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2012年11月

2012年11月25日 (日)

「思秋期」:いつかまた春が来る……といいな

121125
監督:パディ・コンシダイン
出演:ピーター・ミュラン
イギリス2010年

子どもっぽい人間が歳取れば、なんとか落ち着いた大人になるかというと、そういう訳ではないらしい。わがままな老人になるだけだ。
この主人公もその一人だろう。昼間から酒を飲み、自分の子どもぐらいの年齢のチンピラとケンカし、折角親切にしてくれたチャリティ・ショップの女性にわざわざイヤミを言いに店を再訪するのである。これでは好きな女の子の髪の毛をわざと引っ張る小学生と変わらない。

そんな男が身近に、自分よりも困難と苦境にある人間に気付いて初めて自分を真摯に顧みるようになる。その先にあるのは不幸か幸福か……

中心の役者三人の演技が大きく比重を持つ作品だ。P・ミュランのプッツン暴走中年も大したものだが、純粋さと切羽詰った様子が混合したような女の不可解さをオリヴィア・コールマンがうまく表わしている。

美男美女の美しいロマンスとは全く異なる話である。周囲は暴力に満ち寒々とした世界だ。地味ながらよく描いたものだと思う。
ただ、自身も俳優である監督の脚本や演出の力量を疑うものではないが、なんか作り物めいた感触をなんとなく感じないこともない。それだけが不満である。


中年プッツン度:8点
犬愛護度:3点


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2012年11月24日 (土)

「黙殺」:死人以外に語る者なし

121124
監督:エドゥアルド・エルネ、マルガレータ・ハインリヒ
オーストリア・オランダ・ドイツ1994年

イェリネクが『レヒニッツ(皆殺しの天使)』を書くきっかけとなったドキュメンタリー映画である。
芝居の半券を持っていくと無料で見せてくれるということで、同じ日の夜に見に行った。会場はシアターグリーンで、以前に行ったことがあるにもかかわらず道を一本間違えてしまい、結局犬の散歩をしているおぢさんに道を尋ねる羽目に……(+o+)トホホですだよ。

レヒニッツ村で起こった事件の概要は芝居の記事に書いた通りである。
そもそもユダヤ人を列車で運ぶ途中で、強制労働に適さない病弱な者180人余りを村の駅で降ろし、「処分」するように命令が出たらしい。これ自体は文書で記録が残っているようだ。
さて問題は、そのユダヤ人たちがどうなったかである。

伯爵夫妻のパーティーの余興で射殺され埋められたという証言から、その場所を求めてブルドーザーが畑を掘り起こしている。畑は広大でそれまで何度も場所を変えて試みたが、何も出て来ていない。
一方、取材クルーは村人に尋ねて回る。怒り出す者、門前払いをする者がいる一方で、銃声や悲鳴を聞いたと証言する人々がいる。また、事件について雄弁に語る人もいる。
しかし、その場に誰がいたのか、虐殺はどこで行われ、そして死体はどこに埋められたのかとなると、誰もが口を閉ざしてしまうのだった。
さらに、過去に目撃者が不可解な死を遂げたことも明らかになる。

原題を訳すと「沈黙の壁」となる。これは作中で村人の一人が語る「ユダヤ人は嘆きの壁を、私たちは沈黙の壁を立てている」という言葉から取ったものである。
まっこと奇々怪々 不条理劇かホラー映画かってなもんだ。

しかし一番に不気味なのは、今(撮影時ということだが)の現場がまるでのどかな田園風景にしか見えないということだ。冬場だと寂しいとか寒々した広野という印象だが、春や夏はひなびてはいるがのんびりした田舎である。
一体、こんな場所で恐ろしい血の惨劇が本当に起こったのか どこかに180人も死体が埋まっているのか 信じがたいことである。

