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2012年9月

2012年9月30日 (日)

「愛と狂気のマドリガーレ カルロ・ジェズアルドの芸術」:激情と奇矯と技巧

120930
第16回定期演奏会
演奏:ラ・フォンテヴェルデ
会場:ハクジュホール
2012年9月28日

鈴木(弟ヨメ)美登里主催の声楽アンサンブル、今回の公演はジェズアルドである。
これまで、彼の宗教曲は録音で聞いていたがマドリガーレをまとめて生で聞くというのは初めてだった。

ジェズアルドと言ったらすぐ浮かぶのは、浮気した妻と相手の男、さらには自分の子どもまで殺害--という血なまぐさい事件である。当時ワイドショーがあったら全TV局横並びで一時間特集をやったぐらいのもんだろう。
もっとも、配布されたプログラムの解説によると、その後彼は再婚したりウツ状態で引きこもったりしつつ、並行して音楽活動をしていたらしい。

残された6つのマドリガーレ集から二、三曲ずつが歌われた。途中でリュートとチェンバロのソロ曲が入る。
プログラムには歌詞が載っていたが、簡略にまとめられた歌詞を字幕にしてくれたのは分かりやすくてよかった。

初期の頃はまだ元気な恋の歌もあったが、時代が後になるにつれて陰々滅滅とした失恋の嘆きや恨みの歌が増えてくる。こんな感じ→ _| ̄|○ ガクッ
もっとも、マドリガーレって元々そういう大袈裟な表現があるもんだからそこら辺は幾らか差し引かねばならないだろう
曲調も現代音楽に近いような奇異なものが多く、その生涯と共に異能ぶりを印象付けるのであった。

しかし、さすがにどのメンバーも腕達者……ならぬ声達者な面々ゆえ、ジェズアルドの曲も私の古楽脳に心地よく流れ込んで来るのであるよ。下手な歌手たちだったらこうは行かないわな(*^^)v
アンコールはマドリガーレでなくて宗教曲からであった。

なお、来年からはモンテヴェルディのマドリガーレ全曲演奏に挑むとのこと。スゴイですね~。会場からも「おお(!o!)」という声がもれた。大いに期待であります。

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2012年9月29日 (土)

「史上初のヴァイオリン・ソナタ」:祭り来たる!(もうすぐ)

120929
初期バロックからバッハ
演奏:大江戸バロック
会場:近江楽堂
2012年9月26日

桐山建志&大塚直哉のコンビでの演奏は前回は練習曲の原曲を取り上げたものだったが、今回からは一転、ヴァイオリン・ソナタをやっていくという。
ところで「大江戸バロック」というのは、二人のユニット名だったのね。今まで気付かなくてスイマセンm(__)m

各国のソナタを歴史順に弾いて行くという趣向で、まずソナタ発祥の地(?)イタリアからフォンタナ、そしてこれぞ史上初のヴァイオリン・ソナタであるチーマの1610年の作品が演奏された。
次はドイツ勢でシュメルツァーとビーバーだった。ビーバーは、まさに演奏の途中で鍵盤奏者が弾いている間にヴァイオリンが調弦を変えるという作品で、こんなのがあったんですか(!o!)とビックリだった。

桐山氏のヴァイオリンはシュメルツァーでは奔流の如き勢いがあり、ビーバーもまた力強い演奏だった。この二人の作曲家についてはこれまで「地味」とか「渋い」といったイメージを持っていたので、これは想定外、驚きであった。認識を改めましたです、ハイ

続いてイタリア勢でも時代は下って、1700年のコレッリのソナタへ。ヴァイオリニストの数だけ解釈があるといってもいい曲で、近年は過激さを競うような感もある。。
しかし、ここではその方向に走らず、よく磨かれた木製の家具のような落ち着いた輝きを放つものだった。

後半はフランス代表、ルクレール1728年の作品と、バッハのヴァイオリンとチェンバロのソナタでシメとなった。
バッハでは、大塚氏がここぞとばかり腕の見せ所があって活躍だった。

前にも書いたが、近江楽堂はこういう小規模な人数の弦&鍵盤だと(管楽器だとちょっと響き過ぎ?)本当に心地よい音である。
この日も桐山氏のヴァイオリンを中心に気持ちいい波動がダイレクトに届いてくるようだった

アンコールは再びコレッリ。来年は彼の生誕360年&没後300年というメモリアル・イヤーとのことで、二人はコレッリのCDを出すらしい。
コレッリ祭り到来の予感である。多分、モダン・古楽双方で盛り上がるんでしょうなあ。楽しみであるよ(^^♪


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2012年9月26日 (水)

バッハ・コレギウム・ジャパン第99回定期演奏会:1735年、その時バッハは

120926
ライプツィヒ時代1730~40年代のカンタータ3
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2012年9月17日

