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2012年4月

2012年4月30日 (月)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 5月版

5月はLFJに限らず色々と目白押しだいっ。

*3日(木)大塚直哉チェンバロ・リサイタル
*20日(日)「マラン・マレの肖像」(クイケン+ルセ+上村)
19日所沢公演もありますな。ただ会場はこちらの方が向いているかと……。
*24日(木)ル・ポエム・アルモニーク
26日神奈川公演もありますが、あの会場はおすすめできません(>_<)

他にはこんなのも
*3日(木)マチルド・エチエンヌ&野澤知子
*5日(土)松本バッハ祝祭アンサンブル
*18日(金)クリストフ・ルセ独奏
*19日(土)みんなの古楽「忠実な羊飼い」
横須賀は遠いよのう(+_+)
*25日(金)ヴィーラント・クイケン独奏
ルセとこちらは完売--というとにわかに聞きたくなってしまうのであったよ。
*27日(日)「神秘のJ・S・バッハ」
東京藝大企画もの。これは行きたい\(◎o◎)/!と思ったら他の予定が……トホホ

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「ヴェルサイユ宮殿のド・ヴィゼー」:王は踊るよリュートと共に

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演奏:佐藤豊彦、ザ・リュートコンソート
会場:近江楽堂
2012年4月21日

前回行ったコンサートではガンバのコンソートを聞いたが、この日はあら珍しや(!o!)リュートの合奏をやっていた。我がコンサート歴を顧みても「初耳」だろう。

ロベール・ド・ヴィゼーは正体不明の作曲家。1680年ごろに風のように忽然とパリに現れ、声楽・リュート・ガンバ・作曲なんでもござれと活躍し、王付きのギター教師にまでなったが、1720年にまた風のごとく消えたという。

で、最初にやったのがトレブル・リュート(ちっこくてきゃしゃな高音を出す)、アルト・リュートにさらにテオルボが3台の合奏である。曲によってはリコーダーも参加した。
ルイ14世は朝、起きてからこの編成の合奏をバックに踊るのを日課としていたそうである。
確かに、ガンバ・コンソートのような重層の音の連なり、ではなくて撥弦楽器だから聞いているとなんかチャンチャカチャンという感じで飛び跳ねたくなっちゃうヽ(^o^)丿
じっと座って鑑賞用として聴くのはどうか(^^?)という印象だ。

また、会場の狭さや構造、楽器の特性もあって6人並んでうまく合わせて演奏するのは大変そうだった。
なお、トレブル・リュートは後のマンドリンの元祖とのことである。もっとも、その「マンドリン」も現在のマンドリンとはまた違うそうだ。う~む、色々ためになります。

その後はバロックギター(秋山幸生)、テオルボ(櫻田亨)のそれぞれ独奏が続く。テオルボではリュリ作品の編曲版なども。
休憩を挟んで佐藤豊彦のリュート・ソロで組曲を演奏した。

ド・ヴィゼーの曲はどれも当時の宮廷を彷彿とさせる雅な雰囲気にあふれているが、一方で曲が似通って聞こえるところもあったりして(^^;ゞ
とはいえ、オール・ガット弦による響きを心行くまで味わえたコンサートであった。(通奏低音や声楽曲の伴奏では調弦の時間がかからないように、ナイロン弦使用が多いようなんで)


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2012年4月26日 (木)

「ロンドンの呼び声」:今の新大久保と昔のロンドン、賑やかさでは変わらず

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演奏:ザ・ロイヤルコンソート&ベツァベ・アース
会場:日本福音ルーテル東京教会
2012年4月18日

ガンバ・コンソートというと録音は多数出ているが、実演となるとなかなか聞く機会はない。アマチュアやセミプロでは盛んなのかもしれないが、プロとなるとそれだけの人数を一度に集めるのは難しい?のだろうか。
日本人ではこのザ・ロイヤルコンソート、あと来日組だとフレッワーク(だったかな?曖昧)ぐらいしか記憶にない。

