もダンブルドア校長の動向も「次回をお楽しみに~(^^)/」的な性格が強い。(校長については、こちらのブログに終盤の行動が『スター・ウォーズ』のヨーダとソックリという指摘があったが、なるほど言われてみればそうである)

まあそんな調子なので、果たして次の最終章の公開の時にこの『謎のプリンス』の内容を覚えていられるのか……は自信が全くないのであった。

他に印象に残った事といえば、ドラコ君がすっかり成長してカッコよくなっちゃったのはオドロキよん(!o!)
ヘレナ・ボナム=カーターは相変わらずアクの強い役を嬉々として演じている。もっとも、ティム・バートンの『アリス』でのハートの女王もかなりキテますが。


青春開花度:8点
緊張度:5点

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2009年8月 5日 (水)

「天正遣欧使節団とルネサンス音楽 2」:コンサートでなぜか某出版社の権威を知る

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解説:金澤正剛
演奏:鈴木美登里ほか
会場:ルーテル市ヶ谷センターホール
2009年7月31日

サブタイトルに「使節団が通った道を音楽で辿るレクチャーコンサート」とあるが、以前同内容の公演を皆川達夫&BCJの組合わせで聴いたことがある(感想はこちらこちら)。
この第1回めは全く知らなかったので行けなかったが、今回はポルトガルとスペインの旅程を辿っている。上記リンクの皆川版では、その時使節団が聴いた可能性がある音楽を演奏するという主旨だったのに対し、この金澤版では単にその地域で演奏されていた曲を紹介するということらしい。
なお、金澤先生は皆川先生のように会場を震撼とさせるようなおやぢギャグを言ったりせず、極めてオーソドックスなレクチャーぶりであった。

歌手は鈴木(弟ヨメ)美登里、上杉清仁、櫻田亮などお馴染みの面々6人と、楽器隊はリコーダーの古橋潤一をはじめとする5人だった。
曲目はカベソンあたりなら知っているが、ボルーダ、エスコベードとなると「それは誰?ここはどこ??」状態になるのは必至。宗教合唱曲と器楽による舞曲をまぜて演奏された。
歌手陣は最初ちょっと息が合ってなかったようだったけど、その後は持ち直したように思えた。また、テノールのパートがやたらと大変な曲があって、ここでは櫻田氏大活躍だった。会場の残響がアッサリめで器楽にはよかったが、このような合唱にはもっと長く響くような所が適当だったかと思えた。

ただ、正直に言えば夏かぜをひいてしまって(@_@)カゼ自体のせいだか薬のせいだか頭が常にモーロー状態。これ以上のことはよく覚えていません

最後に使節団の一人、中浦ジュリアンの子孫という男性が挨拶に立った。関係者の(企画した日本ルネサンス音楽普及協会の会長?よく聞こえず)子供の頃からの友人だったとのこと。子孫であることは代々、口外禁止になっていて、その男性が初めて明らかにしたそうである。また、何十年も中浦ジュリアンのことを研究し続けてきて、ようやく岩波と山川出版社の記述を変更させたらしいのをかなり誇らしげに語っていた。
ネット界だとウィキペディアばんざい \(^o^)/みたいな感じで書籍の辞書の類いは存在していないかのように思えるが、やはり現実界では岩波・山川は絶大なパワーを有しているのだなあと、ヒシと感じたのであった。

前回、同じ会場に来た時もそうだったが、休憩時に客電がつかず、客は薄暗い中をモソモソと移動。ここはそういう習慣なのかしらん、ハテ(?_?)

【関連リンク】
《詩はすべて紋章》より「天正遣欧使節とルネサンス音楽」
第1回目の感想。子孫の方はこの時も来てたんですね。

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2009年8月 2日 (日)

「リンカーン弁護士」上・下:弱きを助けず強きから儲ける

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著者:マイクル・コナリー
講談社文庫2009年

最初タイトルを見ててっきり「リンカーン」という名の弁護士の話かと思ったら、そうじゃなかった(^^ゞ
事務所を持たず、高級車リンカーンを走らせて広いロサンジェルス郡各地の裁判所を回って稼ぐ弁護士のことを言うらしい。

