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2013年3月

2013年3月31日 (日)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 4月版

なんにもしないうちに新年度です。

*6日(土)佐藤豊彦 古希記念コンサート
日本各地で老リュート「グライフ」を抱えてソロ公演するもよう。
*10日(水)ルネサンス・ミサの魅力5(ヴォーカル・アンサンブル・カペラ)
*19日(金)悲しみのダウランド メランコリー(つのだたかし+ラ・フォンテヴェルデ+ザ・ロイヤル・コンソート)
いよいよダウランド生誕450年記念シリーズ開始。3つの個性がどう共演するのか楽しみよ

他にはこんなのも。
*7日(日)メサイア(セシリア・コンソート)
      2つのヴァイオリンによるオペラ(寺神戸亮+大内山薫)
*16日(火)アンサンブル朋
*20日(土)名橋たちの音を聴く(武久源造+辻康介)
好評シリーズ、今回はオルガネットを船上で。
*26日(金)日本テレマン協会

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江戸糸あやつり人形座「マダム・エドワルダ 君と俺との唯物論」:廃墟にて呆然とす

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作:ジョルジュ・バタイユ
演出:大岡淳
会場:ザムザ阿佐ヶ谷
2013年3月20日~24日

バタイユって読んだことありません(> <)すいませ~ん。
人形が行きかう中、バタイユのテキストが朗読される。2台のコントラバスが激しく音を奏でる。
主人公が娼婦のマダム・エドワルダに声をかけ商談成立となると、彼女は糸あやつり人形から小学生ぐらいの大型の人形へと変身し、彼と性交する。
それは四、五人がかりで操演するので、まるで必死な手術か厳粛な儀式のようだ。しかし、つい「人間が直接やれば2人で済むのに、なんということだ」などと考えてしまう。

その後、今度はエドワルダは人形から俳優の美加理になり替わって(ただし人形めいた)、狂躁的な情交を繰り広げる。
大きな人形も人形を演じる美加理も非常にエロい(^Q^;) だが主人公やタクシーの運ちゃんはエロくないのであった。困ったね

多くの男と一部の女がエドワルダのような娼婦に惹かれるのはなぜだろう。エロいからかそれとも壊れているからか。
ともあれ、メガトン級のエロさ爆発後の跡の廃墟に立っている思いであった。

ただ副題の「君と俺との唯物論」という副題には、最近はやっている似非アンティーク雑貨(アンティークといいながら昭和三十~四十年代のものを売る)のような響きを感じるのだが……。


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2013年3月30日 (土)

「悪人に平穏なし」:結果オーライ(多分)

監督:エンリケ・ウルビス
出演:ホセ・コロナド
スペイン2011年

スペイン国内で幾つも賞を取った警察アクションものだというので行ってみた。
かつては優秀だったらしい刑事が今は失踪人課に左遷されてヨレヨレしている。で、泥酔した挙句たまたまうさん臭い奴らを射殺してしまう。ただ一人逃げ出した男を追って(もちろん証人隠滅のため)、捜査のふりをして探し回るのであった。

一方、この殺人事件を捜査する特捜課は組織犯罪と考え、殺害された被害者たちの素性を洗うと何やらアヤシイ背景が……。

もちろん、件の刑事が殺人を犯したのは泥酔のためで、深い理由があったわけではない。あるとすれば「うさん臭い」ぐらいである。
悪徳刑事が保身のために奔走することが、結果的に逆に善行になるというのは面白い--はずなのだが、だったらそれまでの刑事の悪徳ぶりをある程度描いてくれないと、あまりその効果が効いてこないのだった。チンピラから金をせびり取るとか、売春宿に入り浸るとか。

全体の雰囲気はドライなのはいいが、起伏がなくややまどろっこしい印象があって眠気虫が出そうだ。こういうのは編集が大事だなと思った。それと香港系アクションの影響もかなりあるようだ。最近の北野武作品は見てないので分からないが、それも少し入っているかもしれない。

ただ、ラストシーンはどういう意味なのか? 解釈に迷うところだ。タイトルの出し方は皮肉が効いている。

主演のホセ・コロナドは普段は専らよき父親風な役柄をやってる人らしい。そういう点も国内でウケた理由だろうか。
どうでもいことだが、人物名がやたら多くてこんがらかってしまったよ(@_@;) 名前が覚えられないので、海外ミステリーを読まないという人を思い出した。


悪人度:6点
起伏度:5点

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2013年3月28日 (木)

「イタリア・ルネサンス期の聖なる歌」:歌えば響くような--とはいかず

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東京・春・音楽祭 「ラファエロ」展記念コンサート
演奏:ラ・フォンテヴェルデ
会場:国立西洋美術館講堂
2013年3月19日

