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2010年4月

2010年4月30日 (金)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 5月版

4月も一つコンサートに行けなかったのがありましたですよ(T_T)
アーノンクールの「ロ短調ミサ」の発売はS席二万八千円ナリに仰天して◆謹んで辞退させていただきました。

*5日(水)某所の無料コンサートに突撃できるかどうか(^=^;

*13日(木)ロンドン・バロック
「マイナー」とは言えないですが。

その他
*15日(土)歩いてきた道(宇治川朝政&福間彩)
*21日(金)アンサンブル 「ラ・トリプラ・エモツィオーネ」
などもありますが、行くかどうかは不明。

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2010年4月29日 (木)

「アイガー北壁」:雪山は厳しくロマンスは緩く

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監督:フィリップ・シュテルツェル
出演:ベンノ・フユルマン
ドイツ・オーストリア・スイス2008年

全く聞いたことのない映画だったが、予告で見て面白そうだったので行ってみた。私はわざわざ高い所に上るより家の床でゴロゴロしている方がいいという人間なので、顧みればほとんど登山もの映画は観ていないんである。それが、なぜ興味を弾かれたかというと、戦前のナチスがらみの物語らしかったから。しかも実話だというのだ。

1936年、ベルリン・オリンピックを控えてドイツ政府はアイガー北壁を初登攀した者に金メダルを与えると宣言。そこで各国から登山家がやってくる。
二人のドイツ人の若者が参加して、俄に期待が高まる。メディアや見物客が地元の高級ホテルに集って、今か今かと待っているのに対し、主人公たちを含めて肝心の登山家たちは麓でテント生活である。その対比はかなり強烈だ。

地元のガイドたちが天候がよくないからダメだと語るなか、ドイツ組とオーストリア組が登頂を開始する。

いやー、正直言って、久々にのめりこんで映画を観た。こんなに必死にスクリーンを凝視したことは久しくない。この画面没入度は『アバター』を越えると言ってもいいくらいだ。
ほとんど垂直(に見える)の北壁のわずかな凹凸にしがみつく主人公たちに、襲い来る雪嵐! まるで豪雨の時の雨水のように岩山の突起から雪が流れ落ちていくのである。恐ろしい{{(>_<)}}ブルブル なんであんな所に行く気になるのか到底理解できん。
雪山の場面になると、身体が無意識にストレスを感じるらしくてなんだか全身がキシキシいうような気分になる。さらに息苦しさまで感じ身動きできなくなるような感覚に襲われた。

それと並行して描かれるのは、下界での国家の威信とスポーツの相克--みたいな展開になるのかと思いきや、そうではなく男女のロマンスなのであった。期待していた社会性の要素は、記者志望のヒロインの上司が登頂競争を煽るメディアを代表する人間であり、さらにナチスの支持者であることに現われてくるぐらいだ。
また、そのロマンス部分が鬱陶しくていささかぬるい。それにヒロインがブリッ子ぶっててどうにもいけすかないんである。雪山部分から場面転換すると、現実に引き戻されてボルテージがいささか下がってしまうのはどうしようもない事実なのであったよ(+_+)
映画の作り手としては、上流階級な生活への憧れと幼なじみの登山家の間で揺れる女心を描きたかったんだろうけどさ。

それにつけてもどうしてこんな悪い方向へと全てが転がり悲劇となってしまったのか? 人間の心の不条理な動きと偶然の賜物のせいだろうか。
あと、ヒロインの上司はかなり批判的に描かれてるがどうだろう。そこに山があるから登山家が登るように、特ダネがあれば何がなんでもスクープしようとするのが記者根性であろう。そのネタがでかくて悲劇であればなおさらだ あんまり責めようという気にもならない。

映画館の大画面での鑑賞を推奨。この迫力は明るいリビングや小さなモニターでは味わえません。
ヒロイン役はどこかで見た顔だと思ったら『バーダー・マインホフ』に出てた人だったのね。


迫力点:9点
ロマンス点:5点

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2010年4月25日 (日)

「カンタービレ様式の至芸」:リュートの音に過去・現在・未来を聴く

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ラウフェンシュタイナーの音楽
演奏:佐藤豊彦
会場:近江楽堂
2010年4月9日

