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2012年1月

2012年1月29日 (日)

「ルルドの泉で」:奇跡を得るのはラクダが針の穴を通るのより難しい

120129
監督:ジェシカ・ハウスナー
出演:シルヴィー・テステュー
オーストリア・フランス・ドイツ2009年

聖母マリアが出現したルルドへの巡礼の話というと、「サン・ジャックへの道」みたいな悲喜こもごもの人情話が思い浮かぶ。そのままだったらパスするところだけど、予告を見ると奇跡をめぐって人々にトラブルが起こるシリアスな話のようだった。
しかし、実際に見てみるとそのどちらでもなかったのである……。

ルルドの泉の水には重病でも癒す力があると信じられていて、多くの人が訪れるという。ツァーが組まれて、健康な人も病人もお参りする--あまりにも大勢がお参りするので、そこはまるで巨大なテーマパークみたいだ\(~o~)/ スピーカーから「アベ・マリア」の曲が流れ、人々はぞろぞろと行列して順番待ち。これにはちょっと驚いた。

ヒロインは難病で手足が動かない。ツァーに参加したのは病気の治癒よりも観光の方が主な目的だ。サポートする修道会のメンバーは若い男女がほとんどで、スキー行くよりボランティアやってみっか(*^^)vみたいな気分で来ているのが語られる。

ところがツァーが進むうちに、な、なんとヒロインの身に奇跡が起こったのだ
一同大喜び……かと思えば、そういうわけではない。「大して信仰深くなさそうなのに、なんで彼女に?」とか「あの母子なんて毎年お参りしてるのにねえ」などと妬み嫉み噴出するし、ボランティアのリーダーは「奇跡なんてないよ」的に最初からさめている。

さらに教会の「奇跡」の認定制度も不可解。確かにやたらと奇跡を名乗られても困るが、一体科学的に定義できるのか? 早い話が、今ここにイエスさんが出現して死人を蘇らせたとしても「明日、またポックリ行ってしまうかも知れないので奇跡かどうかはとりあえず保留」なんてことになりかねない。

取り上げる題材は非常に宗教的だが、映画自体は「宗教」に辛辣である。
信者が同行する神父に問いを投げかけても、彼は「神はあまりにも自由なので、人間にその意図をはかることはできず」……って、そんなの誰にでも言えるわい
きらびやかな典礼を行いそそくさと通り過ぎていく司祭、聖母マリアの土産物が並ぶホテル、おごそかだけどパターン化された「泉」の儀式など。
監督が描きたかったのは「奇跡」ではなく、奇跡の前で蝋燭の灯のように揺らぐ人間の心のあり様なのだろう。

女性監督だけあって、登場する女たちの描写も細かい。常に辛辣な意見を述べるオバサン二人組(ただし、微妙に性格は異なる)、厳格な女性ボランティアのリーダー(なぜか不可解な行動をとる)、ヒロイン担当のボランティア娘は気力体力若さではちきれそうだし(口を開けるとどこかへ飛んで行ってしまう風船みたい)、影のような同室の老婦人(彼女の存在は何かの寓意なのか?)といった具合。

もっとも、作品全体は決して饒舌ではなくセリフは思ったより少なかった。特にヒロインが前半あまり喋らないのは意外。その背後には透徹した描写があって、淡々と突き放したタッチである。
監督はミヒャエル・ハネケのスタッフだったそうで、確かに似ているがハネケ作品ほどそっけなくもないし冷酷でもない。

どのようにこの話を収めるのかと思って見てたら、その結末には意表を突かれた。そこには人生のある一瞬--人が全てをあきらめ、その運命を受け入れざるを得なくなる、そんな瞬間が見事に描かれていたのである。
映画館から坂をトボトボと下って渋谷駅に着いた頃に、涙がボヤ~ンとにじみ出てきた。そういう結末だ。


どんなに出来がよくても、見た人の感想がすべて同じになってしまう映画だと、他人の感想を読む意欲はあまりわかないもんである。しかし、この映画についてはみんな意見がバラバラだ。ラストシーンについても、私と正反対の解釈をしている人がいて驚く。
確かに結末も含めて何一つ明確なことはハッキリ述べられていないけど……見た人の意見がこうまで違うというのもなかなか珍しい。それだけに、作中の様々な描写が「あれはどうだったのか」と気になってくる。

チラシを見るとなんだか女性映画みたいだし、ネットではサスペンス映画みたいな宣伝をしていた。だが実際にはそのいずれでもないし、一言でジャンル分けもできない。配給元は宣伝が難しくて悩んだ様子がありありだ。ご苦労さんです。


世俗度:10点
神聖度:5点


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2012年1月28日 (土)

