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2011年7月

2011年7月31日 (日)

「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」:アートの沙汰も金次第

110731
監督:バンクシー
米国・イギリス2010年

いや~、こりゃ面白かった\(◎o◎)/!

町に出没しては壁などに描きまくるグラフィティ・アート。文字通り小学生の落書きに毛が生えた程度から芸術の域に達しているものまで様々である。
このドキュメンタリーはその方面では有名な覆面アーティストであるバンクシー自らが監督。なんとアカデミー賞にもノミネートされちゃったのだ。で、知られざるストリート・アートの世界を紹介してくれる作品だ……と、予告を見た時には思ったんだけどね。

米国在住のフランス人で撮影マニアの男(本職は古着屋経営)がひょんなことからストリート・アートの世界に関わり、その制作現場の一部始終を記録するようになる。公共の場とはいえ壁やシャッターという他者の所有物に絵を描くんだから、下手すりゃ逮捕である。男は撮影だけでなく、見張り役や制作のお手伝いまでやるようになっちゃう。

さて、その中でもバンクシーは美術館の展示室の壁へ勝手に自分の作品を飾ったり、公衆電話のボックスを路上でインスタレーションにしたり、さらにはパレスチナでイスラエルが作った「分離壁」に落書きする、といった過激なゲリラ的活動を行なっている。彼は男に撮りためた映像をまとめて映画作品にするように勧めたのであった。

ここで突如意外な展開が MBW(ミスター・ブレインウォッシュ)なる新人アーティストが出現したのである。
その人物自身は美術方面の心得が大してあるわけではないが、各種スタッフを集めて指示を出して大量のグラフィティ作品を制作(このやり方にはデミアン・ハーストが引き合いに出されている)。これまでの実績など皆無なのに、あの手この手で高い評価を得てしまうのだった。

全くもって一瞬先は闇だか光だか分かんない、魑魅魍魎の跋扈する美術界といえよう。あっけに取られちゃう。
そのような金と欲が支配する現代アートシーンを皮肉たっぷりに批判的に描いている。

だがちょ~っと待った 果たして、本当にMBWはここに描かれている通りの人物なのか? そして彼についてのバンクシーを含む他のアーティストの感慨は本当のことを述べているのか?
もしかして、これって美術界をおちょくった疑似ドキュメンタリーじゃないの(~o~;)
……などと思うと全てがアヤシイ

かように見る者をケムにまく、謎と風刺とバカバカしさに満ちた作品である。
美術ファンとドキュメンタリー好きは、見て損なしと保証しておこう。

それにしてもストリート・アートでもウォーホルの影響は大きいのだなと感心。やはり現代美術はデュシャン先生とウォーホルで決まり(*^^)vですか。


驚愕度:8点
おちょくり度:9点


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2011年7月30日 (土)

「テザ 慟哭の大地」:この地上に居場所なし

110730
監督:ハイレ・ゲリマ
出演:アーロン・アレフ
エチオピア・ドイツ・フランス2008年

一人の男の波乱に満ちた半生を描いた作品である。
エチオピアの貧しい農村に生まれ、恐らく成績優秀だったのだろう、ドイツに留学して医学を学ぶ。折しも1970年代初頭、周囲は変革を夢見る若者でいっぱいだ~
母国も絶対王政がクーデターによって倒されて社会主義政権へと変わり、主人公も国の発展に医学の道で寄与しようと帰国する。しかし、期待に反してそこは革命の名の下に暴力と抑圧が支配していたのであった……。
心身ともに傷ついた彼は数十年ぶりに故郷へ戻るが、そこもまた因習と旧弊な階級差別が相変わらず続いていた。

このように書くと社会派ドラマのように思えるが、実際には時制が入り乱れ過去と現在が錯綜して描かれている。特に冒頭あたりは、主人公は記憶喪失で精神錯乱状態なので、その心象風景はあたかもマジック・リアリズムのようなタッチだ(後半はかなり「普通」になるが)。

彼は西欧社会で人種差別を受け、自国の新体制下で異分子扱いされ、故郷では禁忌を犯すものとして攻撃される。どこにいようとも居場所はないのだ
だがアフリカの遠い国の話とはいえ、これは近代化途上の国ならどこにでもありうることだとも言える(日本なら、例えば夏目漱石を想起せよ)。
また、硬直した体制下での排除の論理はイデオロギーの如何にかかわらず、今でもいたるところに見られることだろう。旗の色と模様が違うだけだ。