恒例となった春の上野のミュージアム・コンサート。この日は「ラファエロ」展に伴うラ・フォンテヴェルデの公演だった。展覧会のチケットこみだからかなりのお得価格
以前なんか大混雑で長蛇の列でも入れちゃったこともあった。
私が行ったのは一日2回公演の午後の方だった。もちろん、午前中は出勤して昼に職場を飛び出してきたのであ~る。

全体の時間は1時間で最初の15分は美術館の研究員からのラファエロについての解説。残り45分がコンサートだった。
解説では、ラファエロの生い立ちや作風の変遷とか、先輩のレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと違って温厚な人柄だったなんて話が出た。

その後、スクリーンの前にこの公演でも使われていた新兵器(?)が設置されて演奏開始となった。
取り上げられたのはコスタンツォ・フェスタという作曲家である。初めて聞いた名だった。ラファエロと同時期にローマ教皇レオ10世に仕え、他の宮廷音楽はほとんどフランドル出身なのに対し、少数派のイタリア人だったという。

作風は伝統的なポリフォニー曲である。一方、レクチャーをするには打ってつけな講堂は音響はデッドで残響がほとんどない。こんな所で、アカペラの合唱曲をやるのは無謀だろう。
さすがのラ・フォンテヴェルデにしてもこれは厳しい。いや、それともベテランの彼らだからこそあのような環境でもよく聞かせたというべきか。何せ、声がバラバラで重なって聞こえないのだから。これじゃポリフォニーにもならないよう(/_;)

とはいえ、後半ではさすがに耳が慣れてきたせいか、ラストの「救い主を育てた母」は各声部の絡み合いの中に劇的な盛り上がりが感じられた。

しかし、そこでなぜかポリ袋をガサガサする音が連続して響き渡る。折しも曲の終わりに向けて一番盛り上がっている部分なのだよ。ガマンならなくて思わずそちらを見てしまったら、オバサンがポリ袋に包まれたペットボトルをバッグから取り出し、ガサガサさせながら飲んでいたのだった。
あと少しで終わるのが分かっていながらなぜ我慢できぬ~(*`ε´*)ノ☆
そんな波乱もあったが、無事終了した。歌手の方々ご苦労さんでした。

その後は展覧会へ。
同じく平日の昼間のエル・グレコ展は人垣が二重三重だったが、こちらでは五重六重だった。さらにこちらでは作品の大きさがずっと小さい。遠くにいたんでは見えねえ~。展示のやり方は都美術館の方が見やすかったかも。
ご本人だけでなく工房の後輩画家の作品も結構あった(工房方式を始めたのは彼だとか)。
また絵画作品を模写した絵皿がその絵を広めるメディアとなっていたというのは面白い。

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しかし、彼の絵は全体的にその人柄同様に優美な画風ゆえ、やはり個人的には物足りず。エル・グレコの方が好みだったなあ--ということを再確認したのであった。

ところで、展示作品は宗教画以外もかなりあったので、コンサートも世俗歌曲の方が内容にふさわしかったかも。


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2013年3月24日 (日)

「マーサ、あるいはマーシー・メイ」:信じる者も救われない

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監督:ショーン・ダーキン
出演:エリザベス・オルセン
米国2011年

冒頭、十数人の若い男女によって構成された集団の生活が描かれる。社会から隔絶したような質素な手作り中心の暮らしで新興宗教団体なのか? しかも、男女によって微妙に差別があるようだ。
やがて一人の娘がそこから逃げ出す。
彼女は姉に助けを求める。しかし、豊かでスノッブな姉夫婦とはなかなかコミュニケーションが取れない。そもそも姉妹の仲が元からうまく行っているのなら、新興宗教なんかに傾くことはあるまい。
それに、妹の方は今までどこにいて何をしていたのか話せない理由があったのである。

全く違った環境にいるのに、ささいなことで集団にいた時の記憶がフラッシュバックする。それを語ることができず周囲の人間もトラブルに巻き込んでいく。
そんな悪循環が淡々と--淡々と過ぎるぐらいに描かれる。

平和で穏やかな集団がやがてカルト化していく経過は、チャールズ・マンソンのファミリーを思い出させるという意見があったが、なるほどと思った。
もっとも、後半の「居直り強盗」場面はM・ハネケを想起させる。ラストのイヤ~ンな印象もそれっぽい。

ただ、全体の淡々さに眠気を催してしまうかも。ヒロインの狂気に近い葛藤に付き合っていくのは、観客にとってもつらい。死にそうじゃー(=_=)

