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2012年2月

2012年2月28日 (火)

「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」:なんちゃってシェイクスピア

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METライブビューイング2011-2012
演出:フェリム・マクダーモット
指揮:ウィリアム・クリスティー
出演:ジョイス・ディドナート他
2012年1月21日上演

メトロポリタン歌劇場のライブビューイングも二回目。『ロデリンダ』に続いて鑑賞したのは、バロック・オペラにして新作……とは一体なんじゃろう(?_?) と疑問に思ったら、パスティーシュというヤツで、ヘンデル、ヴィヴァルディ、ラモーなどの名曲を集めて編曲し直して、新たにストーリーを作ったのだという。歌詞もほとんど英語で付け直している。

物語はシェイクスピアの『テンペスト』と『真夏の世の夢』を合体させたものだ。妖精アリエルが魔法を失敗したために、プロスペローが支配する島へ流れ着くのが、間違って『真夏~』のカップル二組になってしまう。
一方、島の片隅からは魔女のシコラクスとその息子キャリバンが島の支配権を取り戻すべく、虎視眈々と窺っていたのであった。

アリエルは妖精パックも半分入ったようなキャラクターでドジな魔女見習いみたい。オペラ界のアイドルことダニエル・ドゥ・ニースがまたぴったりとハマりまくってる役柄なんで感心して見ていた。しかし、幕間のインタビューによると台本を作る段階から主な歌手の意見を取り入れた部分があるとのことだ。
……て、ことはほとんど当て書き状態ではないの。道理ではまり役なはずである。
ならばP・ドミンゴ扮する海神ネプチューンの登場時に、人魚が舞い踊ってまるでドミンゴ来たキタきた~~っ(!o!)状態なのも当然だろう。

最後にアリエルは解放されて自由の身に(ルイ14世の太陽王をもじった衣装で派手に登場して笑いを取っていた)、カップルは元のさやに納まり、ミランダは美男のムコを得、プロスペローは悔悟し、魔女は再び島を取り戻して、メデタシメデタシで終わる。
ただ、キャリバンのヨメ取り問題だけが放置しっぱなしなのはいかがなもんよ。バロック・オペラだからって、極めて現代的な非モテ男問題を放置していいということにはならんぞ。

舞台装置はセットに映像を投影する形で、嵐の海や幻獣が出没する森などを巧みに表現して素晴らしいものだった。クリスティーの指揮は無難?という印象か。
魔女役のJ・ディドナートは徐々に変わっていくキャラクターをうまく演じ分けて、さすがにクレジットのトップに来るだけはあるだろう。


さて、この「新作」の評価はというと、ネットで他の人の感想を見てみるとどれも絶賛ばかりである。
だが、正直私は見ていて前半の途中あたりからどうも「これって、もしかして面白くないんじゃないの」と感じるようになった。
そもそも複数の話を合体させたのが無理がある。主役級が何人もいるのでそれぞれを立てなくちゃならないから、話の焦点が定まらずに散漫。それから「主役未満、脇役以上」のキャラクターも多いのでそれも放置するわけにはいかず、見せ場を少しずつ分け与えなくてはならない。
ミランダなんて島の中をウロウロしてるだけの退屈な役どころ。ヘンデル先生だったら絶対にこんな人物を出さないだろう。

喜劇で大円団というのは結構だが、現代の価値観に沿って当たらず障らずみんな揃って丸く収めて中庸に(ただし、除くキャリバン)と詰まらないラストになってしまった。
早い話が、ここにはシェイクスピアの風刺や毒々しい笑い、幻想やダイナミックさは存在しない。
まるで、オールスター総出演でお茶を濁すハリウッド娯楽映画のように大味で退屈だ。とても拍手なんかする気にはなれない。
形だけなぞってるからこそ「パスティーシュ」というのか……


見ていて途中、やはり会場が暑くてマイッタ。鼻がムズムズするんでマスクしていたら、顔に汗をかいてしまったよ。


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2012年2月25日 (土)

バロック・オペラ ラモー「プラテー」:カエルの嫁はカエル

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プロローグと三幕のバレエ・ブフォン
演出・振付ほか:錦織佳子
会場:渋谷区文化センター大和田 さくらホール
2012年2月8日・9日

これはジョイ・バレエステューディオという団体がプロデュースする公演とのことである。最初チケットを発売した時に、歌手はともかく器楽の方のメンバーが全く名前が出ていなかったのでどうしようかと思ったが、とにかくチケットを買ってみることにした。