故郷の村に「ムッソリーニ山」という山(丘?)があるのに驚いた。第二次大戦直前、独裁体制下イタリアが植民地化を謀ったのに対抗して戦争が起こり、毒ガスまで使われたというのだ。アフリカの陰に常に西欧あり、である。

前回見た「光のほうへ」とは何もかも正反対な物語であるが、主人公が社会のどこにも居場所がないこと、そして最後に次世代の子どもたちにかろうじて希望を託す点は同じであった。
しかし私の知る限り、今でも少なからぬ子どもたちの「辞書」の冒頭に「絶望」と「憎悪」の二文字が書かれているのである。


ただ少し長すぎ。後半はいつまで続くのか(*_*;なんて思っちゃったです。
一方で、様々の場面で流れるエチオピアの多様な音楽は、その波乱の歴史とは裏腹に文化の豊かさを裏付けるものである。「コードネーム:カルロス 戦慄のテロリスト」のエチオピアの場面にも出てきたが、酒場で歌われる曲が日本の演歌と全くソックリ同じなのに驚く!(^^)! 歌詞を日本語にしたら区別つかないぐらいだ。「エチオピアと日本は昔地続きだった」説があっても驚かねえぞっと。

某評論家が書いたこの映画の批評を読んだら違う国名が書かれていた。なんなんだ 日本が韓国や中国と間違われても文句は言えないわな……。


波乱万丈度:9点
簡潔度:4点


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2011年7月24日 (日)

「J.G.ゴルトベルクとドレスデンの音楽家たち」:熱演&熱鑑賞の夜

110724
演奏:アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア
会場:近江楽堂
2011年7月22日

日本の次世代アンサンブル四人組の演奏会。前回はチケット買ったけど、所用のため行けなかったんだよなあ……。

今回はバッハの作品名の中に名を留めて知れ渡っているものの、その本人の作品はあまり知られていないJ.G.ゴルトベルクを中心にドレスデンの宮廷で活躍した作曲家を取り上げている。
いつもの通り、チェンバロの渡邊孝の詳しい解説リーフレット付きだ。それによるとゴルトベルクは「バッハの弟子」ということになっているが、実際には本当に師事したのか不明だとのこと。そもそも自分の仕える伯爵のために「ゴルトベルク変奏曲」を弾いたかどうかも分からないらしい。

そんな彼のトリオソナタを全部で3曲演奏。バッハの作品と間違われていたというのに納得な曲もあれば、もっと新しい様式で才気みなぎる曲もある。29歳で亡くなったのは、まさに若いのに惜しい人を亡くしました(v_v)という感じか。

他には初期バロックのカルロ・ファリーナからヴィヴァルディ、そしてポルポラをやった。ポルポラはチェロに対し二台のヴァイオリンがユニゾンで応答というチェロ協奏曲風の作品。ここではもちろんチェロの懸田貴嗣が活躍した。
ヴィヴァルディは「ムガール大帝」(翌日、某来日グループが演奏したそうですな)より一つの楽章を演奏。これが短いがなんとも狂的な曲で、松永綾子がソロで弾きまくった。続いて「フォリア」来た来たキタ~ッ もう一人のヴァイオリン山口幸恵と共に激しい情念を再現したのであった。

さらに珍しいことに、肝心の「ゴルトベルク変奏曲」をやる代わりに「ゴルトベルク変奏曲のアリアの最初の8つの低音による14のカノン」という曲が演奏された。これはなんと1974年に発見されたもので、バッハ先生自身による「シロートでも10分でわかっちゃうゴルトベルク変奏曲」なのであった。
変奏曲の主題となるバスの音の最初の8つを使って様々なカノンの形が展開されていく。それが4人で和気あいあいと演奏されたのだった。

ある時は激しくぶつかり、またある時はピタリと息の合った4人のアンサンブルが楽しめたコンサートだった。
ただ、会場の空調が聞いてなかったのにはマイッタ(@_@;) 涼しい日だったので節電のためではなくて、風から弦を守るためなのか? ここの空調は温度調節が出来なくてオンかオフのどちらかしかできないと聞いてたとはいえ、だ。
最後のゴルトベルクのトリオソナタに至った時には、暑くてもう少しで気持ち悪くなるかと思った 弾いてる方も熱演だったが、聴いてる方も汗ダラ(~_~;;;;状態の命をかけた鑑賞であった。会場出ると客が「暑かったね~」って言ってるんだもん。

