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2010年11月

2010年11月28日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパン第91回定期演奏会:ツンデレな風の神

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20周年記念講演 とどろけ太鼓、高鳴れラッパ
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2010年11月23日

→ヒマワリ、ティンパニ、裸足……一体いかなる謎が暗示されているのであろうか?

20周年メデタイっ \(^o^)/
ということで、今回の定期公演はいかにもめでたそうな世俗カンタータを2曲をやった。寺神戸氏が久々のコンマス復帰である。

前半の「とどろけ太鼓、高鳴れラッパ」はザクセン選帝候妃の誕生日祝いの曲。でも、実際には勝手に(?)祝いの曲を書いて勝手に演奏して盛り上がったものらしい。内容はギリシャ神話の神々が登場してお祝い口上を歌うというもの。もちろん、トランペットやティンパニが入って気分が盛り上がる。
もっとも、冒頭の合唱の時に高田あずみが突然の途中退場 弦が切れたのか(?_?) しかし、選手が一人欠けたままで試合は続行されたのであった。(次のレチですぐ復帰)

後半「破れ、砕け、うち壊て」はミュラーという大学の先生を祝ったもの。こちらではさらにホルンやガンバも入って賑やかだ。
風の神がようやくオレの季節が来たから吹きまくるぞ~と張り切ってると、他の神様たちが止めてくれー(>人<)と頼むが拒否る しかし女神が今日はミュラーたんのお祝いなのよんと懇願すると、デレデレと懐柔されてしまうのである。
で「あなたのミュラー、あなたのアウグストがか!」なんちゃって、この先生、バッハにお祝いの曲を書いてもらったがために、数百年後も名前が残ってすごいもんである。
これだったら「あなたのさわやか革命がか!」とか「万歳さわやか革命万歳!」なんて応用可能ではないか(o~-’)b 私もブログ開設20周年記念にはぜひ歌ってもらいたいもんだ。
賑やかな中で、何気にしんみりした調子のテノール・アリアはヴィオラ・ダモーレとガンバがさらにシミジミ感を増して際立たせていた。

アンコールはカンタータ207番の合唱曲。
管楽器も調子よく、楽器隊では唯一のガイジン部隊R・ハウズのティンパニも叩きまくり(特にアンコール曲で)だった。

今回初登場(多分)のソプラノのジョアン・ランは名前だけ聞いててっきり東洋系かと思ったら、全く違って大柄パツキン美女だったのは意外。清澄で表現豊か、高音部は艶っぽい印象で、宗教曲ではどう聞こえるか楽しみである。
20周年を考えるとバスがP・コーイではないのは残念だったが、ドミニク・ヴェルナー(前より恰幅良くなった?)はユーモラスな所も見せてくれた。


さて、ここで「BCJとわたし」みたいな文章を書くのが定番ですかね。
初めて定期公演に行ったのは1994年12月のクリスマスコンサート(第16回)らしい。らしい--というのは全く記憶にない(@_@)からだ
定期的に行くようになったのは1998年からで、最初は毎回チケットをぴあで買っていたが、段々毎回買うのがメンドくさくなってきたので定期会員になったのであった。
まあ、この調子であと二十年頑張って下せえ(^○^;;;;

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2010年11月27日 (土)

「旅する楽士~時をこえて西へ東へ」:古い洋館にあやしいオバサン出没

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演奏:チパンゴ・コンソート
会場:旧古河庭園・洋館
2010年11月20日

チパンゴ・コンソートは「イタリアの偉大なアーティスト、エンリコ・オノフリ氏の命名により2007年に発足」したというグループ。
リーダーの杉田せつ子は5年前まではモダン・ヴァイオリンをやっていたが、オノフリに出会って古楽へ転向したという経歴の持ち主らしい。

この日は彼らの得意技イタリアものに加え、「邦楽界のプリンス」こと尺八の藤原道山をスペシャル・ゲストに招いて共演という趣向である。
他のメンバーはチェロの懸田貴嗣、チェンバロ桑形亜樹子だった。

この季節にしてはポカポカと暖かい日で、洋館の一室には日が差してちょうどいい気候である。
杉田女史はオノフリを師と仰ぐだけあって、楽器を首に巻いたスカーフで止める方式を採用。オノフリ以外にこの方式をやっている人を見たのは初めてだ。でも、見る度に疑問なんだけどツルッと手がすべったりしたら楽器の重さで首が締まったりしないのかしらんなんて思っちゃう(^=^;
最初から彼女はウッチェリーニやカステッロの激しい曲を激烈に弾きまくった。