この作品は1745年にルイ15世の息子の結婚式のお祝いに上演され、その後オペラ座でもやったとのことだ。45年ヴァージョンは日本初演らしい。
内容はお祝いごとにふさわしい能天気な喜劇で、一杯機嫌で見るのにちょうど良いようなストーリーだ。

ギリシャ神話の神やら精霊やらが登場し、農民たちをバックに人間に教訓を与え神々を風刺する芝居を作ろうと歌うのがプロローグ。
続いて全三幕で、最高神ジュピテルを妻ジュノンのコワ~い嫉妬から守るための策略が描かれる。策謀したのはギリシャ王のシテロンとジュピテルの使者メルキュール。
シテロンに一方的にラブコールを送る沼の精霊の女王プラテーを利用しようというのだ。彼女は醜くて滑稽なのだが、自惚れが強い。ジュピテルが結婚を望んでると騙すと、コロッと信じてしまうのであった……。

プラテーはあらかじめお笑い担当な役どころに設定され、女王にもかかわらずテノール歌手が歌う。いつも妖精やカエルをお供に連れては騒がしく登場する。子役のカエルがカワユイ
そうして他の精霊やら神様が入り乱れて出現してはドタバタ劇を展開。言葉遊びみたいな歌もあるし、にぎやかなもんである。
バレエ・スタジオが主催ということで、もっとダンスの場面が多いかと予想していたら、意外にも原点に忠実で正統派のバロック・オペラだった。踊りの場面はバロック・ダンスにするか迷ったらしいが、クラシック・バレエで振付けてあった。

ただ、ドタバタな喜劇として宴席にはいいかも知れないが、ストーリー的には結婚詐欺みたいな話なんで、正直、結婚式にはどうよ(-"-)という気がした。新郎新婦はどういう気分で見てたのかね。

歌手については、主役プラテーの武井基次という人がやけに歌も踊りも達者だのうと感心して見てたら、ミュージカルの「レ・ミゼラブル」に出演してるような歌手らしい。なるほど……。
他はオペラをやっているような人がほとんどだが、表現力はあれど歌の水準が今イチな人や、歌も演技も無念な人など様々だった。

大きなセットや、群舞やコーラスも登場してかなり大規模の公演だった。客席は満員で、バレエの関係者と武井氏のファンが中心だったもよう。古楽ファンはあまりいなかったようだ。
こういう珍しい演目が見られるのはありがたい。また是非よろしくお願いしまーす。

事前には知らなかった器楽のメンバーは、音楽監督(と打楽器も)は武久源造。チェンバロは野澤知子だった。他の編成はヴァイオリン2、ヴィオラ2、トラヴェルソ2、オーボエ・チェロ・コントラバスが各1。コンミスは阿部まりこ、チェロは懸田貴嗣が入っていた。こちらも本格的にヴェルサイユ・ピッチでの演奏だった。
全体的に表情豊かで、特にプラテーの演技に伴う滑稽なサウンドも忌憚なく表現して楽しませてくれた。ヴァイオリン・パートはご苦労さんである。

問題は会場の造りで、ステージの高さが低い所に、最前部の椅子を外してロープを張ってピットを急ごしらえしていた。そのため前方の座席は奏者と全く同じ高さで見る羽目になって、ステージ上が奏者に隠れて見えない部分があったようだ。
コントラバスが邪魔になって、字幕が全く見えないという人の話も漏れ聞こえてきたし--。音楽専用ではない(多分)ホールなので、ここら辺の使い方は難しい。

あと、上演中非常に暑くて汗だく(-_-;)になってしまった。寒い日だったのでサービスのつもりかね。なんとかしてくれい。


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2012年2月24日 (金)

時代遅れの音楽

「【ホイットニー・ヒューストン 「オールウェイズ・ラブ・ユー」】 人生ピークの輝きとどん底からの再起の歌声」

映画『ボディガード』は公開当時、満員の映画館で見た。
ホイットニー・ヒューストンだけでなく相手役のケヴィン・コスナーも人気絶頂の頃で、この二人の顔合わせが実現(!o!)というのがメインの作品であった。

今ではストーリーもろくに覚えていないのだが、ただ一か所だけずっと印象に残っている場面がある。

スターのヒロインとボディガードの男が親密になり始めた頃、二人がプライベートでデートする。男が行きつけらしいクラブに連れて行くのだが、そこは白人のカップルばかりいるような店だ。
カントリーっぽい曲で二人はダンスした後、テーブルについてから女が微笑みながら尋ねる。
「いつもこんな音楽聴いているの?」
すると男の方は黙ったまま頷くのだった。