CD発売記念として行われたバロックリュート・リサイタル。
今回取り上げられた作曲家は現在のオーストリアにある町で1676年に生まれたヴォルフ・ヤコブ・ラウフェンシュタイナーである。正直言って、初めて名前を聞きました(^^; 当時のバイエルン公に仕えたそうだ。様々なジャンルの曲を作曲したが、現在ではほとんど残っていないとのこと。

そのラウフェンシュタイナーの組曲形式の独奏曲が演奏された。楽器はもちろん齢400歳の正真正銘オリジナル楽器「グライフ」である。リュート様のためにエアコンは切られ、さらには加湿器もしっかり稼働。さもなければたちまちにリュート様はベリッと壊れてしまい、修理屋行きなのだ。人間どもはひたすらガマンなのよ。

それにつけてもこの楽器、今回の作曲者の生年よりもさらに何十年も前に作られているのだ(元はルネサンスリュート)
佐藤豊彦の話によると、よい楽器というのは装飾も少なく繰り返し使われ続けるもので、やがていつか壊れて消えていってしまうのだという。従って、博物館に保存されているようなものは、そもそも貴族がポロンとたまに弾いてみたぐらいで、キレイで傷もないが、実際に演奏してみるとどうもあまりよくないとのこと。
その証拠に「グライフ」様は装飾のソの字もないぐらいに誠に地味~なお姿なのであった。
何年かおきに修理に出せば、代々使い続けていくことが可能であり、私がいなくなってもこのリュートは残ってずっと演奏され続けるんでしょうなあ--と佐藤師匠は感慨深げにそしてちょっと寂しげに「グライフ」様をナデナデしたのであった。

一体、作曲家も演奏者も聴き手も全て塵と化し忘れ去られた後も、楽器は残り聴かれ続ける--とはどういうことだろうか。
この夜、聴衆はその気分を味わった。ラウフェンシュタイナーの音楽は派手でもなく、華やかでもなく、名曲!と持ち上げるものではないが、まさしくそれが生きている時代を感じさせたのである。

【関連リンク】
《ガット・ギターと共に》


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2010年4月24日 (土)

7なんて知らないよ

「Yahoo!掲示板が使えない。」

私の同業者の某職場ではまだWindows98を使っている。なぜなら、いくら申請しても予算が出ないからだそうだ。
LANにはつなげないので、データは多分フロッピーを使って移しているのだろう。
セキュリティ・ソフト? インターネットはアクセスしてないようなので、関係ないはずだ。
まことに資本主義の論理は簡単。カネがなければ98を使え!だ。

ところで、私の職場のパソコンはXPなんだが、次にいつ新品を買ってもらえるか不明である。少なくともあと3年……いや、5年は使い倒す覚悟はしておかねばなるまい。
Windows7なんて知らないやい(T_T)グスン

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2010年4月22日 (木)

「しあわせの隠れ場所」:一体これは現実なのか--見ていると不安になる作品

監督:ジョン・リー・ハンコック
出演:サンドラ・ブロック
米国2009年

苦労は分かるが、この邦題はやはり何とかして欲しかった(\_\;

オスカーがらみの映画としては『ハート・ロッカー』と並んで評価の分かれる作品である。裕福な白人一家が夜のドライブ中に、息子と同じ学校に通っているという以外に縁もゆかりもない黒人少年が雨の中を着のみ着のままで歩いているのを見かけて、車に乗せて連れ帰り、そのまま家で同居させてやる……。
何が驚くってこれが実話(!o!)だということだ。でなければ、こんなデタラメな話を書く脚本家は力の限りに罵倒されるだろう。

映画ファンとしては当然、車に乗せた少年が実は連続殺人鬼(→『ヒッチャー』)とか、家に入った途端にバットで主人を襲撃(→『ファニーゲームU.S.A.』)みたいな展開を想像するのだが、そうはならない。
しかし、見ている側としては実話と分かってはいても、「なんだか信じられん」感から逃れられずただボーッと事態を眺めるのみなのである。
露骨な感動盛り上げ路線を避けているのはいいけど、逆にそれが裏目に出てしまったのかも知れない。

少年を家に連れ帰ったヒロインについては、実物は相当にキョーレツな人物らしい。サンドラ・ブロックは自らの「隣りのおねーさん」の持ち味を生かして、「きっぷのいい奥さん」風に嫌味なく演じているが、むしろキョーレツなままなキャラクターの方が真実味というか説得力が出たかも知れない。
メリル・ストリープとオスカーの主演女優賞を競って、直前まで下馬評が分かれた揚げ句に彼女がゲットしたのだが、正直それに値する演技であるかは疑問である。人柄好感票とか「今回上げなければもう貰えないだろうし」票が集まったのかね(^^?