途中より藤原道山が登場して、バッサーノやカステッロのソナタを共演した。ここでの尺八の音はひなびたトラヴェルソみたいな印象だった。
古楽器とやるのは初めてらしいが、モダンのピアノやチェロとはグループを組んだりして西洋音楽は既にやっているらしいので、ほとんど違和感はなく耳になじんで聞けた。もっとも、これは奏者の腕前も関係あるだろう。
曲間のトークでは、西洋の古楽器同様に和楽器も時代によって変化して来たという。例えば琴の糸は昔は絹を使っていたが、今は合繊だとか。

そして今回最大のききもの八橋検校の「六段」は、尺八パートは原曲通りに吹き、その他のパートを道山氏が新たに付け加えるという意欲的な試みだった。ただ、追加パート自体は別にバロックの修辞で書かれているわけではないので、「六段」の成立時代が初期バロックと同じということはあっても、ある部分は現代音楽っぽく、またある部分は時代劇映画の劇伴音楽のように聞こえたのは仕方ない。

ラストのコレッリ「ラ・フォリア」はまた三人での演奏だったが、これまた杉田女史の演奏は激越だった。これまでこの曲の色んな人の演奏を聞いてきたが、ここまで激しいのは他にないというぐらい。ただし、だからこそ聴く人を選んじゃうかも

演奏よりも驚いちゃったのは客について。9割が中高年の女性である(!o!) 1割を占める男性もほとんど白髪頭で、黒い頭の人(^^;にいたっては二、三人しかいなかった どうもバロック系ファンより道山氏のファンが大半だったようで、だいぶ勝手が違った。
なにせ、杉田女史にしても道山氏との一曲が終わって「わたくしが一番近くで聞けてウットリしてしまいましたわ~」(←演奏とは正反対におっとりした喋り方)みたいなことを喋ると、周囲の客席のオバサマ方がウンウン(’’)(..)(’’)(..)と頷くという状況であったのだ。

しかしっ古楽ファンの私としては、やはり尺八のプリンスよりも古楽界の未来を背負って立つホープを断固支持したいのであ~る(・∀・)b
というわけで、私はチェロの懸田氏の背後方向の座席に座り、後ろから覗きこむようにして「カケタン、がんばれ~」と念波を送っていたのであった。なに(?_?;そりゃあやしいオバサンだって? ほっとけ(`´メ)
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終了後は庭園のバラを観賞。ただ季節的に遅いのと、さすがに日が傾いて寒くなってきたので早々に退散した。

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2010年11月24日 (水)

「冬の小鳥」:格子の彼方

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監督:ウニー・ルコント
出演:キム・セロン
韓国・フランス2009年

繊細極まりない作品と言おうか。
少女がおニューのよそ行きの服を来て、大きなケーキを買って父親に連れられて行く。どこへ? 行った先は、キリスト教系の養護施設であった。
自分は孤児ではない、父親は必ず迎えに来ると9歳の少女は反抗する。

冬枯れの孤児院の庭、鉄格子の門、繰り返し歌われる別れの歌--大勢の子どもたちがいるのにも関らず、まるで死の世界のように全てが静謐だ。
それは少女の眼に映る世界なのだろう。
しかし、少女は自分で最後に歩み出す。その先がどうなるか全く分からないにしても。

舞台は韓国で、キャストも製作者もみな韓国人なので韓国映画だと思われそうだが、実はフランスとの合作である。監督は実際に子供時代に韓国の施設からフランスへ養子に行った女性なのだが、既に韓国語は忘れてしまっているという。
良きにつけ悪しきにつけエネルギッシュで「過剰」なイメージのある韓国映画だが、「外部」の血を導入し協働して、このような繊細な映画を作り上げたのはやはり驚きだ。
その繊細さは、例えば往年の日本の少女マンガのよう。もはや、この分野でも日本の出る幕はねえよ(~ ^~)ったら言い過ぎか。

教会の説教でイエスの十字架上の最後の言葉が語られる場面と、父親に歌った歌をもう一度繰り返すところが印象的だった(T_T)

少女の父親といる時の輝くような笑顔と、その後の表情のコントラストが甚だしくて驚くばかりだ。やっぱり、子役は恐ろしいねえ。監督もよくここまでの演技を引き出したもんだ。
寮母や年長の少女たちも印象に残る。

貧しいと言っても、何気に子どもたちのセーターなど衣装がセンス良くてかあいい
邦題は日本独自のものらしいが、久々の良タイトルよ。


岩波ホールなんで平日の休みを利用して行ったけど、観客の年齢層の高さにはやっぱり驚いた。平均年齢45歳?いや50歳? 20代なんて皆無なんだもん(-o-;)


韓国度:6点
フランス度:8点


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2010年11月23日 (火)

この映画を見ろ!とは言えない30本

「気がめいる陰うつな映画」30本だそうである。
この手のランキングでは大抵「あの作品が入ってな~い(怒)」というパターンが多いのだが、私もM・ハネケが一つも入っていないのは納得できん。ハネケ作品ならどれでももれなく気が滅入って陰ウツになるに決まっているのである。もっとも、そのせいで作品が分散してしまったということも考えられる。