いよいよ教会カンタータ全曲シリーズも押し詰まってまいりました(^O^)/
今回のソリストはハナ・ブラシコヴァ、ダミアン・ギヨン、ゲルト・テュルク、ペーター・コーイという組み合わせだった。
器楽の方ではトランペット&ホルンではJ・F・マドゥフ組が参加である。

冒頭のオルガン独奏は今井奈緒子が担当。バッハの「プレリュードとフーガニ短調」のフーガの方は無伴奏ヴァイオリンのソナタのオルガン版で、鍵盤になるとこう聞こえるのかという差異が面白かった。

BWV197は婚礼用の曲。続いて鈴木氏の注釈つきで始まった197aは前半は楽譜が散逸し歌詞しか残っていないクリスマス用の曲で、後半だけという変則演奏だった。ここでは197とは歌手のパートや楽器が変わったヴァージョンが登場する。
どちらも華やかかつ、心穏やかで平安さが感じられる曲調だった。

しかし、後半最初のBWV14は全体的に変わった珍奇な曲という印象だった。唐突に始まる合唱はなんだか様々な音がバラバラに響いてくるのを、かろうじて一本の糸に宙ぶらりんになりつつとどまっているようだ。
二曲あるアリアはそれぞれソプラノとトランペット、バスとオーボエがソロを取るが共演というより、競い合っている風である。
それがまたスリリングに聴こえるのだ。バッハ先生、1735年にはこんな曲も書いていたのですね\(◎o◎)/!

全体的に歌手はP・コーイが目立っていたもよう。G・テュルクはレチ一曲と二重唱の片割れだけで出番が少なくて残念でした。
ティンパニは女性だったが、その名前が杉下りずむ……芸名?それとも本名(@∀@)

隣席のスマホ男を回避するため、今回は入場前に席を交換してもらった。次回もか


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2012年9月23日 (日)

「タブラぶらぶら放浪伝説2012」:ブラボー飛び交う残暑かな

120923
演奏:タブラトゥーラ
会場:ハクジュホール
2012年9月15日

久しぶりのタブラである。
なんだかこのところ老人力入ってきたようなつのだたかし団長の挨拶から開始した前半は、オリジナル曲を中心に粛々と演奏した。
粛々といっても会場の方は盛り上がり、なんと恒例の「ブラボー要請&訓練」なしに自然にブラボーが飛ぶというほどの熱さ(^.^;Aである。

途中で一同楽器を置いて何が始まるかと思ったら、オークションがであった。
団員がそれぞれ自分のものを持ち寄って、聴衆相手に競売しそのお金は震災の被災地に寄付されるのだという。
ただ、団長の仕切りが悪いせいか今イチ白熱の獲得合戦とはならず、適当なところでジャンケンで決めたりしたのだった。
個人的にはチャリティという趣旨を考えれば、一万円ぐらいまで釣り上げてもOKだったのではないかと思ったけどね(^_^;
江崎氏が出品した「サックス型リコーダー」は爆笑ものだった。

後半にはゲストの荻野目慶子が登場。なんでも団長が音楽監督&端役をした『十二夜』で知り合ったのだという。
ここでは珍しくも初期に吉田日出子の朗読&歌唱で録音された「満月の夜」をやった。もちろんステージで聴くのは初めて。ヘンな曲である(一応ホメ言葉よ)(^^♪

その後は、リンゲルナッツというドイツの詩人の短くてナンセンス極まりない作品の朗読が続く。1920年代にミュンヘンで活躍し、キャバレーの専属詩人にしてコメディアンだったとのこと。
団長のリュートをバックに荻野目慶子が身体を折り曲げるようにして朗読する様は、まるで二人コントのようだった。大いに笑えた。

やはり初期録音の「へべれけ」(小川美潮作詞)も披露し、その後は荻野目女史はナベを叩きながら演奏に参加してラスト曲とアンコールをやったのであった。やはり、女優さんというのは何をやっても舞台で目を引くねー。ん(^^?)バックがオヤジ5人だから特にそうなのかしらん

今回のコンサートでは会場の年齢が以前よりも若返っているように感じた。ブラボーが飛び交ったのもそのせいかね。

ところで、プログラムのメンバー紹介で他の4人は普通なのに、田崎瑞博だけ「以上のように輝かしい経歴を持っているが、人間性は決して褒められたものではない」と書かれているのは……(@_@;) そんなにひどいヤツなのかっ


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「ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~」:全身写真家

120922
監督:長谷川三郎
日本2012年

『プロメテウス』と『プンサンケ』があまりに詰まらなかったので、ガックリしてもう劇映画を見るのにウンザリしてしまった。それで、よしっ(`´)ドキュメンタリーを見ようと思って行ったのがこれだ。

