メヘル・シアター・グループ「1月8日、君はどこにいたのか?」:隠された困惑
フェスティバル/トーキョー12
作・演出:アミール・レザ・コヘスタニ
会場:東京芸術劇場シアターイースト
2012年11月2日~4日
毎年、池袋で開催されているフェスティバル/トーキョー。以前、一度ぐらい行ったよなあ--なんて漠然と思い返してたら、実は「オセロー」と「転校生」を見ていたのであった。
さて、このイランの新鋭劇作家の芝居に行く気になったのはツイッターでやたらと称賛の感想が上がっていたからだ。で、突然見たくなって前日に劇場に電話してチケットを確保したという、珍しく(私にしては)早業をやったのだった。
会場は長方形の白いタイルを貼ったスペースがあって両端にはスクリーンが立っている。観客はスクリーンのない側の左右からそのスペースを見下ろすように座るという形だ。
スペース内は照明が暗く落とされていて分かりにくいが、開場した時点で既に6人の役者がじっと座っていた。
劇は人物の中の一人の映像とモノローグから始まる。その後に6人の若い男女の対話が続く。ほとんどがケータイの会話であって3人以上の会話はなかった(と思う)し、互いに対面すらほとんどしない。
その会話からどうやら休暇中の兵士が持ち出してきた銃が他の5人の誰かによって盗まれ、さらにそれぞれ銃を使って何事かを企てていることが浮かび上がってくるのだった。
人物の会話は、イランの国内状況を反映して時に曖昧な物言いが続出し、ケータイで会話する時は銃のことを「カツラ」と言い換えろ、などという場面も出てくる。堂々巡りに似た、常に不審と不安と緊張に満ちた会話が続くのだった。
それぞれの人物の内心が明らかになる終盤、チリ一つなかった白いタイルの床はすっかり汚され、その混乱がスクリーンに投影される。最後まで平穏も解決も安定も得ることはできずに終了する。
ステージを観客は見下ろす形になるのに、日本語字幕は上方に出るので見るのが大変である。さらに何故か字幕の文章が常に一人分ずつずれて出ることが多く、それを待っているとステージの動きを見損なってしまうという困った状態であった。
基本的に役者の動きはケータイを持ってウロウロしているだけだし、字幕は分かりにくいし、人物の名前と顔を一致させるのは難しいし(配られた写真付き配役表を手に持って見ている人がチラホラ(^_^;))--そんな理由で爆睡モードに突入している人もいた。
また、事前に配布された解説を読んでいても、イランでは自明のことかも知れないがこちらにはよく分からんことがかなりあった。やはり、こういう上演は難しいのかね
結局、ツイッターの評判は七掛けぐらいに受け止めておいた方がいいと悟って終わったのであった。
ついでに言っとけば、サラ役の女優さんは超美人でしたな(*^o^*)
それから、フェスティバル/トーキョーの係員の対応に問題あり。いささか腹が立った。会場の入口にはでっかい看板ぐらい出しといてくれ。芸術劇場の中のどこだか分からなくてウロウロしてしまった。
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