主人公はそういう刑事弁護士の一人だが、依頼人が金持ちで、しかも検察側の求刑が高かったりすると「こりゃ、儲かるぜい」と喜んじゃうようなヤツなんである。

法廷系ミステリーとしては文句なく面白い。重箱の隅をつつくような複雑な法律、司法取引、検察との情報の探り合い、陪審員が証言を聞いてて退屈しないように工夫するところ(内容が単なる事実認定だと退屈らしい)……などなど。主人公が過去に扱った事件との絡みの浮上具合も巧みである。

ただ、問題は主人公がいい人過ぎるんだよねえ(x_x) 弁護士としてはモラルのない奴として指弾されるかも知れないが、元ヨメ二人とは仲よくやってるし、信頼できる友人はいるし。いい奴じゃあないですかっ
そこんとこが詰まんな~い。

あと、終盤で暴走族--ぢゃなかった珍走団のあんちゃんに頼み事をした件が放りっぱなしになってるのが気になった。
これが『終決者たち』より米国で評価が上だったなんて信じられねえ(^_^メ)

さて、本作はマシュー・マコノヒー主演で映画化されるとのこと。ちょっと軽薄そうなイメージが合っていると思えなくもないが、監督の名が出て来ないところはかなり不安であるな


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聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 8月版

*1日(土)「バロック音楽で楽しむ3匹の子ブタ」ラ・フォンテーヌ
行きたいけど、ご家族向けコンサートだしなあ……どうしよう、と迷ってるうちに終わっちゃいました。もしかして小さなお子ちゃまより「大きなお友だち」の方が多かったりして

*23日(日)「エリザベート・クロード・ジャケ・ド・ラ・ゲール」小林木綿ほか
しまった、まだチケット入手してねえ~(~_~;)

*28日(金)「フランス・バロック宗教音楽の夕べ」コントラポント
リュリ&ドラランドでおフランス気分

*30日(日)「ヘンデルとパーセル」東芸大学生・卒業生と仲間達
バディ様も特出らしい。
*  〃   「歌物語オーカッサンとニコレット」ジョングルール・ボン・ミュジシャン
今はなき(?)目白バロック祭りで行き損なった人は是非。

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2009年8月 1日 (土)

東京リコーダー音楽祭2009

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会場:東京文化会館小ホール
2009年7月25・26日

いや~、驚いた(!o!) 何が驚いたって、リコーダー・ファンの多さにである。失礼ながら、こんなにファンがいるとは思わなんだ。しかも、熱気もスゴイ。
このリコーダー祭りは日本リコーダー史上初の画期的なもので、二日間に愛好家によるコンサート1回ずつ、プロによるものが2回ずつ行われた。私はとても全部は行けないので、それぞれ一日一公演のチケットを入手していたが、なんと完売してたらしい。当日券目当ての人はスゴスゴと帰る羽目になったとのこと。

「リコーダーソナタの世界」(25日)
家を出るのが遅れてしまい、着いたのが開場の10分後。だが、後ろ以外はほとんど空席がない ようやく端の方に一個だけ空いてる席を見つけて滑り込む。周囲は6割以上、中高年の女性ばかりである。
この回のプログラムは8人のリコーダー奏者が交替で様々な作曲家のソナタを演奏。通奏低音は平尾雅子&上尾直毅、福沢宏&岡田龍之介が交替で担当した。

8人も出るんで一人あたりの時間は長くない。一番手の花岡和生なんかオトテールをやったものの、なぜかプレリュードだけだったんで、あっという間に引っ込んでしまい、ハッと気づいた客があわてて拍手するという場面もあった。
それぞれに吹き方はもちろん楽器の持ち方ひとつも人によって個性があり、その違いが面白かった。

唯一の女性奏者でマルチェッロを演奏した太田光子はほとんど水平に近い角度で楽器を構えて躍動感あふれる演奏。
向江昭雅はマンチーニを粋な感じで--。ファッションの方を見ても相当のシャレ者と見たぞ。特に革靴は高そうでイタリア製かなんかかしらん。おもわずよく観察したくなったが、変なオバハンが舞台間近に這いより、靴をジッと眺めてる光景を想像すると、我ながらさぞブキミと思い、自粛したのであった。

他には文字通り吹き飛ばす勢いのテレマンをやった小池耕平が、丁寧さには欠けるかも知れないが斬新な印象が残った。
また、バッハのオルガンソナタを編曲したものを、この音楽祭ディレクターである本村睦幸がソプラノ・リコーダーで演奏したが、そもそも管楽器用の曲ではないのだから大変だったろうなあと思われる。だが、見事に吹きこなしてくれた もっとも、その陰ではチェンバロ担当の上尾氏の役割も大きかったろう。

