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2010年1月

2010年1月30日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 2月版

1月は2~3月のスケジュールに備えて身を潜めていたのであったよ。

*3日(水)「バビロンの流れのほとりにて」(北谷直樹) ←曜日間違えてました
鍵盤界の「もう一人のナオキ」遂に単独公演!

*7日(日)「フルートの黄金時代」(有田夫妻)
ウンチク話が聞けるかな~

*11日(水)「深遠なるルネサンスの調べ」(平尾雅子)

*13日(土)ヘンデル・フェスティバル・ジャパン(C・ホグウッドほか)
これがヘンデル・イヤーの真の最後か。やはり腐ってもホグウッドですよ(いや、腐ってないけど……)

*20日(土)バッハ「ミサ曲ロ短調」(コンセール・デグラッセ)

*28日(日)パーセル「アーサー王」(ニケ&コンセール・スピリチュエル)
これは「マイナー」じゃないか? 「セミ・オペラ」ってどういうもん(?_?)

他には、ヨハネス・カントーレス(6日)、「フランスバロックの愉しみ」(6日)、辺保陽一(19日)、アンサンブルBWV2001(28日)なども気になるが、行けませぬ。
横濱・西洋館 de 古楽「むかしの楽器は素敵だ…!」って、これから毎年開催するんでしょうか。しかし横浜では毎日通う、なんてことはできませんなあ(泣)

そういや、ヘンデル・フェスティバル・ジャパン「ヘンデル・オペラの名アリア」が18日にNHK-BShiで放映されるそうです。

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2010年1月28日 (木)

「かいじゅうたちのいるところ」(字幕版):かいじゅうの皮をかぶったにんげんと、にんげんの皮をかぶったかいじゅう、こわいのはどっちだ!

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監督:スパイク・ジョーンズ
出演:マックス・レコーズ&かいじゅうたち
米国2009年

センダックの絵本を映画化!と言っても、個人的にはS・ジョーンズってどうも苦手なタイプの監督だ。あまり期待しないで行こうと思った。
原作はストーリーなどあって無きが如し。あっけらかんとして、他愛のないユーモアに全編満ちている。どちらかというと「かいじゅう」の造形や絵のタッチに重きを置いて眺める絵本だろう。未読の人は本屋で立ち読みしてみるがいい。5分もかからない。
さて、そんな「あっけらかん」さを期待していったのだが……。


 ★☆注意!☆★
この映画を大好きな人、感動した人、高く評価している人は以下を読まないことをオススメします。
大変、精神衛生上悪い文章が続きます。読んでから文句言うのは禁止(^-^;


まず、始まって意外だったのは主人公の少年の年齢が高かったことである。原作だと5、6歳ぐらいか? 映画の方は小学校高学年といってもいい。でも、行動は原作と同じくらいの年齢なのだ。
こんな大きな子が冒頭のトラブルまず大泣き--これじゃ、姉の彼氏がドン引きしちゃうのも当然だろう。しかも、床に寝転んで母親の靴下を触るに至っては、フロイト先生ではないが近親相姦の匂いがプンプンするではないか。もっと小さい子がやるならいいけどさ。

かように現実界の描写は見ていて居心地が悪い。途中退場したくなる(>_<)のをぐっとこらえるのであった。
だが、舞台が「かいじゅう」界へ移ると……そこはもっとひどかった。

かいじゅう達は孤独だ。いつも一緒で離れられない。しばらくは仲よくやっているが、段々とうまく行かなくなってきて、互いに傷つけ合わずにはいられなくなる。最後には罵り合い、みんなで協力して作ったものを破壊してしまう。それでもやっぱり離れられない。どこにも出て行けない。
そしてまた一同はくっついて仲直りする。これの繰り返しだ。こういうのを「ヤマアラシのジレンマ」と言うのだろうか。

いくら寂しくてワォーンと鳴いても彼らの孤独は癒されることはない。なぜなら、彼らはかいじゅうだから孤独であり、孤独だからかいじゅうなのだ。
彼らは自らの孤独を癒す者を「王」にするが、そんな事が可能な者はいない。だから「王」を殺して破壊と再生を繰り返すのである。
うーむ、なんでこんな暗くて陰惨で救いがたく残酷な話にしたのかね。見ていてゾッとしてしまった。とても「ほのぼの」とか「あったかい」などという風には思えない。

特にかいじゅうのリーダー格のキャロルは思い通りに行かなくて、かんしゃくを起こした揚げ句、友人の××をもぎ取ってしまった件りにはビックリした( 'Д')ポカーン いくら架空の世界の話だからって、恐るべき暴力性である。こんなの小さなお子様が見たらショックを受けるだろう。

ミクシィのレビューに、少年の不在の父親がこのキャロルであり、彼が好意を持っている女かいじゅうのKWが母親を表わしていて、少年の両親は実はDVが原因で離婚をしたのではないか--という解釈をしていた人がいた。確かに、かいじゅう達の世界はDV家庭のような複雑で荒廃したイメージがある。
とはいえ、そのレビューの後半にあった、少年が成長して家に戻ったという説にはちょっと賛成しかねる。

少年はうまく統治できなかった「王国」を放り出して、かいじゅう達が孤独なのは母親がいないせいだとし、自分には母親がいるもんねと現実界に戻ってきてしまうのだから--成長もなんもしてない。
ラストの少年の笑い顔は妙に不愉快で、私は「愛とは家庭内だけで流通する通貨である」という言葉(確か多木浩二の)を思い出してしまった。
私はつくづく考えた。愛される者の傲慢さよ--それこそが「かいじゅう」に違いない。

あと、致命的なのは子役の少年が一種類の表情しか出来ないこと。怒ってる顔、困ってる顔、考え込んでる顔、みーんな同じ 口の周囲をちょっとふくらまして……しまいには見飽きてしまった。

平日の夜に見に行ったら一番大きなスクリーンなのに客は4人しかいなかった
その前に見た「カティンの森」も暗かったが、こちらはまた別の陰惨さ・残酷さでウツになってヨロヨロと映画館を後にしたのである。


主観点:3点
客観点:5点

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2010年1月24日 (日)

「前田りり子リサイタル フルートの肖像 4 ヘンデルの時代」:好景気ロンドン事情を聴く

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演奏:前田りり子ほか
会場:近江楽堂
2010年1月16日

