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2012年7月

2012年7月28日 (土)

「フランス・バロックの宗教音楽」:行きは大汗、帰りはチケ買い

120728
第5回コンセール・スピリテュエル
演奏:フォンス・フローリス+コントラポント
会場:上野学園石橋メモリアルホール
2012年7月16日

花井哲郎が指揮する大規模合唱団の公演。ソロ歌手と器楽のユニットであるコントラポントがいつも通り共演である。
例の如く時間ギリギリになって行ったら、もう満員状態でほとんど席が残っていなかった(自由席である)のには驚いた。
駅から走ったので、座席に着いても汗だく(^_^;Aになってしまった。

前半はラモーのグラン・モテ「主が連れ帰ってくださったとき」は1751年の作品。いかにもフランスの宗教曲らしく華やかな味わいである。
三人のソロ歌手のうち、ソプラノの花井尚美が独唱した5曲目は高音が非常に伸びやかで、草原の風に乗って流れるようなイメージで心地よかった。思わず花井萌え~

後半はカンプラの「レクイエム」である。ここではソプラノが抜けて男声3人となった。
レクイエムといっても、「葬儀」というよりやはり明るく流麗な印象が大きい。以前、誰の演奏か忘れたがCDを買ったけど、あまり聞かないでそのままになってしまった。しかし、こういて多人数の演奏を生で聴くと全然違う。
全体的に汗も飛び去るすがすがしい演奏だった。

石橋メモリアルホールは端っこの席でも遜色なくいい音で楽しめた。やはりこの会場は「買い」であるよ。

帰りは暑かったけど駅の反対側の文化会館へ回って、S・バリアーノ(リコーダー)の公演チケットを購入してしまったのであった。


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2012年7月26日 (木)

「なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか」

120726
見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間
著者:森功
講談社2012年

先日、エネルギー政策についての意見聴取会で電力会社の社員の発言が話題になった。「放射能で亡くなった人は1人もいない」というのだ。
しかし、放射能ではないが原発事故のために亡くなった人々はいる。

福島第一原発から4.5キロの位置に高齢者用の施設と病院があり、そこには436人がいた。寝たきりの老人も多数である。
震災の翌日に役場の手配したバスに乗り半数近くが避難するが、その後が来ない。続けて出発できると思っていたので、病院長他数人しかスタッフがいない状態のままである。いつの間にか周辺地域は避難完了している。ようやく自衛隊が来たのは14日になってからだった。
しかしそこで、原発で水素爆発が……。

詳しい状況が分からぬまま自衛隊の後続の部隊は来ず、さらに唯一残っていた指揮官がスタッフの自家用車を借りてなんと逃走 90人もの患者が取り残されたままになってしまったのだった。
先に避難した患者もたらい回しにされるなどして、結果として50人もの死者が出た。震災によってライフラインが途絶しただけだったらこんな事態にはならなかったろうと思える。
原発事故によって避難命令が出て、周辺が混乱に陥ったのは大きい。さらに役所と警察と自衛隊の間の連絡がほとんど取れていなかったことも。

しかも、不可解なことに県は、病院関係者は患者を見捨てたまま誰一人いなかった、とマスコミに発表したのである。病院に対し非難の雨アラレが降り注ぐ。
何か事件が起こるたびにこういう状態になるのは日本だけなのか?(そして1か月も経てば当事者以外には忘れ去られてしまう)

著者はフリーのルポライター。実際に病院長の話を直接聞くまでは悪人だと思っていたという。しかし、一過性のマスメディアの報道が顧みない事実の掘り起こしによって、その本領が発揮されたといえるだろう。
「過疎の地」にそのような大規模な高齢者用の病院や施設があるのかにも、さりげなく触れている。


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2012年7月22日 (日)

「メルトダウン」

120722
ドキュメント福島第一原発事故
著者:大鹿靖明
講談社2012年

私は最初、原子力エネルギー依存を今すぐゼロにするのは無理だから、徐々に代替エネルギーへと転換していくのがいいと思っていた。
しかし、この本を読んで考えを改めた。やはり数十年かけた計画なんてヌルイことを言ってはいられない。

内容は三部構成になっている。
第一部は3.11大震災から原発事故が、一旦収束するまで。その間の官邸や東電の動向が描かれている。全て公式な資料と直接取材からなり、全て出典が記されているという念の入れよう。
手探り状態で段々と両者の関係が悪化していく中、なんとか事故が収束できたというのは4月中頃だったという。つまり、それまでは実際どうなるか分からなかったわけだ。

