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2011年4月

2011年4月30日 (土)

「英国王のスピーチ」:王様もつらいよ

110430
監督:トム・フーパー
出演:コリン・ファース
イギリス・オーストラリア2010年

普段見ているブログで、最近ダントツで取り上げられてた数が多かった作品がこれだ。今季最大の話題作というところか。アカデミー賞ノミネート12部門中4部門獲得というのも大きかった。特に監督賞はD・フィンチャーに行くと予想されてたから大変だ~

話の基本は単純。公衆の前に出て儀式や会議などで演説しなければならない王室の一員なのに、子どもの頃から吃音に悩んでいたジョージ6世が妻と治療士の助けを受けて克服する過程を描く。
幼少時のトラウマのためか、障害はなかなか治らず、そのうちに兄のエドワード8世が「世紀の恋」で王冠を投げ出してしまい、望んでいないのに自分にお鉢が回ってくる。さあ、どうする。

主役のコリン・ファースは見ればオスカー獲得は充分納得だろう。障害のためにうまく話せないもどかしさや兄への微妙な反感、王になることへの戸惑いなど巧みに表現している。
片や、スピーチ矯正の専門家(自称)のオーストラリア人を演じるG・ラッシュはうさん臭さを垣間見せて、余裕の演技である。こちらは既に『シャイン』でオスカー取ってるから当然か(そう言えばこれも障害を持つ実在の人物の役でしたな)。
最近変なキャラクターばかり多かったH・ボナム・カーターが王妃役だが、こうして普通の(?)役をやらせるとうまい役者だと改めて感じた。

その他、デレク・ジャコビやマイケル・ガンボンなど脇もベテラン勢で固めている。
兄王役がやはりオーストラリア出身のガイ・ピアースなのには驚いたけど、どうやら実物に似ているので採用されたのか しかし、どう見てもG・ピアースの方が若く見えるのが難だ(実際に7歳年下)。

他の人の感想を読むと、役者の演技ばかり目立つ映画(最近よくある)という意見も多かった。確かにその感はある。
しかし実際には、国民には兄王が非常に人気があったとか、王位から降ろされたのは結婚問題だけでなく親ナチス派だったからだ--など色々な要素をすっぱり切り落として、王とオーストラリア人の怪しい治療士の友情に重点を置いた脚本もよく出来ていたのではないかと思える。
つまり、これは遠いイギリス階級社会の話ではなく、真面目で冴えない人間が友情とひたすらな努力によって報われるという、現在では極めてまれな美談なのであった。

そのせいか、公開からだいぶ経っているのに休日とはいえ映画館がほぼ満員御礼だったのには驚いた。ゴールデン・ウィークも続演とのこと。もっとも、他に大人が見る映画がないからだという説も……(^_^;)

それにしても、これは震災の前と後で見たのでは感想がかなり違ってくるのではないかと思った。
危機的状況において大衆を納得させる言葉や語り口を指導者は求められるが、日本にそういう人物がいるだろうか? もっとも、いたとしても中身がペテン師だったら困るわけだが

ところで、カメラが常に人物の顔を真ん中に据えないで、左右どちらかに片寄らせて撮っているのは何故? 最近の流行なのか。
前の列に座っている野郎がずっとケータイの画面を眺めているのに腹立った。どうしても光が目に入っちゃうのよ。後ろからどついてやろうかと思ったぞ(*`ε´*)ノ☆
そんなにケータイ眺めていたけりゃ、吹き替えか日本映画のアクションものでも行けっちゅーの


真面目なお人柄度:8点
史実に忠実度:採点不能

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2011年4月29日 (金)

始まったと知った時には終わっていた

朝日ニュースターの「ニュースの深層」でまたまた地上波(及び大手メディア)には出ない内容が放送されました。火曜日(4/26)の「福島原発事故対応で足りない事は?」で、「福島原発事故についての緊急建言」(←これ自体もほとんど報道されなかったもよう)を出した16人の専門家(元々は推進する側の立場だった)の一人である田中俊一(前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長)がゲストだった。