「各時代、各国のフルートの横顔を一つ選んで」有名作曲家とその周辺を取り上げるシリーズ。前回の感想はこちらである。

四回めはヘンデルとその周辺。曲ごとに前田りり子のトークが入って、当時の作曲家の人や音楽状況など解説した。他のメンバーはもう一人のフルートが新井道代、通奏低音担当が上尾直毅とD・バディアロフで、バディ様はもちろんスパッラを弾いた。彼も日本語で解説をしたが、若干聞き取りにくい部分もありましたなあ……。

そもそもヘンデルはフルートが好きでなかったらしいとのことで、彼がフルートのために書いたという確証がある曲はないそうである。そんな怪しいヘンデル先生のフルート・ソナタを2曲。
当時のロンドンは大変な好景気で他のヨーロッパ各国から優秀な音楽家が続々とやって来たという。
ということで、他にベルギー出身のルイエ、ミラノ出身のサンマルティーニの曲をやった。二人とも当時の優秀なオーボエ兼フルート奏者だったとのことだ。

後半最初のスタンレーという人物の名は初めて聞いたが、数少ない英国人作曲家だそうな。りり子女史の解説通り、やや箱庭的にちんまりとおさまっている曲調で今イチ面白さに欠ける作品だった。
あとはバディ様&上尾コンビでジェミニアーニのチェロソナタの演奏もあった。

りり子女史は笛もトークも快調。当時のロンドンの豊かな音楽状況の一端が分かって楽しめる内容だった。客層はやはりオヤヂ系の方々が結構いた。
それにしても、ヘンデル・イヤーまだ続行中って感じですかな。


この日は寒かったけど、新宿の交差点で素足にビニールぞうりをつっかけてる若い女性を目撃(!o!) いやー、若いってエエですなあ。私はカイロ使用中だぜい。

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2010年1月23日 (土)

「コンチェルト・コペンハーゲン」:イケイケ指揮者と夫婦漫才、そして金髪トラヴェルソ美女悩殺の夜

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会場:王子ホール
2010年1月15日

デンマークとスウェーデンの混成メンバーによるコンチェルト・コペンハーゲン(COCO)。やはりなんと言っても指揮&鍵盤のラース・ウルリク・モルテンセンの派手な指揮ぶりというかキャラクターが目を引くのであるが、前回の公演では、正直その派手な面に騙されちゃってたんではないかという疑念がぬぐえず。再挑戦してみることにした。

今回のプログラムは前半、バッハのコーヒー・カンタータにテレマンの協奏曲、後半は農民カンタータという次第。
バッハ先生のこの2曲の世俗カンタータはかなり前にBCJで一度聴いただけで、CDも持っていないし、かなり忘れてしまっている。

歌手は三人で舞台中央奥に壇を置いてそこで歌った。しかし、私はイープラスでチケットを買ったらなんと前の方の左端の座席で、そこだとモルテンセンの腕や横顔やヴァイオリニストの背中はよーく見えるのだが、歌手たちは隠ちゃっててあんまり見えないのであった(+_+)
しかも、右側の方に歌手の控え席があって、そこでも歌ったり演技したりしていたようなのだが、そこは完全に隠れてしまっていた。かくして声はすれども姿は見えず状態で悲しかったです(T_T)ナイチャウ

ソプラノのマリア・ケオハナは小柄でキュートな印象。年齢はよく分からないけど「アルプスの少女」(^^;)風のドレスがよく似合っていた。バスのオーヴァード・ステンスヴォルドは大柄・イケメンの若手。声もよく通って印象よろし。「コーヒー」の頑固オヤヂをいかにもな感じで歌った。
COCOはヘンデルのオペラ(A・ショルを主役に据えた「ジューリオ・チェーザレ」など)もやっているらしいんで、是非この二人をバロック・オペラでも聞きたいと思った。

「コーヒー」は他愛もない笑劇という感じだが、「農民」になるともはや新任領主歓迎会で若手のドツキ夫婦漫才コンビが、イチャイチャするバカップルを演じながら領主をヨイショしまくる、という趣向である。正直、ここまでおバカな内容だったとは……(^=^;
しかも、バッハ先生が極めて真面目かつ几帳面に内容に沿って音楽を付けているので、余計に笑えるのであった。歌手二人の演技のノリに負けず、モルテンセンも大仰に指揮していた。

彼のノリノリの指揮は、やはりこういうケレン味のある曲の方がピッタリのようだった。そういう意味でも、次の来日時は是非ヘンデル先生のオペラでお願いします。

テレマンの曲はトラヴェルソとヴァイオリンがソロを取るというもの。トラヴェルソ奏者はスラリとした長身でパツキンの美女ではありませぬか。ハイヒール脱いでも、小柄なヴァイオリンより背が高いくらい--って、どうでもいいことですね、ハイ。もちろん、演奏の方も二人とも素晴らしかったです。

全体的に満足度高い公演だったと言えるだろう。
舞台が見えなかった分は、NHKのカメラが入っていたので放映された時にじっくり観察することにしよう。……あれっ(^^?なんだか本末転倒のような気が

チェロは日系の、こちらは小柄な女性だった。もう一人ヴァイオリンに日本人の男性がいたんで、パンフを何度も見直してしまったが、一人病気で急きょ代理で入ったらしい。ホルンはアリア一曲のみの参加で、これじゃ航空機代と運搬費が割りに合わないんじゃないの。もっとも、バッハ先生の頃はトラヴェルソ奏者がついでに吹いたのかも、などと考えてしまった。


貰ったチラシの中にアッコルドーネの来日公演のを発見!(=ΦωΦ=)キラーン☆
しかしガッティの名前はなく、代わりにパーカッションが入るらしい。残念よ。

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2010年1月21日 (木)

ヘンデル 歌劇「アドメート」:ヘンデルには暗黒××が良く似合う!?