さて、この中で私が見ているのはちょうど半分の15本だった。これは多い方なのか少ない方なのだろうか。他の映画ファンの意見を聞きたいところである。
もっとも、かなり名作が入っているので映画ファンなら見た率は高いかも知れない。
だから「あまりにも詰まらなくて見終ってウツになった」という作品は入っていないようだ(^○^) なに?そういう映画だったらとても「30本」じゃ足りないって

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2010年11月21日 (日)

「寺神戸亮×上尾直毅 J.S バッハ」:秋深き隣はバッハを弾く人ぞ

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会場:松明堂音楽ホール
2010年11月13日

考えてみれば、こんな小さなホール(収容人数80人か)で寺神戸氏の演奏を間近に聴くのは初めてかも。
この公演では「一人目のナオキ」こと上尾直毅との組合わせでバッハをやるという、ある意味「王道」なプログラムであった。

曲目はヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのソナタを3曲。もはや二人のコンビネーションに文句は付けようがありません!完璧であった。
一曲、スパッラを使ってガンバ&チェンバロのソナタを演奏した。寺神戸氏は今ではすっかり自家薬籠中のように楽器を弾きこなしていた。ただ、ガンバのような渋い音じゃなくてもうちょっと軽めの音に聞こえたんでここは好みが分かれるところだ。

ナオキ氏は独奏でトッカータを一曲。爆奏に近い力強さで会場の喝采を受けていた。「一人目」はダテではないのを見せつけ……でなくて、聞かせつけたのであった。

チラシの解説を読むと、オブリガート・チェンバロの入ったソナタを「通奏低音からの脱却」として近代的なヴァイオリンとピアノのソナタへと向かう端緒として見なしているようだ。
だからだろうか、聞いていてバロックとしての安定感よりも緊張を感じてしまうのは。まだまだ深いバッハ先生の世界である。


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2010年11月20日 (土)

「セヴィニエ夫人のための音楽」:再生不可能

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演奏:リチェルカール・コンソート
会場:日本福音ルーテル東京教会
2010年11月9日

正式なメンバーや形式がよく分からんグループなのがリチェルカール・コンソート。フィリップ・ピエルロ、アンタイ兄弟、フランソワ・フェルナンデスあたりが中心メンバーなのか。しかし、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでのバッハヘンデルのように大きめの編成の時もあれば、今回のように三人しか来日しない時も同じ名前なのはなぜだっ(^^?

よくは分からんけど、とにかくリチェルカール・コンソートには違いない。しかも座席指定もない小さな教会でやるというじゃあ~りませんかというわけで、職場の終了時間に猛ダッシュで飛び出しアセアセ(;^_^Aと開場時刻直前に駆け込んだのであった。
だが……来てみてみれば、意気込んだ割には開場前に待っている人はあんまりいなかった。ありゃ~(-o-;)なんでだ?
とはいえ、おかげで奏者をバッチリ観察できる位置をゲットできたのは嬉しい限り。

結論から言えば、今期最大の衝撃のコンサートだった。どちらかというと、ピエルロのガンバを間近に聞けるというのが目当てだったのだが、衝撃は実にマルク・アンタイとイーフェン・チェンのトラヴェルソ組の方にキタ~ッのであった。

チェンは大柄で若い東洋系女性。ヒールの低い靴をはいているにも関わらず、アンタイよりも背が高い。
この二人がリュリやマレ、また通奏低音抜きでオトテールの二重奏曲をやった。そのしめやかで奥ゆかしく密やかに息づく音--柔らかい刷毛で精緻な彫刻のひだをなぞっていくような細心の極みのような響き--これまで何度もトラヴェルソの二重奏は聞いたはずなのに、こんなものは耳にしたことがない。一体、これはなんだと思ったほど。大ホールでは絶対聞くことのできない音である。
しかも、オトテールの曲では時折アンタイが独りで吹く部分があって、残響といい音量といいこの教会の建物がまるでトラヴェルソのために作られたかのような心地よさだった。こりゃ、もはや忘我の域である。

ピエルロは通奏低音担当でほとんど二人の控えに回っていたが、一曲マレの組曲を弾いた。ただ、どうもマレは個人的にノレる作品とそうでないのがあって、今回はあまりノレない方だった。残念であ~る(T_T)

もう一人テオルボの金子浩が「賛助出演」ということで参加していたが、賛助といっても独奏曲2曲と通奏低音をやってたのだから、他のメンバーより最も出番が多かった。しかし、その演奏は時折 (?_?;(-_-;) な部分があって今イチ今ニ今サン今ヨン……であった。
それは別にしても、金子氏の演奏は日本にいれば今後も聞く機会は幾らでもあるのだから、独奏を一曲減らしてもらって他のメンバーの演奏を聞きたかったところだ。

