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2012年10月

2012年10月31日 (水)

「ジャコモ・フォスカリ」第1巻

121031
著者:ヤマザキマリ
集英社2012年(officeYOUコミックス)

マンガ売り場で、大ヒットシリーズとなった『テルマエ・ロマエ』の第5巻と並んで平積みになっていた。しかしどうもどういう内容か分からず、何度か手に取って眺めたり匂いを嗅いだりしてみてはまた戻していたのだった。
が、ネットの感想で三島由紀夫や安部公房をモデルにした作家が登場する話と知ってあわてて買った次第である。

1993年、東京を再訪した老イタリア人の回想が始まる。時代は二つに分かれ、一つはヴェネツィアでの青少年期(第二次大戦に突入していく頃)。そして日本の大学で教授をしていた1966年である。
そして双方の時代の回想にそれぞれ主人公が惹かれる若者が登場する。

三島がモデルらしい岸場は、映画に出演したりもする売れっ子作家として登場する。公房とおぼしき田部は突拍子もないことを言っては主人公をケムにまく人物だ。
三島の方は分からないが、公房に関しては本人や友人のエッセイ・回顧録の類から発言を取っているようである。主人公を何の根拠もなしにヤク中だと決めつけるくだりは、同じ話を誰かの文章で読んだ記憶があった。

『テルマエ・ロマエ』とは作風が全く逆で晦渋な印象だが、よくよく考えてみると、古代ローマに執着する異国の男が日本にやってきてカルチャーショックを受ける一方で、妙になじんでしまうという点では似ているかもしれない。
1966年というとちょうど作者が生まれた時代なのだが、何かこだわりがあるのだろうか?

……などと思ってたら、朝日新聞の書評欄にヤマザキマリのインタビューが乗っていて、外国の地で安部公房をむさぼり読んだというようなことを語っててビックリした。
この組み合わせは意外であるよ(@_@;)
『テルマエ~』よりもこっちの続きが気になりそうだ。

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2012年10月30日 (火)

ティーファクトリー「文体の獣」:田園と都市の狭間で死す

121030
作:ピエル・パオロ・パゾリーニ
演出:川村毅
会場:テアトルBONBON
2012年10月13~21日

映画監督&詩人パゾリーニの戯曲を本邦初演するシリーズ、私が前回見たのは『豚小屋』だったが、あまりの難解さに退散状態(ーー;)でその後は行ってなかった。しかも「次はパゾリーニの映画を見てから出直したい」と書いたが、相変わらず見ていないままなのである

それなのに今回行ったのは、江戸糸あやつり人形座の結城一糸が共演するから。どんなもんかと見に行ったのであったよ。

作品はパゾリーニの自伝的戯曲。ただし主人公の故郷はチェコスロヴァキアの村に設定されている。
とはいっても、明確なストーリーがあって盛り上がるような内容ではない。過去の思想家や作家が出現してきては主人公の前で一説ぶったり論争したりする。その合間に彼の母親や幼なじみの少女、親友などが登場して半生をたどっていく。
途中で背後のスクリーンにパゾリーニの実際の年譜や発言が現れて、これは本で言えば脚注みたいな感じか。

「革命」とか「共産主義」とか「ファシスト」などという言葉が頻出し生硬な印象である。それに、そもそもこれらの言葉のイメージ自体が当時とは全く違ってきてしまっているのでなんだか、空中に書かれた見えない文字を眺めているような気分になった。
語っている若い役者さんに「あなた共産主義についてどう思いますか」などと尋ねたくなってしまった。

演出はラストで現代と通じる場面を付けたとおぼしいが、なんだかとってつけた印象がなくもない。どうせだったら、「資本」と「革命」が言い争う場面はどつき漫才でやったらどうだろうなどと思ってしまったよ(^_^;)
劇中でも引用されていたが(チラシにも載っている)、この戯曲の序章に書かれた毒舌(「イタリアという国はますます馬鹿で無知になっていく」など)の方が印象に残ったのだった。