監督及びヒロイン役のエリザベス・オルセンはこれが映画デビューとのこと。及第点越えといったとこだろう。
集団の教祖役は『ウィンターズ・ボーン』で遅まきながら注目されたジョン・ホークス。彼がヒロインに捧げるとして生ギターの弾き語りで歌う歌が不気味である。

そういやエンド・クレジットのバックに歌が流れるが、これの歌詞の訳が知りたかった。それによって感想が違ってくると思うのだが……。


主人公ウツ度:7点
観客ウツ度:9点

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2013年3月23日 (土)

「受難のレスポンソリウム」:翳りゆく聖堂にて

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コントラポント第13回定期公演
会場:聖母病院聖堂
2013年3月17日

コントラポントは普段は器楽も入れて大きな編成でバロック期の曲をやっているが、今回の公演では若手の歌手だけでアカペラ合唱をやるということだった。

開演の前に指揮者の花井哲郎のレクチャーが15分ほどあったのだが、例の如く遅れて終わりの方しか聞けなかった(+_+)トホホ
ジェズアルドの宗教曲「聖週間のレスポンソリウム集」から木曜と金曜それぞれ9曲ずつが演目である。これは3曲ずつが一つのセットになっていて、実際の典礼を模してその終わりに黙とうを入れることにしたという。最初は1分間にしようとしたが、「今どきの若いものは沈黙に耐えられなくて」(←花井氏いわく)短く(30秒程度)したらしい。

宗教曲とはいえ、ジェズアルド作だからしてマドリガーレの作風が色濃い曲集である。となると、前衛的でありながら地を這うような濃密さを感じさせるはず。しかし、彼らはそういう方向には行かず、あくまでも明晰に透徹した世界を浮かび上がらせた。
どの曲も合唱に始まり真ん中で独唱者が歌い交わしまた合唱へという形を取っており、合唱部分もソリスト(交代で歌っていたもよう)もよどみなく「ええっ、これで若手なの」的な落ち着きさえあって感心してしまった。(専門家が聞いたらどうかわかりませんが)

会場は先日行ったスコットホールとは違って、こちらはモダンで新しい教会である。行った時はちょうど西日がステンドグラスから横に差し込んで、明るく輝いていた。
プログラムが進むにつれて日が暮れて段々とかげってきて、夜課のように最後が完全な暗闇というほどではないが、夜の気配が色濃く迫ってきたので雰囲気満点だった。

配られた歌詞(いずれも聖書から取られている)の対訳を見てて、一つすごく気になるものがあった。調べたらエレミア書らしい。後で読んでみよう。


次回はまた器楽も入ってシャルパンティエをやるもよう。ただ会場が東京カテドラル……今のところ保留だな(+o+)


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2013年3月19日 (火)

「ゼロ・ダーク・サーティ」:恐るべきは女の直感?

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監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジェシカ・チャステイン
米国2012年

言うまでもないことだが、ドキュメンタリー映画とドキュメンタリーっぽい映画は違う。あるいは、白とも黒とも断定的に描いていないからと言って中立とは限らない。曖昧な灰色かも知れない。見終わってそんなことをグダグダと考えたくなる映画である。

911の黒幕オサマ・ビンラディンの行方を探し求めるCIAの女性分析官がパキスタンに派遣される。最初は拷問もいやいや眺めていたものの同僚が自爆テロの犠牲になるなどして、拷問オッケーな「過激派」に変貌していく。

冒頭、テロリストへの拷問シーンが続いてゲンナリするが、実際はこんな生ぬるいもんではないらしい。さらにオバマ政権になって拷問が問題になり中止したところ、情報が集まらなくなったという。しかし、本当に止めたかどうかは怪しいもんである。

それらすべてが淡々と描かれていくので娯楽色は皆無に近い。事前には迫力ある戦争映画もしくは戦争アクションかと予想していたけど、正直見ていて楽しいとか面白いというものではなかった。下手すると眠気虫に取っつかれるだろう。

圧巻なのは、海軍特殊部隊による真夜中のビンラディン暗殺の件りだろう。実際の作戦通り40分(?)で描いていて、軍オタな方々も満足するような実録風の作りになっている。(ヘリが墜落してたとは知らなかった)
もっとも現実面から見れば、深夜に他国に武装ヘリで侵入し丸腰の市民を勝手に殺害(女にも容赦ない)となると、何様のつもりだ(*`ε´*)ノ☆と言いたくなる。ならず者国家たぁどこのことよ

さらに不可解なのは、ヒロインがビンラディンの遺体袋を開けて顔を見て本物かどうか確認する場面である。これ実際にこんなことしたの? 外見がクリソツな影武者だったらどうすんのよ(?_?) それとも映画を盛り上げるための虚構か。