それにしても、奥様仲間から「同じ屋根の下に年頃の娘さんと一緒で大丈夫」と言われてタンカを切ったはいいが、後で心配になって(今さらのように)娘に尋ねてみるって……これもホントですか なんだかこれでは、ウッカリ奥さんだ。

それから実話と言っても少なくとも十年ぐらい前の話なのかと思ったら、最後に御本人たちのその後が登場する場面で、その時点で少年はようやく大学を卒業してフットボールのチームに入ったばかりなのが判明する。これまたビックリ。青田買いな話であるなあ。

まあ、S・ブロックのファンとアメフト・ファンにはにオススメと言っておこう(本物のコーチやらスカウトマンが多数登場してるらしい)。これも上映時間2時間以上。最近こんなのばっかだ
それから字幕を読んで何を意味しているのかどうもよく分からない場面が数か所あり。DVD発売時には改善されていることを祈る。


現実度:5点
トンデモ奥様度:7点

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2010年4月18日 (日)

「イギリスのコンソート音楽 勇気と喜びのシンプソン」:まさに「共」演を楽しむ

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演奏:ザ・ロイヤルコンソート
会場:日本福音ルーテル東京教会
2010年4月6日

6人組ガンバ弾きと鍵盤(上尾直毅)によるザ・ロイヤルコンソートの定期的な演奏会。今回は特別ゲストもなくじっくりと英国のコンソート音楽を味わう公演となった。

とはいえ、作曲家のメンツはギボンズ、ジョン・ブル、ジェンキンズ、そしてタイトルとなっているシンプソンにしてもマイナーどころがズラリという印象だ。(一曲だけダウランドあり)

他の作曲家の作品は5~6声によるものだが、シンプソンのだけは二人もしくは三人による掛け合い風の演奏になっている。特に後半にやった『四季』の「春」は大曲でお見事。
上村かおりは解説に「難しいパッセージが交差するのですが、競演というよりはフィギュアスケートのように支え合って美しい」と書いているが、まさにその通りの演奏だった。

あと、「元祖ナオキ」こと上尾直毅が弾いたブルのチェンバロ独奏曲は〈どすこい〉風の低音に高音が自在に駆け巡るという聴いててとても面白いものだった。

ラストのジェンキンズでは、譜久島譲が楽譜を忘れたとあわてて楽屋に引っ込んだが、なかなか戻って来ない。実はちゃんと譜面台の楽譜の中に入っていたとゆうギャグのようなひとときも……お茶目な人である。

外の街の喧騒とは無縁のゆったりとした「コンソート時間」とでもいうものを客席もゆらゆらと堪能したコンサートだった。


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2010年4月17日 (土)

新感線「薔薇とサムライ」:赤坂の夜は怒濤のテンコ盛り芝居で更け行く

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会場:赤坂ACTシアター
2010年3月18日~4月18日

古田新太扮する石川五右衛門が復活。この度はもはや舞台は日本ではなく欧州へ。
まずは天海祐希扮する女海賊が登場してひと暴れ。その後は小国のお家騒動がからんで、今度は革命・クーデター・大海戦--とテンコ盛り状態である。

かと思えば森奈みはると天海祐希の元宝塚組の掛け合いあり、神田沙也加のお姫様とむくつけき女装海賊発現のエピソード、さらに五右衛門を狙う賞金稼ぎや脳天気風王子も入り乱れる。話が進むにつれてベルばら調になったかと思えばジャンヌ・ダルクになったり、大変なもんだ(@_@)
歌あり(ロック・ミュージカルなので当然だが)踊りあり殺陣あり、今回も一万二千円の元は完全に取れたと言えるだろう。

