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2012年8月

2012年8月30日 (木)

「名橋たちの音を聴く」:東京の橋の下、唄は流れる

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橋の下で聴く涼やかなルネサンス・リコーダーと声楽の響き
演奏:太田光子、辻康介
会場:橋の下
2012年8月25日

「橋の下」というと、私ぐらいの年代の人間にはすぐ思い浮かぶのは、子どもの頃親によく言われた「お前なんか橋の下から拾ってきたんだから。ウチの子じゃないんだからね」という定番の脅し文句であろう。今の親も言うのかしらんけど(^O^;

その橋の下でルネサンス音楽を聴くという、珍しや船上コンサートがあるというので行ってみた。確か去年もやっていて、その時も興味があったけど行きそこなっちゃったんだよね。
場所は日本橋の船着場から近くの橋を、川を上下して回るという趣向だ。この日も猛暑で飲料水必携飲まないと倒れる~(@_@;) 演奏家はこんな日に4回も演奏するんだからご苦労さんである。

定員30名で結構ギチギチに座る。船が出て辻氏のオリジナル歌曲から開始。続いて太田女史のリコーダーでファン・エイク作品を独奏となった。川の上では音は拡散するし、頭上をを走る高速の車の音がうるさいが、橋の下に入ると当然残響があって、コンサートホールのようにいい音であった。
潮位のせいか、演奏する太田女史の頭が橋の下の天井(?)に届きそうになって、あわててバックするというハプニングもあった

バロック形式で作られた橋の下ではバロック曲を、ルネサンス風様式の橋ではルネサンス曲をと場所に合わせた演奏をし、さらにその合間に辻氏や鳥越けい子による橋や周辺の土地についての解説が入るという盛りだくさんだ。
常盤橋と常磐橋というのが隣り合って架かっていて、「常磐」の方は135年前に江戸城の石を使って作られたのだという。まだ、周囲にお堀の生垣の名残りが残っていてビックリした。また、そこに立ちふさがるように建っている日本銀行本店についても面白い話を聞けた。
日本橋では、関東大震災の時に船がぶつかってできたという黒い傷が残っているのも見たぞ(=ΦωΦ=)キラーン☆

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昔は河といえば交通の要衝で、建物は全てに正面を向けて建っていてたが、今はどれも背中にして建設されているという。寂しい話ではあるが、オフィスビルの「裏側」に作られてる給湯所の窓から、お茶碗洗ってたOLのおねーさん達が手を振ってくれたからよしとしよう。

ラストは日本橋に戻って「きれいなねえちゃんよ」(^_-)-☆という世俗歌曲で終わった。リコーダーも吹きまくり、ちょうど目の前の川岸にあるビアガーデンの客からも拍手喝采が起こったのであった。うひゃー、船上でも一杯( ^^)/▽☆▽\(^^ )やりたいね~。
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コンサートホールの存在しない頃に街中で演奏されていた音楽の在り様を一部でも感じ取れて、面白くタメになったコンサートでよかった。ただ、排気ガスがやっぱりひどくてなー。それが難である。
夕方の回だったんで、後半は涼しくなったが、午後2時からの回は非常に暑かったそう。ますますご苦労さんです


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2012年8月26日 (日)

「テレマンのリコーダー音楽」:夏の夜の笛

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演奏:田中せい子、ダニエレ・ブラジェッティ、広沢麻美
会場:近江楽堂
2012年8月21日

田中&ブラジェッティのリコーダー演奏は過去に二回聞いている(これとかこれ)。
今回はチェンバロが加わってテレマンのトリオソナタ中心のプログラムであった。

テレマン自身もリコーダーを好んで演奏したということで、他の作曲家よりも作品が多い。ゆえにリコーダー奏者には心強い味方な音楽家なのであった。
その作品群を色々と編成を変えて、ある時はボイスフルート使用したりと演奏。一曲だけ、チェンバロ独奏はヘンデルだったが、広沢女史によるとテレマンのチェンバロ曲を探したけど、どれも今一つなので……(^^;ということだった。

各楽章にソクラテスの悪妻やローマ神話に登場する女性の名が付けられているソナタなんてのもあった。なぜそんなタイトルを付けたかは不明(?_?)
演奏は田中女史が鋭く踏み込めば、ブラジェッティ氏は鷹揚に受けとめるといった印象だった。
テレマンの溌剌としたリコーダー曲の魅力が楽しめたコンサートだったといえるだろう。会場の大きさもピッタリ。これより大きいと曲のニュアンスが消えてしまう恐れあり。

アンコールのクヴァンツの曲はテレマンとはまた違った「笛」空間が感じられて、印象的であったよ(^^)

この日は近江楽堂というよりオペラシティのビル全体が冷房きき過ぎのようだった。節電はどうなった


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2012年8月25日 (土)

三大映画祭週間2012「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男」:怪物には怪作をぶつけてやれ

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監督:パオロ・ソレンティーノ
出演:トニ・セルヴィッロ
イタリア2008年

「三大映画祭週間」はカンヌ・ベルリン・ヴェネツィア映画祭の上映作品の中から、日本でロードショー未公開(映画祭などでは上映されているのもあり)のものを選んで紹介する企画。
この作品はカンヌで審査員賞を取っている。それがなぜに未公開(?_?)と疑問に思ったが、実際見てみてナルホドと納得したのが正直なところだ。
監督は今年『きっと ここが帰る場所』が公開されて評判になったパオロ・ソレンティーノである。