人形が演じていたのはパゾリーニの中年時代と天使だったが、果たして効果的に使われていたのかは不明である。

ということで、またも難解さに敗退状態であった。
劇場は中野の狭い商店街の一画にある集合小ホールビルに入っていた。周囲は下町臭くていい雰囲気。同じ下町でも二十三区の東側とはだいぶ違うのう。


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2012年10月29日 (月)

「堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る」

講師:上野千鶴子、寺町みどり
会場:日比谷図書文化館コンベンションホール
2012年10月14日

会場は元都立図書館の地下ホール。150人定員だったが、参加申し込みは100人強だったようだ。見回すと若い人が多い。推測だが、図書館の若手職員とマンガ・同人系の表現の自由問題に関わっている人が多かったもよう。

冒頭、上野千鶴子は「4年も経っているのにこの問題について講演を頼まれたのはこれが初めて」と言っていた。講演依頼で一番多いテーマは「おひとりさま」で、理由は「無難だから」だそうだ。

タイトルになっている事件は、2008年匿名市民が市立図書館にBL本への苦情電話をかけたことにより、約5500冊の図書が書架から撤去され、さらに除籍されそうになったというもの。理由は「子どもに悪い」「過激な描写」など。最初、ネットの掲示板にこの話が投稿されたがどこの市の話か分からなかったという。

堺市だと判明してから情報公開請求をし状況を把握してから、住民監査請求を行った。これによって初めて事件が公になった。上野千鶴子がその代表者で、寺町みどりが実質な作業を担当したらしい。

問題なのは
*抗議は実際には一人の匿名市民と一人の議員によるものだった。特定の書名もあげられてない。
*図書館側の初期対応に問題があった。(他所の図書館にも幾つか同じことをしたらしいが、門前払いされた)その後も隠蔽に走った。
*実質的にBLでない本も入っている。表紙や特定の作家の作品全部とか、適当に選んだのではないか。
*背後にホモフォビアが存在する。
*図書館側は何をされているか認識しておらず、自発的に大量の本を集めて排除しようとしていた。司書は自分は被害者だと考えていた。「それでは一体誰が本を守るんですか?」と尋ねたら愕然としていた。
*その前に女性センターの資料室からジェンダー系の資料が排除されるという似たような事件があり、その時は著者たちが連帯したが、BL系ではそういうことは起こらなかった。また「非実在青少年」系もBLには熱心ではない。

基本としては、図書館にはあらかじめ「資料収集方針」と「資料除籍基準」があるのに、そのような圧力で簡単に特定図書を排除するのは市民の権利と財産を損なうということである。

図書館には様々な図書が存在するのが当然であり、自分と正反対の考えのものがあってもよい。上野千鶴子によると「図書館に『新しい歴史教科書』が入ってるのはOK。だって自分の金で買うのはヤダもん」だそうである(^O^;)

背後には一連のジェンダー系図書の排除運動と同じような動きがあったようである。(某宗教団体の影も……
彼らはそれまでの市民運動の手法を学んで使っているが、対抗するこちらも同じように相手のやり口を研究しているとのこと。
住民請求というのは、請願や陳情よりも効果があるそうだ。ただ、公立図書館が指定管理になってしまうと情報公開請求できなくなってしまうという。


などなど質疑応答も含めて3時間近く続き、色々と聞きごたえあった。ただ、会場で熱心な意見が飛び交ったかというとそういうわけでもなかったのが、この問題の難しさを表わしていたのかも知れない。

エロい小説なぞこの世にゴマンとあれど、なぜか「BL小説」というと微妙な雰囲気になってしまうのは困ったもん。そういう意識も変えないとなあ……とも思ったのであった。

注-私個人の記憶による省略や間違いがあるので完全な記録ではありません。

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2012年10月28日 (日)