そのようなのんびりとした日常と恐ろしい過去の落差にめまいがするようだ。これを恐怖と言わずしてなんと言おう。

イェリネクの芝居はこのインタビューの形式を援用して作られているように思えた。雄弁ではあるが、しかし肝心な部分については迂回して到達できない証言の数々。まさしくそのものなのだ。

ところで、ナチスと退廃を結び付けて描いたのはヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』が最初だということだが、過去に実際こんな事件があったんだ。
SM趣味にして銃の愛好者、「退廃の極み」である伯爵夫人は鉄鋼王の家の出身だそうで、そういや『地獄に~』の一家と同じである。

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2012年11月23日 (金)

映画館の壁に激突した話

既に開演時間は少し過ぎていた。でも、そこの映画館はいつも予告を10分以上やるから大丈夫だと思っていたけれど、少し焦ってはいたわけだ。

チケットもぎりのおねーさんに「右側からお入りください」などと言われて「右側、右側、なo(^_^= ^_^)oキョロキョロ」と暗い通路の奥に突き進んだ--と思ったら、バシンと衝撃が襲って跳ね返された。顔の右半分と左ひざが特に強くぶつかった。
通路じゃなくて黒い壁があったのだ。

メガネが吹っ飛んだんで、暗くてよく見えない中を手探りで探す。床の上に落ちてたのを拾い上げてかけると、なんかうまく顏にかけられない。
動転してしまって何がなんだか分からずに、とにかく横の方に扉があったので入って自分の座席を探して座った。

だが、なんと膝の上に置いたショルダーバッグに血がポタポタ垂れているではないか! もうビックリ(!o!)である。
あわててティッシュを取り出して顔を押さえてみるが、そもそも顔半分が痛いんでどこが切れているとか全く分からない。しかも、ティッシュで拭き取っても拭き取っても流れる血の量が減らないので、ますます動転してしまった。

後で分かったのだが、壁にぶつかった衝撃でメガネの曲がっている部分がまっすぐになってしまい、さらにその金具がまぶたにめり込んで傷ができたのだった。で、ボクサーがよくまぶたを切って出血が止まらないのと同じ状態になってしまったらしい。

ポケットティッシュ三つ使ってようやく出血が少なくなってきたので、最後のティッシュ一枚をまぶたに押し当てながら、映画を見ることにした。もちろん、見てても頭によく入らなかったけどさ(^O^;)

顔に傷をこしらえた以上にショックだったのは、この日は寒かったので買ったばかりの白のカーディガンを「カシミアだあ(*^o^*)ホカホカ」と着て行ったら、みごとに血が付いてしまったこと それと、やはり今季初めて出したハーフコートも汚れていて、もちろん両方ともクリーニング直行である。

それとメガネも当然作り直しだ。最近、視力がかなり落ちていて作り直さけりゃとは思っていたのだが……。出費がかさむだよ~(>_<)トホホ

ということでこの事件の教訓は、時間の余裕を持って家を出ることですかな。
まだ顔が痛くて膝はアザになってるですよ

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2012年11月19日 (月)

ミュンヘン・カンマーシュピーレ「レヒニッツ(皆殺しの天使)」:求む!加害者

Ft12
フェスティバル/トーキョー12
作:エルフリーデ・イェリネク
演出:ヨッシ・ヴィーラー
2012年11月9・10日

「オーストリアで最も憎まれている女性作家」にしてノーベル文学賞受賞者--であるイェリネクの戯曲は、かつて川村毅の演出で舞台を見たことがあるのだが、台詞が極めて難解であり独白に近い形式で罵倒が続くという内容からして、わけワカラン状態でスゴスゴと退散したのだった。
しかし、その時に劇場に現地の新聞が貼ってあって、オリジナルの舞台の劇評では「衝撃!」とか「パンク」みたいな見出しが出て絶賛しているようなのだった。もちろん本文は読解できないのでそれ以上詳しいことは分からなかったのだが。