主人公はイタリア政界に首相として長年君臨してきた実在の政治家アンドレオッティだ。彼の陰謀術策の日々、そして遂に訴えられ、しかし無傷のまま政界を去るまでを描く。
こう書くと社会派っぽい作品かと思えるのだが、全くそうではない。

時間は前後し、今スクリーンに登場している場面はいつの事か混乱する。しかもタッチはオフビートで奇妙なユーモアがそこここに潜んでいる。悪辣な政治家を告発というような雰囲気ではない。音楽の使い方や前後の脈絡のなさはイメージフィルムのようだ。おまけにテンポがゆったりしているので、客席には眠気虫が出没していた。

私が見ていてなんとなく思い浮かべたのは、デレク・ジャーマンの晩年の伝記作品だった(『ヴィトゲンシュタイン』とか)。あるいは、政治家の伝記だからということもあるだろうが時制の混乱具合や私生活の描き方などは『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』がかなり似ているように感じた。『サッチャー』の方が製作は後だからもしかして真似したのか?

その一方、多分個々の政治家を演じる役者たちは恐らく実物とソックリなのではないか(実物知らないのでよく分からん(^^ゞが)。そういう点では実際の政治家を知っている、ある世代以上のイタリア人が見ると特別に面白いのかも。
もっとも、取材に来た(大物?)ジャーナリストを「お前の潰れかけた会社を救ってやったのは誰だと思ってるんだ」と恫喝する場面などは充分な迫力があった。それに個々の暗殺(主人公が指示したとされる)場面なんかは下手なアクション映画よりよくできている。

猫背で外見は貧相にして「陰鬱で冷淡で無表情」、そして魔王の如く国を支配--このような怪人物を描くのは、却ってこういう手法がピッタリなのかも知れない。
いずれにしても、この映画自体も怪作であるのは間違いないだろう。

日本の政治家だとナカソネあたりが当てはまるか? 今、彼を描く勇気のある映画作家は日本におるかな(@∀@)


政治度:6点
政治家度:8点


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2012年8月23日 (木)

「死刑弁護人」:晴れのち曇り時々死刑

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監督:齊藤潤一
日本2012年

見ようか迷っていたが、上映期間が延長になったのでようやく行く気になった。サービスデーだったせいもあるが、客席が7割がた埋まっていたのには驚いた。しかも、若い女性も目に付いたのは意外。

多くの凶悪犯罪を弁護して「悪魔の弁護人」と呼ばれる安田好弘弁護士を密着取材したドキュメンタリー。元々はテレビ用に作られて放映されたのを、映画として公開したものらしい。

安田氏が担当した死刑事件を紹介しつつ、ご当人がそれについての様々な意見や反省を述べるというのが基調だ。オウム事件や和歌山毒カレー事件など--古いものを思い返せば、そういやそんな事件もあったななんて考えも頭をかすめる。無関係な人間にとっては忘れかけた過去だが、当事者まだ再審請求中だったりする。
また、ほとんど事務所に寝泊まり状態の毎日など悲惨な(?)私生活の一部もうかがえる。


インタビューを受けて「どんな悪人でも更生する」とハッキリと断言したのには正直驚いた。個人的には私は到底そんなことは信じられないが……(ーー;)
どうしてそこまで断言できるようになったのか?そこら辺を詳しく知りたかったが、そういう方向には行かなかった。その点では安田氏という人物自体にはあまり迫れていないという印象だった。つまり、彼がどういう人間なのかは依然として謎である。

さて、どんな極悪人だろうと弁護人がいるのは当然だ。いかなる理由だろうと、弁護を引き受けただけで非難されるなどという状況はおかしい。弁護人の引き受け手がいないなどという状態(オウム裁判がそうだったらしい)となれば、そもそも法治国家としての根本を突き崩すような事態となるはずだ。法治国家でなくてもいいのか

そんな事をつらつらと考えながら映画館を出たのであった。


悪魔度:3点
弁護人度:10点


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2012年8月19日 (日)

「メリダとおそろしの森」(3D字幕版):母は強くてコワい。●●に変わる前から

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監督:マーク・アンドリュース、ブレンダ・チャップマン
声の出演:ケリー・マクドナルド
米国2012年

ピクサー初の女性(人間の)主人公作品ということで期待と不安が半々。わざわざ3D字幕版を探して行ってきた。
予告ではかなりファンタジー色濃い印象だったんだけど……。

実際見てみると、こいつは母と娘の関係がテーマの話。中世スコットランドの王家を舞台に展開するファンタジー的な部分は中心ではなかった。

母親は自分と同じように、娘に対して結婚して夫を支え家(国)を支えるように願う。そりゃあ自分もイヤで我慢だったけど(と自ら発言しちゃってます)、自分と同じようにすれば娘も幸福になれるはず--と考える。
娘は、そんなのお断り。押し付けは嫌だ、自由に生き方を選びたい。母親は自分の生き方を押し付けないで、変わって欲しい。
両者は互いに話し合うことはなく、相手が自分の考えを受け入れることを願うのである。

特に娘のメリダは「家を出たい」とか「母親なんてガン無視(ーー゛)」とは思わず、母に「変わって欲しい」と願うのに注目。これはそもそもかなり無理な要望である。自分よりも倍の年月を生きて安定した生活を獲得してきた人間に変化しろといっても難しい。