そこに至るまでの追跡劇はヒロインの仏頂面の怒り--その強引さはもはや「ヒステリック」と言っていい--によって支えられ、殺害後は「女の涙」で締めくくられるというこの物語をどう解釈したらよいのか。
所詮、これはすべて「女のヒステリー」に還元されるような出来事であるという、女性監督による韜晦なのだろうか。

だが、それにしては登場する米国側は誰もかれもカッコエエ 上は小汚い言葉遣いのCIA長官から下は海軍の兵士まで、ダメダメな奴とか腰抜けとか無能は一人もいない。みんな国を支えるためにまじめに仕事をしている(ようだ)。
一方、テロリスト側は少し拷問されただけでゲロっちゃうような軟弱な卑怯者ばかりである。
くしくも、この実録風劇映画と対を成す娯楽映画風戦争ドキュメンタリー『アルマジロ』が少し前に公開されている。こちらを見たら、この中に登場する兵士になりたいとかカッコエエなどと思う者はいるまい(よほどの軍オタを除いて)。
その一点をもってしても、『ゼロ・ダーク・サーティ』がプロパガンダ映画だと言われても仕方ないだろう。


ところで、拷問でヘビメタ曲を大音量で流している場面が出てきた。実際の拷問で使われたバンドってもし知ったら怒らないか? それとも「お国の役に立った」と喜ぶのだろうか。
もっとも、ヘビメタに限らず「ブランデンブルク協奏曲」や「ミサ曲ロ短調」だってデカい音で流せば拷問に使えるわな。


拷問点:4点
暗殺点:8点


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2013年3月17日 (日)

エル・グレコ展

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会場:東京都美術館
2013年1月19日~4月7日

日曜は混むだろうと思い、平日に休みが取れたので行った。
しかし、それでも作品の回りには二重三重の人垣が出来ていた。人垣が薄くなるのを待つのをあきらめてチラ見して通り過ぎてしまった絵も何点かあり。

作品は肖像画と宗教画に大別される。肖像画では服やアクセサリーの装飾も細かく書き込まれているが、宗教画ではほとんど単色の衣服で襞だけが描かれている。

教会の祭壇に飾るための巨大な絵画はさすがの迫力である。当時の人々は今の3D映画を見るように圧倒されたに違いない。

しかしずーっと眺めて歩いているうちに、服の白く輝く襞とドヨ~ンとした暗い背景と首だけ描かれている天使の群ればかりが目に残るようになってしまった。なぜだっ
襞が常に白く輝いているのは光源が特定されていないせいか? それを思うとカラヴァッジオの強烈な光と影のコントラストは革命的だったと想像できる。

さて一番、気になっていたのは「白貂の毛皮をまとう貴婦人」。予想よりも小さめの肖像画だったが、やはりエロくて生々しい。一説にはエル・グレコの愛人を描いたとか。
そんな説が出るのも納得である。四百数十年経った今でもその息づかいが伝わってくるようだ。

ところで、若いお母さんが2歳ぐらいの子どもをカートに乗せて必死にエル・グレコの絵を見せようとしていた。しかし、お母さん、2歳の子には無理ですからっ(~o~) お子ちゃまならドラえもんの方がいいよなあ。

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「よつばと!」12巻

著者:あずまきよひこ
角川グループパブリッシング(電撃コミックス)2013年

以前から大きな事件などはほとんど起こらず、登場人物たちの日常を淡々と描いているだけだのマンガっぽかったが、この第12巻では本当に何も起こっていない!
ハロウィーンにお菓子を貰うとか、みんなでキャンプに行くというだけの話なのに、よくもまあここまで読ませるとは。驚きであり、そして感心した\(◎o◎)/!

それは、怒涛のようなストーリー展開とか波乱万丈でハラハラドキドキといったようなものに対するのとは全く異なった種類の感動だった。

ここに描かれているのは何一つ欠けるところのない全き世界である。思い煩うこともなく、苦しみも悲しみもない、永遠の日曜日だ。
純粋で輝く幸福感に満ちている。

小倉千加子の本だったか、人間が生きていく上にはそういう体験が一度でも必要なのだと読んだことがある。恐らくそれは、その時には分からなくて後になってあの瞬間がそうだったのだと気付くようなものなのだろう。
ここまで来ると、もはや涅槃の境地だろうか。

最終ページの最後のコマが印象的だが(私は見た瞬間、虚を突かれた)、その他にハロウィーンのエピソードの終わりも思わず見入ってしまった。お菓子を貰ったよつばが風香たちに挟まれて歩くシーンのコマが四つ、田の字に並んでいるだけだ。しかし、子どもの仕草の一瞬を完璧に、反復するそのコマの中に捉えている。ストーリー的には全く意味のない場面である。