そういう訳で、一体オリジナルでは彼女の芝居はどのように演じられているのかということを知りたかったのである。

この日はポストトークだけでなく、解説のプレトークもあるというので頑張って早めにいくぞーと張り切っていたのだが、家を出る直前に時間を1時間間違えていることに気付き、なんと開演ギリギリに到着という情けない状態になってしまった(+o+)トホホ

で、短い時間に配布の解説をあわてて読む。1945年3月、オーストリアの国境の村レヒニッツにある城で伯爵夫妻のパーティーが開かれた。そこにはナチの親衛隊や地元のシンパがいて、宴もたけなわとなった頃に参加者に銃が渡され200人近いユダヤ人を殺害したというのである。
しかし、事件の関係者はソ連軍が迫る直前に逃走。結局誰も責任を取ることはなく、それどころか被害者が埋められた場所さえ分からないというのだ。

チープなアレンジの陽気な音楽(「魔弾の射手」の曲らしい)が流れる中、5人の男女が舞台ににこやかに登場し、客席に向かって何度も手を振る。ドレスアップした服装からしてこれが件の宴の参加者か……などと先走って考えてしまうが、そんな単純なものではない。

彼らが語るのは抽象的で難解で少しシニカルなテキストの羅列である。それは事件のことを語っているようであるが、明確でもないようでもある。
しかもそれを対話するのではなく、各人がバラバラに交互に客席に向かって喋る。その内容はシリアスなのにもかかわらず、彼らの身振りや態度は常に不真面目で諧謔的で俗悪なのだった。

食べかけのピザを床に落として蹴飛ばしたり、突然下着姿になって(年配の男の一人はなぜか女物の下着を着ている)ゆで卵を食べて殻をまき散らす。彼らは対話がない代わりに、常に互いに親密な様子で身体を触り合っている。また下着姿で折り重なって寝ころびながら、腹や尻をペチペチと叩き合ったりもする。

字幕は両脇に出るが、これがまた見にくい。字幕を見てると舞台上を見られない(前の方の席の人はどちらかを完全にあきらめなければならなかったのでは?)。
また、台詞が難解で字幕を何度も読み直したりして(^_^;) 訳の文章もなんだか変。主語と目的語が途中でひっくり返ってるような--これは原文もそんな感じなのか。
とにかく容易には頭に入って来ないのだった。
半ば予想していたとはいえ、これほど難解とは……。普通の芝居を期待してきた人はもうわけワカラン状態だろう。

後半になるとやや空気が変わってくる。5人の衣装は村人や城の使用人のように変わる。彼らはケーキを指でなめながら、納屋に連れて行かれたユダヤ人たちの話をする。背後の白い壁にチョコレートクリームをなすり付けるが、それはまるで乾いた血痕のように見えるのだった。
印象に残っているのは、若い男が客席へ「誰か加害者になりたい奴はいるか?被害者がいるなら加害者もいなくてはならない」と語りかける場面だ。そこから語りのクライマックスへと続いていくのだが、なんと近くの客がイビキをかきはじめて集中力がそがれてしまった。またもやトホホ(+o+)である。

惨劇を「劇」として再現するのではなく、死者を代弁するのでもなく、犯人を一方的に糾弾するのでもなく、迂回するように被害者と加害者と自分との距離を測っていく手法は新鮮であった。
舞台装置も簡素なようで、実はいろいろ仕掛けがあって一筋縄ではいかない印象だ。
とはいえ、やっぱり難しいよ(T_T) その難しい台詞を完全に我が物として語る俳優たちには脱帽である。

ネットの感想ではイェリネクのテキストが全てという芝居なので、文章で読んでる方がいいというような意見が幾つかあったがどうだろうか。日数が経って、思い出すのは役者たちの動作や表情ばかりなのだ。
虐殺の銃声の爆音が響く中、部屋に備え付けられたヘッドホンを付け音楽を聴いているように楽しげな笑いを浮かべる姿。あるいは、若い男の常にニヤニヤとした下卑た表情とか。まるで「笑い猫」の猫が消えた後に笑いだけが残っているようである。

一つ疑問なのは字幕で登場人物を「使いの者」と訳していたこと。訳者は「使者」は「死者」にも通じるとしていたが、解説文やフェス全体のパンフの紹介文では「報告者」となっている。どちらが正しいのか?
「使いの者」なら使わした者が別にいるはずである。「報告者」とは意味が違ってしまうと思うが……(?_?)