「スモールタウン マーダー ソングズ」:小さな町の大いなる神

監督:エド・ガス=ドネリー
出演:ピーター・ストーメア
カナダ2010年
*DVD鑑賞

この映画を知ったのは《海から始まる!?》の記事だ。「バンクーバー映画批評家協会賞」のカナダ国内作品対象の賞で、作品・監督・主演男優・助演女優にノミネートされたというのを読んで興味を引かれたんである(その後、主演男優賞を受賞)。
しかし、未公開のままDVD発売されたということで、ご近所のツタヤを検索してみたら入っているではあ~りませんか!(^^)!
それで、早速借りて来て見てみた。

なんと上映時間75分。長尺作品が多い現在では破格の短さである。昔は短い作品も多かったが、それでもせいぜい85分ぐらいだろう。
冒頭、夜の光景の中にやつれた表情の女が立っている。パトカーのライトが点滅し、さらに警官とおぼしき男も登場する。これがタイトルに「マーダー」とある事件かっ--と思うと場面は転換し、警官の日常生活の描写へと入っていく。

彼はカナダのオンタリオ湖畔にある田舎町の警察署長のようだ。平凡な田舎町ゆえにたいした事件はなく、住人はみな親しげに挨拶してくる。元恋人が現在付き合ってる男を除いては……。
だが、彼自身は何かの問題を抱えているらしく悶々としている。そしてその解決を信仰に求めているようである。

と、そこで殺人死体発見 てっきり「ツインピークス」みたいな展開になるのかと思ったら、そういうことではなかった。

説明的なセリフはほとんどない。市警察から派遣されてきた刑事に地元の特殊な宗派(メノナイト教というらしい)について説明するぐらいだ。
カナダと移民というと、ケベックのようなフランス系住民が思い浮かぶが、その昔に新教迫害を逃れてドイツ語圏から来た移民の末裔が暮らしているとは知らなかった。日常会話は英語を使わず、アーミッシュほどではないが堅固なコミュニティを築いているらしい。
そして主人公は恐らくそこを離れていて、親兄弟とも不仲なのが描かれる。

日常に潜むチクチクと刺さる棘。事件をきっかけに主人公は思いがけない方向へと向かう。それともこれは彼の過去から考えれば、起こるべくして起こったことか。
彼は正義がなされたと信じているが、相棒の警官の態度を見るとそうは思われていない。少なくとも、彼の周囲の人間はみな以前より不幸になったようだ。
そして、一体彼自身は救われたのか?……それこそ神のみぞ知る、だろう。

最近見た映画の中では群を抜いて宗教的なテーマの作品だ。しかし宗教を超えて人間に内在する深い闇や孤独、そして罪悪について訴えるものがある。さらに、全編異様な雰囲気が漂っている。
同じカナダ映画である「灼熱の魂」と同様に、共同体や家族の絆と愛憎、宗教、暴力といったものを取り上げているが、その語り口は全く対照的だ。いや、対照的という以前に完全に別次元というしかない。

淡々と自然や町並みを捉えた映像も印象的だが、それよりもさらに異様な迫力をもたらしているのが使われている音楽である。
米国南部の黒人教会で歌われているような熱気をはらんだ聖歌--のようでも、よく聞くと声は白人の男女のようだし(しかも素人っぽい)、パーカッションやエレキギターも使われている。もっとも、最近はヘビメタ・サウンドで福音を歌ったりするらしいから珍しくはないのか。
なんとなく、どこかの教会のアマチュア聖歌隊の録音でも使ったのかと思ってたら、後で調べるとなんとトロントの新人バンドの演奏だと分かってビックリ(@_@;)
ブルース・ペニンシュラというグループで、ファースト・アルバムを出したばかりらしい。分類すると、オリジナル曲と伝統曲を半々ぐらいに演奏するトラディショナル・バンドということになるようだ。

こいつには驚いた 宗教歌の熱狂的・因襲的な部分まで意図的に演奏しているとなればただ者ではない。また、映画の中での使い方もまた巧みだ。ある時は素朴に、またある時は呪歌のように見る者の心にまとわりつく。

主演のP・ストーメアは映画やテレビで脇の悪役という役柄でしか記憶に残っていないが、衝動と信仰の迫間で迷いまくる男を好演である。

ところで、殺人現場を説明するセリフに「周囲80キロ圏内には数軒しか家がない」とか言ってたように思うんだけど……原発作るんなら、狭い日本でなくてこういう所に作って下せえ(^^;ゞ


宗教度:9点
迷える子羊度:9点

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2012年1月27日 (金)

「灼熱の魂」:愛と哀しみと裏切りのジェットコースター

120127
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ルブナ・アザバル
カナダ・フランス2010年

現在のカナダと過去の中東某国(レバノンとおぼしい)を結んで、双子の姉弟が母親の死を発端に自らの出自と因縁を探る。そこに浮かび上がってきたのは、壮絶な母の半生とギリシャ神話のオイディプス王の悲劇を彷彿とさせる物語であった。
母親が体験したのは、イスラエル兵を描いた「レバノン」が取り上げたのと同じ内戦のようだ。

宗教紛争、民族の相克、肉親の愛憎……このようなシリアスかつヘヴィな題材であれば、やはり既にそのことを持って高く評価しなければならないだろう。
だけど、材料が高踏であっても料理の仕方はどうよ?

