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2012年9月 9日 (日)

「汚れた心」:國賊はお前の隣にいる!

120909
監督:ヴィセンテ・アモリン
出演:伊原剛志
ブラジル2011年

スタッフはブラジル人の名前ばかり並んでいるが、キャストはほとんど日本人という珍しいブラジル映画である。
題材はブラジルに移住した日本人たちが、太平洋戦争終結後に日本が敗北したのか勝利したのか、情報途絶の中で「勝ち組」「負け組」の二手に分裂した実話に基づく。ノンフィクション作品が原作らしい(日本未訳)。

多数だったのは圧倒的に「勝ち組」の方で、「日本が負けるはずがない」という信念によるものだ。本国だって終戦の詔勅まで大本営発表を信じてた国民が多かったのだから、ましてや海を越えた地にいる人々が納得できなくても仕方ないだろう。
遂に1946~47年に渡って「勝ち組」が「負け組」を襲撃。死傷者の数はなんと3万人だったという……

しかし、この映画では小さなコミュニティに限定した中で物語が進む。政府もブラジル人もほとんど登場しない。ブラジル人でセリフがあるのは軍の将校と保安官ぐらいである。作り手は社会問題というより、小共同体の中での個のあり方に重点を置いているようだ。

冒頭、禁止されている日本人集会にブラジル人の将校が踏み込んで日の丸を引き摺り下ろす。怒った移民たちは将校を引き渡せと抗議しに行くが、すげなく追い返される。
そこで彼らは怒りの矛先を通訳として協力していた移民仲間に向けるのだった。

ここに問題の根底が端的に示されている。本来外部へと向けられるべき攻撃が果たせないために、内部へと向かう。これでは内ゲバだ。
狂的な「大佐」の指令によって、写真屋を営む主人公は次々と「負け組」の同胞を殺す。彼は本来温厚な人間であるはずだが、大佐の示す「正論」と同調圧力には抵抗できないのだ。
暗殺宣告として家の壁に書かれる「國賊」の文字は排除の印であり、「汚れた心」とは暴力の正当化の論理である。

しかしながら、最後まで関与せず出現しない国家としてのブラジル--その不在自体が、むしろ一度も語られないからこそ背景として浮かび上がってくるのだった。

話の展開は衝撃的にあおるというのではなく極めて晦渋な印象。映像のトーンもなんだか陰鬱で晦渋である。その中で日本人俳優たちがよく演じている。
主役の伊原剛志はブラジルの映画賞で初演男優賞を取ったらしいけど、常盤貴子、余貴美子の女優陣もポイント高し。製作にも関わっている奥田瑛二は、偏執的かつ熱狂的な「大佐」役に嬉々として(実際に嬉しそうなわけではないよ)扮している。
唯一、音楽が大袈裟過ぎでマイナス点だった。
ただ、この監督の作風が好きかというと……ウムム(+_+)次作を見たいかというと、あまり食指が動かないのであった。


このような悲劇が起こったというのは、当時は情報網が未発達で事実がうまく伝わらなかったからだと考える。しかし、本当にそうなのだろうか。
今の日本でも「安全だ」とか「危険だ」とか二手に分かれ、さらには「危険」派同士でも「絶対ダメ」派と「少しは良い」派でもっといがみ合う。情報網がいくら発達しても、真実は定かではない。
同じことを目指していても「○×者は排除」派と「○×者排除は危険」派は互いに相容れず、「すぐに中止」派と「徐々に中止」派は罵り合うのだった。

とすれば、この映画が描くのは隔絶した地での野蛮な時代の物語なのではなく、まさしくこの国の現在の問題だともいえよう。


ブラジル度:1点
日本度:9点


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