さて、アフタートークについても簡単に書いておこう。
劇団のスタッフや元芸術監督、俳優が出席した。訳者からも発言があった。

*そもそもはブニュエルの映画『皆殺しの天使』を改作しようという発想からで、イェリネクから代わりにレヒニッツの事件を取り上げたいと申し出があった。ミュンヘンから現場は近いがこの事件は知らなかった。

*共同でアイデアを出した後、イェリネクが単独でテキストを書き、その後、劇団側が芝居版に直した。その際、三分の一ぐらいに縮小した。(従って、ほかの劇団がやる時はテキストの取り上げ方が異なるだろうから、全く別の芝居になるだろうとのこと)

*言葉が主体の舞台になっているが→何が起こったのかを演じるのは不可能。日常の中で語るということに行き着いた。

*テキストを短縮する時に、作者からの注文はなかった。イェリネクの使う言葉は明確なイメージを立ち上げるので、舞台の空間はシンプルでなくてはならない。

*この事件を発見したのは英国人で、しかも伯爵夫人のSM趣味などが大衆紙にセンセーショナルに発表されてしまい、そういう状況に驚いた。上演の際にはマゾヒズムとナチズムの関わりという加害者側の言説(政治的な)を批判するようにした。
歴史を語るということが、報道という商品になってしまっている。その点もこの作品で扱っている。
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イェリネクの発想の元となったドキュメンタリー『黙殺』については次の記事に書く予定。

【関連リンク】
《藝術の捧げもの》 
《劇場文化のフィールドワーク》
《haruharuy劇場》


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2012年11月17日 (土)

「アルゴ」:エイリアンの国にて

監督:ベン・アフレック
出演:ベン・アフレック
米国2012年

*タイトルの一部変更と追加あり

これまでベン・アフレックの監督作は『ゴーン・ベイビー・ゴーン』『ザ・タウン』と見てきたが、この新作は一番エンタテインメントとして完成度が高いと言えるだろう。

舞台は1979~80年、イランで実際に起きた米国大使館人質事件である。冒頭、当時のニュースの再現があって、怒り狂ったイランの民衆が大使館を取り巻き、やがて中になだれ込む場面が描かれる。
大使館員たちを人質に--だが、実は6人だけこっそりとカナダの大使の私邸に逃げ込んでいたのだった。
その6人を米国国務省がひそかにどうやって国外脱出させるのか……という実際にあった事件のウラ話である。

そのために虚構のSF映画を製作する話をでっちあげるというのがミソだ。イランでロケするという設定である。
当時はちょうど『スター・ウォーズ』が大ヒットした直後。A級からZ級まで様々なSF映画の企画が柳の下のドジョウを狙って立てられ、そして実際に幾つかは作られたのである。もちろん、日本でも作られましたね\(^o^)/ そういう時代背景が描かれていて懐かしい--って私もトシだのう。

元CIAの主人公が工作のためにイランへ乗り込むあたりから、もうハラハラドキドキしっぱなしとなる。あんまりハラドキw(☆o◎;)wするんで心臓に悪い。あ、血圧高い人にも悪いぞ。
逃走劇が片付いて一件落着の瞬間には思わずホッと全身の力が抜けるほど。そのせいか、「もう分かったからいいや」と言わんばかりに、席を立って出て行った客が数人いた。映画はまだ続いているのに、だ。

