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2010年8月

2010年8月30日 (月)

「情念と秩序 3 テレマンの室内楽」:残暑に負けずテレマン

100830
演奏:向江昭雅ほか
会場:近江楽堂
2010年8月29日

リコーダーの向江氏に長岡聡季(ヴァイオリン)、平井み帆(チェンバロ)という組合わせでテレマンのソナタなどを聴く。なんとこれが8月唯一のコンサートである。
まだ残暑厳しいとはいえ、場所は近江楽堂である。冷風よけのジャケットをしっかり持参だー。

一日2回公演だったので、客の数は多くない。しかもほとんどが身内のようだ。珍しくキャピキャピした若い娘さんたちの集団がいてビックリだったが、向江氏の教え子かしらん。
他にも平井女史とケルト音楽をやっている守安夫妻も客席にいたもよう。

テレマンというと作品数は多いし、活動期間も長いんでどうもイメージが定まらないところがある。今回は最小編成のソナタ、独奏曲をなどを中心にしてキビキビとした演奏を聴かせてくれた。とりあえず残暑も吹き飛ぶ勢いありのコンサートであった。

曲の合間には、テレマンが「週刊××」みたいに楽譜を順に分割して売って儲けた商売人だとか、ヘンデルのガーデニング好きはテレマン経由の日本発祥--という珍説も聞かせてくれた(ホントか)。でも盆栽とガーデニングは違うような……。


帰りに久し振りに新宿のタワー・レコードのクラ売り場に寄ってみたら、なんと古楽売り場が縮小(!o!) しばらく前に試聴機もなくなっちゃったし(´・ω・`)ショボ~ン
もう後は渋谷のタワーしかないか


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2010年8月28日 (土)

「カラフル」:人間が嫌いでも口に出して言わないのが大人というものよ

100828
監督:原恵一
声の出演:冨澤風斗
日本2010年

森絵都の原作は日本のYA文学の代表的存在。感想文コンクールの課題作になったり、読書会のネタになったり、さらには彼女の文章は国語の教科書に載るほどらしい--のだが、一度も読んだことがない(^^;ゞ
なんだけど、予告が面白そうなので行ってみた。

あの世へ行く寸前で引き止められた「ぼく」の魂は、天使(多分)から抽選に当たったのでもう一度修行してやり直す事ができると告げられる。そして、自殺した中学生の身体に入ってその少年としての生活を始めるのであった……。

ファンタジー調の設定だが、取り上げられている題材はいじめ、家庭崩壊、援助交際など極めてシリアスにして身近なものである。
しかも最近のアニメのトレンドなんだろうか、『アリエッティ』同様背景は非常に精緻に描きこまれている。二子玉川とか等々力といった実在の場所が登場していて、その辺りを完璧に再現しているとのことだ。雨の街路や川岸の光景は美しい。

主人公たちが自己を肯定的にとらえ直し、家族が再生していく過程は感動的である。いや、感動的なのであるが、それは観ている側が感動するというより、絵に描いた「感動」を見せられているような気分であった。
さらに一番の驚きは、一番肝心の部分を全てセリフで説明していることだった。「あ~あ、そこまで言っちゃうかねー」という感じだ。原作が小説だとこうなるのか(?_?; これでは映像化する意味はないだろう。
振り返れば、『アリエッティ』では肝心なところはなんにも説明されてなくて訳ワカラン状態。かと思えばこちらでは全部説明しまくり……日本の未来が心配です(いや、別にどうでもいいけど)

しかも、自分がさすがにもうイイ歳のオバハンになったせいか、主人公よりも母親の方にかなり同情してしまったのは仕方ないことか。これを見て、つくづく「あー、自分が母親でなくてヨカッタ \(^o^)/」と思った(少子化促進アニメかよ)。
先日、政治家が高齢出産することを公表したが、そうすると60歳代半ばでこの思春期の若者のドロドロした負のエネルギーと向き合わなければならないことを意味している。私なぞ、それを想像しただけで気絶しそうだ。とても真似できません。