「鍵泥棒のメソッド」:詐欺師にも三分の理

121027
監督:内田けんじ
出演:堺雅人、香川照之
日本2012年

内田けんじ監督は過去の作品『運命じゃない人』『アフタースクール』を見ている。いずれも見て驚きの展開が続いて口アングリ状態になってしまった。

5年ぶりの新作は今までで一番コメディ色が強いようだ。
ほとんど一文無し状態で自殺を図るも失敗した男が、ひょんな偶然から記憶喪失になった男に成り替わる。羽振りがよさそうなその人物、映画の冒頭から殺し屋であることが観客には明らかにされている(が、男はそれを知らない)。

殺し屋は男のぼろアパートに戻ってきて、そこにある物から自分が何者か推理しようとする。さらにそこへ雑誌編集者の女がからんできて……と、ありえないような人物と設定だが、うまく成立させているのはお見事である。一、二か所おかしなところがあるがキニシナイ(・ε・)

ただ「意外な展開」と言っても、その感想が
「驚いた!すっかり騙された。素晴らしい」となるか
「え~~、そんなのありか?ありえねえ(ーー;)」となるかで
正反対の評価になってしまうのである。
この映画はどっちだ

役者がオーバーアクト気味なのは少し鼻についてしまった。コメディ演技とオーバーアクトは違うと思うんだが(?_?)
それと前半がややタルイ。上映時間128分て、もう少しテンポ速く出来たんじゃないのか?
--と、過去の作品よりも文句を付けたくなる部分が増えてしまった。またも次作に期待と取りあえず言っておこう。

ヒロインの母親役をどこかで見た顏だなあと思ってたら木野花だった(^_^;)


騙されたい度:5点
騙されてたまるか度:7点

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2012年10月24日 (水)

「今村泰典 ビウエラ・リサイタル」:曲は残れど楽器はいずこ

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16世紀スペイン黄金時代カルロス5世の音楽
会場:近江楽堂
2012年10月12日

ビウエラは外見はギターっぽい楽器。この日配られた解説によると、ルネサンス期にスペイン、ポルトガルやイタリアの一部と中南米でさかんに演奏され曲集も多く発表されたという。しかし、実際にどんな楽器であったのかはよく分かっていない、というのはオドロキ。現存するのが3台しかなくて、みな形状が異なるのだという。
さらに形はギターに似ていても、互いの曲を演奏するのは不可能だそうな。

そんなビウエラを日本三大撥弦楽器弾きの一人今村泰典が独奏した(「三大」のうち残りの二人はあなたの好きな奏者を入れましょう)。
主に16世紀中ごろの舞曲、当時流行った世俗歌曲を元にした変奏曲で、作曲家はミラン、オルティス、ムダーラ、ナルバエスなど。

リュートよりも硬質で、しかし音量はさほどなく線が細い印象の音だった。近江楽堂がちょうどいいくらいの大きさの会場だろう。当時の宮廷もこんな広さだったんだろうか?
オルティスのレセルカーダの一曲はタブラトゥーラが定番曲にしているもの、またフォリアを元にしたものもあった。
今村泰典の演奏は、速い曲では指の動きよりも音が速く聞こえたような気がしたりして(こちらの動体視力が間に合わないのかっ)さすがと唸らせるものだった。

先週は冷房攻撃にあった会場だったが、今回は停止していたんでホッである。


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2012年10月21日 (日)

「壊された5つのカメラ」:この苦渋に満ちた世界へ

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パレスチナ・ビリンの叫び
監督:イマード・ブルナート、ガイ・ダヴィディ
パレスチナ・イスラエル・フランス・オランダ2011年