ちゃんと最後まで見てから映画館を出て思い返してみると、なんだか後に何も残っていないような気がした。ハラハラドキドキしてそれだけで終わってしまったような印象だ。「映画万歳」な部分があるにしてもね。
それで連想したのは数か月前に見た『プロメテウス』である。
もちろんあの映画みたいに話の筋が全く脈絡なくて前後関係が爆走--なんてことはないが、煽り立てるようなハラドキ感が長々と続くというのはかなり似ている。
とすれば、作中に登場するイラン人たちはまさにエイリアンであろう。集団で言葉も通じず、怒り狂いまくしたて、またある時は猜疑心に満ちた視線で陰険に詮索する彼らは、凶悪な異星人なのだ。

それに相反するメッセージが併存しているのも気になる。一体、監督はイランの革命をどう考えているのか? 評価しているのなら民衆をエイリアンの如く描くのはどうよということになる。

過去の実話で社会性があり映画ネタが登場するこの映画は、ハリウッド受けして今年のアカデミー賞に絡むのは確実である。またこれまでの監督作品で一番世評も高いようだ。
しかし私は、ベン・アフレックは詰まらぬモンを作ってしまったのう(@_@;)と言いたいのである。

ところで、作中に登場するニセSF映画の原作はロジャー・ゼラズニイの『光の王』だそうだ。もっとも、もしかしたら現実の事件の方で使われた脚本のことかもしれない。私は『光の王』は未読なのでよく分からないんだけど(^^ゞ


ハラドキ度:7点
米国の大義度:4点

【関連リンク】
「ペトレイアスCIA長官はなぜ突然辞任したのか」
中東のウラでCIAまだまだ活躍中

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2012年11月14日 (水)

「Concert a Trois」:アンサンブルの愉しみ

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演奏:若松夏美、平尾雅子、副嶋恭子
会場:近江楽堂
2012年11月6日

ベテラン奏者3人の演奏会。どういう経緯でこの3人が集うことになったのかは不明である。これからもグループ組んでやるという感じでもないようだ。

プログラムは前半ドイツ、後半はフランスと分けた内容である。ドイツ勢はややのんびりとした感じのテレマンのトリオソナタで始まった。続くクリーガーは初体験の作曲家。バッハより30年近く先輩の作曲家だが、旋律が美しく心地よかった。

ここで平尾女史が引っ込み、二人でバッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタを演奏した。これがまた迫力大だった。さすが若松女史、BCJのコンミスは伊達じゃねえ~ ナイフのように鋭く畳み掛けるような音の連鎖だった。鍵盤の方も大いに腕の見せ所あり、一瞬たりとも気が抜けない緊張の一曲だったのは間違いないだろう。

休憩を挟んでフランス勢は、平尾&副嶋でマレの組曲から。さすがベテランという調子で威厳と優雅さを兼ね備えたマレを聞かせてくださいましたのよ
フランクールという作曲家も初体験だったが、ちょっと私には上品過ぎな曲調だった。ラスト二曲はラモーのクラブサン・コンセールで副嶋女史が再び活躍。アンコールもラモーだった。

派手なところはないが、アンサンブルの楽しさ・面白さが地道に伝わってくるコンサートで満足よ(^^) またこの三人でお願いしまーす。


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2012年11月11日 (日)

メヘル・シアター・グループ「1月8日、君はどこにいたのか?」:隠された困惑

Ft12
フェスティバル/トーキョー12
作・演出:アミール・レザ・コヘスタニ
会場:東京芸術劇場シアターイースト
2012年11月2日~4日

毎年、池袋で開催されているフェスティバル/トーキョー。以前、一度ぐらい行ったよなあ--なんて漠然と思い返してたら、実は「オセロー」「転校生」を見ていたのであった。

さて、このイランの新鋭劇作家の芝居に行く気になったのはツイッターでやたらと称賛の感想が上がっていたからだ。で、突然見たくなって前日に劇場に電話してチケットを確保したという、珍しく(私にしては)早業をやったのだった。

