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2010年12月

2010年12月31日 (金)

2010年はどうだったか--もう忘れかけてるのだ(音楽系)

●古楽
「ディエゴ・オルティス『変奏論』邦訳出版記念コンサート」
とにかく寒くって脳ミソも凍った 同内容のCDも好盤。

*ロベルタ・マメリ「ディドーネの嘆き」

*波多野睦美「ダイドーの嘆き」
同じくパーセルを歌ったCD「ソリチュード」も素敵でしたのよ

*BCJ「マタイ受難曲」公演
見よ!ダ埼玉にも文化の曙がピカピカ

*アッコルドーネ「フラ・ディアーヴォロ」

「鈴木秀美のガット・サロン」
ステージ上も客席もほのぼの感漂う中、神業を披露。

「リコーダーコンチェルトの夕べ」

*J・サヴァール&ル・コンセール・デ・ナシオン「ルイ15世時代のコンセール・スピリチュエル」

*キアラ・バンキーニ&アンサンブル415「アルビノーニ 4声のシンフォニア作品2」

☆話題賞:パーセル「アーサー王」公演
折角のニケ&ル・コンセール・スピリテュエルなのにねえ……。今となればあの字幕と演出しか覚えてないですよ(>_<)

☆企画賞:「絵の中の楽器たち ブリューゲルコンサート」
贅沢な時間を過ごさせてもらいました。

特選:リチェルカール・コンソート
LFJでのヘンデル声楽曲公演もよかったが、「セヴィニエ夫人のための音楽」はまさに衝撃としか言いようがない。今でも思い出すと「あれは一体何だったのだろう」と立ち上がってウロウロと歩き回ってしまう。
しかし、徐々に記憶は薄まってくる。同名のCDの出来は素晴らしいが、最も衝撃的だった部分はいくら耳をすまして聞き返してもそこには存在していないのだった。
他にはCD「四つの哀悼カンタータ」も愛聴。

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●その他
*坂本龍一+大貫妙子「UTAU」
CDパッケージからツァーの制作まで一貫したコンセプトで通す……なるほどこれが今時の売り方なのかと感心した。
もっとも、音楽面では二人とも伊達にウン十年間業界で生きてきた訳ではないと納得する出来である。

*マイブーム賞:浅川マキ
恥ずかしながら、亡くなってから猛然と聞き始めてしまった。こりゃ、にわか「マイケル・ジャクソン」ファンを笑えないね(;^_^A
とりわけ、最後のオリジナル・アルバムである「闇のなかに置き去りにして」の中の「無題」という曲--なんたる美だろうか。語る言葉もない。


社会関係でよく読んでいたブログが段々更新されなくなって、どうやらみんなツイッターの方へ行ってしまったようだ。音楽関係もこれからそういう所が増えていく一方だろう。コンサートの感想をブログ検索してもヒットする数が減ってるし……。
さて、来年はどうなることか(+_+)

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素朴な疑問:「メサイア」のハレルヤ・コーラスで立ち上がるのは?

ヘンデル先生の「メサイア」で立ち上がるのは普通なのかヘンなのか(?_?) 全く正反対の記事が出ております。

《ちゃむのバレエとオペラとちょっと読書の日々》
「日本だけ」の慣習だというのは、他のブログ(どこだかは失念)でも最近見かけました。

でも、こちらでは
《オペラ三昧イン・ロンドン》
立っているじゃありませぬかっ

昔、まだニフのパソ通をやってた頃にクラシック系のフォーラムでこれが話題になったことがあります。結論は、確か「ジョージ三世の臣下でない者は立つ必要なし」ということだったような(^^;
だから、ハレルヤ・コーラスで立ち上がっている人物を見たら「おっ、あいつはジョージ三世の家来なんだな<^!^>」とみなす--ということでよろしいでしょうかな。

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2010年12月30日 (木)

「未来型サバイバル音楽論」

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USTREAM、twitterは何を変えたのか
著者:津田大介+牧村憲一
中公新書ラクレ2010年

牧村憲一という人は団塊世代で、シュガーベイブから始まってプロデューサー業に携わり、さらには渋谷系の立役者ともなった人。彼と津田大介との対談、過去と現代そして未来の音楽シーンを展望するそれぞれの文章を交互に挟むという体裁の本である。

正直、ネットで自分の作品を発表したいような人には非常に役立つ内容であるが、私のように聞き手オンリーで、加えて携帯型音楽プレーヤーを使う気もない人間には将来がどうなるかは読んでもあまり見えてこないのであった。
日本のレコード業界でのレーベルの勃興については「なるほど、そうだったのか」と面白かったけどさ。

音楽CDの売り上げは激減しているそうだが、一方でネット配信も横ばいらしい。一体、どうなるんですかね( -o-) sigh...