テーマのタイトルとは若干違って、半分以上は事故のこれまでの過程を検証したもの。後半が東電が発表した工程表を検討し、実際は最終的に収束させるのにどれぐらいの年月がかかるか予測というもの。
これからまだ再放送があるのと、多分動画サイトに上げられているはずなので興味のある人はご覧下せえ。

以下に内容を少し紹介します。ネットや雑誌などで細切れには知っていたが、やはり驚いたのは事故の過程です。(シロートの要約なので間違いあるかも)

*地震当日11日夜の段階で炉心(燃料棒)の溶融が始まりつつあった。

*11日に対策統合本部が作られていなければならなかったが、実際にできたのは16日だった(首相が東電に怒鳴り込んだという頃)。また原子力災害対策特別措置法というので対策本部が情報を一元化して統合しなければならないと決まっているのに、記者会見が一本化されたのはその1か月後、つい先日である。

*11日から13日にかけて事態は悪化、対策本部ができた時点では打つ手はもはやなかった。その間、政府は「問題ない」「安全だ」と繰り返していた。

*海水を注入すると廃炉になってしまうということで、ようやく12日の夜に注水されたが、燃料棒が溶けている段階で既に廃炉は決定的。海水云々は関係ない。

というわけで、こちらが「心配だー」などと言っていた頃には全てが終わっていたという訳であります。
で、雑誌「アエラ」が「放射能がくる」と表紙に大々的に乗せて顰蹙をかった時には、実際にきていた、と。
過去に嘘をついていたのだから、現在も本当のことを言っているか怪しまれても仕方ないということですかね。

不可解な言い換えについて
*「水素爆発」を「水蒸気爆発」と最初言っていたが、こんな用語はない。
*「炉心溶融」=「メルトダウン」である。官房長官は燃料がすべて溶けて落ちたらメルトダウンだと言い未だに認めていないが、こんなことは聞いたことがない。スリーマイル島の事故でメルトダウンが起こったが、後年に中を開けて調べると溶けていたのは半分だった。「全部溶けたら云々」というのは近くにいる「専門家」が誤ったことを教えているのではないか。


【関連リンク】
「地に落ちた安全神話」

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2011年4月24日 (日)

ある映画監督の死

年度初めで仕事が忙しくて、新聞を見るのも溜まってしまって後から遅れて眺めていたら、なんとドキュメンタリー映画『アルナの子どもたち』の監督が銃撃されて殺されたという記事が載っていて驚いた。

リンク先の感想を読んでもらうと分かるが、イスラエル人である監督の母親がパレスチナで青少年の演劇活動を行っていて、参加者の若者たちのその後の姿を取材したものである。

「芸術を通しての人間と社会の解放」を唱えたハミスさんの死は、パレスチナの行き詰まりの深刻さを示している。(朝日新聞「窓」欄)

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「ザ・ファイター」:あなたの家庭は鬼何匹?

110424
監督:デヴィッド・O・ラッセル
出演:マーク・ウォールバーグ
米国2010年

実在のボクサー兄弟の物語で、オスカーの助演女優&男優賞を獲得した作品。事前の下馬評で二人の受賞ほぼ確実とされていて、その通りになった。

主人公の一家は米国の白人下層いわゆるホワイト・トラッシュに属し、なんと9人きょうだいで、物語の中心となる兄・弟以外に7人もの姉妹がいる。スゴー(@_@;)
加えてさらにキョーレツな母親がいる。姑(ぢゃないけど)と小姑合わせて合計なんと鬼一万匹分のパワーが爆発だ~

で、才能があったのに刑務所を出入りしてチャンスを逃した兄と騒がしい女家族に包囲されて、地味な弟はボクサーとして期待されているが不満と不安を抱いているのであった……。
母・姉妹に劣らずしっかりモンのガールフレンドを見つけて転機を迎えるが、前途多難。やっぱり心細くて兄ちゃんの助言は欲しいよ~((+_+))
てな感じで、揺れるボクサー心はどこへ行くよ。