一見すれば犬と暮らすじーさん。年齢は90歳。しかし、その正体は激動の戦後史を撮り続けたカメラマン福島菊次郎である。
いや、激動の戦中戦後を生き抜いてきた--と言うべきか。戦争中はバリバリの軍国少年で、彼の所属した部隊は8月1日まで広島にいたという。
戦後は一転、一人の被爆者の写真を撮り続けプロのカメラマンとなり、その後成田空港闘争、安保、全共闘、水俣、祝島、ウーマンリブ……と一貫してフリーの立場でメインストリームでない側の取材を続けてきたのであった。

映画は時代順に彼の作品をその写真集の中の文章と共に紹介するとともに、現在の彼のインタビューを交えて構成されている。
冒頭、カメラマン志望の若者たちに「(取材する)問題自体が法を犯したものならば報道カメラマンは法を犯しても構わない」と説く福島氏は、過去に自衛隊や軍需工場に目的を偽って取材を敢行したという過去がある。
その直後に暴漢に殴られ、さらには家に放火されるという、まことに過激な人生を送っているのだった。

また昭和天皇や「平和都市」ヒロシマへの忌憚ない批判も続々と飛び出す。
「中立な立場の取材などありえない。だからつまらない記事になっちゃう」というのは真実の一面をついているといえるだろう。
その話の中で、今まで知らずに私が驚いたのは広島の「原爆スラム」である。投下直後から、家を失った人々はバラックを建てて住み始めた。その人々を追い出して更地にして作られたのが平和公園だったのだという。うむむ(+_+)

そして、3.11を経て福島へ。日常は足元もややおぼつかない感じだが、カメラを握るとエネルギー注入されるのか、シャキ~ンとなって被災地の光景を撮りまくるのであった。

90歳のじーさんのだから今は枯れた印象であるが、若い時はかなりエネルギッシュな人物だったに違いない。だーって、60歳の時に三十も年下の若い女性と孤島で暮らした--なんて、スゴ過ぎですよ。
というわけで、このドキュメンタリーを見て私も少しエネルギーを貰った。まだまだ長生きして写真を撮り続けて欲しいです。

ところで、ウーマンリブを撮った作品の中で、四人の女たちが服を脱いでヌードになっている光景がある。あの中で左端のサングラスをかけている女は田中美津ではないか。確か本人の回顧で、山中でウーマンリブの大会があって、服をすべて脱いだがサングラスだけは取れなかったと書いていたと記憶している。その時の写真だろう。


ダテに長生きしていない度:9点
愛犬度:8点

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2012年9月17日 (月)

「プンサンケ」:いかにして私はシネパトス前で倒れ伏したのか

120917
監督:チョン・ジェホン
出演:ユン・ゲサン
韓国2011年

予告では、38度線を股にかけた運び屋を主人公にしたハードボイルド風のサスペンスもののように思えた。
しかし、実際見てみると全然違った。……というより立派にトンデモ映画の部類に入るといっていい。

主人公が境界線の鉄条網を越えて、南北で離散した家族の間をビデオメッセージを運び、さらに小さな少年も一緒に連れてくるという冒頭のエピソードは快調。これは期待できる!と思っていたのだが……
ところが次に、南に亡命した政府高官の愛人を連れてくるという段になると、その女がやたらに「いやん」とか「キャッ」とか連発するではないか。しまいには主人公に対し「あなたは女性への接し方を知らない<`ヘ´>」とか言って怒って一人で走り出すと、当然ながらトラップの針金に引っかかって警報のサイレンが鳴り響くのであった……。
最初の男の子の方がよっぽど人間としてよく出来ているように思えるのだがどうよ?

それとも……こ、これは絵に描いたようなツンデレ(~o~;)

依頼主の韓国情報部が報酬を支払わないので、主人公は高官と彼女を拉致するが、どうしたことかいつの間にか高官の命ずるままに観光ドライブツァーの運転手となって、二人でイチャイチャするところまで見せつけられるのであった。
宣伝文句に「おまえはどっちの犬だ」とあるが、これでは「お前はどこの運転手だ」である。

その展開から予測できるように、主人公と女はひそかに惹かれあうのだが……というメロドラマ・ストーリーは見ていてどうでもよくなってくる。
二人が縛られたまま北側の工作員ボスに蹴倒されて、その倒れたままキスしようとする場面なぞ必涙のはずなんだが、なぜか笑いがこみ上げてきてしまうのだった。

これまで『ダークナイト ライジング』や『プロメテウス』を散々ケナしたが、少なくとも見ている間は退屈ではなかった。ところが、この映画は設定がトンデモな上に、見ていてさっぱり面白くなくて退屈なのだった。勘弁してくれ~(`´メ)