その客については身内&関係者が多かったもよう。
アンケート用紙を配っていながら、回収方法を考えてない状態がまたも……
次回は「モーツァルトとバッハ一族」ということで、守備範囲外なんでパスしそう。代わりに渡邊氏のフローベルガー&フレスコバルディに行こうかなっと


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2011年7月23日 (土)

バッハ・コレギウム・ジャパン第94回定期演奏会:女神さまに札を握って突進す

110723
世俗カンタータ全曲シリーズ1
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2011年7月14日

思えば前回の定期から1か月足らず。早ッ(+o+)という感じである。
教会カンタータ編も終盤に近づき世俗カンタータへ突入だ~
「世俗」となるとどうも今一つ作品自体の価値が低いような印象があるらしいが、それを覆すような演奏を目指すとのようである。

今回はバッハ先生がまだ若い頃の作品2つ。どちらも雇い主の領主の誕生祝いで、ヨイショな歌詞が満載だ~。また、後に他のカンタータに転用されたのも多く、どこかで聞いたぞ感が頻出だった。

前半のセレナータ「人と年をつくる時は」は、CTのダミアン・ギヨンとテノール櫻田亮(お久しぶりですかな)が「神の摂理」と「時」という抽象的なもんに扮してヨイショしまくるという内容。
4曲目の二人揃ってのアリアの背後に流れる細かい弦のフレーズ、そして6曲目のアルト・アリアでの執拗な通奏低音が耳に残った。
二人の歌に文句はなかったが、なんかギヨン氏は見てるとちょっと余裕無さげに思えた。単に気のせいか。

「狩のカンタータ」になると、ギヨン氏が合唱隊の方に引っ込み、ソプラノ二人と櫻田氏、バスのロデリック・ウィリアムズの4人が鮮やかに色を変えた衣装で登場。
冒頭のシンフォニア(「ブランデン」転用)には、またまた来た~~ッなマドゥフ(ありゃ名前が戻ってる(?_?)前回のは誤植か)組がコルノ・ダ・カッチャを演奏して、まさに「狩」の気分を盛り上げた。

こちらも内容的には女神ディアーナと恋人エンデュミオン、牧神パーンと女神パレスが賑やかに領主の誕生日を祝うというもの。
エンデュミオンが歌うテノール・アリアはなんと甘~いラヴソングではありませぬか。バッハ先生もこんな歌を書いていたとは隅に置けませんのう それを櫻田氏が甘々全開で歌えば、鈴木父子共演の二台のチェンバロが深く彩り支えるのであった。
ウィリアムズ氏は、7曲目のアリアで3本のオーボエ隊を向こうに回しつつ、いかにもパーンの威厳を見せ付けるような歌いっぷりだった。

パレス役のジョアン・ランは20周年記念公演に続いての登場。あの古楽ファンなら耳にこびりつくほど聞いている「朝のバロック」のテーマ曲にも使われたアリアを歌った。まさに豊穣にして牧歌的イメージたっぷりな歌声で、聞く者を幸せな気分にしてくれたですよ。もちろん、リコーダーの山岡&向江コンビの演奏も大いに貢献である。
というわけで、もう一人のソプラノ--代役で初お目見えのソフィ・ユンカーは他に比べて地味な印象で割を食ってしまったようだった。残念。

全体を通しては、やはり櫻田氏の活躍がピカピカと目立っていた。まだまだ躍進中という感じでこれからも楽しみです(^^)/

二曲とも客はーから拍手喝采ブラボーがさかんに飛んでいた。世俗曲なんでアンコールやってくれるかと思ったが無しだった。

その後、ホワイエに募金箱持って鈴木御大が現れたんで財布を取り出したが、ソプラノ二人も登場したため直ぐに方向転換 ジョアン・ランたんの持ってる箱に募金したのであった。
ホントは英語で「あなたの女神さま素敵だったですうO(≧▽≦*)Oキャー」と声かけたかったけど、全く英語に自信がないので募金だけにした(←単なるミーハーよ)。近くで拝見しても美しかったですわ