ただ、今回も肝心の五右衛門は狂言回し風というか、五右衛門じゃなくて別の人物でも全く構わない感じだった。この調子で同時代の各地を回っていくのかね? だったら、次はインド編でお願いします(^^;

珍しくもイープラスの先々行の抽選にあたったので、これまでの会場の後ろの方の転げ落ちそうな座席ではなく、舞台に近い所で見れたのはラッキーであった。後半なぜかベルばらのオスカル風の出で立ちとなった天海祐希(黒髪も金髪に)が、間近に通路を歩く姿も観察できた。スタイルよくて細~い思わず友人共々ため息( -o-) sigh... フツーのオバハンにはもはや縁遠いスタイルである。

これまでは大道具とセットの派手な転換が売りの一つとなっていたが、背景をCGに変えていた。ちょっとゲーム画面ぽい? でも、ギャグのツッコミを補強する映像や部分的にアップの画面が出たりするなど大活躍であった。
ただ、休憩時間にスクリーンに流れていた宣伝画像(ポスターと同じ?)の古田の顔は細面になっていて、友人が「あれは本物の写真でなくて、CGで描いたものに違いない。誇大広告だ」と主張していたことは付け加えておこう。


終演後は赤坂の居酒屋を初体験。周囲は歓送迎会モードのサラリーマンであふれかえっていた。

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2010年4月13日 (火)

「ハート・ロッカー」:爆弾こそわが命

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監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジェレミー・レナー
米国2008年

うーむ、感想を書くのが難しい作品である。少なくとも「アカデミー賞獲得祝い」と言ってポップコーンとコーラ片手に見に行くような映画ではないことは確かだ。

軍の爆弾処理班の活動を淡々と追った擬似ドキュメンタリー風のタッチは、好戦映画ではないが反戦を訴えるわけではなく、退屈ではないが刺激的でもなく、兵士に肩入れしているようで実は突き放しているようにも見える。

視点は一貫して米軍兵士の側にあり、周囲にいるイラク人はみなテロリストのようで疑わしい。班の中で爆弾処理の作業をもっぱら行なう主人公はたまたま基地の前で商売をする少年を可愛がるが、実際には他の子供と顔の判別もできていない。
兵士はみなストレスを抱え、敵にやられる前に自己崩壊してしまいそうだ。

また、ある時は賞金稼ぎと共に砂漠でテロリストを狙撃する。しかし、敵を本当にせん滅できたのかどうかさえよく分からない。ダラーっと時間がただ流れるのみ。
このさりげなく現われた「賞金稼ぎ」はいわゆる軍事請負会社のメンバーだそうだ。いくら占領下とは言え、他所様の国でこんなことしてていいんかね……というような実情もさり気なく描かれる。

でも、これまた2時間超!で長過ぎる。特に、部屋の中で延々と殴り合いする場面は長くて退屈してしまった。いくら、ドキュメンタリー風たってさ。
もっとも、その室内場面でほとんどまともな照明を使ってなくて薄暗いのには驚いた。ここまでやるかっ、である。

さて、ラストをどう解釈すべきだろうか。兵士を誉め称えていると考える人もいるようだが、冒頭に「戦争は麻薬だ」という一文を引用しているからにはそうはとても思えない。むしろ、これはシニカルな笑いに満ちた場面で、観客はあの後ろ姿をどうしようもないなーと笑って見るのが本当のところだろう。
「自らの命をかける」こと自体が崇高であるとは限らない。病をわずらってもなお大酒を飲む者は自らの命を危険にさらしているが、決してほめられはしないのと同じである。
そして、マッタリと続く戦場の緊張の中でそんな「依存症」にはまり込んだ人間を描いたものと言える。

ラストはタイトルバックにミニストリーの曲が流れる。この歌詞も字幕で流して欲しかった。そうしたら、もう少し分かりやすかったかも知れない。

ところで、レイフ・ファインズやデヴィッド・モースなど有名な役者がチョイ役で出演していたとのこと。でも私には判別がつかなかった(後で確認)。情けなや~(@_@)トホホ

オスカー大量受賞はもしかして「J・キャメロンの喜ぶ姿を二度は見たくない」票が集まったというのもあったのかも--って言ったらダメ(^^?