演出:ドリス・デリエ
出演:ティム・ミードほか
指揮:ニコラス・マギーガン
演奏:ゲッチンゲン音楽祭管弦楽団
ダンス:斎藤公義&マム・ダンス・シアター
2009年5月ゲッチンゲン国際ヘンデル音楽祭(初演:1727年)
*TV放映

正月休みにホットカーペット上でゴロゴロしながらリュリのバロック・オペラ「カドミュスとエルミオーヌ」のDVDを見た。で、さて次は何を見ようかという段になって、11月頃にNHK-BSで放送されたヘンデルのオペラを録画しといたことを思い出し、よ~しこの勢いで見ちゃうぞーと続けて突入したのであった。

これは演出がかなり話題になった舞台らしい。時代背景はギリシア神話に基づく物語なのだが、人物の衣装や化粧・小道具など全て日本趣味で統一されているのだ。タイトルロールの王アドメートをはじめ男性はちょんまげ風のかつらをつけてるし、王妃アルチェステは日本髪もどきに長いカンザシを付けている。鎧兜の類いはクロサワ時代劇風だ。エルコーレ(英雄ヘラクレス)に至っては力士の出で立ちでシコを踏んだりしちゃう。
もっともかなりデフォルメされたデザインで、しかも全体的にモダンなタッチなので、パロディっぽさはなく重厚な印象さえ与える。

幕開けは主人公は不治の病で伏せたきりで、陰々滅々とした雰囲気に覆われている。と、うなされる彼を悪夢の中で襲うはなんと暗黒舞踏集団……白塗り半裸のダンサー達なのであった いやはや、「ブトー」まで出て来るとは驚きだ。
殿様、ぢゃなくて王様のアドメートを演じているのは、先日BCJ「リナルド」でも主役を張っていたカウンターテナーのティム・ミードではあ~りませぬか(!o!) ここでトーシロとしては、横向きに寝たりままだったり這いつくばったりしてちゃんと歌えるのかしらん?腸捻転とか起こさないのなどと余計な心配をしてしまうのであった。

さて神託によって、王を助けるために妃のアルチェステは自害する。元気になった王はエルコーレに冥府から妻を連れ戻してくれと頼み、冥府に下ったエルコーレは悪鬼(?)たちをドスコイとうっちゃりながら彼女を救い出すのであった。
ここでトーシロとしては、相撲を取りながらでちゃんと歌えるのかしらん?息切れとかしないのと余計な心配を(以下略)

しっかし、その間アドメートは元の婚約者アンティゴナが現われて気もそぞろになる。現代的な規範からすれば「あんたはヨメに命を救ってもらったんだから、あと百年間は禁欲してろ!」と言ってケツでも蹴飛ばしたくなるところだろう。
それを予感してか王妃は身を隠す--なぜなら、彼女は冥府から「嫉妬」を連れてきてしまったのだー{{(>_<)}}
この「嫉妬」が江戸時代の幽霊画みたいな格好。同時に長い黒髪をダラーッと垂らしている様はまるであの、さ、貞子……出た出たデターッ!へ(・・へ)~ コワイよ~ん
この貞子、ぢゃなかった「嫉妬」を演じているのは、振りつけも担当の斎藤公義。恐ろしいです。

しかしこの物語の不思議なのは、ずーっと夫への疑惑と嫉妬を歌っていたアルチェステが、遂に夫のフタマタ愛が確実だと告げられた途端に「やっぱりあの人を信じていこう」みたいに百八十度転換してしまうこと。な、なんでそうなるの(?_?; ヘンデル先生、こればかりは理解できません。

このあたりから舞台上には何やら異様な緊張感がみなぎって来る。なにせ「嫉妬」は妃に退けられたにもかかわらず、しつこく影の如くつきまとってくるし、アンティゴナの婚約復活作戦は着々と進行しているからである。

「妃はどうも戻って来ないようだし、せっかくだから元婚約者と復活愛しちゃおうかな~」とやにさがったアドメートがアンティゴナと結婚の儀に至る--と、それまでほとんどセットがなかった舞台上にロココ調の背景と柱が出現。柱の影からアンティゴナに横恋慕する(というより、彼女に適当に利用されてた?)弟王が刀に手をかけて暗殺の機を狙うのであった。……その光景はまるで「松の廊下」ではないですか!
もはや気が気ではない。嬉しそうな愛の二重唱も緊張感でハラハラドキドキして聞く羽目になってしまう。

間一髪、身を挺してアルチェステが「殿中でござる」と暗殺を防ぐと、王は「あら、ヨメは生きてたのね、どうしよう」状態に。素早くアンティゴナは身を引く宣言をして、弟王とくっついちゃってメデタシメデタシとなるのであった。本当にいいのか?あんた、それで
一体、この展開をどう解釈していいのやら。やはり当時の国際状況あたりをなぞっているのだろうか? 極めて不可解である。

だがヘンデル先生の真意はともかく、登場人物全員による大円団の明るい合唱が始まると、一同を尻目に舞台前面を「嫉妬」が跋扈して、ケイレン的な舞踏でステージ上を独り占めするのであった。
いや~、暗黒舞踏と勇壮明快なヘンデルのフィナーレがこれほど似合うとは誰が考えたであろうか! もうビックリである。ビックリ過ぎて笑っちゃうほど(^O^)

かくも不可解な物語を、明確な形に転換させた演出家の手腕はお見事としか言いようがない。
カーテンコールは拍手喝采、足踏み、ブラボーの嵐また嵐となった。
ティム・ミードをはじめ、ソプラノ二人、エルコーレ役など歌手陣もよかった。ただ、弟王役のカウンターテナーは……(以下無言)。
羊役のダンサーは大変そうだった。ご苦労さん賞だろう。

「カドミュスとエルミオーヌ」とは完全に正反対の方向のプロダクションだったが、これまた楽しめた \(^o^)/
この収録にはNHKも関わっている? だったら、地上波でも放送するか、ソフトで出すかしてして下さいよ~。頼んます(^人^)

【関連リンク】
《アルチーナのブログ》

《テニスとランとモーツァルト》

《In fernem Land unnahbar euren Schritten....》

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2010年1月19日 (火)

アイドルの代わりに聴きに行った浅川マキ

昨日の夕刊に浅川マキの突然の訃報が載っていて驚いた。

彼女のライヴは一度だけ聴いたことがある。学生の頃、私のいた大学の学祭ではアイドル系・ニューミュージック系の歌手が来ることが多かった。ロック好きの人間にとってはほとんど興味が持てなかったのだ。
その年もアイドル(というより元アイドルか)の歌手××××のコンサートをやることになっていたのだが、なんと隣町にある某大学の同時期にやる大学祭には浅川マキが来るというではないか!

