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2011年5月 3日 (火)

「J.S.バッハ 音楽の捧げもの」:安らぎもなく慰めもなく

110503
バロックの宮廷から
演奏:寺神戸亮、曽根麻矢子、菅きよみ、武澤秀平
会場:紀尾井ホール
2011年4月28日

久しぶりのコンサートでありますよ。
思えば、3月3日のドミニク・ヴィス以来。上野での「ガリバー」があったけど、あれは演奏が主ではなかったからなあ(゜-゜)

紀尾井ホールへ行ってみると、二階のバルコニー席も含めてほぼ埋まっていた。震災以来、バロック系の公演が少なかったからか、それとも美人過ぎるチェンバロ奏者曽根麻矢子効果か?

プログラムは宮廷で聞かれた音楽ということで、前半がF・クープランのコンセールとテレマンの「新パリ四重奏曲」から。典雅なクープランと溌剌としたテレマン。それぞれに、この四人のメンツならこれぐらいの出来は当然だろう--って言っちゃったら悪い?
いや、素晴らしいけど無難な線だなあという感が仄かに漂うのであった。

しかし!休憩を挟んで本命のバッハ「音楽の捧げもの」へ行くと全然違った。やはりバッハは予測不能ng 怖いねえ~。それともバッハには魔物が潜んでいる(←ちと大げさ?)というか。
寺神戸亮が主題(先日、鈴木(兄)雅昭が「不気味」と評した)をヴァイオリンで提示し、続いて曽根麻矢子が「三声のリチェルカーレ」を弾き、その後の「無限カノン」をヴァイオリンに菅きよみのトラヴェルソと武澤秀平のガンバ(曲によってはパルドシュ・ド・ヴィオールに持ち替えてた)が……と続いていく演奏は美しい緊張感に満ちたものだった。
特に曽根&寺神戸による「二声の全音で上昇するカノン」は硬質でゴリゴリした美しさで圧倒された。終わった時ホーッ(~o~;)と一息つきたくなったくらいよ。

その美は聴く者の感情移入を完全に阻むものだ。聴きながら、変な表現だがこんな例えが頭の中に浮かんでしまった。もし今、被災地で慰安コンサートをやるとしたら絶対に演奏しちゃいかん曲だな……と(-_-;) 下手したら石でも投げられるかも。

そこにあるのは慰めでもなく安らぎでもなく、ただ一人孤独の中に立ち尽くすような透徹さである。なんという音楽であろうか!

そしてその夜、確かにそんな音楽がステージ上に存在したのである。


振り返れば、「音楽の捧げもの」全曲ナマ演奏はかなり昔のクイケン・アンサンブル以来のような気がする。鍵盤がR・コーネンで確か寺神戸氏も入っていたような。
家に帰って「バッハの名曲名盤」の類の本をひっくり返してみたが、そのほとんどがクイケン・アンサンブルの1974年録音盤をトップに挙げているのだった(「番外」としてMAKもあったりするが)。
いくらなんでも未だに四十年近くも前の演奏ってことはあるまいsign02とは思うが、それだけにこの曲の捉え難さを示しているのかも知れない(録音自体もそれほど多くないみたいだし)。


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