一度見たきりなので、かなり記憶違いの所があると思う。
この時にバックに流れていた件の「音楽」は、オールマン・ブラザーズっぽかった(なんとなくサウンドから推測)。
この場面がなぜ印象に残っているかというと、オールマンの曲が田舎臭く古臭い音楽のように描かれている事に、見ていて驚いたからだ。
私はこれまで(今現在に至るまで)一度たりとも彼らの音楽が古いと思ったことはないのだが……。

しかし、栄枯盛衰甚だしきショービジネス界においては、昨日の勝者も今日は忘れ去られてしまうのであった。

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2012年2月23日 (木)

バッハ・コレギウム・ジャパン第96回定期演奏会:秒読み迫る

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ライプツィヒ時代1730~40年代のカンタータ2
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2012年2月9日

いよいよ教会カンタータも残り少なく、全曲達成まで秒読み状態となってきた。
この時代になると、教会暦に合わせて作ってきたカンタータで欠けている部分を埋める作品になるのであった。そして芸風--じゃなくて作風新しい手法を取り入れたりして、これまでとは少し違ってくる。

BWV97の4曲目、ヴァイオリン独奏とチェロとアリアを歌うテノールがそれぞれバラバラのように聞こえるし、7曲目のソプラノ&バスの二重唱もファゴットが活躍して奏でる中、何やらストレンジな印象があった。その後のソプラノのアリアではオーボエ二本がグッジョブ(*^^)b
というように、ことさらに個の楽器と歌の対置がより際立っているものが多いように思えた。特に若松女史とファゴットの村上女史は大活躍だ。

トーシロの耳にはBWV9のソプラノ&アルトのアリアの複雑さは分からず無念(というか沈没しかけていた(>_<;))
それよりも177番のアルトのアリアが、久々にロビン・フレイズ来た~っ!という印象だった。鍵盤とチェロだけの簡素な通奏低音を背景に、陰鬱な曲調でエコーのかかったロビン君の歌声が広がる。何やらこの世ならぬ雰囲気が漂っていたのであった。

曲順を当初と入れ替えたのは何故なのか? またこの日は第二ヴァイオリンのトップはいつもの高田女史が欠席で、そのメンバーの順序も入れ替わっていた。

声楽のソリストも常連ベストメンバーと言ってよし(ハナたんにロビン君、テュルク&コーイ)。なのにやや空席があったのは勿体ない。

アンコールは「ヨハネ」の最終コラールで、震災の被害者と先日亡くなったレオンハルトに捧げられた。レオ翁の葬儀でも演奏されたとのこと。テュルク氏だけ楽譜を見ずに歌っていた。

終了後、出口の所にテュルク氏が募金箱を持って立っていたので入れようと近づいて行った。だけどロビン君が隣に同じく箱を持って立ったので、思わずそちらの方に入れてしまった。そしたら、ロビン君は丁寧に頭を下げて「アリガト」と言ってくれたのよ~キャーっO(≧▽≦*)Oうれピー(←死語)
単なるミーハーですが、何か文句ありまして(~ ^~)


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2012年2月19日 (日)

「フルートの肖像 7 F.クープランの時代」:サッカーじゃないフランス対イタリア戦

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前田りり子リサイタル
会場:近江楽堂
2012年2月4日

前田りり子がシリーズで行っているコンサートシリーズ。二回公演のうち夜の方に行った。
今回はクープランと同時代の作曲家たちを取り上げる。フランス趣味が宮廷の絶対基準だった当時において、クープランはイタリア趣味をひそかに愛好。自作を他人の作品ということにして紹介するという涙ぐましいことをしていたが、ルイ14世の死後はおおっぴらにイタリア風な作品を発表できるようになったという。
--というような解説が、曲の合間に例の前田女史のつんのめるような口調で入った。

彼以外に登場した作曲家は、モンテクレール、ケ・デルヴロワ(←初めて聞いた)。モンテクレールの作品は組曲の中に仏伊趣味双方の曲が混在しているというものだ。

他の演奏者はガンバ福沢宏、チェンバロ上尾直毅、後半になってもう一人のトラヴェルソとして佐々木萌絵が登場した。

一番の聞きものは鍵盤曲をトラヴェルソ独奏で吹いた、有名曲「恋の鶯」だった。この「鶯」はホーホーケキョのウグイスではなくてナイチンゲールのことで、その鳴き声は男女の夜の営みを象徴しているとのこと。……なるほど(@_@;)
まさしく、大きなホールでも中規模ホールでも絶対に味わえない、近江楽堂のような小さな会場でなくては聞き取ることことさえもできないような、繊細な「鳴き声」がトラヴェルソで再現された。夜の闇に消え入っていきそうな感じ--と言ったらよろしいでしょうか。思わず終わった時にはホッと( -o-) 息をはいた。

