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2011年7月10日 (日)

ラ・プティット・バンド:○発事故に負けずも湿気にゃ勝てぬ

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会場:東京オペラシティ コンサートホール
2011年7月2日

最近の古楽系の外人部隊コンサートとしては珍しくブログの感想が多かったので、既に色々読んでいる人もいるだろう。
東京だけでも3回やったせいか、それとも震災以降で珍しく中止にならなかったせいか。私はオペラシティの公演に行った。ブランデンブルク協奏曲が中心のプログラムだが、他の日は一曲だけ管弦楽組曲の2番をやるのを、この日だけ三重協奏曲だった。管弦楽組曲も聞きたかったなー。

節電効果か、例年だと上着をはおらなければならないぐらいの涼しさのオペラシティだが、この日は暑過ぎず涼し過ぎずちょうどいい心地よさ~(^^)~ ああ、被災地でまだ避難所暮らしの人や原発で作業している人に申し訳ないぐらい--と思っていると、早くも視界の片隅に眠気虫がチョロチョロと……(>O<)ギャーッ

まず、最も華やかなブランデンブルク2番には先日のBCJでもナチュラル・トランペットを吹いたマドゥーフ氏(また名前が違う七つの表記を持つ男かしらん)が登場。輝かしい音なれど、時折聞いててハラドキする場面あり。
不思議に思うのは当時、彼のような神業プレーヤーが何人もいたのだろうかということ。それとも、トランペットはずっこけても当然とみんな思って聞いてたのだろうか。

三重協奏曲ってどういう曲か(?_?)と思ってたらトリオ・ソナタなどを編曲したものだった。それまでスパッラを弾いていたシギスヴァルト・クイケンがヴァイオリン・ソロを担当(スパッラは赤津真言が弾いた)。
シギスのヴァイオリンは久しぶりに聞いた。それにしてもギコギコ音が前にも増して甚だしいなあ--なんて思って聞いているうちに、なんと弦がブチッと切れてしまったのである! 湿気がやたら多い天候だったからか。切れそうだったから余計にギコギコしていたのか。

客席と、ステージに残された他の奏者が手持ち無沙汰に待つこと数分。弦を張りなおしてシギスが現れて最初から再開だー。この曲は彼のヴァイオリンとバルトルドのトラヴェルソの渋い音を中心にして、その周りをまるで華麗で金色に輝く額縁のようにチェンバロが縁取っているのが特徴的だった。

鍵盤担当のパンジャマン・アラールはまだ二十代半ばの若さ(前回来日の時は23歳だった!)である。クイケン親爺たちの孫ぐらいの年齢差といったら大げさかね(^o^;)
チェンバロ弾きの最高の見せ所聞かせ所、ブランデン5番でも彼の本領は発揮された。この曲のソロ部分をこれでもか~と熱く弾きまくるのはコープマンあたりからだというが、パンジャマン君は見せ場もサラリと弾きこなし風にそよぐ柳のようにスマートなのであったよ。

弦中心の第3番は、ヴァイオリンに戸田薫&パウル・エレラ夫妻が入り、スパッラはシギス、赤津にスパッラの貴公子バディ様というトリオであった。
それぞれの演奏者の間を受け渡すように主題が流れていく、この曲の本領発揮の布陣だった。
娘のサラ・クイケンがヴィオラを弾くのをちょうど横から眺める位置の座席に座っていたのだが、猫背気味になって楽譜を覗き込んで弾く姿が親父のシギスにソックリなのに気付いた。横にいる母親のマルレーンはそんなことないのにね。こういうのは遺伝なんじゃろか?

それにしても、弦楽隊の方々は曲によってある時はヴィオラ、またある時はスパッラ、はたまたガンバと、取っかえひっかえ。バッハの時代もそんな感じだったろうなあ、なんて思っちゃいましたよ(^^♪

震災の影響でオーボエとヴァイオリニストが来日取りやめ。オーボエは尾崎温子がリリーフで登板だった(他の日は三宮氏だったらしい)。
それなのに、一番若くて古楽界の未来を背負って立つ天才チェンバリストを原発がホニャララ中の日本に来させてよろしかったんですかねえ( ̄ー ̄)ニヤニヤ
もちろんクイケン親爺たちなら平気だろういけどさ。


【関連リンク】
《otoshimono》
トランペットについて。やはり評価は割れるようで。


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