客席は結局満員とは行かない状態だった。でも遠方から来てた人もいたもよう。

会場でコンサートのタイトルと同じCDを売っていたのですかさずゲット セヴィニエ夫人というのは、当時のフランスで家族宛てに宮廷や貴族社会の様子を綴った手紙を1500通も書いた女性とのこと。その頃の生活を知る貴重な記録のようだ。
早速家で聞いてみたが、やっぱりトラヴェルソのあの音は再現されていなかった。録音の限界かねー。
そう言えば、クイケン&レ・ヴォワ・ユメーヌの公演をBSでやっていたが、やはり音が全く違っていた。音色はもちろんだが、そもそも最前列ならともかくクイケン親父の鼻息なんてそんな聞こえんぞ(^o^; まあTVの音じゃどうしようもないだろうが。

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←戦利品である。

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2010年11月18日 (木)

岩波よりエラいポ○ラ社

某タレントが書いた小説が大賞を取ったというので話題のポ○ラ社。肝心の作品はまだ公開されてないので内容は分からないが、それよりも問題は売り方である。
なんでも中小の書店には全く出さず、大手の書店だけに回すのだという。しかも確実に入手したければ今のうちに予約するべし、それでも届くのは12月下旬だと。通常の場合、予約注文すると書店から返品はできない。

現在、その作品を読んでいるのは選考委員の7人だけだそうな。素晴らしい ビデオ流出事件の「国家機密」より遥かにレベルの高い機密ぶりである。
そのように内容未知なものに今すぐ注文しなきゃ手に入らんぞ、と煽りたてるのはなかなかうまい商売のやり方だ。

また中小書店を相手にしないというのも大したモンである。岩波書店(買い取り方式で返品不可)だって、「ハリ・ポタ」で稼いだ静山社だってそこまではやっていなかったはずだ。
一体、いつから岩波よりエラくなったんじゃいポ○ラ社、と言いたくなっても仕方あるまい。

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2010年11月17日 (水)

「ロベルタ・インヴェルニッツィ ソプラノリサイタル」:モンテヴェルディじゃダメかしらん

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さらなる美に
会場:北とぴあ つつじホール
2010年11月7日

前回の来日ではヘンデルを中心に歌ったR・インヴェルニッツィであるが、今回は時代をさかのぼって初期バロックの歌曲を、テオルボ一挺をバックに歌うというやや地味目のコンサートだ。
意気込んで鼻息も荒く--というよりは時間ギリギリになって息せき切って会場に飛び込んでみれば、前回のイタリア文化会館では満員だったのに、この日はなぜか六分の入り。後ろ半分はほとんど空席ではありませぬかっ 同時代のプログラムであった同じロベルタでも、マメリの公演の時は会場は小さくても客は多かったはず(?_?) 宣伝が足りなかったのでありましょうか。それともヘンデルじゃないとダメなのか。

とはいえ、こちらのロベルタ女史は若~いテオルボ弾きのマルキテッリ君(くん付けで呼びたくなる)を引き連れて赤いドレスで登場。颯爽と歌いまくったのであった。
取り上げた作曲家はカッチーニ、カリッシミ、ロッシ、ディンディアそして定番モンテヴェルディだった。
合間にカプスベルガーやピッチニーニのテオルボ独奏曲が挟まれる。その時は、彼女は隣りの椅子にちょこんと座って耳を傾ける風情だ。

彼女の歌い方は一つの曲を一定の強さで流していくというのではなく、息の中で喋るように強弱を付けているように聞こえる(トーシロなので何という歌唱法なのか知らず)。前回の公演の後、ヘンデルのCDを買って聴いたのだが、そこではフツーのソプラノ歌手という印象だった。しかし、今回再びナマで聞いてみるとやっぱり録音とは全く違っている。ナゾである。
そしてまた前回同様、大きな歌劇場で歌う時にはどう聞こえるのか、オペラを歌うのも聞いてみたいと改めて思ったのであった。

ラストのモンテヴェルディやアンコールの「うるわしのアマリリ」は、最近はアッサリ味の歌で聞き慣れていたのだが、彼女のヴァージョンはいかにもイタリア風の情念が立ち上る濃ゆ~いものだった。

周囲の客や、CD売り場にたかっている人の話に耳を傾けるとどうも古楽ファンというより、オペラのファンが多かったようである。
休憩中には隣席の奥様にいきなり話しかけられた。「なんだか知らない作曲家ばかりねー」「あ(^^;でも最後にやるモンテヴェルディは有名かと……」「私、モンテヴェルディ好きじゃないのよね」
ギャ~~ッ(>y<;)そんな大胆な事を大きな声で言ったら日本全国におよそ百万人はいると思われる(当社推定値)モンテヴェルディ・ファンに後ろから刺されるぞー
冷汗モンであった。


