演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
2010年4月3日
BCJの今年度の定期公演1回目は「マタイ」である。が!……私はなんとうっかりダブル・ブッキングをしてしまったのだー(>O<)ギャァ~~
そこで私は2日のオペラシティの公演のチケットを友人に譲り、翌日のさいたま芸術劇場のチケットを改めて購入したのであった。おバカである(+_+)トホホ
両日とも満員御礼だったとのこと。
今回のエヴァンゲリストはクリストフ・ゲンツ(クイケン版の受難曲でも同じ役をやってる?)、ガイジン勢のソリストはレイチェル・ニコルズに、アルトがマリアンネ・ベアーテ・キーラント(チラシに使われている写真より若くてキレイ)、バスが2年前に同じ会場でも歌った(イエス役ではなかったが)ドミニク・ヴェルナーである。
冒頭のコラールが以前に比べてかなりゆっくり目で始まったのにやや驚いた。もしかして「ロ短調ミサ」の路線で行くのかしらんと思ったが、そういう訳でもなかったようだ。代わりに曲と曲の間はものすごく転換が早い。常に間髪入れず次の曲が始まると言ってもいいぐらいだ。
ゲンツは語りかけるように歌うことに徹してるように聞こえた。一方、ヴェルナーのイエスは柔軟で包容力を感じさせるものだった。ニコルズの声は清澄で美しくウットリと聞かせてくれたが、キーラントは今ひとつの感じ。ソプラノとの二重唱は溶け合うような響きでよかったんだけどね……。アルトの聞かせどころの曲がやや盛り上がりに欠けちゃったのは問題であった。
日本人ソリストたちも数日前のカザルスホール公演の時より調子が上だったようでメデタイ
しかし、今回個人的に印象に残ったのはコラールであった。イエスの死の直後の62番はもちろんだが、ペテロの否認後のの40番や44番など、コラールがこれほど力強く感動的だとは……思ったことがなかった。今ごろ気付くなって?(・_*)\ペチッ
バッハ先生、すいません<(_ _)> 私はまだまだ修行不足であります。
後半のガンバは福沢宏だったが、いくらなんでもずっと調弦しないで弾いてて大丈夫なのかしらんと思っていたら、なんだか途中で(57番のアリアか?)すっこ抜けたような感じが……。気のせいか。
ラストはオペラシティ公演と同様、当時慣習的に受難曲後に演奏されていたという簡素なモテット(バッハ作ではない)が続けて歌われた。定期会員が多いオペラシティではさすがに拍手が入らなかったようだが、こちらではフライング拍手が入ってしまった。大体、指揮者が手を下ろす前に拍手するなって ダ埼玉だからって許されんぞ~。
オペラシティでは恒例の定期公演プログラムに歌詞が入っていて、買わなかった人も多かったようだけど、この日は無料で歌詞と簡単な解説の入った冊子が無料で配布されるという大盤振る舞い。ありがたいこって(^^)
しかし、実のところはやはり受難曲は歌詞が重要なのでオペラ並みに字幕で出してもらいたいところである。費用の面など色々あるだろうが……。
休憩時間にやたらホール外に人があふれていると思ったら、ニナガワの「ヘンリー6世」公演の休憩と重なったらしい。ただ、その上演時間が昼の1時から夜の9時半……スゴ過ぎです
それにしても、さいたま劇場の音楽ホールは定員約600人ということだが、この規模の古楽の公演を聴くにはちょうどいい大きさである。残響も多過ぎず少な過ぎず、座席は段差があるのでどんな大男が前に座っても大丈夫(^o^)b
独唱の歌声は明瞭に聞こえ、合唱は迫力とともに響く。誠に心地よい ダ埼玉で数少ない誇れるものだろう。
ただ、難は周囲や駅前にロクな店がいつまでたっても出来ないこと。BCJは打ち上げに隣りの焼肉屋を利用するんざんしょか(^○^;)
さいたま劇場は昨年が開館15周年だったようである。その記念特集号の冊子が置いてあった。ついでに書いておこう。
当初の運営は(特に宣伝面が)ひどいものだったことはよく知られていることだろう。とある劇団が芝居の宣伝をしようとしても、こちらでやりますと断られた揚げ句、ろくに客が来なかったとか。新聞の演劇評に、内容は素晴らしいが空席が多くて残念と書かれたりとか。
私が初めて行ったのはオープニング・シリーズでのクイケン・アンサンブルだった。確かフランス・バロックのプログラムをやってた頃である。「ぴあ」に公演があるとだけ記載されていたが、演目などは一切分からなかった。当時、古楽を聴き始めた頃なので、とにかくなんでもいいや~、新しいホールにも行ってみたいしとカザルスホールでのチケットも持っていたにも関わらず買ってしまった。
(と、ここまで書いて思い出したのだが、クイケン兄弟も以前はカザルスでよく聴きましたなあ)
当日行ってみて何が驚いたって、客が三分の一強しか入っていなかったことである できたてのピカピカの美しいホールに空席ばかり、真ん中に客が固まってるだけ……。名の知れた海外アーティストの公演であれほど空席が多かったのはいまだかつて知らない。座っているだけで、なんだか冷汗がでてくるような気分だった。偶然出会った同業者は半額でチケットを買ったという(県の方から流れて来たらしい)。
開演して演奏者が出て来た時、私は前から5番目ぐらいの列だったので、ヴァイオリンの寺神戸氏が客席を見て明らかに驚いた表情を浮かべたのがよく分かった。一方、元々ステージ上ではポーカーフェイスのクイケン親父たちは(チェンバロはコーネンだったと思う)全く何事もないように淡々と演奏を始めた。
もちろん、聴衆の多寡によって報酬が変わるわけではないから当然といえば当然だが、いくらなんでも客がガラガラではやる気が違ってくるだろう。しかし、その時の演奏は後日の満員のカザルスホールでのものと全く遜色がないものだった。
これも昔の話である。今回のマタイ公演が満員でめでたい限りだ。
その15周年記念号を眺めていると、今の蜷川幸雄が芸術監督に就任する以前のことは闇歴史として封印されているようだが。