事前に母親役のメリッサ・レオと兄役のクリスチャン・ベイルの熱演はやり過ぎ--という評判を聞いていたが、確かにその感はある。しかしずっと見ていくうちに、そもそもモデルとなった人たちがこれぐらい「やり過ぎ」なキャラクターだったんではないかなと思うようになった。
ま、思い返せばこれほどキョーレツな人物は実際にいるわけで……。そばにいられたら非常に迷惑だが その通りに演じたら却ってウソ臭いと思われてしまうのもナンだかなあ。難しいところである。

ただ、そのようなキョーレツなキャラクターの「熱演」を捉えているカメラは常にシニカルな距離を保っているのが、他の実録ものとは違っている。いつも突き放して見ているという印象だ。この監督の作品は「スリー・キングス」しか見てないが、持ち味がそもそもそういう所にある人だったはず。
一方、ボクシングの試合の場面は迫力たっぷりは保証付き しかし、前にも書いたことがあるが、実際の試合というのはそんなに面白いのは少ないんだよねえ。テレビじゃなくてナマで見るとまた違うのかしらん。

結局、主人公は家族となんとかうまく折り合いをつけてやっていくという道を選択する。家族の良い所を得るには悪い所も我慢しなければならないという当然の理ではある。
主役のM・ウォールバーグは二人の役者の熱演に押されてしまっているように見えるが、それは実際の主人公の立場をそのまま表現したものなのだろう。


ボクシング点:8点
家族点:5点


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2011年4月20日 (水)

過ちは繰り返しますから

既に十数年前に現在の災厄を警告していた地震学者の石橋克彦の仏ル・モンド紙によるインタビューが紹介されている。

『「高リスクの原発を即停止すべき」石橋神戸大名誉教授インタビュー』

読んでいささか衝撃的だったのは以下の部分である。
「私にとって福島原発事故は1945年の敗戦のような歴史的な出来事です。日本人は危険性を過小評価しながら原子力に賭け、そして負けたのです。」

とすれば、今回の原発災害は偶発的といったものでなく、日本社会の構造が生み出したものだということになる。それは戦前も戦後も決して変わらなかったのだ。

従って、政府や東電が「大本営」であるのも、「自粛」などの言説が「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」と同一メンタリティなのもまた当然なのである。

だが「国破れて山河あり」というものの、その山河が汚染されたらねえ……

原子力の安全性は小学校の教材に載せられ授業で教えられているそうだが、またもや「墨塗り」をするのであろうか。

【関連リンク】
「原発震災 破滅を避けるために」

《現代ビジネス 経済の死角》より

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2011年4月17日 (日)

「トゥルー・グリット」:少女の夢は荒野に開く

110417
監督:ジョエル&イーサン・コーエン
出演:ジェフ・ブリッジス
米国2010年

なんだかどうも変な映画だな~と思いながら見ていた。
終盤でとなり、さらにエピローグの部分に至っては、そう来たのかー、ありゃオドロキよ(@_@;)となってしまった。

ジョン・ウェインがオスカーをようやく獲得した西部劇「勇気ある追跡」(見てない)のリメイク--というか、同じ原作を映画化ということでてっきり正統派西部劇かと思ってたらどうも違ったようである。

主人公の少女が異様にこましゃくれている。大人たちと対等に渡り合ったかと思うと、酔いどれの保安官を雇って父親を殺したならず者の追跡の旅に出る。
しかし、J・ブリッジスの保安官にしても同行するテキサス・レンジャー(マット・デイモン)にしても妙に人物描写の輪郭が曖昧である。なんだか紗の幕を通して眺めているようだ。
それから終わり近くで少女を保安官が運ぶ場面もなんか変。なんであんなギックリ腰になりそうなことするかなーと判然としない気分だった。
それに少女が悪人たちが捕まるという展開だと当然予想される「へっへっへっ(^Q^)可愛い娘っ子じゃねえか→落花狼藉、あわや貞操の危機」な定番の場面が出て来ないのも謎である。