残りの章は菅政権崩壊までの政財官、特に官僚の暗闘である。省庁同士、さらに同じ省内でもエネルギー守旧派と改革派のさや当てなど、様々な思惑がうごめく。それは驚いたことに原発事故の収束前--というより事故直後から繰り広げられていた。
そして脱原発へと傾いた政権への「菅降ろし」の動きが起こる。

読んでて笑ってしまったのは、首相がフランスのサミットに出席していた時、会談の原稿に必ず経産省の官僚が「原子力エネルギーは変わらず重要であるが」のような文言を入れたという。首相が何度読み飛ばしてもまた次の原稿に入れてあったというエピソードである。シツコイ(・o・)

震災や原発事故も片付かない時期にこんなことに血道を上げていたとは驚いたことである。被害にあった人々のことなどどうでもいいとしか思えない。
これでは、もしまた同じような事故が起こっても同じようなことを繰り返すだろう。
暗澹たる国の未来である。

ところで、著者は朝日新聞の経済部→「アエラ」誌の編集部にいるのだが、出版は朝日じゃなくて講談社なのね(~o~)


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2012年7月20日 (金)

「ムサン日記~白い犬」:黒い心白い夢

120720
監督:パク・ジョンボム
出演:パク・ジョンボム
韓国2011年

たまたま韓国映画を続けて鑑賞。しかしこれは『サニー』とは正反対な作品である。完全ノーマークだったが、他に見に行きたい映画がない時に、他人の感想を読んで見てみっかと思い立ったのだ。
なので、あまり期待しないで行った。

主人公は北朝鮮から中国を経由して脱北してきた若者。こういう境遇の人々は韓国に2万人もいるのだという。都会でもロクな職がなく脱北仲間の友人のアパートに居候状態である。
与えられた身分証明書の番号は脱北者だとハッキリ分かるように付けられていて、一般市民扱いされない「格差」も存在する。
教会の合唱隊で見かけた娘に惹かれるが、金もなく外見も冴えない彼には声をかけることさえできない。

小遣い稼ぎのバイトもうまくこなせず、羽振りのいい友人には引け目を感じ、心の慰めは聖歌を聞きながら聖書を読むことと、町で拾った白い犬だけ……という出口なき毎日の連続が描かれる。
はがれかけたポスターの光景が、主人公の行き場のない閉塞感を表わして強烈な印象を残すだろう。
しかし--友人が金のトラブルを起こしたことから転機が訪れたのである。

主人公はまともな人生を得たいと思っただけかも知れない。だが、それは期せずして、彼が教会で告白した北にいた頃に犯した過ちと同じようなことを、繰り返すことになったのだった。誰がそれを責められようか。とはいえ、罪は罪だ。
随所に挿入される韓国語による聖歌。特に終盤の「アメイジング・グレイス」の平穏さが心にしみる--と同時に不安も感じさせる。

そして、結末は果たして神の采配なのか、ただの偶然なのか? なるべくしてなったのだろうか。
宣伝のコピーには「衝撃のラスト!」とあるが、それは少し違うだろう。ただ、観客は主人公を呆然と眺めるのみ。そして、ラストシーンの後の字幕がさらに追い打ちをかけるのであった(@_@;)

ストーリー、演出、映像、どれをとってもお見事である。
韓国映画の新人で監督・脚本・主演……というと『息もできない』をどうしても思い浮かべてしまう。その後ヤン・イクチュンの方は次作(監督にしても出演にしても)の話はどれも潰れてしまったようだが、こちらのパク・ジョンボムには頑張って欲しいもんである。
ただ、一つ疑問なのは「ムサン日記」というタイトル。英語題名をそのまま訳したようなのだが、さてその意味は?
ムサンは北朝鮮の町で、もちろん作品内には登場しないのであるよ(?_?)

