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2010年6月

2010年6月29日 (火)

秋葉原へ久しぶりに行ってメイドを二人見たのだ

CDプレーヤーが壊れてしまった。前から調子が悪かったのだが、急にディスクを全く読み取らなくなってしまったのである。秋葉原へ買いに行かねばならぬ。
以前、秋葉原へ行ったのはまだ今のような魑魅魍魎 へ(・・へ)~ がバッコする前、メイドのメの字も存在しなかった頃である。前に購入した店ももう存在しないだろう。足を運ぶのは正直メンド臭い。

しかも、巷のオーディオショップや売り場と言えばやはりこちらの記事にもあるように、「けっ、トーシロが近寄るんじゃねえよ」的オーラを放っているのが常。一歩、足を踏み入れても思わず「わー、すいませんすいません。もう来ません」と後ずさってしまいたくなるもんだ。

しかし、昔の説明書や保証書をひっくり返していたら、アンプも購入してから二十数年経っているのが分かってビックリよ(>O<) 何せ購入年月日が昭和なのである
このまま使っていても先がないだろうから、ついでにアンプも買い替えなくてはならぬ。

行ってみると、アキバの駅はキレイになってて昔の記憶が役に立たんぞ、こりゃ。方向感覚を失ってフラフラ某店に入るとそこは恐ろしいほどの人の波であった。頭がクラクラする~(@_@) 
なんとか親切そうなオヂサン店員をつかまえて、教えてもらって購入した。
結局、アンプを選んだのは「音」ではなくて「重量」という情けない結果になった。関節痛でビンの蓋もうまく開けられないのに、20キロ以上なんてラックの上に持ち上げられねえ~。値段と重量が比例するんでグレードアップを目指すほど、重くなってしまう。この軽量小型の時代に信じられない世界である。

それにしても、オーディオ製品を作ってる国内メーカーが少なくなってたのはビックリした。数社と言っていいぐらいだ(これまで使っていたアンプのメーカーも、もうやってない)。もはや伝統産業みたいなもんになりつつあるのかね。

次に秋葉原に来るのは今度買ったアンプが壊れる二十年後かな(←なんてことはないだろうけど(^^;)。少なくともCDプレーヤーは十年保って欲しい。
結局メイド姿を見かけたのは二人だけだった。どこかいる所には大勢いるんだろうか。

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2010年6月26日 (土)

「エコー・パーク」上・下

100626
著者:マイクル・コナリー
講談社文庫2010年

イアン・ランキンのリーバス・シリーズと共に愛読しているもう一つのミステリ・シリーズ新巻も刊行(!o!) 立て続けに読めて嬉しいことは嬉しいが、また何年も間隔が空いちゃうんだろうねえ……

さて、この刑事ボッシュのシリーズ、前作の『終決者』はエラく感動したのだが、その後に出た別の弁護士を主人公にした『リンカーン弁護士』については、世評は高くとも個人的には今イチであった。

今回の作品では迷宮入りの事件を再捜査する部署にいるボッシュが、昔自分が解決できなかった連続殺人の犯人が突然浮上。司法取引で遺体の場所を明らかにするというのである。そこで犯人を獄外へ連れ出して、現場へ案内させる事になったのだが……。

この件りの描写は極めて緊迫感あふれて素晴らしい。もう読んでてドキドキしてしまった。
だが、後半に至ると段々ボルテージが下がっていく感じ。前々作で関わったFBIの女性捜査官が登場するが、なんだか話の展開をうまくさせるために無理やり引っ張ってきた印象がある。
また自宅待機中なのに色んな所に出没しておとがめはないのかとも思ってしまう。結果オーライなのか。それと主筋には関係ないが、放りっぱなしの部分があったのも気になった。前半に比べて後半は荒っぽい。

……などと不満を書いてしまったが、やはりそれは前作の『終決者』が出来が良過ぎたからである。事件とその真相については文句はないので、皆さん新刊書店でぜひご購入下せえ。(^人^;)


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2010年6月20日 (日)

「バロック室内楽の夕べ」:タイトル地味でも音楽は錦

100620
演奏:安井敬ほか
会場:近江楽堂
2010年6月18日

今月行く予定だったコンサートはアッコルドーネとこのコンサートのみ。ああ(=_=;)それなのに、そういう時に限って出張が重なるんだよなー。
しかし、用事は予定より早く終わり、それは良かったが、俄にどっと疲労感で眠さがのしかかる。家に直行してしまおうかと思ったが、それでは今月のコンサートは一回だけになってしまうではないか。そんなのはイヤだー