しかし、《映画生活》の議論(ネタバレの方なので未見の人は見ないように)を読んでようやくその変な部分が分かったような気がした。フロイト風の性的暗喩や少女のロマンス願望として見れば、これは正しく男たちではなく少女が主人公の物語なのである。
だから、J・ブローリン扮する父親の仇も含めて男たちの描写が今一つ曖昧なのも納得だ。全ては彼女の願望の影に過ぎないのだ。

とすれば、保安官が彼女を運ぶ場面は、なるほど「お姫様抱っこ」に他ならないのである。少女の夢ですかね~(^_^;
それと「狩人の夜」からの引用があると指摘されているが、リリアン・ギッシュが子どもを運ぶ場面をなぞっているとも考えられる。
とはいえいくら変な映画だと言っても、「狩人の夜」のような怪作・奇作にして何十年も後に評価される傑作になるかどうかというと甚だアヤシイのであった。

さて、アカデミー賞で10部門ノミネートされて一つも獲得できなかったとして話題になったわけだが、敵が多過ぎたというか今イチ決め手に欠けたのか。
ヘイリー・スタインフェルドの助演女優賞(「主演」にしなかった経緯も色々あったようで)と、またも取れなかった撮影賞のロジャー・ディーキンスはご苦労さんですかね。
スタインフェルドについては、冷静で大人ぶった面に対しレンジャー男に懇願する場面では妙に色気があってドキドキしてしまった。ノミネートは伊達じゃないってことか。
ジェフ・ブリッジスは前年に貰ったからもういいじゃろう(^0_0^)


西部劇度:5点
怪しさ度:7点

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2011年4月16日 (土)

LFJ内容変更

110416
既にご存知の方も多いかと思いますが、今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭(東京)はプログラム全面変更、有料のものは全て払い戻しとなりました。
実質的にはほぼ中止と言っていいですかね。代替プログラムをやるそうですが、日本人アーティストが中心となるのでしょう。

それから5月(東京ほか)のロベルタ・マメリも来日中止のため、急きょ波多野睦美&つのだたかしに変更になりました(広島は完全中止)。

まあ、原発ホニャララ中の日本では妥当な判断かと……

一方で、フジロック・フェスなんかはチケット発売が粛々と続いている様子。ロック野郎どもは来日してくれるんかな。

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他所の知事の話だが

原発がホニャララしている最中だというのに、原発推進を公言した人が知事に再選されたのを「2011年東京都知事選挙。誰が誰に投票したのか調べてみた」で検証していますよ。

以前に、選挙で最も年代別&性別で最も投票率が高く、かつ極めて保守的であるというのが、70歳代以上の女性だと聞いたことがあるが、ここでもまたその通りだったようです。(この統計には性別は出ていないが)
驚くのは70歳代以上でイシハラに投票した人数が、20歳代の全投票数合わせたよりも多いということ。こりゃビックリ(!o!)であります。
やはり投票率が上がらないとどうしようもないですね。

ところで、白票を投じるのが意味があるというのと、意味がないという両方の意見があるけどどうなのかね。私は無効票だから無意味だと思ったんだけど……酒飲んでて友人と言い合いになってしまったのよ(*_*;

【追記】
「都知事選 石原氏当選もその裏に「白票系男子」」で白票についての話題が取り上げられています。
しかし、白票を多く投じたのが果たして若い世代なのか、そしてそもそも「男子」なのか--統計的な根拠はあるんでしょうか?