え~~っ(!o!)

まさか(@_@;)

ありえねえ~(>O<;)

の連続はまるでソープオペラかジェットコースター・ドラマのよう。あまりの荒唐無稽さにボー然だ。神話だったら強引な展開や偶然もありだが、リアルな現代を背景にしては納得いかねえ。

映画館では泣いている人もいたし、雑誌やネットの批評でも好評だ。昨年のアカデミー賞にノミネートもされた。だが、私は結末まで見ていささかシラケたというのが、事実である。
レディオヘッドの曲もあんまり合っているとは思えなかった。


客観点:6点
主観点:3点


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2012年1月22日 (日)

フライブルクバロック・バロック・オーケストラ:音の乾布摩擦、効く~っ

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会場:東京オペラシティ コンサートホール
2012年1月11日

FBOはなんと初来日とのことである。演目はCDを出したばかりとはいえ、バッハの「管弦楽組曲」という定番すぎるほどの定番。さて、どんなもんかと行ってみた。
これまで聞いたことがある彼らの録音は、かなり以前に出したパーセルや、バッハとヴィヴァルディが半々入ったディスクなど古いもの数枚しかない。

プログラムを買ってみて、スケジュールを見ると11日から15日まで一日休みが入るだけで四か所を回るという強行軍。東京は三鷹でもやることになっているものの、この日のオペラシティはほぼ満員状態だった。
さらにプログラムに紙が挟まっていて、三人のオーボエ奏者のうち一人が降板で、代わりにトーマス・メラナーが入ると書いてあるではないか(!o!)
はて、どこかで聞いた名前だなあと思い出してみれば、なんと秋にやった公演で宇治川朝政くんを感涙にむせさせた、あの若手オーボエ奏者ではありませぬか
ここで、ドッとなにげに得した感が押し寄せたのは言うまでもない。

一同はステージ上に現れると調弦なしにイッキに演奏開始。3番→2番→休憩→1番→4番と進めた。
弦の配置が第2ヴァイオリン群だけ右端に置くという形だったので、ステレオ効果(?)も満点だった。ティンパニやトランペットが突出してやかましく聞こえるということもなく、全体と融和しているのに感心した。
驚いたのは2番。大半の演奏者が引っ込んで、コンマスのゴルツ他6人という小編成でやった。そこで、ロン毛の白髪をポニーにしたおぢさん(カール・カイザー)が吹くトラヴェルソが、これでもかこれでもかというほどに装飾音がてんこ盛り状態だったのである。
いやー、生でこの曲を聞いたのはそれほどないが、録音も含めてこんなに装飾音入れまくった演奏は聞いたことがない。こんなにてんこ盛りにして脱線しませんか~(>O<)というほど。
曲が終わった後は、客席から「すげー('◇')」という驚きの声が漏れ聞こえたのであった。バッハ先生の時代もこんな風にコロコロと吹いたトラヴェルソの名手がいたのであろうか--なんて思っちまいましたよ。

メラナー君登場は、後半の1番から。オーボエとファゴットの木管隊が弦と渡り合うように活躍する曲である。そして全員登場(トラヴェルソを除く)する4番と聞いてきて感じたのは、彼らの弦の音は流麗でも滑らかでもなく、むしろゴワゴワした感触であるということだ。それなのになぜか心地よい。
あたかも寒い日に使い古したタオルで乾布摩擦をしまくった後に、皮膚がヒリヒリして血行が良くなりジワーッとあったまってくる気分だった。

最後は会場全体拍手喝采となった。満足であ~る。新年最初のライヴがこんなで、幸先がいいやだ。アンコールは「復活祭オラトリオ」のシンフォニア。
12月のオランダ・バッハ協会に続き、外タレ(?)のさすがのパワーを感じさせたコンサートだった。

唯一の不満は売ってたプログラム冊子。CDブックレットを訳しただけという代物でナンだが、その日本語訳文もなんだかわけが分からん。これだったら、オペラシティがくれた冊子(主催公演の時はいつも無料配布)の方がよほど内容的にマシであった。
500円損したぞ(-"-)


