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2010年7月

2010年7月31日 (土)

「トイ・ストーリー3」(字幕版):「夢織人」が懐かしい!って、そういう話じゃないけれど

100731
監督:リー・アンクリッチ
声の出演:トム・ハンクス、ティム・アレン
米国2010年

このシリーズは1作目が1995年、2作目が1999年製作。昔見た記憶もかなりアヤシイ--ので、再見するにもここはレンタルよりもいっそ買ってしまえ~ということで、急きょDVDを購入して復習。これで準備万端だぜっ。
3Dは正直のところ、『アリス・イン・ワンダーランド』で満腹状態になったんで2Dにしようと思ったが、なんと字幕の2Dはどこの映画館でもやってないのだ(!o!)ショ~ック 字幕は絶対譲れないので、仕方なく3D字幕版を選択したのであった。

3作目にしてジョン・ラセターは監督から外れてしまったのね~。まあ、ディズニーのアニメ部門の責任者になっちゃったから仕方ないか。
かつての腕白小僧だったアンディはすっかり成長して立派な好青年に! さぞご両親もご自慢でしょう……って、この家はシングル・マザーだったっけ。
彼が遠くへ大学進学するので、おなじみのオモチャたち(つっても、だいぶ仲間の数が減ってるようで(~_~;))は戦々恐々。2作目で「大学や新婚旅行に連れて行ってもらえるわけがない」と指摘されていた事態が実際に起こりつつあるのだ。
がっしかし、幸運なことに一番のお気に入りのウッディは進学先へ連れていってもらえることになったのであ~る。
残りのオモチャは保育園へ寄付されてしまい「また子どもと遊べる」と喜ぶ一同だったのだが--。

本来子どもが大勢いる保育園が、なんだか見捨てられたオモチャの行き着く果て、というか老人ホームっぽいのが皮肉である。さらに話が進むと収容所のようにも見えてくる。
さ~て、彼らの行く末はどうなる

相変わらず涙あり、笑いあり、アクション場面あり、加えてお子ちゃま無用の大人だけに分かる悲哀あり。よく出来たもんである。小ネタも随所で効いていて、「監視ザル」のエピソードなんか隣席のおねーさんがウケまくってギャハギャハ笑いをしていた。また、日本の某アニメの某有名キャラクターが特出。ピンクのクマはマフィアのボスに見えなくもない。

それにしても意表を突かれたのは三つ目のエイリアンである。まさか彼らがこんな活躍をするとは……(-O-;) 一作目から登場しているが単なるお遊びの小ネタキャラだと思っていたのよ。見損なっていた。正直すまんかった_(_^_)_ペコリン グッズ買っちゃおうかなっと

怒濤の展開を経て、ラストはアンディが真に子供時代に別れを告げ大人になり、オモチャたちが彼らにふさわしい場所を得る。嬉しい \(^o^)/がちょっぴり寂しい(;_;)--という物語である。
この作品に不満があるとすれば、感動的過ぎることだ。
ひ、ひねくれ者は簡単に感動なんかしないんだいっ(>O<) そんな感動させるな、バカー……てな感じですか。
おまけに泣いちゃったし--。いや、泣いたというより気付いたら涙を流していたのである。普通のメガネと3Dメガネ二重かさねにしてたら涙ふけないじゃないか。どの場面で泣いたのかはナイショだよ(~ へ~)
やはりピクサー軍団最強と再認識するのであった。

見ていて3Dという意識はあまりなかった。このぐらいがちょうどいいかも。2Dとどう違うのかはDVDが出てから確認するか。
むしろオマケの小品『ナイト・アンド・デイ』の方が2Dと3Dの違いをパロディにしているような内容であった。

ただ、第1~3作でどれが一番好きかと聞かれたら、世評と違って私は第1作目と答えるだろう。1作目はピクサーの初の長編であり、技術的には今より遥かに劣っているだろうが、彼らの短編アニメに見られるような単純な動きの面白さが強調して描かれている。
ストーリーもシンプルでそれだけに力強く訴求力がある。特にバズの墜落の場面は悲哀に満ちていて、何度見ても胸を打たれるのだ。


泣かせ度:10点
笑い度:9点


ところで、他のブログの感想を読んでいて気になったのは字幕版の感想がほとんど見つからなかったことである。3Dで字幕だと見にくいから仕方ないのだろうがそれにしても、である。
そこで、どんなもんかと1作目のDVDを吹替え版で見直してみた。
まあ、当然なことといえば当然なのだが、ランディ・ニューマンの歌も日本人歌手の吹替えになっている。
あえて、ハッキリ言わせてもらおう、コホン(←咳払い)

もうそれだけで 吹 替 え ダ メ ダ メ 度 2 0 0 パ ー セ ン ト 増 し ~ ですから!