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2011年4月 9日 (土)

「サラエボ,希望の街角」:三つの音楽が流れる都市

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監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
出演:ズリンカ・ツヴィテシッチ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、オーストリア、ドイツ、クロアチア2010年

今の社会に生きる若い女性の苦悩を描いた作品である。
ヒロインはスッチーとして働くキャリア・ウーマン。しかし同棲中の恋人が勤務中に失態を演じて停職処分になった上に、怪しい宗教キャンプに行ってしまったきり戻ってこない。ようやく戻ってきたと思ったら、別人のように変わっていた--。
こういう話なら日本が舞台だとしても普通にありそうだ。

しかし、この映画の舞台はサラエボの街。十数年前の内戦から早くも復興を果たししつつある状態だ。ヒロインはイスラム教徒でかつて目の前で両親を殺され、生まれた土地から移住を余儀なくされた過去を持つ。
恋人は内戦時は兵士で、そのトラウマに悩む中で走ったのがイスラム原理主義なのだった。
生活のスタイルは完全に西欧と変わらないし、街なかにモスクはあるが、原理主義者となるとテロリストか日本なら新興宗教みたいな扱いである。同じ国の同じ信者であってもこんなに温度差があるのは意外であった。

愛する男が自分とは正反対の価値観を持ったと知った時どうするか。彼に従っていくか、それとも自分を貫くか……というのはどこの国・時代でもある意味、不変の悩みだろう。そんな女性映画的な部分には戸惑ったが(何せ普段あまり見ないジャンルなんで(^^;)、複雑な歴史や文化を背景に自己の再生を力強く誓う物語として重ね合わせて見ることもできるのだった。

同時に監督は、モダンな都市生活者でもなく厳格かつ旧弊な原理主義者でもなく、ヒロインの祖母が体現しているような素朴な信仰に生きる人々が本来の姿であるとみなしているようだ。もちろん祖母たちもイスラム教徒なのだが、どちらかというとスラブ民族的なメンタリティを多く持っているように思える。それは様々な宗教や思想がこの地で交錯するはるか以前から存在する原初的な精神なのである。

映画の中で三種類の音楽が流れる。一つは女友達のボーイフレンドのクラブでかかるラップ・ミュージックで、鬱屈した若者の心情が歌われる。
もう一つは原理主義者たちがキャンプなどで歌う素朴な信仰を表した歌。
そして祖母の家や町の祭りで流れるのは民族音楽っぽい哀愁と情熱が混ざったような曲。そのいずれもがそれぞれの人々内面を反映しているようだ。
特に、モスク内のコーランの朗誦(でいいのか?)は「音楽」じゃないかも知れんが、その美しさに驚いてしまった。

あと、関係ないけど女友達が頼りになるヤツで羨ましいぞっと(^J^)

というわけで、若い人(特に女性)が見るにふさわしいような内容だったのだが、何せやってる場所が岩波ホールだけにジジババ度高しで、残念よ。もっとも岩波ホールでなきゃこんな映画やってくれないだろうけど。


ところでタイトルの「サラエボ,希望の街角」の「,」は一体なんだ?「,」は(?_?)
日本語じゃねえぞ 責任者連れてこ~い(*`ε´*)ノ☆


女性度:7点
社会度:6点


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2011年4月 5日 (火)

地上波TVに飽きた方は【追記あり】

朝日ニュースターで2日の土曜日に放送された金子勝&中村うさぎの「ニュースにだまされるな」特集「原発事故は何故起きたのか」--まだ再放送があります。
ゲストは飯田哲也(環境エネルギー政策研究所)、伴 英幸(原子力資料情報室共同代表)、崎山比早子(元放射線医学総合研究所主任研究官)、石田英敬(東京大学情報学環教授)。

地上波見て、これを見て、また地上波を見れば、ちょうどバランスが取れていいのではないかと思われます(^_^;)
……というか、どこら辺が正しいのかというのはもう自己判断するしかないですね。それにしても不思議なのは、小さな子どもがいるわけでもないのにペットボトルの水を買いまくったオバサンたちが、恐らく選挙では原発推進を明言する候補に少なからず投票するだろうということです。

【追記】内容紹介

*被害:水素爆発は燃料棒が損傷していることを示す。汚水は原子炉の破損による。

*修理は何段階もの行程をクリアしなくてはならないが、損傷していて放射能が漏れていると「決死隊」の作業になってしまう。どこが壊れているか分からないので注水して漏れている場所が分からない→汚染が続く。