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2010年11月13日 (土)

上野千鶴子×森達也×加藤陽子「「戦争の論理」が駆動する時」

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第75回紀伊國屋サザンセミナー
会場:紀伊國屋サザンシアター
2010年11月2日
注-記憶違いや省略などあるので正確な記録ではありません。

ステージ上に三人が登場して着席すると、まず加藤陽子の「皆さん、今日は東大のヨン様こと姜尚中さんの講演会が同じ日にあるのに、こちらに来ていただいてありがとうございます」という挨拶から始まった。
加藤陽子は三人の中では一番若い。最近『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を出して評判になった東大のセンセイである。

進行の形としては、座談会とかトークセッション風に展開するのかとおもいきや、そうではなく一人が十分ずつ順番に話して行き、一回りしたら最初の話を受けてまた十分ずつ話を回していくという想定だったらしい。
で、年齢順か?加藤陽子→森達也→と自己紹介をかねて近況とかテーマについて思うところを話して行ったのだが、上野千鶴子はさすがというべきか(?)そのようなナアナアな展開をブチ壊し、二人に対し軽くジャブを放ったのであった。

ゴ~~ン かくしてゴングは鳴った。

上野千鶴子は『それでも~』と森達也の『ベトナムから来たラストエンペラー』という著書について、この二人の本には女性が登場していない、戦争とジェンダーは切り離せないのだが--と指摘した。例えば、外交問題における「弱腰」には「男らしさ」のイメージが問題とされ、ハトヤマ前首相の言う「友愛」は本来の意味では「同胞愛」でそこには男しか入っていない、など。

それに対して意外にも加藤陽子は大きな反応を見せた。すなわち『それでも~』は小林秀雄賞というのを取ったばかりなのだが、そこで選考委員のホリエモンに「いらだち」が潜んでいるを見抜かれたというのである。実際に、優秀な男子高校生たちの前で「女だてら」に日本軍事史を男の言葉で語ったということに、自分への「いらだち」を感じていたというのだ。
この率直な心情の吐露には正直驚いた。ベストセラーの影に著者自身の隠されたいらだちがあったのか。その代わりにというか、次の著書は天皇と女性がテーマになるとのことである。

その後、話の展開を読んでなかった森達也の発言に上野千鶴子がチクチクと針(釘というほどのものではない(^^;)を刺したり、ウッカリ社会学の用語を加藤陽子が間違えて使用したのを指摘されたり、さらに同じ東大の教授同士なのについ「上野先生」と読んでしまうのに「先生と呼ぶのは相手をおちょくる時だけです」などと返されたり、と二人がかりで防戦状態だった。

話は天皇の戦争責任問題、それから現代において情報が過多かそれとも足りないのかというテーマに移り、森達也がドキュメンタリー作家らしく写真から動画へと情報が多過ぎる方に向かっていると発言したところ、それに対し上野千鶴子は自分たちが過去に犯した加害の情報を知らないから被害者意識ばかり高まる、というように情報は過多ではないと反論。
ようやくここで森達也にアクセルがかかって反論だ~というところで、あっけなく時間切れとなってしまったのである。残念よ(^o^;

全体的に加藤陽子は話が分かりにくかった。話題がウネウネとねじくれて行って、一体何を話したいんだ(?_?)と聞き手が訳分からなくなり、話の最後でようやくああそれが言いたかったのかと分かるような話し方なのだ。
一方の森達也はとつとつとした喋り方でスロー・スターターだし、これで討論が盛り上がるのはなかなか大変だった。

最後は上野が加藤を研究者として大きくほめあげてエールを送って終わりとなり、森の立場はちょっとなかった。以後の彼の逆襲を期待したい。


帰りは一緒に行った同業者たちと高島屋の上の中国料理屋に行き(9時過ぎても順番待ち行列ができてた)紹興酒を飲んで乾杯(^O^)/□☆しながら、「上野千鶴子の前で社会学の用語なんか使って大丈夫かしらんと思ってたら案の定、言われちゃった」とか「森達也って普通の人だねえ」などと感想話に花を咲かせたのであった。

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2010年11月11日 (木)

遂にご近所の駅前に出現!