エンコーとフリン、どちらが犯罪かといったら法を犯しているのはエンコーである。しかし、この物語の中で厳しく裁かれているのはフリンの母親なのだよね。法の罪よりもモラルの罪の方が重い。それは家族制度を崩壊させるからだろうか。逆に言えば、少女のエンコーは社会システムを破壊することはなく、むしろシステムの維持に一役買っているのか、なんて穿った見方までしたくなっちゃう。
母親は再生産労働に専念することで贖罪しようと試みるが、それは決して認められることはない。この冷厳さは原作者のものか、それともアニメの作り手のものなのか。

数曲の挿入歌がやたらとベタで聞いてて気恥ずかしい。普段、洋楽ロックばかり聞いてる人間だからそう感じるのかと思ったら、こちらの感想を読むと、私だけではないようだ。ホッ( -o-)

観に行ったのは平日の昼間とはいえ、夏休み中である。しかし、物語の対象としているような中高生の姿はなく、客席には大学生風の若い女の子たち、中高年オバサンのグループ(謎)、監督のファンらしいヲタク系男性あたりがまばらにいるだけだった。このアニメはどういう客層を想定しているのか……なかなか難しい。そこへ行くと、『アリエッティ』はマーケティングがうまく成されていたなあと改めて感心してしまった。

まあ、そもそもひねくれ者に合わないモンを観てしまったということで


背景描写度:8点
人間描写度:3点


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2010年8月27日 (金)

「プリンセスと魔法のキス」(字幕版):ワニが歌えばカエルも踊る

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監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ
声の出演:アニカ・ノニ・ローズ
米国2009年
*DVD

ディズニー初のアフリカ系主人公、手描きアニメ復活ということで評判になった作品だが、私が見たかったのはなんと言ってもランディ・ニューマンが音楽担当だからである。だからもちろん吹替えではなく字幕にして見た。

ということで、最初の曲はどこかで聴いた歌声--と思ったら、ドクター・ジョンであった。
ロマンスなんか縁はねえ~、まず働かねばという現実主義者のヒロインと、遊び者で親から勘当状態のグータラ王子様という組合わせがディズニー・アニメとしては新しいということらしい。
しかし、子供の頃にテレビで見たぐらいで以後ディズニー物とは縁がなかった私にとってはロマンチック充分状態でしたよ。

脇役は充実。ワニ君の音楽愛には笑わされ、ホタル君の純愛には泣かされた。シャーロット嬢はいいヤツ過ぎ。普通だったら「私の王子様を~ω(T_T)ω」と恨むかと思うんだけど。

今イチよく分からんかったのは、善悪二人の魔術師--というかまじない師? ボーッとして見ていたせいか、善い方のママ・オーディは何を言いたいのかよく分からん。「目的と手段を取り違えてはいけない」ということだと、他の人の感想に書いてあったけどやっぱりケムに巻かれたようで不明。
悪役の方は結局何をしたかったのか? シャーロットの父親を殺すのが最終目標か でも王子をカエルにしなくちゃいけない理由はなかったような気がするが。
それから魔法が解けた経緯も謎よ(^^?

まあ、とにかくカエルとお姫様の話をよくもうまく1920年代の黒人社会に当てはめたと感じた。ただ、途中に蛍光色をふんだんに使った場面が何回か出てきたのは、見ていて眼がクラクラしてしまった(@_@)
音楽はニューオーリンズ・ジャズ風郷愁味があってよかった でも、またオスカーは取れなかったんだよね……(=_=;)


プリンセス度:7点
魔法度:5点


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2010年8月23日 (月)

「美術館の政治学」

100823
著者:暮沢剛巳
青弓社ライブラリー2007年

日本の美術館の歴史、そして現在を解説している本である。
そもそも英語のミュージアムという概念には博物館も入っているそうである。で、その定義からすると国立新美術館はミュージアムではなく、ナショナル・ギャラリーなのだそうだ(実際、そう名乗っていた)。

