« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

2010年10月31日 (日)

ティーファクトリー「新宿八犬伝 第五巻 犬街の夜」:騒乱の夢は歌舞伎町に開く

101031
作・演出:川村毅
会場:新宿FACE
2010年10月21日~28日

小劇場時代華やかなりし頃--思えばわしも若かったのう。と言っても、たかだか25年前のことじゃ。第三エロチカという劇団があってな、そこが連続して上演してきた看板シリーズ「新宿八犬伝」があったのよ。それで、この度久し振りに新作が発表されたんじゃよ。

わしがこのシリーズを見始めたのは……さて、何作目からだったかな(?_?) モウロクして記憶がだいぶ衰えてしまったわい。おーい、ばーさんやい、覚えとるかのう……返事がない、ウチのばーさんも耳が遠くなったからなあ。
ま、少なくとも一作目は見とらん。見たのは二作目か、三作目からじゃな。
で、これで第三エロチカは正式解散になるっちゅうこと。こいつは大ごとである。是非にも行かずばなるまいて。

そういうわけで、懐かしさに老体にむち打って歌舞伎町まで出かけたのじゃよ。おお、久し振りの歌舞伎町--だが驚いたことに映画街で残っているのはミラノ座系列のみ。コマ劇場はとうに店じまい、他の映画館も全部休業じゃ。
あの空間だけ人通りも少なく闇に沈んでおる。くーっ(T^T)寂しいのう~。

そのせいか、なんということじゃ、会場になってる店の場所が分からず、わしゃさんざウロウロしてしまったわい。年寄りにも分かりやすい所にしてくれんかのう。カラオケやゲームセンターの入ってるビルの上の階にあるイベントホールで、目がクラクラ(@_@)するう~。ま、これはこれで歌舞伎町らしいってことか。

内容はすっかり大人しくなった歌舞伎町に「騒!乱!情!痴!遊!戯!性!愛!」の八個の玉を持つ八犬士と「犬」族が出現、人間に反乱する。そして閉店したキャバクラ跡に「犬街」への入口が広がるのであった。

相変わらずの川村節--と言えばホメ言葉、裏を返せば「十年一日」。どっちに取ってもらっても結構じゃよ(^○^)ワハハ
犬街への案内人ことキャバクラの元店長が日替わりゲストで、わしが見た時はお懐かしや銀粉蝶 わしゃファンだったんじゃ。もっと出番が多かったらよかったのにのう。
そんな中で異質なのが手塚とおる扮するナイフ男かの。とにかくひねくれてねじくれておる。

それから、これまたお懐かしやの有薗芳記には、わしゃビックラこいた(!o!) 全然、変わっとらんで若々しい。動作も素早い。わしなんぞすぐギックリ腰になりそうなのに。この若さは、もしかして処女の生き血でも吸っておるのかな なに、そんなもん歌舞伎町周辺半径10キロ内には存在せぬと(^^? まあ確かに、セーラー服を着てても中身は四十代五十代あたりまえ~な世界ではある。

この最終章、改めて感じたのは川村毅っちゅうのは、常に「騒乱」に憧れ求めているということじゃのう。でも、新宿が最も燃えてた頃は、彼は小学生高学年~中学生だったはず。わしも同世代じゃよ(^^) 騒乱に乗り遅れた世代だからこそ、いつまでも追い求めるのであろうな。

じゃが、もう時代は違う。今回、妙に全体的に違和感があったのは、今の歌舞伎町が変化してしまったからというのではないぞ。世は草食系ナンタラが流行るご時勢じゃ。演じる役者の身体と精神がもはや草食系であるからにゃ、「犬」のような肉食系の登場する作品はもはや合わないってことだろうて。
この時代に合うのはシマウマやキリンあたりか。なに、シマウマだってそれなりに生きるのはヘビーなんじゃよ。

そういや、観客にわしのような年寄り懐旧派は少なく、若い娘っ子がやたら多いと思ったら、どうも出演している若手イケメン男優たちをお目当てに来ていたようじゃのう。
昔の第三エロチカと言うたら、女の観客はそんなに多くはなかったぞ。ああそれなのに……嘆かわしい~(>y<;) 全く往年の小劇場時代と比べたら--(以下五十行愚痴が続く)

これでもう歌舞伎町に来ることもあるまいて。ようやく家にたどり着いて、おーい、ばーさんや帰ったぞ、お茶を入れてくれんか--と思ったらちゃぶ台に何やら書き置きが……。なにっ「お友だちと韓流映画祭りに行ってきます」だと! 亭主を何と心得ておるけしから~ん(`´メ)


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月30日 (土)