ということで、気力体力にムチ打って行きましたよ、近江楽堂。雨だったけど地下から直行なのはエエですのう \(^o^)/ でも関節痛がまだ続行中で、肩と腕が痛くて吊り革につかまれないのは、ラッシュ時には致命的であった。

さて、このコンサートのタイトルは「バロック室内楽の夕べ」……ってなんのヒネリもないなあ。他に付けようがなかったんかいなどと思ってしまうのは仕方なかろう。
しかも5人のアンサンブルはグループ名もなく、リコーダーが安井敬(確かケルト系の音楽もやってたような)、ヴァイオリンは高田あづみ&竹嶋祐子、ガンバ福沢宏にチェンバロが副嶋恭子というメンツである。

曲目も冒頭のJ・C・ノード以外はヴィヴァルディ、スカルラッティ、ヘンデル、テレマンとよく知られた作曲家多数だ(デュパールも?)。リコーダーを中心としたアンサンブル曲がほとんどだけど、タイトル同様あまり意外性は期待できない印象である。
だが……それは大いなる誤解であった。すいませんm(_ _)m

ノードの曲はバロックと古典派の中間ぐらいで、いかにもその時代らしい明晰さが感じられた。デュパールで通奏低音をバックに安井氏がソロの腕前を披露した後は、再び5人で華やかでいかにもヴィヴァルディな協奏曲が演奏された。

それよりも一世代前のスカルラッティの協奏曲となると同じ華やかさでもバロック的なある種の「地味」さが濃厚である。途中の楽章で高田女史と安井氏だけのかけ合いが入るのが新鮮だった。
最後はテレマンだったが、その間に入ったヴァイオリン2本と通奏低音によるヘンデルのトリオソナタがこれまた素晴らしかった。CDなどで何度も聴いている曲にも関わらず、早いテンポの楽章のストレートな鮮烈さに感動した。一方、アダージョでは二本の弦のかけ合いをしみじみと味わった。それでなぜか涙目になってしまったほどだ。
高田&竹嶋ペア、グッジョブと会場内は拍手喝采となった。

それにつけても、コンサートに行くのだって健康でなければ会場にたどり着けぬ。間近で弾く福沢氏のガンバの低音弦の響きが直接身体に伝わってくるのを感じた時、生音を聴ける喜びをまたもシミジミシミジミと味わったのであったよ。

あともう一つ、今回のプログラムではリコーダー奏者の見せ場(聴かせ場)が多い曲が大半であった。だが、果たしてそれが聴衆にとっては聴いてて快の方向へと常に感じられるのか--という疑問が、アンコールの伸びやかなボワモルティエの曲を聞いてて浮かび上がってきたのもまた事実である。


行く前に時間が少しあったので寄った某HMVで、間違って買ったCDを返品しようとした中年男性が、現金は返って来ないと知った途端に居直ってイチャモン付け始めたのを目撃。「こっちは謝ったのになんだ」とか言われてもねえ……。「キレる中年」てヤツですか(@∀@)

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2010年6月15日 (火)

「死者の名を読み上げよ」

100614
著者:イアン・ランキン
早川書房(ハヤカワ・ミステリ)2010年

様々な判型で出版されてきたイアン・ランキンの「リーバス警部シリーズ」。今回はポケミスに復活だー。
でも相変わらず厚くて重い。しかも二段組だ。老眼にはキツイのう(+_+)

しかし厚いのも道理、全体は4章に分かれ(なぜか目次がないのだが)、それも「サイド・ワン」から「サイド・フォー」と銘打たれ各章にそれぞれタイトルが付けられている。こりゃ昔のLPレコード二枚組を模しているようだ。頑丈なジャケットに包まれた、あのドッシリ重たいぞ感が甦るではないか(オバハンオヂサン限定)。

舞台はスコットランド・エジンバラ。2005年7月の今、激動の一週間を迎えつつある。G8主要国首脳会議が開催されるため、政治家はもちろん財界人、全世界よりデモ隊が押し寄せ、チャリティ・コンサートが行われる。市内は交通規制だらけ、警官は総動員。殺人の一件二件起ころうと構っちゃいられないのである。
しかし、それを構っちゃうのがリーバス警部だいっ

というわけで、団塊世代で「頑固爺」化しつつあるリーバスが、娘ほどの年齢差の相棒シボーンと共に各所に出没しては荒らしまくるのであった。なんとブッシュ大統領が自転車に乗って警備の警官に激突した場面まで目撃しちゃう。

