「汚れなき祈り」:地獄へ至る道は信仰で敷きつめられている
監督:クリスティアン・ムンジウ
出演:コスミナ・ストラタン、クリスティーナ・フルトゥル
ルーマニア・フランス・ベルギー2012年
昨年のカンヌ映画祭で主要な賞を取った作品が次々と公開。手始めはこの『汚れなき祈り』である。こちらは主演女優が女優賞を二人ダブルで監督した。
同日公開で、やはりカンヌの男優賞の『偽りなき者』と邦題が似ているもんだから(もちろん原題は全く違う)、間違える人続出。中には間違えて映画館行ってしまう人もいたとか。
私もデータベースで検索しようとして、「汚れなき者」とか「偽りなき祈り」とか「許されざる者」(←違う映画じゃ)「禁じられた祈り」なんて……全然ヒットしねえ~。
これは絶対に観客に間違えさせて両方見させようという公開側の高等戦略に違いないと見たが、どうよ!(^^)!
舞台はルーマニアの田舎村、その辺鄙な地の修道院に一人の娘がやってくる。彼女は孤児院仲間で今は信仰生活をしている友人を訪ねてきたのである。そして彼女たちはどうも過去に同性愛関係にあったらしいことが暗示される。
娘は友人を修道院から連れ出し関係を復活させたいのだが、友人の方は今の生活に満足していてその気は全くない。むしろ、一緒にここで暮らしてほしいと思っているのだ。そこで娘の怒りと敵意は友人が心酔している神父や他の修道女に向かうのだった。
実際にあった「悪魔祓い」事件を元にしているというが、様々な要因が絡み合っていて何が悪いとは一概に言えない。
精神不安定な娘を適当なところで退院させた病院、孤児院を出たら修道院しか行く場所がない社会の貧困、孤児を養子に貰って搾取する里親、中世さながら(何せ電気が来てない)の生活をする閉鎖的な修道院--。
舞台は中世的、とはいっても問題は現代をそのまま反映している。
それらが厳しい冬へと向かう清貧生活の描写と共に静かな筆致で描かれ、じわじわと締め付けるように物語は展開し恐ろしい結末へと至るのだった。明確な「悪人」はどこにもいないのに。
なるほど娘の精神状態は、昔は「悪魔憑き」とはこういうことを言ったのかと納得。(そして確かにその後友人へと乗り移ったようだ)。しかし今は中世ではない。現代である。
個人的な解釈としては、神父がもう少し融通の利く人物だったらこんなことにはならなかっただろうと思えた。修道院に金がなくて困っていると言いながら教会からの俸給を断っているという。そんなエピソードに頑なな一面を見るようだ。
彼がもっと舌先三寸で他人を動かしうまく立ち回れるような人物(それこそ「教祖」タイプ)だったら、娘たちも適当にあしらえたろう。厄介払いもできたかもしれない。
だが彼の視線は神のみに向かい、信仰なき者はもちろん信者にも向けられてなかったようである。
いみじくも運転手のおぢさんが「神父は神に試されている」と指摘した通りなのであった。
貧しくも完結していた小さな共同体は一人の攪乱者によってあっという間に崩壊した。そしてそれはどこにでも起こりうることだと思える。
音響の使い方が非常に凝っていた。ただ、ちょっとうるさ過ぎな印象もあり。
本当に寒そうな修道院の風景が冷厳でありながら美しい。
152分という上映時間の長さはあまり感じなかったが--やはり長い
悪魔憑き度:9点
信心度:8点
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