監督男前度:9点
祝オスカー度:7点


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2010年4月11日 (日)

全てはトッドへの愛のために

しばらくぶりに《鳥肌音楽》を覗いてみたら、トッド・ラングレンの記事が出ていた。

トッド・ラングレン……それほどに名前のみ知られているが、実はあまり聞かれていないアーティストなのであろうか。そう言えば、昔ミクシィに入会した当時、トッド関連のコミュニティを探したが見つからなかったことに驚いた記憶がある。(今はあるがあまりアクティヴではないようだ)

彼は名曲・名盤を数多く生み出した優れたサウンド・クリエイターであり、非常に早い時期から自作のネット販売・配信に手をつけ、さらにプロデューサーとしても活躍し、担当したミュージシャンと喧嘩しては音楽雑誌のゴシップ欄をにぎわした。
また以前にも書いたと思うが、歌手としても極めて優れていて、ライヴに接した時あまりに歌がうまいので聴いてて口アングリ状態になってしまったことがある。
「ポップ大魔神」などという名称も授かっていて、確かにそれにふさわしい人物ではある。

もっとも本物のトッドマニアに比べたら、私など彼については語る資格はないに等しいだろう。
ということで、ここは控えめに(どこが?)珍盤の部類を紹介することにしよう。

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"For the Love of Todd"
「イタリア盤限定一万枚」などと銘打たれて売られていたトリビュート盤である。
有名なミュージシャンは少ない。ほとんどの曲が完全コピーで、しかも問題なのはあまり上手くないのだ(^o^;
当時の輸入盤屋で「愛するあまり完コピに走るヤツ。真似できずに音を外してしまうヤツ」などとポップに書かれていたのを思い出す。それだけに「愛」にあふれているのは確かだろう(多分)。
聞けるのはドン・ディクソンとミッシー・ミラーぐらいか。スザンナ・ホフスとマシュー・スウィートの「アンダー・ザ・カバーズ2」ではトッド作品を2曲も取り上げているが、やはりアレンジはほとんど変えていなかった。思わずコピーしたくなるサウンドなのかね?
ジャケット・デザインのダサさ(死語)がまた何とも言えぬ これも「愛」であろう。
なお、日本でもカバー・アルバムが出ていて、正直そちらの方が出来はいい。


なお、ホール&オーツについてはかつてピーター・バラカンは「トッドの真似をしてる」と一言で冷たく断じていた。
もっとも彼は某超大物ベテラン・バンドについても「ザ・フーの真似」と切って捨てていたのだから、コワイものなんか何にもないのであろう(^^;)

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2010年4月10日 (土)

バッハ「マタイ受難曲」:ダブルブッキングの果てに記憶を掘り返す

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演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
2010年4月3日

BCJの今年度の定期公演1回目は「マタイ」である。が!……私はなんとうっかりダブル・ブッキングをしてしまったのだー(>O<)ギャァ~~
そこで私は2日のオペラシティの公演のチケットを友人に譲り、翌日のさいたま芸術劇場のチケットを改めて購入したのであった。おバカである(+_+)トホホ
両日とも満員御礼だったとのこと。

今回のエヴァンゲリストはクリストフ・ゲンツ(クイケン版の受難曲でも同じ役をやってる?)、ガイジン勢のソリストはレイチェル・ニコルズに、アルトがマリアンネ・ベアーテ・キーラント(チラシに使われている写真より若くてキレイ)、バスが2年前に同じ会場でも歌った(イエス役ではなかったが)ドミニク・ヴェルナーである。

冒頭のコラールが以前に比べてかなりゆっくり目で始まったのにやや驚いた。もしかして「ロ短調ミサ」の路線で行くのかしらんと思ったが、そういう訳でもなかったようだ。代わりに曲と曲の間はものすごく転換が早い。常に間髪入れず次の曲が始まると言ってもいいぐらいだ。