それだけではない、この一週間にはロンドンでのオリンピック開催が決定し、その翌日に地下鉄で同時多発爆弾テロが勃発という英国全体にとっての激動の時でもあった。
作者が直接体験したのか、エジンバラの狂騒的ともいえる恐ろしい状況の描写はド迫力である。それだけでも読む価値はあるといえるが、だが肝心の事件となると、果たしてそんな犯罪が実行可能なのか? そして、実行されたとしてそれを後から解明するなんてことが可能なのか?--なんて疑問が浮かんでしまうのであった。

でも、ここまでこのシリーズを読み続けてきた愛読者ならそんな事は気にしない 作者もきっと気にしてないだろう(火暴)

ところで、ランキンは米国製ドラマの「ロー&オーダーSVU 性犯罪捜査班」を見ているのだろうか。作中に番組の名が出てくるし、事件の一部の元ネタとして使っているようだ。

最近は海外製ミステリもあまり売れず、シリーズ物の続巻が出るかどうかはひとえに新巻の売り上げにかかっているという。ということで、これもブ●クオフで買ったり図書館で借りたりせず、新品を書店で購入してくれい。頼む(^人^)


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2010年6月13日 (日)

「グリーン・ゾーン」:戦争は続くよどこまでも(兵器があってもなくても)

監督:ポール・グリーングラス
出演:マット・デイモン
フランス・米国・スペイン・イギリス2010年

「えと、えと(;^_^A ぐりーんらいん一枚」と言った私に「グリーン・ゾーンですね」とニッコリ笑ってチケットを売ってくれたチケット売り場の娘さん、あんたはエエ人じゃ

それはともかくデイモン&グリーングラスの新作、イラク戦争を扱ったものとのこと。最初は見る気もなかったが、好評なのと他に見たい作品もないので行ってみた。
題材から『ハート・ロッカー』と比較して語られてるようだけど、手ブレカメラ・ドキュメンタリー風という以外にはほとんど共通点もないだろう。

大量破壊兵器を求めて何カ月、主人公はイラクで武器の撤去・破壊を専門とするチームのチーフなのだが、どの現場でも空振りばっかりで本当にあるのか疑念を抱き始める。
その後は、怪しげな官僚、横から顔出すCIA、女ジャーナリストに、にわか通訳にしたイラク人の男など入り乱れて陰謀が明らかになっていくのであった。

見ていてよく分からない所が頻出するが、考えている暇もなく走り回る主人公を追いかけるカメラの映像に眼が回る~(@_@)ダメー
*どうして、突然出現したイラク人の男の言葉を信じる気になったのか?
*陸軍やめていきなりCIAに雇われるなんてできるの?それとも出向扱い?で、また戻れたりするのか、ハテ
*百万ドルかついで走って結局どうなったのか?
……などなど、よく分からなかった。
ま、分からなくってもドトーのようにラストへつき進んで行くのであるよ。

女っ気なしでシリアス・ドキュメンタリー調一本勝負な部分は評価したいが、いかんせんネタが陳腐になってしまったのはどうしようもない。今さら「大量破壊兵器はなかったのだ(!o!)」とか言われてもねえ……。
あれっ、日本政府の公式見解はまだ「ある」ことになってるんだっけ(^^?

ところで、見てて一番ビックリしたのは突然市街で出現してきた現地の男の密告を信じてしまうことだ。正体もよく分からんその男の言葉によって民間人の家を、ロクに確認もしないで直ちに武装した米兵が襲撃--って、確かにここではアヤシイ会合を本当にやってたから結果オーライだから良いかもしれないが、単にオヤヂ達が集まって同窓会でもやってただけならどうするよ?
一時よく、なんでもない結婚式に米兵が突入して死傷者多数なんてニュースが流れたが、こういうことだったのかと納得した。コワイねえ


主観点:5点
客観点:7点

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2010年6月 8日 (火)

「フラ・ディアーヴォロ~魔術とも薬ともなった歌と音」:快僧不調なれどドラム爆発す

100608
演奏:アッコルドーネ
会場:王子ホール
2010年6月4日

ロンドン・バロックに行き損なって涙を呑んではや3週間、今度はやはりウンか月前から待ってましたのアッコルドーネである。二度と失敗を繰り返してはならぬと鎮痛剤に花粉アレルギーの予防薬、のど飴等をしっかり準備して、体調万全で望んだのであった。