「終着駅 トルストイ最後の旅」:秘書は見た!「悪妻」の真実を

101030
監督:マイケル・ホフマン
出演:ヘレン・ミレン、クリストファー・プラマー
ドイツ・ロシア2009年

ご存じでしょうか?世界三大「悪妻」なるものがあるそうです。誰かというと、ソクラテス、モーツァルト、そしてトルストイ--の妻とのこと。
しかし不思議ではありませんか 悪妻が存在するのなら「悪夫」だってあっていいはずですが、そういう言葉はありません。この理由は「悪い夫なんてものはいまだかつて存在したことがない」か、または「夫とはそもそも悪いものである」のどちらかでしょう。
これを翻って考えてみると「悪妻」なる概念があるからには「妻とはそもそも善良なるものである」と同時に「悪い妻が実際に存在する」ということになります。

さてこの映画、ロシアの文豪トルストイの晩年を、その悪名高き妻と共に描いたものであります。観客と共にそれを目撃するのは、尊敬するトルストイ先生の秘書に新規採用されたばかりの青年秘書という次第。

しかしここで、私はブログ読者の皆さんに恥を忍んで告白しなければなりません。

トルストイって一冊も読んだことないんです~う(>O<)ギャーッ

しかも彼の思想の支持者がトルストイ協会なんてので活動して、「村」まで作って実践していたとは知りませんでした。さらに、その思想が時代を先取りしていたのには驚きであります(!o!) なにせ「愛と自由」にエコロジーに著作権フリーなのです。

青年秘書は彼の屋敷で過ごすうちに、信奉者たちが作り上げたトルストイ像とは違う、もっと人間臭~い実像を知ることになります。そして、協会と対立する妻ソフィヤのことも……。
18歳でヨメ入りして以来、なんと13人もの子を産み、加えて『戦争と平和』を六回も清書したとあっては、この再生産労働の対価を求める事は妻にとって当然でありましょう。ケッなーにが著作権フリーよ(*`ε´*)ノ☆と言いたくなるのも仕方ありません。
それに、夫婦の問題ってのは他人が口を挟めるもんじゃないですよね。とりわけ、ウン十年もの結婚生活においては。

前半は、信奉者が絡んだこの老夫婦の愛憎と、ウブな青年秘書の恋が平行して描かれます。そして後半はいよいよトルストイ最期の「家出」へと突入。そこでも確執が描かれながらも感動のラストとなります。
エンド・クレジットに当時のトルストイたち実物の映像が流れるのにはまたビックリでした。

やはり見どころはなんと言っても、ヘレン・ミレンの「悪妻」ぶりでしょう。いえ、それどころかヒステリックな妻、誇り高い伯爵夫人、冷酷な母親、かわいいヨメ……一人の人間に潜む様々な面を矛盾することなく演じているのは見事としか言いようがありません。もっとも、エリザベス現女王を演じてオスカーを獲得している彼女にとっては、難しいことではなかったかも知れませんね。
相方のクリストファー・プラマーも人間味たっぷりに文豪を演じております。さらに演技派P・ジアマッティにも囲まれているとなると、まだ若手のジェームズ・マカヴォイ君はちと分が悪いですが、若いモンが尊敬する先生に対面するドキドキぶりをうまく表現していたと言えるでしょう。

ただ、役者たちの演技に比べて作品全体の印象は、良くも悪くも夫婦50割引で観るにふさわしい内容というものでした。オスカー候補になったのが俳優だけというのが納得できるというものです。

ところで、最大の謎は製作国にロシアが入っているのに、英米の役者を使って英語のセリフで撮っていることです。なんで(?_?) 往年のソ連映画の伝統は失われちゃってるんでしょうかねえ。日本だったら夏目漱石の伝記映画を海外で作るみたいなもんだと思うんですが……。

で、結論としては--これからちゃんと『戦争と平和』読みます 『まんがで読破』シリーズで、ですけど(-_*)\ペチッ


恐妻度:9点
文豪度:8点


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月26日 (火)

中止に号泣よっ

「劇団☆新感線、主演・橋本じゅんの容態好転せず代役で上演再開へ」

新感線の『鋼鉄番長』、先々行、先行でもチケット取れず、本チャン発売でも敗退。あきらめてたら遂に追加席でようやくゲットできたと思ったら……。
29日の夜の回だったんですう(T^T)クーッ あと一日早く再開してくれないかなー。
折角すごーく楽しみにしてたのに(+_+)トホホ
今度から公演始まって早いうちの日のチケットを取るぞ~っと。

