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2013年4月14日 (日)

佐藤豊彦「古希記念」コンサート:弦か楽器か

130414
共演:櫻田亨&佐藤美紀
会場:近江楽堂
2013年4月6日

日本三大リュート弾き(さて他の二人は誰でしょう)の一人である佐藤豊彦がめでたく古希--ということで、コンサートを行なった。

まずルイ14世のギター教師だったというポルトガル出身のロベール・ド・ヴィゼーの作品が前半に演奏された。
彼の生年は1660年頃なのだが、この時使用の老リュート「グライフ」は1610年に製作されたということで、なんと作曲者よりリュート様の方がさらに先輩なのである こりゃ驚いた!(^^)!
その後、ド・ヴィゼーと同時代に改造されたそうな。

曲の方は単刀直入に言えば「地味」(ー_ー)!!である。数曲のトンボー以外は舞曲ではあるがどれもゆったりとしたテンポで渋めの曲調ばかりである。
会場で買ったCDのブックレットの解説(恐らくは欧米人向け)を後で読んでみると、佐藤豊彦はこの時代のフランス・リュートの様式を「禅」や「茶道」に例えているのだった。さらにもっと前の世代のゴーティエが「ほとんど聞こえないほどかすかな音で、大変素晴らしい演奏」と評されたという紹介もあった。

確かに今そのCDを聴いてみれば、スピーカーから出る音は明らかに会場で聴いた同じ老リュートの音より遥かに大きい。いかに正確に音をとらえたとしても、既にそこで差異が生じてしまう。まさしく繊細にして幽玄の世界だろう。

さて当日の佐藤氏の解説で驚いたのは、ガット弦の代替品としてナイロン弦や合成繊維を使ってみるがどうも代わりにはならない、という話になった。そして「弦に合わせて楽器が作られるのだから、その弦を変えたのでは意味がない」という趣旨のことを言ったのである。

な、なんだって~(>O<)
楽器が先じゃなくて弦が先なのかっ(!o!) 初めて知った。ビックリである。
卵が先かニワトリが先かの話じゃないですけど……
しかし、本当に弦が先であるならそれを変えてしまっては本末転倒である。そして、その逆の楽器はそのままで弦だけ張りかえるというのも、また然りだ。
弦を張った楽器の本質は弦の方にあるということか。(当然と言えば当然のような気もするが)

そんな驚きから後半に突入すると、こちらは弟子の櫻田亨と娘さんの佐藤美紀(美人母親似なのかしらんヾ(-o-;) オイオイ)と共に、英国はエリザベス朝時代のリュート合奏曲を三世代共演。本来はデュエットなのだが、二台だと大変なので三台で分担とか。
エリザベス女王は毎朝お付きのリュート奏者に伴奏させてラジオ体操ならぬリュート体操を踊ったそうな。夜は夜で睡眠導入曲を寝室で弾かせたらしい。

ダウランドの曲も登場したが、彼とド・ヴィゼーは生涯の最後は息子に宮廷の職を譲って行方不明になったというところが共通してるとか……(@_@;)
さ、佐藤氏には古希過ぎても行方不明になったりせずバリバリ現役で弾きまくって欲しいもんです

アンコールはバッハを二曲。ルネサンスリュートは8コースなので、二台でもバッハを引くのはキビシイが、三台ならOKだそうだ。

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