さて、上村かおりをはじめとするザ・ロイヤルコンソートが今回ゲストに選んだのはソプラノ歌手のベツァベ・アースである。彼女は先日の「ピーター・ブルックの魔笛」でパパゲーナ役で来日、その機会を生かして共演となったようだ。(あと鍵盤&ギター&ミュゼットで上尾直毅も客演)
もっとも、私が見た「魔笛」はダブルキャストの「金髪組」の方だったんで彼女は見られなかった。
オペラによく出演しコミカルな役が好きなので、本来はパミーナ役をオファーされたのをわざわざパパゲーナの方を希望したという。

そんな彼女が歌ったのは英語ではT・ウィルクス、ダウランド、ジョン・ベネット、リチャード・ニコルソン、そしてシェイクスピアの朗読も挟んだ。フランス語の曲も歌い(出身地はパリ)モーパッサンの朗読もやった。
その合間にガンバ組がコンソート曲のホルボーンやフェラボスコを演奏。

かなり役者度の割合が高い人なんで、韻を強調して歯切れのいい「ジョンはジョアンに言った」はもちろん、物売りを模した「ロンドンの呼び声」とか「ご婦人がた、小間物はいかが」に至ってはドミニク・ヴィスほどではないが、かなりのやかましさを再現していた。ここまで来ると「ダウランドでこの騒がしさはどうよ(-"-)」とか「クセがあり過ぎ」という意見が出るかも知れない。個性が強い歌手なので仕方ないところだろう。
次は正統派バロックオペラでの来日を希望よ

今回、会場の隣の部屋にガラス張りのドアが付いた小部屋があるのに初めて気が付いたのだが、そこに小さい女の子がいて時々ガラスに張り付いてこちら側を見ていた。どうやらベツァベ・アースの娘さんらしく、おかーさんがステージ真ん中に立つ度に手を振ったり拍手したりするのであった。かあいかったです(*^_^*)


ところで、今回は大失態をやらかしてしまった(~_~;) なんと会場を間違えて行ってしまったのだ。「あれ、いつもロイヤルコンソートは新大久保の教会でやるのに今回は違うのか。変だなあ(?_?)」と思いつつ、チケットの日付は確認したのに会場は全く確かめなかったのだよ
結果、そこに着いて全く別のコンサートのポスターが貼られているのに仰天(>O<) それから方向転換したので、途中入場を余儀なくされたのであった。ドジであるよ

新大久保は昔に比べ、遅い時間になっても人が増えていてビックリであった。以前は駅の側ならともかく、教会の方はさすがに人通りも少なくなってたのに。ブームなんですねえ……。


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2012年4月21日 (土)

東京・春・音楽祭ミュージアム・コンサート 寺神戸亮:クラヲタとは暗ヲタではないと言っておくれ

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美術と音楽~絵画に描かれた楽器たち 5 古楽器編
会場:東京都美術館講堂
2012年4月7日

外は桜が満開になろうという上野公園を通り、リニューアルなった都美術館へ。一階にレストランのスペースができてるなーなどと眺めつつ地下に降りると「講堂」があった。もろに視聴覚室風な作りだ。こりゃ音楽聴くような会場じゃないと思ってしまった。
なんでも満員御礼とのことで、こんな日に地下の薄暗い部屋にゴソゴソと集まってくるというのは、果たしてクラヲタな方々が結構いるということか。

開場5分後から須沢友香子(美術史家)のプレトークが始まるはずだったが、開場と入場に時間がかかったもんで押して始まった。6月から「マウリッツハイス美術館展」というのが開催されるのにちなんで、そこに出品される絵画(17世紀のオランダ・フランドル作品)を中心に古楽器が描かれているものなどを紹介した。
イタリアからのカラヴァッジオの大きな影響から、さらにそれを脱却して近代にいたる過程など、色々ためになりました、ハイ(^_^)