それにしてもこのニュース目にしてなかったら、知らずに当日会場に行ってしまってたかも……

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

「アレッサンドロ・スカルラッティ生誕350年記念 オラトリオ編」:福音史家はつらいよ

101026
イタリアン”パッション”
演奏:ジャンルーカ・カプアーノ&イ・カリッシミ
会場:北とぴあ つつじホール
2010年10月19日

知らなかったが、今年はA・(父)スカルラッティのメモリアルイヤーなのだ。この公演は2回目。9月の「カンタータ編」は連チャンになってしまうので自重して行かなかった。しかし、今回のオラトリオ編は鼻息も荒く勇んで北とぴあに向かったのであーる。

指揮と鍵オルガンのG・カプアーノは本場イタリアで活躍中、教会オルガニストや様々なグループを主宰しているとのこと。

前半はモテット3曲とオラトリオの中のアリア2曲。モテットはかなり当時からすると古風な形式で、かなりポリフォニーを重視した合唱曲である。これを各声部二人ずつで歌った。メンツはBCJなどでおなじみな歌手ばかりなので危なげなし。
アリアの方はオラトリオ「ユディト」からテノールの櫻田亮が独唱。さすが、得意技のイタリアものとあって、見事な歌いっぷりに会場からは熱い拍手が巻き起こった。

休憩を挟んで後半は「ヨハネ受難曲」一本勝負。ここで、通奏低音だけでなくヴァイオリンなどの楽器も追加される。
バッハの劇的な要素が入った作品とは違って、福音書をそのまま福音史家が休むことなく歌い続け、セリフの部分だけを他の歌手たちが出たり入ったりして歌うという形式だった。しかも歌うのはテノールでなくて珍しやカウンターテナーなのだ。これは青木洋也が担当したが、当然ながら彼はほとんど50分近く歌いっぱなしだった。終わった時は思わずご苦労さんですm(_ _)mと言いたくなったほど。
彼以外では、やはりイエス役の萩原潤が目立っていた。

福音書を朗読しているような感じでバッハとは違うとはいえど、しかし同時に共通の部分も見受けられた。「バラバ!」と合唱が突っ込むところとか、イエスが歌う時は弦が光彩のように入るとか……。バッハの受難曲もまた過去の様式を受け継いで作られたのだなあと実感したのであったよ。

なかなか演奏される機会がないプログラムだったが、残念ながら6分ぐらいの入り?だったようだ。確かにとっつきにくい内容ではある。でも、聴けて満足であ~る

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月23日 (土)

「品川聖&今村泰典デュオ・コンサート」:弱々しい音にも強靱さがあるのを聞く

101023
会場:日本福音ルーテル東京教会
2010年10月15日

ヨーロッパに活動拠点を置くリュート奏者今村泰典が来日して、各地でテオルポのコンサートをやっている。東京では残念ながらソロ公演はなくて、ガンバの品川聖との二人組での演奏であった。

デュオでやったのがブクステフーデのソナタとマラン・マレの全3曲。今村氏のソロはバッハの「無伴奏チェロ」の編曲版とド・ヴィゼ、品川氏はアーベルだった。

今村氏はかゆい所に手が届く……じゃないけれど(^^;繊細な音まで耳が届くような演奏だった。大きなホールでは聞こえないのは保証つきみたいな消え入りそうな弱い音まで聞かせてくれた。
どちらかというと、さすがにテオルボのために書かれた曲のせいかド・ヴィゼの組曲の方が聞き応えがあったようだ。

品川氏はアーベルはよかったけど、どうもマレについてはためがある弾き方の割にはのっぺりした印象になってしまい、盛り上がりに欠けていて個人的にはあまりノレなかった。

アンコールの二曲目は、バッハの管弦楽組曲の「アリア」の編曲版という珍しいものだった。
今村先生、次は東京でもソロ公演もお願いします(^人^)

客の入りは満員にはほど遠かったが、某リュート奏者の姿も見かけたりした。
クイケン&レ・ヴォワ・ユメーヌもこのぐらいの会場で聞きたかった。ただ、当然ながら段差がないのが難だけど……

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年10月22日 (金)

「ミックマック」:面白いか面白くないかと問われたら、「面白くない!」とキッパリ答えるだろう

101022
監督:ジャン=ピエール・ジュネ
出演:ダニー・ブーン
フランス2009年

こりゃ、自分に合わない映画に行っちまったい(>_<)--という感じ。

父親を戦争で地雷のために失い、自分はギャングの流れ弾に当たってしまった男が武器を作る軍需企業に復讐する--てな物語だけだとシリアスっぽいが、そこはJ・P・ジュネなんで異常な(?)特技を持つホームレス仲間の力を借りて、奇想天外なやり方で果たすのである。

しかし、枝葉の部分でそここに挿入されるギャグがどうーにも私自身のテンポに合わなくてマイッタ(@_@) 特に前半は退屈で観に来たことを後悔したぐらいだ。
復讐計画が本筋になる後半はなんとか見られたけど……。

結局、ジュネはマルク・キャロと一緒にやってた頃が一番よかったかなー

もっともこれは私の個人的な意見である。ネット上は絶賛の感想ばかりだ。
不思議ちゃん系世界が好きな方は観に行くがよろし。
相変わらずのドミニク・ピノンは懐かし。


奇天烈度:7点
迅速度:5点

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年10月20日 (水)

結城座「浮世の奈落 黙阿MIX」:政権変われど何も変らず--っていつの時代の話だ?