しかし、娘は森で偶然出会った魔法使いの怪しいバーサンにそれを願っちゃうのであった。その結果は……。

背景と展開は中世でファンタジーであるが、母娘の問題の解決は現代的で現実的である。恐らくは母娘の関係を壊さずに済む最も最良の結果を描いたといえよう。
ただ、これが奇想天外なファンタジーを期待してきた人に向いているかどうか問題だ(邦題もかなり騙しているんでは?)。それに前半部分は、これがピクサー作品か(?_?)と思うほどにややかったるい展開である。
大体にして「愛と勇気の大冒険」をするのはメリダより母親の方みたいだし。

お子ちゃまよりも、その引率の母親の方が身近な問題として見ていたかも。子どものいない私は、「母は強し」な描写に思わず「おかあさ~ん」と叫びたくなってしまいましたよヽ(^o^)丿

その一方、父王も含めて男たちの情けないこと。トホホ((+_+))状態である。熊退治も結局できなかったしね。
これでもし婚約候補者に上べだけでも賢くてイケメン男が一人いたら、どうなっていただろうか。母と娘の問題にテーマを絞りたいという作り手側の意図があったのか?
ところで、あの魔法使いのバーサンは全てを分かっていて仕組んだという説に一票

今回のCG描写はメリダの赤毛のフワリン状態と、クマの毛並みの滑らかなサヤサヤ感が「売り」だったもよう。

恒例の短編はなんと二つもある大盤振る舞い状態。
視覚的な面白さやお話のかあいらしさでは、『月と少年』がいい。イタリア漁師風の祖父・父・息子が夜の海に漕ぎ出して……オチも笑える。
もう一つは『トイ・ストーリー』の後日譚の『ニセものバズがやって来た』である。ここでは映画館の飲み物のオマケに付いてくる期間限定のフィギュアや人形が登場。彼らは夜な夜な、あっという間に忘れ去られた苦悩を語り合う自助グループの集会を開くのであった。こういう小ネタを拾うのが本当にうまい。こちらは大きい人向けのひねった話である。


ピクサー度:5点
墓守娘度:7点


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2012年8月15日 (水)

「リンカーン弁護士」:事務所は持たねど懐の中身は錦

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マイクル・コナリーのベストセラー小説(米国で)の映画化。原作の感想はこちら。主役がマシュー・マコノヒーなのになかなか公開されないんで、いきなりDVDになっちゃうんじゃないかと心配していたら、ようやく公開となった。確か米国の公開から一年近く経っているんじゃないだろうか。
もっとも、公開したはいいがほとんどの映画館で2週間ぐらいで公開終了してしまったようだ。

タイトルは特定の事務所を持たずに広いLAをリンカーンに乗って走り回り、仕事をする弁護士のことである。主人公は金持ちからもっぱら金をふんだくるのが得意技--という設定。
文庫2冊分の話をうまくまとめているが、今イチ地味である。いや、堅実な作りはいいんだけど、もう少しケレン味がないと物足りないなあという気分だ。主人公ももっと毒のある人物だったはずだ。
音楽の使い方や全体の雰囲気はいいんだけどね……。

それと、顔のドアップが多過ぎなのには見ていてマイッタ(@_@;) もしかして、監督はTV出身か?
見るまではM・マコノヒー以下キャスティングがうまくハマってるなあと思っていたのだが、意外にもライアン・フィリップがチト冴えなかった(イメージはピッタリなのだけど)。もう少しこいつは無罪なのか有罪なのか(?_?)分からんみたいな、ヌエ的な恐ろしさを出して欲しかった。
ウィリアム・H・メイシーは出番は少ないが、相変わらずいい味出してます

ただ、これは原作を読んでいる者の不満なので、未読の人の感想はまた別のものになるだろう。
それから、最近ほぼ毎日『ロー&オーダー』(米国で長年に渡りやっていた捜査&法廷TVドラマ)を見ている状態なので、なまじっかな裁判ものでは驚かない体質になってしまったのも一因に違いない。

さて、米国では興収的には中ヒットで終わってしまったようで、シリーズ化はないだろうと思っていた。しかし原作の続編がやはりベストセラーになったので、映画の方もアリかという噂が流れているようだ。
個人的には続編の方が面白かったけど……こちらも2時間にまとめるのは大変そうだ。それにコナリーの別シリーズの主人公H・ボッシュが出てくるので、その配役が誰になるかでファンが炎上するのは間違いなし

えーと、ところでお懐かしやマイケル・パレの名が配役表にあるんだけど、どこに出てたのかな(?_?) 刑事の一人か?


配役点:8点
脚色点:6点


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2012年8月14日 (火)

「ラージとキアブレラ」:三途の川も歌次第

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演奏:南蛮ムジカ
開場:求道会館
2012年8月10日

南蛮ムジカはバリトン歌手の辻康介主催のユニット。昨年も夏に同じ会場で公演をやった。
今回もやはりフランチェスコ・ラージの特集である。
ラージはモンテヴェルディの『オルフェオ』初演時にタイトルロールを歌った歌手にして、作詞作曲、楽器もこなしたという才人。当時の宮廷では人気スターだったらしい。

この日のコンサートは、同時代の詩人キアブレラの詩にラージが曲を付けた作品が中心である。昨年と同様に佐藤亜紀子(キタローネ、バロックギター)と根本卓也(チェンバロ)が共演。