2・3作目と違ってR・ニューマンは数曲を彼自身が歌っていて、しかも登場人物の心理を代弁しているのだ。それを全く違ったタイプの若い(当時は)歌手に歌わせるとは……。論外である。肝心の墜落場面も感動9割減間違いなし。

唐沢ウッディはちょっとカッコ付け過ぎの感あり。違うキャラクターみたい。所バズに至っては(無言)。それになんてったって字幕版じゃ軍曹がリー・アーメイ(『フルメタル・ジャケット』の元本物の鬼軍曹)だい。

ということで、これから1作目を見ようという人は字幕版をお薦めしたい。ただ、字幕で全作通してみると「カミサマ~」が出て来ないんだよね。

【関連リンク】
《macska dot org》より
「子ども向け劇場アニメが描く「マルチチュード的革命」/ジュディス・ハルバースタム講演報告」
「『レミーのおいしいレストラン』の場合/「ゲイな映画」と「クィアな映画」のあいだ」
数年前の記事ですが、ピクサー・アニメを初めとする作品群について。
実は私『Mr. インクレ』は苦手(^^; 『トイ・ストーリー』はどちらに分類されるのかな。


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2010年7月25日 (日)

「ルポ 差別と貧困の外国人労働者」

100725
著者:安田浩一
光文社新書2010年

読んでいてウツになるのは必至であろう。
工場、近年では農家などの単純労働は、好況時はブラジルの日系人が担い、不況になってからは彼らは解雇され、中国からの「研修生」を使うようになったという。それは「単純労働者を受け入れない」という政府の方針の下、「例外」として認められてきたのである。

この本では前半が研修生、後半に日系ブラジル人が取り上げられている。
「研修生」が携帯電話、パソコンの所持を禁じられ、通帳、キャッシュカード、パスポートを取られて長時間・低賃金で働かされる実情はまさにタコ部屋か女工哀史か、としか思えない。少しでも不平を訴えたら直に強制送還である。しかし、そうすると本国で違約金を取られてしまうのだ……

冒頭で彼らの中の「成功者」数人にインタビューしているが、その中の一人は日本にいた三年間に労働現場である農家の近所以外に出て観光したのは一度だけ。それ以外の日本は知らない。朝6時半から夕方5時まで働き、夕食の後は深夜まで大葉をビニールに詰める作業していたという。

これを読んでからスーパーで小袋に入った大葉を見る度にウツな気分になってしまうのであった。


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2010年7月20日 (火)

「ザ・ロード」:太った略奪者よりも痩せたホームレスになれ

100720
監督:ジョン・ヒルコート
出演:ヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィー
音楽: ニック・ケイヴ
米国2009年

「暗い、暗いな……」見ている間中、ずーっと心の中でつぶやいていた。それぐらい暗い。道理で沢木耕太郎が朝日新聞で紹介したにもかかわらず、空席が目立つはずである。

原因は明示されないが、突然の天変地異によって滅亡した世界。生き残った人間には二つの道しかない。主のいなくなった建物の中を漁って加工食品や飲料を漁る「ホームレス」か、銃を持って人を襲いついでに食っちまう「略奪者」である。まさに弱肉強食の世界だー
主人公の父と少年は、陽光のささぬ厚い雲に覆われた荒廃した世界を、暖かさを求めて南へ歩く。息子が元気な悪ガキならまだしも、自死した妻によく似た(実際に母親役のシャーリーズ・セロンにクリソツ)繊細な子どもである。このままでは、とーちゃんはお迎えの時が来ても、死んでも死に切れねえ(T^T)クーッ

基本的には父と子、二人だけの描写がほとんどを占める。しかも、ラスト・クレジットを見て一人を除いて人物に名前がないことに気付いて驚かされる。
さらに終末の世界のヴィジュアルは圧倒的ではあるが、灰色のドヨ~ンとした光景ばかりで(回想を除く)、どうしても単調に感じざるを得ない。睡眠不足の時に観たら、主人公たちと一緒に寝てしまいそうだ。
その単調さを払拭するためか、前半はスプラッタ・ホラーもどきの描写が出てきて閉口した。ピュリッツァー賞受賞という原作(『ノーカントリー』の作者でもあるC・マッカーシーの小説)もこんなんなのかね。