なお、これは『ヒューゴの不思議な発明』『アーティスト』も超えた今期最大の「犬映画」に間違いなし。犬嫌いも号泣だいっ。


犬度:9点
人間度:5点

【関連リンク】
《ノラネコの呑んで観るシネマ》

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2012年7月15日 (日)

「バロックの父コレッリ 2」:ソナタと呼べばコレッリと返す♪ホールのこだまの嬉しさよ

120715
ローマの出会いそしてロンドンへ
演奏:チパンゴ・コンソート
会場:近江楽堂
2012年7月10日

チパンゴ・コンソートは、エンリコ・オノフリに影響を受けて古楽へと「転向」したというヴァイオリニスト杉田せつ子のグループ。オノフリが来日した際には共演している。
この日は、他に懸田貴嗣(チェロ)、渡邊孝(チェンバロ)が参加してコレッリとその後輩作曲家たちの曲を演奏した。

ヘンデルはもちろんジェミニアーニも知っているが、カルボネッリという人となると全く聞いたこともない人物。三人ともローマでコレッリと関わりがあり、そしてロンドンにその後移って活躍したという共通点があるとのこと。
1700年ごろ生まれたというカルボネッリのソナタはちょっと「泣き」の入った曲調で、他とは異なっていて興味深く聞いた。

ヘンデルのソナタは、杉田女史によればオペラで有名だけあって器楽曲でも歌心があるということで、なるほど歌いかけるように弾いていた。
あと印象に残ったのは、コレッリとは遥か一世紀も先輩なフレスコバルディの「そよ風吹けば」。タイトルのせいもあるけど、青空と草原を思い浮かべるような鮮やかなイメージの曲だった。

さて、肝心のコレッリについてはソナタ集より3曲演奏された。解説文に「当時の習慣として、そこに自由な装飾を加えて演奏することが前提となっており、本日も杉田版の華麗な装飾を聴くことができるはず」とあった通り、確かに大胆な装飾尽くし。あまりに大胆すぎて同じ曲には聞こえないほど--って、かなり大袈裟に書いております(^^ゞ
さらには、一瞬弓が滑ったのかと思えるような瞬間もあり、トーシロの私は事態が把握できず周囲を思わず見回したが、実際のとこはよく分からなかった(+o+)

やはり杉田せつ子という人はクセというか個性が強すぎて、たまに雑に聞こえてしまうようなところがあるようだ。あ、これはあくまでも門外漢の感想である
そんな杉田女史に対して懸田&渡邊コンビは堅実なグッド・サポートでしたのよ。

この日は微妙な気候で、会場のエアコンは止めていた。前半はよかったが、後半はちょっと暑かったようだ。杉田女史はしきりと気にしていたが、下手に「暑い」といって空調入れると今度は寒くなってしまうし……。
この会場は困ったもんである。なんとかしてくれい(ーー;)

過去の演奏の感想→「旅する楽士~時をこえて西へ東へ」

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2012年7月14日 (土)

「サニー 永遠の仲間たち」:女子会ランチは亭主元気で留守がよい、金は出しても口出すな

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監督:カン・ヒョンチョル
出演:ユ・ホジョン、シム・ウンギョン
韓国2011年

予告を見て面白そうに思ったのと、使われている音楽が懐かしかったので行ってみた。
主人公は専業主婦で一人娘がいる。ダンナの稼ぎはいいらしく、立派な家に住みハタから見れば優雅な暮らしである。しかし、何か悶々とするものを抱えているようだ。
そんな折に、親が入院している病院で高校時代の親友に出会う。

その後、高校で同じグループにいた仲間たちを集めようとする現在と、過去(1986年)の学校生活の回想が交互に描かれる。
高校時代はハツラツ元気だった少女たちも、25年も経てばその後は色々だ。暮らしぶりも家庭環境も違っている。
過去の「事件」を乗り越え、往年の友情が復活し、果たして全員が集まれるのか?

--と書くとシリアスそうだが、実際見てみるとかなりコメディ・ベースである。笑わせた挙句にホロッと泣けるみたいな調子だ。「韓国版樹村みのり」を期待して行った私は、ちと調子が狂ってしまった。
病院の大部屋で全員が韓国ドラマに見入っているなんて場面はかなり笑えるが、少女のグループ同士のタイマンとデモ隊対機動隊の衝突を重ねるところなんかは「そこまでやるか~」という気もする。

路上待機中(?)の軍隊の皆さんがビン入りの牛乳を飲んでいるのは笑ってしまった。今だったらペットボトルだろうが……。そういう細かい部分は手抜きなしのようだ。
それから、日本だと「高校生はお化粧禁止」みたいな調子で「整形禁止」というのはお国柄か(@_@;)
高校生時代もオバサン世代もそれぞれ女優さんたちは好演である。

意外というか驚いたのは、高校以後から現在に至るまでのヒロインの過去--夫と出会って子どもが生まれて、などなどの描写がすっぱりと切り落とされていることである。それはほとんど彼女の人生の本質に関係がないかのようにだ。