会場は長方形の白いタイルを貼ったスペースがあって両端にはスクリーンが立っている。観客はスクリーンのない側の左右からそのスペースを見下ろすように座るという形だ。
スペース内は照明が暗く落とされていて分かりにくいが、開場した時点で既に6人の役者がじっと座っていた。

劇は人物の中の一人の映像とモノローグから始まる。その後に6人の若い男女の対話が続く。ほとんどがケータイの会話であって3人以上の会話はなかった(と思う)し、互いに対面すらほとんどしない。
その会話からどうやら休暇中の兵士が持ち出してきた銃が他の5人の誰かによって盗まれ、さらにそれぞれ銃を使って何事かを企てていることが浮かび上がってくるのだった。

人物の会話は、イランの国内状況を反映して時に曖昧な物言いが続出し、ケータイで会話する時は銃のことを「カツラ」と言い換えろ、などという場面も出てくる。堂々巡りに似た、常に不審と不安と緊張に満ちた会話が続くのだった。
それぞれの人物の内心が明らかになる終盤、チリ一つなかった白いタイルの床はすっかり汚され、その混乱がスクリーンに投影される。最後まで平穏も解決も安定も得ることはできずに終了する。

ステージを観客は見下ろす形になるのに、日本語字幕は上方に出るので見るのが大変である。さらに何故か字幕の文章が常に一人分ずつずれて出ることが多く、それを待っているとステージの動きを見損なってしまうという困った状態であった。

基本的に役者の動きはケータイを持ってウロウロしているだけだし、字幕は分かりにくいし、人物の名前と顔を一致させるのは難しいし(配られた写真付き配役表を手に持って見ている人がチラホラ(^_^;))--そんな理由で爆睡モードに突入している人もいた。
また、事前に配布された解説を読んでいても、イランでは自明のことかも知れないがこちらにはよく分からんことがかなりあった。やはり、こういう上演は難しいのかね
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結局、ツイッターの評判は七掛けぐらいに受け止めておいた方がいいと悟って終わったのであった。
ついでに言っとけば、サラ役の女優さんは超美人でしたな(*^o^*)
それから、フェスティバル/トーキョーの係員の対応に問題あり。いささか腹が立った。会場の入口にはでっかい看板ぐらい出しといてくれ。芸術劇場の中のどこだか分からなくてウロウロしてしまった。


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2012年11月10日 (土)

「ソハの地下水道」:ドブの中の日々

121110
監督:アグニェシュカ・ホランド
出演:ロベルト・ヴィエツキーヴィッチ
ドイツ・ポーランド2011年

地下が暗けりゃ地上もまた暗い--というような、実話に基づいた映画である。
時は1943年、ポーランドで下水道の修繕管理をしている男が、ゲットーから逃走路を作ろうとしているユダヤ人にバッタリ遭遇。報酬目当てで、内部を知り尽くした下水道に彼らを匿うのであった。

何せ下水だから暗くて臭いは、ドブネズミは徘徊するはで大変なもんである。匂い付き映画じゃなくてヨカッタぜい。そんな中に小さい子供を含めて数家族が暮らすのである。当然、日常の些細なことでいがみ合いも起こるしストレスはたまる。
主人公も含めて登場人物はみなごく平凡な庶民であり、善人や立派な人物というわけではない。

しかし、金が目的だった主人公も段々と情が移ってきてしまい、無償でさらに危険を冒して助けるようになるのであった。
面白いのは彼の奥さんで、ユダヤ人が連行されるのを見て「かわいそうな人たちよね」なんて言ってたのが、夫がやっていることを知ると腹立てたりして、いかにも一般市民の反応はこんなもんだろうなと思わせる。

ドイツ軍占領下だから、町中にはドイツ兵がウロウロ、市民の密告もあるかも知れず、地上も地下も安心はできぬ。
結末は戦争の終了と重なるが、その後のポーランドのたどる道を思うとまた気分が暗くなるのであった--(~_~;)
かように暗い話を145分も見せ続ける手腕には脱帽だろう。