それから上尾氏もクープランの鍵盤組曲を独奏。ちょうど、先日の中野振一郎のコンサートでもやった曲だったが、全くスタイルが違っていて、だてに「一番目のナオキ」ではないことを見せ……聞かせつけた。

解説に熱が入ったためか?予定時間を超過したが、アンコールを二曲、モンテクレールとクープランをやってくれて終了した。

【関連リンク】
《古楽の小路》
昼公演の様子。トラブルがあったようで。


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2012年2月18日 (土)

「ミラノ、愛に生きる」:今様王女メディア

120218
監督:ルカ・グァダニーノ
出演:ティルダ・スウィントン
イタリア2009年

旧家を舞台にしているので、ヴィスコンティ作品が引き合いに出されているが、それは単なる背景に使われているに過ぎない。(スタイルもテーマも違うし……)
これは抑圧的な生活を続けてきた中年女性が「母」や「妻」の役割を捨てて、自立して生きることを選ぶという話である。

ミラノの伝統ある名家の嫁であるヒロインは長男の親友である、料理人の若者と知り合って深い仲に。一方、一家の主人であった祖父から父と共に長男は家業の後継者に指名されるが、一人合理化に反対する。

モノクロの雪景色に始まる映像スタイルは斬新、ジョン・アダムスの音楽も面白い(一部、使い方が突拍子もない所があるが……)。
ただ、突然ヒチコックの引用が出てきたりするのは「」である。

一方、脚本や設定はかなり不可解でガタガタのように思えた。
ヒロインはロシア人で長男とだけロシア語で話すという親密な関係を築いているが、そもそもそんな旧家のヨメにどうしてロシア人がなれたのかは謎だ。貴族の出という訳でもなさそうだし。
それが原因でいびられているという様子もない。イヤミな姑だったら「あら、息子と違って孫はちゃんとイタリア人の嫁を選んで嬉しいわ~」ぐらい言いそうだが。

また、終盤の彼女の言動は正直言って人間性を疑わせるものだ。見ていて納得いかなかったし、共感もできなかった。強いて理解しようとすれば、彼女は現代版の王女メディアであろうとした、としかいえないだろう。もっともダンナは浮気してる様子はないが。

この不可解な物語に説得力を与えているのは、ひとえにヒロインを演じているのがティルダ・スウィントンだからである。彼女でなかったらこの映画の価値は85パーセント減と断言しよう。
名家の奥様風の高級ファッションもよれたスウェットが似合うのも彼女だからだ。ヌードも見せているが、とても五十過ぎとは思えない。憧れてしまう~(*^^*) ひとえに彼女のための作品といってよい そういや、「アエラ」誌表紙のすっぴんメイクのドアップもさすがのものだった

そのせいかどうか、登場する男性陣が全員サエないのはどうしたことか。溺愛する息子も、肝心の恋人シェフだって……(?_?) 今はこういうのが流行りなのか? それとも実は男はどーでもいいのだろうか。
男のわき毛のアップが出てきたのには目が点(・o・)

娘役の女優さんはどこかで見たなーと思ってたら『やがて来たる者へ』に出てた人だった。


ティルダ・スウィントン:10点
作品:5点


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2012年2月16日 (木)

「ルポ子どもの無縁社会」

120216
著者:石川結貴
中公新書ラクレ2011年

読んでいて陰惨な話が多くて、ウツ(-"-)になってしまった。
若い両親が子供を虐待して死なせてしまうというような事件はもとより、一般には報道されないような「事件未満」の事例が幾つも登場する。

離婚してどちらの親も引き取りを拒否したために、施設に行くことになってしまった小学生。両親が揃って仕事のために不在が多く、金だけ与えられてスナック菓子で食いつなぐ少年(これは米国だったら完全に虐待の範疇だろう)。
死んで街中に捨てられ身元不明者となった赤ん坊。さらには死後十年ほど経った十代の少女が骨の断片だけで発見されたことも……。

はたして今「絆」が叫ばれるのは、絆が存在しなくなっているからだろうか。そんな風に考えてしまうルポルタージュである。


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2012年2月12日 (日)