「なんでウチの大学には浅川マキが来ないんだよー」と不満を言い、友人と一緒に歩いて(そのぐらい近かった)コンサートを聴きに行った。もっとも、某大の学生の方は「なんでウチには××××が来ないんだよ」と文句をたれてたらしい。

浅川マキはおなじみロングヘアーに大きなサングラス、黒づくめファッション、そしてよろよろした足取りでステージに現われた。近くの席の男が「なんだ、ヨボヨボしてる」とつぶやいてたのを今でも覚えている。
しかし、現在67歳ということなら、その当時はまだそんな年齢ではなかったはずだ(というか、今の私よりもはるかに年下だ)。でも、最初から年齢不詳のイメージだった。
思えば浅川マキは常に「大人」であった。この先、いくら私が歳を取ろうとも永遠に彼女のような「大人」にはなれないだろう。

だけど、アルバムは2枚しか持ってない(しかもそのうち一枚はヴィニール盤)。
彼女の歌で一番好きなのは……あの~、あの~、あのひぃ~とが死んだら~、この世はぁ~天……あわわ、違ーう(>O<)

ご冥福をお祈りしたい(T-T)

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日本インターネット映画大賞外国映画部門・勝手に番外編

恒例の番外編であります。ただ、今回は結構投票編の方に書いちゃったんで今イチ数が少なくなりました。
なお、偏見と独断とイヤミに満ちていることを予めお断りしておきます。
抗議・苦情・不平不満の類いは一切受け付けませぬよ

【最凶邦題賞】
「いのちの戦場 アルジェリア1959」
なんとか女性客も集めたいという祈りのようなものが伝わって来る題名ではあるが、いかんせん内容との乖離が甚だしいのであった。
次点に「正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官」「天使の眼、野獣の街」もあり。

【最優秀銃撃戦賞】
「パブリック・エネミーズ」
夜の森の中の撃ち合い以外にも、C・ベイルが登場した時にライフルで逃げる犯人を撃つ場面もキマっていた。

【最優秀オヤヂ萌え映画賞】
「ワルキューレ」
「ブッシュ」もなにげにオヤヂがいっぱい登場していたが、やはり軍服は七難隠すということで。

【最優秀兄貴賞】
ベニチオ・デル・トロ(「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳 別れの手紙」
特に「39歳」の終盤は「兄ぃ~、一生ついていきやす」と叫びたくなった。

【最優秀姐御賞】
ミシェル・ロドリゲス(「アバター」
「ボルト」の猫のミトンズで決まりかと思いきや、年末に登場して栄冠を奪取。

【ちゃぶ台ひっくり返し賞】
「シング・フォー・ダルフール」
この賞は、見終ってあまりの結末に思わず「なんじゃ、こりゃ~。観客をなめとんのか!」(ノ-o-)ノ ~┻━┻ガシャーン と、ちゃぶ台をひっくり返したくなる気分になる映画に与えられる栄光ある賞である。
正直この映画、もう見たことさえ思い出したくない。

【ワースト映画賞】
「ターミネーター4」
本投票の方に【ブラックラズベリー賞】ができたんで、全く同じである。
まあなんと申しましょうか……「ふっ┐(´~`)┌ またつまらぬ続編を作ってしまった(ニヒルな笑い)」という感じですかね。

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2010年1月17日 (日)

「有田正広 モダン・フルートによるJ.S.バッハ」:楽器は人なり

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演奏:有田正広&千代子
会場:トッパンホール
2010年1月11日

今年最初のコンサートはこれだっ!ということで、会場が前回時間を間違えて行ってしまったトッパンホールだったから、何度も確認しつつ家を出る。しかしなんと慌てて地下鉄で逆方向に乗ってしまうという失態をやってしまった(>O<)
天は我を見放したかーっトッパンホールとの相性が悪いのか~(?_?;……などとアタフタしつつ走りまくったら、なんとか開演2分前に到着しましたよ(;^_^A 奇跡です。

さて、最近有田正広はあえてモダン・フルートを使用してバッハのソナタを演奏したCDを出し、今回はそのコンサート版ということになる。
バッハ当時の聴衆はせいぜい二、三十人だが、現代では数百人のホールでやるのが普通である。ならば、当時のトラヴェルソではなくモダン・フルートで演奏する方がふさわしい--という試みらしい。
それなら、鍵盤も鉄骨チェンバロでやるのが妥当では(^^?などというツッコミはともかく、聴いてみた。
客層はいつもより若い人も多かった。これもモダン効果か(?_?)

結果は--いや~、全然オーライではないですか。バッハ先生の世界が全く遜色なく再現されていましたよ。もう、これからはモダン・フルートで大丈夫……という結論になるかというと、そうではない。
古楽器にずーっとこだわってきて、そこを通過した有田先生が吹いたからこそ、可能だった演奏であろう。普通にモダンの奏者がやったからといって同じような演奏にはならないはず。同じモダン・フルートでも当然ながらそこには演奏する者の過去の堆積があるのだから。

それから、個人的なことを言えば、私は歪んだりかすれたりした小汚い音、均整の取れていない音、ノイズ成分をたっぷり含んだ音が好きなのだ。そういう人間にとっては、モダン・フルートの音は美しくって滑らかで、そしてチト退屈である。だから、正直のところ、このコンサートもあまり心(という耳か)が引っかかることはなかった。

今年も美しい音より小汚い音を、大きなホールよりも小さな会場で--というのを目指していきたいと思ったのであります∈^_^∋

あと、てっきり有田先生のフルート今昔うんちく話が聞けるのかと思ったら、先生全く一言も発せず。詰まんな~い まあ、2月の松明堂に期待したい。

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2010年1月16日 (土)

「カティンの森」:岩波ホールで新春の悶々

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監督:アンジェイ・ワイダ
出演:マヤ・オスタシェフスカ、アルトゥル・ジミイェフスキ
ポーランド2007年

かなり混んでいるという噂だったので、正月休みの延長で取れた平日の昼間に行ってきた。観客は中高年ばっかり。観察すると、岩波ホールとブンカムラでは同じオヂサンオバハンでも客層がビミョ~に異なるのであった。冬休みとはいえ、若い人はほとんどいなかった。やはり「巨匠」は敬遠されるものかね。もっとも、私にしてもワイダの作品を映画館で見るのは初めてなのだ(^^ゞ