監督のアグニェシュカ・ホランドは以前に『秘密の花園』を見たことがあるが、最近は米国でTVドラマの演出を専らやっているもよう。久々の長編映画のようだ。
ポーランド出身だけあって、ポーランドなまりの英語作品なんかにせず、単純なお涙頂戴ヒューマニズム作品にもしなかったのはさすがである。

庶民の立場から見たホロコーストの一面という点で高く評価できるが、ただ、やっぱり暗いんだよね……


闇度:8点
光度:5点


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2012年11月 4日 (日)

「宇治川朝政リコーダーリサイタル」:準備万端整えた……が!

121104
フランス音楽&テレマン
会場:日本福音ルーテル東京教会
2012年10月26日

実はこの日はダブルブッキングをしてしまった。所沢で鈴木雅明&寺神戸亮のコンサートがあってそちらもチケットを買っていたのである。どちらのチケットも発売になった時に「あ、これは行かねば(!o!)」と何も考えずに即座に購入。後で同じ日だったことに気付いた次第である。

そして私は宇治川朝政の方を取った(マチャアキ&テラカドもありそうでなかなかないデュオなのだが)。なぜなら、前回の来日公演で近江楽堂を夢見心地で満たしたジョシュ・チータムがまたも共演するというではないか。こりゃ、是非とも行かねばですよ。

ちょうどこの日、午前中は人間ドックで午後からは休み。仮眠を取って眠気虫対策に努め、空腹予防に軽食を取り、準備万端で大いに張り切って夜の新大久保に向かったのであった

プログラムはサブタイトルにあるように前半はボワモルティエ、オトテール、フィリドールと、フランスの組曲が中心。後半はリコーダー曲を多く作ったテレマンのソナタである。

最初、宇治川氏のリコーダーがなんとなく音が固めかなと感じたが、曲が進むにつれて柔らかく自在になり、前半最後のフィリドールは歯切れよく軽快な演奏を聞かせてくれた。
福間彩のチェンバロとガンバのチータムは丁々発止で競い合うというのではなく、三人で互いに支え合うようなアンサンブルを形作っていた。
それはトレブル・ガンバも登場した後半のテレマンでも同様だった。

この夜、一番の聞きどころはチータム氏が弾いたマレ作曲の「サント・コロンブのためのトンボー」に間違いあるまい。秋の夜長にひそかに亡き人をしのぶ--という趣きで、ガンバのため息の如きしみじみとした音色は、教会の十字架がかかるレンガ造りの壁にしみ込んでいくようだった。
泣けた!(ToT) 聞けてよかった

それから、最後にやったヘンデルのヘ長調のトリオソナタはリコーダーとガンバのいきいきとした掛け合いを聞くことができた。。
アンコールはクープランのコンセールから。


……こう書いてくると、大満足なコンサートのように思えるだろう。
しかし、違ったのである。その原因は側の座席に小学生が二人座ったからである(>_<)
親が後ろにいたから一応おとなしくしていたけど、退屈していたのは明らかだった。二人ともひっきりなしに身体をモゾモゾ動かし、チラシの隅をなぞってみたり、指を組んでは眺めてみたり……。座席は教会によくある4~5人掛けの長椅子なんで、大きい方の子が背にドシンと寄りかかるとその振動が椅子全体に伝わるのであった。
なんとか、気にしないように試みたが極めて困難 おかげで特に後半は気が散って素晴らしい演奏も台無しになった。

何か月も前から楽しみにしてたんだよ(ーー;)
雅昭&寺神戸を捨ててきたんだよ(/_;)
どうしてこうなるの~_| ̄|○

話を漏れ聞くと、どうも親が「関係者」らしかった。この手の子どものトラブルで、過去に遭遇したのは大体身内や関係者がらみである。一番ひどかったのはこの公演だろう。まあ、要するに子どもでなくて悪いのは連れてくる大人ってことだろう。そもそも、マレのトンボーに聞き入っている小学生がいたら、そっちの方が気色悪いやい(`´メ)