101020
作・演出:斎藤憐
会場:東京芸術劇場小ホール
2010年10月7日~11日

糸あやつり人形芝居の結城座、今回の演目は狂言作者の河竹黙阿弥を取り上げた。
黙阿弥について自前学習しとけばよかったんだけど、ほとんど無知のまま突入してしまった 彼は江戸幕府から明治政府へと社会体制の大転換期を実作者として創作し続けた人物である。

前半では彼の狂言のダイジェストが人形や写し絵(宇野亜喜良の原画)で紹介される。いかにもな悪漢ではなく、小心者の一市民がころっと悪事に走ってしまうというのがその特色とのこと。
後半は作家としての半生を、お上からのイチャモンとの苦闘、西洋芝居の流入などのエピソードで描く。
時代が江戸であっても明治であっても、作品の内容に干渉して来るのは変らない。もっと道徳的な話にしろとか、お上への批判だろう、とか。体制が変わってもいつでも同じである。権力はどれであれ変らずってことか。。

そのような激動の時代を作家として生きぬいたという黙阿弥の人生には感銘を受けたが、いかんせん芝居全体的にエピソードを羅列した感じで盛り上がりに欠けたのが難である。

黙阿弥は非常なネコ好きだったということで、ネコの人形がたくさん出てきたのはかわいかったぞ

次回は三島の「近代能楽集」だそうだ。そちらに期待することにしよう。


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月17日 (日)

「彼女が消えた浜辺」:藪の中ならぬ●の中の真実

101017
監督:アスガー・ファルハディ
出演:ゴルシフテ・ファラハニ
イラン2009年

*文末にネタバレ感想があります。

イランの映画というと、『亀も空を飛ぶ』ぐらいしか見たことがない。それ以外で名前知ってる監督ったらかろうじてキアロスタミ、マフマルバフあたり。
この作品は年間興行収入第二位ということで国内で大ヒットしたらしい。監督は既に数作撮っているそうだが、日本で紹介されるのは初めてとのことである。
またつい最近、海外へ脱出せざるをえなかった映画関係者たちを擁護した発言のために、撮影禁止の処分を食らったというニュースが流れた。

冒頭、闇の中にチラチラと白い光の線が見える。私にはてっきりドアの郵便受けを建物の暗い内側から撮っているように見えた(^^;……が、実際にはなんだったのかは見てのお楽しみ。

小さい子どもを連れた三組の家族が海に近い別荘地に遊びに来る。男たちは大学の同期生のようで、女性たちが髪にスカーフを巻き長袖の服を着ている以外は欧米の中産階級とほとんど変らない。
一人、エリという若い娘が交じっているが、これは一同のリーダーシップを握っているセピデーという妻が夫の独り者の弟(多分)に紹介しようと連れてきたのだ。
しかし、リラックスしてはしゃぐ一同の中で、時折エリは浮かぬ顔をしている。そして、とある事件が起こった折りに彼女の姿は煙のように消え失せてしまったのだった……。

率直な感想を言えば、脚本も映像も演出もうまいっ!--ということである。
そもそも、エリがどうなったのかというミステリーの部分が主題ではない。事件前と事件後の人間関係の変貌に描写の重心が置かれている。それまであきれるほどに能天気に騒いでいた家族たちが、一転して疑念に捕われ互いに責任をなすりつけ合う 目を覆いたくなるような状況だ。
陽気でリーダー格だったセピデーの後半の変わり様も目を引く。元々、彼女の場当たり的性格が災いしているのだが、それも前半で描かれている。

荒波が押し寄せる海、うるさいほどに絶えず聞こえる波の音……。そして、エリが凧を揚げている場面の映像も印象的である。
驚いたことに事件の前もその後も、この映画には「快」の場面がほとんどない。常に観る者の神経を逆なでにする。凧を揚げている描写はその唯一の例外なのだ。

トラブルの原因はイラクの社会に根ざすものではあるが、禁忌はいずこの社会にも存在する。問題はその禁忌と真実に人間が対峙できるかどうかだろう。その時、全ては壊れていく。元に戻すことは難しい。ラストはそれを暗示する。

日本じゃありえねえ~みたいな感想も見受けられたが、大きな問題にはならないにしても、日本だってかなり気まずい状況になるんじゃないの。
そのような異文化の、理解を越えた部分と共通部分が同時に観る側に何らかの感銘を引き起こすのは間違いない。
久々に「観たーっ \(^o^)/」という気分になった映画だった。

結構小さい子をほったらかしにしているのに驚く。向こうの国では皆そうなのか?
あと、イランでも「みなしごハッチ」ってやってたんですね。恐るべし日本のアニメ いや喜ぶべきか(^-^;


惑乱度:8点
女優美人度:9点

★以下、ネタバレ感想です★


未見の人はご注意を!