別の意味でもう一つ気になるコマが……。ジャンボの花屋を訪ねたとーちゃんが花に埋もれているように描かれていたが、あれは何(^^?)
そういや、とーちゃんが実に父親らしいことをしている(添い寝とか)のも、なんだか感心してしまったよ。


ところでそれとは別に、よつばの正体は常にすご~く気になる。緑色の髪をした外人のような女の子で、本当は5歳なのに6歳だと思い込んでいる、とは何者だ?
これまで色々と考えた--。宇宙人の子どもか 謎の秘密組織によって生み出された植物人間か

今回思いついたのは「よつば桃娘」説である。
とーちゃんが南の島を放浪して海辺にたたずんでいると、海から巨大な桃がドンブラコッコと流れ着いた。彼は珍しい果物だと思って、日本に持って帰り田舎で引退生活を送る両親の所への手土産にする。
ばーちゃんが包丁で果物を割ると、中から緑色の髪の赤ん坊が出てきたのであった。
しかし、これだと出生届はどうしたのかという問題が生じる。
まだまだこの正体問題は検討中(^^ゞ

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2013年3月13日 (水)

「宇治川朝政×グレン・ウィルソン」:風と共に吹きぬ

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会場:早稲田奉仕園 スコットホール
2013年3月10日

突如、大風が吹き荒れ「煙霧」なるものが街を覆った日に、人気もない早稲田の裏町をトボトボと歩いてたどり着いたは、初めて訪れたスコットホールである。
中は質素な感じで十字架やオルガンがあり、普段は教会の講堂として使われているようだ。

今宵はここでリコーダーの宇治川朝政(前回のコンサートの感想はここ)とチェンバロのグレン・ウィルソンのコンサートがあるのだった。ウィルソン氏は雑誌「アントレ」の1&2月号にインタヴューが載っていたので、読んだ人もいるだろう。そこでレオンハルトと共に写っている写真は細身だが、現在はその3倍ぐらい横幅がある(当社推定比)大柄なオヤヂである。

取り上げられた作曲家はオトテール、フィリドール、テレマンなどなど。リコーダー曲の間に短いチェンバロ独奏曲(クープラン、ダングルベール)を数回入れるという体裁だった。
事前のイメージよりもはるかにリコーダー中心の構成だったのは意外である。

宇治川氏は特に後半が調子よく、テレマンの「忠実なる音楽の師」ではテクニックの極みに果敢に挑戦し聴衆一同の耳をダンボ状態にさせた。
一方、ヴィヴァルディ作と称して顰蹙をかったシェドゥヴィーユの「忠実な羊飼い」は、歌心ある演奏で会場の心を掴んだのであった。

いつもはチェンバロについては福間彩が相方を務めていて、相性良く協同するという印象である。今日のウィルソン氏は時々鋭いタッチを閃かしながらも、ベテランらしく包容力ある風に陰から支える演奏だった。
正直、できれば彼の演奏をもう少し聞ければもっと良かった。我儘かしらん(^_^;)

会場は最近公演チラシで何回か名前を見かけるようになった場所である。音は非常にいいと思うけど、トイレが隣の建物でしかも数が少ない(!o!) 雨なんか降ったら傘さしていかなきゃならないぞ~。
それから規格はずれの強風とはいえ、風で窓(サッシとかじゃなくて木枠なのだ)がバタバタと音がしてたのはなんだかなあ

ところで、曲目のリーフレットに今後の予定というのが載っていて、それを見るとまたガンバ弾きのJ・チータムと共演するんじゃないですか。その次は「涙」トーマス・メラナーも! 楽しみ楽しみ(*^^)v


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2013年3月12日 (火)

「奪命金」:貯めるも必死、使うも必死

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監督:ジョニー・トー
出演:ラウ・チンワン、リッチー・レン、デニス・ホー
香港・中国2011年

ジョニー・トーの新公開作。タイトルが意味不明で(前売り券買う時に苦労した)てっきり銀行強盗の話かと……(・・;)
実際のところは、金を奪う話じゃなくてヒトの命をも奪う金というモノの物語なのだった。

ギリシャの債務危機によってユーロ直滑降的下落、世界を揺るがす金融危機によって窮地に追い込まれる三組の人々が描かれる。
事前のあらすじだとこの三組がつながっているようだけど、実際にはバラバラでほとんどオムニバスに近い。

一つはお人よしのヤクザが羽振りのいい親友に兄貴分の保釈金を工面してもらったが、直後に株の下落によってあっという間に窮地に陥った親友と共に右往左往するというエピソード。
それから、金融商品担当で成績不振のためクビ寸前の女性銀行員が、虎の子の貯金を殖やそうとしたオバサンに高リスクの商品を売りつけてしまう。
そして、その二つのエピソードに共通する事件を担当する刑事の妻が、マンションの購入を決めた途端に金融危機のニュースが……となる。