これまでパレスチナ問題のドキュメンタリーというと、日本人を初め外部の人間が撮ったものばかり見てきたが、これはパレスチナ人自身による作品である。

ビリン村に住むイマードは生まれたばかりの四男の成長記録を撮ろうと、ビデオカメラを買う。ついでに村の行事の記録係にもされてしまうが、その頃イスラエルによる分離壁の建設が始まり、村の農地が分断されることが判明したのだった。
カメラは息子の成長と共に、村民の非暴力の抗議デモを撮り始めることになる。
しかし、そのカメラはイスラエル兵士に撃たれて壊れてしまう--。

そのように5年間の間に5台のカメラが壊されるに至った経緯が描かれる。
間断なき暴力、抗議の非暴力デモ、撃ち込まれる催涙弾、逮捕される肉親、夜中に訪れる兵士。「古い傷がいやされる前に新しい傷ができる」--しかし、その間も様々な形で抗議は続いて行く。いや、続けねばならないというべきか。

だが、語り手であるイマードには不断の闘志ではなく、鬱屈あるいは暗い怒りが淀んでているように思えた。幼い息子がこれから憎悪に満ちた世界を知っていかねばならないからだろうか。
ようやく壁が取り払われても、その鬱屈は消えることがないようだ。冒頭に親友として紹介した二人の村人が五年の間にどうなったかを考えれば仕方のないことだろう。

カメラに映される最後の映像は、普通のホームビデオのような内容である。だが、他所ならば「日常」の光景がここではそうではないことに深い悲しみが伝わってくるのだった。

最近見た幾つかのドキュメンタリーはつまらなくはないが、なんだか特別な人物、突出したキャラクターを撮れば作れてしまうような印象を受けた。
それに比べるとこの作品はまさしく記録すること、ドキュメンタリーの本質を改めて思い起こさせるものだった。
なお共同監督はイスラエル人である。

関係ないことだが、息子の誕生日に家族で「ハッピー・バースデー」の歌を歌っている(もちろん英語のまま)場面があってちょっと意外に感じた。へー、バレスチナ人も歌うんだー(・o・)……てな感じ。
よくよく考えると、日本でも誕生日に歌う歌って他に思い浮かばない。もしかして、世界で一番よく歌われている歌ではないだろうか。


平和度:3点
暴力度:9点


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2012年10月14日 (日)

「London 天才音楽家たちの理想郷」:反省点多数あり

121013
ロンドンで名声を手にした外国人器楽奏者たち
演奏:水内謙一ほか
会場:近江楽堂
2012年10月7日

いざロンドンへ!--とばかりに、18世紀前半のロンドンは豊かな都市であり、外国の優秀な音楽家が成功を目指して我も我もと集まってきたという。
その代表的存在のヘンデルを取り巻く作曲家・演奏家たちを取り上げたコンサートである。

演奏するは4人--水内謙一(リコーダー)、廣海史帆(ヴァイオリン)、村上暁美(リコーダー)、エマニュエル・ジラール(チェロ&ガンバ)だが、特定のグループというわけではないらしい。

演奏されたのは、ハイム、サンマルティーニ、ジェミニアーニ、ペプシュ、バベル、ランツェッティ……と、知らない作曲家もいる。特にペプシュという人はヘンデルのオーケストラでヴァイオリニストをやってたそうなのだが、彼のソナタは本邦初演ではないかという。
バベルはヘンデルのオペラをチェンバロ版に編曲したのはよく弾かれるし、ランツェッティ(ランゼッティ?)は最近懸田貴嗣氏がソナタ集のCDを出して評判になったなあと思い出した。
バラエティに富んでいて面白いプログラムでした。

アンコールになって肝心の中心人物ヘンデルのソナタが演奏された。近江楽堂はなんと満員(!o!) 拍手喝采だった。周囲の会話を聞いていると身内も多かったもよう。先日のステファノ・バリアーノの公演よりも人数が多かったのは確かだろう。比べてしまうと、なんだかなあと思ったりして……