【関連リンク】
《わればかりかく思ふにや》
この間違いはスゴイ。信じて行ったら、既に半分終わってたりして……(ーー;)
札幌公演は二千人のキャパの所に客一千人だったというウワサである。

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第16回(2011年)日本インターネット映画大賞・外国映画部門に投票

今年も投票します。詳しくはこちら
特別賞については別の記事で書く予定です。

[作品賞投票ルール(抄)]

 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで

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【作品賞】(5本以上10本まで)
  「ソーシャル・ネットワーク」6点
  「トスカーナの贋作」5点
  「光のほうへ」5点
  「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」5点
  「ゴモラ」5点
  「カーズ2」1点
  「エッセンシャル・キリング」1点
  「コードネーム:カルロス 戦慄のテロリスト」1点
  「スモールタウン マーダー ソングズ」1点

【コメント】
大作や話題作をほとんど見ていない状態で投票に参加していいのか、とか思ったけどしちゃいましたよ。
震災前に見た映画はなんだか霞がかかったようにしか思い出せない。「ソーシャル・ネットワーク」は2011年の作品だったんだ……と改めて驚いてしまった。そのせいか、今年はこれだ~っというような一作はなくて、点数は分散化である。
その「ソーシャル~」最近、吹替版で見直したが、やはりあのセリフの情報量を消化するには吹替の方が吉かと。
「カルロス」はTV放映、「スモールタウン~」は未公開でDVD鑑賞(感想を書きました)。
「ゴモラ」は2008年作品がなぜか今頃公開だが、かえって今の日本にこそふさわしいと言えるかも。しばらく前の某映画のキャッチコピーの登場人物「全員悪人」というのがそのまま当てはまりそうだ。


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【監督賞】              作品名
   [トマス・ヴィンターベア] (「光のほうへ」)
【コメント】
「トスカーナの贋作」のアッバス・キアロスタミと、どちらにするかずーっと迷っていてようやく決定。

【主演男優賞】
   [ジェシー・アイゼンバーグ] (「ソーシャル・ネットワーク」)
【コメント】
映画の中で他の登場人物の心理や行動は明確に描かれているのに、主人公だけが何を考えてるのか分からないヌエ的存在であるのをうまく演じているのに感心。

【主演女優賞】
   [ヒアム・アッバス] (「ミラル」)
 【コメント】
今年はこれぞ!という人はいなかったが、伊達に大女優の看板背負ってるわけじゃないというのが感じられたので。

【助演男優賞】
   [マーク・ラファロ] (「キッズ・オールライト」)
【コメント】
昨年は該当者なしだったが、今回は激戦区だった。恐らく設定上はいい加減なダメダメ男なのに、憎めないヤツだと感じさせたのは彼のおかげだろう。

【助演女優賞】
   [イメルダ・スタウントン] (「「ウッドストックがやってくる!」」)
【コメント】
この母親役の人、どっかで見たことあるよなー、ちょっとイメルダ・スタウントンに似ているけど。テレビで脇役専門でやってるような女優さんかな--などと見ながら考えてたが、クレジット確認したら本物の彼女だった。
この田舎臭さはハンパじゃねえ~(>O<) 恐るべし……

【ニューフェイスブレイク賞】
   [ヘイリー・スタインフェルド] (「トゥルー・グリット」)
【コメント】
毎年、子役は除外しているが、彼女は年齢制限ギリギリのとこだろう。

【音楽賞】
  「スモールタウン マーダー ソングズ」
【コメント】
「ソーシャル・ネットワーク」で決まりかと思ってたら、土壇場でこれが来た! ブルース・ペニンシュラというバンドには驚かされるし、音楽の付け方もうまい。

【ブーイングムービー賞】
  「テンペスト
【コメント】
「ひどい」とか「つまらない」という訳ではないが、名作を原作にして、名優、個性俳優、怪優を使い、美しい場所でロケしても、面白い映画になるわけではないという実例のような作品になってしまった。ああ、勿体なや

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【勝手に○×賞】

【特別功労賞】
   [アラン・リックマン] (「ハリー・ポッター」シリーズ)
【コメント】
彼の演じるスネイプ先生がいなかったら、このシリーズの魅力45パーセント減と断言したい。
長い間、ご苦労さんでした~~っm(__)m

【最凶猛母賞】
   [イメルダ・スタウントン] (「ウッドストックがやってくる!」)
【コメント】
エキセントリックな母親像は様々な作品で描かれてきたが、この母親はどこの国のどの時代にもいそうだから、余計に恐ろしい。(ちなみに実話ベースである
日本で対抗できるのは、長谷川町子の「いじわるばあさん」あたりか。