用が重なって、この日・月・火曜と都心へ出た。日曜には某駅の改札口に警官が一人立っていたが、月曜には二人になっていた。……そして火曜には駅構内の至る所に警官がウヨウヨとしているのであった。もちろんAPEC関係の警備である。

そして、水曜日にはな、なんと(!o!)私の住んでいる郊外の新興住宅地の駅前にまで立っていたのだー こりゃなんだ?もしかして有事の際の事前練習か(?_?;
そもそもこんな所にテロリストがいるのか(^^?という基本的な疑問と共に、これほどおまわりさんを動員しているということは、首都圏周辺以外の地域はかなり治安が手薄になってるのではないかね?という心配な気分になるのであった。ドロボーさんは稼ぎ時か。

ところで、とりあえずヲタク青少年はリュックの中にカッターやらナイフを忍ばしていないように気をつけるべし。「自衛」のために持ってると主張したところで、たちまちお縄になる━━━||Φ|(|'|∀|'|)|Φ||━━のは確実だいっ。

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2010年11月10日 (水)

「シングルマン」:死後のスタイルさえも気にする男

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監督:トム・フォード
出演:コリン・ファース
米国2009年

『終着駅』に続き、またも役者の演技が目立つ映画を観てしまったという印象だ。逆に言うと役者の熱演がなかったら……(>_<)どうなった?
監督はファッション界で極めて有名な人らしいが、私はもちろんその方面は疎くて知りません(^-^;

ゲイの大学教授が十数年連れ添った恋人を突然の事故で失う。1962年だから、さすがに英米であっても葬式に行くこともできない時代である。さらにキューバ危機の頃で世の中(の一部)は騒然としている。
そして失意のまま数ヶ月が経ったある一日の物語だ。

さすが、デザイナーが監督だけあって邸宅、インテリア、衣装、小道具……何から何までビシッと決まりまくっている。主人公がそういう美意識を持ち几帳面な性格という設定でもあるのだが、近所に住む元・恋人(こちらは女)や大学の学生たち、近所の子どもの佇まいにしても何から何までスタイルがキマっている。

ここまで来ると、それは逆にマイナス点にもなる。主人公の言動は明らかに傍から見ればイタイ……というか異常なのだが、そういう風には描けていない。きっと監督は人物がジタバタして見苦しいのは許せないのだろう。

かくして観客は悲しみを外側から眺めている感じで、あまり共感するというようにはならない。そう、苦悩すらもファッショナブルで気どっているのである
そのせいもあってか、描写がいちいちまだるっこしくてマイッタ(@_@) ラストは極めてシニカルなのであるが、それすらもまだるっこしい。

まあ、自分の体内時計に合わないものを見てしまったってことですかね。
主役のコリン・ファースはお見事。アカデミー賞ノミネートは納得。ジュリアン・ムーアもピッタリ適役だ。

ファッションやゲイ・カルチャーに興味のある方は一見の価値はあるだろう。レディース・デイに見に行ったせいか、観客の大半は女性だった。


スタイリッシュ度:10点
ジタバタ度:1点


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2010年11月 8日 (月)

「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」:真実の美はどこにある?

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-宗教・肖像・自然-
会場:国立西洋美術館
2010年10月26日-2011年1月16日

大規模な美術展というのは、どうも会期の最初の方がすいているらしいという噂を聞いて、早めに行ってみることにした。
平日ということもあるが人は少なくてかなりいい感じである。

デューラーというと「メランコリア」や自画像ぐらいしか知らないのであるが、この展覧会は彼の版画や素描を年代ではなく、サブタイトルにある三つのテーマに分けて展示している。

三分の二ほどを占めているのが「宗教」で、福音書のエピソードを綴った四つのシリーズが中心になっている。中にはトランプのカードぐらいしかない大きさのものもあって、そうなるといくら客が少ないと言っても、同時には一人しか見られないから(大きな絵画なら二、三人で眺められるけど)順番がつかえてしまうのであった(-o-;)

有名な作品は「自然」の部にあった。「騎士と死と悪魔」「書斎の聖ヒエロニムス」「メランコリアI」と最後にダメ押しの如く並んでいる。
もっとも「騎士と~」は理想の馬の体型を表現するために描き、「アダムとイヴ」では男女の理想の人体を描きたかったなどと聞くと(だからこそ「自然」の部に入っているのだが)、一体あんたは宗教ネタと身体とどっちを描きたかったのかと問い詰めたくなったのは事実である。

「肖像」では貴族から無名の農民まで様々な人物像があるが、中でも見ものは「神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の凱旋門」と、同じく「凱旋車」である。これは時の皇帝の偉業や経歴を何枚もの版画を連ねて馬車や巨大な門の形にしたものだ。当然デューラーだけでなく、複数の芸術家が関わっている。
王の功績をいちいち門を立てずとも、版画にして津々浦々に配って掲示すれば数は多いし経費節約という一石二鳥 思えば最先端メディアだったわけですな。

時の為政者に肖像を描くように懇願され、国家的巨大プロジェクトに参加し、人文・宗教関係だけでなく天文・生物・数学など広範囲なジャンルを取り込んでいたデューラーは(まあ当時の画家はみなそういう感じか)、当時のハイパー・アーティストだったのに違いない。
しかし、隙のない構図や詳細な描写は見ていて非常に疲れた。あくまでも「知」の人という印象である。これがルネサンスという時代かな(?_?;