エリの末路について、私はてっきり事故死かと思っていたのだが、自殺したという解釈もあるのを知って驚いた。
しかし、確かにそうであってもおかしくはない。
さらに、終盤のモルグでの死体も本当に彼女のものか怪しいという説もある。あの婚約者は嘘をついたというのだ。映像では若い女ということは分かったが、エリかどうかはハッキリしない。
真相はどうなのか、藪の中、いや波の中である。
どれであれ、エリが救われないのだけは確かだ。これが監督の表わしたかったことだろう。

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

元ネタの方を読みたくなる

こういうニュースが。
「中3少女も…文学賞でネット盗作“連鎖”取り消し続々」

見出しだけだと「文藝賞」の受賞者(だった)が中三かと早とちりしてしまうが、別の賞のことで、こちらがどのような人物なのかは不明。
しばらく前にも電撃文庫かスニーカー文庫の新人賞でも盗作騒ぎがあった。

こうなると元ネタの方を読んで見たくなるのが人情というもんである。どんな話なのかしらん、ドキドキ だがその情報も見つからなかった。そもそも小説の体裁を取っているのかも分からない。
読書感想文の宿題ぐらいならいいが、こうなると編集者も大変だー

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月16日 (土)

「男たちのマドリガル」:男たちが歌えば女たちはかしまし

101016
ラ・フォンテヴェルデ第12回定期演奏会
会場:ハクジュホール
2010年10月8日

鈴木(弟ヨメ)美登里が主宰するグループのラ・フォンテヴェルデ、今回のコンサートはソプラノ女性陣は裏方に回って男声6人だけのプログラムを実施。そのせいか客席は若い娘さんからオバハン・オバーサンまで女性が約8割を占める次第となり熱気が充満していた。こんなに女が多い会場は久し振りであ~る
さらにゲストにはギターの荘村清志を迎えるという豪華版だった。

ルネサンス期~バロック初期の作曲家--メールラ、モンテヴェルディ、ジョスカン、ヴェルトなどの声楽曲を、6人が入れ代わり立ち代わり色んな編成で歌うという趣向である。歌いながら入場してきたり、二人のテノール(櫻田亮、谷口洋介)がデュオで歌うバックで残りのメンバーがハミング付けたりした。
笑えたのはバンキエーリの「動物たちの対位法」という曲で、バス二人がラテン語でお経みたいな旋律を歌うところに、犬やらネコやらカッコウなどの鳴き声が加わるのであった。これはアンコールでもやって、犬とネコが大仰にケンカしたりして、さらに笑いを取っていた。

合間にはギター独奏なども挟んで、ラストはフレーチャー(フレッチャ?)の「ラ・ボンバ」へ突入。これはクレマン・ジャヌカン・アンサンブルもコンサートでやってたけど、遭難した船乗りたちが命からがら助けられて祈ったりバカ騒ぎする(^o^;というユーモラスな大曲である。会場は拍手喝采となった。

アンコールではこの日は武満徹の誕生日ということで、彼の曲を歌った。客席からは歓声も上がったが、私には猫に小判だったようだ(+_+)

日本でこの手の曲目をこれだけ聞かせてくれるグループは他にないだろうと思われる。そういう意味では充実度高いコンサートだった。
メンバーで目立っていたのは、櫻田氏とカウンターテナーの彌勒忠史という印象だ。ただ、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルみたいに各人は個性ありまくりの歌手なのに、全体では完全に融和しているという域にはまだ達していないようなので、これからも頑張って下せえ。


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月11日 (月)

ヴィーラント・クイケン&レ・ヴォワ・ユメーヌ:鐘を鳴らすのは天使でも悪魔でもオッケーよ

101011
ファンタジアと鐘、天使と悪魔
会場:浜離宮朝日ホール
2010年10月7日

W・クイケンとカナダ出身の女性ガンバ奏者二人組、そしてチェンバロという組合わせの公演である。サブ・タイトルで説明されているように、鐘にちなんだ曲を中心に、パーセルのファンタジア、「天使と悪魔」と評されたマレとフォルクレ、さらにマレの師匠であるサント・コロンブをやった。