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中村とうよう続報

Togetter - 「中村とうようさん」

Togetter - 「中村とうよう(1932-2011)」

「大衆音楽の真実」

毀誉褒貶の大きな人物でしたな。
「こんなこと書くか~(ーー゛)ムカー」みたいな文章がよくあった。
どちらかというと--いや明らかに「毀」と「貶」の方が多かったのは確かである。
頑固オヤヂならば石にしがみついてでも長生きして、ずっと頑固でいるべきであろう。

原田芳雄、ぴあ……と続き、ロートルは去りゆく。これからは若いモンの時代ってことですよ
若い人は頑張って下せえ。(なぜか投げやりな口調)


ところでどうでもいい話だが、昔、福田一郎、湯川れい子と三角関係だったというのはホントか(@_@;)

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2011年7月21日 (木)

自殺……?

「中村とうようさん自殺か=音楽評論家、8階から飛び降り」

な、なんだって~~(>O<)
今月発売なったばかりの「ミュージック・マガジン」誌のコラムでは全くそんな気配もない。
ただ、ムサ美に自分のコレクションを寄贈(委託?)したっていうのが、身辺整理だったのか--なんて、思わなくもないが。

MM誌関連で言えば、今野雄二も……(~_~;)
これがサブカルチャーを背負ってきた人たちの結論の付け方かね

とにかくご冥福を祈るしかないですな

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2011年7月17日 (日)

「光のほうへ」:溺れ行く人々

110717
監督:トマス・ヴィンターベア
出演:ヤコブ・セーダーグレン、ペーター・プラウボー
デンマーク2010年

今年度のアカデミー賞外国語映画賞はデンマークの"In a Better World"が獲得した。そして、こちらはデンマーク国内で同じぐらいに評価が高かった作品らしい。(チラシもなんとなく似ている所がある)

二人の兄弟が、アル中の母親が育児放棄した赤ん坊を育てている。だが、なにぶんにも子どもゆえに赤ん坊を死なせてしまう。××年後、大人になった兄は暴力事件を起こしてム所帰りの酒浸り、弟は男手一つで幼い息子を育てているが、どうも挙動不審である。

母親の死をきっかけに二人は再会する。その前後を兄と弟それぞれの側から描く。
社会保障の進んだデンマークではム所帰りの失業者でも、立派な(日本の水準から見ても)シェルターに住めるらしいのに驚く。
戦乱もなく、疫病もなく、飢餓もなく--それにもかかわらず、いやそれだからこそか? ここに登場する人々のほとんどは幸福ではない。これは先進国共通の悩みなのだろうか。「最少不幸社会」とは実はこのことかなんて思ってしまう。

人の行きかう街路で男が一人ぶっ倒れているが、誰も気にかける者はいない(私もきっと無視して通り過ぎるだろう)。昔マイケル・ムーアが作ったTV番組で、サクラの行き倒れを幾つかの都市で倒れさせておいて、最初に助けようとする人が現れるのはどこかという競争を、同時中継でやったのを思い出した。あの時も先進国の大都市が舞台でしたな(^_^;)

幾つかの事件を経てもう一度兄弟は再会する。しかし、その場所は--極めて皮肉な顛末である。
それにしても他の人の指摘で気付いたけど、弟の方は名前が明らかにされない。なぜ

このように社会の過酷な真実を描いているが、作り手の視線は決して冷酷ではない。
また、映像による心理描写も丁寧だ。特に印象に残っているのは、人物の姿が闇の中に沈み片方の眼だけに光がかすかに反射している場面である。無言の中の苦しみが静かに伝わってくる。
子役(特に子ども時代の兄役)はうまいし、大人になってからの二人の役者も素晴らしい。
テレビには前向きに頑張る人が多く登場するけれど、ここにはそれがしたくてもできない人々が描かれている。これも映画の効用の一つだろう。

原題は「潜水艦」で、水面へ顔を出すことができない苦しさを表しているとのこと。それに対し、邦題は希望を感じさせるというので評判がいいみたいだ。しかし、私なんかこういう邦題だからこそ見る気が失せていたのだった(ひらがなが多いタイトルはどうもうさん臭くないか)。他の人の感想を読んで初めて興味を持った。こんなひねくれ者もいるのであ~る(~_~メ)


最少不幸点:8点
邦題点:5点

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2011年7月16日 (土)