思えば、この物語はヒロインの旦那が出張中に展開される。冒頭で、彼女は出張期間中の生活費にとかなりの(多分)現金を渡される場面が出てくる。
旦那の不在中に、その金を手に人生の中間部分の欠落を埋める彼女の行動は、あたかも昼間のランチだけ満員状態のレストラン(なぜかデザートが二種類出る)を埋める中高年女性のようである(夜は旦那が帰ってくるから家を空けるわけにはいかないので、そういうレストランは閑散とする)。
もちろん、楽しめて元気が出る作品だとは思ったが、私としては夜の部(酒)も必要なのよ( ^^)/▽☆▽\(^^ )

冒頭と終盤でかかる印象的な「タイム・アフター・タイム」はどこかで聞いた歌手のヴァージョンだなあと思ってたら、タック&パティだと映画館を出た後に思い出した。CD持っていてさんざん聞き倒した曲だったのだ。


亭主度:0点
女子度:9点


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2012年7月12日 (木)

「裏切りのサーカス」:男たちの大英帝国

120712
監督:トーマス・アルフレッドソン
出演:ゲイリー・オールドマン
イギリス・フランス・ドイツ2011年

どうも小説にしても映画にしてもスパイものは苦手だ。007だってロクに見たことはないが、それよりもシリアスなタイプの作品。陰々滅滅、ウツ展開で見てると気が滅入ってくる。『エロイカより愛をこめて』で少佐が英国に出向中に、後任者が過去のスパイたちの末路を話して聞かせて、部下たちをパニック状態に陥れたようなパターンである。

な訳で、ル・カレの原作は高名だけど未読のまま映画を見に行ってみた。ゲイリー・オールドマンがアカデミー賞にノミネートされた記憶も新しい。
当然のことながら、物語は東西冷戦下の時代が舞台。英国情報部とソ連国家保安委員会は熾烈なスパイ合戦を繰り広げているのであった。
そんな中、英国側上層部に二重スパイが潜んでいるという情報がもたらされたのであった。

諜報部の面々を演じるは渋い男優ばかり。若手の二人もカッコエエ
しかしこの映画には致命的な欠点がある。それぞれの人物の出自とか過去の因縁等が全く描かれていないため、個々を見分けるのは役者の顔ぐらいしかないのである。さらに氏名と顔が一致しないうえに、コードネームまであるから会話に出て来ても誰が誰やらハテナ印続出(?_?)
要するに、誰が二重スパイになっても大して変わりはなく、見ていてどうでもよく感じられてしまうのであった。
結局、男優たちの顔やシックな衣装を見て、古めかしい街並みや小道具の数々を眺めているうちに終了してしまった。これは謎解きよりも「雰囲気」を味わう映画なのか。

しかし、原作小説はお懐かしや『アナザー・カントリー』と同じ事件をモデルにしているとのこと。くしくも、『アナカン』では「ストレート」なマルクス主義者の優等生を演じていたコリン・ファースも出演している。
となればこれは決して謎解きではなく、同様に「男たちの絆」を描いたといえるだろうか。有名パブリック・スクールから諜報部までずっと続く付き合いの中で背負って立つ大英帝国--。
いや、それどころか敵国のスパイも長い付き合いでいつも同じ知った顔、となればこのギョーカイも世界を股に掛けながら、実は狭い関係でできているようである。

従って個々の登場人物の背景が描かれていなくても当然なのだ。どうせ、みんな同じ顔なのだから。


謎解き度:4点
「絆」度:8点


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2012年7月 8日 (日)

「オレンジと太陽」:子どもに親は選べない

120708
監督:ジム・ローチ
出演:エミリー・ワトソン
イギリス2010年

監督はケン・ローチの息子。しかし全く違う作風で、親の七光りではないようである。
チラシには「英豪両国を揺るがした感動の実話!」とあるが、実際は恐るべき「児童移民」というか「児童棄民」の話だった。

養護施設に預けられた子どもたちを福祉のためと称してオーストラリアへ送る。そこでは暖かな養親と家庭が待っていた……がはずが大違い 学校も行かされずに奴隷のようにこき使われていたり、人里離れた孤児院に放り込まれたりと多くが悲惨な運命にあった。中には親が生きているのに「死んだ」と騙されて送り出された子もいる。
このような制度が1970年まで続いていたのだ。

