「戦場でワルツを」:にわかに目覚めて悪夢を見る
監督:アリ・フォルマン
声の出演:監督&その友人たち
イスラエル・フランス・ドイツ・米国
アニメにしてドキュメンタリーという珍しい作品。賞も色々獲得し、さらにアカデミー賞の外国映画賞にノミネートまでされた(そして『おくりびと』に負けた)。ただし、こちらの記事によると、アニメとドキュメンタリーというのは全く無関係ではなかったもよう。
イスラエル兵として派兵されて監督自身が体験した1980年代初めのレバノンでの戦争--しかし、なぜかその時の記憶が脱落しており、それを取り戻すために友人たちやジャーナリスト・医者を訪ね歩く。それらの場面はアニメで再現されていて、声もご当人たちが(二名だけはなぜか他人の吹替え)やっている。
そのアニメは独特の手法らしく(詳しいことは知らず)強烈なイメージを与える。戦場の回想部分はもちろん「今」の場面も含めて、幻想的かつ退廃的でしかも晦渋である。「途中寝てしまった」という感想が多いのも仕方ないというくらいだ。
音楽の使い方も面白くて、強く印象を残した。
迷宮の一番外側をグルグルと回り歩くような探索行を続けるうちに、ようやく彼はその中心に到達する。ラストシーンは正にその瞬間--何か認識できぬものの存在にふと気付いた時、あるいは長い悪夢を見ていたと思っていたらそれが実は現実であったと知った時、長く忘れていた記憶が不意に戻った時--それが鮮やかに甦った瞬間を再現し、観客にも体験させる。極めて衝撃的なものだ。
作品の視点は一兵士としてのものに貫かれている。そこが物足りないという意見もあるだろうし、またイスラエル政府がプッシュしているというのもうさん臭いと見られるかも知れない。作品自体に政治性はないが、「政治的でない」ということ自体が既に政治的であると見なされても仕方ない場合もある。
しかし、単に一兵士だった人間に(例え、現在は表現者であったとしても)それ以上のことを求められるかどうかは難しい。
話の核心となるサブラ・シャティーラ難民キャンプでの事件は、当時の現場ルポを読む限り、イスラエル軍とキリスト教右派民兵の共同作戦と見なされても仕方ないものだろう。映画では、そこら辺ははっきりとは描かれていないが……。
また、監督よりも下の世代だと戦争の後遺症はもっとひどくなっているようである(こちらのドキュメンタリーを参照)。
18、9歳ぐらいの若者--日本だとゲーセンやコンビニの前でたむろっているような、まだ半分子供が銃を持って戦場に行く。なんだか考えるとウツになってきそうだ 戦闘の合間にスナック菓子を食い、みたいな感じだろうか。
衝撃度:9点
政治度:5点
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