【オリジナル美女賞】
   [ヴァレリー・プレイム] (「フェア・ゲーム」)
【コメント】
実話に基づいた映画だと、当然モデルとなったご当人より役者の方が美しかったりカッコ良かったりマトモな人物そうだったりするわけだけど、これに関してはご本人もナオミ・ワッツに負けず劣らずの美人ではないですか! さすがCIAであ~る。

【最優秀コンビ賞】
   [ジェームズ・マカヴォイ&マイケル・ファスベンダー] (「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」)
【コメント】
他には「宇宙人ポール」や「英国王のスピーチ」が候補に挙がったが、萌え度を加算して「教授&マグニートー」となった。なお文句があっても受け付けません。

【邦題に偽りあり賞】
  「ブリューゲルの動く絵
【コメント】
タイトルだけ聞くと楽しそうじゃありませんか。だが、実際見てみると……よくもだましたな~

これ以外の特別賞については後日。

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 この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。
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2012年1月15日 (日)

ヘンデル 歌劇「ロデリンダ」:五角関係でお腹いっぱい

120115
METライブビューイング2011-2012
演出:スティーヴン・ワズワース
指揮:ハリー・ビケット
出演:ルネ・フレミング
2011年12月3日上演

オペラの殿堂、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場--私にとっては完全守備範囲外 一生縁はあるめえと思っていたが……って、前にも書いたような気が(^^ゞ
しかし、今回ライブビューイングってヤツで映画館でヘンデルをやるというじゃあ~りませんか。万難を排して行かねばなるまい。

以前にも一度、やはりヘンデルの「ジュリオ・チェーザレ」をこの形式で見たが、それ以後バロック系はやってくれなくて縁がなかったんだよね。

開演時間はなんと朝10時。平日とあまり変わらない時間に頑張って起きて突撃する。チケット売場で時間取られるとイヤなので、事前にネット購入して体勢は万全だ。

舞台は7世紀の北イタリアの王国という設定だが、衣装やセットはヘンデルの時代のものになっている。
王が戦死して残された王妃(←もちろん美女設定)が新しい王に言い寄られて困っているところに、なんと王が生きていた! 素性を隠して王宮に出現。さらに王の妹や悪~い公爵がからんで五角関係かっ--とヘンデル先生お得意のゴタゴタに突入するのであった。

死んだと思われてた王様を演じるのはカウンターテナーのアンドレアス・ショル。彼については、メガネをかけ宗教曲を背筋を伸ばして歌ってるような姿しか見たことないので、オペラではどんなもんかと思っていたが、意外と無精ひげも似合います(^O^)
ただ、大劇場でビンビン響き渡るような声の持ち主ではないと思うので、そこら辺はどうだったのか。録音だとよく分からない。ヒロイン役のルネ・フレミングとのデュエットでは彼の声がかき消されてしまう部分があったようだった。
役柄的にはこの王様、どうもプッツンしやすいというか、独りよがりというか、あまりいい性格ではない。「あの亭主じゃ奥さん苦労するね~」とか言われそう。

事前学習してなかったので、もう一人若手カウンターテナーが出てくるのを知らなかった。王様の部下(友人?)役のイェスティン・デイヴィーズだが、ショルとは違ったタイプのCTで声もよく通るようで、これは「買い」ではないか!(思わずコーフン) これから楽しみである。
私は歌手の技巧などはよく分からないので、それ以外の歌手については「バロック系じゃないオペラ歌手というのはこんな感じなのかー、ふむふむ」と思って見て&聞いていた。

フレミングとショルのツーショットは絵になるので、単純に美男美女の物語としても楽しんだ。この二人の熱烈キスシーンがいささか長すぎるような気がしたが、こりゃプリマの特権乱用か(?_?;
もっとも、ショルの王様は元々はフン族に化けて素性を隠しているという設定らしいのだが、ヘンデル時代にはどういう格好で出ていたのであろうか。想像すると恐ろしいような気が……。

残念だったのは、オーケストラの方。指揮者がチェンバロ弾いたり、テオルボ導入したりして、専門外なのによくバロック系の演奏に近づけていたという評判だった。確かにそうだが、オーケストラだけ録音のレベルが低いせいか、あの聞き手を煽り立てるようなヘンデル節の域までには達していなかったようだ。それと、途中でオーボエ(?)がコケそうになってなかったっけ

また、カメラの動きも不満あり。NHKでやった「オルフェオ」はいかにも「舞台中継」という画面だったが、こちらは歌手の動きに合わせてカメラが滑らかに動いて却って違和感があった。劇場にいたら、絶対にありえない視点だからだ。それから「引き」で見たいと思う場面もアップのままでもどかしい感じだった。

休憩時間の前後にはキャストやスタッフのインタビューもあってサービス満点。CT歌手二人は並んでインタビューを受けていた。デイヴィーズ君は素は「お茶目な若者」という印象。ショルはそれを優しく見守るおにーさんであった。

それにしても二回の休憩挟んで4時間強とはさすがに長い。見終わった後はくたびれた。私が見たのは午後にヘンデル・フェスティバル・ジャパンの「サムソン」の公演があった日で、終了後に駆けつければ間に合ったはず。しかし、こちらも4時間以上だ。両方聞いたら一日中ヘンデル漬けだ~(@_@;)
ヘンデル先生、やっぱり長過ぎです。もしかして、チケット代取るからにはサービスしなけりゃと考えて、わざと長くしたんですかっ?