さて、内容の紹介はしたものの実は演奏を聴いた感想を詳しく書くことが出来ない。
なぜかというと、この日の午前中は映画のモーニング・ショーを見て、その後CD屋に行ったりして時間をつぶした。しかし、どうも映画を見終わった後から貧血になったみたいに頭がフラフラして治らない。コーヒー屋で休憩なぞしたが復活せず。
さらに、会場の近江楽堂は冷房をガンガンかけ(別に暑い日ではなかったのだが)、冷風が吹きすさんでもうマイッタ(@_@;)

というわけで、頭の中が蒼白になってほとんど音楽に集中できなかったのだ。聞いてはいても、全く耳に入ってこない。こんな状態では帰った方がよかったかもと思って反省したのであったよ、トホホ((+_+))


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2012年10月11日 (木)

「イタリア・バロック音楽の響き ステファノ・バリアーノリコーダーリサイタル」:笛吹けば客席寒し秋のホール

121011
会場:石橋メモリアルホール
2012年10月2日

仕事を終業時間に素早く打ち切り、急いで上野へ向かった。開演時間まであと数分--もはや、客はみんなホールに入ってしまったらしく入口は人影もほとんど見当たらない。
と、その時入口へ突進する私の目に飛び込んできたのは「開演19:30」の非情な文字であった……。
30分も早く間違えて行ってしまったのよ~(/_;) これだったら、途中で買い物とかできたのに。自分のドジに腹が立つ
しかし、今さら上野駅まで戻るわけにいかず、じっとガマンで開場を待つのであったよ。

それはともかく、このS・バリアーノというリコーダー吹き、全く知らない名前であったが、チラシを見てとにかくチケットを買ってしまった。配布された解説を読むと、ブリュッヘンやブッケに学び、様々なアンサンブルで活躍し、自分のグループも持っているとのこと。
今回はアンドレア・コエンという鍵盤奏者と共に来日である。

プログラムはファルコニエーロ(ナポリ出身の作曲家とのこと。初めて聞いた)、フォンタナ、コレッリ、サンマルティーニ、ヴィヴァルディで、途中にチェンバロの独奏でフレスコバルディやジェミニアーニなどが入った。
また、サンマルティーニの2曲は向江昭雅がもう一本のリコーダーでゲスト参加した。

チェンバロはともかく、リコーダーの方はさすがに中規模ホールだと幾ら音響がいいにしても、微妙なニュアンスまでは伝わってこない。自由席だったから、もっと前の方に座ればよかったかも。
それでも、コレッリのソナタのリコーダー版になってその吹きまくり具合はまるで神業のように感じられた。何しろ早い 指がヒラヒラ管の上を舞っているだけに見えるのだが、曲は恐ろしい速さで聞こえてくるのだった。

サンマルティーニという作曲家も初めて聞いたと思うが明晰な曲調で、向江氏と共に歯切れ良い演奏を聞かせてくれた。
意外なめっけもの……と言っては失礼だけど、そう言いたくなったのはチェンバロ担当のA・コエンだった。外見はトン・コープマンを若くして小ぶりにしたような外見だが、派手すぎず地味すぎず曲のいい所を引き出すような演奏でかなりの好印象。
家へ帰ってから会場で彼のCDを買えばよかったと後悔した(ーー;) ネットで探してみたがどうもフォルテピアノを演奏しているのしか見つからなかった。翌日、近江楽堂でソロ公演があったが、さすがに連チャンはキビシイので行かなかったのである。

アンコールに「赤とんぼ」を吹いて日本の聴衆にサービスしてくれたバリアーノ氏。
しかし、それに反して客席はお寒い状況であった。多分、客席の3割も埋まってないぐらいに閑散としていた…… プログラムをよく見ると、昼間の回もあって1日2回公演なのだった。こんな入りだったら一回にまとめるか、二回やるんだったら小さい方のホールにするべきだったろう。一体どうなってんの?