「イタリアバロック音楽の変遷 17」:名も知らぬ作曲家を聴く

110716
演奏:太田光子&平井み帆
会場:近江楽堂
2011年7月10日

いつもチラシを見ては行こうと思いつつなかなか行けなかったこの連続企画、なんと今回で17回目なのであった。大体年2回のペースでやってるようなので、8年目か?
今回はCD発売記念ということで、収録作品を中心にまず17世紀の作品を選んだとのことである。

それにしても名前を聞いたこともない作曲が多いのにはビックリ ロニョーニ、レオナルダ、ベラルディ……(?_?)
合間に平井み帆によるフレスコバルディなどのチェンバロ・ソロ曲を挟むという趣向だ。

太田光子はいつものようにニッカリ笑顔(^^)で登場してアグレッシヴに吹きまくった。
レオナルダというのはなんと修道女の作曲家だとのことたが、曲調はメリハリのきいた劇的なものだった。またチーマの作品は地味であまり面白くないなーと思っていたが、実際に彼が活動していた古い教会で吹いてみて、その響きにすっかり魅了されてしまった--というような話を曲の合間にしてくれた。

息の合ったアンサンブルを聴くのは気持ちいい。心おきなく楽しめた2時間だった
ただいつも思うのだが、近江楽堂はリコーダーだと音が響き過ぎ。耳がキンキンしてしまう。チェンバロはちょうどいいのにね。


アートギャラリー入り口わきのアートショップで、リチャード・プリンスの作品集を見つけて休憩時間に見入ってしまった。高いから買わなかったが


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2011年7月10日 (日)

ラ・プティット・バンド:○発事故に負けずも湿気にゃ勝てぬ

Photo
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2011年7月2日

最近の古楽系の外人部隊コンサートとしては珍しくブログの感想が多かったので、既に色々読んでいる人もいるだろう。
東京だけでも3回やったせいか、それとも震災以降で珍しく中止にならなかったせいか。私はオペラシティの公演に行った。ブランデンブルク協奏曲が中心のプログラムだが、他の日は一曲だけ管弦楽組曲の2番をやるのを、この日だけ三重協奏曲だった。管弦楽組曲も聞きたかったなー。

節電効果か、例年だと上着をはおらなければならないぐらいの涼しさのオペラシティだが、この日は暑過ぎず涼し過ぎずちょうどいい心地よさ~(^^)~ ああ、被災地でまだ避難所暮らしの人や原発で作業している人に申し訳ないぐらい--と思っていると、早くも視界の片隅に眠気虫がチョロチョロと……(>O<)ギャーッ

まず、最も華やかなブランデンブルク2番には先日のBCJでもナチュラル・トランペットを吹いたマドゥーフ氏(また名前が違う七つの表記を持つ男かしらん)が登場。輝かしい音なれど、時折聞いててハラドキする場面あり。
不思議に思うのは当時、彼のような神業プレーヤーが何人もいたのだろうかということ。それとも、トランペットはずっこけても当然とみんな思って聞いてたのだろうか。

三重協奏曲ってどういう曲か(?_?)と思ってたらトリオ・ソナタなどを編曲したものだった。それまでスパッラを弾いていたシギスヴァルト・クイケンがヴァイオリン・ソロを担当(スパッラは赤津真言が弾いた)。
シギスのヴァイオリンは久しぶりに聞いた。それにしてもギコギコ音が前にも増して甚だしいなあ--なんて思って聞いているうちに、なんと弦がブチッと切れてしまったのである! 湿気がやたら多い天候だったからか。切れそうだったから余計にギコギコしていたのか。

客席と、ステージに残された他の奏者が手持ち無沙汰に待つこと数分。弦を張りなおしてシギスが現れて最初から再開だー。この曲は彼のヴァイオリンとバルトルドのトラヴェルソの渋い音を中心にして、その周りをまるで華麗で金色に輝く額縁のようにチェンバロが縁取っているのが特徴的だった。

鍵盤担当のパンジャマン・アラールはまだ二十代半ばの若さ(前回来日の時は23歳だった!)である。クイケン親爺たちの孫ぐらいの年齢差といったら大げさかね(^o^;)
チェンバロ弾きの最高の見せ所聞かせ所、ブランデン5番でも彼の本領は発揮された。この曲のソロ部分をこれでもか~と熱く弾きまくるのはコープマンあたりからだというが、パンジャマン君は見せ場もサラリと弾きこなし風にそよぐ柳のようにスマートなのであったよ。

