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2010年11月20日 (土)

「セヴィニエ夫人のための音楽」:再生不可能

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演奏:リチェルカール・コンソート
会場:日本福音ルーテル東京教会
2010年11月9日

正式なメンバーや形式がよく分からんグループなのがリチェルカール・コンソート。フィリップ・ピエルロ、アンタイ兄弟、フランソワ・フェルナンデスあたりが中心メンバーなのか。しかし、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでのバッハヘンデルのように大きめの編成の時もあれば、今回のように三人しか来日しない時も同じ名前なのはなぜだっ(^^?

よくは分からんけど、とにかくリチェルカール・コンソートには違いない。しかも座席指定もない小さな教会でやるというじゃあ~りませんかというわけで、職場の終了時間に猛ダッシュで飛び出しアセアセ(;^_^Aと開場時刻直前に駆け込んだのであった。
だが……来てみてみれば、意気込んだ割には開場前に待っている人はあんまりいなかった。ありゃ~(-o-;)なんでだ?
とはいえ、おかげで奏者をバッチリ観察できる位置をゲットできたのは嬉しい限り。

結論から言えば、今期最大の衝撃のコンサートだった。どちらかというと、ピエルロのガンバを間近に聞けるというのが目当てだったのだが、衝撃は実にマルク・アンタイとイーフェン・チェンのトラヴェルソ組の方にキタ~ッのであった。

チェンは大柄で若い東洋系女性。ヒールの低い靴をはいているにも関わらず、アンタイよりも背が高い。
この二人がリュリやマレ、また通奏低音抜きでオトテールの二重奏曲をやった。そのしめやかで奥ゆかしく密やかに息づく音--柔らかい刷毛で精緻な彫刻のひだをなぞっていくような細心の極みのような響き--これまで何度もトラヴェルソの二重奏は聞いたはずなのに、こんなものは耳にしたことがない。一体、これはなんだと思ったほど。大ホールでは絶対聞くことのできない音である。
しかも、オトテールの曲では時折アンタイが独りで吹く部分があって、残響といい音量といいこの教会の建物がまるでトラヴェルソのために作られたかのような心地よさだった。こりゃ、もはや忘我の域である。

ピエルロは通奏低音担当でほとんど二人の控えに回っていたが、一曲マレの組曲を弾いた。ただ、どうもマレは個人的にノレる作品とそうでないのがあって、今回はあまりノレない方だった。残念であ~る(T_T)

もう一人テオルボの金子浩が「賛助出演」ということで参加していたが、賛助といっても独奏曲2曲と通奏低音をやってたのだから、他のメンバーより最も出番が多かった。しかし、その演奏は時折 (?_?;(-_-;) な部分があって今イチ今ニ今サン今ヨン……であった。
それは別にしても、金子氏の演奏は日本にいれば今後も聞く機会は幾らでもあるのだから、独奏を一曲減らしてもらって他のメンバーの演奏を聞きたかったところだ。

客席は結局満員とは行かない状態だった。でも遠方から来てた人もいたもよう。

会場でコンサートのタイトルと同じCDを売っていたのですかさずゲット セヴィニエ夫人というのは、当時のフランスで家族宛てに宮廷や貴族社会の様子を綴った手紙を1500通も書いた女性とのこと。その頃の生活を知る貴重な記録のようだ。
早速家で聞いてみたが、やっぱりトラヴェルソのあの音は再現されていなかった。録音の限界かねー。
そう言えば、クイケン&レ・ヴォワ・ユメーヌの公演をBSでやっていたが、やはり音が全く違っていた。音色はもちろんだが、そもそも最前列ならともかくクイケン親父の鼻息なんてそんな聞こえんぞ(^o^; まあTVの音じゃどうしようもないだろうが。

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←戦利品である。

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