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2010年12月29日 (水)

「バロック音楽とダンスで楽しむクリスマス」:どピンクの衣装が目にしみる

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指揮&鍵盤&ミュゼット:上尾直毅
会場:紀尾井ホール
2010年12月23日

バロックダンスも出るというクリスマス・コンサート。楽しそうだな~と行ってまいりました

前半はバロックのクリスマス音楽、後半はバロック・オペラということですっぱりと内容が分かれております。双方で指揮するは上尾直毅。もちろんチェンバロ、オルガンを弾きながらだが、さらにミュゼットも担当で大活躍だいっ。
ついでに言えば、オルガンはふいご付きのやつで、謎のオヂサン(前にも見たことある)がふいご手をやってた。
コンミスは戸田薫である。

クリスマス音楽は色んな作曲家の作品のいいとこ取りで構成してあった。派手なティンパニの連打で始まるフィリドールで幕開けし、続いてシャルパンティエの「テ・デウム」のプレリュード。
打って変わって、歌手が登場してクリスマスの賛美歌を歌う。極めてポピュラーな曲ばかりで、現代でもポップス系の歌手などに取り上げられている。こうやって古楽モードで聞いてみると、伝統というものを改めてヒシと感じるのであった。

他にはバッハの「クリスマス・オラトリオ」のアリアやコレッリ「クリスマス協奏曲」などで、すっかりクリスマス気分に浸った。

休憩の間に楽器隊の椅子を左端に寄せて始まったのが、ラモーのオペラ・バレ「優雅なインドの国々」から「花々、またはペルシャの祭り」「未開人たち」である。語り手として、当時の衣装をつけて林隆三が登場した。でも、どうせだったらカツラもかぶった方がよかったんでは?

ペルシャ篇オペラは、なんとテノールの鈴木准扮する王子様がいきなり女装して登場。鈴木氏は元々優男系の風貌だからその点はいいだろうが、いかんせん体格が……(^^; 大柄なのでピンクの衣装が、さらに膨張して見えるのよ。
他には女奴隷(山村奈緒子)が男装して登場して、四角関係で誤解した王子様に嫉妬されたり、とお笑いコントっぽい。「ラ・カリスト」もこのぐらい笑わせてくれればよかったのに~。
もちろん、最後はメデタシメデタシ。

「未開人たち」はアメリカ・インディアンの話で根岸一郎(バリトン)と鈴木美紀子(ソプラノ)が恋物語を歌った。こちらの鈴木さんは依然聞いた時よりもずっと聴き映えする印象。今度ソロ公演があったら行ってみようかしらんという気分になった。

ただ、歌詞がプログラムにも出てなくて、せめて大意でも載せて欲しかった。さもなけりゃ折角語り手がいるんだから詳しく紹介するとか……。ちゃんとした役者を使った意味があまりなかったような(?_?)

浜中康子とトーマス・ベアードを中心にした四人によるバロックダンスは、後半のインディアンの扮装で踊ったのが面白かった。
ところで、チラシやプログラムのベアード氏の写真は約三十年前のものを使用かな? 別人のようです(^O^)

全体的には前田りり子&菅きよみのトラヴェルソ組が頑張っていた。木管はクリスマスものには欠かせぬ響きですね
チケット代(六千円ナリ)の元は充分取れたコンサートであった。

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←向かい側のホテルのイルミネーション。


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2010年12月28日 (火)

夜の秋葉原

久し振りに秋葉原へまた行った。
2台持っていたカセットデッキの片方がついにおシャカになってしまったのだ。ほぼ、二十年近く酷使してきたのだから当たり前か(^o^;
もう一台はダビング用に買った安物で、こちらもいつブチ壊れるか分からぬ。しかし、過去に録音したNHK-FMの古楽フェスなどは保存版にしておきたいので、CDレコーダーを買うことにしたのだ。
幸いティアックで安いのが出たというので、それを購入した(現物はまだ来ていない)。それ以外だと、業務用とか10万円以上の製品になってしまう。
これからはひたすらダビング作業に励まねば……ムムム(-_-;)

電話機(固定電話)も壊れてきているようなので、ついでに新しいのを買った。ほとんど使わないが、古いのはひとりでにディスプレイが点いたり消えたりするんだもん。いくらなんでも放置できん。
他にも、冷蔵庫や洗濯機が十数年経っているがとりあえず後回しにする。(--といって、あと二、三年放置か

先に用事があったので、その後に行ったらもう日が暮れていた。夜のアキバは、家族連れはとっくに帰って若いヲタク男性ばかりだったよ。チラシ配っているメイドのねーちゃんを一人見かけたが、寒いんでコートを着ていてメイドっぽくなかった(x_x)

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2010年12月26日 (日)

「白いリボン」:黒く充満したゴミ袋

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監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:クリスティアン・フリーデル
ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア2009年

こりゃまたイヤ~ンな映画を見てしまったもんだ。
もっとも、ハネケの監督作品ならばイヤ~ンに決まっている。そして、みんなそれを期待して見に行くのだ。「楽しい」とか「興奮する」とか「感動する」なんて事には最初から縁がない。