「ロッキー・ホラー・ショー」:煮ても焼いても食えない怪作

120212
作:リチャード・オブライエン
演出:いのうえひでのり
会場:サンシャイン劇場
2012年1月27日~2月12日

「ロッキー・ホラー・ショー」といえば、映画を今は無き大塚名画座で××年前に見たことがある。当時はビデオさえない時代だったから、マニアは繰り返し名画座に通って覚えたのだろう。

このカルト・ミュージカルをいのうえひでのり演出、古田新太が主役で舞台版をやるというので見にいってみた。
新感線風の破天荒な舞台を期待して行ったが、そもそもオリジナルが破天荒な設定でストーリーはあって無きが如し--なのに作品としてのフォーマットは固まっているので、これ以上どう変えようもないのだった。
だから期待以上のものはなかった。いや、面白かったけどね(^_^;)

一つ謎(?_?)だったのは、曲の歌詞が何を言っているのかほとんど分からなかったこと。日本語のはずだが、英語のようにも聞こえ、耳を英語モードにしてもやっぱり分からない。原曲が英語なのを、日本語の歌詞を付けているからだろうか?

さて、この度の上演に当たって、最大の問題となるのは果たして古田新太の肉体があの衣装に入るかという事であったが、ダイエットしたらしくちゃんとおさまっていた
もっとも、友人は「横からはみ出しているのは、あれは絶対に肉だ」と主張していたのだが。

リフ・ラフ役は岡本健一がやっていたが、歌もダンスもそつなくこなし、こんなにデキる人だったのかと認識を新たにした よくよく考えればもう中堅どころの役者なのであるよなあ。

客は年季の行った「ロッキー~」ファンといった人が結構いた。なかなかに異様な迫力であった。


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2012年2月11日 (土)

2011年度日本インターネット映画大賞発表

外国映画部門は『ブラック・スワン』ですか。
詳しい内容はこちらでご覧下せえ。

恒例2ちゃんのベスト&ワーストを貼っておく。今年は結構違ってますなあ。(邦画も一緒のランキングである)

ベスト

1位 (1032点 73票) ソーシャル・ネットワーク
2位 (*845点 69票) ブラック・スワン
3位 (*598点 48票) 猿の惑星:創世記(ジェネシス)

4位 (569点 37票) ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2
5位 (568点 49票) X-MEN:ファースト・ジェネレーション
6位 (436点 38票) 塔の上のラプンツェル
7位 (409点 37票) ミッション:8ミニッツ
8位 (370点 32票) 八日目の蝉
9位 (348点 31票) 127時間
10位 (320点 25票) ブルーバレンタイン

ワースト
1位 (-36点 10票) SUPER 8/スーパーエイト
2位 (-35点 11票) 三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船
3位 (-31点 11票) トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン

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「預言者」:人生で大切なことは全て刑務所の中で学んだ

120211
監督:ジャック・オーディアール
出演:タハール・ラヒム
フランス2009年

海外の映画賞を幾つも獲得しながら、お蔵入り?と思わせてようやく一般公開である。
ただし、前売りなし、チラシなし、パンフなしの二週間限定公開--こいつはソフト発売に備えての箔付けロードショーってやつではないですかっ!
もっとも、実際見てみてどうして公開されなかったかは理解できたような気が……。上映時間150分、そして場面のほとんどは刑務所の中で展開されるのであるからして、ご家族や女性客はまず敬遠するだろう。

家も金も身寄りも職もないアラブ系の若者が6年の刑を受ける。塀の中でコルシカ人の一派に目を付けられ、殺人を命じられ使いっぱにされる。
一方で、刑務所内の教室で言葉や文字や算数など基本的なことを教わる。孤児だった主人公はフランス語もアラビア語もいい加減で、なんと母語を獲得していないのだ。(もっとも、こういう例は日本でも移民の子弟に見られるらしい)

映画は、六年間の刑期の間に彼が知識を獲得し、民族的アイデンティティを自覚し、ハードな状況を生き抜く知恵を身に付け、コルシカ人のボスからも解放される過程を描く。
閉鎖的な刑務所の描写がこの作品のキモだろうけど、日本どころか米国に比してもどうやらフランスのム所は規制が少ないようである。看守と囚人の癒着という問題はあるだろうが、そもそも外出制度なんてもんがあるのだから驚いてしまう。
それに、あの何でもありのム所ドラマ『オズ』に比べると(あの恐ろしい『オズ』)、さすがに陰惨度はやや落ちる。