観客は女性が多数。中高年が大半だが若い女性も結構いた。私の隣席のオヤヂさんは、カーテンコールで一緒に拍手していた(音を出さずに)。
2月の「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」も行くしかないね(*^^)v


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2012年1月14日 (土)

「ブリューゲルの動く絵」:この絵を見よ

120114
監督:レフ・マイェフスキ
出演:ルトガー・ハウアー
ポーランド・スウェーデン2011年

予告の印象では、「再現ドラマ」(?)を交えながらブリューゲルの絵をデジタル処理で動かしたりしながら、画家の半生をたどる--みたいな印象だった。
しかも、ブリューゲルをルトガー・ハウアーが演じ、シャーロット・ランプリングとマイケル・ヨークが共演となれば見に行かずばなるめえよ。

しかし……大いなる勘違いであった。ブリューゲルの絵が動いて楽しいな(^_^)ノなんて映画ではなかった。実にヘヴィな宗教的作品であったのだ。新年最初に見たが、まことにお屠蘇気分にはふさわしくない内容である(v_v)

ブリューゲルというと当時の風俗や日常生活を描いた絵を思い浮かべるが、数少ない宗教画にして大作『十字架を担うキリスト』は、彼の生きたフランドル地方の人々をそのまま登場させながらキリストの受難を描いたものである。
そこに細かく描きこまれた様々な場面を、画家本人がスケッチしながら解説し、当時の民衆がそれをリアルに再現するという趣向。

絵画に登場する赤服の騎乗の兵士たちはスペイン軍で村民たちに暴力をふるう。背景に新教・旧教の対立があるわけだが、イエスの逮捕はその弾圧と重ね合わせられている。
そして、獄から引きずり出され十字架を背負い--と、埋葬(というか岩屋に転がすだけ?)までの過程を極めて子細に再現。見てて苦しくなってくる。ムチ打ちの場面なんか見るだに痛そうでギャーとか叫んじゃうのだ。
原題は「風車と十字架」で、高い丘にある風車は神の存在を示しているとのこと。

他には処刑されて雨ざらしにされた男をカラスがつつくところとか、子どもたちが様々な遊びをするところ、村民が踊る光景なども再現されている。
子どもが遊ぶ場面はかなり長くて繰り返されるのでちょっと飽きてしまった。
イエスの迫害場面はもとより、民衆や子どもの登場する場面もどちらかというと重苦しく混沌としてて、楽しくはない。

さらに今イチだったのは、絵の場面完全再現の時はなぜかストップモーションをかけるのではなく、俳優たちが動作を止めるという形を取るのだが、当然ながら子どもや動物は動いちゃう。それでも羊は大人しくて顔ぐらいしか動かさないが、馬となるとじっとしていられないので、作り手の意図に反して迫力半減というか興ざめである。さらに背景の方はリアルではなくて絵画をそのまま張り付けてあるのだから、なんか一貫性がないように感じた。

というわけで、疲労感だけが大きく、絵の世界にはのめりこめなかった次第である。
視覚面に対し音楽の方は手抜きっぽい。最後にレクイエムがかかったが、クレジットはロッティ作となっていた。時代が違うわな。

ルトさんは好演。C・ランプリングは最近、悪人の役が多かったが、ここでは聖母マリアに扮している。年齢的には壮年のイエスさんの母親にぴったり。薄幸そうな風貌でピエタ像を再現してくれてた。M・ヨークはブリューゲルにこの絵の作成を依頼したとされる収集家ヨンゲリンク役だった。


再現度:8点
民衆エネルギー度:5点

【関連リンク】
《弐代目・青い日記帳》


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2012年1月11日 (水)

FBO速報

フライブルク・バロック・オーケストラ、よかったですう~\(^o^)/
行くかどうか迷っている方、これは絶対「買い」ですぞー

あ、でも14日の三鷹は売り切れなのか_| ̄|○

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2012年1月 9日 (月)