ところで、「メランコリア」の天使が見つめている先にあるのは「美」だと解説を読んで初めて知った。ということは本当の「美」は描かれていないことになるのか。


続けて芸大美術館の「黙示録--デューラー/ルドン」展も見ようかと思ったが、時間があまりないのと「19世紀フランス版画の闇と光」というのを併設でやっているらしいのでそちらを見ることにした。
が(!o!)なぜかポスターが貼ってあるのにどこでやっているのか全く案内がない。なぜなんだー(?_?) 係のおねーさんに聞いたら、常設展の会場の先にあるのだという。
それで、見るつもりのなかった常設展に入ったらこれまたスゴイ数である。まともに見て行ったら一時間では到底終わらない。仕方なく飛ばし見を……トホホ とはいえ、折角の国民の税金を使っているもんなんだからと、つい見なくちゃソンソンという気になっちゃうのは貧乏性よ。

お目当ての版画展はルドンとその先輩筋の版画家、計四人を特集。この時代まで版画は有名な絵画作品の複製を作って流したり、ニュースねたの風刺画を出したり……と最先端のメディアだったらしい。しかし、写真の出現でその位置は取って代わられたのである。
ルドンは「聖アントワーヌの誘惑」からの連作があった。やはり底無しの黒が快感であります(^^; 何度も繰り返し眺めた。

その後はまた常設展に戻りモローが2点出ているのをつくづく眺める。「ピエタ」は大きさが20センチぐらいしかない小品だが、イエスさんの白い後光がチリチリと我が脳ミソに来るのであった。


ちょうど私が入館するのと入れ違いに、社会科見学だか修学旅行だかの男子中学生の集団が外にワンサカ出て来てた。で、黄色い声(まだ中坊なんで)でキャアキャア言いながら「地獄の門」の前にたかって記念写メなんかしてるわけだ。
入れ違いでよかったよ( -o-) ホッ こんなお子ちゃまと一緒に見る羽目になったら、「料金返せ~」と言いたくなるところだ。


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2010年11月 7日 (日)

「テルマエ・ロマエ 2」

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著者:ヤマザキマリ
エンターブレイン(BEAM COMIX)2010年

【第1巻のあらすじ】
あまりにもあられもない表紙に怖じ気づいたさわやか革命(注-ブログ主の名前)は策を弄し、友人に勧めて買わせてから後で借りて読むという卑劣な行為に出たのであった。(詳細
 しかし、あまりの面白さに「やっぱり自分で買えばよかったなー」と悶々する日々を送ったのである。さて、第2巻はどーなるよ(~_~;)

……というわけで、買っちゃいました \(^o^)/
本屋に1巻と2巻が両方並べられてたんで、「え~い、2冊まとめて買えば怖くない」とレジに持って行ってしまったのである。
もちろん、1巻から再度イッキ読みです

しかし、冒頭からスゴイっすねー。笑いました(^○^) あのようなヒワイ(失礼!)な祭が今でもあるとな いやー、東京モン(正確には元・都民)には想像も出来ねえです。

ネタが尽きてしまうかと心配してたが、ちゃんと風呂ネタでしかも全体のストーリーがつながっていくとは感心したっ。 最後にはなんと「陰謀」まで……ドキドキ
でも、第3巻もネタが続くんざんしょか。やっぱりチョビッと心配よ(v_v)

ともあれ国民的風呂マンガとなるは、もはや必定であろう。次巻も楽しみ。


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2010年11月 4日 (木)

「消費税のカラクリ」

101104
著者:斎藤貴男
講談社現代新書2010年

どうも経済関係は超が付くくらい苦手であるが、頑張って挑戦してみた。

要は何も知らんで消費税増税に賛成しちゃっていいのかということである。

*消費税の納税義務者は消費者ではなく事業者である。
*消費税が上げられれば価格に転嫁できない中小企業や零細小売り店は潰れて、大手ばかりが生き残る。
*輸出企業に有利。事実上の輸出振興である。
*非正規雇用を推進し、ワーキングプアが増える。
*日本の消費税は国税収入全体に占める割合が高い。
*収入が低い世帯の方が、収入に対する消費税額の割合が高い。
*一方、所得税は年間所得が百億円の人も1801万円の人も税率は同じ。
*そもそも生産性の低い中小事業者を一掃する目的もあり。

などなど、色々ためになることが分かった。
あ、もちろん「生産性の低い企業など潰れて当然」という人は読んでも仕方ないですな。

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2010年11月 3日 (水)

忘却の国立女性教育会館

「国立女性教育会館の事業仕分けに見る、《箱モノ設置主義》に席巻されてきた男女共同参画政策の限界」

この施設はかなり以前に、仕事関係で泊まりがけの研修会をやった時に何度か利用したことがある。確かその当時はまだ「婦人教育会館」という名称だったような気がする。別に直接「女性教育」に関係しなくても施設は借りられた。