歴史の面では万国博覧会、日本民藝館、上野公園、遊就館などが取り上げられている。柳宗悦については、名前は聞けど実はよく知らず状態だったので、なるほどこういう人物かとまた一つ賢くなりました(^^;
西武美術館については、よくお世話になったので懐かしささえ感じた。西武に限らずデパート系の美術館にはよく行ったもんである。そのほとんどが消滅してしまったが。

現状については、ICCの閉館騒動、国立新美術館、地方の新設公立美術館--これらを取り上げた章については関係者に気を使って(?)か、記述にいささか鋭さが足りないような気がするが、多分気のせいなのだろう。

あと、2007年の出版なので本当の「現状」はさすがに書かれてはいない。アートシーンは回転が早いからのう

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2010年8月22日 (日)

副業でいい加減だと本業も……

CS放送の朝日ニュースターでやっている「宮崎哲弥のトーキング・ヘッズ」のゲストに国際政治学者の藤原帰一が出演していた。毎週、様々なゲストが出て宮崎哲弥が話を聞くという番組である。
この日は、藤原帰一の本業の国際政治の話ではなく映画がテーマだった。「アエラ」に連載している映画評はたまに読んでいたので見てみた。

内容は今年に公開された洋画を中心にテーマ別に解説していくものだったが、結論めいたこととして、マイノリティや多文化を扱った作品は米国以外の国でもウケるが(『第9地区』『アバター』など)、911以降の米国の内情を反映したようなもの(『ダークナイト』『ハートロッカー』)は他国では受け入れられないというのだ。で、その証拠として『ダークナイト』は米国内では記録的な興行成績を上げたが、米国以外では全くダメだったとしていた。

ここで、私は大きな疑問を感じた。「あれっ(?_?;『ダークナイト』は米国以外ではウケなかった--のではなくて、日本でだけウケなかったのではなかったっけ?」
西欧圏だけではなく、アジアでも確か韓国ではヒットしたという記憶がある。

こういう時はさすがネット社会。昔だったら図書館に行って年鑑やら統計をひっくり返さなければ確認できないが、今ならあっという間に確認できてしまうのだよね~。
すると出てましたよ、ここに
ご覧のとおり、この年の米国以外の興行成績は一位が『インディ・ジョーンズ』で二位が僅差で『ダークナイト』となっている。つまり、「米国以外の国ではウケなかった」という藤原帰一の話はウソだったことになる。

恐らく、「米国の内向きの実情を描いた作品は他国では人気がない」という結論が先にありきだったのだろう。いや、それとも彼の言う「世界」とは「日本」だけのことなのだろうか。国際政治が専門なのにさ。

副業でこんないい加減なことを言っていると、本業の方の発言だって怪しく思えてしまう。本業の話も眉にツバ付けて聞くしかないかもね。

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2010年8月21日 (土)

「借りぐらしのアリエッティ」:家政婦は見た!小人の家族と家族なき人間を

100821
監督:米林宏昌
声の出演:志田未来、神木隆之介
日本2010年

ジブリ・アニメは「ポニョ」も見てなくてご無沙汰です。この作品も全く期待してませんでしたが、それが却ってよかったのでしょうか。結構楽しめたのは意外でした。

舞台は日本、都市郊外の緑の多い高台のお屋敷に、小人の一家が住んでおります。名前はなぜかカタカナなんですけど……海外からの移民かしらん、なんて余計なことをよい子は考えちゃいけませんよ。
ある日、その家の主の孫の少年がやってきます。この子が実に礼儀正しいキチンとした子で、今時のニキビ面の腰パン中学生なんかとは大違い! でも、それによって小人一家の生活は変わることを余儀なくされるのでした。