格闘場面の撮り方や、北と南の情報員を狭い部屋に閉じ込めて闘わせてそれを見物するというのを見ると、『ダークナイト』の影響を受けているようだが、これじゃ悪しき亜流の見本でしかない。困ったね
背景に、現実に会いたくても会えない家族がいるのに両国の政府が何もしないという民衆のいらだちがあるのだろう。しかし、主役のユン・ゲサンのファン以外は見てもしょうがないという印象に終始した。正直、金と時間を返してほしい。

いやそれとも、私のような夢もロマンも信じてないような人間が見ようとしたのがいけなかったのか? だとすれば不徳の致すところである。
あまりにガックリした私は、数年ぶりに行った銀座シネパトスの前の地下街でしばらく倒れていたのだった┏(-_-;)┓

キム・ギドクが製作総指揮と脚本を担当。彼の復帰後第一作であり、監督もギドク組の人らしいが、一体これで大丈夫なのかっ(@∀@) でも、つい先日ベネチア映画祭でグランプリ獲得したのだから、きっとその後復調したんだろう。
それにしても亡命高官ってあんな我がまま言い放題なんかね?


南北友好度:5点
トンデモ度:9点


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2012年9月16日 (日)

「ピープルvsジョージ・ルーカス」:有罪であろうと無罪だろうと

120916
監督:アレクサンドレ・O・フィリップ
出演:SWファンの皆さん
米国・イギリス2010年
*DVD

冒頭、30代後半ぐらいの女性がマイクを握って真剣な表情でこう訴えかけている。「彼は私の青春をもてあそびました
一体なんのこっちゃ(!o!)と思ったらそれはジョージ・ルーカスの事なのであった。

そして年月をさかのぼり、「スター・ウォーズ」えぴ6こと『ジェダイの復讐』公開から18年(17年?)ようやく『エピソード1 ファントム・メナス』公開を前に期待に盛り上がりまくるファンたちの姿がとらえられる。。
徹夜をして手に入れた初日の上映\(^o^)/--しかし、その喜びは見る間に急転直滑降するのであった 後に残るはルーカスへの恨みつらみ、そしてSW史上最低人気を誇るキャラクター、ジャー・ジャー・ビンクスに怒りは向かうのであったよ。

こんな具合に、ビッグネーム・ファンと無名のファンやコレクター多数や作家(ニール・ゲイマンなど)、さらにはコッポラやゲイリー・カーツの証言が続く。その間に数々のファン・ムービーの映像が挟まれるという構成のドキュメンタリー映画なのだった。

確かにルーカスはSWを創造した。しかし、だからと言ってこんなにメチャクチャにする権利があるのか~。さらにはオリジナルを封印して、撮り直したり再編集した特別編とか余計なもん出すなー。グッズやフィギュア出し過ぎで、もう貢ぐ金はねえよ
などと怒りの種は尽きない。
「彼は素晴らしい作品を作り、うまく管理して利益を上げ、最後にそれを壊した」という発言もあった。

えぴ4~6をリアルタイムで夢中になった人は「わかる(^O^)わかる(>_<)わかる(T_T)」となるに違いない。そうでない人は……見なくて結構です

これは3月に単館でレイトショー公開されただけだったので見に行けなかったので、レンタル待ちだったのがようやく見られた。「スター・ウォーズ」シリーズのファンは必見と言っていいだろう。あと「インディ・ジョーンズえぴ4」の話も出てくるのでそちらのファンもOKか。

しかし散々文句言った挙句、最後の結論は「おれたちはやっぱりルーカスが好きだ!」なのであった。
もちろん、私とてそれに同感である。まあ、えぴ1~3は二度と見ることはないだろうけどな(@^^)/~~~

これ見て初めて存在を知ったのは、TVで放映されそのままルーカスがお蔵入りさせてしまった『クリスマス・スペシャル』。チューバッカが故郷に帰り……という話だが、こんなものがあったのか
それからアニメの『サウスパーク』では、インディ・ジョーンズをルーカスとスピルバーグが背後から襲撃して▲※◎するという恐ろしいエピソードを放送したとか。よくそんなコワいことができたもんだ(>y<;) 蛮勇である。

本編では細切れに紹介されているファン作品が面白い。幾つかは特編映像に収録されている。S・キングの『ミザリー』のパロディで、車椅子状態で監禁されたルーカスにファンの主婦が脚本書き直しを迫るというものもあったりする。
それから『ロー&オーダー』風の法廷劇で、ハン・ソロがえぴ4の酒場で犯した殺人は正当防衛か否か裁くというもの。結構本格的なのが却って笑えた。本作のタイトルが裁判をもじっているのはここから来たのか。
証拠に3種類のヴァージョンのビデオが提出される。同じ場面だが、ヴァージョンによって全て異なっているのである。そして、証人として出廷したはずのルーカスがいつの間にか被告人に(!o!)
判決は……ちょっと感動しちゃったよ