ここには「悪」が描かれている。どんな悪かというと、既に満杯になっている黒いゴミ袋があるとする。そこにさらにゴミを詰め込むが、ふくれ切った袋は破裂もせず裂け目も出来ず、ただ微細な穴から汚濁がじくじくと滲み出してくる。それは拭いても拭いてもぬぐい切れない。そういうようなものだ。
どこから染み出してくるのか分からないから、誰がとか原因はということは判然としない。これは正しい、これは悪い、などとも白黒付けられない。そもそも明確な意志を持って行われているかも分からないのだ。

年老いた男の声の語り手が過去を回想する。
第一次大戦直前のドイツの小さな村の話だ。冒頭、医者が意図的に仕組まれた事故で怪我をする。翌日、村の権力者である男爵の納屋で死者が出る。
その後、村は不穏な空気に包まれ、事件が間欠的に起こっていくのだった。

全編モノクロで撮影された画面は、コントラストがはっきりした美しさというよりは、奇妙に静寂が満ち閉鎖的な共同体の重苦しさを体感させる。しかも時代が時代だけに村には電気が来てないから、夜はランプやローソクを使っている。闇だけがさらに黒さを増して濃厚だ。現代の日常では想像もつかぬ暗さである。

そんな闇にリボンが白く浮かび上がる。リボンは罪を犯した子どもが付けさせられる純潔・無垢の象徴であるが、そんなもの(純潔・無垢)が果たして実際に存在するのか--は大人の世界を見る限り疑わしい。
抑圧された空気の中、姿なき悪意が村の闇を徘徊する。そしてその悪意は時として何の責任もない弱者へと向かって噴出するのだった。

明確な解決もないまま2時間半近くこれで押し通すのだから、大したもんである。さすがハネケというしかない。彼の作品の常として劇伴音楽はなくひたすら淡々と進んで行く。時折、ルターのコラールが印象的に使われていた。

映像の構図は常に美しく均整が取れている。モノクロなのは当時を伝える画像(A・ザンダーの写真あたり?)がそういうイメージだから、という理由もあるそうだが、私は同時にヴィルヘルム・ハンマースホイの絵も連想した。明らかに引用したのではないかという場面もある。
いずれにしろ観客に非現実的な印象、ある種の隔絶感を与えている。それが登場人物への感情移入を完全に阻んでいると言っていいだろう。美し過ぎて……冷たい(>_<)

最後に、ふくれ切ったゴミ袋は遂に破裂したことが告げられる。それは正義が行われたのではなく、さらに大いなる悪が覆うのだ。
これは歴史的な事実だが、どうも私には遠い過去の他所の国の話とは思えないのだ。なぜなら、男爵が村人の不安だけを煽るだけ煽って事態を放置する--というのは、現代の日本でもよく行われることだし、さらに神父が語り手を恫喝する件りでは、この政治家がソックリな発言をしていたからだ。もちろん、この人物も子どもに純潔と無垢を求めているのだった。

こうして、私はますますウツになった。
最もイヤ~ンな場面は、牧師が息子をジワジワと問い詰めるところ。本当にハネケったら嫌味な奴だねー。(注-ホメ言葉である)
子どもが大勢出てくるのでボーッとして見ているとどこの家の子か分からなくなるので要注意。


鬱度:9点
子役演技度:9点

【関連リンク】
「ヴィルヘルム・ハンマースホイとイーダをめぐる夢想」
「ハンマースホイ展(東京展)」
絵画作品の画像あり。

《漫画、映画、その他》
「感動」というものについての解釈が面白い。

《ぷらねた ~未公開映画を観るブログ~》
監督のインタビュー。


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2010年12月25日 (土)

キイワードの謎

最近、なぜか「内田善美」のキイワードで検索して当ブログに来る件数が増えている。……と言っても、そもそも過疎ブログだから件数はそんな大した事ないんだけど、一か月間の総数では新規報告ネタの「ラ・カリスト」の次に来ているから、過去ネタにしては大きいということになる。

何か内田善美関係で動きがあったのか、と思って私も検索してみたが何も出て来なかった。もっともツイッター方面のことは分からないが。

復刊されないので彼女の作品は入手が大変だということだったが、ヤフオクで『星の時計のLiddell』全三巻を五千円で入手したという記事があった。元の価格が一冊880円だからそれから考えたら高いが、今同じ装丁で出そうとしたら(ハードカバー、カラー口絵数頁付き)1500円以上するだろうから高くはないだろう。

ちなみに私が書いた元記事はこちら

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2010年12月23日 (木)

「ザ・ニュースペーパー Part78 2010年を笑う!」

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会場:博品館劇場
2010年12月14~19日

しばらくぶりにザ・ニュースペーパーの公演に行った。いつもチケット争奪戦に負けて取れなかった年末恒例の博品館での公演だが、今回はネットでなんとか獲得できた。もっとも、かなり後ろの隅っこの席だったが(+_+)

だいぶネタの入れ換えもあって(政権も交替してるからね)、冒頭登場するのはカン総理であった。でもなぜかコイズミも出現して拍手喝采を浴びていた。もはや定番化必至か。
あと自民党組のタニガキ&イシバのコンビもかなり笑いを誘っていた。一方オカダは全く似てなくて、説明されないと誰か分からないぞ。
三人の知事とタハラソウイチロウのコーナーがなくなってしまったのは残念であ~る。復活を望む。

一年を振り返るコーナーでは、そんなに時間が経ってないのにああこんな事もあったな感が強くて、これじゃ「三か月一昔」である。
全体的に、以前みたいに笑い過ぎて涙が出るようなコントはなかったのが寂しい。お笑いも縮小傾向か。

最後は某ご家族ネタで締め。これがないとね~。


銀座も新橋寄りはあまり行ってなかったのだが、久し振りに歩いて福屋書店がなくなっているのに驚いた。不景気か……( -o-) sigh...