後半では他者が登場して会話を交わす。そして父子の齟齬--。人形を抱えていた少年は全く別のものを手にして終盤を迎える。この物語の意図は明らかだろう。
エンド・クレジットのバックに流れる「音」は少年が「善き者」に出会い平穏を手に入れた証しだろうか。でなければ、彼が決して体験できない過去の平和な時代のものとも考えられる。

もっとも自分を顧みると、例え世界の終末が訪れたとしても、私には「善き者」と「悪しき者」など見分けることは出来そうにない。せいぜい「強き者」と「弱き者」ぐらいだろう。あ、それだったら現在の日本で十分に見分けられるか((>y<;)

結局のところ、個々では印象的な場面が幾つもあるが、全体的にはどうも好きになれない作品だった。
よれよれ父親のヴィゴ・モーテンセンや美少年な子役は達者なものである。音楽はニック・ケイヴ担当。


終末度:9点
善人度:6点


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2010年7月19日 (月)

「菅きよみ バロック・フルートリサイタル」:主役は象牙製

100718
オリジナル楽器で聴くフランス・バロックの響き
会場:東京オペラシティ リサイタルホール
2010年7月13日

「んー、また近江楽堂か~。防寒に気をつけなくちゃ」などとエスカレーターを上るオペラシティ。が(!o!)近江楽堂は暗く閉ざされていたのであった(>y<;)ガーン
チケットをよくよく見れば同じオペラシティでも地下のリサイタルホールではないの。この二つを間違えたのは二度目よ

プログラムを読むと今回は18世紀初頭に作られた象牙製のオリジナル・フルートの修復記念ということで、お披露目演奏会なのだという。曲目もそのフルートを作ったP・ノス周辺の作曲家のものが選ばれている。
その肝心の楽器は真っ白な象牙に銀製のリング。と言っても現代人の目からだとプラスチックにしか見えないのが悲しいところである(^^;ゞ

共演はガンバの福沢宏、チェンバロが大西孝恵の二人で、完全にサポート役に徹していた。
内容はオトテール、ルクレール、ボワモルティエなどフレンチ・バロック定番の作曲家のもの。菅女史はチラシのようなマダム風の髪型ではなくて、なぜかホッとした(?_?;
後半の冒頭では、一人で登場しクープランの「恋のうぐいす」を独奏。彼女のウグイスは突然の恋に戸惑いながら控えめに鳴いているという趣きだった。

いずれの演奏も文句ナシであったが、贅沢を言えば「こう来たか!」というような驚きや「聴けてヨカッタ(^^)」という高揚感には欠けるきらいがあった。象牙フルートと共に、今後の活躍に期待といったところだろうか。
なお、会場には某先生をはじめ同業者も多数来ていたもよう。

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2010年7月17日 (土)

「ジョングルール--音の旅びと」:まぼろしの楽師たち

100717
中世ヨーロッパの放浪楽師
演奏:ジョングルール・ボン・ミュジシャン
会場:絵本塾ホール
2010年7月11日

中世楽師の扮装をして当時の音楽を奏でる四人組は、今はなき目白バ・ロック祭りで聴いたが、その後は公演の中心がライヴハウスなのでなかなか行けず、今回小ホールでやるというので行ってみた。なんでも、満員御礼で予備椅子まで出たそうである。

冒頭、イチローにちょこっと似たヴォーカルの辻康介が登場して、木製ブブゼラみたいな楽器(名称不明)を吹いて開幕を告げた。続いて、「聖母マリアのカンティガ」や「カルミナ・ブラーナ」などから当時の放浪楽師たちの痕跡を留める12-13世紀の曲を中心に演奏された。

歌ものは日本語の歌詞や語りが入るのでユーモラスな内容がよく分かって、会場の笑いを誘う。「躍り出たステーキ」という曲ではなんと実際にステーキが宙を舞ったりした(^o^;

放浪楽師は音楽だけでなく「語り」も演じたということで、グリム兄弟の「ハリネズミのハンス」なんてのもやった。
また宮廷で吟遊詩人の伴奏をやることもあったらしい。彼らの作品が3曲歌われたが、ギロー・ド・ボルネイユの「栄光の王」で上田美佐子が弾くフィドルの嫋々たる音色には驚き、かつ引き付けられた。こんなフィドルは初めてだー(!o!)と断固言いたい。

歌なしの舞曲もよかった。使われた楽器は他にハーディ・ガーディ、バグパイプ、ハープ、鍋など。リーダーの近藤治夫は何種類ものバグパイプを取っかえひっかえしていた。中には動物の毛がフサフサ生えているのもあって触ってみたくなってしまったぞ。

当時の放浪楽師たちの世界の一端を垣間見る(聴く)ことができたコンサートで楽しかった。これからもライヴハウスでが中心らしいが、中央線沿線はちょっと行きにくいんだよねー。できれば○○線とか××線沿線ならいいんだけど。もっとも、××線にライヴハウスなんてものがどれほど存在するのか極めてアヤシイ(^○^)
ただ、ここでも楽器の保護のためエアコンをガンガン効かしていてこれにはマイッタ。音楽聞くのも命がけである

なお、近藤氏がプログラムの解説にちょっと過激なことを書いてしまった--などと言ってたので、何かと思ったら「宗教音楽や宮廷音楽だけが当時の音楽ではない」という意味のことなんだろうか。
確かに庶民が酒場や祭でどんな歌を歌い音楽を聴いていたのか、などというのは記録に残っていないのだから知りようがない。知りようがなくても存在しなかったわけではない。
だが、例え楽譜が残っていても当時どのように演奏されたのかは本当のところは不明である。現代の人間はその怪しげな断片をかろうじて耳にしているに過ぎない。
記録が残っていようといまいと当時の地位がなんであろうと、それを蘇らせるのは現在に生きる演奏家である。それに期待したい。「音楽に貴賎なし」ですよ(^_-)☆


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2010年7月12日 (月)

「ジャン=マリー・ルクレールの肖像」:冷風攻撃に敗退

100712
演奏:アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア
会場:近江楽堂
2010年7月6日

ようやく名前を何も見なくてもかけるようになった若手四人組リクレアツィオン・ダルカディアの演奏会。秋にはビーバーが予定されていて、今回はルクレールである。

まず、ルクレールのソナタを四人で。実に溌剌として勢いのある演奏を聴かせてくれた。次は松永&山口ペアによるヴァイオリン2本だけのソナタである。何やら楽章によっては二つの弦が妖しく絡み合う雰囲気の場面もあって、こんな曲もあったのかと驚いた。

3曲めは同時代のロカテッリへ--と行った途端に、それまで止まっていた空調が(さすがに暑くなって湿気が増したので)突然動き始めたのであった! それはちょうど私の関節痛の一番ひどい部分に頭上から冷風が直撃。薄手の長袖ニットを持って行ってたが、そんなものでは役に立たない。たちまちに前身がキシキシいい始め、音楽を聴くどころではなくなってしまった。
というわけでロカテッリのソナタがどんなだったかほとんど覚えていないのであーる

同じく同時代といっても、タルティーニのソナタは「すでに古典派の様相を示している」とのことでチェンバロ抜きの弦三人(+懸田氏)で演奏された。
代わりに、それに続くフォルクレ(息子)の鍵盤曲は渡邊氏の独演。父フォルクレのガンバ作品をチェンバロ用に編曲し直したもので、三曲のうち一曲がその名も「ルクレール」というのだった。原曲よりもずっと小粋な感じになっているように思えた。

ラストの2曲もルクレールで締め。やはりキレのいい演奏だったと言いたい所だが、また冷風攻撃が再開して気が散ってしまったのであった{{(>_<)}}
これは私だけでなく周囲の人は年齢に関係なく「寒い寒い」とこぼしていた。次からこの会場では空調の風が直撃しない端に座ることにしよう。それにしても冬は暖房のモワーッとした風が来るし、なんとかしてくれい。


関係ないことだけど会場は身内の人間が多いようだった。主催者側らしい中年女性が私の隣にいる客が特別な人物らしく挨拶しようとしたが、私が座っていると邪魔なようでにらまれてしまった、コワーッ
それだったら招待客席でも最初っから作っといてくれ(*`ε´*)ノ☆ こっちだって金払ってるんだい。

とはいえ、次のビーバーも行きますよ、ハイ。


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2010年7月10日 (土)

「ボローニャの夕暮れ」:父よ、あなたは変だった!