コンサートの方はビーバーの「ロザリオのソナタ」から一曲、続いてテレマン、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲を演奏。バッハはもちろんシャコンヌで、アンコールは同じくラルゴだった。
曲の合間にはバロック・ヴァイオリンの違いについて寺神戸氏が解説。
輪郭がくっきりしたなテレマン、重層的に塗りつぶしていくようなバッハ、とそれぞれに違いがよ~く感じられた。
音響的にはどうなるかと不安だったが、コンサートの部になるとスクリーン前を遮蔽し、さらに細い木の棒を何本も縦に束ねたような設置物(新兵器か?)を置いたりという工夫の甲斐あってか、残響が少なくても音がクリアで聞きやすかった。

以前、似たような趣旨のコンサートを聞いたことがあって、行かないつもりだったが、土壇場で気が変わってチケット購入したのであった。前回よりはかなりの短縮版だったが、聴けてヨカッタ
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終演後は美術館のショップを物色。墨田区にあるという店のコーヒーを買った。

それにしても、花見の真っ最中には上野に近寄るもんではないね。JR公園口の改札は人が充満して出られないのだ
天気は良かったが、気温の低い日だったので至る所から「寒~い」という声が聞こえてきた。若い女の子なんかミニスカで薄っぺらいシート一枚アスファルトの上に敷いてりゃ(しかも全然桜がない場所)寒い{{(>_<)}}だろうってなもん。


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2012年4月15日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパン第97回定期演奏会「マタイ受難曲」:スマホ受難

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会場:東京オペラシティ コンサートホール
2012年4月6日

いやあ、もう全く集中力が欠けたコンサートだった--といっても、それはBCJではなく私σ(^-^;)のことなのだが。

思えば今回の「マタイ」の開演は30分早いということで、職場を時間給取って一時間早く出るはずが、結局出られたのは終業10分前……(-_-;)なんてこったい。

やっと着いたと思ったら、年度初めなんで隣席の客が変わってる。もっとも、私自身の座席は希望に反して変わらないままなのだ。なぜだ
ところが、その隣の男がまた落ち着かない野郎で、ずーっとパンフレットをパラパラめくって少し読み、またパラパラめくってはあちこち読むというのを繰り返している。ステージ上なんか10分に一度ぐらいしか目をやらない。
しかも、そいつはパンフを手に掲げて持って見てどうしてもいるので、私の眼に入ってしまうのだ。さらに、なんと演奏中にスマホのチェックまで始めたではないかっ(~o~) ケータイの電波は入らないはずだが、スマホだと違うのか?(無知) 
とにかくコロス(*`ε´*)ノ☆である。そんなに大事なメールがあるのか。

休憩後もずーっとそんな調子で、気になって全く音楽の方には集中できなかった。最悪であるよ(+o+)トホホ
こんなみじめな気分でBCJを聞いたのは初めてだ。
次回もそいつが座っていたらどこでもいいから席を変えてもらおう。変えてくれなかったら当日券でも買うよ。


そんな状態での感想を強いて書けば--以前よりもゆったりとした「マタイ」であった。エヴァンゲリストのお馴染みG・テュルクはかなり感情を込めた歌い方で、こんなに感情入ったエヴァンゲリストは初めてだーという印象。
ハナ・ブラシコヴァは凛としてさわやか。イエス役のピーター・ハーヴェイは重すぎず軽すぎずの絶妙なバランスが取れていた。
ただ、CTのクリント・ファン・デア・リンデはねえ……(-"-) 「メサイア」公演の時もそうだったが、ビミョ~ 声量もあるし、合唱で聴く分には文句もないだろうが、独唱だとねえ。ちょっとクセがあり過ぎである。
日本人組のソリストたちはけなす所もないが、かといって褒める部分もないという、中途半端な印象だった。
なおチェロ&ガンバでエマニュエル・バルサが特出。


【関連リンク】
《Langsamer Satz》
ええっ ハナたんがヘソ出してエレキベースを(!o!)
キャ~っO(≧▽≦*)O萌えてエエですか


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2012年4月14日 (土)

「ピナ・バウシュ 夢の教室」:去る人来る人

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監督:アン・リンセル
出演:ピナ・バウシュ
ドイツ2010年