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2010年12月19日 (日)

「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」:ネコと亀と美術と

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監督:佐々木芽生
出演:ハーバート&ドロシー・ヴォーゲル夫妻
米国2008年

市井の夫婦がなんと現代アートを買いに買ったり4700点
妻は図書館司書、夫は郵便局員という組合わせゆえに、高価な作品を買えるはずもなく、若いアーティストのアトリエを回っては、自分たちの好みにかない、かつアパートに入る大きさの作品を選んで行ったという。
六十年代あたりからそれを繰り返し、さらに買った作品は絶対売らないというのを信条としているので、所狭しと積み重なっていて小さなアパートはもはやギュウギュウだ~ 加えてネコやら亀やらペットまでいるぞ。

そんな老夫婦のドキュメンタリーである。
平凡な市民--と言っても、ニューヨークのアートシーンではかなり有名人らしい。美術展の内覧会に招かれたり、雑誌・TVに出たり--。
旦那のハーブは元々美術学校へ通い、絵を描いていたとのこと。その審美眼は鋭く、アーティストも納得してしまうほどだ。

それにしても、作品を売らないというのを貫いてきたのはすごい。アートバブルの時期に売ってたら一財産築けただろうに。
クリスト夫妻がインタビューに答えて、あの買い方は依存症的だよねと語るが、それも頷けるほどである。買い物依存症? ゴミ屋敷ならぬお宝美術屋敷?
私もコンサート行くのを一切やめ、CDを買うのもやめて気に入ったアート作品を購入するかね(^o^)v でもCDの整理だってままならんのに、買ってもホントに積んどくだけになってしまうだろうけど。

一方、画廊を通さず直接アーティストから購入するというのは、美術品の売買システムからは外れていて非難する意見もあったことが紹介される。そこら辺の美術市場のドロドロした部分についてもうちょっと描いてくれればと感じたが、そこに踏み込んじゃうと「かわいい老夫婦」路線をウリにするわけには行かないから無理か。

とはいえ、人はなぜアートに惹かれるのかという原点を再認識させてくれたドキュメンタリーであった。


ところでクリストの奥さんてド派手で賑やか クリストご本人は脇でうんうんと頷いている感じだ。こんな奥さんを亡くしてしまったら寂しいだろうねえ--なんて関係ないけど思ってしまった。


美術界魑魅魍魎度:5点
夫(婦)唱婦(夫)随度:7点


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2010年12月18日 (土)

反対する側もこれで大丈夫か……?

青少年ナンタラ条例の関連で読んでいた某ツイッターより。

この発言読んでビックリしてしまった。大学の教員やってるんだろうに。実情見えていないのか(~_~;)

《河野美代子のいろいろダイアリー》より
日本での性教育の実情
実例

もちろん、純潔教育しろって言ってんじゃないよ。

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2010年12月14日 (火)

「リコーダーコンチェルトの夕べ」:笛三本寄れば文殊の調べ

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平尾リコーダー工房30周年記念演奏会シリーズ
演奏:山岡重治&向江昭雅&太田光子ほか
会場:石橋メモリアルホール
2010年12月11日

行きたいと思っていつつもなかなか行けなかった平尾リコーダー工房30周年記念の演奏会。ようやく最終回で行けました。
メンツは主宰者山岡氏と二人のリコーダー吹き。そして脇を固めるはヴァイオリン高田あづみ、チェロ鈴木(弟)ヒデミなど豪華であります。これを聞かない手はないっ!

構成は前半・後半それぞれに三人の奏者が順にソロをとって曲を演奏していくという次第。太田女史はヴィヴァルディの協奏曲。向江氏はA・スカルラッティとマンチーニ、山岡氏がテレマンをやった。

ソプラニーノ・リコーダーがコロコロと転がすような高音で吹きまくるヴィヴァルディはやはり華やかでかなりウケていた。太田光子を見ているとなんとなく陸上短距離走者を思い浮かべてしまったのは、なぜ(^^?
それに対し向江氏のスカルラッティはアンサンブル重視で控えめに弦に溶け込んだ演奏が特徴。
前半のテレマンの組曲はかなり長めの大曲で、それを山岡氏は力まず吹き切ったという印象だった。
テレマンが長かった分、時間が延びたためか、終了は開演から二時間半という長めの公演となった。