*「最善」のシナリオ:今の段階が持続し、水が漏れているのを修復する。

*「最悪」のシナリオ:注水が何らかの理由で失敗し、炉心が5時間ほど露出→燃料の全てが溶けて手の施しようがない→爆発して大量の放射能が出る。

*最善と最悪のどちらになるかは今の段階では予測がつかない。

*一年後も放水で注水しているわけにはいかない。「石棺」化するしかない。

*廃炉どころか、五十年後百年後に誰も近づけないような場所がどこまで広がるかという問題である。

*耐震基準が変わった時に津波についても入っていたが、対策はされてなかった。

*初動について:官邸、東電、安全保安院のどこが意思決定するか混乱した。安全保安院は昨日までTPPを担当してたような人がやっていて、当事者意識も能力もない。

*スピーディ(放射能予測システム)は十日後にようやく出てきたが、隠ぺい以前に存在を知らなかったのではないか。省庁再編でうやむやに。

*人体への影響:放射線は大量に浴びれば死亡、少量ならガンのリスクが高まる。少なければ安全ということではない。数値がこれ以下ならリスクがゼロという値はない。

*被爆するとそのリスクは積み重なっていく。消えるわけではない。このまま長引くとリスクが高まる。→避けるには逃げるしかない。

*長期化すると:水なら、水の基準値を上げるしかない。(他に摂取するものがないならば) 水質については一時的だが、土壌への影響は長く残る。住んでいるだけで影響を受け続ける。

*素人にはよく分からないので、専門家は危険を判断する基準を提供するのが役割。これまでの認められている学問的成果による基準を、この事故によって捨て去るのは科学者にとって自殺行為ではないか。

*将来は:10年かけて代替エネルギーを使用して、原子力発電を使わずに電力の供給を可能にできる。

*とりあえずは他の危険な地域(浜岡原発など)の発電所を耐震補強すべし。


その他、参考までに

無人飛行機からの福島原発の空中写真
http://photos.oregonlive.com/photo-essay/2011/03/fukushima_dai-ichi_aerials.html
http://cryptome.org/eyeball/daiichi-npp/daiichi-photos.htm

シロート眼にはこれで壊れてないのと思えるんですけど(+o+)

他でもリンクしている所が多いと思いますが
こちらからドイツ気象局の放射能予測が見られます。三つの画像のうち左端のが動画になります。
ご覧のように日本全域どころかお隣の国まで放射性物質が飛んでいます。もちろん、これは予測なのでこの通りになるかどうかは全く分かりません。しかし、放射能予報なんてSFの中だけのことかと思ってたら、よもや現実になるとは(~_~;)

日時によっては関東と九州も同じ濃度になっていますが、これは別に不思議なことではないようです。
かなり古い本ですが、『チェルノブイリの放射能』(岩波書店1986年)によると、チェルノブイリ原発の事故があった時は1200キロ離れたスウェーデンでも高い数値が観測されたとのこと。(というより、正しくはヨーロッパ各地で汚染があったので事故が発覚した)
当地をずっと取材してきた広河隆一が、原発から50キロの町で汚染されなかった所もあったのに250キロ離れた都市が被害にあったという話をしていました。
これは流出の状態(爆発なのか少しずつ漏れているのか)、風向き、地形、天候などによって全く不確定になってしまうためらしいです。従って、遠近に関係なく被害が生じるとのこと。
特に問題なのは雨が降って放射性物質が降下し、それが乾いた後に異常に汚染度が高い場所(これがいわゆるホットスポット)ができてしまうことで、ここで子どもが裸足で遊んだりすると危険だそうです。

私は完全トーシロなので、不安な方は図書館などで情報収集をなさるがよいかと思います。
まあ結論は各自それぞれ自衛するしかないということでしょうかね。自衛できればの話ですが……。

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2011年4月 4日 (月)

「語りと音楽~《大人のための》ガリバー旅行記」:花よりパンダ

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東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2011-
会場:東京文化会館小ホール
2011年4月2日

