「男の絆--明治の学生からボーイズ・ラブまで」
読む前の印象では、近代文芸の批評書かしらん、なんて思いつつ読み始めてみた。がしかし、冒頭から早くも衝撃の記述が(☆o◎;)
日本は西欧社会に比べて同性愛に寛容--というのはよく言われてきたことである。
実は明治はじめの日本には、男性同士のセックスを罰するための法令があったのです。(中略)通称「鶏姦規定」と呼ばれています。
な、なんだって~~
そんなこと聞いたことないぞー(>y<;)
早速、脳内メモ帳に記録しておかなければ……( ..)φメモメモ
衝撃さめやらぬまま読み進めると、禁じられたということは、それすなわち実際に「事象」があったということである。いわゆる「男色」は江戸時代からの流れで明治期前半あたりまでは硬派男子学生の間ではもてはやされていたというのだ。
しかし、その後女学生の出現、精神的「恋愛」観の賛美、さらに「恋愛→結婚→家庭」という幸福イメージが一般に作られ、「男は仕事・女は家事」の性別役割分業による「近代家族」が成立する。
その背後で、「男色」は男子学生の裏街道へと追いやられ、プラトニックな「男の友情」が強調されるようになる。(旧制高校の寮歌に「友情」がどれほどの頻度で出てくるかの比較が面白い)
性別役割分業観の下では「公的世界を担う男性たちによって取り結ばれるものであるがゆえに、男女間の恋愛や女性同士の関係よりも尊いとされるのです」ということだ。これが「男の絆」の本性なのだ--。
ということで、本書はセジウィックの「男同士の絆」概念を日本近代史に当てはめて見たものである。それこそ時代劇でもネタとして扱われそうな「男の絆」が、実は近代社会形成のために生み出された屋台骨だった、というのは目ウロコであった。同時にそれは同性愛が周縁に追いやられていく過程でもある。
ついでに言えば、「家庭の団欒」とか「幸福な家族」というイメージも同時期に作られたらしい。これまた時代劇のウソ発覚か(@∀@)
扱ってる対象がエリート学生層に片寄っていて、一般庶民レベルではどうだったのかという問題はあるけど、明治以降の男女観・家庭像の変遷が明快に描かれていて面白かった。さらには現代のフ女子がなぜBL小説を読むのかについてまで言及してくれている。
文章も読みやすかったのもポイント増
装丁はミルキィ・イソベなのね
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