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2012年10月 8日 (月)

結城座「ミス・タナカ」:真珠と金と女と

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作:ジョン・ロメリル
演出:天野天街
会場:東京芸術劇場シアターウエスト
2012年9月26日~30日

糸あやつり人形の結城座がオーストラリアの戯曲を上演。演出は「少年王者館」の天野天街である。

オーストラリアを舞台にしているといっても、中心人物は日本人の親子である。第二次大戦前、オーストラリアの海岸の町にはアジア各地からの移民が、真珠貝を採るダイバーとして生活していたという。
主人公の父親はダイバーを既に引退して酒とバクチに金を費やしている。息子は父を日本に連れ帰ってやりたいと考えているが金はない。
そこに真珠の採取会社の後を継いだ男がロンドンからやってくる。

これは「M・バタフライ」みたいなオリエンタリズムの勘違いとカルチャーギャップを背景にしている話なのか、と見て思った。(それがテーマの全てではないが……)
また、群衆が登場する場面が多く人形劇にあまり向いていないのではないかとも感じた。ミス・タナカ以外は人形である意義があまりないのでは?

それと、元の芝居では英語と日本語が飛び交い、人物のコミュニケーションがストレートに行かない部分が大きく出ると思うのだが、ここでは当然ながら全部日本語なのでそういう意思の疎通の壁は浮かんでこない。

ということで、見ていて隔靴掻痒、何やらもどかしい気分がしたのであった。あまり知られていない史実を元にしているのは面白いと思ったが。
音楽の生演奏はオーストラリアのミュージシャン二人(パーカッションとディジュリドゥ←笛?)とチェロの坂本弘道が担当。


この日、初めて新装なった東京芸術劇場に行った。芝居用の会場は地下だったので、開館早々止まってしまったというエスカレーターには乗らなかったが、地下のホールは暖色系で落ち着いた感じになってビックリ。噴水や、その背後にあった黄緑色の円管を連ねたアート作品(?)もなくなっていた。あの円管は当初、水が流れていたと記憶しているが、段々薄汚れてきちゃったんだよね。
一階のスペースはクローズドな空間になったが、ただの空間でなんだかしどころがないというか、虚ろというか……何のためにあるんだろう(?_?) 無料ライブでもやるためなのか? どうせだったら屋台でも置くしかないかも。


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2012年10月 7日 (日)

「ザ・マペッツ」:早くマペットになりた~い

監督:ジェームズ・ボビン
出演:ジェイソン・シーゲル、マペットの皆さん
米国(2011)
*DVD

マペットものって好きなんだよね~。でも彼らの映画は日本ではほとんど公開されなくて、最後に見たのは『クリスマス・キャロル』だった。なんと20年も前である。この中では名優マイケル・ケインをカーミットが完全に食っていたのであった。カーミット……恐ろしい子!

この最新作、米国で公開された時からいつ日本に来るのかと待っていたら、公開されたはいいが館数少なく一週間たったらあっという間に規模が縮小されてしまった。
結局、ロードショーで見られずレンタルに出るまで待った次第である。

田舎町に住むとある仲のいい兄弟、兄は人間、弟はマペット--って、なんで
というような問題は脇へ置いといて\('o\)(/o')/ 兄の婚約者と共に花のLA旅行へ出かけるのであった。念願の「マペット・スタジオ」を訪ねるともはや廃墟も同然、そして悪~い石油王の陰謀で乗っ取り計画が進められているのであった。

主演のジェイソン・シーゲルはマペットのファンらしく、脚本も書いている。まことにマペット愛に満ちた映画だが、どうも彼のマペット好きのツボと私のツボはずれているようで、懐かしさを除くと可もなく不可もなく、というような印象が大きかった。それとも、ディズニー仕様だから仕方ないのか。
マペットってもっと毒やナンセンスがあったと思うのだがなあ。

クリス・クーパーが悪役を嬉しそうに演じている。エイミー・アダムスは「マペットの弟がいる男を振ったりせずに十年間付き合っている娘」という極めて困難な役柄に挑戦して、見事成功しておりますヽ(^o^)丿
またミス・ピギーは今や「ヴォーグ」の編集長として成功しているという設定で、メリル・ストリープと張り合っている。スゴイね。

多くの有名ゲストが一瞬間だけカメオ出演。ウーピー・ゴールドバーグあたりは分かったが……デイヴ・グロールなんて出てたか?
一方、ジャック・ブラックは本人役で結構長い時間出ているにもかかわらず「クレジットなし」とはこれ如何に(^^?)