ヒロインは実在の人物で児童福祉に携わるソーシャル・ワーカーだったが、親探しの相談を受けてこの事実を知る。行政の援助を取り付け、調査のために英豪を行ったり来たりする毎日となる。
このような被害を受けて大人になった中には、怒りを自らの内部に向ける者と逆に外部へと向かう者に分かれるようだ。既に中年となったそんな孤児たちと知り合ううちにさらに恐ろしい事実が続々と明らかになるのだった。

自らの家庭の危機やPTSDに苦しんだり、さらに双方の政府から(だけじゃなく市民からも)の非難も押し寄せてくる。「でっちあげ」とか「国の恥をさらしやがって」とかその類のことをいうヤツはどこにもいるってことだろう。
それにしてもダンナさんがエエ人でよかったです。でも息子の最後の一言には苦笑。

このような事実自体衝撃的だが、主役のエミリー・ワトソンは決して英雄的でも攻撃的でもなく、地道に自らの本分を果たそうとする女性を着実に演じている。他の役者も好演。正直言ってヒューゴ・ウィーヴィングがこんなに名優だとは思わなかった。お見それしてすいませーんm(__)mペコリン
演出の方は手堅いの一言。間違っても派手に煽り立てたり、編集で切り張りしたりというような手法は使わないタイプと見た。

ところで、私がこの作品に興味を持ったのは『忘れられた花園』(ケイト・モートン)という本を読んだからである。去年のミステリ・ベストテンでも高位に上がった小説だが、やはり英豪を舞台にしており、大勢の子どもが乗せられてオーストラリアに向かう船が登場する。
それは第二次大戦よりも前の時代のエピソードである。この「児童移民」は19世紀から行われていたというのだから、小説に登場するのは間違いなく孤児を運ぶ船の一つだったのだろう。

さて、オーストラリア政府が事実を認めて謝罪したのはなんと2009年、イギリス政府は2010年だったという……(-"-) つい最近のことじゃねえか~


地味度:8点
残酷度:9点


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2012年7月 7日 (土)

「...Viva Napoli!!!」:ナポリを見て、聴いて、食べて死ね

120707
演奏:アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア
会場:近江楽堂
2012年6月29日

普段は海外で活躍する4人組グループの定例演奏会。この前の回は守備範囲外だったんでパスしたが、さらにその前の公演に行ったのは感想はこちらです。

今回はゲストに野入志津子を招きアーチ・リュートを加えて、ナポリで活躍した作曲家の知られざる作品を演奏した。

というわけで取り上げられた4人の作曲家全員知らなかった、すいませ~ん(^^ゞ
チェンバロの渡邊孝の解説文には、中でもニコレ・フィオレンツィアとドメニコ・アウレッタの楽譜をナポリ音楽院の図書館にわざわざ出向いて、死闘の末になんとか撮影して帰ったという苦労話が書かれている。
そのせいか、チェンバロは会場備え付けのねじりチョコドーナツの脚を持つヤツではなく、イタリアンを使用であった。

フィオレンツィアは生没年1700年~1764年というナポリで活躍したヴァイオリニストだという。一曲目の「トリオ ロ短調」は意外にも正統バロック風の曲だった。リュートが加わると通奏低音にドンと厚みが出る。

次の「2つのヴァイオリンとチェロ・オブリガードとバスのためのコンチェルト」はバロックからは逸脱した作風。楽章によって抒情的、あるいはガシガシと進むチェロを2ヴァイオリン(松永綾子、山口幸恵)が彩りを添える。さすが懸田貴嗣のチェロは
続くソナタでは松永女史(髪型変えてたのね)がヴァイオリンを縦横に弾きまくった。

アウレッタは休憩後にコンチェルトを演奏した。オルガニストで、フィオレンツィアよりも二十数年も後に生まれただけあって(ただ十年も早く若死にした)、曲調は完全にプレ古典派の趣きだった。チェンバロが派手に活躍する華麗な作品で渡邊氏は大いに腕前を発揮。ただこの曲が結構長くて、しかも私には完全守備範囲外なんで「早く終わってくれないと沈没する~」と思ったのも事実である(ーー;)

後半のファルコニエーリとヴァレンテは一気に一世紀以上も時代をさかのぼって16世紀末の作曲家だった。短く表題の付いた曲を合間なしに一気に連続演奏したんで、戦争を描写した曲やら、恋人に捧げる曲やら舞曲やら様々なイメージが変転。気が付いたら終わったのであった。