3人は当時の宮廷風の衣装で登場した。いずれの曲も切々とした愛しい女に捧げる歌ばかりで、中にはもう崇拝して足元にひれ伏さんばかりの歌もあった。辻氏によるユーモア交じりの曲の解説が会場を笑わせる。
照明はレトロな電球なんで、ローソクとは行かないまでもなんとなく、当時の雰囲気もこんなだったかねと感じることしきりだった。
合間には、カスタルディ(初めて聞く名前)作のリュート曲独奏もあった。何やら極めて技巧的で難しそうな印象だ。一方、チェンバロ・ソロは珍しやジェズアルドの唯一の器楽曲というものだった。

後半は「オルフェオ」関連の曲を中心に。一曲だけモンテヴェルディの歌劇から、冥府の川の番人カロンに聞かせる「強大な霊よ」をやった。
辻氏によると、通常の楽譜以外に歌手のラージや器楽奏者が派手な即興を交えて演奏した当時の譜例が残っているのだという。で、それにならってこの日の演奏も即興演奏でやるとのこと。辻氏は指揮をしながら歌い、リュートとチェンバロがそれに合わせてこれでもかというように派手な装飾を入れまくったのであった。まさにド迫力としか言いようがない。特に佐藤女史はグッジョブでしたのよ(*^^)v
歌劇ではカロンはこの歌を聴きながら寝てしまうという筋書き。でも、辻氏もトークしてたが、こんなド派手な演奏ではとても寝られません!

ラストは一転してラージ作ではないがキアブレラの詩による、酒場で酔っ払って女をくどくというような俗っぽい歌を歌って終わった。
滅多に聞けない曲がほとんどで、しかも楽しかった。来年もまたよろしくお願いしまーす。

ただ、開演が夜7時半というのはちょっと微妙だ。家へ着いたら11時近くになってたもんね……


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2012年8月12日 (日)

「ダークナイト ライジング」(字幕版):仮面の告白、あるいは美徳のよろめき

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監督:クリストファー・ノーラン
出演:クリスチャン・ベイル
米国2012年

*物語の中心部分については書いてないですが、完全情報遮断したいという人は鑑賞後にお読みください。

待望のノーラン版「バットマン」の第三弾。
日本公開前から米国で映画サイトが炎上したとか大騒ぎである。日本でもネットで賛成派反対派が激突--って、原発問題並みですな
さらには不幸な銃撃事件まで起こってしまい……(T_T)

私はこのシリーズ最初は興味なかったのだが、なぜ見るようになったか理由は当時の感想に書いた。とある犯罪の報道がきっかけである。
続いて『ダークナイト』は大いに感動した。勢い余って二度目の感想も書いちゃったぐらい。ただ、私は「ジョーカー命」なファンじゃなくて、「ジョーカーがいなけりゃ駄作」なんて思ってはいないのでそこんとこヨロシク(^o^;)/

問題はその次にノーラン監督が作った『インセプション』。評判は高かったけど、これはもうどうしようもなくつまらなく感じた。複雑なSF的設定をすると、その設定の維持をするだけで大きな労力が必要で、枝葉末節な部分は放りっぱなし--ということが結構起こる。そしてその細かい部分がチリも積もって山となり、全体を崩壊させてしまうのである。
しかし、いくらなんでも『ダークナイト』の続編はそんなことないだろうと期待していたのだ。

結果は……『インセプション』ダメだった人はこりゃダメだね。逆に気に入ってた人は、こちらも面白いと思うだろう。
基本的に、エンタテインメント作品は見てる間は少なくとも騙し続けて、欠点があっても気付かせなければOKと考えているんだけど、この点かなり微妙である。

前半はまだいい。冒頭、袋かぶった犯罪者登場。袋の中を確認せずに飛行機に乗せるCIA大丈夫か(!o!)……というのはまあご愛嬌レベル。何をするかと思えば続いて死体へ空中輸血--多分、死者の素性をごまかすためという理屈は分かる。しかし普通こういう場合って歯形で照合するんではないの?
というような疑問は、空中飛行機解体ショーを見せてくれるという映像に目もくらみ、吹っ飛んで忘れてしまうのであった。

キャットウーマン(という名前自体は出て来ないが)の出没は充分カッコエエ。レズ気もあって、女も惚れる女とはこのことよねス・テ・キ(*^o^*)
で、乗っ取り騒動あたりまではいいんだけど、それから後半に突入すると急に失速して展開や設定のグダグダさ加減はもはや目を覆うばかり。これがB級~Z級アクションならともかく、一応A級目指しているんではないの(?_?) とても納得できねえ~(>_<)
でも映像の方は常に動いているから観ているとそんな事考えてる暇はないんだよね。

野獣版レクター博士みたいな悪役ベイン、登場した時は迫力あったものの、一体を市内引き廻して何をしたかったんだかこれまたよく分からない。
しかも野獣のはずが実は愛玩犬だったりしてこれまたガックリだ~
このシリーズの格闘場面については、過去に「ジョン・フォード映画の殴り合い場面でも見て研究して欲しい」などと書いた……自分でも忘れてたが(^^ゞ 今回、バットマン×ベイン対決は引きの画面は増えたんだけど、じゃあ迫力があるかというとそういうわけでもなかったのが困ったところ。

その他、ゴッサムシティの市民が云々とか言ってる割には集団対決の場に市民がいないのは変だとか、「穴」の設定はおかしいとか、地下にいた警官はなんでピンシャンしてるんだとか、言い出したらキリがないのでやめとこう。