会場に入って驚いた。節電のために薄暗い客席はほぼ満員状態 しかもそのうちの95パーセントは中高年女性なのである。
な、なんだこれはとビックリ。私はよく分からないでチケットを買っていたのだが(←適当な性格です)、実はこりゃ正しくはコンサートではなかったのである。
NHKアナウンサーのOBたちが「ことばの杜」という団体を作っていて、名作の朗読に音楽を組み合わせるという催しだったのだ。道理で「アントレ」誌の公演予定リストに載っていなかったはずだ。
従って、会場のオバサンのほとんどはアナウンサーたちのファンのようだった。いや、正直こんなに人気があるとは知らず(^^ゞ

構成は「ガリバー旅行記」の中身を5人で交代で朗読し、その合間に場面に合わせてテレマンの「ガリバー組曲」が演奏されるというもの。
音楽の方は鈴木(息子)優人のチェンバロ・ソロと若松夏美&荒木優子のヴァイオリン・デュオで、後半の冒頭に「食卓の音楽」を演奏した時だけ福沢宏のガンバが入った。

古典名作の類は名前だけはよく知ってるが、中身は読んだことがないというのが多い。この「ガリバー旅行記」もご多分に漏れず……。小人国のエピソードぐらいは知ってるが、後半に日本を訪ねるというのは聞いたことがあるような無いような(^_^;)
また、発表当時はガリバーが実在の人物と思われていてノンフィクションとしてベストセラーになったとか、当時の英国社会をかなり過激に風刺していたとか、解説が色々とためになりましたです、ハイ。

最後にアナウンサーたちが全員出てきて(松平定知、久々に見たような)、こんな非常時にこんな能天気な内容の公演をしていいのかと散々迷ったが、あえて行なったという挨拶をした。
演奏家が引っ込む時には楽器の解説もあった。1700年代のオリジナル楽器を使用--などという話には会場が「おおっ」とどよめくのであった。

さて、久しぶりのナマ音を聴いて心からしみじみとしたものを感じた。特に若松・荒木ペアの演奏はしなやかで生き生きしていた。若松女史は寺神戸亮と組んだ時には今イチ精彩に欠けるような感じになってしまうのと大違いである。何故に(?_?)
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プログラムにチャリティ・コンサートのお知らせが挟まっていた。メータ指揮の第九は既に話題になっているが、なんと4月1日チケット発売でもう10日にやるのね……。人集まるのか?
それと9日には「室内楽マラソン・コンサート」もあるもよう。12時開演で16組ほどが出るようだ。古楽系では波多野睦美&つのだたかしの名前が入っている。


上野の人出はこの時期にしてはさすがに少なかった。もっとも動物園に向かう方に人の流れがあって、桜よりパンダ目当ての人が多かったのかも。


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2011年4月 3日 (日)

「ランナウェイズ」:ガールズ・バンドと呼ばれて

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監督:フローリア・シジスモンディ
出演:クリステン・スチュワート、ダコタ・ファニング
米国2010年

その昔から現在に至るまでずっとランナウェイズって色物バンドとばかり思い込んでいた。後にブレイクしたジョーン・ジェットがここのギタリストだったことも知らなかったし、スージー・クアトロ(懐かし)が女性ロッカーとして彼女たちの憧れの対象だったというのも意外だった。私はS・クアトロってロック・ヲタ男向けのアイドルだとばかり思っていたのだ。
失礼しましたっ<(_ _)>

というわけで、女性だけのロック・バンドとして初めてヒットを飛ばした(多分)ランナウェイズの実話もの映画である。
原作はリード・ヴォーカルのシェリー・カーリーの自伝で、プロデュースにジョーン・ジェットが入っている。従ってこの二人が中心に描かれていて、他のメンバーはかなり影が薄い。
そもそも剛腕(?)プロデューサーが女子バンドのフロントには、エロかわいい女の子が必要だ\(◎o◎)/!と思いつき、クラブでシェリーをスカウトしたのが始まり。歌が歌えるのかなんてのは後なのだった。
となると、元々スター志向のある彼女と「音楽がなければ死んでたか刑務所に行ってたかも」というジョーン他のメンバーとは根本的に立場が違うのである。
また、崩壊しかけているとはいえ彼女には戻れる家と家族があったのも大きな差だろう。(双子の姉妹が似てなさ過ぎなのは、実際そうだったから?)
こんな温度差が日本ツァーの時に爆発してしまうのであった。