ヴェンダースの『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』と併映する形で公開されたドキュメンタリー。過去にBS放送でやったことがあるらしいが、完全に見落としていたようだ。ヴェンダースの3D作品は敬遠して、こちらを見に行った。平日の午前中なのに、結構客が入っていたのは驚いた。

十か月間、週一回、シロートの十代の若者たち40人を集めてピナ作品の「コンタクトホーフ」を踊らせるというプロジェクトのドキュメンタリーである。
似たような趣向の作品は過去にサイモン・ラトルが指揮した「春の祭典」での『ベルリン・フィルと子どもたち』というのがある。ただし、主要な踊り手ではなく群舞に入っているような(中には全くやる気のない)子をそれぞれ取材して、どちらかというと教育問題寄りの作品だった。

こちらに登場するのは自ら応募してきて、ダンスはしたことがなくても演劇やラップなど一応自己表現をしようとする意欲のある若者たちだ(もっとも「学校の先生に勧められて来た」という子も^^;)。
だが、ピナ作品ったらバリバリの難解モダンなイメージではないですかっ(!o!) 大丈夫なんだろうか?と心配になるのは仕方がない。
そういう子たちの中の5~6人に焦点をあてて家族や自分のことをインタビューしている。が、中心になるのは練習場面だ。
男女の愛憎を描く作品ではあるが「彼氏、いるわよ~」な子から「恋愛てまだしたことないから分かんない。愛してるといったら家族かな、モジモジ」みたいな子まで様々である。

ピナ・バウシュが直接指導するわけではなく、教えるのは中年のベテラン女性ダンサー二人だ。基本的な動作から踊りの解釈まで根気強く指導していく。
ピナは何回か顔を見せるだけだ。ただし、本人が登場する時間は『Pina』より長いという噂である(^_^;)
印象深かったのは、女の子たち数人が並ぶシーンを踊るのを配役決めのために見ていて語った言葉だった。「ここは、昔オペラ座でオーディションを受けた経験を元に振付けたのよね」……そうか、彼女もかつて若々しい十代でオペラ座の舞台に立とうとするダンサーだったのか なんだか後のイメージから想像もできないが。意外といえば意外、当然と言えば当然ではある。

見ていて私も若者たちと同様、解釈困難な「コンタクトホーフ」に初歩から付き合って分かるような気になった(多分)。
だが、柔軟に素早く何事も吸収できるのは若者の特権である。オバハンオジサンではこうは行かぬよ( -o-) sigh...
ダンスファンに限らず、自己表現を志す若いモンにも推奨。

それにしてもピナ・バウシュの放つ鋭いオーラは迫力あり。長年付き合っているはずのダンサー二人からも彼女を前にした緊張感が伝わってきた。


若い者はまだ未来も元気もあってええのう度:8点
難解度:4点


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2012年4月10日 (火)

「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」:「鉄」か「女」か

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監督:フィリダ・ロイド
出演:メリル・ストリープ
イギリス2011年

おかしい(?_?)私はサッチャー元首相が主人公の映画を見に行ったはずなのだが、どうも間違えたようである。

冒頭、老女が雑貨屋でミルクを買おうとする場面から始まる。彼女は亡くなった夫がいるかのように振る舞う。
回顧録本にサインをしたり、自宅でパーティを開いたりもするが、錯乱した行動を繰り返し、その合間に過去を思い出す。

雑貨屋を営む父に影響され大学へ進み、さらには政界へ--。プロポーズした男に、台所で皿洗いをするつもりはないと宣言する彼女は、明らかに母を嫌う「父の娘」であるはずなのだが、そこら辺は深く突っ込まずさらっと流しまう。
国会議員になっても周囲は男ばかり。そんな中でどうやって党首、さらには首相にまでなれたのか?--というところもすっ飛ばしてしまう。
息子とは疎遠なようなのだが、その経緯や原因についても何も語られていない。