結局のところ、全二作には存在していた「悪に対抗する市民」が登場しなかったこと(というか顔のある市民は一人もいない)と、なんとか結末を付けようとして無理だらけになってしまったということに一番の不満を感じた。善悪の葛藤と民衆の狂騒を対置させたかったのだろうが、「善悪」も「民衆」も描かれていなくてはいかんともしがたい。
そして、一体主人公は街や市民を愛していたのであろうか? 私には最後まで分からなかった。銅像になって飾られることが彼の希望だったのか 銅像なんてハトの休憩所にしかならんぞ(`´メ)

で、新たな主人公でまた三部作を作る気なのか その時には、ノーラン兄弟は製作に回って、監督と脚本は他のヤツに任せて欲しいね。
先日「三大映画祭週間」で見た『気狂いピエロの決闘』という作品が、物語の基本構造はかなり似ている(感想は後日)。どうせならこの監督さんを推薦したい\(^o^)/

それにつけても、マイケル・ケインの名優ぶりには改めて感じ入った。彼なら居酒屋のメニューを読み上げても客を泣かせることだろう。
トム・コンティとマシュー・モディーンはお久しぶり。
アン・ハサウェイはハマリ役 脚の長さもうらやまし~い(^_-)-☆ 猫娘単独エピを希望。
悪役ベインはトム・ハーディ……って、どこかで聞いたような(^^?) と思ったら『ブラック&ホワイト』とか『裏切りのサーカス』に出てた男優さんじゃありませぬか。全く分からなかった どの作品も別人のように違って見えるビックリだわい。

絶賛派批判派いずれにしろ、何か一言二言三言……言いたくなる作品なのは確か。そういう意味では「話題作」に違いない。


民衆度:3点
ヒーロー度:5点


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2012年8月11日 (土)

「アメイジング・スパイダーマン」(3D字幕版):顏なき仮面

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監督:マーク・ウェブ
出演:アンドリュー・ガーフィールド、エマ・ストーン
米国2012年

サム・ライミの前シリーズは主人公のグダグダさが嫌になって、結局2作目までしか見ていない。ただしキルステン・ダンストのヒロインは別に嫌ではなかった。なんか微妙にイモっぽさとケバさが交錯して、いかにもそこら辺のネクラな高校生が惚れそうな雰囲気をかもしだしていた。彼女、当時映画ファンからはえらく評判悪くて非難轟々だったけど。そこまでケナすか~(~_~)というぐらい。

それに比べると、今回はアンドリュー・ガーフィールド、エマ・ストーンだからスマートな美男美女で何の問題もなし。
もっとも、冒頭はハイスクールでのいじめ場面から始まって、ああ日本だけでなくどこの国でもいじめはあるんだなあ--なんて暗い感慨にふけってしまうのであった。

失踪した両親の因縁話や親代わりになった伯父伯母(マーティン・シーン、サリー・フィールド好演。でもどちらかというと祖父祖母に見えちゃう……)との関わりなどが続いて、前半は意外にもアクションは少なく、これじゃ3Dじゃなくてもよかったかなぐらいに思えた。
主人公のクモ能力発現はなんだかよく分からんうちにサクサクと進み、後半はアクションへと突入するのであった。ここら辺は3D効果たっぷりで、客席からはオオ(!o!)と声が上がったりするほど。
個人的には金を余計に払って自分のメガネに装着する3D用メガネで見たんで、それがよかったかも。普通の3Dメガネを重ねると重いんだよね

子どもを救うという定番ながら感動場面あり、カノジョの家に呼ばれたらコワい親父が~という青春な場面もあり、全体としては肩がこらずに楽しめるエンタテインメントになっている。

ただ問題は肝心の主人公ピーターとヒロインのグウェンがどういう人物なのか見ていてさっぱり分からなかったこと。カメラ好きで……えーと、それ以外にはあまり特徴がない。『裏切りのサーカス』の時も感じたけど、二人のキャラクターは役者の顔の他にはとらえどころがないのだだった。
早い話、グウェンがピーターに惹かれたのはなぜか? それはこの物語の主人公だからという他に理由はないようだ。またピーターが自分がスパイダーマンなのをグウェンに早々に告白するのは、彼女がこの物語のヒロインだからとしか考えられない。
顏なき顔の主人公たち、次作以降でそこら辺は埋まっていくんだろうか?

ところで、せっかく字幕版を見に来た客に日本語の歌を聞かせるのはやめてくれい。興ざめである(=_=)
ついでに、学校の図書室で騒ぎに気付かずにいる職員を演じて笑わしてくれるのは、スタン・リーご本人らしい。


青春度:8点
葛藤度:3点

【関連リンク】
《敗北館通信》
えっ(!o!)あの親父さん、C・トーマス・ハウエルだったの まったく気づかなかった(大汗)


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2012年8月10日 (金)

「偽りの名画」

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著者:アーロン・エルキンズ
早川書房2005年(ハヤカワ・ミステリ文庫)

山本周五郎賞を取り直木賞候補になった原田マハ『楽園のカンヴァス』。ネットでこの本が元ネタだと指摘されていたので、興味を持って読んでみた。

主人公は米国サンフランシスコ郡立美術館の学芸員。イタリアの美術コレクターの蒐集品を展示するため、ベルリンへと飛ぶ。だがそこで絵画強奪未遂事件、さらには殺人まで起こる。背景には展示品の中に贋作の存在があるのか、ないのか--がポイントになる。