最後は一同総出で挨拶をして終了。
休憩時間など、ロビーに業者がリコーダーをずらりと並べて販売していて、かなりの人だかりであった。中には試奏する女性なども見かけたし、こちらも熱気ムンムンだった。


「ブロークンコンソートと室内楽」(26日)
この公演では、リコーダーを含む様々な編成のグループ4組出演した。この日も出遅れて開場5分後に到着したが、やはり空席は少ねえ~(>_<) 昨日よりもさらに女性客の割合が多くなっていた(8割ぐらい?)。

前半は極めて好対照な二組が登場。
最初のラ・フォンテーヌはリコーダーにオーボエ、チェンバロ、チェロという編成。江崎浩司がリコーダーだけでなく、お笑い担当で会場を笑わせていたが、それ以外にもプログラム編成や見せ方・聞かせ方が普通のグループとは一味違っていて、引き付けるものがある。
この日はテレマンとヴィヴァルディというある意味「王道」な選曲だけど、短いアンコールでまたテレマンを始めた途端、曲を中断して江崎氏がやおらマイクを握り「曲の途中ですが」とCDの宣伝を2回も挟んだのには笑ってしまった。しかも、その間他のメンバーは真面目な顔をして演奏途中のポーズのまま固まっているのだ。
客席は大いにわいて、周囲のオバハンたちは「あの指使いスゴイわねえ」などと感心しきりだった。

次は濱田芳通率いるアントネッロでガラッと雰囲気が変わる。西山まりえはもっぱらハープを担当。
1曲目のパッサカリア(ジローラモ・ダラ・カーサ)は濱田氏のコルネットがまるでジャズ・トランペットみたいな嫋々たる情感の世界を歌ったのだった。会場はシンと静まり返り聞き入っていた。私も感心して聴いていたが、一方でドラマや映画の劇伴に使われるようなムード音楽と紙一重スレスレにも思えた。まあ、コルネットでそんな音楽がやれてしまうということ自体並ではないと言えばそれまでだが。
パッサカリアの2曲めはリコーダーに持ち替えて、今度は尺八みたいな音を聞かせてくれた。
3曲目からは古橋潤一が入って、最後の曲では二人でリコーダー二重奏をやった。こちらも文句が付けようがないものだった。
最後は熱烈な拍手で終了したが、バロックのファン以外にはコルネット自体見たことも聴いたこともない人がほとんどだろうから、簡単な紹介が欲しかったところだ。

休憩後の後半もまた正反対のグループの組合わせだった。
ルスト・ホッファーズは本村睦幸のリコーダーにリュート&チェンバロという編成で、ゲストとして鈴木(弟ヨメ)美登里が加わった。曲目はパーセルとテレマンのカンタータでという今回随一の「正統派」
ただ、鈴木女史とパーセルの相性は今ひとつのような(^^?印象を受けた。

ラストはカテリーナ古楽合奏団。何年か前に公演に行った記憶があるが、その時はもう少しルネサンス系だったかな? 今回は中世の得体の知れない曲を次々と演奏し、客席はビックリ状態。一つの曲の中でも珍奇な楽器をとっかえひっかえして、急に踊り出したり、太鼓がドドンと入ってきたり目が回るようだ(@_@)

バグパイプ来たーっ━━━━(・∀・)━━━━ !
セルパン来た来た来た━━━('∀'≡('∀'≡'∀')≡'∀')━━━━!!!!!
--みたいな調子。
ビールびんみたいな格好の笛と傘の柄みたいに曲がった細い笛はどういう楽器なのか、知りたいところだった。
大いに楽しめた演奏で、これまた客席の大喝采の中で終わった。

終了後、会場の受付を出ると早くも次の回のコンサートの行列が出来ている。終演してすぐ並んだんだろうけど、次の開場まで一時間も立ったまま待ってるの(?_?; とても真似できません。
全体的にはリコーダーと一言で言っても、その世界は広く多様であることを改めて再認識した。リコーダー、侮れねえヤツですよ(o~-')b
ネットで感想を検索してみると、泊まりがけで他の地方から来ている人も多数なもよう。リコーダー・ファンの熱心さに恐れ入ったのであった。


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