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2010年11月 3日 (水)

「死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実」:白熱教室での論議を求む

監督:バリー・レヴィンソン
出演:アル・パチーノ
米国2010年
*TV放映

全米を騒がせた「死の医師」を描いた長編TVドラマである。エミー賞の主演男優賞と脚本賞を受賞している。
ケヴォーキアンなる人物は末期患者の苦痛を救うための積極的安楽死を行なうために自殺装置を作った。1980年代の末から1990年代に自殺を幇助したその数なんと130名!
日本ではそれほど大きな話題にはならなかったが、米国では国を二分する大きな論争を巻き起こしたらしい。

「死の医師」などというと怪物的な人物像を思い浮かべるが、ここで描かれるケヴォーキアンはそういうものとは全く違う。どちらかというと言い出したら聞かない「頑固爺い」で、あまり身近にはいて欲しくないタイプではある(^o^;
物語は最初の安楽死の少し前から始まる。手作りで寄せ集めで作った装置で実施しようとするが、場所を確保できず仕方なくバンの中で実行--というトホホな状況が描かれる。

そして、最初から130人目の死まで一貫して彼の行動を淡々とたどるのみ。その描写は決して彼の内奥には踏み込まない。しかし、よく映画を観ていて「この主人公は一体何を考えてんだ(?_?)」と首を捻ることがあるが、ここでは内面を描いていないにもかかわらず納得させてしまうのは大したモンである。主人公を演じるアル・パチーノの演技のせいか、演出のせいか。

終盤にようやく彼は爆発したように内心をあからさまにするが、それは決して受け入れられず、収監されてしまうのだった。
ここでの問題点は、米国特有(?)の宗教がからんでくる。神に与えられた生命を自分自身であっても人間個人が自由にすることはできないという考えと、人間の基本的な権利として自分の死を選択できるという意見の対立である。
恐らく彼は最高裁まで持って行って全国的な問題にしたかったのだろうが(自殺や殺人の定義が州によって違うもよう)、それは阻まれて終止符が打たれる。

この手の問題は一概に意見を言えない。実際に自分がそういう状況になってみなければ分からないものだ。
一体、「ハーバード白熱教室」だったらどういう風に討論されるのか、なんて思っちゃったよ(^^;

助演にスーザン・サランドン、ジョン・グッドマン(←久し振りに見た)など。特にS・サランドンには終盤の目ヂカラ演技に圧倒された。さすがとしか言いようがない。
しかしもう一つ驚いたのは監督と二人の役者がオスカー受賞者なのにも関わらず、これがTVドラマとして制作されたことである。まあ、確かに元々HBOテレビは問題作を作ってきたけど……。もう少し時間を短く編集したら映画として公開オッケーな感じだ。内容が内容だけにヒットはしないだろうけど。

以前に、映画の方が制約が多くて問題作は作れないと聞いたがそれを如実に表わしている作品のようだ。


頑固爺度:9点
怪物度:4点

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