もっと有機的に三つの物語が絡んでいるのかと思ったが、そういうことはなくてその点物足りなかった。一つ一つの話に文句はないけど、続けて並べられてしまうとやや冗長で、J・トーのファンだけに通じるような内輪向けの作品かなと思えてしまった。

一番面白かったのは女性銀行員のエピソード。隣の窓口では同僚が株が下落するさなかに「こういう時こそお買い得なんですよ」と平然と売りつけているのを見て焦る。しかし、そこまで厚顔な真似をする勇気はない。
だが最後は、働く女子ならみな思わず喝采する結末がちゃんと待っているのであった。


金が命度:7点
命が金度:5点

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2013年3月10日 (日)

「塀の中のジュリアス・シーザー」:仁義なきシェイクスピア劇、あるいはまぼろしの帝国

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監督:パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ
出演:コジーモ・レーガ
イタリア2012年

刑務所内で古典劇を上演する その無謀な試みによる囚人たちのテンヤワンヤを描く人情喜劇、なんて想像していたら……すいませんm(__)m 名匠タヴィアーニ兄弟……初めて作品観ました_(_^_)_

囚人の更生プログラムで演劇をやるというのは必ずしも珍しくはないようだ。大昔に見たニック・ノルティが主演した米国映画では囚人たちがミュージカルをやって、主人公は無期懲役囚だったのをその活動が評価されて仮釈放まで行ってしまうのである。もちろん実話を元にしている。

この舞台となる刑務所も実際に囚人の芝居を市民に公開しているようだ。冒頭はその様子が映し出される。その後、時間は遡ってオーディションの場面から始まる。決まった役者たちはいずれも懲役10年、20年は当たり前無期懲役囚もいる。なかなかに強面のメンツである。
練習場所のステージがある講堂は改修中なので、一同は監獄内の様々な場所をあちこち移動しながら稽古を続ける。

しかし、見ているうちにどうも予想したものとは違っていると気付いた。演目の『ジュリアス・シーザー』以外のセリフが非常に少ないのだ。もちろん「ちゃんと台本覚えなくちゃ」とか「面会の後で落ち込んでる」とか、看守が「続きを知りたいからもう少し見ていよう」なんていう「素」の場面が途中に出てくる。しかし、それはあくまでも脇の話で本筋ではない。
この映画が描こうとしているのは、「シェイクスピアを上演しようとする囚人」の物語ではないのだった。

よくオペラや古典劇では読み替えというのをやる。例えば、イアン・マッケランの出世作となった『リチャード三世』(映画化もされた)では設定は大戦前夜のヨーロッパ某国になっていて、台詞はそのままだがラストでは「馬」の代わりに戦車が登場する。
これも、刑務所を舞台に読み替え、その中にいる囚人が台詞を語るという設定の『ジュリアス・シーザー』なのである。ただ、演じているのが役者ではなく本物の囚人で、背景も書割ではなく監獄そのものを使用しているのが普通の芝居と違う。

そうなると、何やら芝居自体がマフィアの抗争劇めいてくる。ごつごつとしたイタリア語(方言までは判別できないが)の響きも、『仁義なき戦い』の広島弁並みに迫力を醸し出す。もっとも、この『ジュリアス・シーザー』自体がそもそもご当地の物語だから当然か。
シーザー暗殺の混乱の後で、登場する若き新皇帝役は新入りの若い囚人が当てられる。これまた虚実が入り乱れ区別がつかなくなるたくらみの一つのようだ。

冒頭と終盤の、市民の前でのステージ場面はカラーだが、刑務所の中に入ると一か所を除いてモノクロ画面になる。モノクロはドキュメンタリーのような強烈な印象を残すと共に、なにか白昼夢のようでもある。
このカラー白黒というのは、ある意味映画の原初的なギミックであるが、迫力ある効果を生み出しているのだった。

『ライフ・オブ・パイ』は語りと騙りが交錯する作品だった。こちらはCGのような最先端技術はないものの、やはり「騙り」度では負けず劣らず、現実と虚構の境を曖昧にし目もくらむような幻惑を与えている。
つくづく、映画の面白さは尺の長さ(本作は76分)にもテクノロジーの新しさにも関係ないと改めて思い知ったのであったよ。

ところで、キャシアス役の囚人(無期懲役)が最後に漏らすセリフの意味は「芸術を知って、初めて真に自由になりたいと気付いた」ということでいいのかな(?_?)