作曲家も奏者も三人三様で、それぞれに楽しめたコンサートだった。もちろん、弦の楽器隊も文句なしよ。
個人的にはスカルラッティが気に入ったので、CDを買ってみたい。

石橋メモリアルホールと言えば、かつてドミニク・ヴィスのソロ公演など数回行っただけだけで、新しくなってからは初めて。聞いてみれば音がいいっ さすがという感じである。残響も申し分なし。このぐらいの編成には打ってつけだし、ソロ公演なんかでも音がすみずみ行き渡るだろうなあと思えた。(上野の駅前は相変わらずだが(^^;)
古楽系の公演もこれからバシバシお願いします。


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2010年12月12日 (日)

「大貫妙子/坂本龍一 UTAU TOUR 2010」:三十五年の歳月が生み出したものに酔いしれた一夜だったわ

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会場:東京国際フォーラム ホールC
2010年12月10日

なんとター坊と教授の二人だけのツァーですって キャ~~ッO(≧▽≦*)O CDも一緒に発売だって!こりゃ絶対行かなくては
--というんで、ツァー最初の方の昭和女子大人見記念講堂じゃなくて、あえて国際フォーラムの二日目11日の方を選んで先行予約しました。でも、なんと第二希望の10日の方に回されちゃった 競争率高かったのねー。まあ、こっちでもいいけどさっ。

さて当日、もうこうなったら仕事なんかしてられないわよっ(~ ^~)--と職場を早退して万全の態勢で行ったのであります。
国際フォーラムの前はクリスマスのイルミネーションがキレイ その下には屋台が……ここって屋台専用スペースだったのかしらん。
会場に入るとテレビカメラがいっぱい(!o!) あらっ、WOWOWで生中継するっていうのは明日の公演じゃなかったのかしら? ずっと各地の公演をライブストリーミング中継してるというのは聞いてたけど、大規模なんでビックリよ。もしかして、DVDにして発売するのかも。

もうCDは先に何回も聞いて予習済み。今回のコンサートは坂本龍一の作品を大貫妙子が歌うってのが眼目なのよね。過去の作品もあれば、新たに彼女が歌詞を付けたものもあるし、完全オリジナル新作も一曲。
それにしても、よくよく考えると私ってナマ教授見るのも聞くのも初めてなのねえ。ター坊は毎年公演行ってたけど。

さて客電が落ちて二人が出てきて、最初に「Tango」から始まって……何が驚いたって、暗いのよ~。客席が暗いだけでなくて、ステージ上も薄暗いの。どれくらい暗いかというと、隣に座ってる客が何してるのか分からないぐらい(-o-;) ちょっとこれ冗談じゃなくて真面目に言ってるのよ。
何せ二階席だったんでオペラグラスで必死こいてステージの方を覗いてたら、どうも隣りの人も気配で同じくオペラグラスで見てたのが分かったてな感じ。隣りを向いても何してるか分からないほどなの。
あんまり暗いんで移動中に階段でコケたらしい女の人の声が「ギャッ」と会場中に響き渡ったハプニングがあったわ。ター坊が「大丈夫ですか?」なんて声かけてたけど、曲間で良かった。歌ってる最中だったら悲惨。気分ブチ壊しよ

教授のピアノは微妙にアレンジ変えてたわね。アドリブかしらん。ター坊はいつになく凛とした日本語の歌声で、改めてホレ直したわよん  「赤とんぼ」をあんな風に歌える人はそういないって。途中に教授の長いソロ演奏も入って、でも後ろのスクリーンには幾何学模様みたいな映像がときおり流れるだけ。とにかく簡素なステージだったけど、それだけに集中力がクラシックのコンサート並みに必要だったのは確かね。
後ろの方でアメ玉の包みをガサガサしてるヤツがいて、にらんでやろうかと思ったけど、暗くってどのみち見えないだろうからやめたといたわ(`´メ)

もっとも、曲間の喋りは逆にかな~りノホホンとして脱力系だったのよ。教授が聞き取りにくいボソボソとした喋り方でボケをかますんだけど、ター坊は全然突っ込まずにサラッと流して放置状態。ちょっと、そこで突っ込んであげなさいよ~と言いたくなっちゃった。
でも、その演奏と正反対なユルさが却ってよかったかもね。

全体として暗くてダウナーな曲がほとんどだったから、意外にも「a life」の明るさに救われた気がしたのよね。CDで聞くと、なんかちょっと説教くさい歌詞--なんて思っちゃったけど、実際にはこの曲に詞を付けるのが大変だったんですって。
それから、アンコールの久々に聞いた「色彩都市」もパッと華やかなイメージで感動。アルバム引っ張り出して聞き直したくなっちゃった。だけど持ってるのヴィニール盤だから面倒くさいのよねー。

個人的に緊張して聞いてしまったのは、デ・バルマ監督の映画音楽に新しく詞を付けた「Antinomy」ね。だって、元がインストゥルメンタルだから全く歌いやすい曲じゃないし、さらに音域が広くて高音部がエラく高いの。ちょっとでもター坊の喉の調子が悪かったら出ないんじゃないかってドキドキしちゃった
実際には高音は出たけど、歌詞の度忘れが……(>O<) やっぱり歌いにくいからよっ。
でもとってもいい曲だし、ちょっとバロック歌曲(パーセルとか)っぽい部分もあるんで、クラシック歌手にも是非挑戦して欲しいわ。波多野睦美さんあたり歌ってくれないかしら。

アンコールのラストはやっぱり「風の道」だった。なんでも、二人は三十五年も前からの付き合いなんだけど、こういう風に対等な仕事をしたのは初めてなんですって。
この話を聞いて私も前回と同様にまた歌いたくなっちゃった(ToT)
今では~他人と呼ばれるふ~たりに~ 決して譲れぬ生き方があ~った
感動、大感動よっ \(^o^)/
でも、ちょっと会場の拍手がたりなーい。何よこれ。クラシック・ファンの方がよっぽど熱い拍手をするわ、全く

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もう一回行きたくなっちゃったけど(ダ埼玉の川口公演はまだチケット残ってるってよ)、WOWOWの放送があるからそれでガマンガマン。大人しくイルミネーションの下をまた通って帰ったのでした。


ところで、翌日の生放送を永久保存版で録画してちょっと見たんだけど、トークがちゃんと曲の由来とか環境問題なんかについて話しててマトモなんでビックリ。やっぱりTV中継を意識してたのかしら。


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2010年12月11日 (土)

フランチェスコ・カヴァッリ オペラ「ラ・カリスト」:熊か星か

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東京室内歌劇場42期第128回定期公演
指揮:濱田芳通
演出:伊藤隆浩
演奏:アントネッロ
会場:渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
2010年12月4・5日

まず第一印象はというと「『アーサー王』みたいな出来じゃなくてヨカッタ \(^o^)/」であった
同じ演出家の『アーサー王』があまりにひどかったので、散々行くかどうか迷った揚げ句に最高より三千円安いS席にした。さらに日によってキャストが違うので、ここでも迷った。4日は野々下由香里や彌勒忠史の名前が……しかし、5日の方を選んだのであった。

会場は出来たてピカピカの複合ビル内のホール。すごいね、さすが渋谷区この不景気なのに金があるぜ 収容人数は700人とのこと。純粋に音楽よりはパフォーマンスや芝居向きのホールのようだ。

ストーリーはギリシャ神話から取ったもので、大神ジョーヴェ(ゼウス)がニンフのカリストに言い寄るがすげなくふられる。そこで、変身して接近し意を遂げるが、妻のジュノーネ(ヘラ)は嫉妬で怒ってカリストを熊に変えてしまったので、彼女を星にすることを約束する。
これに女神ディアーナ(アルテミス)と羊飼い、それにお笑い担当カップルの二組のロマンスが絡むんである。

しかし、この話のキモはジョーヴェが変身するのがカリストが仕えるディアーナであるということだ。つまりカリストはレズかい(!o!) さらに羊飼いがディアーナに言い寄った時に、実は中の人はジョーヴェであるという場面もあり、かなりいかがわしさは保証つきなのである。
ところが、この演出ではジョーヴェが人形みたいな偽ディアーナを外から操るというという形を取っているので、そうしたジェンダー・パニック的な面白さはほとんどなく、いかがわしさも激減している。詰まんな~い(x_x) そういう意味ではちと期待はずれだった。
さらにあらすじでは羊飼いは女神(しつこいようだが中身はジョーヴェ)と●●●したかのように書いてあるが、舞台ではそんな気配はひと筋もなし なんだよ。これまた詰まんないのであった(+_+)

一方、字幕は下ネタをすべて分かりやすく直訳したのはまあいいとしても、それ以外のセリフも「沸点到達、嫉妬メラメラ」って……これが一番エラい女神の言うことか フツーの日本語でお願いします。この演出家は字幕に関わらない方がいいと思うぞ。

好色バリバリなジョーヴェに『オットーネ』の海賊だった春日保人、今回も快調です。冒頭は笑わせてくれたし、ラストではタイトルロールの澤村翔子と共にしんみりとした調子で聞かせてくれた。
BCJでおなじみ松井亜希は女神さまとしてここでも問題なく快唱。彼女にフラれる牧神と「自然」をやった櫻田亮はやはり得意のイタリアものとあって、前者の役ではコミカルに、後者では冴え渡る歌声だった。
ということで、一番の見せ場は櫻田牧神が上杉清仁扮する軟弱な羊飼いをケトばす場面でキマリということでよろしいかな。

舞台装置は「オペラで最低記録の予算」(ポストトークにて)というだけあって簡素だった。セットは二つの山のようなものがあって、人によってクチビルに見えたり女の胸のように見えたりするようだ。もっとも、私はもっといかがわしい部分ではないかと解釈したが……どうよ(^^;

楽器部隊は鍵盤4台という驚きの布陣である。それにヴァイオリン3本(P・エレラ氏こんな所にいたのね)やリコーダー、サクバット、セルパンなど加わっていた。西山まりえのハープがやけによく聞こえるなと思ったら、やはりマイクを使用していた。
パーカッションはかなり賑やかに入っていて、所によっては賑やか過ぎるほどだった。眠気虫に食いつかれた人は目が覚めてよかったかも知れない。それから、なるべくジャズっぽいテイストを入れるということで、熊が踊る場面では濱田氏が指揮台から客席の方を向いてコルネットをジャズ風フレーズで吹いたりした。
ただ、正直言って個人的にこういう手法には疑問を感じる。まあ頑張って下せえと言うしかない。

全体的として一部の字幕と演出を除いては文句はなしっ。カーテンコールでも拍手喝采となった。4日には演出家に対して「ブー」も飛んだらしいが、この日は「ブラボー」のみであった。

あえて、一つ文句を付ければプログラムに作者のカヴァッリの経歴や初演がいつどこかというような紹介が全く載っていないことだ。生没年すら出てない。これには驚いた。
プレトークでその解説があったが、全ての人がプレトーク聞く訳じゃなし、500円でも金を取っているからにはそのぐらいは載せてしかるべきだろう。
そのプレトークでは、年増の侍女役を男声テノールが歌うことについてこの役を「オカマ」だと解説者が語ったが、年寄りの乳母とか年増女みたいな端役をテノールがやるのは当時よくあったことでそれを「オカマ」と表現するのはどうかと思った。

それにしても、4日にディアーナ役の野々下さんを聞けなかったのは返す返すも残念無念よ。野々下さんの女神サマがあんなことこんなことするのを是非見たかった(聞きたかった)ですう(*^-^*)
会場にはマチャアキ氏や評論家も来てたようで。
配られたチラシに面白そうな公演発見。これは「買い」だ!

《Deus ex machina -機械仕掛けの愚か者-》
4日の様子。クロークやってなくて、ペットボトル売ってたのは5日も同様だった。
それからこのバリアフリー時代に、トイレの前に狭くて急な階段があるのはどうかと思った。足の悪い高齢の女性が苦労して登り降りしてたぞ。

《sueyoshitomoko.com blog》
4日のキャストの写真。衣装はこんな感じだった。

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←なぜか足元にオモチャのトランペットが……(^^?

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2010年12月10日 (金)

スパルタ式--その別名は

《Imaginary Lines》経由で、「石原くんちの、スパルタ式性教育」を読む。

この風呂の話って、米国あたりだと児童虐待になるのでは……(>y<;)コワー

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2010年12月 5日 (日)

「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」(字幕版):お楽しみはすべて後回しなのだ

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監督:デヴィッド・イェーツ
出演:ダニエル・ラドクリフ他オールスターキャスト
イギリス・米国2010年

いよいよシリーズ最終章に突入であります。
三人の子役ももうすっかり立派な大人になって……ご両親もさぞお喜びでしょうって、これ前にも使ったフレーズかしらん。

全体の印象としては「お楽しみは全て後編に~(^^)/~~~」というところか。なにせ冬の寒そうな荒野や森の中を三人がウロウロしてるだけなんだもん。わたしゃ途中であの暗~い『ザ・ロード』を思い出しちゃいましたよ。とても小学生のお子ちゃまには見せられません(キッパリ)。

おまけにスネイプ先生の出番が少なくて詰まんなーい。多分、観客の6割は「おらおら、スネイプもっと出せ~(`´メ)」と思ったはずである。
しかも前後編に分かれて時間の余裕が出来たせいか、ダラダラした展開になってちょっと退屈。目が回るような(@_@)ギュウ詰め展開も困るけどさ。

困ったチャンと化した男子二人のフォローに追われるハーマイオニーたん(美人になりました)。この世代だと女子の方が精神年齢は上だかんねー。しかも本命のロンの情けなさよ(泣) ロバート・アルドリッチの映画に出てきた名言「賢い女ほどダメな男にほれるってな」--そのまんまであります。
しかし、さらに不可解なのは主人公たるハリーの心情だ。親を捨てたハーマイオニーの心を汲むことなく、ロンのいらだちを理解することもなく、当然の如くふるまうこいつはナニモンだっ(*`ε´*)ノ☆ 原作の方ではどう描かれてるのか知らないが、映画で見る限り魔法は強くても人間としては教育方法を間違えたとしか思えんぞ。

ただ一つよかったことは時間が間に合わなかったらしく3Dじゃなかったこと。このストーリーでは2Dで充分。300円余計に取られたら暴れます

次の予告をやってくれるかと思って、長~いエンド・クレジットを見てたけど、遂になし! ケチ 『ミレニアム』を見習って欲しいぞ(~ ^~)

最終回はレイフ・ファインズが髪の毛フサフサの素顔で登場してくれる事を願う。
それから、見る前にはレンタルで過去何作か借りて復習してから行かねば(^^; 今回、ほとんど何も覚えていなくて「えとえと、どーなってたんだっけ」状態なのだった。
でも、前作の感想を読み返すと、しっかり「果たして次の最終章の公開の時にこの『謎のプリンス』の内容を覚えていられるのか……は自信が全くないのであった」と書いてあるではないか(!o!) 我ながら進歩ないねー。