スター・ウォーズ度:10点
ルーカス度:9点

【過去の感想リンク】
『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』
『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』


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2012年9月13日 (木)

「プロメテウス」(3D字幕版):2時間制限のお化け屋敷

120913
監督:リドリー・スコット
出演:ノオミ・ラパス
米国2012年

「エイリアン」シリーズは全てリアルタイムで見ている……のだが、何分にも大昔の事なんでリドリー・スコットが監督した一作目はほとんど覚えていない。
かろうじて覚えているのは終盤の死闘場面でヒロインのパンツ(下着の方の)が今にも脱げそうだったことだ。あんなに他人のパンツが脱げそうでハラハラ(*_*;したことは未だかつてない。

さて、シリーズの前日譚にあたるこの『プロメテウス』、巷の噂では一作目とよく似ているとか。さては、リメイクも数が増えすぎて飽和状態。加えて同じ監督が作るなら--ということで、形だけ「前日譚」その実リメイクという事にしたのだろうか。

確かに実際見てみると設定は未知の惑星に向かう学術探査船で、乗っているのは学者のはずだが言動は貨物船乗組員とほとんど変わらない。どこのチンピラのにーちゃんかと思ったら地質学者だって?
謎の遺構から宇宙人の死体が出て来て「不気味だ、先に帰る」といち早くに逃げたはずが、結局迷って他の隊員が引き上げた後もウロウロしている。しかもその挙句、最初に「不気味」だと忌避した場所に戻ってくつろいでいるのは何故だ
そこで明らかに生殖器みたいな形の謎の生物が出現すると、自称「生物学者」はなんと手を差し出して「おいでおいで」をするのであった……。
あのなあ、動物園でサルにエサやってんじゃねえぞ(-"-)

万事がこの調子である。加えて、それまで起こった事件に関係なく人物が場当たり的に行動するのも驚きだ。学習能力皆無?というより忘れっぽい?……というより乗組員全員がラリっているとしか思えなかった。コールドスリープの酸素にでも麻薬が入ってたんじゃないか

先日『ダークナイト ライジング』を突っ込みどころ満載のように書いたが、こちらはそれどころじゃなかった。マイッタ_| ̄|○
スタッフ、キャストに一流どころを揃え特撮も立派なもんであるが、それらを駆使して描いているのはトンデモB~Z級ホラーなのであった。
まことにカップルやグループでキャアキャアO(≧▽≦*)O言いながら見るのにふさわしいノリの映画である。

イタそうな手術の場面も含めて、遊園地のお化け屋敷をそのまま映画にしたと言っていいだろう。ただし、コワい場面は全て性行為のメタファーなので、お子ちゃまは入場禁止である。
3D効果はあまり感じられなかった。こういうボッタクリ感もお化け屋敷ならではかね。

ヒロイン役のノオミ・ラパスはなんだか引きつった笑いが印象に残るばかりで、主役のオーラなくあまりサエなかった。
マイケル・ファスベンダーとシャーリーズ・セロンの「疑似姉弟」はヴィジュアル的にはキマっているが、行動原理が不明。
ガイ・ピアースは老人メイクで終始し、別に彼でなくてもいいのではという疑問が浮かぶせどそれを言っちゃおしめえよ。(見てて最後まで彼だと分からなかった(^_^;))
それ以外の人間は(ヒロインの恋人も含め)「その他大勢」の扱いだった。

結末は明らかに「続編にご期待ください」モードだったが、正直《人類の起源》がなんだろうとどうでもよろしい。
かくなる上は、ロボット役がハマっていたM・ファスベンダーにデータをやってもらって、「新スタートレック」のリメイクでもして欲しいね。


エログロ度:7点
科学度:1点


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2012年9月10日 (月)

「トガニ 幼き瞳の告発」:力技一本

120910
監督:ファン・ドンヒョク
出演:コン・ユ
韓国2011年

韓国で実際にあった児童への性的虐待事件を告発した映画。原作は小説だが、色々と圧力があってノンフィクションとしては発表できなかったらしい。しかしこの映画が公開された後、法律が改正され、舞台となった学校が閉鎖されるなど社会を動かしたことも話題になったそうな。

犯罪の舞台は寄宿舎制のろう学校で、しかも立場が弱い子供を狙ったらしい。
まことに卑劣だが、その卑劣な犯罪を実際に映像に描いてしまっているところが韓国映画らしい「濃さ」というか、恐ろしいというか、正視できないというか……(> <) 年齢制限がR18なのも納得である。
この手の犯罪を取り上げるにしてもこんなにストレートには描かないのが普通だろう。演じている子役に影響があるかもしれないのと、作品の主張に関わらずそういう映像自体を見て喜ぶヤツがいるからである。
見ているこっちが冷や汗が出てくるくらいだ

事件を告発する新任教師役はコン・ユで、韓国では人気二枚目俳優だそう(すいませ~ん。その方面はうとくて無知なんですm(__)m)。告発映画の主人公にしてはなんだか煮え切らない印象だが、熱血教師みたいじゃない所がかえってよかったのかも。また彼がどうして告発に至ったのかという動機がはっきり描かれているのは説得力があった。
それとは正反対の直情一直線な、人権団体の女性とのコンビでちょうど釣り合いが取れているか?