抗争度:9点
虚実度:9点


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2013年3月 3日 (日)

あのイタリア映画が遂に正式ロードショー公開

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昨年のベストテンに入れたイタリア映画『大陸』、自分で高い評価を与えておきながら「日本でロードショーやっても客が入るとは思えない」なんて書いちゃってたのだが、今日行った映画館にチラシが置いてあった(!o!) なんとロードショー公開されるらしい。

だが邦題は『海と大陸』……(ーー;)
おまけに上映館は観客の平均年齢が新宿バルト9の二倍(当社推定比)と言われる岩波ホールだ。
正直、微妙である。が、主人公のフィリポ君はかわゆいし、ラストシーンは素晴らしいし、皆さん是非見に行って下せえ。

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バッハ・コレギウム・ジャパン第100回定期演奏会:目指すは200回、ですか

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ライプツィヒ時代1730~40年代のカンタータ4
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2013年2月24日

100回目というのも縁起がいいが、さらに教会カンタータの全曲演奏完遂も重なったメデタイ演奏会。さすがに満員御礼ということで隅の席や3階席まで埋まっている。普段は両脇の席など数列は空いてたりするのだ。

メンバーもヴァイオリンが久しぶりの寺神戸&若松のツートップ。歌手もハナ・ブラシコヴァ、ロビン・ブレイズ、ゲルト・テュルク、ペーター・コーイというベストの布陣である。
冒頭のオルガン演奏も鈴木(兄)が久々の登板で、気合が入っていることを示した。そういや、プログラムも1500円、やはり気合が入っております……

今回の作品は特別な機会のために過去の曲を使いまわし若干追加したりして、歌詞を変えて演奏されたというもの。
全体に独唱者は皆好調で、マドゥフ組のトランペットもコケたりせず、ケチの付けようがなかった。

特に休憩後のBWV30の合唱に感心した……と思ったら、その後の「ロ短調ミサ」のグローリアを使ったBWV191はそれよりも上を行くものだった。あの複雑なコーラス--特に第3楽章を聞いていると、まるで複雑かつ精緻な織物であるかのようにそれぞれの声部が入り混じり浮き上がってくるのだった。
よくBCJの演奏について無味乾燥とか面白みがないという評を見かけるが、やはりこれだけの合唱を聞けることは他では滅多にないだろう。それを考えるとさすが100回は伊達ではないと感じるのだった。

ややフライング気味に拍手が入り、ブラボー等も飛び、満場喝采となった。
カーテンコールの後、鈴木(兄)氏がマイクを持って登場。一か月ほど前に亡くなったという小林義武(新聞で報道されたのはこの翌日だった。それまで公表されてなかったのか?)について触れた後、始めたアンコールは「ロ短調ミサ」より「ドナ・ノービス・パーチェム」だった。この演奏も素晴らしく、聴衆の満足とマチャアキ氏の涙とともに終了したのだった。

この日は満員だというのに、また無理を言ってスマホ男の隣の席を交換してもらった。
次回の「ヨハネ」はもう交換するのも悪いので、オペラシティはすっぱりと捨て、さいたま芸術劇場のチケットを改めて購入した。仕方なし。
というわけで、スマホ男の隣でよければ希望者にチケットを差し上げま~す(^o^)/

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2013年3月 2日 (土)

「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」(3D字幕版):溺れる者は虎をも掴む

130302
監督:アン・リー
出演:スラージ・シャルマ
米国2012年

見る前は映像の美しい、若者の冒険譚だと思っていた(予告もそんな感じだった)。しかし、実際に見てみると全く違っていた。
かなり風変わりな物語である。よく言えば驚異に満ちた感動的な話であるが、別の観点から見れば珍奇で極めてウサン臭い。
見終わった後は「こりゃなんだ(?_?)」と狐につままれた気分になってしまった。


(というわけで、本作未見であまり詳しく知りたくないという方は、以下は読まない方がいいかも知れません)


注意しなければならないのは、この奇妙奇天烈な物語が常にカナダ人の作家に向けて主人公から語られるという形を取っていることである。つまり「客観的」な事実は最初から存在しない。そして観客は絶えず「現在(現実)」に引き戻される。

で、少年時代の名前の話やら色々な宗教にハマる場面はかなり長い。長いからには何か意味があるのだろう。宗教に関連して食事の話も頻出する。
母親は徹底した菜食主義者だが、肉食を禁忌とする仏教徒である日本人船員はいい加減である(もっとも、実際の日本人でそんな敬虔な仏教徒が何人いるか不明だが)。母親に邪険な扱いをする船のコックはジェラール・ドパルデューが演じているから、フランス人でカトリックなのだろうか。