1939年ポーランドはドイツとソ連の双方から侵略される。前門のドイツ、後門のソ連--というわけで、市民が右往左往する場面から始まる。
前半は将校である父親がソ連の捕虜となった母子を中心に物語が進む。これは、自身の父親も捕虜となったワイダ監督の実体験も反映されているようである。

やがて数年後、森の中で捕虜たちの銃殺体が発見される。ドイツとソ連は互いに罪をなすりつけあうが、市民の多くはソ連のしわざだと暗黙に了解しているのだった。(ということは、この話が虐殺事件の真相を明らかにする--というような謎解きではないことを示している)

大戦後になると、急に母子から離れて群像劇っぽくなってしまう。いきなり、見知らぬ人物が中心になったりして目が点(・o・)になっちゃう。会話に出て来る名前を聞いて、前半に出てきた兵士の家族だとかようやく認識できるぐらいだ。
次々と登場人物たちはソ連影響下の政府によって消されていく。ここら辺は、ワイダ……ということはポーランド国民の積年の恨みが溜まっているようで鬼気迫るものがある。

そして、最後に唐突に虐殺の場面が再現される。それはあまりに直接過ぎる暴力であり、正視に耐えぬものだ。完全に通常のストーリー構成というものを逸脱してしまっている有様は、もはや積怨を感じると言っていい。
だが、ドラマなき暴力描写は一方で外部の人間には共感を阻むものだ。私は見て、何かモヤモヤとしたものを感じた。いや「共感など求めていない」と言われてしまえばそれまでですが……

正直のところ、NHKのETV特集で放送されたワイダのドキュメンタリーの方が興味深かった(この「カティンの森」もかなり紹介されていた)。

それとは別に、心に引っかかったのは2点。
一つは父親の部下であった下士官が戦後に復員してきて、そのまま政府軍に所属して今度は同胞を心ならずも抑圧する側に回る。それを他の人物から「思いは違っているとしても行動は同じ。思いなど関係ない」と批判されるのだ。
これはいわゆる「面従腹背」を否定していると考えてもいいだろうか。
実は私の属するギョーカイでも一つの問題が長年続いていて、外部から「どーしてそんな反対をするのか。従っている振りでもすればよかろう」と言われているのだ。しかし、この映画の作り手にとっては「振り」などあり得ないということだろう。

もう一つは、日本人としてこの作品をどう観たらいいのかということだ。
旧ソ連にこだわるのならやはりシベリア虜囚問題は避けられない(私の父親もシベリアへ行かされた)。先日やっていたTVのドキュメンタリーによると、まだ5万3000人の遺骨が残されていて、しかもそのうち2万人の氏名が不明というのである。
しかし、そんな事実に基づく映画を作ったとしても今の日本で見に行く人間はほとんどいないだろう。

しかも逆の立場から見れば、当時の日本人はむしろポーランド軍捕虜を粛々と殺害したソ連兵と同じになってしまう。
しばらく前に見た「南京・引き裂かれた記憶」によると、捕虜を収容所から連行、川岸で次々と射殺……って、場所が森と川の違いだけでやってることは同じである。
さらに証言者によると、川岸に連なっている死体の中で生きている奴はいないか、銃剣で刺して回ったという。これもまたソ連兵が、死体を転がした穴の中で同じことをやっている場面があった。
しかし、そのような題材の劇映画が海外で作られたとしても日本では公開されまい。

ということで、新年早々映画を観て、ジトーッとした複雑な気分になってしまった。さすが岩波ホールとしか言いようがない。


主観点:6点
客観点:7点

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「派遣村」じゃなくて……

どうして新聞やテレビなどで所在地が公表されてないのかと、その時はアヤシク疑問に思っていたんだけど--。
この記事この記事を読むと、なんだか支援じゃなくて世間の目から覆い隠す「管理」を目的とした「収容所」みたいに思えて来るのは、私がひねくれものだからかね

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2010年1月14日 (木)

2009年度日本インターネット映画大賞・外国映画部門投票

今年も日本インターネット映画大賞ブログに投票させていただきます。

[作品賞投票ルール(抄)]

 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで

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『 外国映画用投票フォーマット 』

【作品賞】(5本以上10本まで)
  「母なる証明」         6点
  「アンナと過ごした4日間」   5点
  「バーダー・マインホフ 理想の果てに」4点
  「いのちの戦場 アルジェリア1959」3点
  「カールじいさんの空飛ぶ家」  3点
  「戦場でワルツを」       3点
  「沈黙を破る」         2点
  「チェ 39歳 別れの手紙」  2点
  「ダイアナの選択」       1点
  「パブリック・エネミーズ」   1点
【コメント】
「母なる~」も「アンナ」も卑近な人間の地を這うような営為を描いて秀逸。
ドキュメンタリー枠には「戦場でワルツを」とかぶっちゃうけど、「沈黙を破る」を入れた。でも、正直「アンヴィル」でも「精神」でも入れ換え可能である。


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【監督賞】              作品名
   [ポン・ジュノ] (「母なる証明」)
【コメント】
参りましたm(_ _)m 冒頭もビックリだがあのラストには降参です。次は何をやってくれるかなー

【主演男優賞】
   [ジョシュ・ブローリン] (「ブッシュ」
【コメント】
中身のない人間を、本当に中身が無いように演じるのは至難の業だと思う。

【主演女優賞】
   [キム・ヘジャ] (「母なる証明」)
【コメント】
文句な~し。

【助演男優賞】
   [ジェイミー・フォックス] (「路上のソリスト」
【コメント】
ロバート・ダウニー・Jrの方が主役でいいんですよね? 観客が極めて理解し難い人物を日和ることなく直に演じていた。

