イタリア映画祭2010「勝利を」:まぼろしの「英雄」
監督:マルコ・ベロッキオ
出演:ジョヴァンナ・メッツォジョルノ
イタリア・フランス2009年
LFJのグッズ売り場をフラフラした後で、朝日ホールへと向かう。東京フォーラムは明るく屋台なぞ出て、陽光と人々であふれていたが、こちらの中心はオバサンと映画ヲタでホールもなんとなく薄暗いんである(=_=;)
ここは一つピザとかワインの屋台でも並べてみたらどうかねー
二日前の7人のカントク座談会で、D・フェラーリオが「イタリアの社会は暗くて冷たい」みたいな意味のことを発言したら、それに対して「いや、そんなことはない!どんな社会でもいい所と悪い所双方があるのだ」と反論していた最年長のベロッキオ監督。
その新作は--と見てみると、発言内容に反して暗い……ものであった。
1910年代、後の独裁者ムッソリーニがまだ若く熱意あふれる社会主義者で反政府運動の先頭に立っていた頃、洋裁店を開いていたイーダは彼と知り合い、心酔した揚げ句に店を売り払って資金援助をし、さらに男の子を産む。
だが、なんたることか(!o!) 彼には正式な結婚ではないものの既に妻がいて幼稚園ぐらいの子どもまでいたのだった
イーダは自分を正妻とし息子を認知するように迫るが、冷淡なムッソリーニにつきまとってストーカー状態となり、遂には精神病院に放り込まれ、さらに息子の親権まで奪われてしまう。恐るべし、これは実話であるという。
エネルギッシュな独裁者の常というか、方々に彼は似たような「妻」や「子ども」を作っていたとのことである。
「英雄色を好む」「男の下半身は別人格」などという言説に対するように、ベロッキオ監督は「夫」として「父親」として不誠実であった政治家の真実の姿を、最後まで「妻」であり「母」を主張した女の視線から容赦なく暴く。
そしてイーダ自身は、かつて彼に陶酔し支持しそして裏切られたイタリア国民全体にそのまま重なるようだ。
しかも、自らと息子への正当な処遇をあくまでも求める彼女の過激な言動は、まさに狂気に近く、周囲を顧みることなく肝心の息子をもスポイルしてしまう。
それと反比例するようにムッソリーニ自身の姿はスクリーンから消え、新聞やラジオから垣間見るだけの存在となっていく。
果たして何がいけなかったのか? 立派な理想を威勢よく語る演説のうまい若い政治家に心酔したことか?
監督はその答えを明示しないまま終わる。そこに描かれるのはただイーダの孤独な「闘い」なのである。
随所に当時のプロパガンダ風映像が挟まるのが面白い。「勝利を」というのもそのフレーズの一つである。
また、前衛美術の未来派とムッソリーニとの結びつき(彼が展覧会へ行くとアーティストたちがヘコヘコと寄ってくる)も描かれていたのも興味深かった。
ヒロイン役のジョヴァンナ・メッツォジョルノの演技はまさに(チラシの解説にもある通り)鬼気迫るとしか言いようがない。愛情と狂気が紙一重であることを目の当たりにして見せる。
それにしてもこのような戦前の政治家の、文字通り「恥部」をあからさまにする映画なぞ日本では作れまい。例え作られたとしても見ることはできないだろう。それを考えれば、イタリア映画界の方が日本よりもマシかと思えるのだが……。
同じ監督の未公開作品「母の微笑」も上映されるというので見たくなったが、時既に遅し!前売りは売り切れであった。朝早く起きて当日券をゲットする根性もなかったんで断念したのよ(+_+)
【追記】
日本公開タイトルは「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」となりました。
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