だが……調子が悪かったのは私ではなく、マルコ・ビーズリーの方だった(>O<)
もう、一声聞いた途端に「あっ、調子悪そ~」と分かってしまうぐらい。彼は途中で咳したり、曲の合間に寒暖の差が大きいこの気候で喉をやられたなどと喋った。
さらに、喉を休めるためかプログラムに載ってない器楽曲を前半と後半に一曲ずつ入れて、舞台から引っ込んだりもしていた。
なんか声の艶や張りが全くないし、声量も出ないみたい。元々声のデカさで聞かせる人ではないが、時によっては楽器に埋もれてしまうような印象を受けてしまった。
前回の公演の時はいかに絶好調だったかを改めて実感した次第である。

今回は南イタリアで採取された伝統歌や民族音楽が中心ということで、グイード・モリーニの鍵盤、撥弦楽器三兄弟(リュート、テオルボ、バロックギター)は前回と同じだが、まだ二十代という若手のパーカショニストが新たに加わっていた。

このマウロ・ドゥランテという奏者がド迫力であった。前半に即興的なソロ曲をやったのだが、タンバリンのひと回りデカイ奴(フレーム・ドラムというそうな。全く知らんかったです(^^ゞ)を一個使って、まるでバンドのドラムセット一組分と同じくらいの音量と多彩な音色・高低を生み出すのであった。別に大袈裟に言ってるわけではないっ(キッパリ)。
さらに「モンテヴェルジネに捧げる歌」では冒頭フレーム・ドラムを叩きながら歌も披露。それに他のメンバーが加わっていくのだが、これがまた呪術的にして野蛮極まりないサウンドで、聞いてて感動のあまり背筋がゾゾーっとしてしまったぐらい。
これまで、どうも古楽+民族音楽系の演奏というと満足を感じるものは少なかったが、これは赤ペンで花マル印を付けたいぐらいであった。

G・モリーニは民謡系の曲になるとオルガンの低音部分を文字通りブイブイ弾きまくり、撥弦三兄弟オヤヂ達は互いに目くばせしながら、息の合ったところを見せ(聞かせ)つけていた。

後半では「タランテッラ」や前回でも印象的だった革命歌の「高らかに打ち鳴らせ」もやった。終曲はバロックギターのS・ロッコを皆で囲んでビーズリーが歌い、他のメンツがハミングを付けるという形の「馬車引きの歌」。ギターは一風変わった短いフレーズを繰り返し、それに乗ってビーズリーはまるで牛追いならぬ「馬追い」のかけ声のような歌を歌う。農民たちが恐らくは作業の帰りに歌ったのだろうか。夕暮れの寂しい道を思わせるような曲だった。

アンコールに至っては、なんとマウロ氏が弦楽器をもって現われ--一瞬フィドルかと勘違い、実は特殊なヴァイオリンとのこと--弾きまくったかと思ったらついでに弾き歌いまでしちゃってくれたのであった。これには仰天よ
いや、参りました(@_@)

とはいえマルコの体調が悪かったせいか、はたまた王子ホールの聴衆の拍手が足りなかったせいか、アンコールは1曲だけで終了であった。もっと聞きたかったぞ(T_T)
彼の声の調子が良かったらな~、文句はなかったのだが。

実は翌日の三鷹公演のチケットも入手していたのだが、なんとこういう時に限って土曜出勤の日が重なってしまい、無駄にしたのであった。でも、翌日の方が調子が上だったようで……くやし~いっ(*`ε´*)ノ☆
また絶好調の時に来日を望む。

【関連リンク】
やはりブログ検索しても記事が減っておりますねえ。
《チェンバロ漫遊日記》
三鷹公演の様子。アンコール2曲やったんだ……。

《Pavane~リュートとギターに囲まれて》
こちらは兵庫公演。


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2010年6月 7日 (月)

「プレシャス」:鬼母の誕生

100607
監督:リー・ダニエルズ
出演:ガボレイ・シディベ
米国2009年

先日のアカデミー賞の監督賞ノミネーションで話題になったのは、女性監督が取るかアフリカ系監督が取るかということだった。もちろんどちらにしてもオスカー史上初の快挙である。
残念ながら、話題はキャスリン・ビグローとジェームズ・キャメロンの元夫婦対決の方にスポットが行ってしまって、こちらのリー・ダニエルズ監督はかなり分が悪かった。結果は大統領選結果とは逆に、初の黒人監督賞受賞とはならなかったのである。

時は1987年、場所はニューヨーク・ハーレム地区、実の父母から虐待を受け続けた16歳の黒人少女が主人公である。彼女には実父との間の子どもが一人いて、さらにもう一人妊娠している。そして実母からは下女並みにこき使われているのであった。
学校には通っているが、ロクに読み書きもできない。その学校からも妊娠を理由に放校されてしまう--。

チラシを見ると、いかにも感動的な物語として宣伝されている。しかしながら、そのような「感動」を期待できるような生易しい話ではない。もちろん、ラストは前向きに明るさの中で終わっているのだが、なぜか見終った後、苦さと重さのようなものが残る。それはそんな結末にも関らず、いまだヒロインのような苦境にある子どもたちが現在もなお存在する、という状況が続いているせいだろうか。

それにしても、「誰が私を愛してくれるのか」という叫びはあまりに悲痛だった。思い返すと気が滅入ってしまうほどだ。母親の行動は決して正当化できないにしても、怪物的な鬼母が突然変異のように生じるわけではないことを実感させられる。演じたモニークがオスカーの助演女優賞を獲得したのも納得だろう。

当時流行していたMTVまがいにヒロインが歌って踊るという幻想の場面が頻繁に登場する。それは単なるお飾りとして挿入されているのではなくて、虐待を受けた子どもが現実の苦痛から逃れるための意識の逃避のように見える。これがひどくなると解離性障害に至るのだろう。むしろ、これは被虐待者の精神状態を再現した場面だと言える。
それから、彼女が危機的な場面に遭遇すると(答えられない問題をあてられる、とか)母親の否定的な言葉が覆いかぶさるように聞こえてくるが、これは私も実際経験したことがある。仕事で大失敗をした時に、なぜか突然自分の母親がガミガミ怒る声が頭の中にガンガン響いてきたのである。これには自分でも驚いた。

主人公は良い女性教師とめぐり合い、シスターフッドの輪の中で救われる。その中に男は存在していない。しかし、これをもって「男性嫌悪主義」の出現と見なすのは早計というもんだろう。この前年には『フローズン・リバー』がやはりシスターフッドを描いているし、また小説においては黒人女性作家たちによって長年、女たちの絆は取り上げられて来たはずである。
過去のハリウッド作品でも例えば、『フライド・グリーン・トマト』なんかは当てはまると思うがどうだろう(公開当時に見たきりなのであまりはっきり覚えていない(^^;)。
どちらかというと、女性監督や本作の監督のようにゲイなど、ハリウッドにおいてのマイノリティが進出してきたということの方が大きいのではないか。

主役のガボレイ・シディベは映画初出演にして各賞の候補に上がったが、これは早過ぎの感もあり 次作以降に期待である。すっぴんメイクのマライア・キャリーと、レニー・クラヴィッツがチョイ役で特出。

ところで、「マクドナルド」の名がよく出てくるけど抗議されなかったのかね?


深刻度:8点
感動度:7点

【関連リンク】
《特別な1日》


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2010年6月 6日 (日)

パーセル 歌劇「妖精の女王」:ついにパーセル歌劇の全貌が

演出:ジョナサン・ケント
指揮:ウィリアム・クリスティー
演奏:エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団、グラインドボーン合唱団
会場:グラインドボーン音楽祭歌劇場
2009年7月17・19日
*BS放送

先日、横浜でパーセルの『アーサー王』を聞いて(見て)、一体オリジナルの形ではどのようにして上演されたのか--ということが今一つ分からなかった。あの公演では音楽の部分だけ抜粋したようだったが、じゃあそれ以外の場面は(?_?)どうなってたの

そこで、BS放送でやった『妖精の女王』を録画しといたのをようやく今になってみる暇が出来た。この作品は『アーサー王』同様、パーセルの作品の中では「歌劇」に分類されるらしい。で、どんなものかようやく実感できたのであった。

脚本自体はシェイクスピアの『夏の夜の夢』を使用している。この歌劇は『夏の~』の上演より30年後のものらしいが、一部を変更している以外は(ヒポリタは登場しない)大体オリジナルとほぼ同じである。
簡単に言ってしまえば、劇の中で「歌う」とか「踊る」とかト書きがあったり、祝宴の場面になると、様々な妖精たちが登場して歌ったり踊ったりするのである。従って、セリフを語る役者は基本的に歌わない。芝居の部分と音楽部分は分離している。