弦中心の第3番は、ヴァイオリンに戸田薫&パウル・エレラ夫妻が入り、スパッラはシギス、赤津にスパッラの貴公子バディ様というトリオであった。
それぞれの演奏者の間を受け渡すように主題が流れていく、この曲の本領発揮の布陣だった。
娘のサラ・クイケンがヴィオラを弾くのをちょうど横から眺める位置の座席に座っていたのだが、猫背気味になって楽譜を覗き込んで弾く姿が親父のシギスにソックリなのに気付いた。横にいる母親のマルレーンはそんなことないのにね。こういうのは遺伝なんじゃろか?

それにしても、弦楽隊の方々は曲によってある時はヴィオラ、またある時はスパッラ、はたまたガンバと、取っかえひっかえ。バッハの時代もそんな感じだったろうなあ、なんて思っちゃいましたよ(^^♪

震災の影響でオーボエとヴァイオリニストが来日取りやめ。オーボエは尾崎温子がリリーフで登板だった(他の日は三宮氏だったらしい)。
それなのに、一番若くて古楽界の未来を背負って立つ天才チェンバリストを原発がホニャララ中の日本に来させてよろしかったんですかねえ( ̄ー ̄)ニヤニヤ
もちろんクイケン親爺たちなら平気だろういけどさ。


【関連リンク】
《otoshimono》
トランペットについて。やはり評価は割れるようで。


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2011年7月 9日 (土)

「能楽堂でバロックオペラ」:死者のすり足

110709
ペルゴレージ「リヴィエッタとトラッコロ」
シャルパンティエ「アクテオン」
企画・演出:伊香修吾
音楽監督:桐山健志
会場:セルリアンタワー能楽堂
2011年6月18・24・25・26日

渋谷に向かうと山手線が止まっている。それで湘南新宿ラインに乗ったら、どの改札で出るのか混乱(@_@;) セルリアンタワーではビルの入口がよく分からず、能楽堂への行き方も不明。分かりやすい看板でも出してくれ~
ようやく開演時間ギリギリにたどり着いたという次第。なもんで、事前に解説タイムがあったらしいが全く聞けなかった。

そして、汗をかきかき(~_~;)着席してからようやく、私は能・狂言をこれまで生で一度も見たことがないことに初めて思い至ったのであった……。
遠い外国の古典作品に親しみながら、自国の古典芸能には全く興味なし。どうか非国民と呼んでチョーダイ♪ヽ(^^ヽ)♪

「能・狂言のスタイルでバロックオペラを」とサブタイトルが付いたこの企画、まず最初に演じられたのは「狂言風オペラ」と銘打たれた「リヴィエッタとトラッコロ」である。
器楽演奏者は客席の一部をつぶして中央前方に位置し、チェンバロもそこに置いてある。編成はヴァイオリン3人、オーボエ1人、通奏低音はチェロとチェンバロだ。
さて、どうやるのかと思っていたら、驚いたことに衣装や所作は完全に狂言のまま演じながら歌手が歌っちゃうのであった。

兄をだました詐欺師をとっ捕まえようと男装して待ち構えるリヴィエッタにソプラノの臼木あい。衣装を着けて歌いながら動き回るのも大変だが、長時間正座してる場面もあって私だったら立ち上がれないわい(←自分を引き合いに出すな)なんて思ってしまった。
一方、女装して善人から金をふんだくろうと企むトラッコロは、善竹富太郎という人。バリトンかしらん、でも発声がオペラ歌手っぽくないよなあと思ってたら、なんと本職の狂言師であった(+o+) 音大のミュージカル学科で教えてるというからなるほど「歌う狂言師」なのね。

で、また男女の追いつ追われつの関係からバカップル誕生へと至るという、この軽~いコミカルな内容がまた狂言という形式にピッタリだったのには感心した。

30分の休憩を挟んで、後半は成立年代を半世紀遡る「アクテオン」であった。
内容はギリシア神話の一エピソード、ジュピターがエウロペと浮気していると知った妻ジュノーが、その血を引く若者アクテオンに復讐して恨みをはらすという物語だ。
祖父の妹の不倫のとばっちりを受けて、王子は狩の最中にうっかり女神ディアナが水浴びしている所を目撃してしまい、姿を鹿に変えられて自らの猟犬たちに食い殺される。(一部始終を舞台の一角でジュノーは眺めている)