身長十数センチ?の小さい人たちの生活が実に丁寧に描かれています。人間の小物を「借りて」きては様々に使っている様子は感心するばかり。百円ショップでなんでも買ってきちゃう現代都市住人には新鮮な、素朴な手作り感にあふれています。

また、お屋敷の庭はさながら異世界の密林のよう。ヒロインの少女アリエッティが蔦を上ったり草をかき分ける場面を始め、ダンゴムシと遊んでいる所は王蟲の幼虫みたい--なんて『ナウシカ』を連想してしまいました。そういや太ったネコは王蟲の成虫か
かと思えば、人間の生活音は無駄にデカくて野蛮。とても脅威です。

さて、アリエッティは思春期らしく感情の起伏はあれど素直な女の子なんですが、一方、人間の少年翔はその礼儀正しい美少年のイメージとはうらはらに、内部に虚無と暴力性を抱え込んでいたのでした。一体、そんな事誰が想像したでしょうか? きゃ~っ、恐ろしい……つーか、何考えてんのかわかんねー。病気のせい(?_?)それとも両親に構ってもらえないから(?_?;
何の説明もなく唐突に出てくるんでビックリです。作品内最大の衝撃ポイントですね。異種族の少女の気持ちは分かるのに、同じ人間の方は理解できないとはこれ如何に

まあ、でも仕方ないでしょう。だってなんにも説明されてないんですから。
それはこの作品だけの事に限りません。最近のハリウッド映画を見ていても似たようなことを感じてしまいます。壮大なヴィジョンや特異な世界観を示せても、説得力ある描写はできないようです(する気がない?)。
ヴィジュアルの技術は進み、才能ある人材は多数出てきても、昔ながらの脚本を作り上げていくシステムは失われてしまったからでしょうか? よく分かりません(>_<)

それは別にしても、私にとってこの作品の問題は、厳格な父、世話焼きでそそっかしい母親、健気な少女、病弱な美少年、美しいお屋敷……等々の全てが、現在の私自身のどこにもなんにも関わる部分がないことです。まさしくこれは遠い世界のファンタジーなのでしょうか
だから、見てても「少年の部屋の枕カバーや壁紙の模様がステキ(^^)」とか「切手を額に入れて飾ってる~」「●キ◎リはあんな生易しくねーぞ」「ハルさんて樹木希林に当て書きしたのか」なんて部分に気を取られちゃうのでした。
あ、それからサウンドデザインがとてもよく出来ていて感心したことを付け加えておきます。

映画館には小さい子どももかなりいましたけど、内容からして小学校中学年以上じゃないと無理無理 ポケモンの方がいいでしょう。
あとはガーデニングやハーブに興味あるオバサン&娘さんに推奨ですかね。アリエッティたんにハアハア(^Q^;)したい男性は……知るかっ(*`ε´*)ノ☆そんなもん。


さわやか度:8点
共感度:5点

【関連リンク】
《忘形人形 - forget me or die -》
中で引用されている「美術品の趣」に思わずナットクです。

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2010年8月14日 (土)

「いのちの選択 今、考えたい脳死・臓器移植」

100814
編者:小松美彦ほか
岩波書店2010年(岩波ブックレット)

〈人間は生まれつき「死後に臓器移植するべく自己決定している存在」であることを前提〉

な、なんだって~(>O<)

〈本人の拒否の意志が示されていなければ、家族の同意のみで年齢制限なしに提供できるようにし、さらに親族間での優先提供も認めるものです。〉

オイラはそんなこと認めてねえ~~

〈いまや臓器を提供しない人の方が、「臓器を提供しません」という意思をはっきり示したカードや文書をつねに所持するように求められます。〉
〈そうしたカードや文書を所持していなかった以上は、「決めかねていた」のではなく「提供するつもりだった」と見なされます。〉
〈カードや文書を所持していないかぎり、誰しもが夫や妻、親や子の臓器を提供するのかしないのかの判断を迫られることになるのです。〉

