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2010年4月29日 (木)

「アイガー北壁」:雪山は厳しくロマンスは緩く

100429
監督:フィリップ・シュテルツェル
出演:ベンノ・フユルマン
ドイツ・オーストリア・スイス2008年

全く聞いたことのない映画だったが、予告で見て面白そうだったので行ってみた。私はわざわざ高い所に上るより家の床でゴロゴロしている方がいいという人間なので、顧みればほとんど登山もの映画は観ていないんである。それが、なぜ興味を弾かれたかというと、戦前のナチスがらみの物語らしかったから。しかも実話だというのだ。

1936年、ベルリン・オリンピックを控えてドイツ政府はアイガー北壁を初登攀した者に金メダルを与えると宣言。そこで各国から登山家がやってくる。
二人のドイツ人の若者が参加して、俄に期待が高まる。メディアや見物客が地元の高級ホテルに集って、今か今かと待っているのに対し、主人公たちを含めて肝心の登山家たちは麓でテント生活である。その対比はかなり強烈だ。

地元のガイドたちが天候がよくないからダメだと語るなか、ドイツ組とオーストリア組が登頂を開始する。

いやー、正直言って、久々にのめりこんで映画を観た。こんなに必死にスクリーンを凝視したことは久しくない。この画面没入度は『アバター』を越えると言ってもいいくらいだ。
ほとんど垂直(に見える)の北壁のわずかな凹凸にしがみつく主人公たちに、襲い来る雪嵐! まるで豪雨の時の雨水のように岩山の突起から雪が流れ落ちていくのである。恐ろしい{{(>_<)}}ブルブル なんであんな所に行く気になるのか到底理解できん。
雪山の場面になると、身体が無意識にストレスを感じるらしくてなんだか全身がキシキシいうような気分になる。さらに息苦しさまで感じ身動きできなくなるような感覚に襲われた。

それと並行して描かれるのは、下界での国家の威信とスポーツの相克--みたいな展開になるのかと思いきや、そうではなく男女のロマンスなのであった。期待していた社会性の要素は、記者志望のヒロインの上司が登頂競争を煽るメディアを代表する人間であり、さらにナチスの支持者であることに現われてくるぐらいだ。
また、そのロマンス部分が鬱陶しくていささかぬるい。それにヒロインがブリッ子ぶっててどうにもいけすかないんである。雪山部分から場面転換すると、現実に引き戻されてボルテージがいささか下がってしまうのはどうしようもない事実なのであったよ(+_+)
映画の作り手としては、上流階級な生活への憧れと幼なじみの登山家の間で揺れる女心を描きたかったんだろうけどさ。

それにつけてもどうしてこんな悪い方向へと全てが転がり悲劇となってしまったのか? 人間の心の不条理な動きと偶然の賜物のせいだろうか。
あと、ヒロインの上司はかなり批判的に描かれてるがどうだろう。そこに山があるから登山家が登るように、特ダネがあれば何がなんでもスクープしようとするのが記者根性であろう。そのネタがでかくて悲劇であればなおさらだ あんまり責めようという気にもならない。

映画館の大画面での鑑賞を推奨。この迫力は明るいリビングや小さなモニターでは味わえません。
ヒロイン役はどこかで見た顔だと思ったら『バーダー・マインホフ』に出てた人だったのね。


迫力点:9点
ロマンス点:5点

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