【助演女優賞】
   [ヘレン・ミレン] (「消されたヘッドライン」
【コメント】
彼女にはこのぐらいの役はオチャノコサイサイか。

【新人賞】
   [ケイト・ツイ] (「天使の眼、野獣の街」
【コメント】
美人は仏頂面でも美人ですな。

【音楽賞】
  「母なる証明」
【コメント】
次に見る時は、冒頭の場面で一緒に踊っちゃおうかなっと。

【ブラックラズベリー賞】
  「ターミネーター4」
【コメント】
ラストで主人公が◇◇をありがたく貰っちゃうのには唖然とした。

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【勝手に○×賞】

【最凶決闘賞】
  [映画ネタ三角決闘] (「サーチャーズ2.0」
【コメント】
三人の男が、B~Z級のアクション映画やマカロニ・ウェスタンなどの重箱の隅をつつくようなクイズの正解を競いあう。まことにアメリカ西部の荒野にふさわしい映画ヲタな決闘であるが、あまりにマイナー過ぎて凡人には問題の意味すら理解できないというのが「最凶」たる所以であろう。

【最優秀ボンクラ息子賞】
   [ジョシュ・ブローリン] (「ブッシュ」)
【コメント】
よもや二年続けてこの賞の受賞者が出るとは予想だにしなかった。
大統領になってもボンクラ息子はボンクラなんだなあ~。感動です

【麗しい兄弟賞】
   [ローガン&ビクター] (「「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」
【コメント】
この兄弟に対抗できるといったら、日本ではハトヤマ兄弟ぐらいなもん。

【最優秀悪役賞】
   [スティーヴン・ラング] (「アバター」
【コメント】
近年珍しいほどの直球な悪役である。悪役たるもの中途半端に善人ぽかったりせずに、主人公たちをとことんイビリ倒すのが務めなのであ~る。続編作るなら出して欲しかった。

※なお、これ以外の特別賞はこちらの記事をご覧ください。


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2010年1月11日 (月)

「パブリック・エネミーズ」:時代の闇に溶け行く犯罪者

100111
監督:マイケル・マン
出演:ジョニー・デップ
米国2009年

巷では「退屈で寝た」という意見と「J・デップの顔を見てれば長時間でも気にならないのよン」的言説の両極端に分かれるこの映画、私が見に行ったのはもちろんマイケル・マン作品だからであるよ。

思えば前作の『マイアミ・バイス』のリメイクは残念無念な出来であったが、今回はどうなのか--と恐る恐る行ってみた。
見終って思ったのが、これは前宣伝が間違ってる!ということだった。なんか『ヒート』の刑事と大物犯罪者の対決にプラス恋愛モード……みたいな印象で、てっきりそう思い込んでいったら、こりゃ違う。そうじゃなくて同じ監督の伝記映画『アリ』の路線だろう。

思い返せば『アリ』は実在の主人公一人に視点を絞ってその周囲に様々な人々や事件や時代を象徴するものを配列していった。で、個々の描写には深入りせずさーっと流して行く。その「流れ」に乗って意識が入り込んでしまえば、長時間でも気にならずあっという間に終わってしまう。

この『パブリック・エネミーズ』も全く同じ。デリンジャーという大恐慌時代を代表した犯罪者を同様の手法でたどっていく。だから、M・コティヤールの恋人やC・ベイルのFBI捜査官も決定的な対立軸とはならず、主人公の背景の一つになっちゃうのだ(むしろFBIの創世期という視点の方が大きい?)。
この表層をなでていくような手法は、コテコテの濃ゆい描写を求める人には全く不向き。一方、乗ってしまうとのめり込んでしまうだろう。

ただ、問題なのはアリの場合はボクシングの大試合で盛り上がるけど、銀行強盗の末路では今一つ盛り上がりに欠けるというか……
さらにラストも今一つ尻つぼみな感じをぬぐえない。せめて一般市民が行き交う歓楽街でどんな風に撃たれたのかを詳しく見せてくれればまだしも、それもなくてあっという間に終わってしまうんで、何やら物足りなさが横溢するのであった。でも、照明灯を焚いて記者やカメラマンが群がるシーンはやはり『アリ』のラストを思い起こさせた。

それ以外には、当時の男性の服装はたいてい帽子にスーツなんで人物の見分けが付けにくいというのが難であった(結局、手下の名前と顔が最後まで一致せず)。
あと、あの時代の映画館はタバコの煙でモウモウとし(私が子供の頃でさえそうだった)、捜査本部の灰皿は吸い殻が山のようになっていたはずなんだが……何にもないのは不自然。いくらなんでも、過去の時代の喫煙シーンを削るのはやっぱりヤリ過ぎだ。

とはいえ、キタキタキターっ(^O^)定番の銃撃戦 今回は夜の林の中という設定。やっぱりお見事よ だけど、時々画面の質感がカットごとに変わってるのは何故?
それから、当時は当然ながら電話(携帯)も無線もない時代。互いに連携しながら犯罪者を包囲するのは大変な作業だったわけだ。
なお、衣装や当時の車、小道具、背景などお見事な復元具合。背景に流れる曲の選択もセンスよし。

結局、今一つの決め手に欠けたというのが正直な結論だ。
マイケル・マンの作品で犯罪者ものは、やはり初期の『ザ・クラッカー』『ジェリコ・マイル』あたりが個人的には素晴らしい出来だったと思う。まあ、あんなのをもう一度作れといっても無理ですね。


ところでご近所のシネコンで見たのだが、私が入場した時にその館内には5人(自分を入れて)しかいなかった。私は何時間も前に一番最初に真ん中の通路ぎわの座席を取っておいたのだが、行ってみるとなぜか私の隣に親子連れ二人が座っていたのだった
……ということで、空席だらけの中でなぜか5人中3人がくっついて座る羽目になってしまったのである。な、なんで(?_?;
どうしてわざわざそんな座席の取り方する?? どこでも空いているのにさ。謎である。
仕方ないから、本編が始まってから別の通路ぎわの席に移動したけど、なんか割り切れん。混んでるときはいいけど、空いてる時の指定席方式は歓迎できないと改めて思った。


主観点:8点
客観点:6点

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2010年1月10日 (日)

リュリ 叙情悲劇「カドミュスとエルミオーヌ」:復古的にして新鮮

100110
演出:バンジャマン・ラザール
出演:アンドレ・モルシュほか
演奏:ヴァンサン・デュメストル&ル・ポエム・アルモニーク
会場:オペラ・コミック座(パリ)
2008年1月(初演1673年)
*DVD

先日行った「ヘンデル・オペラの名アリア」で、バロック・オペラのジェスチャーや照明法を復元したものを拝見させてもらった。興味深かったけど、はてこれを全編、現代の公演でやっても面白いものなんだろうか?という大いなる疑問を感じたのは事実である。

