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2010年3月14日 (日)

「ダイドーの嘆き」:音楽が死んだ後に

100314
演奏:波多野睦美ほか
会場:ハクジュホール
2010年3月9日

ちょうど一週間前のロベルタ・マメリのソロ公演と対になるかのように行われた、CD(「ソリチュード」)発売記念コンサートである。

最近、どうもコンサートとなると寒い日ばっかりに当たるのはどうしたことよ、とブツブツ言いながら職場から出れば、なんと(!o!)外は雪になっているじゃあーりませぬかsnow これはマイッタ。
しかし、思い起こせば先日の「アーサー王」の時も津波が来たし、こ、これはもしかしてあの世のパーセル先生が「同じメモリアル・イヤーだというのに、ヘンデルなんぞばかりにかまけおってω(T_T)ω 許せん!祟ってやる~」と呪いの波動を送ってきているのであろうか。

おまけにハクジュホールのビル入口では傘立てが足りなくて、客が右往左往dash 開演まで後5分!どうすりゃエエえんじゃあ(>O<)と危機的状態になった時に、様子を伺っていた係員がおもむろに新たな傘立てをガラガラ引っ張り出して来たのであった。なんだよ、そんなら最初出しといてくれい。

が、内容はそんなことには関係なく素晴らしいものだった。
前半はCD収録曲を中心にパーセルの様々な歌曲を、芝崎久美子のチェンバロと福沢宏のガンバをバックに歌った。その後二人が引っ込んで、今度はつのだたかしが登場。開演前にも調弦をずっとやっていたのに、リュート様が御機嫌斜めなのか、またもやエラ~く長く調弦していたのだった。もちろん、観客はじっと黙ってリュート様の機嫌が直るのを待っていたのである。ようやく再開後に3曲が歌われた。

他の作曲家に比べてパーセルはやはり言葉の響きに対してのこだわりが並みではないと思う。コミカルな「エジンバラの街から遠く」には単語の執拗な繰り返しが何度も登場する。こうして生で聴いてみると、その部分が録音よりも遥かに歯切れよく聞こえてくる。
もちろん、それは歌い手がそう理解して表現しているからこそだろう。「恋が甘いものなら」の最後の言葉の語尾が、ハクジュホールの中で余韻を残しつつエコーとなって消えていった時もまた、ヒシヒシとそれを感じたのであった。

後半は「ダイドーとエネアス」(ダイドーって英語読み?)を、パーセルの他の作品も混ぜて再構成。女王と魔女の双方を一人で歌ったのであった。これは過去にも「ひとときの音楽」というCDを出した時のコンサートでも同様の試みをやっていた。その時は寺神戸亮のアンサンブルが共演だったが、今回はさらに小さな編成だ。
その時は魔女役の時もかなりの激しさで歌っていたと記憶しているが、今回はそうでもなく、女王の心理の方を中心にしていたようだ。
ラストのダイドーのラメントでは繰り返される「リメンバー・ミー」の部分が慟哭--というのとは違う、何か悲しみの巨大な風がホールを吹き抜けて行ったような印象だった。まさに胸を衝くとはこのことであろうか。聴いてて、思わず涙目sweat02になってしまった。何回かこの曲を生で聴いた事があるが、こんなのは初めてであるよ。客席からはホーッとため息がもれたほどだった。

アンコールは打って変わって、陽気な「恋していると彼女はもう告白する」(多分)でオシマイ。
先週のR・マメリに続き、またも大満足fullだった。

外に出るとグジャグジャした雪が積もっていた。まだパーセルの祟りは解けなかったようである。帰りの代々木八幡の駅は吹きっさらしで寒かったwave


ところで、このコンサートの冒頭では音楽を賛美したパーセルの曲が数曲続いたが、聴いているうちに加藤和彦の遺書の話を思い浮かべた。彼は宛て名のない遺書に「世の中は音楽なんて必要としていないし、私にも今は必要もない」と書いてあったというのである。なんと悲しく寂しい言葉であろうか。私にもいつかそういう時が来るだろうか?
音楽の死とは誰からも必要とされなくなった時なのだろう。


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コメント

パーセルはメロディメーカーとしても、歌詞の生かし方でも、本当に群を抜いて優れた作曲家ですよね。
自称ディドのわたしも、ダイドー(英語読み)の「嘆きの歌」を聴いたら、皆川先生のように、不覚にも落涙を禁じえないのです。(ただし、声の相性がいい人が歌った場合のみ)
波多野さんのパーセル歌曲は、ぜひ一度ナマで聴いてみたいものです。
4月中旬から2週間里帰りの予定です。早く、4月のマイナー・コンサート情報を教えてください!

投稿: レイネ | 2010年3月14日 (日) 17時51分

真の芸術家が言う「必要」というのは、我々凡人が言うところの「必要」とは違うとおもうのであります。

投稿: あたろう | 2010年3月14日 (日) 20時50分

 >レイネさん

パーセル作品は、あっさり味ながらその中に様々な感情が内包されているなあとシミジミと感じました。
いつかぜひナマ波多野睦美、聴いてみてくだせえ(^^)

|4月のマイナー・コンサート情報

うむむ、3月の充実ぶり(先週はA・ショルの公演もあったとか)に比べ、4月は……down
もう少し探してみます(;^_^A

投稿: さわやか革命 | 2010年3月16日 (火) 07時18分

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