組合わせは、女性コンビだけで弾いたり、その内の一人とクイケンがやったりと色々である。楽器はメガネをかけた女性(M・リトル?)の方がバスだけでなく、小型のものに持ち替えていた。配られたプログラムには「トレブル」と書いてあったが、会場で「パルドシュ」と訂正の掲示があった。後で調べたらトレブルよりもさらに高音の「パルドシュ・ド・ヴィオール」のことらしい。知らなかった(!o!) また一つ賢くなりました

「鐘」テーマ作品では、まず名前を初めて聞くルベーグという人の曲。大きな二つの鐘が低音で鳴りかわすようなイメージをガンバ2台で表現する。
ご存じマレの「サント・ジェヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘」では、ヴァイオリンのパートをパルドシュ・ド・ヴィオールで弾いた。同じ曲をこのコンサートで聴いた時にはガンバとヴァイオリンが対立するように聞こえたが、楽器が変わると(同じガンバなだけに)融和的に感じられたのが面白かった。パルドシュは極めて繊細で押しの強くない音であった。

モワローという作曲家の「オルレアンの鐘」はチェンバロのE・ミルンズの独奏。もはやバロックの様式ではなく極めて写実的だった。
一方、それより一世紀遡ったジェンキンズの「五つの鐘」となると……様式的なのが過ぎてタイタニックのように轟沈する聴衆多数。私も沈没しかかりました(^^;ゞ

そして、今回一番良かったのはサント・コロンブだった。レ・ヴォワ・ユメーヌの二人で一曲、そしてクイケンがソロで一曲やったが、特に後者に聞き惚れた。さすが腐っても枯れてもクイケン(いや、腐ってないし元気ですが)である。サント・コロンブは録音で聞くとどうも晦渋な感じで聞きにくいのだが、実演だと全く異なるのは不思議である。

全体的にクイケンは大きく成長した娘たちを優しく見守るおとーさん風。双方とも和気あいあいと弾いていた。

アンコールの曲もよかったが誰の曲か不明。掲示されてたかも知れないけど見損なってしまった
TVカメラが入ってたからその内に放送されるだろう。
正直のところ、ガンバのコンサートだと朝日ホールでも大き過ぎるようだった。おまけに後方の席はかなり空いていた。なんでだ~(-.-;) 値段が安くて、さらに二公演(夜はクイケン単独)だから武蔵野の方へ行った人も多かったのか? 私も行きたかったが、大連チャンになってしまうので自粛したのであった。残念よ(泣)

【関連リンク】
〈やーぼーの聴楽雑誌〉
西宮公演に行った方の感想です。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月10日 (日)

「小さな村の小さなダンサー」:別名・純真無垢なバレエ青年を西側退廃女子の魔手より奪還せよ!

101010
監督:ブルース・ベレスフォード
出演:ツァオ・チー
オーストラリア2009年

中国出身で、現在はオーストラリア在住のバレエ・ダンサーの自伝を映画化したもの。題名や宣伝から多くの人が思い浮かべるのは当然ながら『リトル・ダンサー』だろう。もちろん、私もである!(キッパリ断言)
しかし、実際見てみると山奥の寒村から見いだされてバレエを学ぶ……という少年時代の話はあっという間に通過して青年時代に突入。こりゃ看板に偽りありだ~

抑圧的な文化大革命時代が終了して、米国への短期研修へ赴いた彼を待ち構えていたのは退廃した資本主義文化の毒、それともキレイな金髪のねーちゃんの罠か。とにかく亡命騒ぎへと発展しちゃうのである。

冒頭のホントに貧しいド田舎での生活を見ると、「おしん」の如き前近代における努力と苦難克服によるストレートな立身出世物語(最後は故郷に錦を飾る)だと思える。とーちゃん、かーちゃんとの再会場面は泣いちゃうよ(T^T)クーッ
だが、その割には亡命話のあたりから、どうもハッキリしないというか煮え切らない描き方になってしまうのはどういうことよ(?_?)
やはり、現在は名実ともに大国となってきた中国に政治的に気を使ったのか、それともほとんどの関係者がまだ存命しているせいなのか。
いや、よく考えてみればそもそも選抜されて無理やりバレエをやらされてた主人公がどうして情熱を傾けるようになったのか、そこら辺も今イチ納得できるような描写はないのだった。

そういう核心に迫らぬグダグダさ加減がまさに「三時間ドラマ」(←ネット上でそう評していた感想があった)と言われても仕方ない「薄さ」を感じさせる。
もっとも、主人公を演じているのが実際の優れた若手ダンサー達で、バレエの場面も多いし、その意味では充分見どころは多い。何よりもバレエ愛好者には嬉しい作品だろう。映画料金の元は充分取れる。