100711
監督:プピ・アヴァティ
出演:シルヴィオ・オルランド
イタリア2008年

広告ではまるで心温まる感動作の如き宣伝がされていて初めは興味はなかったのだが、ストーリーを聞くとどうも感動的な話には思えない。
ということで見に行ってみたが、なんと感動どころかとんだ「珍作」(?_?;であった。

大戦前のイタリア、高校教師の主人公は内気な娘を心配するあまり、イケメンのモテ男生徒に「娘と仲よくしてやってくれ」と成績をチラつかせ頼むのであった。
--と、ここで不思議なのは普通父親としてプレイボーイの落第生なんて、一番娘に近づけたくないタイプの男だと思うがどうよ やはりここは文武両道の優等生を選ぶのが普通でしょう。

ところが校内で殺人事件が発生、なんと容疑者に自分の娘が……(!o!) 精神病院送りにされてしまうのであった。

結局、ストーリー上では全てのトラブルの原因は主人公の美人の妻にして娘の母親に帰されてしまうのだが、これには驚いた。どう見たって、原因は父親の性格だろう。疎遠な妻との関係を外面だけ取りつくろい、娘の周囲を気配りしているようでやはり外見を取りつくろうとしたのが、裏目に出たとしか思えない。
彼がやるべきだったのは、物わかりのいい夫・父親ぶることではなく、全てをかなぐり捨てて妻へ「私と娘にはお前が必要なんだ~~(>O<)」と懇願することじゃなかったのかね。

一応、戦争を背景にしているがなんだか取ってつけたような印象。廃墟の中を走る路面電車の場面はみものだが。
不倫を匂わせる妻と主人公の親友との関係の顛末もなんだか消化不良だった。これでメデタシメデタシの感動的結末とかいわれてもねえ……(+_+)
情けない父親役のシルヴィオ・オルランドをはじめ、役者陣には文句はな~し。

さらにストーリーとは別の点について。画面を見ているとなんだかピントがあったり外れたりする。上映の不手際で微妙にピンぼけ状態になることがあるけど、それとは違ってカメラの動きとピントの合わせ方が同期してないという感じだ。
加えて、編集もなんだかスムーズじゃない所がある。学生映画並みとは言わないけどさ。
こんな要素も加わって「珍作」なのであった。


ここしばらく、映画系サイトの隅から隅まで眺めても、見てみたいという作品が見つからなかった。一週間ぐらいなら以前にもあったが、こんなに長期間見たいものが出て来なかったのは初めてである。
なんだかなあ


ボローニャ度:7点
感動度:5点


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2010年7月 4日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパン第89回定期演奏会:現代日本の選挙でもお願いします

100704
ライプツィヒ時代1727~29年のカンタータ1
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2010年7月2日

今年度の定期第1回目の「マタイ」は知人にチケットを譲って、さいたま芸術劇場で聴いたので、今回初めて定期の座席に座った。だが、遠い~ こ、こんなはずでは……(~_~;) 次からは座席の希望の出し方を変えてみよう。

今回はトランペットとティンパニが入るカンタータが2曲あり--ということで、ティンパニはガイジン招聘組であった。またチェンバロは鈴木(息子)氏ではなく別の女性奏者が入っていて、さらに鈴木(兄)氏も指揮しながらもう一台を弾いていた。

またCTのロビン君が絶好調で活躍だったのも印象に残った。コラールを元にしたBWV117のアリアでのトラヴェルソと共に伸びやかな歌声を聞かせ、次の120番ではいきなり第1曲目から入る難しげなアリアを歌い、ラストの34番も感動であった。

祝祭的な120番は市の参事会交代式で演奏されたそうである。「いざ、主よ、この市政をあなた自らの祝福もて浄め給え! あらゆる不正が我らから離れ去り、正義が我らの住まいに咲き誇り……」
日本でも選挙や総理大臣が変わる度にこの曲をやった方がいいかも知れないのう。

98番の冒頭合唱はゆったりとした合唱に細かく弦がからんで聴きごたえありの一曲。また、この3曲目にあるハナ・ブラシコヴァのソプラノ+オーボエのアリアが感動的であった。120番でもそうだったが、ソプラノと独奏楽器と通奏低音という組合わせの曲はもうバッハ先生の独壇場といった印象だ。