そこで、ヘンデルならぬリュリのオペラを完全復元したというこのDVDを見てみた(もちろん日本語字幕付き)。なにせ「ヴェルサイユ・バロック音楽センターの長年にわたる研究成果をもとに、衣装や音楽・ダンス・楽器、歌詞の発音や役者の所作などはもとより、前景・中景・後景といったプラン、舞台装置や背景絵画、さらには照明の光源にいたるまで、徹底して17世紀当時のスタイルを復元」というのだ。

照明はもちろんローソクによるフットライトを使用。歌手たちの顔の化粧は、その下側からの光に映えるような形で白塗りだ。手と腕を中心にしたジェスチャーは「ヘンデル・オペラの名アリア」の時よりはもっとさりげない感じだが、どうも美しく見えるように手も化粧しているようだった。
歌手は大抵の場合客席のほうに向いて歌い(表情がよく見えるように)二重唱の曲でも互いに向かい合って歌うということはほとんどない。
衣装は豪奢で思わずウットリ。当時の貴族たちの生活を想像しちゃったりして-- 愛の神が付けてる昆虫の触角みたいな長~い羽飾りにはビックリよ。

物語はあって無きが如し。流浪の王子カドミュスが、巨人族の支配するギリシアの地でエルミオーヌに恋するが、彼女は巨人の長の許嫁だった。しかしその背後では神々同士の諍いがあり、突然舞台に出現しては二人の邪魔をしたり応援したりする。言ってみれば他愛のないファンタジーのようだ。
そのせいか、これまで全曲録音さえされたことがなかったという。

プロローグでは本物の炎と共に嫉妬の神が怪物と共に現われたかと思えば、天井から太陽神がピカピカと降りてきて追い払う。嫉妬の神の背後で踊るダンサーは糸で釣られている者と舞台上にいる者が組んで、宙でくるくる回ったりしてサーカスみたい
第一幕以降も似たような感じでダンサーが大活躍だった。アフリカ人のダンスにさらに「巨人」が加わって踊る場面や、主人公とエルミオーヌが別れた後の場面で、鏡の前で彫像が動き出したかのような踊りなどが印象的で、しかもすべてバロック・ダンスによるものだ。
他には巨大なドラゴン(ハリボテだけど)が出現したり、そのドラゴンの歯をまくと甲冑の兵士がワラワラと出てきたり--。奇想天外な物語を忠実に実現していくのだった。
ただ、劇場の舞台が昔のバロック劇場ほど奥行きがないようで、大がかりな場面転換については物足りなかった。

歌手は合唱を除いても17人という多めの人数(バロック・オペラにしては)だが、主人公のアンドレ・モルシュをはじめ全員文句な~しの出来に思えた。エルミオーヌ役のクレール・フィリアトルはル・ポエム・アルモニークの来日メンバーに入っていた(お笑い担当の従者役の人も確かいたような)。

どの瞬間を取っても全てが優雅であり、祝祭的であり、観る者に圧倒的な幸福感を与える。古臭くも退屈でもない。不思議である。これこそ「魔法」というべきか。

演出は「聖アレッシオ」もやってたバンジャマン・ラザール。音楽総監督と指揮は昨年来日したヴァンサン・デュメストルだ。来日公演では地味にテオルボを弾いていたが、指揮ぶりもなかなか立派なもんである。
ラザールは生年1977年というからこの時30歳そこそこ え゛~っ、若い!ビックリだ。デュメストルも外見は似たような感じだから、同じく30代前半か(?_?;
オーケストラも若い人が多かったし、やはり本場には才能ある人がゴマンといるんだのうと、そういう面でも感心してしまった。
大枚六千円の元は完全に取れたというべきだろう。テレビをそのうち買い替えたら、もっとデッカイ画面で再鑑賞したいもんである。


さて冒頭の話題に戻すと、この手法が果たしてヘンデルのオペラにも通用するのかというとなんとも言いがたい。リュリの時代からヘンデル先生全盛期まで40~50年の差はある。作品の内容はもちろん、聴衆層も異なっていただろうし。
結局よくワカランというのが結論である。

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2010年1月 5日 (火)

「アバター」:最新技術を駆使した力作を阻むラスボスは「あの人」?

100105
監督:ジェームズ・キャメロン
出演:サム・ワーシントン
米国2009年

ジェームズ・キャメロン十ウン年振りの新作! もはや、興行成績は「ダークナイト」を越えたとか越えないとか。ということで見てきましたよ……2Dで。
なぜシネコンの同じ時間帯に3Dもやってたのに、敢えて2Dにしたのか--その理由は単に私がひねくれ者であるという以外にはない(火暴)
あ、でもメガネの上に3D用メガネなんてかけてられっかと思ったけど、今はちゃんと通常のメガネに取りつけられるのがあるんですねー(有料だけど)。知らんかった。
次からは「ひねくれ者」を止めて、素直ないい子になります(^^ゞ

物語はニューシネマ以降の西部劇(先住民に対する侵略行為を反省した)を設定だけSF版にしたと言っていい。
惑星の先住民ナヴィの村落の地下にはお宝の鉱山が眠っている。それを狙う企業に軍隊……。
主人公はさしずめ騎兵隊崩れというところか。先住民との融和を図る「女教師」がシガニー・ウィーバー扮する学者だろう。
しかし、それだけでなく観た多くの人が感じるだろうが、宮崎アニメの影響大。私は特に「ナウシカ」を連想した。だって、惑星ではマスクをしなければ人間は生きていけないって、まんまじゃないですかっ(!o!) 他にも似た場面多数あり。

他にも、主人公が「戦士」であるから受け入れられるというのは、ジョン・ブアマンの「エメラルド・フォレスト」を思い出した(息子じゃなくて、パワーズ・ブース扮する父親の方)。他作品の連想が相次ぐのは「カールじいさん」以上か。

異星の動植物や光景を一から造形したのは見事だ。大昔、B・オールディスの『地球の長い午後』を読んでその描写に感心したことがあったが、それが今や映像で作り上げたのだから大したモンである。ただ、ロジャー・ディーンのイラストに似ているという指摘が方々から上がっていて、言われてみればなるほどだ。
青い先住民も最初は不気味な感じだが、だんだんと慣れて来る。でも、主人公(のアバター)が口の端を曲げて笑うのはどうも慣れなかった。それとも中の人が地球人であることを強調するためにわざとやってるのか?
実際の役者の動きをトレースしてCGで作っているとのこと。完全に架空の生物であってももはや実写との境がないほどである。