前半はちょっとダルい感じだったけど、警察・検察・裁判所がグルになって犯罪隠蔽へ動くのを容赦なく描いているのには感心した。ものすごい力技である。
それにしても、実際の事件でも校長は双子だったの(?_?) なんか不気味さ二倍である。

さて、性犯罪でなくても不正が職場や身近な場所で行われているのを知ったらどうするか……? 私にはとても告発する勇気はない。
しかも、往々にして事件が起こっているのかいないのか、定かでない噂として流れてくる事もある。
こういう場合「周囲は見て見ぬふりを」などという批判が出るが、じゃああんたは隣に座っている同僚や上司を告発できるのかと問いたくなる。
実際にこの事件を告発した人たちは勇気があったってことですね……(v_v)


告発度:9点
児童福祉度:微妙

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2012年9月 9日 (日)

「汚れた心」:國賊はお前の隣にいる!

120909
監督:ヴィセンテ・アモリン
出演:伊原剛志
ブラジル2011年

スタッフはブラジル人の名前ばかり並んでいるが、キャストはほとんど日本人という珍しいブラジル映画である。
題材はブラジルに移住した日本人たちが、太平洋戦争終結後に日本が敗北したのか勝利したのか、情報途絶の中で「勝ち組」「負け組」の二手に分裂した実話に基づく。ノンフィクション作品が原作らしい(日本未訳)。

多数だったのは圧倒的に「勝ち組」の方で、「日本が負けるはずがない」という信念によるものだ。本国だって終戦の詔勅まで大本営発表を信じてた国民が多かったのだから、ましてや海を越えた地にいる人々が納得できなくても仕方ないだろう。
遂に1946~47年に渡って「勝ち組」が「負け組」を襲撃。死傷者の数はなんと3万人だったという……

しかし、この映画では小さなコミュニティに限定した中で物語が進む。政府もブラジル人もほとんど登場しない。ブラジル人でセリフがあるのは軍の将校と保安官ぐらいである。作り手は社会問題というより、小共同体の中での個のあり方に重点を置いているようだ。

冒頭、禁止されている日本人集会にブラジル人の将校が踏み込んで日の丸を引き摺り下ろす。怒った移民たちは将校を引き渡せと抗議しに行くが、すげなく追い返される。
そこで彼らは怒りの矛先を通訳として協力していた移民仲間に向けるのだった。

ここに問題の根底が端的に示されている。本来外部へと向けられるべき攻撃が果たせないために、内部へと向かう。これでは内ゲバだ。
狂的な「大佐」の指令によって、写真屋を営む主人公は次々と「負け組」の同胞を殺す。彼は本来温厚な人間であるはずだが、大佐の示す「正論」と同調圧力には抵抗できないのだ。
暗殺宣告として家の壁に書かれる「國賊」の文字は排除の印であり、「汚れた心」とは暴力の正当化の論理である。

しかしながら、最後まで関与せず出現しない国家としてのブラジル--その不在自体が、むしろ一度も語られないからこそ背景として浮かび上がってくるのだった。

話の展開は衝撃的にあおるというのではなく極めて晦渋な印象。映像のトーンもなんだか陰鬱で晦渋である。その中で日本人俳優たちがよく演じている。
主役の伊原剛志はブラジルの映画賞で初演男優賞を取ったらしいけど、常盤貴子、余貴美子の女優陣もポイント高し。製作にも関わっている奥田瑛二は、偏執的かつ熱狂的な「大佐」役に嬉々として(実際に嬉しそうなわけではないよ)扮している。
唯一、音楽が大袈裟過ぎでマイナス点だった。
ただ、この監督の作風が好きかというと……ウムム(+_+)次作を見たいかというと、あまり食指が動かないのであった。


このような悲劇が起こったというのは、当時は情報網が未発達で事実がうまく伝わらなかったからだと考える。しかし、本当にそうなのだろうか。
今の日本でも「安全だ」とか「危険だ」とか二手に分かれ、さらには「危険」派同士でも「絶対ダメ」派と「少しは良い」派でもっといがみ合う。情報網がいくら発達しても、真実は定かではない。
同じことを目指していても「○×者は排除」派と「○×者排除は危険」派は互いに相容れず、「すぐに中止」派と「徐々に中止」派は罵り合うのだった。