カ、カード……(-o-;)


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2010年8月13日 (金)

「ファンボーイズ」:見ぬうちが花

監督:カイル・ニューマン
出演:サム・ハンティントン
米国2008年
*TV放映

絵にかいたようなB級青春ロードムーヴィー。「面白い!」とか「絶賛!」などとは口が裂けても言えない代物であり、ほとんどの人にとっては鑑賞する価値のない作品だろう。ただ『スター・ウォーズ』のファンを除いては……。
BS放送でSWシリーズ一挙放送の時にオマケとして(?)やったものである。日本では限定公開されたばかりらしい。

1998年、SWエピ1の公開は来年と迫り、ファンは一様に「もう待てねえ~」状態であった。そんな中で、病気で余命数ヶ月ゆえ新作を見られない友人のためにかつてのSWヲタク仲間が結集。なんと、ルーカスのスカイウォーカー・ランチに忍び込んで、新作を盗んで来ようという大胆な計画を立てるのであった。

元ヲタ仲間も、マンガ家になるのをあきらめて家業を手伝う者、独立できずに親の家のガレージに住む者、ヴィデオ店でバイトしつつヲタ稼業から抜けられない者など、グダグダと日々を過ごしている。もっとも、余命ウンか月のはずの男がとてもそう見えないのはナンであるが……。
そんな一同がバンに乗ってスカイウォーカー・ランチを目指すが、なぜか途中で「スター・トレック」のファンに殴り込みをかけたり、ベガスでひどい目にあったりする。そんな珍道中が生ぬるく続くのであった。

新作が公開される直前--ある意味一番幸福であった時期と言えるだろう。公開された後は……知るかっ
私がこのネタでやるなら、「えぴ1~3」の公開を阻止すべく1998年にルーカスの暗殺をするためにタイムマシンで殺人ロボットを送り込むという話にするね。別の映画に似ていても気にしないっ(^o^)b

様々な場面・セリフのパロディや下らない小ネタが頻出。お懐かしやビリー・ディー・ウィリアムズやレイ・パークがチョイ役で顔出ししている。しかし、キャリー・フィッシャーに至ってはあまりにフケているんで、最初分からなかったほどだ(>y<;)オソロシヤー
その他、セス・ローゲンのようなヲタク役者や向こうでは有名らしいヲタク映画評論家も特出。さらになぜかウィリアム・シャトナーまでも……敵方の映画に出てどーするよ

「スター・ウォーズ」のファンはバカバカしいと覚悟しておけば見て損なし、「スター・トレック」も好きならばさらに笑えるだろう。絶対に見てはいけないのはSWに興味のないスタ・トレファン。見たら怒り出すのは必至である。両方とも知らないヤツ……は見るな見るな見るな
それにしても、米国では両者のファンはここまで仲が悪いのか?(遭遇すれば必ず乱闘みたいな) 門外漢から見れば両者の区別なんて付かないだろうに。
えっ、私σ(^_^;)ですか? 私は両方のファンですよ(ただしTOSとENTはあまり……)。

あと、ヨーダ・ネタが少なかったのは不満であ~る


スター・ウォーズ度:9点
スター・トレック度:4点

【関連リンク】
「私の愛した「スター・ウォーズ」--はもう存在しない!」
過去の感想です。思い出したくもない。

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2010年8月12日 (木)

ガンダム見物

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えー、別にこのために東静岡まで行ったのではありませぬ(^^;
仕事関係で近くに用があったので、ついでに見てきました。平日だったのでそれほど人は多くありませんでしたが、地獄の底のように暑かったのには参りました

おみやげに買ったお菓子は「静岡でガンダムを見てきました。」という、そのまんまの名称でしたのよ(^o^;

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2010年8月 8日 (日)