ゲンツは語りかけるように歌うことに徹してるように聞こえた。一方、ヴェルナーのイエスは柔軟で包容力を感じさせるものだった。ニコルズの声は清澄で美しくウットリと聞かせてくれたが、キーラントは今ひとつの感じ。ソプラノとの二重唱は溶け合うような響きでよかったんだけどね……。アルトの聞かせどころの曲がやや盛り上がりに欠けちゃったのは問題であった。
日本人ソリストたちも数日前のカザルスホール公演の時より調子が上だったようでメデタイ

しかし、今回個人的に印象に残ったのはコラールであった。イエスの死の直後の62番はもちろんだが、ペテロの否認後のの40番や44番など、コラールがこれほど力強く感動的だとは……思ったことがなかった。今ごろ気付くなって?(・_*)\ペチッ
バッハ先生、すいません<(_ _)> 私はまだまだ修行不足であります。

後半のガンバは福沢宏だったが、いくらなんでもずっと調弦しないで弾いてて大丈夫なのかしらんと思っていたら、なんだか途中で(57番のアリアか?)すっこ抜けたような感じが……。気のせいか。

ラストはオペラシティ公演と同様、当時慣習的に受難曲後に演奏されていたという簡素なモテット(バッハ作ではない)が続けて歌われた。定期会員が多いオペラシティではさすがに拍手が入らなかったようだが、こちらではフライング拍手が入ってしまった。大体、指揮者が手を下ろす前に拍手するなって ダ埼玉だからって許されんぞ~。

オペラシティでは恒例の定期公演プログラムに歌詞が入っていて、買わなかった人も多かったようだけど、この日は無料で歌詞と簡単な解説の入った冊子が無料で配布されるという大盤振る舞い。ありがたいこって(^^)
しかし、実のところはやはり受難曲は歌詞が重要なのでオペラ並みに字幕で出してもらいたいところである。費用の面など色々あるだろうが……。

休憩時間にやたらホール外に人があふれていると思ったら、ニナガワの「ヘンリー6世」公演の休憩と重なったらしい。ただ、その上演時間が昼の1時から夜の9時半……スゴ過ぎです

それにしても、さいたま劇場の音楽ホールは定員約600人ということだが、この規模の古楽の公演を聴くにはちょうどいい大きさである。残響も多過ぎず少な過ぎず、座席は段差があるのでどんな大男が前に座っても大丈夫(^o^)b
独唱の歌声は明瞭に聞こえ、合唱は迫力とともに響く。誠に心地よい ダ埼玉で数少ない誇れるものだろう。
ただ、難は周囲や駅前にロクな店がいつまでたっても出来ないこと。BCJは打ち上げに隣りの焼肉屋を利用するんざんしょか(^○^;)


さいたま劇場は昨年が開館15周年だったようである。その記念特集号の冊子が置いてあった。ついでに書いておこう。

当初の運営は(特に宣伝面が)ひどいものだったことはよく知られていることだろう。とある劇団が芝居の宣伝をしようとしても、こちらでやりますと断られた揚げ句、ろくに客が来なかったとか。新聞の演劇評に、内容は素晴らしいが空席が多くて残念と書かれたりとか。
私が初めて行ったのはオープニング・シリーズでのクイケン・アンサンブルだった。確かフランス・バロックのプログラムをやってた頃である。「ぴあ」に公演があるとだけ記載されていたが、演目などは一切分からなかった。当時、古楽を聴き始めた頃なので、とにかくなんでもいいや~、新しいホールにも行ってみたいしとカザルスホールでのチケットも持っていたにも関わらず買ってしまった。
(と、ここまで書いて思い出したのだが、クイケン兄弟も以前はカザルスでよく聴きましたなあ)

当日行ってみて何が驚いたって、客が三分の一強しか入っていなかったことである できたてのピカピカの美しいホールに空席ばかり、真ん中に客が固まってるだけ……。名の知れた海外アーティストの公演であれほど空席が多かったのはいまだかつて知らない。座っているだけで、なんだか冷汗がでてくるような気分だった。偶然出会った同業者は半額でチケットを買ったという(県の方から流れて来たらしい)。

