「J.S.バッハ 音楽の捧げもの」:安らぎもなく慰めもなく
バロックの宮廷から
演奏:寺神戸亮、曽根麻矢子、菅きよみ、武澤秀平
会場:紀尾井ホール
2011年4月28日
久しぶりのコンサートでありますよ。
思えば、3月3日のドミニク・ヴィス以来。上野での「ガリバー」があったけど、あれは演奏が主ではなかったからなあ(゜-゜)
紀尾井ホールへ行ってみると、二階のバルコニー席も含めてほぼ埋まっていた。震災以来、バロック系の公演が少なかったからか、それとも美人過ぎるチェンバロ奏者曽根麻矢子効果か?
プログラムは宮廷で聞かれた音楽ということで、前半がF・クープランのコンセールとテレマンの「新パリ四重奏曲」から。典雅なクープランと溌剌としたテレマン。それぞれに、この四人のメンツならこれぐらいの出来は当然だろう--って言っちゃったら悪い?
いや、素晴らしいけど無難な線だなあという感が仄かに漂うのであった。
しかし!休憩を挟んで本命のバッハ「音楽の捧げもの」へ行くと全然違った。やはりバッハは予測不能 怖いねえ~。それともバッハには魔物が潜んでいる(←ちと大げさ?)というか。
寺神戸亮が主題(先日、鈴木(兄)雅昭が「不気味」と評した)をヴァイオリンで提示し、続いて曽根麻矢子が「三声のリチェルカーレ」を弾き、その後の「無限カノン」をヴァイオリンに菅きよみのトラヴェルソと武澤秀平のガンバ(曲によってはパルドシュ・ド・ヴィオールに持ち替えてた)が……と続いていく演奏は美しい緊張感に満ちたものだった。
特に曽根&寺神戸による「二声の全音で上昇するカノン」は硬質でゴリゴリした美しさで圧倒された。終わった時ホーッ(~o~;)と一息つきたくなったくらいよ。
その美は聴く者の感情移入を完全に阻むものだ。聴きながら、変な表現だがこんな例えが頭の中に浮かんでしまった。もし今、被災地で慰安コンサートをやるとしたら絶対に演奏しちゃいかん曲だな……と(-_-;) 下手したら石でも投げられるかも。
そこにあるのは慰めでもなく安らぎでもなく、ただ一人孤独の中に立ち尽くすような透徹さである。なんという音楽であろうか!
そしてその夜、確かにそんな音楽がステージ上に存在したのである。
振り返れば、「音楽の捧げもの」全曲ナマ演奏はかなり昔のクイケン・アンサンブル以来のような気がする。鍵盤がR・コーネンで確か寺神戸氏も入っていたような。
家に帰って「バッハの名曲名盤」の類の本をひっくり返してみたが、そのほとんどがクイケン・アンサンブルの1974年録音盤をトップに挙げているのだった(「番外」としてMAKもあったりするが)。
いくらなんでも未だに四十年近くも前の演奏ってことはあるまいとは思うが、それだけにこの曲の捉え難さを示しているのかも知れない(録音自体もそれほど多くないみたいだし)。
| 固定リンク | 0