脇を固める役者たちもうまい味を出している。母親役はお久し振りなジョアン・チェン(泥まみれで老けメイクでも美人)、バレエ団の主任(ちょっとゲイっぽい感じ)のブルース・グリーンウッドなど。お懐かしやカイル・マクラクランも特出。

個人的にはそれらの役者とダンサーの身体表現の差異が見ていて興味深かった。ダンサーは常にダンサーとして身体を統制していなければならないが、役者は逆に役者であることを観客に感じさせたらそこでアウトである。
そんな異なる身体の有り様がスクリーン上で期せずして交錯するのは、見ていて亡命話よりスリリングな印象だった。

監督はこれまた懐かしい名前のブルース・ベレスフォード。彼も故国オーストラリアに出戻ったパターンのようだ。


別の話だが、映画館の下の方にある某カフェにウン年振りに入ったけど、ウェイターの接客、テーブルの状態、出された茶--全てが疑問状態 これでパリに本店がある有名店なのか(\_\; なんだかなー。


資本主義の腐敗度:7点
パツキンねーちゃん度:5点

【関連リンク】
〈千の天使がバスケットボールする〉より
『小さな村の小さなダンサー』
江青の前でやった「紅色娘子軍」(でいいんだよね?)が意外にも結構キマってたのは、オリジナル振り付けだったからなのね。

「毛沢東のバレエダンサー」リー・ツンシン著
原作について。


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 9日 (土)

「狂気と憂鬱」:若さと技巧、そして生真面目さ

101009
アンドレアス・ベーレンと仲間たち
演奏:アンドレアス・ベーレン、渡邊孝、懸田貴嗣
会場:近江楽堂
2010年9月29日

この週はリコーダー週間--というわけではないが、一昨日のガット・サロンに続いて、リコーダーのアンサンブルである。しかも編成は全く同じの三人組。
ただし、大きな違いは平均年齢。大幅にググッと下がっている 表看板のA・ベーレンはなんと御歳28歳とのこと。お肌はスベスベ、スッキリ細身の若いモンである。先日のダン・ラウリンと比べたら年季の差はウン十年、さらに関係ないけどお腹周りは半分以下の細さであろう(当社推定比(^^;)。古楽だけでなく、ジャズでアルト・サックスも吹いているそうな。

さて、「狂気と憂鬱」とは17~18世紀のイタリア音楽に常に存在している相反する要素だとのこと。音楽はこの二つの絶妙なバランスに支えられているのだという。

前半は渡邊氏の解説によると「当時のライト・ミュージック」を演奏。バロック初期に流行ったヒットソングの類いを元に当時の作曲家が作ったというものである。同じテーマの作曲家違い、なんてのもやった。
即興曲もまじえながら、ベーレンは当時の素朴な曲に付けられた細かい装飾音を吹きまくっていた。また、チェロの懸田氏はミュゼット(?)や打楽器を模した通奏低音を聞かせてくれた。
曲によってチェロが抜けたり、渡邊氏のソロになったり、曲間にさりげなく出たり入ったり

後半は時代を下って18世紀前半にリコーダーのためにかかれたソナタ2曲が、チェロ・ソナタを間に挟んで演奏された。縦横なリコーダーのお手並みを披露。
チェロ・ソナタは時代的にはプレ古典派ぐらい(?)だが、チェロとチェンバロの掛け合い的なところが強調されてて面白かった。

ただ、当然ながらラウリン一座の時みたいに楽しくリラックス--なんていう域までは行かなかった。まだまだ若いんで今後の精進に期待である。


会場の近江楽堂については、この時期は暑くもなし寒くもなしなので、大丈夫だろうと思って真ん中のブロックに座ったら、頭上より使い込んだエアコンが発するような饐えた臭いの風が降って来るのであった(>O<)
以前はこんなことなかったと思うんだけど……もう真ん中の席はダメですね(x_x)トホホ

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 6日 (水)

「鈴木秀美のガット・サロン」:無敵三人衆

101006
演奏:ダン・ラウリン、鈴木秀美、上尾直毅
会場:ハクジュホール
2010年9月28日

リコーダーのダン・ラウリンがコレッリのヴァイオリン・ソナタを吹く--というのであれば、聞かずばなるまい。しかも、対するは「1人目のナオキ」こと上尾直毅と(弟)ヒデミこと鈴木秀美の二人である。こりゃ、日本最強ランクの通底部隊と言って間違いなし!