結局、肝心なことは何一つ描かれていない。年譜で一行ずつ語られるような事実が並んでいるだけだ。強いて言えば羅列のやり方が少し変わっているだけだろう。それと、アルツハイマー(?)で老醜をさらす場面にかなり時間を割いているのは予想外だった。
似たような構成の政治家の映画といえば、オリバー・ストーンの『ニクソン』があるが、あちらはニクソンに対する愛憎入り混じった複雑な作り手の心情が伝わってくるのに対し、こちらは全く何も、愛情も批判もないのだった。

もしかして、これは政治家サッチャーではなく、自分をサッチャーと思い込んでいる老女を描いた物語なのだろうか? もし、そうだとしてもM・ストリープは「自分をサッチャーと思い込んでいる老女」を完璧に演じている。

男に伍して首相になった女を描いていることから、これをフェミニズム的な映画だと見なしている感想を幾つか見かけたがとんでもない 「ミルク」に始まり「茶碗洗い」で終わるこの作品は、逆に一時期を画した政治家を「所詮は女」と囲い込んでいるだけという見方もできるのだ。
もっとも、彼女が使用人を使っているような身分の出身であったら、女だろうが自分でミルクを買いに出るようなことはしなかったはずである。とすれば、この行為は「女」ではなく「庶民の出」という階層の表象だろう。

さらに翻ってみれば、政治家の功罪というものは、その人物が何者かではなく何を成したかによるはずだ。それで決まるんではないかね(?_?)
まあ、私を含めて大半の観客はM・ストリープの名人芸を鑑賞しに行ったわけだから、そんなことはどうでもいいだろうが。

なお女性首相の誕生ということについては、英国が女王を戴くお国柄という点が大きいと思える。
Y遺伝子がどうのこうのになんて言ってる国じゃあと千年経っても無理だろう。もっともそんな時まで今の国が存在しているかどうかは不明だが……(^O^;)


メリル度:9点
マーガレット度:3点

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2012年4月 5日 (木)

「マージン・コール」:国滅びて山河なくローンあり

監督:J・C・チャンダー
出演:ケヴィン・スペイシー
米国2011年
*DVD

日本未公開作品。ネットのどこかで、リーマン・ショックを的確に描いていると褒めている文章を読んだのを、レンタル屋に並んでいるのを見て思い出して借りてみた。

ウォール街の投資銀行にリストラ請負会社の職員たちが入ってくる場面から始まる。銀行内でリスク管理を担当する部署ではその日、8割の社員が解雇された。
この時、ケヴィン・スペイシー扮する上司は陰鬱そうに涙目になっているが、それはリストラされた部下のためではなく、愛犬が死にかけているからである。

で、てっきり『カンパニー・メン』みたいな展開になるかと思ったらそうではなかった。そんな人間くさい話ではない。
一応、K・スペイシーの名がトップにクレジットされているが、実質的には彼が主役というわけでもなく、群像劇になっている。
クビにされた社員の資料から会社の危機が判明する。リスクを含んだ金融商品の損失額が会社の総資産を超えているというのだ。しかも、いつ火が燃え上がってもおかしくない状態である。これが発覚したら大騒動間違いなし。

早朝4時に開かれる会議に顔を揃える重役たち。迫りくる敵に取り囲まれもはや落城寸前といった風情だ。だが、主君ならぬ社長はここで恐るべき決断を下す。

これには驚いた。義理も人情もモラルもないとはこの事だ~
以前に見た『ゴモラ』ではイタリアのさびれた都市での犯罪組織の悪徳を描いていたが、こちらはニューヨーク、登場する人物は一流のスーツを来て高層ビルで働く高給取りだ。
しかし、やっている事は全く同じという恐ろしさ(@_@;)
もっとも、背景となっている時期は『ゴモラ』よりも前なんだよねえ。ということはこっちが本家(元祖?)か!