全体的には美術を題材にしたユーモア風味ミステリ・エンタテインメントである。もっとも、そこに述べられているウンチクはかなり広くて詳細なようだ。米軍主催の美術展をヨーロッパで巡回するというのも面白い(広報活動の一環か)。

『楽園のカンヴァス』はモネだったが、こちらの主人公の専門はフェルメールだ。いま日本でブームなんで興味のある人は読んでみると面白いかも。
読んでみると『楽園~』の元ネタというほどではなくて、「参考にした」程度だろう。私はあの小説の男女のロマンスが鬱陶しかったんで、どちらかといえばこっちの方が好感度高い。

作者のエルキンズは人類学者スケルトン探偵シリーズで有名。こちらの「美術探偵」もシリーズ化されたらしい。なお文庫は2005年だが、日本での初刊は1991年、オリジナルは1987年である。


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2012年8月 9日 (木)

「情熱のスペインバロック」:知ってそうで知らなかったスペイン

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エミリオ・モレーノ氏を迎えて
演奏:東京藝大古楽科の皆さんほか
会場:近江楽堂
2012年7月27日

先日のBCJの定期公演にさりげなく、これまで見たことのない外国人メンバーがヴィオラに入っていたのだが、それがこのエミリオ・モレーノだった--というのは後で気付いた

彼は「17~18世紀のスペイン音楽、ボッケリーニ音楽のスペシャリスト」ということで、現在はカタルーニャ高等音楽院古楽科主任であり、今年度東京藝大の古楽科の特別招聘教授になって来日しているらしい。
この公演はいわば、藝大の古楽科教員が中心になって歓迎コンサートをやったという形のようだ。

近江楽堂のような小さな会場でやるにしては、豪華共演陣である。歌手は野々下由香里、鈴木美登里。器楽は若松夏美、鈴木秀美、山岡重治、大塚直哉、佐藤亜紀子--などなど。モレーノ氏を入れると12名だ。近江楽堂でこんなに大勢出演したのは見たことがない。

18世紀初頭のスペインは王位の継承権争いで、二つの王都が存在するという状況になったという。もちろん、背後にはヨーロッパ全体をめぐる覇権争いがあった。それによって文化の世界にもあらたな流行が生まれ、音楽ではフランス音楽とオーストリア経由でイタリア音楽が並立するようになったという。

コンサートではモレーノ氏がヴァイオリンのトップでその伊・仏型の双方を演奏。デュマジュールという作曲家のモロに優雅な仏風組曲をやった後に、ヴェネツィア出身のカルダーラのオペラからアリアをという次第だ。後者は鈴木美登里が激情たっぷりに歌い上げた。解説によると「1708年にスペインで発表された初のイタリア風オペラ」とのことである。

また、かの地のオペラでは当時から女声ソプラノが男役を演じて歌っていというのも驚きだ お国柄でこうも違うのか。
ホセ・デ・ネブラという作曲家のオペラから、野々下由香里がそんな男役の歌を一曲、滔々と歌った。シンフォニアではリコーダー二本が絡んで、弦も色んな奏法を披露。

公演のクライマックスは同じくデ・ネブラのギリシア悲劇を元にしたオペラからの数曲だった。野々下&鈴木(美)が幾つもの役を演じて二重唱をやった。この二人は昔のBCJの定期公演では同じ舞台に立っていたと記憶してるが、こうしてオペラの歌曲をデュエットするのは聞いたことがない(多分)。やはり劇的な曲調で大いに盛り上がった。
背後にカスタネットが入るのがまたスペインらしい。実際、当時の歌手たちは鳴らしながら歌ったそうだ。

豪華共演陣で、未知のスペイン・バロックのことを色々学べたという、大いに有益なコンサートであった。またよろしくお願いしまーす。
ただ唯一の難点は、近江楽堂はチェンバロ一台でも十分に響くホールなので、十数人となるとかなり響き過ぎだったことである。

開場するのを待って行列してたら、結構コンサートホールと間違えて並んでる人がいた。全く違うので気を付けましょう(^O^)


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2012年8月 7日 (火)

「ブラック・ブレッド」:大人の困惑、子どもの嘲笑

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監督:アウグスティ・ビリャロンガ
出演:フランセスク・コロメール
スペイン・フランス2010年

前半はスペイン内戦を背景に子どもが主人公で妖怪が出没--となると、どうしても思い出すのは『パンズ・ラビリンス』だろう。
後半は醜い大人の世界の現実が露わになり、少年が変貌していく--となれば、『瞳は静かに』を連想しちゃう。

内戦によって堕落した大人社会の虚偽を撃つ! その意図やよしっ 映像も不気味さ満載で結構(*^^)v
が、そりゃ確かに正論なんだけど……正論だからって面白く感じるわけじゃないのが困ったところ。

加えて後半、事件の鍵となる重要な人物が、それまで言及もなくセリフの説明の中に突然出現したのには困惑した。DVDで見てたら「えなになに(?_?;」と巻き戻して二、三度見直さないと分からないような感じだ。もう少し前から伏線うまく張っといてくれ。

そのことに表れているように、子どもはともかく大人たちの描き方にまったく深みがなく、ただ言葉で「過去は反政府の闘士で云々」などと説明されていて、はあそうだったんですか(=_=;みたいな印象しか生まれない。
それで、人物に対する共感も反感も何も感じないのであった。