回顧度:8点
爆笑度:5点

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2012年10月 6日 (土)

「ウェイバック 脱出6500km」:暑さ寒さもインドまで

121006
監督:ピーター・ウィアー
出演:ジム・スタージェス
米国・アラブ首長国連邦・ポーランド2010年

『いまを生きる』『トゥルーマン・ショー』、それより前には『刑事ジョン・ブック/目撃者』、もっと前には『ピクニックatハンギング・ロック』の監督として名の知れたP・ウィアーなのに新作がなぜか単館公開、しかもあのシネパトスで!……ということで、話題になった作品。
シネパトスで予告を見て、面白そうだったので鑑賞することに。

発端は1940年、ポーランドの兵士がソ連のスターリン恐怖政治下でシベリアの収容所送りになる。20年もこんな所にいたら死んじまうということで、同じポーランド人や米国人の技師、さらには収容所内のバクチで借金をためすぎた男も加わって脱獄を図る。

……というのは序の口で、その後も逃亡し続けてなんとソ連→モンゴル→中国→チベット→インドまで到達(!o!)
最初は極寒の山林、その次は感想灼熱砂漠、高山を乗り越え、さらに食い物も水も入手困難、という状況なのだった。
しかもこれは実話に基づいているのだというから驚きである。ほぼ全編サバイバル場面が続き、見ているだけでもヘトヘトだあ~(>O<)
その描写は手堅い。手堅過ぎて地味なのが、単館ロードショーになった理由か。

過酷な道中を突き進む主人公は妻の元へ帰るという明確な目的を持っているが、お尋ね者だからおいそれとは戻れない。
結末に至って、これはサバイバル映画というだけでなくその苦難に戦後のポーランドの在り様が重なるのが判明する--という意見を、ネットで読んでなるほどと思った。従って、見る側も戦後東欧史の基礎知識が必要だろう。

脇に回ったエド・ハリスとコリン・ファレルがさすがにいい演技を見せている。C・ファレルのナイフ振り回すヤクザなんか「素」かと思ったぐらい(^^;) シアーシャ・ローナンは可憐
米国人技師との別れがあっけなくてややビックリだ。それとも編集でカットされた?

それからコリン・ファレルはあの虫(本物?)を本当に食ったんだろうか 場内から悲鳴が漏れていたぞ(@_@;)


大脱走度:8点
飢え渇き度:採点困難


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2012年10月 2日 (火)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 10月版

秋が来なくていきなり夏から冬へ直行ですかね。

*2日(火)ステファノ・バリアーノ リコーダー・リサイタル
関連公演も複数あり。
*7日(日)「London 天才音楽家たちの理想郷」(木内謙一ほか)
*12日(金)今村泰典ビウエラ・リサイタル
*26日(金)寺神戸亮&鈴木雅昭
       宇治川朝政リコーダー・リサイタル
あーっ、よりによってなぜ同じ日に……(/_;) 宇治川氏の方はゲストでジョシュ・チータムが再び演奏するから聞きたいのよ~

他にはこんなのも(^^)/
*5日(金)ジョスカン・デ・プレ(ヴォーカル・アンサンブル・カペラ)
*7日(土)&8日(日)第2回チェンバロ・フェスティバル
*11日(木)小池耕平リコーダー・リサイタル
*14日(日)嶋﨑裕美&つのだたかし
*28日(日)バロック音楽で楽しむ「三匹の子ブタ」(ラ・フォンテーヌ)

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