ここでは、4人の歌手たちは紋付袴姿で脇(地謡座という場所らしい)で座ったまま歌い、舞台に出てくることはない(出入りも切戸口という小さな戸口から)。中心となる演者3人は面をつけ、狩猟仲間や猟犬を子方(子役)がやるという、音楽と演技の完全分離である。
しかし、これも歌手にとっては大変だったかも。演奏会方式でやるのとはわけが違う。全く身振りなどの一切の身体表現が封じられた状態なのだから。声一つが全て、ゴマカシはきかないのであるよ。
とはいえ、野々下由香里、波多野睦美、上杉清仁、根岸一郎という顔ぶれであるゆえ、そんな心配は無用だろう。

シャルパンティエの歌や器楽は流麗で饒舌だが、一方で演者の動きは極めて抑制されたものである。
鹿に変えられた嘆きが切々と歌われるのを背景に、面を付け替え角をはやしてアクテオンは再登場し、水面に映った自らの姿をじっと注視する。
互いに融和するのではなく、異なった立場からそれぞれ一切退くことなく対峙するガチンコ勝負のようであった。その間に生ずる激しい異化と同化
一回だけ能管が登場して演奏する場面でもそれは同じだった。互いのスタイルを全く崩すことなく、そのままに弦やチェンバロと「共演」していたのである。

最後に器楽が終章を演奏し終わると、会場は「無音」となった。「沈黙」ではなくまさしく「無音」というのがふさわしい。その中を死者となったアクテオンが退場していく--。

もっとも……私はどうも一番大切なところを見逃してしまったようだ。なぜかというと、前半の狂言でもそうだったのだが、舞台上で演者が重要な演技をする立ち位置があるようなのだが、私の座っている席からだとちょうど柱の陰になって見えなかったのである。これについてはガックリだー(+o+)
ただし、楽器奏者からはこれまでに体験したことがないほどに近い位置。思わず、後ろから楽譜覗き込んで歌っちゃったりして(迷惑なヤツ^^;)

歌手は特に女性陣が力演。紋付袴で髪を後ろに束ねていると、野々下さんなんかタダでさえ細っこいから、遠目にはりりしい少年のように見えましたのよ(*^o^*)ポッ
彼女には本領発揮のおフランスものゆえ、清廉にして厳格なディアナをキリリと好演。一方、ジュノーというのはいくら亭主が浮気したからって、大して関係もない若者にまで八つ当たりをするのはどうも大人げないと思ってしまうのが普通だろう。しかし、波多野さんがドトーのような怒りと憎悪をもって歌えば、女神としての矜持を傷つけられたゆえと大いに納得し、思わず「キャーお許し下せえ」とひれ伏してしまうのであった。


日本の古典芸能とバロック音楽のコラボというのは、数は多くないがこれまでも幾つかあって、ほとんどは和洋折衷の妥協の産物というか、「とりあえずやってみました」感が大きくて、今回もそれほど期待していたわけではなかった。
がしかし、その予想を大きく裏切るものであったといえよう。どちらかがバランスを崩せば相手の表現スタイルの本来持つパワーに吸収されてしまう--正しくガチンコ対決だったのである。

ああそれなのに(@_@;)私の見た回は客席が六分ぐらいの入りだったのは残念であ~る(満席だった回もあったらしいが)。
でも「オペラ@能楽堂シリーズVol.1」となっているからには、また次があると考えてよろしいんすよね。期待してまーす(^_^)/~


【関連リンク】
《くまった日記》
桐山さんのブログより。会場はこんな感じでしたな。


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サウンドデモより選挙か

「「感動的演説」のもと脱原発法案が可決したドイツで、「日本の高円寺デモは政治的圧力にならない」とクールに切り捨てられた理由」より

「しかし、日本のこのデモは政治的圧力になり得ない。なぜなら、この若者の大半は選挙に行かないからだ」

ドイツ人キビシイすね。
まあ、今の政治に不満があるならとにかく選挙に行って、「再選確実」のようなパターンの時もとにかく他の候補に投票するのが肝心(^^)b 支持率減らすだけでも意味があるそうな。
 なお、白票はカウントされないので止めるべしである。

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2011年7月 3日 (日)

