「カティンの森」:岩波ホールで新春の悶々
監督:アンジェイ・ワイダ
出演:マヤ・オスタシェフスカ、アルトゥル・ジミイェフスキ
ポーランド2007年
かなり混んでいるという噂だったので、正月休みの延長で取れた平日の昼間に行ってきた。観客は中高年ばっかり。観察すると、岩波ホールとブンカムラでは同じオヂサンオバハンでも客層がビミョ~に異なるのであった。冬休みとはいえ、若い人はほとんどいなかった。やはり「巨匠」は敬遠されるものかね。もっとも、私にしてもワイダの作品を映画館で見るのは初めてなのだ(^^ゞ
1939年ポーランドはドイツとソ連の双方から侵略される。前門のドイツ、後門のソ連--というわけで、市民が右往左往する場面から始まる。
前半は将校である父親がソ連の捕虜となった母子を中心に物語が進む。これは、自身の父親も捕虜となったワイダ監督の実体験も反映されているようである。
やがて数年後、森の中で捕虜たちの銃殺体が発見される。ドイツとソ連は互いに罪をなすりつけあうが、市民の多くはソ連のしわざだと暗黙に了解しているのだった。(ということは、この話が虐殺事件の真相を明らかにする--というような謎解きではないことを示している)
大戦後になると、急に母子から離れて群像劇っぽくなってしまう。いきなり、見知らぬ人物が中心になったりして目が点(・o・)になっちゃう。会話に出て来る名前を聞いて、前半に出てきた兵士の家族だとかようやく認識できるぐらいだ。
次々と登場人物たちはソ連影響下の政府によって消されていく。ここら辺は、ワイダ……ということはポーランド国民の積年の恨みが溜まっているようで鬼気迫るものがある。
そして、最後に唐突に虐殺の場面が再現される。それはあまりに直接過ぎる暴力であり、正視に耐えぬものだ。完全に通常のストーリー構成というものを逸脱してしまっている有様は、もはや積怨を感じると言っていい。
だが、ドラマなき暴力描写は一方で外部の人間には共感を阻むものだ。私は見て、何かモヤモヤとしたものを感じた。いや「共感など求めていない」と言われてしまえばそれまでですが……
正直のところ、NHKのETV特集で放送されたワイダのドキュメンタリーの方が興味深かった(この「カティンの森」もかなり紹介されていた)。
それとは別に、心に引っかかったのは2点。
一つは父親の部下であった下士官が戦後に復員してきて、そのまま政府軍に所属して今度は同胞を心ならずも抑圧する側に回る。それを他の人物から「思いは違っているとしても行動は同じ。思いなど関係ない」と批判されるのだ。
これはいわゆる「面従腹背」を否定していると考えてもいいだろうか。
実は私の属するギョーカイでも一つの問題が長年続いていて、外部から「どーしてそんな反対をするのか。従っている振りでもすればよかろう」と言われているのだ。しかし、この映画の作り手にとっては「振り」などあり得ないということだろう。
もう一つは、日本人としてこの作品をどう観たらいいのかということだ。
旧ソ連にこだわるのならやはりシベリア虜囚問題は避けられない(私の父親もシベリアへ行かされた)。先日やっていたTVのドキュメンタリーによると、まだ5万3000人の遺骨が残されていて、しかもそのうち2万人の氏名が不明というのである。
しかし、そんな事実に基づく映画を作ったとしても今の日本で見に行く人間はほとんどいないだろう。
しかも逆の立場から見れば、当時の日本人はむしろポーランド軍捕虜を粛々と殺害したソ連兵と同じになってしまう。
しばらく前に見た「南京・引き裂かれた記憶」によると、捕虜を収容所から連行、川岸で次々と射殺……って、場所が森と川の違いだけでやってることは同じである。
さらに証言者によると、川岸に連なっている死体の中で生きている奴はいないか、銃剣で刺して回ったという。これもまたソ連兵が、死体を転がした穴の中で同じことをやっている場面があった。
しかし、そのような題材の劇映画が海外で作られたとしても日本では公開されまい。
ということで、新年早々映画を観て、ジトーッとした複雑な気分になってしまった。さすが岩波ホールとしか言いようがない。
主観点:6点
客観点:7点
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コメント
初めまして。こんばんは。
道楽ねずみともフランツとも名乗っている者です。
この映画の後半部分や最後の部分に同じような感想を書いておられるので興味深く詠みました。確かに最後の虐殺シーンは通常のストーリー構成を逸脱していますね。
私もこの映画を見終わった後,最後の場面以外のストーリーがすべて吹っ飛んでしまい,ドキュメンタリーを見たような感想を持ちました。最後の場面に至るまでにワイダが工夫を重ねて作ったストーリーの展開はすべて忘れてしまいそうになるくらいでした。
投稿: フランツ | 2010年5月28日 (金) 22時40分
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、作劇上のバランスを完全に崩してまで、描きたかったのがあのラストだったのかと思えました。
個人的にはただならぬ「執念」の表われと感じました。それをどう評価するかは難しいところです。
投稿: さわやか革命 | 2010年5月30日 (日) 12時21分