開演して演奏者が出て来た時、私は前から5番目ぐらいの列だったので、ヴァイオリンの寺神戸氏が客席を見て明らかに驚いた表情を浮かべたのがよく分かった。一方、元々ステージ上ではポーカーフェイスのクイケン親父たちは(チェンバロはコーネンだったと思う)全く何事もないように淡々と演奏を始めた。
もちろん、聴衆の多寡によって報酬が変わるわけではないから当然といえば当然だが、いくらなんでも客がガラガラではやる気が違ってくるだろう。しかし、その時の演奏は後日の満員のカザルスホールでのものと全く遜色がないものだった。

これも昔の話である。今回のマタイ公演が満員でめでたい限りだ。
その15周年記念号を眺めていると、今の蜷川幸雄が芸術監督に就任する以前のことは闇歴史として封印されているようだが。


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2010年4月 9日 (金)

訃報(佐藤史生)

新年度で仕事がバタバタと忙しく、ニュースもネットもロクに見る暇がない生活をしていたため、マンガ家の佐藤史生が亡くなったのを知らなかった。不覚である。4月4日のことだったそうだ。(ニュース記事

最近、新作が出ないなーとは思っていたが、長いこと闘病生活をしていたとのことだ。
いわゆる24年組はまだ元気に活動している人がほとんどだというのに、その後の世代が「あの人は今?」状態だったり、このように訃報に接することになるのは残念である。

個人的な意見としては、彼女は長編よりも本質的に短編作家であったと思う。しかし、小説の世界でも同じだが、短編というのは評価されにくいのだよね。
また、少女マンガ誌でSFプロパーな作品を描いていたのも特筆すべきだろう。

ご冥福をお祈りしたい。
100409


←最初に雑誌で立ち読みしたのが「金星樹」(短編)だったような?
この作品集は収録作が全て別冊少女コミックに掲載されたものなのに、奇想天外社から出版されている。

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2010年4月 4日 (日)

「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」:画家の人物像は灰色

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監督:アンジェロ・ロンゴーニ
出演:アレッシオ・ボーニ
イタリア・フランス・スペイン・ドイツ2007年

イタリア・バロック期の画家カラヴァッジョの伝記映画である。元々はテレビ用に作られ前後編に分けて放映されたのを、短く(と言っても2時間以上ある)編集して公開したらしい。
宗教画家として手法が同時代の画家に模倣され、後世にも影響を与えたというカラヴァッジョであるが、その生涯はスキャンダルにまみれたものであった。喧嘩・決闘など暴力沙汰、果ては殺人、指名手配されて逃走、娼婦を宗教画のモデルに使ったとか、同性愛疑惑……数知れずである。
この映画の最大の売りは、彼の破天荒な半生と作品をヴィットリオ・ストラーロのカメラでたどったことだろう。素描をせずにモデルを置いて直接カンヴァスに描いたそうだが、その光と影のイメージが再現されている。

ただ、正直言って長い(\_\; それから編集版ということで、いきなり「侯爵夫人」とか「剣」へのこだわりとか出て来て訳が分からず、もしかしてカットされた部分に登場したのかしらんと首をひねる所もある。
全体的にNHKの教養ドキュメンタリーか大河ドラマ総集編のようだ。で、生涯を順にたどり、作品も数多く登場するが、一体どうして有力なパトロンがいて画家としての名声を得た男が、喧嘩やら暴力沙汰の行動に走ったのかは見ていてよく理解できなかった。
強いて想像すれば、天才とはそもそもプッツンなのだ--で無理やり納得するしかない。それでは残念ながら人物としてはほとんど共感する余地はないのである。

結論としては、作品やイタリアの風景は楽しめたが、それ以上のものは……であった。

主人公のパトロンのデル・モンテ枢機卿は音楽の愛好者だったらしいが、背景にはあまり当時の音楽は使われていない。ただ、カストラートらしき歌手が歌っている場面が短いけど登場する。
カラヴァッジョが公開死刑を見る場面は『宮廷画家ゴヤは見た』の影響か(?_?)

昔のテニスはラケットなしで手で打っていたのか 大変である。私のような運動神経のない人間には空振りばかりになりそうだ。


美術教科書度:8点
共感度:5点

【関連リンク】
《千の天使がバスケットボールする》

【追記】
デレク・ジャーマンの『カラヴァッジオ』について書きました。

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