その頃から施設としてプールやテニス場が併設されてるのは謎だった。研修の合間にテニスで息抜きをどうぞ(^^)/……なんてあり得な~い 勤務時間に来ているんだしさ。そんな暇はねえぞ。
かくして食堂(値段の割においしかった)には、テニス目当ての奥様方と研修資料を抱えた我々が同居していたのであった。

一体、国の金であんな場所にテニスコートなどを作るのはいかがなもんよ(?_?; それこそ民業圧迫じゃい。

その後、あそこを利用しなくなってしまったのは職場の研修の予算が削られて、宿泊ができなくなってしまったことと、もう少し交通の便のいい場所に会議施設が新たに出来たてそちらを使うようになったからである。

仕分けの一部の場面だけが扇情的にテレビで扱われて流されていたようだが、実際に使用したことがある人間には確かにアヤシイ一面がある施設だったのは確かである。

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「死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実」:白熱教室での論議を求む

監督:バリー・レヴィンソン
出演:アル・パチーノ
米国2010年
*TV放映

全米を騒がせた「死の医師」を描いた長編TVドラマである。エミー賞の主演男優賞と脚本賞を受賞している。
ケヴォーキアンなる人物は末期患者の苦痛を救うための積極的安楽死を行なうために自殺装置を作った。1980年代の末から1990年代に自殺を幇助したその数なんと130名!
日本ではそれほど大きな話題にはならなかったが、米国では国を二分する大きな論争を巻き起こしたらしい。

「死の医師」などというと怪物的な人物像を思い浮かべるが、ここで描かれるケヴォーキアンはそういうものとは全く違う。どちらかというと言い出したら聞かない「頑固爺い」で、あまり身近にはいて欲しくないタイプではある(^o^;
物語は最初の安楽死の少し前から始まる。手作りで寄せ集めで作った装置で実施しようとするが、場所を確保できず仕方なくバンの中で実行--というトホホな状況が描かれる。

そして、最初から130人目の死まで一貫して彼の行動を淡々とたどるのみ。その描写は決して彼の内奥には踏み込まない。しかし、よく映画を観ていて「この主人公は一体何を考えてんだ(?_?)」と首を捻ることがあるが、ここでは内面を描いていないにもかかわらず納得させてしまうのは大したモンである。主人公を演じるアル・パチーノの演技のせいか、演出のせいか。

終盤にようやく彼は爆発したように内心をあからさまにするが、それは決して受け入れられず、収監されてしまうのだった。
ここでの問題点は、米国特有(?)の宗教がからんでくる。神に与えられた生命を自分自身であっても人間個人が自由にすることはできないという考えと、人間の基本的な権利として自分の死を選択できるという意見の対立である。
恐らく彼は最高裁まで持って行って全国的な問題にしたかったのだろうが(自殺や殺人の定義が州によって違うもよう)、それは阻まれて終止符が打たれる。

この手の問題は一概に意見を言えない。実際に自分がそういう状況になってみなければ分からないものだ。
一体、「ハーバード白熱教室」だったらどういう風に討論されるのか、なんて思っちゃったよ(^^;

助演にスーザン・サランドン、ジョン・グッドマン(←久し振りに見た)など。特にS・サランドンには終盤の目ヂカラ演技に圧倒された。さすがとしか言いようがない。
しかしもう一つ驚いたのは監督と二人の役者がオスカー受賞者なのにも関わらず、これがTVドラマとして制作されたことである。まあ、確かに元々HBOテレビは問題作を作ってきたけど……。もう少し時間を短く編集したら映画として公開オッケーな感じだ。内容が内容だけにヒットはしないだろうけど。

以前に、映画の方が制約が多くて問題作は作れないと聞いたがそれを如実に表わしている作品のようだ。


頑固爺度:9点
怪物度:4点

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2010年11月 1日 (月)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 11月版

*7日(日)ロベルタ・インヴェルニッツィ
再来日、今回はイタリア歌曲ですな。
*9日(火)リチェルカール・コンソート
*13日(土)寺神戸亮&上尾直毅
*20日(土)チパンゴ・コンソート
バロック・アンサンブルと尺八の共演--どうなるでしょう。
*24日(水)トン・コープマン チェンバロ・リサイタル
オルガン公演も行きたかったが、残念ながらパス。

この他には、カルミニョーラ&ヴェニス・バロック・オーケストラ、北とぴあペルゴレージ・フェス、上野学園古楽月間など目白押しだいっ あっ、まだアーノンクールもやってますな。
*2日(火)アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア
絶対行くって心に決めてたんですけど……すいません 他に浮気しちゃいました。許して~
*6日(土)フラウト・イタリアーノの魅力
*10日(水)広瀬奈緒
*17日(水)Tragedie et Amours
*26日(金)マラン・マレ レクチャー・コンサート2
*27日(土)前田りり子

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