「副王家の一族」:反抗なき放蕩
監督:ロベルト・ファエンツァ
出演:アレッサンドロ・プレツィオージ
イタリア2007年
イタリアの歴史物で貴族社会を舞台にしているとあって、予告や宣伝はヴィスコンティの路線を匂わしていた。しかし、実際見てみるといささか印象は違った。
時代は19世紀半ば、それまで各地方バラバラだったイタリアが統一されていく過程にあった時代とのことである。ここら辺はイタリア近代史を知らないとハテナ(?_?)印が連続して浮かんでしまう。
それを背景にシチリアの名家での父と息子の対立、その一族の浮沈が描かれる。その描写はヴィスコンティとはやや異なって辛辣で、諧謔的なところさえある。さらに俗物性も容赦なくさらけ出す。貴族階級同様、教会の堕落もキビシク俎上に乗せられている。
しかし、テンポがいささかのろい(特に後半)のはどうしたことよ(=_=;) 見ていてダレてしまう。それから風刺も中途半端なんで、観客はこの一族を斜に構えて見ていいんだか、共感しつつ見ていいんだかどっちつかず状態になってしまう。
ストーリーもなんか中途半端 強圧的な父に反抗する息子--といっても大したことは何一つしていないんである。革命側で散々暴れまくった揚げ句、戻って来たというんならまさに「放蕩息子の帰還」で分かるけどさ。
もっとも致命的なのは、各エピソードがバラバラで関連性のないこと。まるで大河ドラマの総集編みたい。
たとえば、主人公が少年時代に叔母の出産を覗き見するエピソードがあるが、それが彼の人生や女性観に何か影響があったかというと、何もない。ストーリーの展開上も関係しない。
また、妹が初夜の床で必死にお祈りしながら行為する場面が出て来て(確かに「大罪」を犯してるわけですからな(^^;)、昔の敬虔なカトリック信者というのはこんななのかとビックリしてしまうが、それ以上のことはなくそのまま終わってしまうのだ。なんなのよ
というわけで、ヴィスコンティのような劇的な展開は期待せず、当時の貴族たちの風俗・生態を観察するのには向いている作品だろう。衣装や邸宅は見事である。少なくとも、貴族にもまた自由はなかった、というのはよ~く分かった。
それから父親役のランド・ブッツァンカの演技は頑固にして怪物的な人物を演じて見ごたえあった。主役のA・プレツィオージは期待ほどの二枚目ぶりは発揮していなくて残念。脇を固める一族や執事も手堅い演技だった。
雰囲気度:8点
波乱度:5点
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投稿: 日本インターネット映画大賞 | 2009年12月25日 (金) 11時29分