「パブリック・エネミーズ」:時代の闇に溶け行く犯罪者
監督:マイケル・マン
出演:ジョニー・デップ
米国2009年
巷では「退屈で寝た」という意見と「J・デップの顔を見てれば長時間でも気にならないのよン」的言説の両極端に分かれるこの映画、私が見に行ったのはもちろんマイケル・マン作品だからであるよ。
思えば前作の『マイアミ・バイス』のリメイクは残念無念な出来であったが、今回はどうなのか--と恐る恐る行ってみた。
見終って思ったのが、これは前宣伝が間違ってる!ということだった。なんか『ヒート』の刑事と大物犯罪者の対決にプラス恋愛モード……みたいな印象で、てっきりそう思い込んでいったら、こりゃ違う。そうじゃなくて同じ監督の伝記映画『アリ』の路線だろう。
思い返せば『アリ』は実在の主人公一人に視点を絞ってその周囲に様々な人々や事件や時代を象徴するものを配列していった。で、個々の描写には深入りせずさーっと流して行く。その「流れ」に乗って意識が入り込んでしまえば、長時間でも気にならずあっという間に終わってしまう。
この『パブリック・エネミーズ』も全く同じ。デリンジャーという大恐慌時代を代表した犯罪者を同様の手法でたどっていく。だから、M・コティヤールの恋人やC・ベイルのFBI捜査官も決定的な対立軸とはならず、主人公の背景の一つになっちゃうのだ(むしろFBIの創世期という視点の方が大きい?)。
この表層をなでていくような手法は、コテコテの濃ゆい描写を求める人には全く不向き。一方、乗ってしまうとのめり込んでしまうだろう。
ただ、問題なのはアリの場合はボクシングの大試合で盛り上がるけど、銀行強盗の末路では今一つ盛り上がりに欠けるというか……
さらにラストも今一つ尻つぼみな感じをぬぐえない。せめて一般市民が行き交う歓楽街でどんな風に撃たれたのかを詳しく見せてくれればまだしも、それもなくてあっという間に終わってしまうんで、何やら物足りなさが横溢するのであった。でも、照明灯を焚いて記者やカメラマンが群がるシーンはやはり『アリ』のラストを思い起こさせた。
それ以外には、当時の男性の服装はたいてい帽子にスーツなんで人物の見分けが付けにくいというのが難であった(結局、手下の名前と顔が最後まで一致せず)。
あと、あの時代の映画館はタバコの煙でモウモウとし(私が子供の頃でさえそうだった)、捜査本部の灰皿は吸い殻が山のようになっていたはずなんだが……何にもないのは不自然。いくらなんでも、過去の時代の喫煙シーンを削るのはやっぱりヤリ過ぎだ。
とはいえ、キタキタキターっ(^O^)定番の銃撃戦 今回は夜の林の中という設定。やっぱりお見事よ だけど、時々画面の質感がカットごとに変わってるのは何故?
それから、当時は当然ながら電話(携帯)も無線もない時代。互いに連携しながら犯罪者を包囲するのは大変な作業だったわけだ。
なお、衣装や当時の車、小道具、背景などお見事な復元具合。背景に流れる曲の選択もセンスよし。
結局、今一つの決め手に欠けたというのが正直な結論だ。
マイケル・マンの作品で犯罪者ものは、やはり初期の『ザ・クラッカー』『ジェリコ・マイル』あたりが個人的には素晴らしい出来だったと思う。まあ、あんなのをもう一度作れといっても無理ですね。
ところでご近所のシネコンで見たのだが、私が入場した時にその館内には5人(自分を入れて)しかいなかった。私は何時間も前に一番最初に真ん中の通路ぎわの座席を取っておいたのだが、行ってみるとなぜか私の隣に親子連れ二人が座っていたのだった
……ということで、空席だらけの中でなぜか5人中3人がくっついて座る羽目になってしまったのである。な、なんで(?_?;
どうしてわざわざそんな座席の取り方する?? どこでも空いているのにさ。謎である。
仕方ないから、本編が始まってから別の通路ぎわの席に移動したけど、なんか割り切れん。混んでるときはいいけど、空いてる時の指定席方式は歓迎できないと改めて思った。
主観点:8点
客観点:6点
| 固定リンク | 0
コメント