全体にこのグループの持ち味、溌剌とした演奏を十分に味わえたコンサートだった。
ついでに渡邊氏の文章にあったナポリのピザもどんなもんか食べたくなった。よく分からんが想像しただけでヨダレが~(^Q^;)
会場は満員状態で補助席も出たもよう。
次回は16世紀後半のイタリア・オーストリアの音楽の旅とのこと。楽しみであるよ


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2012年7月 5日 (木)

「別離」:消え行く家族

120704

監督:アスガー・ファルハディ
出演:レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ
イラン2011年

前作『彼女が消えた浜辺』がかなりの出来だったアスガー・ファルハディの新作は、数々の映画賞を獲得し、遂にアカデミー賞の外国映画賞までゲット 授賞式での「戦争よりも文化を」という格調高いスピーチも強い印象を残した。

作品自体の内容は家族のいさかいを描いたものである。前作と同様、イスラム社会特有の要因とどこの国でもありうるトラブルが絡み合って描かれている。

夫は銀行員、妻は英語教師という夫婦が、妻が家を出て行ってしまったことで老父の介護のために家政婦を雇う。しかし敬虔なイスラム信徒である家政婦は家族でもない男性の世話していいのか混乱する。やがて事故が起こる--いやそれとも起こったのは犯罪なのか?

妻がなぜ別れようとするのか明確には描かれていない。表向きは海外移住に夫が同意しないせいなのだが--。老父の介護がイヤだからだろうという意見があったが、夫が逮捕された時には実家へ連れて行くぐらいだからそうとも思えない。
冒頭場面の離婚調停(?)の場では、二人の意見は堂々巡りで決してかみ合うことがないのだった。

家政婦の夫は最初、粗野な乱暴者として登場するが、終盤に至って実は銀行員の方がどうしようもない頑固者であることが徐々に露わになってくる。なんとか丸く収めようとする妻の意見にも娘の願いにも耳を貸すことはない。

二つの家庭の間には階層差があり、それが反目の原因の一つだろう。同時にそれぞれの家庭内にも問題が存在する。
トラブルによって隠されていたそれらは噴出し、決して解決されることはないのだった。
映画の感想を見ていると「この物語には悪人が存在しない」というような言い回しを目にすることがあるが、この映画には確かに悪人はいないけど善人もまた登場しない。皆が皆(小さな子どもでさえも)本心を隠し、それがまた予期せぬ事態を招くのである。

これは男女、年齢など個人の立場によって全く見方が異なってしまう作品だろう。同じものを見ていながら違う部分を見ているような……。
それにしても、個人的には夫の頑固さに驚いた。そこまで面子が大切か(?_?;
「コーランに誓え」の以降の展開はいかにもイスラム教特有の問題であるように思えるが、先日米国のTVドラマ「Law&Order」でも同じような状況が出て来て驚いた(こちらは当然聖書だが)。

一度見ただけでは把握しきれないような緊密な対話劇でもあり、全編に緊張と謎が張り付いている(音楽の使い方もよかった)。見事な演出と脚本といえるが、息詰まり過ぎでくたびれてしまう感もあり。そういう点で、個人的な好みとしては『彼女が消えた浜辺』の方が上かなー(^^ゞ
いずれにしろ、現在最も要注目な監督の一人には違いないだろう。次作も期待大です。

ところで、驚くのはこれがイラン国内で大ヒットしたということである。日本でこの手の題材の映画を作ってもせいぜい単館ロードショーじゃないだろうか。というか、企画の段階でボツ?


家庭内紛争度:9点
社会対立度:9点


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2012年7月 1日 (日)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 7月版

あっという間に7月。コンサートは目白押しだいっ。

*10日(火)チパンゴ・コンソート コレッリ篇
*16日(月)フランス・バロックの宗教音楽(コンセール・スピリテュエル)
*21日(土)・22日(日)時をかけるジョングルール(ジョングルール・ボン・ミュージシャン)
*27日(金)情熱のスペインバロック(エミリオ・モレーノほか)

他にはこんなのも
*6日(金)ヴォーカル・アンサンブル カペラ
*8日(日)イタリアバロックの変遷19(太田光子&平井み帆)
      よこはま古楽まつり
*11日(水)テレマン無伴奏(寺神戸亮)
近江楽堂に客が入り切るんか(?_?)
*24日(火)レクチャーコンサート「歌から見た器楽の世界、器楽から見た歌の世界」

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