主人公は釈放され、同民族の仲間や新しい家族を得、そして正業に就く……はずはないだろう。彼はいっぱしのワルとなってドラッグ稼業に励むに違いない。
とすれば『ゴモラ』で描かれたような「悪と弱者」の世界の中で、彼は弱者から悪に成り上がったということではないのか。
別に映画にモラルを求めるつもりはないが、見終わって、正直なんだかなー(+o+)という気分になってしまった。

また、最初に殺した男が幽霊になって出てきたり、その予言能力(これは幽霊の?それとも主人公自身のものか?)を描きながら、それほど物語に絡んできてないのも謎。どうしてこういう設定にしたのか。

後で監督の履歴を調べたら、『真夜中のピアニスト』の人だったのねー どうもこの監督とは相性が悪いようだ。次からはパスすることにしよう……って、言いながら忘れてまたみちゃったりして(^^ゞ

迫力あるコルシカマフィアのボス役は、なんと『サラの鍵』で好々爺を演じていたニエル・アレストリュプだったのね。あまりにもコワくて違い過ぎです。


客観点:6点
主観点:5点

【追記】
アンコール上映が決まったとのことで、チラシを発見。画像を載せました。なんとこのチラシが特別鑑賞券の代わりになるらしい。

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2012年2月 5日 (日)

「サラの鍵」:鍵をかけようとかけまいと

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監督:ジル・パケ=ブランネール
出演:クリスティン・スコット・トーマス
フランス2010年

『黄色い星の子供たち』と同様、ナチス占領下のパリで起こったユダヤ人一斉検挙事件を取り上げた作品である。同じ実話に基づいているのか、登場するユダヤ人の子ども(こちらは少女)の運命は非常に似通っている。
何日も競輪場に閉じ込められた挙句、両親と引き離され、収容所から逃走し、途中で住人に助けられる。
違うのは、こちらの少女は幼い弟を助けようと自宅に残してきてしまったことだ。少女は助けに戻らねばと焦るのだった。

さらに、現在の女性ジャーナリストが過去に起こった事件を探るという形を取っているのも異なる。それによって過去の事件に対して今の人間は何をなすべきかという視点も入ってくる。
ヒロインは夫の家族から余計なことをほじくり返す厄介者扱いされてしまう。彼女がフランス人ではなく米国出身だという立場が微妙に反映されている。

それにしても驚くのは、自らの危険を顧みずユダヤ人の逃走を助ける人々がいたことである。私だったらそんな勇気は到底ない。それに今の日本では、正義を成すことよりも、和を乱す行為として指弾されることだろう。

エイダン・クインが終盤で出番は少ないが、微妙な心理の変化を見せて極めて印象深い演技をしていた。


客観点:8点
主観点:6点


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2012年2月 4日 (土)

「F.クープランの全景vol.1」:寒夜のクープラン

120204
日本テレマン協会第204回定期演奏会
演奏:中野振一郎
会場:東京文化会館小ホール
2012年1月20日

中野振一郎がクープランのチェンバロ組曲全曲演奏をするということで、その第一回を聞きに行った。文化会館小ホールは七、八割がた埋まっている。日本人の鍵盤弾きでクープランを演目にこれだけ人を集められるのは、そう何人もいないだろう。

クープランの曲集というと、各曲ごとに珍妙なタイトルがついている。この日やった曲でも「猫なで声」とか「ドメニコ会修道士たちの堕落」とか。タイトルと曲調がピッタリしているのもあるし、全く合っていないのもある。当時のシャレとか内輪ウケの類だったのか?

中野氏の演奏は力強く端正で文句のないレベルのものであった。
しかし個人的にはクープランはもっと狭いサロン風の親密な会場で、乾燥注意報なんか出てない湿っぽい時に、粋と退廃の狭間の雰囲気で聴きたいもんだと思った。


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2012年2月 3日 (金)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 2月版

*4日(土)「フルートの肖像 7」(前田りり子)
*8日(水)・9日(木)オペラ「プラテー」(ジョイ・バレエストゥーディオ)

他にはこんなのも
*11日(土)・12日(日)「横濱・西洋館de古楽」
*12日(日)テレマン無伴奏(寺神戸亮)
*17日(金)コントラポント定期
       ブクステフーデ「われらがイエスの四肢」
       アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア
*25日(土)ラ・ヴェルサイエーズ
*26日(日)イタリアバロック音楽の変遷18
どれかには行きたいのう(^・^)

今月は他に、レイチェル・ポッジャー祭り、METライブビューイングもあり。

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