ただし食文化というのは宗教だけでなく、その地域の風土にも無関係ではあるまい。最近のニュースでフランスの企業経由で馬肉を混ぜた冷凍食品のパックが英国で売られて、大問題になったというのがあった。馬肉はフランスではオッケーだが、英国では絶対にありえないそうである。
馬どころかクジラを食べていいなら犬やサルのどこが悪いという論議も成り立つだろう。そして●●だって……(@_@;)

沈没する船から脱出した少年が獰猛なトラと非常用ボートに同居--と言う展開は奇想天外だが、3D映像の迫力もあってひきこまれる。
……のであるが、見ているうちにどうもこれはリアリティを追及する類の話ではないのだなと分かってきた。十代後半の少年の顔には何日たっても無精ひげは一向に見当たらず、救命ボートの中は虎が食い散らかした動物の残骸はなどなく、掃除したばかりのようにキレイである。

夜の海やクジラは神秘的で美しいし、トビウオの場面は笑えた。これはファンタジーか?でも、ミーアキャットが充満している島は不気味だ。とすれば寓話なのか?

驚いたことに、長じて中年男となった主人公は作家の男に、もう一つの別の漂流譚をするのである。こちらはかなり陰惨な話だ。そして作家にどちらの話を信じるか尋ねる。この事にも驚きだ。これは自らの行為に了承を求めているのだろうか?
作家がトラの話を取ると答えるとホッとしたような表情を見せるではないか。私はもし作家が逆の答えをしたら、主人公が襲い掛かるのではないかとドキドキしてしまった。そして、その晩の食卓には……(>O<)ギャ~ッ

トラのエピソードが作り話かも知れないのなら少年時代の出来事だって事実かどうか怪しいもんである。何を信じろというのか。
そういえば、彼は現在は大学でユダヤ神秘主義を教えていると語り、沈没船は日本船籍なのにユダヤ思想に出てくる用語が船名になっていた。ますますうさん臭い。
そうして結局うさん臭いままに終了するのだった。

それにしてもみんなトラの話の方が面白いと思うのだろうか。私はもう一つの話の方が見たい。M・ハネケみたいなイヤミな監督にぜひ映画化してほしいものだ。(ハネケも新作では「穏当」になったらしいが) まあ、アカデミー賞にはノミネートされないだろうけど。

少年役のスラージ・シャルマはほとんど出ずっぱりで、しかもCG相手の一人芝居らしい。新人なのに大したものである。
カナダ人の作家役は好青年然としているが、なんと『もうひとりのシェイクスピア』の俗悪なシェイクスピアをやってた人かい こりゃ驚いた(*_*; さすが役者だ。

トラのCGには感心するが、3D場面はそれほど効果はなかったように思う。『2001』のスターゲイト・コリドーみたいなイメージが登場するけど、それだったら『2001』をさっさと3D化して見せて欲しい。

なお、今回のアカデミー監督賞はみごとアン・リーが獲得した。よくぞこんな珍奇な話をまとめたもんだというご苦労さん点かな?
『楽園をください 』(1999)、『ブロークバック・マウンテン』(2005)『ラスト、コーション 』(2007)『ウッドストックがやってくる!』(2009)--と、過去の作品は題材もスタイルもバラバラだが、いずれも寄る辺なき若者の彷徨する姿を描いたものだろう。なに(^^?)本作は彷徨ならぬ咆哮だって


肉食度:7点
草食度:4点


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2013年3月 1日 (金)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 3月版

いよいよ春へ。コンサートの予定も充実……のはずが、ああっ(+o+)

*9日(土)はるかなる弦楽器の旅物語(つのだたかし)
*10日(日)宇治川朝政×グレン・ウィルソン
*17日(日)受難のレスポンソリウム(コントラポント)
*19日(火)「ラファエロ展」記念コンサート(ラ・フォンテヴェルデ)
問題は突然、土日出勤(9・10日)が入ってしまったこと。10日は開演時間が遅いからなんとかなるが、9日はダメっぽい(;O;) 19日も早退していけるかもと思っていたが、これもダメな予感が……なんで~(ワッと泣き伏す)

他にはこんなのも
*8日(金)大泉バロック
*14日(木)フィレンツェの春(アントネッロ)
*15日(金)親密な語らい4(アンサンブル・アルタイル)
*17日(日)ポジティフ・オルガンコンサート3
*20日(水)エンリコ・オノフリ&チパンゴ・コンソート
熱い感想リポートお待ちしてまーす(^o^)/
*23日(土)4人の響き
*30日(土)アンサンブル《BWV2001》
       スヴェーリンクとフレスコバルディ
*31日(日)オルガン復活!お披露目記念コンサート(東京芸術劇場)

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