他の人の感想見ると、みんな絶賛なんだけど(@_@;) スペイン国内でも高く評価されて賞を幾つも取ったらしい。
材料はケチが付けようがないが、料理の仕方や味が個人的に気に入らないのでどうしようもないというのが結論である。


子ども点:7点
大人点:4点


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2012年8月 5日 (日)

「時をかけるジョングルール」:真正越境音楽

120805
中世を駆けめぐる放浪楽師2
演奏:ジョングルール・ボン・ミュジシャン
会場:求道会館
2012年7月21・22日

中世ヨーロッパの放浪楽師たちの音楽を演奏してきたジョングルール・ボン・ミュジシャン。前回行ったのは代官山でのコンサートで、その後にやった北とぴあの音楽祭には行ってない。

今回は、北とぴあ公演での放浪楽師音楽と日本の同時代の「梁塵秘抄」のクロスオーバーをさらに進化。演出が付いてパフォーマンス・アーティストも参加した。
会場はメンバーの辻康介がソロ公演をやった求道会館という仏教の教会堂である(こちらに外観の写真あり)。

12~13世紀のヨーロッパの歌曲や舞曲、あるいは「聖母マリアのカンティガ集」「カルミナ・ブラーナ」の合間に、「梁塵秘抄」所収の俗謡を挟み込むという趣向。
後者の方は白拍子が修行中の若い僧を口説こうとしたり、生き別れになった子どもを思いやるという芝居仕立てになっていた。ここでは、普段フィドル弾きまくる上田美佐子が巫女に扮して鼓を打ったりしてご苦労さんであった。また、ゲストのパーカッション(立岩潤三)も活躍した。
もちろんヨーロッパ篇では定番の、騎士が羊飼いの娘に言い寄ってフラれるという「羊飼い娘が朝早く」が笑わせてくれた。

日欧の中世が完全にシンクロした演奏はお見事としかいいようがない。残された記録の奥から浮かび上がってくる民衆の姿とエネルギーは、いずこの地でも変わりがないということだろうか。そして、それを掬い上げたジョングルールのメンバーにも乾杯
ただ、パフォーマーの女性があまり生かされてなかったのは残念。

終曲はもちろん酒の神バッカスの讃歌だ。
私ももちろん深く帰依しておりますm(__)m 昼の間は職場でゾンビの如く半分眠っておりますが、夜ともなれば活力を取り戻し、エネルギーの元である酒を摂取して真人間になっているのであります。
( ^^)/▽☆▽\(^^ )バンザーイ

ところで、辻氏に途中でいじられていた白髪男性は皆川先生だったんですかな(^^?)


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2012年8月 4日 (土)

「ジェーン・エア」:荒野の果てにて

120804
監督:キャリー・ジョージ・フクナガ
出演:ミア・ワシコウスカ
イギリス・米国2011年

古典的名作の28回目の映像化(チラシによれば)。極めて抑制され静謐かつノーブルなトーンで作られている。

ヒロイン役のミア・ワシコウスカは素は美人のはずだが、演技でブサイクかつ我の強い娘になり切っているのには感心した。
謎の多い屋敷の主人ロチェスターにはマイケル・ファスベンダー。はて(^^?)どこかで見たような顏だと思って眺めていたら、あとでケヴィン・クラインに似ているのだと思いだした。他の作品でそう感じたことはないんだが。

ロチェスターのひどい裏切りが発覚して逃げた先で出会うのが、ジェイミー・ベルの宣教師だ。原作ではどうか知らないが、結果的に二人の男を秤にかけてどちらかを選ぶという話になっている--というのはうがち過ぎだろうか。

古びた屋敷が舞台ということで、ゴシック小説っぽい雰囲気もかなりあるのが面白い。音楽もまた密やかに流れるようでいてミステリアスに盛り上げる。
衣装や実際の屋敷を使ったセットは素晴らしく、冷ややかな荒野の風景も迫力である。また音響効果も巧みに使われている。
さすがジュディ・デンチの女中頭ぶりは堂々たる貫禄あり。

ということで、とても34歳の若手監督の手になるものとは信じられないような完璧さだ。もし欠点があるとすれば、完璧すぎることだとしか言いようがない。
ただ、私は個人的には少しブチ壊れている作品が好きなんだけどね(*_*;

孤児院出身で家庭教師という出自の娘が、最後にゲットした男が失明している、というのは何やら象徴的である。もはや彼は他の女に色目を使うこともない。まさに女の理想的な愛の一つの形態かも知れない。


ゴシック度:8点
女の幸福度:採点放棄


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2012年8月 3日 (金)

バッハ・コレギウム・ジャパン第98回定期演奏会:主君ヨイショも今では偉業の一つ

120803
世俗カンタータ全曲シリーズ 2
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2012年7月20日

前回の定期公演では隣席の男にひどい目にあった。今回また同じヤツが来たら、もう座席を変えてもらわなければなるまいと固く決心して自分の席に座る。そのあたりのスペースは定期会員席だから可能性は高い。
結局、開演5分前ぐらいになってその男が来たので、あわてて席を変えてもらった。三列ぐらい後ろなので、結構いい席でよかった(^^ゞ おかげで心穏やかに聞けました
これでは次回もその次も変えてもらうしかないだろう。

会場全体を見ると「マタイ」の時よりもかなり空いていた。やはり世俗カンタータだと人気ないのかしらん?
とはいえ、教会カンタータの時と変わらぬ遜色ないコンサートだった。