内容は全7曲。ラウリン氏の演奏は装飾音をバリバリに入れていた。あまりにもバリバリなんでどれがどの曲か分からないほどであった……えー、かなり大袈裟に語ってみました(^^;
一方、ナオキ&ヒデミの鍵盤&チェロも彼の神業プレイを底の方からハッシと受け止めて揺らぐことなし。
最終の「ラ・フォリア」までこんな感じで完璧だった。

しかし、演奏の方はそんな状況にも関らず、ステージ上も客席も実にリラックスした雰囲気に満ちていたのであった。
ナオキがチェンバロの調律を変えている間に、ラウリンが英語で解説すればヒデミが日本語に訳しながら茶々を入れる。さらに背後からも鍵盤のツッコミの音が追撃--てな調子である。

久々に聴いた!楽しかった~という気分になったコンサートだった。それにしてもラウリンの技巧もさることながら、強固にして柔軟な通奏低音はお見事の一言 これほどに通奏低音に聞き惚れたことはない。
でも、会場は満員じゃなくて七分の入りだったのが残念。もっとも、若松さんや平尾さんなどもお見かけして、そういう意味では濃い客席だったようだ。

そもそも録音に伴った来日公演だったとのこと。これまた発売が楽しみ


| | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年10月 3日 (日)

「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」:予想外の展開が~っ!

101003
監督:ダニエル・アルフレッドソン
出演:ミカエル・ニクヴィスト、ノオミ・ラパス
スウェーデン・デンマーク・ドイツ2009年

【前回までのあらすじ】
『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』……世界的ベストセラーとなった原作を読むのがメンドくさいので、映画版を観たさわやか革命(注-ブログ主の名前である)は物語のエグさに辟易。こんな内容ではハリウッド映画化もうまく行くまいと確信するのであった。
『ミレニアム2 火と戯れる女』……監督が交替したせいか、長くて今イチ面白さに欠ける出来で落胆。これじゃパート3はDVD待ちにして、D・フィンチャーが監督するというハリウッド版に期待をかけようと決意したさわやか革命であった--が、そこには予想外の展開が待ち受けていたのである

【今回のあらすじ】
単館ロードショーの某映画の上映回数が減らされたことに気付いたさわやか革命は、押っ取り刀でその映画館に駆けつけた。しかし、そこに待ち受けていたのはなんと「満員御礼」の掲示であった(!o!)
回数を減らしておいて満員とはどういうことよと怒ってももう遅い。それでも折角、都心まで出てきたのだから何か他の映画を観ようと思ったが、見たいと思っていた作品は全て前売り券購入済みで、しかも家に置いてきてしまっているのであった。
そこで思いついたのが『ミレニアム 3』だ。よ~し、この際見ちゃおうかと思い直して行ったのであるが……。

というわけで、急きょ観る羽目になってしまった。約3時間ですよ。長い(-o-;)
実際見てみて、パート2・3を「連続畳みかけ公開」にした理由がなんとなく判った。そして、その判断は全くもって正しいと言わざるを得ない。

なんと、この3作目は単独で見てもほあまり意味がないのだ。
主にヒロインのリスベットの過去と、某悪人の正体が法廷で明らかにされるのだが、これは物語上の「世間」では知られていないけど、既に1・2作目でほとんど観客の前で描かれていることなのである。だから、法廷場面は単なるその繰り返しを見せられるだけだ。

それ以外ではアクションぽい場面も出て来るけど、あまりハラハラドキドキ感もなく盛り上がらないこと甚だしい。まさか原作はこんなんじゃないだろうと想像するんだけど(一応ベストセラーだし)。
正直「全三作見たぞー \(^o^)/」という事以外にあまり感慨は出て来ないのであった。

タイトルにも入っている「狂卓の騎士」が出て来ないのは謎よ(?_?)
それから、チラシにあるような格好でまさか本当に法廷へ登場するとは…… これが見ていて一番の衝撃場面であった。


ハラドキ度:4点
狂卓度:採点不能

| | | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年10月 2日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 10月版

秋のコンサート・シーズンがやってきて、行きたい公演が目白押しです。

*7日(木)ヴィーラント・クイケン&レ・ヴォワ・ユメーヌ
*8日(金)ラ・フォンテヴェルデ
今回は男声だけのマドリガルです。
*15日(金)品川聖&今村泰典
今村泰典は各地でソロ公演もやるもよう。東京近辺でもやってくれないかしらん。
*19日(火)アレッサンドロ・スカルラッティ生誕350年記念公演・オラトリオ編
そろそろ北とぴあ音楽祭の季節ですね~。

その他には
*5日(火)パーセル「アーサー王」
パスするのでどなたかご報告お願いします(^^;)
*平尾リコーダー工房30周年記念演奏会
同じ日にクイケン武蔵野公演もあり。
*21日(木)マラン・マレ レクチャーコンサート1
*30日(土)天正使節団とルネサンス音楽4

マイナーではないですが、遂に今月アーノンクールのロ短調ミサ公演が!
こちらも熱い感想レポートをお待ちしております(^^)/

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »