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2010年12月 4日 (土)

「黙示録--デューラー/ルドン」:視線の先に在るもの

101204
会場:東京藝術大学大学美術館
2010年10月23日~12月5日

同じ上野でやってる「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」の関連企画でもある美術展。入場料と作品の数にしては、大いに見ごたえありfullと保証していいだろう。

聖書の流布が版画や印刷術の発達によるところが大きいというのは聞いていたが、「版画・素描展」でも福音書が何回も版画化され(さらには製本され)ているのが展示されていた。
こちらでは「黙示録」をテーマに絞っていて、最初に中世の写本やその後の時代の木版画を見ることができる。

古い時代のものはさすがに素朴としか言いようがないが、それがデューラーの作品で一変する。ダイナミズム溢れる構図、そして隅々にまで行き渡る明晰さ--文章で読むと判じ物のように訳ワカラン黙示録がここまで明確に描写され、版画作品として流通したとなれば当時のインパクトはかなりのものだったに違いない。やっぱり、デューラーは当時の最新メディア・アーティストだったわけだ。
チラシの表にも使われている「四人の騎士」はその疾走感に息を呑む。

その後に展示されているマイアーという画家によるやはり連作の黙示録、このシリーズが一番作品数が多かった。作者はデューラーより少し後の世代だが、これがまたデューラー作品の影響を受けている……というかそのまんまいただいている、というかパクッてるというのがありあり状態(^o^; しかし、迫力では全く及ばない。
デューラー作品だけでは黙示録全体をカバーできないので、こちらの方で実際の文章とそれに対応する場面の作品が並べて展示してあるという次第だ。

その後はいきなり近代の関連作品へ。
タイトルにも入っているルドンについては、チラシの文章には「デューラーからの影響の痕跡を見ることができる」とあるが、会場の作品解説には「直接の影響はない」とあったぞ。一体、どっちなんじゃい(?_?;

もはやデューラーのような明晰さは微塵もなく、ただ闇の中に静謐な死のイメージが佇んでいるという印象である。特に千年の間繋がれるという悪魔を描いた作品には、ただ黒と黒と黒しか存在しない。悪魔の原初の姿であるという蛇(楽園でアダムとイブをだまくらかした)が闇に沈んでいるのみ。

出口に最も近い所にあった作品は黙示録を語るヨハネ自身の肖像である。その真摯なまなざしの先には、黙示録の終末的なヴィジョンを幻視しているはずだ。そしてデューラーの「メランコリア」の天使の視線があくまでも明るく「美」を見ていたのとは対照的に、それはひたすら内省的で沈鬱なのだった。

はたして、芸術においての近代とは、歴史の流れとは逆に闇と混迷へ向かうものだったのか--そんなことをヒシと感じた。


【関連リンク】
《ミューズの森、美術館そぞろ歩きノート》


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