しかし正直なところ、前半の平和で美しい異世界の描写はいささか単調で飽きてしまった。代わりに、後半の戦闘場面になると一気に興奮へと突撃だー(3Dでも見せ場か)。なぜ、破壊と暴力の光景は常にこのように美しく刺激的なのであろうか? ウットリして見ている自分がチョビッとイヤよ(^^;

かように視覚面では細心に作り上げられているのだが、お話の方は、となると……。
後から考えると辻褄が合わない部分が続出。それどころかそもそも基本の設定である、しち面倒くさいアバターなんてモノを作って先住民と接触するという事自体あまり説得性がないような(?_?; 一応、もっともらしい説明を付けてるけど。
さらに、心理描写はあって無きに等しい。どうして、M・ロドリゲスの女兵士(「エイリアン2」のバスケスを髣髴とさせると評判)が主人公たちに味方をするのか全く説明がない。「彼女がきっぷのいい姐御だからだ」ということ以外には思い当たらないのだ。
視覚的描写の労力の百万分の一でも心理描写の方にさいて欲しかった。(これって贅沢な要求か?)

それから、食事の場面がほとんどないという指摘をしていた人がいて、思い返すと確かにそうだった。銃撃ってる時以外は飯食ってるジョニー・トー作品なんかとは格段の違い。もしかして、さすがに食生活まで創造するのは手が回らなかったか

戦争終了の後はあっけなくてこれも少し意外だったが、キャメロンはどうやら三部作にする構想を持っているらしい。となると、当然続編は「資本主義帝国の逆襲」だろう。

この作品は最新技術を駆使したJ・キャメロンの渾身の力技であることには間違いない……が、力技であることが果たして面白いことを保証するかというと、その限りではないのであった。
なお、ラストに出た出た出た~っ字幕担当者の名前は「冥王の回し者」こと「あの人」ではありませんか! 完全に凶となった(>_<) 勝手に「ダイナマイト」とか訳さないように。


映像度:10点
納得度:5点

【関連リンク】
《水曜日のシネマ日記》
的確な感想です。確かに主人公の設定が弱い--というか何をどう感じているのか分からないんですなあ。

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2010年1月 4日 (月)

「キャピタリズム マネーは踊る」:求む日本版

100104
監督・出演:マイケル・ムーア
米国2009年

うーむ、こりゃ評価が難しい映画である。
今回、M・ムーアの標的は「資本主義」という怪物である。巨大な岩と相撲を取っているようなもんだ。
これをプロパガンダ映画だと評していた人がいたが、それどころかもはやアジテーション映画と言っていいだろう。なんせ最後にゃ「立ち上がれ、全米の労働者よ」となっちゃうんだから(^o^;

しかし、それも仕方ないかも。有名になり過ぎてもはやアポなし取材なんて出来ないし、まともに取材を申し込んでも相手が許可しないだろう。
こうなっては犯罪現場の封鎖テープをウォール街に引っ張るぐらいしかない。

住宅差し押さえの実況映像から始まって、米国内の資本主義の不条理な様相を事細かにこれでもかっと描いていくが、取り上げられていく事例が細かくてやはり国内向けなんである。おまけに上映時間も長いし……(コックリしてる人が結構いた)。もちろん、日本でも共通の問題はたくさん出て来るけど。
やはりこれは米国以外の国に向けたインターナショナル版も作って欲しい--って、それなら日本人が自分で日本のドキュメンタリーを作るべきですかい。
でも、大銀行を名指しで非難……なんてとっても出来ねえです(>_<)

それと、これだけ最近のネタを使っていると半年経てば、状況がガラッと変わってしまうという点もある。少し前のM・ムーアのインタヴューでは「オバマにはガッカリした」と言ってたし、日本に至っては総理大臣が変わってるし(^^;

とはいえ、見終って無から有をでっち上げるが如き資本主義のカラクリが少し分かったような気がした。
エンドクレジットで流れたビングバンド・ジャズ風「インターナショナル」が面白かった。

年末に見に行ったのだが、空いてるだろうと思ったら満員御礼で入れなかった(!o!) 仕方なく二時間半もブラブラして費やす羽目に どこも、かなりの人手でマイッタ。みんな大掃除やらんのか~(私もやってないが)。


難解度:8点
旬度:6点

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2010年1月 2日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 1月版&海外アーティスト公演編 2010年版

先月は川崎のBCJ「メサイア」公演に行けばよかったなあと後悔したが、もう遅いのであった。

*11日(月)「モダン・フルートによるJ・S・バッハ」(有田正広)
今年最初のコンサートはまたも有田先生。同じ日にアンサンブル・カペラのジョスカンもありますなあ。

*15日(金)コンチェルト・コペンハーゲン
*  〃   Ut/Fa&アンドレアス・ベーレン
CCは王子ホールの方の公演を取りました。……ので、近江楽堂の方には行けず、またも残念。

*16日(土)「フルートの肖像 4 ヘンデルの時代」(前田りり子ほか)

なぜか同じ週に固まってしまいました(^^;
他に行くかも知れないのが、
*22日(金)「中村孝志、これしかない 2」
*23日(土)「ドーヴァー海峡の向こう側 3」


「アントレ」誌の「2010年来日アーティスト情報」より
チケット購入済みは
*ヘンデル・フェスティバル・ジャパンのホグウッド
*ロベルタ・マメリ
*ニケ「アーサー王」
*ベルリン古楽アカデミー ←チケット争奪戦に敗れたはずがなぜっ その謎は2月に明らかになるであろう……なんちゃって(^^;ゞ

他に行きたいのは
*エマ・カークビー&ロンドンバロック ←近年のカークビーの歌は苦手ですが、ロンドン・バロックは聞きたいんで。
*アッコルドーネ ←なぬ(!o!)また来るんかい。絶対行くぞっと。でも、ガッティは来るかな~。来て欲しいのう。
*ヴィーラント・クイケン&レ・ヴォア・ズュメンヌ

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