歌劇「オルフェオ」ミラノ・スカラ座:冥府は暗く地上もまた暗い

演出:ロバート・ウィルソン
指揮:リナルド・アレッサンドリーニ
演奏:ミラノ・スカラ座管弦楽団&コンチェルト・イタリアーノ
2009年9月上演
*TV放映

オペラの殿堂、ミラノ・スカラ座--私にとっては完全守備範囲外 一生縁はあるめえと思っていたが、年末のNHK-BSで特集放送があって、その中にモンテヴェルディの「オルフェオ」が入っているではないか(!o!)
もちろん録画して見てみましたよ。

舞台装置は極めて簡素、なんだかマグリットみたいなシルエットの森があるなあ……と思ったら、他の人の感想でアンリ・ルソーの絵との類似が指摘されていて、なるほどと納得した。冒頭、サルやらウサギやら動物が点在しているのも確かにそれっぽい。

登場人物は上演当時の宮廷人風の衣装。主要なキャラクターの顔は完全白塗りで、動作は手の動きぐらいしかなく、全く近代的な感情の表出は意図していないことが分かる。
ただ、手の動きはバロック・ジェスチャーではなくパントマイム風だった。
幽玄な雰囲気で、全体的に静止したポーズが多く、衣装のせいもあって有元利夫のテンペラ画を思い起こさせた(もっとも有元利夫のネタ元はルネサンス絵画だが)。
他には鳥の仮装をしたダンサーが地上の場面で出没するぐらい。

で、退屈かというとそういう訳ではない。神話を題材としたこの物語にピッタリと合った様式で、非常に面白かった。
それにしても、演出が簡素なだけにこの作品がほとんどオルフェオ出ずっぱりなのだなーというのを実感した。他の人物はカロンテも冥府の王も一シーンだけ出るだけだし、エウリディーチェだって登場早々に死んじゃって後半にちょこっと出てくるだけだ。
主人公のみが延々歌ってるという印象。タイトル・ロールのゲオルク・ニール(ニグル?)はごくろうさんであ~る(^^)//"""

オペラ関係はほとんど無知なので、歌手で知っていたのはエウリディーチェ役のロベルタ・インヴェルニッツィしかいない。それも、クレジットが出なければ顏がわからなかった(分厚い白塗りなので)。
合唱がもうちょっとマドリガーレ風な感じだったらよかったかも。

指揮はアレッサンドリーニで、通奏低音はコンチェルト・イタリアーノ担当。他はミラノ・スカラ座管弦楽団とクレジットされていたが、どう考えてもコルネット部隊は外から呼んできたものだろう。
いずれにしろ演奏には文句なかった。
鳥のダンサーはカーテンコールで仮面を取ったら若くてカッコエエおにーちゃんであったよ(どーでもいいことだけど)。

またNHKさんにはバロックオペラの放送をお願いしたい。

【関連リンク】
《Numero Cinque》
公演を実際に見た人の感想。やはりモンテヴェルディでは客は呼べんのかのう……。

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2012年1月 8日 (日)

「無言歌」

120108
監督:ワン・ビン
出演:ルウ・イエ
香港・フランス・ベルギー2010年

革命の後で、「言いたいこと言っていいよ、批判大歓迎」と太っ腹なところを見せておきながら、一年経ったら手のひら返しで批判を口にした奴らをまとめて収容所送り--とは、さすが権力闘争を勝ち抜いてきた人間は違う。自らの権力を維持するためにはなんでもありだ(*^^)v

これは文化大革命よりも前に毛沢東がやった「反右派闘争」によってゴビ砂漠の強制労働収容所に送られた囚人たちの生活を描いた映画である。
国全体を襲った飢饉もあって、常に彼らは過酷な飢えにさらされ、地下に掘った穴倉で暮らし、そこには絶えず砂が舞い込む。

男たちの顔は汚れ誰が誰やら区別もつかない。砂嵐の中を食い物を探し回り、夜になれば砂だらけの寝具に潜って寝る。もはや人間らしさのかけらも残っていない。その繰り返しが延々と描写される。

監督は若手ドキュメンタリー作家のワン・ビン。やたらと長い作品(9時間とか14時間とか)を撮ってる人だと記憶してたが、これが長編劇映画の初作品らしい。当時の生存者に取材して作ったとのこと。
内容が内容だけに中国ではほとんどゲリラ撮影で上映もされてない。ベネチア映画祭には、詳細を隠して持ち込まれたそうだ。

ある者は病に倒れ、ある者は逃走を企て、またある者は残る……。
荒涼とした情景と風の音と生気を失い幽鬼のようにたたずむ人々の姿が、圧倒的な迫力で見終わった後にまで焼きついて離れない。