「インセプション」:スクリーンを眺めながらこう考えた。 知に走れば訳分からん。 情に棹差せば感傷的。 意地を通せば金がかかる。 兎角に映画は作りにくい。

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監督:クリストファー・ノーラン
出演:レオナルド・ディカプリオ
米国2010年

クリストファー・ノーランの監督作は、『メメント』以降のものはずーっと見てきたが、常にはずれナシであった。だが、今回の作品はこれまでの中で一番詰まらなかった。あの『ダークナイト』の以来の新作とあって、大期待していたのにさ。残念無念であ~る

依頼を受けて他人の夢の中に潜り込み、秘密を盗んで産業スパイの類いを生業とする男たち--この「夢」や潜入の設定は難しくて、見ていて混乱してくる。
だが、この難解さはどちらかというと、単に基本的な情報を観客に対して隠しているために過ぎないのではないか。
普通この手の話だと、基本的な計画がある程度示されて、それが実行時に邪魔が入ってハラハラドキドキになるわけだが、それが全く示されていないので、見ててアクシデントなんだか計画の一部だかよく分からない。だから観客はいつも「キツネにつままれている」状態になってしまうのであった。

早い話が、バンに一同が乗って走り回ってるのは襲撃から逃げているのかと思ってたら、最初から計画されていたことだった。だったら、ガレージの裏に崖でも作っときゃ簡単じゃないかと思っちゃうのは私だけか。
その他アラを探せばいくらでも出てくる。だいたいにして計画を実行する度に女が出てきて邪魔をするのに、どうして他のメンバーが平然としているのか分からない。さらに、そんな危険を放置したまま肝心の依頼主を参加させるのも謎である。

『メメント』の時は複雑な設定や時間軸の混乱の中を突き抜けた先に、主人公に悲哀を感じさせたのだが、こちらの主人公にはどうにも共感も同情も出来なかった。これは主役のレオナルド・ディカプリオが、ちょっと私は苦手なせいもあるだろうけど(-.-;)
あと、アクションが単調で長くて少し退屈してしまった。

夢ネタの映画はこれまで山ほど作られているので、人それぞれ色んな作品を思い浮かべるだろう。
私は無重力ホテルの場面では(当然ながら)『マトリックス』、集団でコードでつながって異世界へ没入というのではクローネンバーグの『イグジステンズ』、老人のサイトーには『2001』を連想した。そして、妻のエピソードについては『ソラリス』。マリオン・コティヤールはエディト・ピアフだ!(なぜにピアフよ

街が折り畳まれたり、エッシャーの騙し絵を映像にしたヴィジュアルはお見事。一見の価値はあるが、二見はしなくていいような……
ラストが夢世界なのか現実なのか、ネット上で話題になっているが、正直のところどちらであろうとどうでもいいという気分である。
役者たちについてはほとんど文句はない。トム・ベレンジャーはお久し振り。

ノーラン監督には『バットマン』の第3作目に期待をするとしよう。


夢没入度:6点
納得度:4点


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2010年8月 7日 (土)

「パリ20区、僕たちのクラス」:教育にハッピーエンドなし

100808
監督:ローラン・カンテ
出演:フランソワ・ベゴドーと中学生たち
フランス2008年

まさに擬似ドキュメンタリーとはこのことか(!o!)というような映画である。
実際に教師だった人物が書いた原作を元に、トーシロの本物の中学生24人と原作者ご本人を教師役にして、とある下町の学校のとあるクラスの一年間を描く。
脚本や演出はなされているが、カメラワークや役者はドキュメンタリーっぽくすることで、通常のドキュメンタリーでは捉えるのが不可能な場面も描けるという次第。

下町で移民が多い地区が舞台だから、当然教室の中は様々な人種民族の子どもたちがいる。おっと、「子ども」といっても日本だと中学生というより高校生っぽい。体格や発育年齢の差か?
とはいえ、教師のささいな言葉尻をとらえて突っ込んだり反抗するのは、日本の学校の教室でも毎日繰り返されている情景だろう。それが長々と続く。
また担任の教師もまだ若いせいか、「そこでそんなことを言っちゃあマズイだろう」とか「ここで言うならもっと早く注意しとけよ」みたいな失言も多く、それが元で退学騒ぎまで起こってしまう。

