監督:フィリダ・ロイド
出演:メリル・ストリープ
イギリス2011年
おかしい(?_?)私はサッチャー元首相が主人公の映画を見に行ったはずなのだが、どうも間違えたようである。
冒頭、老女が雑貨屋でミルクを買おうとする場面から始まる。彼女は亡くなった夫がいるかのように振る舞う。
回顧録本にサインをしたり、自宅でパーティを開いたりもするが、錯乱した行動を繰り返し、その合間に過去を思い出す。
雑貨屋を営む父に影響され大学へ進み、さらには政界へ--。プロポーズした男に、台所で皿洗いをするつもりはないと宣言する彼女は、明らかに母を嫌う「父の娘」であるはずなのだが、そこら辺は深く突っ込まずさらっと流しまう。
国会議員になっても周囲は男ばかり。そんな中でどうやって党首、さらには首相にまでなれたのか?--というところもすっ飛ばしてしまう。
息子とは疎遠なようなのだが、その経緯や原因についても何も語られていない。
結局、肝心なことは何一つ描かれていない。年譜で一行ずつ語られるような事実が並んでいるだけだ。強いて言えば羅列のやり方が少し変わっているだけだろう。それと、アルツハイマー(?)で老醜をさらす場面にかなり時間を割いているのは予想外だった。
似たような構成の政治家の映画といえば、オリバー・ストーンの『ニクソン』があるが、あちらはニクソンに対する愛憎入り混じった複雑な作り手の心情が伝わってくるのに対し、こちらは全く何も、愛情も批判もないのだった。
もしかして、これは政治家サッチャーではなく、自分をサッチャーと思い込んでいる老女を描いた物語なのだろうか? もし、そうだとしてもM・ストリープは「自分をサッチャーと思い込んでいる老女」を完璧に演じている。
男に伍して首相になった女を描いていることから、これをフェミニズム的な映画だと見なしている感想を幾つか見かけたがとんでもない 「ミルク」に始まり「茶碗洗い」で終わるこの作品は、逆に一時期を画した政治家を「所詮は女」と囲い込んでいるだけという見方もできるのだ。
もっとも、彼女が使用人を使っているような身分の出身であったら、女だろうが自分でミルクを買いに出るようなことはしなかったはずである。とすれば、この行為は「女」ではなく「庶民の出」という階層の表象だろう。
さらに翻ってみれば、政治家の功罪というものは、その人物が何者かではなく何を成したかによるはずだ。それで決まるんではないかね(?_?)
まあ、私を含めて大半の観客はM・ストリープの名人芸を鑑賞しに行ったわけだから、そんなことはどうでもいいだろうが。
なお女性首相の誕生ということについては、英国が女王を戴くお国柄という点が大きいと思える。
Y遺伝子がどうのこうのになんて言ってる国じゃあと千年経っても無理だろう。もっともそんな時まで今の国が存在しているかどうかは不明だが……(^O^;)
メリル度:9点
マーガレット度:3点