ただ、ドキュメンタリーぽい作りなので、劇的な盛り上がりなどはない(音楽もなし)。睡眠不足の時は避けた方がいいかも。
それと、夫が亡くなったことを知らずに訪ねてきた妻のくだりは、どうもいただけない所があった。泣き方がなんかわざとらし過ぎというか…… ほんとに悲しかったら涙も出ないし、泣くのは結構体力使うから、あんなに延々と泣いてられないだろう。
女の泣き声も、風の音と同様の効果音なのかね。
多くの感想や批評で絶賛状態だが、かなり見る人を選ぶ作品ではある。というより、イヤな人は最初から見に来ないか。

ところで見ていて頭の中にぼーっと浮かび上がってきたのは、以前読んだ太平洋戦争の終戦時にフィリピンをさまよっていた日本兵の手記だった。うろ覚えだが、およそ口に入るほとんどの物は食べたと書いてあって、さらに「今思えば火薬も食べてみればよかった」とあった。
そうか……火薬って食べられるんだと思った次第である。


砂嵐度:10点
人間度:2点

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2012年1月 4日 (水)

「瞳は静かに」:悪い大人はだ~れだ

120104
監督:ダニエル・ブスタマンテ
出演:ノルマ・アレアンドロ、コンラッド・バレンスエラ
アルゼンチン2009年

軍事政権時代の不穏さ漂うアルゼンチンを舞台にしたサスペンス--と予告を見た時はそう思えた。同様の設定の作品に「瞳の奥の秘密」があり、邦題も似たようなのをわざわざ付けてるんだから、期待して行ったわけだ。

が、あにはからんや、そういう話ではなかった。
抑圧的な体制と反政府主義者の闘いは背景に過ぎない。中心の物語は「よい子だった少年がいかに悪い子になっていったか」ということである。
政府も反政府も関係ねえ~。少年は愛する母親を死に追いやったその双方ともに復讐を遂げるのであった
ラストの展開は伏線あったのか? なんだか唐突な印象で、こんなんなありか(?_?)

--というような訳で、政治的な話にしても少年の話にしてもどっちつかずの宙ぶらりんなまま終始する。

主人公の少年はまるでかわいくて女の子みたい お兄ちゃん役も美少年です。将来が楽しみだねえ……どうでもいいけど(-"-)
祖母役の女優さんはさすがのベテランぶりを発揮だった。段々、本性が明らかになってくるのがこわい。
マテ茶というのはああいう風にして飲むんだ--ということが分かったのが唯一の収穫かな。


良い子度:5点
悪い大人度:7点

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2012年1月 3日 (火)

「宇宙人ポール」:幾つ分かるかSF映画ネタ

120103
監督:グレッグ・モットーラ
出演:サイモン・ペッグ、ニック・フロスト
米国2010年

「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ」などで、一部で(?)有名コンビ、サイモン・ペッグ&サイモン・ペッグによるSFネタ、UFOネタ満載のコメディ。
B級以上でもB級以下でもないドタバタがまったりと続く。

英国から米国のコミック・コンベンションにやって来たSFヲタ・コンビがUFOの聖地巡りをする途中で、なぜか本物の逃走中エイリアンに遭遇。しかし、そいつは外見を除けば完全に典型的ヤンキーおやじなのであった……。

ホモネタ、下ネタ、4文字言葉、下らないギャグ、SF系に限らず各種の映画・ドラマのパロディが随所に散りばめられ、ぬるいを笑いを提供してくれる。まことに、正月のお屠蘇( ^^)/▽☆▽\(^^ )気分で見るにふさわしい映画と言えるだろう。
なので、大絶賛するほどのものかどうかはいささか疑問である。

冒頭のシークエンスは「未知との遭遇」をそのままなぞったらしいのだが、私はよくよく考えれば公開時に一度見たきりなので完全に気付かなかった。「インディ・ジョーンズ」の水兵ネタも完璧に忘れていた。そんなのが多数登場。
ラストは「あの人」が登場してシメとなる。

不満なのはヒロインが今イチ可愛くないのだが……ヲタクの皆さんはそこら辺どうなのだろうか?


ヲタク度:10点
男の友情度:8点


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2012年1月 2日 (月)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 1月版

年末のドトーのコンサート連チャンを乗り切れば静かな新年であるよ。

*20日(金)日本テレマン協会「F・クープランの前景」

他にはこんなのも
*8日(日)「集まれ!バロック縦型木管楽器」
オーボエ・ファゴット・リコーダー尽くし、ですか。
*9日(月)ヘンデル・フェスティバル・ジャパン
今回はオラトリオ「サムソン」。
*15日(日)トリオソナタの愉しみ
*20日(金)辺保陽一リコーダーリサイタル

フライブルク・バロック・オーケストラはもちろん行きますが、マイナーではありませんな(^o^)

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