しかし、元々それなりの長さのある芝居にパーセルの作った音楽が付け加えられるのだから、かなりの長丁場である。そのためか、放送でも村の職人たちのドタバタ場面は割愛されていた。
まあ、音楽と芝居の双方がたっぷり楽しめると言えば、そうなのだが……。
歌詞は物語自体がナンであるから、男女関係を皮肉ったものやあてこすり、さらにはヒワイっぽいもの(「あなたのたいまつに火をつける」とか)が多い。もちろん「嘆きの歌」や「恋が甘いものなら」といった名曲もある。

様々な妖精や神が次々登場して歌うのだが、その場面になると趣向を凝らしたセット(幻想的なものやらパロディっぽいものまで)が表われて場面転換していく。見ていると、そのイメージに感心するというよりは、一瞬たりとも観客が退屈しないように色んなものを詰め込んでやろうという演出面の強迫観念じみたものさえ感じてしまう。
演出家はつらいよってとこか。
そのため、余計に見ていて疲れてしまうのであった(-o-;)
妖精の一人としてキャロリン・サンプソンが出演して歌ってたらしいのだが、全然気付かなかった

クリスティーは鍵盤をたまに弾きながら指揮していた。我がTVモニターの音声はひどい代物なので、あまり音楽面についてどうこう言えないが、全く過不足なく舞台を支えていたと言えるだろう。

この作品から芝居の部分を切り落として音楽だけ演奏するのなら、全く別の形にして(ストーリーのないレビューとか)上演するしかあるまい。そういう意味では横浜の『アーサー王』公演形式もアリだが、演出家に余計なものをくっつけられてもねえ……。
難しいところである。


ところで、これを見ていて私はどうも『夏の夜の夢』を一度も見たことがないのではないかと思い至った。生の舞台にしろ、TVの芸術劇場の類いにしてもである。なのに、よく知っているような気がしていたのは、どうも『ガラスの仮面』のせいらしい。あの、マヤがパックをやった野外劇場の件りである。繰り返し読み過ぎて、既に芝居を見たことがあるように錯覚していたようだ。恐るべし『ガラかめ』であるよ。

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2010年6月 3日 (木)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 6月版

先月は体調不良のため2公演もチケットを無駄にしてしまいました(T_T)
さらに某美術館の無料コンサートにも突撃しましたが、整理券争奪戦に瞬殺で敗退してしまい、無駄足を踏んだのであります。

*18日(金)「バロック室内楽の夕べ」(安井敬、高田あずみ他)

マイナー系ではこれだけ。しかも、出張と重なってしまったとゆう……さて、どうなるでしょうか。

他には
*9日(水)ルストホッファース
*13日(日)チェンバロ・レクチャーコンサート「チェンバロのひみつ」
*16日(水)タブラトゥーラ
……タブラ公演は今回はお休み。
*19日(土)洋館で楽しむバロック音楽シリーズ「バッハの市民音楽2」
などがありますが、行けそうにありません(+_+)

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2010年6月 1日 (火)

「ヒストリエ」5・6巻

100531
著者:岩明均
講談社(アフタヌーンKC)2009・2010年

『ヒストリエ』の新刊が出たというのを、書店系のサイトで見かけて、その当日に本屋へ飛んで行った。なにせしばらくぶりの続巻である。
だが、なぜか新刊マンガの棚には並んでなくて、青年マンガの講談社の棚に平積みになっていた。それも1巻からズラ~ッとだ。で、よくよく見ると今回出たのは第6巻のはずだが、5巻の表紙もどうも見た覚えがないのである。ありゃっ(^o^;

……というわけで、第5巻が一年前に出ていたのを次の巻が出るまで知らなかったという失敗をしてしまったのであった。実は同じ失敗を昔、水樹和佳の『イティハーサ』でもやったことがあったのである。トホホ(x_x)

紀元前343年、物語は第1巻の冒頭に戻り、主人公は波乱の成長期を経てマケドニアのフィリッポス大王の書記官見習いに雇われる。そして、その息子アレクサンドロスが遂に登場。ここに至って、1巻目の冒頭第1ページの「ヘビ」の意味がおぼろげに明らかになってくるのであった。

意気軒昂たるフィリッポス王の王宮に潜む様々な不吉の影--それがこの先どう展開していくのか、期待である。それにしても、アレキサンダー大王が××××だというのは恐れ入った。
早く続きが読みた~い
でも、また一年待たなくては……(*_*) 次は見落とさないように気をつけよう。


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