だが、なんと言っても驚くのは問題生徒の懲罰会議に保護者代表が参加するのはまだしも、成績会議にクラスの生徒代表が参加することだ。これはビックリである。それもただの成績だけじゃなくて生徒指導的な案件も出てくるのだ。日本では絶対考えられないことである。さすが高校生もストをやる国、おフランスだ(-o-;)と感心。

それでも月日は経つ。一年が終わる頃にはトラブルや退学した生徒のことは過去の事件として過ぎ去っている。また次の学年が始まる。

なんのカタルシスも決着もなく終わるのもまさにドキュメンタリー的であると言えるだろう。かつて日本で××年前に話題になった中学校のルポを映画化した作品を見たことがあるが、原作にはなかった「感動的」なエンディングが作られていて驚いたことがある。
しかし、現実にはカタルシスもなんにもないのだ。その現実の退屈さを受け入れられる者だけがこの映画を高く評価できるだろう。
私個人は正直なところフィクションなのに、ここまで現実の居たたまれなさと退屈さを体験するのはイヤだなーという気がした。

ただ、ラストにいつも騒ぐ子、反抗的な態度を示す子だけが問題ではないことを示して終わったのはよかった。教師は目立つ生徒に引きずり回されるが、何も表立って発言したり行動したりしない目立たない生徒にも「問題」はあるのだ。一年間、それは表に出ることないまま来たのである。

教師志望者の学生に見せるといいかも。もっとも、ただでさえ志望者が減少して困ってるというのにもっと減っちゃうかもね。それに「やっぱり日本には移民を入れない方がいい」なんて結論になりそうでウツである。

2008年度のアカデミー外国映画賞にノミネート。岩波ホールは好かんがこういう映画をやってくれる所は最近少なくなってるからなあ……(~_~;)


現実度:9点
興奮度:5点


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2010年8月 6日 (金)

「ラ・カリスト」は「買い」か?

イープラスよりお知らせメールが来ていて、どうやらカヴァッリのバロック・オペラ「カリスト」をやるんでチケットを売り出すらしい。

演奏はアントネッロで、指揮は濱田芳通。歌手は知っている名前がチラホラと--という感じで、それだけなら「行ってもよしっ」となりそうである。
だが、演出の伊藤隆浩が問題。同じくアントネッロと組んだ「オルフェオ」はよかったけれど、あの悪評紛々たるパーセル「アーサー王」の演出家ぢゃないですか(!o!)
これだけで行く意欲97パーセント減であ~る。
しかも内容からして、下世話でケバケバした演出になりそうな予感だ。

さーて、どうすっかな(?_?;

【関連リンク】
《オペラ三昧イン・ロンドン》より「カリスト by Cavali ギリシャ神話のスケベなバロックオペラ」
なるほど、こういう内容ですか(^^;)
関係ないけど、別の「セメレ」の記事でC・ルセの所に誰もサイン貰いに行かなかったというのはビックリよ。

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2010年8月 2日 (月)

「ブリューゲル 版画の世界」&「絵の中の楽器たち ブリューゲルコンサート」:怪物跋扈して夜音楽を奏でる

100802a
演奏:カテリーナ古楽合奏団
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
2010年7月27日

美術館の展示室内で、その作品が描かれた当時の音楽を聴くというのはありそうで実は滅多にない。今回それが聴けるというので行ってみた。

ピーテル・ブリューゲルというと、16世紀半ばの庶民の暮らしや子どもを描いた絵画が人気だが、これは版画だけを集めた展覧会。「バベルの塔」など、絵画と同じものを版画版にしたものもある。また同時期の画家や後輩の作品も多かった。