一曲目のケーテン候誕生日のためのカンタータは、ひたすら君主をヨイショする内容。それを長身ソプラノのジョアン・ランとバスのロデリック・ウィリアムズが晴れやかに歌う。
ファゴット独奏と通奏低音で終始するというバスのアリアがあって、低音尽くしであるのが面白かった。また、二本のフルートが中心でそれに二人の歌が添えられているといった趣きの曲もあった。
聞いてて感じたのは、こういうヨイショ曲を現在の為政者に対しても演奏してやればいいのではないかということ。そうすれば、助成金でもなんでも出してくれるだろう。
「××殿下が●●市で君主の誉れに~」とか「△▽知事の比類のなさゆえ我らは~」なんて。目の前で聞かせてやったら、毒舌も吐けまいよ(^O^)

結婚カンタータでは器楽の人数が減って、弦が一人ずつ(ヴィオラはE・モレノ特出)で演奏。そしてJ・ランは歌いっぱなしの独唱で、三宮氏のオーボエと共に大活躍をした。ランたんファンは充分に萌えたことであろう。

同じ「結婚」でも次の「結婚クオドリペット」となると、えーバッハ先生こんなのを作ったのか(!o!)とビックリな作品だった。楽譜の最初と最後が欠けているので詳しい由来は分からないが、どうもバッハ自身の結婚式で歌われたらしいとのこと。
当時の流行や話題ネタ、さらには出席者への突っ込みネタ、やや卑猥なジョークなど詰め込んだ冗談尽くしの即興風な歌である。

楽器がまだチューニングしているうちに歌手四人(テノールは櫻田亮、アルトは青木洋也が参加)がステージ乱入、さらに一歩遅れて肝心の鈴木(兄)があわてて走ってきて演奏開始という完全喜劇モードだった。
コミカルな動作を付けて動き回って歌手たちが歌う--というので、なんとなく見ていて思い出したのはル・ポエム・アルモニークである。終わると会場は拍手喝采。大いに笑わしてもらいました。

ラストの曲でようやく合唱が登場。やはり詳細不明ながら教師の誕生日祝いに歌われたカンタータBWV36cである。
ソプラノのアリアでは「弱々しい くぐもり声であろうとも」という件りとヴィオラ・ダモーレ(若松女史演奏)の音が対応している。しんみりと聞き入ってしまった。
また、テノールのアリアでは櫻田氏が、思わずイイネ!印を100個連発で付けたくなるような出来だった。

全体的な印象は「ランたん最強!無敵」に終始したのであった。歌手でただ一人全曲出ていたし。長身から繰り出すパワーは並々ならぬものであるのは確か。

終了した後、会場外の階段を下りながら「昔の教師は尊敬されてたのねー」と羨ましげに話している人がいた。大学の教員のようだった(^o^;)


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2012年8月 2日 (木)

「ファウスト」:巨匠は敬して之を遠ざく

120802
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:ヨハネス・ツァイラー
ロシア2011年

恥ずかしながらロシアの名匠アレクサンドル・ソクーロフ監督、初体験であります(> <)
だから映画ファンの風下に置いといてちょーだい。

一方、原作はかの文豪ゲーテの「ファウスト」ではありませぬか。名作とはいえ読んだことないので(^^ゞまたも「まんがで読破」シリーズのお世話になった。

しかしね、こりゃなんですか? もしかしてドタバタ喜劇かみたいな印象。
ファウスト教授、専らの学問的疑問は「魂の探求」である。しかし、金がないので医者の父親に無心しに行くがキッパリ断られる。(ファウストは老人ではなく中年男)
で、高利貸しの老人の所に行くと、なぜか女たちで満員の巨大洗濯場へ連れて行かれる。その中でめざとく美少女発見! クンクンと回りをかぎまわった挙句、ボーッと突っ立ってる彼女のスカートをまくりあげて股を覗き込むのであった……。

ファウスト先生\(◎o◎)/!それ、現代だったらおまわりさんに捕まりますっ
「魂が云々」なんて言ってる割には、ネーチャン目当てに高利貸しの契約書サインしたり若い兵士を殺したり、いい加減な犯罪者なファウストなのであった。

万事こんな調子で、さらに登場する男たちが身体をやたら絡み合わせるところはお笑いコントみたいだし、高利貸しには太ったストーカー人妻がつきまとったり、魔術的リアリズムといえばそうだが、バカバカしい笑劇と見えなくもない。
さらには突然、画面のトーンが変化したりして、なんだかコマごとに絵柄が変わるギャグマンガのようだ。
歴史ものとしては衣装やセットは本格的だし、美しい映像もあるんだけどさ……(+o+)

結局、原作の前半部分を中心にしてよく分からぬまま終了。これがヴェネツィア映画祭でグランプリですか(?_?) 私の理解力を完全に超えていたようだ。

なお、きれいなオネーサンのヘアは無修正だったが、死体の●●●はしっかりボカシがかかっていた。この基準はワイセツとかじゃなくて美醜なのかな(^^;


ギャグ度:7点
魂の探求度:4点


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2012年8月 1日 (水)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 8月版

猛暑の日はじっと家で伏して待機状態(ーー;)

*10日(金)南蛮ムジカ
*21日(火)テレマンのリコーダー音楽(田中せい子+D・ブラジェッティ)

他にはこんなのも
*4日(土)アンサンブル・ビクトリア
*17日(金)Hakujuギター・フェスタ
*25日(土)名橋たちの音を聴く
*31日(金)中世末期の世俗音楽

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