ファンタジー度:4点
続編期待度:8点

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2010年12月 4日 (土)

「黙示録--デューラー/ルドン」:視線の先に在るもの

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会場:東京藝術大学大学美術館
2010年10月23日~12月5日

同じ上野でやってる「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」の関連企画でもある美術展。入場料と作品の数にしては、大いに見ごたえありと保証していいだろう。

聖書の流布が版画や印刷術の発達によるところが大きいというのは聞いていたが、「版画・素描展」でも福音書が何回も版画化され(さらには製本され)ているのが展示されていた。
こちらでは「黙示録」をテーマに絞っていて、最初に中世の写本やその後の時代の木版画を見ることができる。

古い時代のものはさすがに素朴としか言いようがないが、それがデューラーの作品で一変する。ダイナミズム溢れる構図、そして隅々にまで行き渡る明晰さ--文章で読むと判じ物のように訳ワカラン黙示録がここまで明確に描写され、版画作品として流通したとなれば当時のインパクトはかなりのものだったに違いない。やっぱり、デューラーは当時の最新メディア・アーティストだったわけだ。
チラシの表にも使われている「四人の騎士」はその疾走感に息を呑む。

その後に展示されているマイアーという画家によるやはり連作の黙示録、このシリーズが一番作品数が多かった。作者はデューラーより少し後の世代だが、これがまたデューラー作品の影響を受けている……というかそのまんまいただいている、というかパクッてるというのがありあり状態(^o^; しかし、迫力では全く及ばない。
デューラー作品だけでは黙示録全体をカバーできないので、こちらの方で実際の文章とそれに対応する場面の作品が並べて展示してあるという次第だ。

その後はいきなり近代の関連作品へ。
タイトルにも入っているルドンについては、チラシの文章には「デューラーからの影響の痕跡を見ることができる」とあるが、会場の作品解説には「直接の影響はない」とあったぞ。一体、どっちなんじゃい(?_?;

もはやデューラーのような明晰さは微塵もなく、ただ闇の中に静謐な死のイメージが佇んでいるという印象である。特に千年の間繋がれるという悪魔を描いた作品には、ただ黒と黒と黒しか存在しない。悪魔の原初の姿であるという蛇(楽園でアダムとイブをだまくらかした)が闇に沈んでいるのみ。

出口に最も近い所にあった作品は黙示録を語るヨハネ自身の肖像である。その真摯なまなざしの先には、黙示録の終末的なヴィジョンを幻視しているはずだ。そしてデューラーの「メランコリア」の天使の視線があくまでも明るく「美」を見ていたのとは対照的に、それはひたすら内省的で沈鬱なのだった。

はたして、芸術においての近代とは、歴史の流れとは逆に闇と混迷へ向かうものだったのか--そんなことをヒシと感じた。


【関連リンク】
《ミューズの森、美術館そぞろ歩きノート》


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2010年12月 3日 (金)

「トン・コープマン チェンバロ リサイタル」:サンタの格好が似合いそうな

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会場:紀尾井ホール
2010年11月24日

前回来日時のコンサートではオルガンを聞いたコープマン--なので、今度はチェンバロを聞いてみた。

世界最速の男かどうかは定かではないが、少なくとも世界で二番目の地位は確実にキープしているのう(^^)/と思えるほどのダイナミックかつ細心な演奏だった。
曲が終わるとペコッペコッとぜんまい仕掛けの人形のようにおじぎするのは前回同様で、ちょっと笑っちゃう。子供の頃、似たような白いヒゲを生やしたおじーさんの人形(地下に住む妖精?)を持っていたのを突然に思い出してしまった。

プログラムはバッハを中心にブクステフーデ、フローベルガーという先輩筋と同時代のヘンデルを合わせて演奏する……はずだったのが、なぜかヘンデルはバッハと差し替えになってしまった。ヘンデル先生も聞いてみたかったなー。
アンコールはバッハと何故か突然にソレールをやった。

終演後のサイン会は長蛇の列だった。
ところであの底が曲がっているチェンバロは鈴木マチャアキ氏の愛器かしらん(^^?

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2010年12月 1日 (水)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 12月版

*4日(土)&5日(日)カヴァッリ「カリスト」
さて、どうなるでしょうか。
*11日(土)リコーダー・コンチェルトの夕べ(平尾リコーダー工房)
*23日(水)バロック音楽とダンスで楽しむクリスマス

それ以外にはこんなのも
*4日(土)アンサンブル・コルディエ
*10日(金)ラ・フォンテヴェルデのクリスマスコンサート
*12日(日)ヴィオラ・ダ・ガンバの世界
一日中、ガンバ漬け
*  〃  国際基督教大学クリスマス演奏会
行きたいけど……会場遠いです(-_-;)
*25日(土)広瀬奈緒×Ut/Fa
*26日(日)クリスマスのミサ

ブリュッヘンに続きヘレヴェヘの「ミサ曲ロ短調」も発売。どうすべえか……

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