面白いのはやはり七つの大罪を描いた連作だろう。醜悪な人間の行為に変な怪物たちが隅から隅まで跋扈していて、滑稽で笑える。細かいんでちょっと見ただけではとても把握し切れない。これは時間をかけてじっくり眺めたいもんである。
それに比べると七つの徳を描いた作品は、言ったらナンだけど真面目な題材だから面白さには欠ける。やっぱり悪事の方が描き甲斐があるんかのう。

その他、ことわざシリーズや教訓もの、聖書の場面、民衆の生活を描いたものなどあり。船を描いた作品がかなりあるのでどういうことかと思ったら、当時の「鉄ヲタ」ならぬ「船ヲタ」向けに販売したらしい。いつの世もいるんですねえ……
一方、教室の光景やスケートをしている人々の姿は、現在と全く変わりない(^o^;

入場する時に入口で人がワサワサしているので驚いたが、運悪くテレビ番組の収録と重なってしまったらしい。おかげで、中に入ってからも見ていてうるさくてたまらなかった。周囲にはスタッフらしい人間が何人もボーッと立ってるし。

グッズ売り場では物欲がムラムラと湧き出て、「大きな魚は小さな魚を食う」(日本の「弱肉強食」の意味になるとか)の大型カードを買って、職場に教訓として飾ることにした。

閉館時間ギリギリに外へ出て、また入口に並び直す。今度は展示室での50人(?)限定コンサートである。ほとんど、告知されてなかったようなので、客は身内が多かったようだ。
ちょうど「大きな魚は小さな魚を食う」がある部屋に椅子が並べられコンサート開始。カテリーナ古楽合奏団四人が演奏しながら入場してきた。
使用楽器は、ガンバ、リュートなどおなじみのものから、バグパイプ、ハーディ・ガーディ、クルムホルン、角笛そのまんまみたいなゲムスホルンまで。これらの楽器は、ブリューゲルの時代には既に古いものと見なされていたらしい。曲は当時の舞曲を中心に演奏された。
バクパイプ奏者の一人はジョングルール・ボン・ミュジシャンのリーダーの近藤治夫だった。

展示されている版画と同じく、粗野にして活気ある音楽が響き渡った--と言いたいところだが、美術館自体は極めてモダンな空間であり、版画自体も小さくてみんな額に入っているものだから、予想に反して当時の空気を満喫という訳ではなかった。これは正直、意外よ。演奏自体は、人形劇ならぬ「クルムホルン劇」やら、客の若い女の子たちに踊らせたりして楽しかったけど。

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30分強の演奏が終わった後は、なんと貸し切り状態で作品鑑賞タイムが設けられていた こいつは豪勢だいっ。これなら事前にチケット買って見なくても良かったのに~と思ったが、いくら客が少なくても全作品を40分ぐらいで鑑賞するのは無理だったろう。
ちゃんとグッズ売り場も開いていて、またも物欲追加で買ってしまった(+_+)トホホ


美術館に入る前に東急本店の上の階にあったウェッジウッドのティールームで休憩しようとしたら、なんと無くなっていた。また一つ、お気にの喫茶店が~(´・ω・`)ショボーン


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2010年8月 1日 (日)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 8月版

暑い暑い(~Q~;) こんなに暑くっちゃあ演奏する側も聞く側も大変だー。

*29日(日)「秩序と情念」(向江昭雅ほか)
今月確定しているのはこれだけです。

他には
*6日(金)「Stabat Mater 悲しみの聖母」
*8日(日)東京芸術劇場・アトリウムコンサート
無料だ~
*16日(月)・19日(木)「有元利夫展 有田正広ミニコンサート」
これ人数制限なしで、その時1階の展示室にいる人に、立ち見ならぬ立ち聞きで聞かせるんですよね。なんか混乱しそうな予感……。この展覧会自体も行きたいけれど。

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