« 新感線「薔薇とサムライ」:赤坂の夜は怒濤のテンコ盛り芝居で更け行く | トップページ | 「しあわせの隠れ場所」:一体これは現実なのか--見ていると不安になる作品 »

2010年4月18日 (日)

「イギリスのコンソート音楽 勇気と喜びのシンプソン」:まさに「共」演を楽しむ

100418
演奏:ザ・ロイヤルコンソート
会場:日本福音ルーテル東京教会
2010年4月6日

6人組ガンバ弾きと鍵盤(上尾直毅)によるザ・ロイヤルコンソートの定期的な演奏会。今回は特別ゲストもなくじっくりと英国のコンソート音楽を味わう公演となった。

とはいえ、作曲家のメンツはギボンズ、ジョン・ブル、ジェンキンズ、そしてタイトルとなっているシンプソンにしてもマイナーどころがズラリという印象だ。(一曲だけダウランドあり)

他の作曲家の作品は5~6声によるものだが、シンプソンのだけは二人もしくは三人による掛け合い風の演奏になっている。特に後半にやった『四季』の「春」は大曲でお見事。
上村かおりは解説に「難しいパッセージが交差するのですが、競演というよりはフィギュアスケートのように支え合って美しい」と書いているが、まさにその通りの演奏だった。

あと、「元祖ナオキ」こと上尾直毅が弾いたブルのチェンバロ独奏曲は〈どすこい〉風の低音に高音が自在に駆け巡るという聴いててとても面白いものだった。

ラストのジェンキンズでは、譜久島譲が楽譜を忘れたとあわてて楽屋に引っ込んだが、なかなか戻って来ない。実はちゃんと譜面台の楽譜の中に入っていたとゆうギャグのようなひとときも……お茶目な人である。

外の街の喧騒とは無縁のゆったりとした「コンソート時間」とでもいうものを客席もゆらゆらと堪能したコンサートだった。


| |

« 新感線「薔薇とサムライ」:赤坂の夜は怒濤のテンコ盛り芝居で更け行く | トップページ | 「しあわせの隠れ場所」:一体これは現実なのか--見ていると不安になる作品 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「イギリスのコンソート音楽 勇気と喜びのシンプソン」:まさに「共」演を楽しむ:

« 新感線「薔薇とサムライ」:赤坂の夜は怒濤のテンコ盛り芝居で更け行く | トップページ | 「しあわせの隠れ場所」:一体これは現実なのか--見ていると不安になる作品 »