経済もので、色恋沙汰なしの一本勝負、しかも淡々とした群像劇となると味も素っ気もなさそうだが、そんなことはない。
社長のジェレミー・アイアンズ(生臭そうな雰囲気がイヤン(^v^))、係長(?)ポール・ベタニー、TVドラマでおなじみサイモン・ベーカー、お久しぶりなデミ・ムーア、朴訥としたスタンリー・トゥッチなど達者な役者を揃えている。いずれも「味」のある演技を見せていた。
また、映像も美しく、特に深夜から明け方までのニューヨークの様々な光景が素晴らしい。また、終始一貫して緊張感が画面から張りつめて伝わってくる。

結局、悪徳は栄えた。残るは悪を受け入れるか拒否して立ち去るか、だ。
そして冒頭の、部下ではなく愛犬に涙するという上司の非人間的に見える行為が、結末に至って実は人間性の発露に他ならなかったことが明らかになるのだった。
今年のアカデミー賞脚本賞にノミネート。

それにしても、登場する23歳若手社員の年収をざっと日本円で計算したら……二千万円ぐらい(>O<) 信じられん。


悪徳度:9点
社畜度:9点

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2012年4月 3日 (火)

「ヤング≒アダルト」:曲がり角はぶつけるとイタい

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監督:ジェイソン・ライトマン
出演:シャーリーズ・セロン
米国2011年

『JUNO/ジュノ』の監督&脚本家コンビが復活して作ったコメディ。もっともほとんど笑えない。つまらないからではなく、ヒロインがあまりにアイタタタタタタな人物だからだ。
その痛い(*_*;ヒロインに扮するはシャーリーズ・セロンである。どこから見ても美人な彼女だから余計にイタさが増すのであった。

三十代といえばお肌と人生の曲がり角。かつて高校時代は「学園の女王」だったヒロインもバツイチで、仕事も不調。酔っぱらって化粧も落とさず服のまま寝てしまうなど日常茶飯で、公私ともに絶不調なのであった。そこへ学生時代に付き合っていた元カレから子どもが生まれたというメールが来る。
恐らくは一斉メールで挨拶程度に送られたメールに彼女は突然発奮<`ヘ´>、元カレを奪回しに故郷へと向かうのだった。

なぜ、ヒロインが唐突にそんな行動に出たのかは終盤で明らかにされるが、その事情を差し引いてもイタタタなのはどうしようもない。
彼女の仕事はヤングアダルト小説の人気作者のゴーストライターという設定になっている。日本だと外国のYA小説は文学寄りなイメージだが、どちらかというとラノベやケータイ小説に近いようだ。
しかも、何が驚くって、彼女は町で見知らぬ高校生の会話を耳にしてそのまま小説に使うだけでなく、現実に元カレに対しても使ってしまうのだ これはイタ過ぎである。

かつての「女王」の神通力は「大人」の社会では通用しない。かろうじて残っているのは、生暖かく見守って助言をくれる元同級生のヲタク男と、未だに彼女を崇拝しているその妹ぐらいである。

ヒロインは果たして最後に一皮むけて成長したのか、それとも相変わらずイタタなまま吹っ切れてしまったのか--これは観客それぞれ解釈が異なるところだろう。映画の主人公が結末で成長しなくてはならないという決まりはないし、自己チューな人物が必ず罰を受けるという法則もない。そういう意味ではなんのカタルシスも結論もこの映画には存在しないのだった。

まあ、この主人公には遥か遠方から、頑張って下せえとエールを送るに留めよう。ただ、古傷をバラされた元の彼氏にはお気の毒としかいいようがない。

その元彼役のパトリック・ウィルソンは、昔はカッコ良かったのかもしれないが今は平凡な父親という役柄をうまく演じていた。ヲタ男の悲哀をにじませるパットン・オズワルトはエエ味を出している。
もっとも、最大の功労役者はやはりC・セロンだろう。彼女でなかったら、魅力70パーセント減は間違いなし。

キティちゃんのTシャツをヒロインが着ているのが話題になったが、私は終わりの方で来てた黒のスター・ウォーズTシャツが欲しいぞ(^O^)ノ
思い出の曲はティーンエイジ・ファンクラブだったのね。その他、懐かしいバンドの曲が使われていた。


痛さ:9点
笑い:5点

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