しかしこの日ベストだったのは、曲の長さとしては4曲中で多分最短だった34番だろう。
トランペット(一部分コケてた気もするがキニシナイ(@∀@))とティンパニが活躍する壮大な合唱曲を聞かせたと思ったら、次にテノールのレチで一転そして続くアルトのアリアが極めて穏やかで清澄な世界を形作ってウットリと聞かせる。その後はバスのレチに行ったかと思うと間髪入れずに再び力強い合唱に戻るという、短いながらもキマった構成であった。
ラストの小気味良いティンパニの連打がビシリと決まった時には、思わずバッハ先生バンザーイ \(^o^)/と叫んだ……りはしなかったが、マチャアキ氏の背中に惜しみない拍手を送ったのである。
なお、これがしばらく前の古楽レクチャーで取り上げられていた、ロシアで歌詞本が発見されたために初演年がずっと早まったという作品である。

ところで、今回なんだかやたらに学生風の若い人が目についたが気のせいか? それともよく美術館で見かけるように、「ここに行って感想書いてきなさい」なんてレポート課題でも出たんだろうか


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2010年7月 3日 (土)

「ひねもすハトちゃん」

100703
著者:久世番子
新書館2010年

主人公は鳩山さんという女子中学生。友人は少なく、地味過ぎるので男子による女子ランキングではそもそもエントリーさえされなかったという女の子である。
でも、絵を描くのが大好きで、前世は「戦国時代、国の興亡を占った巫女」だと信じているヲタク系でもある。

クラス内の女子グループ、球技大会のドッジボール、苗字でなくて名前で生徒を呼ぶ教師など、多くの人が自分の中学時代に必ず幾つか思い当たるようなエピソードが登場する。ついでに言えば、女子だけでなく男子の立場から見た話も登場する。

転校する子に贈る色紙に書く言葉に悩む話は特に面白い。鳩山さんは親しくないので悩むのだが、一番仲よい(とみんなに思われている)子も言葉が見つからないのだ。分かるよその気持ち。
なんとなく、思い出したくない中学時代がモーローと目の前に浮かび上がってくるのであった。
ここで、正直に言おう。もし私が世界征服をして独裁者となったら、この地球上から全てのドッジボールを抹殺してやる~ あー、思い出すのもイヤっ(>y<;)

面白いのは、鳩山さんの喋る言葉が吹きだしに入ったセリフとしては一つもないことである。そして彼女の心理は地の文章で説明されているのだ。これは鳩山さんの地味かつ複雑なコミュニケーションを表現しているのであろうか。

100703b

このマンガの裏版というか、実は作者自身がかなり反映されていたのか--というのがよくわかるのが、
私の血はインクでできているのよ」(講談社2009年)
であろう。

小学生の時から絵が大好きで美術部に所属し、マンガ家を目指して一直線であった作者のヲタク女子としての姿が赤裸々に回想されている。それにしても過去の同人作品どころか、自分が「初めて描いた少女マンガ絵」(小学生時代)なんてまで公開しているのは恐れ入る。
でも、禁断の「大鏡」超訳マンガ「花山院の出家」--どんなんだか見てみたい(恐いもの見たさ)

「宇宙皇子」に熱狂したエピソードが出てくるが、当時確かにエラい人気だった。もう昔の話であーる(遠いまなざし)……


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2010年7月 2日 (金)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 付け足し

そういや、書き忘れてました。

秋にLFJ常連の某グループが再来日するとか
こりゃチケット争奪戦は間違いなしですな。

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2010年7月 1日 (木)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 7月版

健康に注意しつつ体力を温存していた6月でありましたが、7月は少し頑張ろうかなっと

*6日(火)「ルクレールの肖像」(リクレアツィオン・ダルカディア)
*11日(日)「ジョングルール~音の旅人」(ジョングルール・ボン・ミュジシャン)
*13日(火)「菅きよみ バロック・フルート・リサイタル」
チラシの写真が何気にマダム風よ。
*27日(火)「絵の中の楽器たち~ブリューゲルコンサートinナイト・ミュージアム」(カテリーナ古楽合奏団)
上野の美術館だと展覧会に合わせたコンサートはレクチャー室みたいな部屋でやるのが常だが、これは展示室でやるらしい。絵画が描かれた当時の音楽を実物に囲まれて聞く--というのは夢だったんです

他には
*2日(金)Ensemble Les Nations
なんとBCJとダブルブッキングしてしまったドジである(x_x)
*7日(水)「七夕に寄せて」
聴きたいが連チャンになってしまうので自重。
*18日(日)「みんなの古楽2010 第2回」
*22日(木)寺神戸亮ソロ

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