とすれば、この映画が描くのは隔絶した地での野蛮な時代の物語なのではなく、まさしくこの国の現在の問題だともいえよう。


ブラジル度:1点
日本度:9点


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2012年9月 8日 (土)

「ローマ法王の休日」:全ての道は法王に通ず

120908
監督:ナンニ・モレッティ
出演:ミシェル・ピッコリ
イタリア2011年

予告ではモロに喜劇風に見えたが、ネットの感想を見ると「コメディではない」と多くの人が書いていた。
でも、前売りを買ってあったんでとにかく行ってみた。

先代のローマ法王が亡くなったんで、新しい法王を選ばなくては!--ということで、各国の枢機卿がバチカンに集合。しかし、みんな内心では法王に選ばれたくない。
何度も投票を繰り返すうちに、誰も(本人を含む)予想しなかった無名のダークホースが選ばれちゃったのであった。
当人は大ショックでノイローゼに。待ち受ける民衆の前に立つこともできず、遂に逃走してしまう。

外部に発覚したら困るってんで枢機卿たちは外に出られず、バカ話に興じたりトランプしたりしまいには地域別対抗バレーボール大会なんてのまで始まるのだった。
ここら辺の描写はちょっとぬるいコメディタッチなのだが、新法王の方のエピソードは段々とシリアスモードに。大口開けて笑おうと待ち構えてたら、全く逆方向に進んじゃって、これこそ開いた口がふさがらねえ~(・o・)ってなもんだ。
特に劇団との関わりの部分、何が描きたいの?

そもそも登場する枢機卿たちを「世間知らず」で「無垢」な人物として描いているのが無理がある。これが、一種のおとぎ話かファンタジーとしてお笑いに終始してくれればまだ不自然じゃないのだが。
大体にして、ローマ法王なんぞ俗世で米国大統領と並ぶくらいの権力を持つ人物だろう。法王にしろ枢機卿にしろそんな純粋な人間だなんて笑止千万と言いたい。

なんだかバチカンの宣伝映画でも見せられた気分である。
じーさん萌えや老け専の人以外は見る必要なしと断言しちゃおう。


じーさん度:9点
悲劇度:2点


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2012年9月 4日 (火)

三大映画祭週間2012「ミヒャエル」:あの人は普通の人でしたよ

120825
監督:マルクス・シュラインツァー
出演:ミヒャエル・フイト
オーストリア2011年

カンヌ映画祭で上映された作品。
この『ミヒャエル』を一言で説明するとこうだ。少年を誘拐監禁する変質者の日々を淡々と描く--。それ以外は何もない。

映画や小説では、卑劣な犯罪の被害者や家族側から描いた作品は多いが、加害者の側に踏み込んだ(犯罪を擁護するのではなく)ものはほとんどない。しかし、怪物だから怪物的な犯罪を犯した--というのでは何も描いていないと同じである。

この作品では一貫して加害者の生活を追う。誘拐監禁虐待どれを取っても憎むべき行為であるが、それ以外の大部分の時間はごく普通の日常生活を送る。
仕事に行き、買い物をし、親類と会う--。他者とのコミュニケーションが取れないという人間ではない。友人たちと旅行に行ったりもするし、ご近所の住人と立ち話もするし、職場の人間にへこへこと酒をついで回ったりもする(日本のサラリーマンと変わらんですな(^_^;))。別にモテない男なわけではない。同僚や旅行先の店の女性からコナかけられたりもするのだ。
その狭間に少年と過ごす時間が同じように淡々と挟まれる。

一体これはどういうことか? 憎むべき犯罪者も「我々」と同じ普通の人間ということか。ウチのお隣の平和そうな夫婦ももしかして庭に死体を埋めているかも知れないと警告しているのか。
なによりも、彼の親は他の親と同様に彼を愛している。当たり前ではあるが、観客はその姿を単純に受け止められない。

そんな疑問も、淡々と綴られる毎日の繰り返しの中に消えていってしまう。さらに「普通」といっても、その日常は見ているとなんだか微妙に居心地が悪い。それが男と社会の齟齬なのだろうか。

果たしてこの結末はどうつけるのか……と思って見ていたら、そう来たのか~というラストだった。
一つ確実に言えるのは、姉さんのダンナ(でいいんだよね?)はもうあの服に手を通すことはないだろう。

監督は、M・ハネケのスタッフをやっていた人とのことで、確かに距離を置いたそっけなさや淡々としている所は似ている。もっとも、毒気やイヤミは彼ほど強くないし、そういう意味では「刺激」は少ない。
タイトルはハネケにちなんでいるのかと曲解してたら、そういう訳でもないようだ(役者の実名らしい)。そもそもタイトルが誰の名前であるかも、中盤まで明らかにならないのだ。

