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2011年7月30日 (土)

「テザ 慟哭の大地」:この地上に居場所なし

110730
監督:ハイレ・ゲリマ
出演:アーロン・アレフ
エチオピア・ドイツ・フランス2008年

一人の男の波乱に満ちた半生を描いた作品である。
エチオピアの貧しい農村に生まれ、恐らく成績優秀だったのだろう、ドイツに留学して医学を学ぶ。折しも1970年代初頭、周囲は変革を夢見る若者でいっぱいだ~punch
母国も絶対王政がクーデターによって倒されて社会主義政権へと変わり、主人公も国の発展に医学の道で寄与しようと帰国する。しかし、期待に反してそこは革命の名の下に暴力と抑圧が支配していたのであった……。
心身ともに傷ついた彼は数十年ぶりに故郷へ戻るが、そこもまた因習と旧弊な階級差別が相変わらず続いていた。

このように書くと社会派ドラマのように思えるが、実際には時制が入り乱れ過去と現在が錯綜して描かれている。特に冒頭あたりは、主人公は記憶喪失で精神錯乱状態なので、その心象風景はあたかもマジック・リアリズムのようなタッチだ(後半はかなり「普通」になるが)。

彼は西欧社会で人種差別を受け、自国の新体制下で異分子扱いされ、故郷では禁忌を犯すものとして攻撃される。どこにいようとも居場所はないのだsign01
だがアフリカの遠い国の話とはいえ、これは近代化途上の国ならどこにでもありうることだとも言える(日本なら、例えば夏目漱石を想起せよ)。
また、硬直した体制下での排除の論理はイデオロギーの如何にかかわらず、今でもいたるところに見られることだろう。旗の色と模様が違うだけだ。

故郷の村に「ムッソリーニ山」という山(丘?)があるのに驚いた。第二次大戦直前、独裁体制下イタリアが植民地化を謀ったのに対抗して戦争が起こり、毒ガスまで使われたというのだ。アフリカの陰に常に西欧あり、である。

前回見た「光のほうへ」とは何もかも正反対な物語であるが、主人公が社会のどこにも居場所がないこと、そして最後に次世代の子どもたちにかろうじて希望を託す点は同じであった。
しかし私の知る限り、今でも少なからぬ子どもたちの「辞書」の冒頭に「絶望」と「憎悪」の二文字が書かれているのである。


ただ少し長すぎ。後半はいつまで続くのか(*_*;なんて思っちゃったです。
一方で、様々の場面で流れるエチオピアの多様な音楽は、その波乱の歴史とは裏腹に文化の豊かさを裏付けるものである。「コードネーム:カルロス 戦慄のテロリスト」のエチオピアの場面にも出てきたが、酒場で歌われる曲が日本の演歌と全くソックリ同じなのに驚く!(^^)! 歌詞を日本語にしたら区別つかないぐらいだ。「エチオピアと日本は昔地続きだった」説があっても驚かねえぞsweat01っと。

某評論家が書いたこの映画の批評を読んだら違う国名が書かれていた。なんなんだannoy 日本が韓国や中国と間違われても文句は言えないわな……。


波乱万丈度:9点
簡潔度:4点


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