« 7なんて知らないよ | トップページ | 「アイガー北壁」:雪山は厳しくロマンスは緩く »

2010年4月25日 (日)

「カンタービレ様式の至芸」:リュートの音に過去・現在・未来を聴く

100425
ラウフェンシュタイナーの音楽
演奏:佐藤豊彦
会場:近江楽堂
2010年4月9日

CD発売記念として行われたバロックリュート・リサイタル。
今回取り上げられた作曲家は現在のオーストリアにある町で1676年に生まれたヴォルフ・ヤコブ・ラウフェンシュタイナーである。正直言って、初めて名前を聞きました(^^; 当時のバイエルン公に仕えたそうだ。様々なジャンルの曲を作曲したが、現在ではほとんど残っていないとのこと。

そのラウフェンシュタイナーの組曲形式の独奏曲が演奏された。楽器はもちろん齢400歳の正真正銘オリジナル楽器「グライフ」である。リュート様のためにエアコンは切られ、さらには加湿器もしっかり稼働。さもなければたちまちにリュート様はベリッと壊れてしまい、修理屋行きなのだ。人間どもはひたすらガマンなのよ。

それにつけてもこの楽器、今回の作曲者の生年よりもさらに何十年も前に作られているのだ(元はルネサンスリュート)
佐藤豊彦の話によると、よい楽器というのは装飾も少なく繰り返し使われ続けるもので、やがていつか壊れて消えていってしまうのだという。従って、博物館に保存されているようなものは、そもそも貴族がポロンとたまに弾いてみたぐらいで、キレイで傷もないが、実際に演奏してみるとどうもあまりよくないとのこと。
その証拠に「グライフ」様は装飾のソの字もないぐらいに誠に地味~なお姿なのであった。
何年かおきに修理に出せば、代々使い続けていくことが可能であり、私がいなくなってもこのリュートは残ってずっと演奏され続けるんでしょうなあ--と佐藤師匠は感慨深げにそしてちょっと寂しげに「グライフ」様をナデナデしたのであった。

一体、作曲家も演奏者も聴き手も全て塵と化し忘れ去られた後も、楽器は残り聴かれ続ける--とはどういうことだろうか。
この夜、聴衆はその気分を味わった。ラウフェンシュタイナーの音楽は派手でもなく、華やかでもなく、名曲!と持ち上げるものではないが、まさしくそれが生きている時代を感じさせたのである。

【関連リンク】
《ガット・ギターと共に》


| |

« 7なんて知らないよ | トップページ | 「アイガー北壁」:雪山は厳しくロマンスは緩く »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「カンタービレ様式の至芸」:リュートの音に過去・現在・未来を聴く:

« 7なんて知らないよ | トップページ | 「アイガー北壁」:雪山は厳しくロマンスは緩く »