名曲「サニー」が思わぬところで登場する。韓国映画の『サニー 永遠の仲間たち』でもタイトルになっているぐらいだから重要な場面で使われているが、こっちを先に見てよかった。逆の順番だったらだいぶイメージが違ってしまったろう。

そもそも難しいテーマで微妙な部分がたくさんあるので、そっけない作風でありながら、そういう面では注意深く配慮がされているようだ。例えば、被害者の意見を代弁するTV番組の場面を挿入するなど。
次作も期待したい。


普通度:8点
異常度:9点

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2012年9月 2日 (日)

三大映画祭週間2012「気狂いピエロの決闘」:くれいじー・ぴえろ・らいじんぐ

120825
監督:アレックス・デ・ラ・イグレシア
出演:カルロス・アレセス
スペイン・フランス2010年

ヴェネチア映画祭で監督賞と脚本賞を獲得した作品。もっともこの時の審査委員長はタランティーノだから、内容は推して知るべしな、どこに出しても恥ずかしくない「怪作」である。
なおタイトルは「キグルイ……」と読むのであるが、私はチケット買う時にうっかり「キ★ガ▲ピエロ」と言ってしまいました。許してちょうだい

主人公は父子二代に渡るサーカスのピエロだ。スペイン内戦時に、父親は女装したピエロ姿のまま、無理やり戦闘に参加させられナタを振り回して敵を虐殺しまくった しかし、捕虜となり悲惨な死を遂げる。
息子は長じて父親同様に「泣き虫ピエロ」役でサーカスに就職する。するとそこには美人曲芸師がいて一目ぼれ\(◎o◎)/ が(!o!)彼女には既に男がいた そいつは凶暴な「怒りのピエロ」であった。

というわけで、二人のピエロが不実な美女をめぐって血みどろの争いを続ける。周囲なんか関係なし。街中で市民を巻き込んでの殺し合い、迷惑千万この上ない(+o+)
ん?なんか『ダークナイト ライジング』と似たような話だな(^O^;) 逆方向を向いているようだが、結局同じ事をやっているのか。

さらにフランコ総統が登場したり、過激派による暗殺爆破事件(実際に起こった事件か?)も絡んだりして、スペインの当時の社会情勢とも密接にかかわっているのだよ(多分)。

一方で、映像は結構端正でクラシカルな面が強調されている。特に終盤の教会の造型はお見事。上から俯瞰するシーンの陰影が美しい。美人曲芸師の登場場面なんかも同様に目を引き付ける。
また音楽も流麗で、B級風の展開とかなりのミスマッチだ。

鬼と化した二人のピエロの闘いは、ハチャメチャでアナーキーな破壊力を炸裂させ、その時代の空気と都市空間を縦横に走りぬける。
一方でヒロインの行く末を見る限り、これは明らかに「男同士の絆」を描いたものでもあろう。
とすれば、見せられたのはその時代と国をサーカスの舞台に見立てた、大仕立てのピエロのドツキ漫才に違いないのだ。まことに感心するほどバカバカしい。(注-ホメ言葉である)
ラストは泣き顔も笑い顔も区別がつかなくなり、両者は等しく同化していく。
ふっ(´ー`;)所詮人生など一夜のサーカスにも値しないのだよ。

スプラッタ・ホラー風の展開の作品だが、実際に一番ブキミだったのは、映画内映画としてラファエルというアイドル(?)がピエロに扮装して歌っている作品を上映しているところだった。こ、これって実在する映画?(>_<) なんか見てると脳ミソが膨れ上がって破裂しそうな不気味さなんだけど……

ともあれ、この監督さんには是非ともこれからも破壊力あふるる怪作を作って欲しいですね(^o^)/


ハチャメチャ度:9点
純愛度:8点


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2012年9月 1日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 9月版

あっという間に秋 まだ暑いけど(;^_^A

*15日(土)タブラトゥーラ
*26日(水)史上初のヴァイオリン・ソナタ(桐山建志&大塚直哉)
*28日(金)カルロ・ジェズアルドの芸術(ラ・フォンテヴェルデ)

他にはこんなのも。
*8日(土)名橋たちの音を聴く
前回はリコーダー篇だったが、今度はセルパン篇だ~。
*13日(木)ジェイク・アルデッティ
デビュー公演とのこと。ファンが押し掛けそう?
*14日(金)アンサンブル・アルタイル
*15日(土)中世ヨーロッパ関連総合展示会
展示会だけど音楽もあり。
*23日(日)ファゴットのある室内楽
*29日(土)ラウデージによるラウダ

福岡古楽音楽祭、新潟古楽フェスティヴァルもありますよ(*^^)v

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