「テンペスト」:乙女ヴァージョン

110703
監督:ジュリー・テイモア
出演:ヘレン・ミレン
米国2010年

「テンペスト」はシェイクスピアの作品中でも、比較的上演に当たり外れが少ないものだろう。芝居でも映画でも見て「詰まんない」と思ったことはない。祝祭的で様々なアレンジが可能でいかようにも料理ができる。これが「ハムレット」あたりだと主人公が何考えてるかよく分からんし、そもそも長いし……と、高名な割に満足できたためしがない。

今回の映画化では主人公のミラノ大公プロスペローをヘレン・ミレンがプロスペラとして演じるという趣向である。
なるほど(ポンと手を打つ)H・ミレンの女魔法使い、こりゃ怖そう(>y<;) さぞ島に流れ着いた男どもを手荒く翻弄してくれるんだろうな。娘ミランダとの関係も面白そうだ。
それに、監督は「ライオンキング」の演出で一躍名を挙げたジュリー・テイモアじゃござんせんか。
期待は高まりますぞ~(*^^)v

かつて弟の策略によりミラノ大公の地位を奪われ、幼い娘と共に島流しにされたプロスペラ、憎き仇たちが船で通りかかったのを好機に難破させて島へおびき寄せる。
孤島の中をさまよううちに、彼らは一人また一人と姿を消していき--そして最後には誰もいなくなった
おっと(~o~)こりゃ違う話だ!

プロスペラがまず取りかかったのは、娘のムコ候補であるナポリ王の息子を厳しくチェック。薪運ばせて根性試しだ~。
この王子様がまた大昔の少女マンガみたいに、花と星とさらにネギと鍋をしょった軟弱な二枚目として流れ着く。おまけに歌まで歌っちゃうO(≧▽≦*)Oキャーッ 乙女心をくすりぐますわ

ヒロインは歳くったとはいえ、妖精のエアリエルや怪物キャリバンからまだ「女」として思いを寄せられる立派な「現役」であることが示されつつ、大公の地位を取り戻し、娘に理想のムコをあてがい復帰するというメデタシメデタシな大円団に至るのであった。
女として母としてこれ以上の満足はあるまい。

彼女以外のキャストも豪華 ナポリ王はデヴィッド・ストラザーン、その弟はアラン・カミング、宿敵である自らの弟にはクリス・クーパー。お笑い担当はアルフレッド・モリナと若手ラッセル・ブランド。妖精&怪物はベン・ウィショーとジャイモン・フンスー--と渋いところから若いモンまで各種網羅しております。
道化役のラッセル・ブランドはどう見てもいかれたフーテン(死語)のあんちゃんにしか思えないが(衣装もそんな感じだ)。

しかし、ここがシェイクスピア作品の映画化の難しさ。名優や個性的な役者を取り揃えても面白くなるわけではないのだ。
さらに決定的なのは映像にマジックがないこと。ハワイでロケしたそうで、荒涼とした岩だらけの大地や奥深い森などが登場するが、魔法に満ちあふれているはずのプロスペラの島が描けていない。
なんだか現実の風景の中で、ああ役者さんたちが演技しているなーという印象しか湧いてこない。一方、エリアル出没のCG使いまくりにも違和感あり。

女としての予定調和のうちに終わるこのヴァージョンは、正直なところかなり期待外れだったと言えよう。
ただ、音楽はよかった。ラストのプロスペラの独白はエンドクレジットと共に、往年の4ADサウンドを彷彿とさせる曲調で歌われる。思わず聞き入ってしまう。その背景の映像こそが最も幻想的イメージに満ちあふれていたのであった。

というわけで、今のところ「テンペスト」映画化ベストは『禁断の惑星』ということでよろしいかな。あとD・ジャーマン版も××年ぶりに見直してみよう。


魔術度:5点
豪華キャスティング度:8点

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2011年7月 2日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 7月版

あっという間に7月、そしてドトーのような暑さと湿気が……。古楽向きでは全くない季節が到来いたしました。

*10日(日)イタリアへの夢(太田光子&平井み帆)
*22日(金)ゴルトベルクとドレスデンの音楽家達(アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア)

この他にはこんなのも
*9日(土)ポッペアひとりでできるかな
*14日(木)ハンブルクの風景
*18日(月)ヴォーカル・アンサンブル・カペラ
*23日(土)パリ四重奏曲全曲演奏会
昼と夜で全曲貫徹です。

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