次から自由席だろうが指定席だろうが、小学生がそばに座ったら席を移動することにしよう。不寛容とか言われても構うもんか。わたしゃ音楽については超が付くくらい不寛容なんじゃい


仕方なく私は、家でチータム氏のCDに付いているDVD(S・センペなどと共演したライヴが数曲収録されている)を見て無念を晴らすしかなかった。
ところでセンぺとずっと一緒にやっているということは、彼は数年前のLFJにも共に来日していたのかな(?_?) なんか全く覚えていないのだ。

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2012年11月 3日 (土)

「そして友よ、静かに死ね」:友情の代償

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監督:オリヴィエ・マルシャル
出演:ジェラール・ランヴァン
フランス2011年

止めてくれるな、妻よ息子よ。背中の銃が泣いている--なフレンチ・ノワール映画である。原題や英語タイトルは単純なのを、いかにもな邦題にしたのは同じ監督の過去の公開作が『あるいは裏切りという名の犬 』にならったのか。
ともあれ、そのタイトルから想像されるイメージ通りの内容である。

今は引退して堅気な暮らしをする老ギャングの下に、子どもの頃からの親友であり犯罪者仲間だった男が、厄介ごとを抱えて帰国し逮捕されたという知らせが届く。
果たして友情か自分の家族の安寧か--揺れる男心であった。
そして、若い頃に共に銀行強盗で荒稼ぎした時代の回想へと入っていく。

主人公はフランスでは知らぬ者のいない人物で、これも彼の手記を元に映画にしたそうである。
彼は親友を脱獄させようとするが、それがあらぬ方向に転んでトラブルを呼び寄せるのであった。

回想時代は60年代末から70年代初めぐらいで、当時流行った音楽をバックに細身のスーツなんか着ちゃって強盗する--ってのを若手の俳優さんを使ってポップに見せてくれる。
一方、現在の方は渋めのオヤヂ役者が多数登場。オヤヂ萌えには推奨である。どちらの時代もカッコエエよ。
裏切りか友情かというのはこの手の作品には定番だが、定番を愛する人にはオススメだろう。もちろん定番すぎるという批判もあるかもしれない。

それにしても、あれだけ殺人があっておとがめなしというのはオドロキである。他方、警察も拷問やり放題。ギャングには容赦しないのか。スゴイなー(+o+)

ところで、やや前方よりの座席で見たのだが、非常に画質が荒い。通常のフィルム上映じゃないなと思ってたら、どうもDVDだったらしい。大画面じゃないとダメっていうような内容の作品じゃないし、これでロードショー料金取るのはあんまりだ。これじゃあ、レンタルDVD出てから見た方がよっぽといい。
そのせいかその映画館はもうすぐ閉館するのだが……。


友情度:8点
画質度:3点

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2012年11月 2日 (金)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 11月版

芸術の秋だか何だかとにかくコンサート目白押しであります。

*6日(火)Concert a Trois
*23日(金)ヘンデル「パルテノペ」(日本ヘンデル協会)
*  〃  &25日(日)シャルパンティエ「病は気から」

他にはこんなのも。もしかしたら行くかも。
*5日(月)パーセル・プロジェクト
*8日(木)キャサリン・マッキントッシュ
*10日(土)イタリアバロック音楽の巨匠コレッリとその先駆者たち
*11日(日)アニマコンコルディア
*24日(土)日本テレマン協会
*  〃   「ヨーロッパ、南から北へ」
*25日(日)バッハ「フーガの技法」
*29日(木)レス・エスプリ・アニモ
*  〃   マチルド・エチエンヌ&野澤知子

北とぴあ国際音楽祭も開幕。横浜方面でも複数のコンサートあり。
J・カルミニョーラとP・アンタイが来日だー。
なお、4日に仙台にて宇治川&J・チータム&福間トリオの公演ありますな。ご近所の方はオススメですぞ

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