きょうび下着姿で歌うなんぞ珍しくもないが、1976年ごろに嫁入り前の十代の娘っ子が下着で大股開きで挑発的な歌詞を歌うとは……ウギャー(>O<)である。さらに「なんだよ、それがウリかよ」とキワモノ感が強まるのも確か。逆風が想像できよう。
またガールズバンドとしても当時は「女なんかにロックができるか」のような言動がまかり通っていたことも描かれる。

全体的には「青春の栄光と挫折」とか「成功したミュージシャンが酒とドラッグまみれ」などという定番に収まってしまってる印象だ。当時の曲が色々流れるが、その割には熱いロック魂炸裂というものを感じさせてくれなかった。

シェリー役のダコタ・ファニングには「あの子役のダコたんが、こんなに成長して汚れ役を!」という驚きあり。これからも頑張って下せえ(^^)/
ただ、やはり子役として名をはせたテイタム・オニールが出ていたのにはビックリ。母親役だって。ラストのクレジットを見て知った。
クリステン・スチュワートはジョーンそっくり。歌も歌って芸達者なところを見せております。
しかし、役者としては年季が遥か上のプロデューサー役のマイケル・シャノンが目を引くようだ。変人だが金もうけには余念がないというヤツをうまく演じている。

それにしてもランナウェイズが実は日本での人気が突出していて、しかも女子ファンが多かったのというのも初めて知った。ガラス窓割れたのは実話?
映画館では観客はほんど若い人ばかりだったのだが、中にオバサンのグループがいて懐かしげに喋っていた。もしかして元ファンなのか。


渋谷で見たのだが、センター街の人出はいつもの半分ぐらい。休日の渋谷でこんなに人が少なかったのは初めてだ。


ロック度:6点
栄光と挫折度:7点


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2011年4月 2日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 4月版

中止が相次いでおります。レッド・プリーストの日本縦断ツァーも当然ながら取りやめになったようで。

*2日(土)語りと音楽~《大人のための》ガリバー旅行記
*28日(木)音楽の捧げもの~バロックの宮廷から(寺神戸、曽根ほか)

今月はこの二つのみとなりました。本当は東京・春・音楽祭の
*5日(火)ミュージアム・コンサート「レンブラント光の探求/闇の誘惑」
も行くはずでしたが、どうしても避けられない用事とぴったり重なってしまい(泣)


しかし、敢行するものもあり
*9日(土)&10日(日)鈴木(弟)秀美「バッハ無伴奏チェロ2Days」
松明堂だと一本のチェロがホール全体に共鳴するんでしょうなあ
*23日(土)「Love Songs2011 モンテヴェルディ歌謡ショウ」
タイトルがスゴイですね(^^)
*28日(木)ラ・フォンテヴェルデ
*30日(土)「ラ・リュミエール~ドイツ・バロックの栄光」
モザイク・Q、C・コワン公演は実施?

また、山梨の古楽フェス延期に伴い5月6日のアンサンブル・エスタンプ公演も中止のお知らせが……。

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2011年4月 1日 (金)

がんばらなくともよいぞ!ニッポン

またもこちら経由の情報。
一時期テレビのCMタイムを占拠していたACジャパンでありますが、その役員等のリストがこれ
しっかり各地の電力会社も入っております。こんな所のCMに挟まれてる番組で何か言うことは難しいと推測されます。
それに加えて、気軽に「がんばれ(@∀@)」とか言ってほしくないわけであります。そもそも誰のためにがんばれと言ってんのか、と。

そこであえて言いたい。

がんばり過ぎるな。
がんばらなくともよいぞ!ニッポン
チビチビ行くんだ。
適当にやっとけ、ニッポン


【注】エイプリル・フールネタではありません(^O^)

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